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クラブ『Flügel der Freiheit』(自由の翼) (第5章)

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  1. 1 : : 2014/05/22(木) 00:56:21
    ★ストーリー★
    現パロ。 
    クラブ『Flügel der Freiheit』(自由の翼) 
    http://www.ssnote.net/archives/3669) 

    (第2章)(http://www.ssnote.net/archives/6389) 

    (第3章)(http://www.ssnote.net/archives/9955

    (第4章)(http://www.ssnote.net/archives/13518)の続き

    ディスコ・クラブのDJリヴァイが主役。 
    オーナーのエルヴィン・スミスが準主役。 
    世界観は『日本風の現在のどこかの外国』 
    二人を取り巻く人たちとの日常のドタバタ劇。 
    これまで同様、命を落としたキャラクターたちと 
    オリジナルキャラが活躍します! 
    クラブ(ディスコ)で紹介する曲は実在するものです。 

    *オリジナルキャラ 

    イブキ 

    ミカサ・アッカーマンと年の近い叔母。 
    異国の地に住んでいたがエルヴィンとミケに惹かれるものがあり 
    同じ国に移り住む。二人に好意を寄せられ翻弄さたが、最終的に 
    エルヴィンを選び、共に同じ未来を見る約束をする。

    イブキのイメージ画。 
    https://twitter.com/lamaku_pele/status/433081120842727424/photo/1 

    エルヴィンとイブキのイメージ画
    https://twitter.com/lamaku_pele/status/540143282458611712

    ★過去のSS 

    「若き自由な翼たち」 
    http://www.ssnote.net/archives/414 

    「Ribbon in the sky~舞い踊る自由の翼は再生する」 
    http://www.ssnote.net/archives/1006 

    「アルタイルと星の翼たち」 
    http://www.ssnote.net/archives/1404 

    「密めき隠れる恋の翼たち~『エルヴィン・スミス暗殺計画』」 

    http://www.ssnote.net/archives/2247 

    「密めき隠れる恋の翼たち~『番外編・エルヴィン・スミスとの1週間』」 
    http://www.ssnote.net/archives/4960 

    「密めき隠れる恋の翼たち~『番外編・エルヴィン・スミスの苦悩』」 
    http://www.ssnote.net/archives/6022 

    「秘めき隠れる恋の翼たち~『番外編・エルヴィン・スミスの審判』」 

    http://www.ssnote.net/archives/7972 

    「秘めき隠れる恋の翼たち~『番外編・エルヴィン・スミスの否応』」 
    http://www.ssnote.net/archives/10210 

    「秘めき隠れる恋の翼たち~『番外編・エルヴィン・スミスの溜飲』」 
    http://www.ssnote.net/archives/11948 

    「堕ちゆく約束」
    http://www.ssnote.net/archives/13268

    「秘めき隠れる恋の翼たち~『番外編・エルヴィン・スミスの流転』」 
    http://www.ssnote.net/archives/14678

    「滴り落ちる紅い実、求める自由の翼 【泪飴×女上アサヒ コラボ企画】」

    http://www.ssnote.net/archives/16294

    「秘めき隠れる恋の翼たち~『番外編・エルヴィン・スミスの渇望』」 

    http://www.ssnote.net/archives/16657

    ※今までカテゴリの分類を『進撃の巨人』だけでしたが、 
    オリジナルキャラを含むSSのため、SSnoteのガイドラインに則り、 
    『未分類×進撃の巨人』へ変更します。


    ★ちょい予告★
    いつもありがとうございます。
    5月24日くらいからUPしていく予定です。
    原作では過酷しかないのですが、私の現パロSSでは基本、平和です。
    ですが、平凡でも日常の大変さ、原作を匂わせるような不思議な繋がり、
    そして人間関係、特に男女間の面倒な出来事を原作のキャラクターそのままに
    私の妄想を交え書いていこうと思います。
    どうぞ、みなさまこれからもよろしくお願い致します!
  2. 7 : : 2014/05/24(土) 10:56:18
    ①初めてのケンカ

     平日のランチタイムが始まる直前のカフェ『H&M』ではいつものようにリヴァイが
    鋭い眼差しでフロアのテーブルを磨いている。突如、カフェの電話の呼び出し音が響くと、
    オーナーシェフであるハンジ・ゾエがレジのそばにあるコードレスフォンを手に取った。
     リヴァイが大切な存在のペトラ・ラルと出かけに見上げた空は晴天で、朝から続く
    青空はランチタイムが始まる時間が近づいても変らず広がっていた。

    「――『H&M』です。あぁ、お疲れ様!」

     ハンジの電話の相手は系列の飲食店の責任者だった。簡単な業務連絡をした後、
    彼は重たい口調と共にハンジに問いかけた。

    「あの、オーナーは大丈夫でしょうか…?」

    「えっ? エルヴィン? まだ来てないけど、どうして?」

    「実はウチに来る前に腕の病院に行って来たみたいなんですが……」

    「うん」

    「病院ではもう大丈夫って言われたみたいで、でもオーナーはイブキさんに
    まだ看病を続けて欲しいみたいで……イブキさんは自分の仕事も詰まっていて
    これを機会に仕事を完全に再開するってことらしいんですね」

    「ふむ……」

    「そしたら、オーナーは痛がる素振りを態度をして、その態度を見たイブキさんは
    『お医者様からもう骨はくっついているって言われていたでしょ!』って、怒っちゃって……
    いつも優しく労わっていたのに、僕らもうびっくりですよ――」

    「まったく、エルヴィンは……」

     電話の向こうの声にハンジはため息をつく。半ば呆れた顔を夫のモブリットに晒していた。
    その日から数週間前、オーナーのエルヴィン・スミスはカフェと同じビルの地下に位置する
    カフェバー『ザカリアス』で転んでしまい、右腕の骨にヒビが入ってしまった。

     包帯で固定されながらも、仕事をいつも以上に精力的にこなしているがそれは、
    彼の大切なイブキのサポートがあったからこそである。
     ただクラブ『FDF』だけは、いつものように帰れば治りに差し支えると、いつもより
    早い時間で上がることもあった。

     真っ直ぐ帰宅すると思いきや、イブキの部屋で休むということをエルヴィンは繰り返していた。
     イブキは当初、エルヴィンと一緒にいられることが、嬉しかったが仕事を休んでいる分、
    取り戻すように夜に集中しようとするが、エルヴィンがそばにいるとそれは叶わなかった。
     またイブキは朝からエルヴィンの部屋で食事の用意や家事を代わりにしていた。
     
     彼女は仕事の依頼は増えるのに、それがたまっていくと、夜は仕事に集中したいと、
    エルヴィンに突きつけ、彼は渋々帰宅することもあった。
     エルヴィンの仕事の手伝いは車の運転や、ペトラに指示する仕事の資料をまとめるくらいであった。

     カフェ『H&M』以外で彼が他の従業員とミーティングするときは、レストランの隅っこで
    イブキは読書して過ごしていた。
  3. 8 : : 2014/05/24(土) 10:59:26
    「それじゃ、エルヴィン……というか、イブキさんが来たら、ちょっと話しておくね、ありがとう――」

     ハンジは重いため息をつくと、通話を切るボタンを押した。

    「イブキさんと一緒にいたいからって、逆に彼女を怒らせるってね……。
    まさか、エルヴィン、『出来婚』とかしないだろうね…まぁ、それだと生活がガラリと変わるし、
    女性は大変だけど、エルヴィンはもういい年齢だし、アルミンに弟か妹が出来ても
    いい年頃よね」

     ハンジの隣のそばに立つ夫のモブリットは指先で顎を支え、妻の顔を首をかしげ耳を傾けていた。

    「でも、エルヴィンさんって、こういう順序とか守る方じゃないですか?」

    「確かに、あいつはちょっと抜けているところもあるけど、秩序とか重視するし……
    まぁ、こればかりは授かりモノだからね」

    「それはそうですね――」

     ハンジがモブリットの肩に軽く触れると、二人はランチの準備を再開するため、
    キッチンに戻っていった。
     リヴァイはフロアでテーブルを拭いていたが、二人の話を聞き終えると、埃を避けるため、
    装着していたマスクを人差し指で下げる。

    (まぁ…イブキさんと一緒にいたいのもわかるが…自宅で仕事をしている人の部屋に
    入り浸るのはどうだろう…)

     リヴァイは眉をしかめ、エルヴィンがまだ登場しない出入り口のガラスのドアを見つめていた。
     ランチタイムが中盤になる頃、エルヴィンがカフェ『H&M』に一人でやってきていた。
     前日までイブキと一緒のはずだったが、その日は久しぶりに彼一人である。
     それまで、ペトラの仕事をイブキがまとめた後、彼女は帰るということを繰り返していたが、その日は彼一人がその仕事をすることになる。

     エルヴィンは心なしか、肩を落とし大きく息を吐くと、カウンター席のスツールに腰掛けた。
     すでに包帯はしておらず、湿布剤をテープで貼り付けるくらい回復していた。ジャケットを
    肩から羽織るが特に痛々しさは感じさせない。
     
     エルヴィンの姿を見たハンジは、ユミルが彼にアイスコーヒーを出そうとしていると、
    代わりに持っていくと言い、グラスを受け取り、カウンター席に差し出した。

    「エルヴィン、イブキさんに怒られたんだって……?」

     ハンジがイタズラっぽく言うと、エルヴィンは目を見開き身体を仰け反らせた。

    「なぜ、それを?」

    「情報はすでに掴んでいる!」

    「まぁ…」

     うつろな目のエルヴィンは出されたアイスコーヒーのグラスをぎこちない右手で取り、
    そのまま口元に移動させた。
     自分の仕事を終えたリヴァイもエルヴィンのそばに近づく。

    「オーナー…イブキさんに甘えるのはいいが、彼女は仕事を半ば休んでまで看病している。
    過剰に甘えるのは……やはり考え物だ」

    「一緒にいたかっただけなんだが……」

    「ほう…じゃ、今はなぜ、一緒にいないんだ?」

    「あ、いや……まぁ」

     エルヴィンは視線を宙に浮かせ、アイスコーヒーのグラスを取るとゴクリと音と立てて
    喉を潤わせた。再びその顔を見たハンジが右の口角を上げた。

    「エルヴィン、怒られたってのは……ケンカしたんだ? イブキさんと?」

     ため息で答えるエルヴィンにハンジは図星だとすぐに察知する。

    「とにかく、一緒にいたいのはわかるけど、くっつき過ぎても離れていくものなのよね」

    「だろうな…」 
  4. 9 : : 2014/05/24(土) 11:02:28
     自嘲の笑みを浮かべるエルヴィンがガラスのドアが開くことに気づくと、そこに立っていたのは、
     ミケ・ザカリアスと伴われてナナバだった。3人はエルヴィンが怪我をして以来、その日、
    初めて会っていた。ナナバはエルヴィンを見るなり、駆け寄りすぐに頭を下げる。

    「本当にごめんなさい、私の元夫のせいで、あなたを怪我させてしまった」

    「どうぞ、気になさらずに……俺もあのときもっと注意すべきでしたから」

     今にも泣きそうなナナバは目を潤ませる。エルヴィンの穏やかな笑みに安堵して、
    さらに涙を誘うようだった。

    「あの…イブキさんもいらっしゃいますか? 彼女にも謝らなきゃ、大切な人に怪我をさせてしまって」

    「いや、あいつは大丈夫です」

    「イブキに『あいつ』って…」

     ナナバがイブキにも謝りたい、という気持ちをエルヴィンが気にしないように、とさえぎる。
     そのエルヴィンの気持ちよりミケはイブキに対してあいつ、という彼に頬を強張らせていた。

    「エルヴィンさん、今、イブキさんはどちらに…?」

    「えっと、今、イブキは……」

    「今ね、二人はケンカしてるんですよ!」

    「おい、ハンジ…何を!?」

     イブキの所在を問われて、口ごもるエルヴィンにハンジが代わりに答えると、
    ミケは眼差し鋭くエルヴィンを睨んでいた。

    「エルヴィン、おまえ…イブキと何があったんだ?」

     ミケが強い口調の唇が動くと、ナナバはうつむく。そのミケの声で彼がイブキを諦めて
    いないのかと、思っても、エルヴィンに怪我をさせてしまったという負い目を感じ口篭ってしまった。

     ナナバが視線を落としうつむき加減の彼女を感じたミケは再びエルヴィンに強い口調で言い放つ。

    「とにかく、大事にするんだ、イブキを」

    「あぁ、そうだな…それはもちろんだ」

     ナナバが顔を上げると、ミケは彼女を真っ直ぐな眼差しを注ぐ。
    ナナバは何かを思い出したかのように目を見開き視線を再びエルヴィンに移し、
    神妙に唇を強張らせる。

    「そうだ、今日はもう一つお話があったんですが……」

    「どうかされました? まさか、『ザカリアス』を閉めるとかじゃないですよね?」

    「それが……」

    「えっ…まさか!?」

    「俺たち、『ザカリアス』と『シャトー ウトガルト』を二人で経営することにしたんだ――」

     ミケがナナバの目を見ながら、照れたように指先で髭をかくと、ナナバが代わりに話し出す。

     彼女が両方のバーに顔を出すようになって、互いの常連客が行き来しやすくなり、
    いっそのこと、二人で経営したら、と客にも言われていた。

     ナナバはミケと出あった頃、バーを一緒に経営したかった、という懐かしい願いもあり、
    その気持ちを汲んだミケも同意していた。

    「――これから、ナナバはみんなと更に顔を合わせることになるだろう。
    その紹介もかねて、今日はここに来たんだ」

    「そうか…じゃ、俺も『ザカリアス』だけでなく、『シャトー ウトガルド』に行ってもいいのか…?」

    「はい、歓迎しますよ!」

     ナナバはエルヴィンに笑みで返す。

    「エルヴィン、これからもよろしく…」

     ミケが右手を伸ばし、互いに右手で握手するが、その手の感触にミケが違和感を感じる。

    「エルヴィン、もう治ったのか?」

    「えっ……あっ、痛いっ」

     まるで痛みが後から追いかけてきたように、左手で右腕を押えると、ナナバが驚き目を見開く。
     その顔を見たリヴァイは舌打ちして、間に入った。

    「ナナバさん、心配はいりません、もう骨はくっ付いているって医者に言われていますから」

    「そうなんですか……それじゃ、一安心ですね…」

    「オーナー、大げさにも程がある…別にイブキさん以外の前で痛そうな振りを
    しなくていいんじゃねーの?」

    「おい、リヴァイ…!」

     呆れた顔のリヴァイにエルヴィンが慌てて制止するが、この二人のやり取りにミケは
    エルヴィンがイブキに甘えたいんだろうと察して頬を引きつらせた。
  5. 10 : : 2014/05/24(土) 11:04:48
    「だけど、今日…初めてここに来ましたが、いい雰囲気のカフェですよね。
    私は夜の店ばかり見てきたから、こういう『楽しくて温かい雰囲気』って好きなんですよ」

     ナナバが『楽しくて温かい雰囲気』と口にすると、ハンジとモブリットは顔を見合わせた。

    「実はこのカフェのコンセプトがそれなんですよ! それで今までやってきました」

    「そうなんですか……ホント、明るくて清潔感もあって…私がここで食事したりするのは…
    迷惑かしら…」

     断れるのを覚悟していた影響か、ナナバの語尾はだんだんと小さくなりうつむき加減になる。
     その顔を見たエルヴィンは笑みを浮べていた。

    「どうぞ、ご遠慮なさらずに、これも何かの縁ですから――」

    「はい、また伺いますね……! ねぇ、ミケ、近々ランチしに来ようよ?」

    「あぁ、そうだな…」

     ナナバがミケにホッとしたような笑みを向けると、彼も口角を上げていた。イブキへの
    気持ちが溢れそうになっても、ナナバへの気持ちを考えると、抑えることに徹していた。
     
     リヴァイがガラスのドアを開け二人を見送ると、『ザカリアス』に向っていくようだった。
     ランチタイムを知らせる看板からティータイムへ切り替えると、リヴァイはエルヴィンの傍に近づいた。

    「オーナー…ナナバさんは感じのいい人だな」

    「あぁ、そうだな…常連になってくれてると嬉しいが……」

    (――まぁ…イブキがどう思うか…深く考えるのはよそう)

     エルヴィンはイブキをいつまでも大切にして離したくない気持ちは強い。
     だが、心のどこかで、ミケのことを彼女は想っているのではないかと、その疑問が
    過ぎることがある。

     心のどこかで想いを寄せるミケに新しい出会いがある、というだけではない。
     イブキと付き合うようになってミケとの付き合いも、だいぶ減っていた。
     これを機会に以前のような関係に戻るのなら、イブキはどう感じるだろう、と逡巡していた。

    「まぁ…なるようになる…か――」

     左手で右腕をさすると、ペトラが来るまでに彼女にまかせる事務的な仕事をすることにした。

     予想以上に動かせることに鼻で笑うが、身体が今まで通りに元に戻るとエルヴィンは
    イブキが遠くにいってしまいそうで、急に寂しさが募っていた。

    「オーナー…イブキさんは逃げない……」

    「えっ、そうだよな」

     カウンターの傍を通ったリヴァイはエルヴィンが遠くを見るような寂しげな眼差しに気づくと
    思わず声を掛けていた。伏目がちに、ペトラへ引き継ぐ仕事に取り掛かっていた。

    (オーナー…よっぽど、楽しかったのか…まったく、イブキさんと何してたんだか、その腕で――)

     妖しい笑みを浮かべ、客が帰ったテーブルをリヴァイが片付けていると、
    ガラスのドアが開き客かと思って顔を上げると、イブキが不機嫌な顔で立っていた。
  6. 11 : : 2014/05/24(土) 11:06:22
    「イブキ、ごめん…俺が悪かった、手は動くし、もう仕事は出来る」

     焦りから早口で謝るエルヴィンにイブキは口元を押さえ笑い声が唇からもれた。

    「エルヴィンさんったら…もう! 私も大人げなかったよ、ごめんね」

     不敵の笑みを浮かべるイブキがエルヴィンのそばに立つと、いつものように彼女の
    腰に手を添えた。
     数時間前まで、ケンカをしていた、という様子を感じられない程二人の仲のよさを皆に晒す。

    (もうケンカ終了かよ…全く、人騒がせな……)

     鋭い視線のリヴァイがエルヴィンを見ても、その眼差しに彼は気づかない。
     ただ一心にイブキを見つめていた。

    「だけど、最近ずっと一緒にいたから、少しくらい離れても寂しくないよね?」

    「何…? どういうこと?」

     イブキがエルヴィンの隣に座り、バックから手帳を取り出し広げ見せたのはスケジュール表である。

    「仕事の出張が決まったの! その予定をここで立てようかと思ってね…!」

    「そんな…」

     目を見開いて、口まで開け驚くエルヴィンに、イブキは妖しい笑みを浮べていた。

    「まぁ、でも前回より短いし、いいでしょ?」

    「短い…って、期間はどれくらいなんだ?」

    「えっとね、10日だよ!」

     イタズラっぽくイブキが答えると、エルヴィンはさらに目を見開きゴクリと息を呑んだ。
     仕事をしていた手を止め、腰掛けるスツールを回しイブキに身体を向ける。

    「ダメだ…行かせない」

    「何よ、それ…まったく」

    「10日も会えないなんて、俺は嫌だ……」

     カウンターで頬杖をつくと、イブキは呆れ顔で深くため息をついた。

    「私もあなたのそばにいたい…でも、ちゃんと仕事はしなきゃいけないでしょ」

     小さく拳を握ると、イブキはエルヴィンの肩を軽く小突く。エルヴィンは肩に触れたイブキの
    手を握り返した。彼の大きな手に触れられると、イブキは愛されていると感じる。

     彼が怪我をして以来、ほぼ毎日のように一緒に過ごしていると、イブキはふと、
    一人の時間が欲しいと思いふけることがあった。もちろん、彼への気持ちは深くて、変らない。
     本当の出張の予定は1週間のはずだが、残りの3日は自分のリラックスのため設け
    エルヴィンに10日の出張とイブキは告げていた――
  7. 12 : : 2014/05/25(日) 13:09:29
    ②リヴァイ、風邪を引く

     いつもの土曜日、カフェ『H&M』でリヴァイが懸命に掃除する姿を見つめる
    オーナーシェフであるハンジ・ゾエはそろそろエアコンの準備をしなければ、と考えていた。
     その街は太陽の陽気な香りに包み込まれるようで、この数日、ハンカチで額を押さえ
    カフェに入ってくる客を見かけるほどだった。
     ハンジがリヴァイにエアコンの掃除を頼むと快く引き受けるが彼の不満が漏れる――

    「ハンジさん、掃除は『上から下へ』ってのが基本だ…下のフロアの掃除の前に
    上に位置するエアコンの掃除を先にすべきだった…」

    「あ、そうだっけ、ごめんね、リヴァイ……!」

     眼光鋭くリヴァイに見られても、ハンジはいつものことと、意に介さず脚立を手渡し
    彼はエアコンの掃除を始める。もちろん、頭にバンダナを巻いて、埃から守る為、口元は
    大きなマスクが覆う。エアコン内の埃をリヴァイがキレイに掃除すると、マスクを下げ
    ハンジを呼ぶ。

    「ハンジさん、ほぼ終わった…ちゃんと起動するか試す。リモコンはあるか…?」

    「あ、リモコン? これね! 押せばいいの?」

    「おい、ハンジさん…!」

     リヴァイは彼自身でエアコンの起動を確認したかったが、リモコンを手に取った
    ハンジはエアコンのスイッチを押してしまう。同時に風力が最強だけでなく、
    温度も最低の冷気がリヴァイを包んだ。

    「えっ…! リヴァイ、ごめん! これどうしたらいいの? ボタンを押しても、止まらないよ!?」

     リモコンのスイッチを再び押して起動を停止させようとしても、慌てるハンジは
    どうにも出来ず、エアコンの冷強風にリヴァイはされるがままだった。素早くリヴァイに
    手渡すと、リヴァイは脚立から下りてリモコンを確かめると電池の接触不良と気がつく。
     彼の舌打ちが響くと、ようやくエアコンを停止させることが出来た。

    「ハンジさん…温度の調整もしようと思って、リモコンを渡して欲しかったんだが……」

    「いや~…リヴァイ、ホント、悪かった! でもキレイになったし、ありがとね」

     強風であおられたとき、三角頭巾のように被っていたバンダナがフロアの床に落とされた。
     脚立を片付けながら、拾い上げると彼はそのままエプロンのポケットにしまう。
     エアコンの風に弄ばれたリヴァイの前髪が全開になっていても、いつもの涼しい横顔に
    ハンジとユミルは笑いを堪えていた。
  8. 13 : : 2014/05/25(日) 13:12:52
     リヴァイがガラスのドアを開け、イーゼルにランチタイムを知らせる看板を立てる頃、
    その日の陽気な天候の影響で生ぬるい風が彼を包んだ。

    「…っくしゅん…あ…まさか、風邪か…?」

     冷たい風に吹かれ今度は温い風に包まれると、リヴァイはくしゃみをしながら
    悪寒を感じていた。翌日は休みということもあり、深く気にせずそのまま仕事に勤しむことにした。

     オーナーのエルヴィン・スミスはいつもの土曜日の如く、奥様連中と同じテーブル席に座り、
    教育問題で持論を展開している。彼の大きな手の身振り手振りの姿に奥様たちは釘付けだ。
     カウンターの内側で洗物をしながら、その様子を伺うリヴァイの眼差しが
    いつもに比べ弱々しいことにユミルは気づく。

    「リヴァイ、大丈夫? さっきのエアコンの冷風で風邪でも引いたんじゃない?」

    「いや、大丈夫、平気だ…」

     冷たい水で食器を洗っているが、いつもは特に感じることはなくても、
    その時のリヴァイはより冷たく感じ、再び悪寒が走る。全て洗い終え、
    ユミルの傍に立つと、彼は風邪の影響で涙目になっていた。

    「大丈夫? なんだか、風邪っぽいよ?」

    「――いや、問題ない……はっ…っしゅんっ…」

     自分のくしゃみが飛沫しないように口元を隠しながらリヴァイはくしゃみをする。
    眼差しの鋭さとは正反対で、まるで女の子のようなくしゃみに、ユミルは彼から目を逸らし
    再び笑いを堪えていた。

    「俺の顔に…何かついているか?」

    「ううん、何でもないよ…!」

     うつむいたまま、ユミルは帰った客のテーブル席を片付けるが、もちろん頬は緩みっぱなしだった。

     その土曜の夜、リヴァイはDJブースに立ちながら体がふらついていることに気づく。
    彼の後姿から体調が悪いのではと気づいたジャン・キルシュタインは目を見張った。 

    「リヴァイさん、大丈夫ですか? なんだか顔色も悪く…赤いみたいで――」

    「問題ない、明日は休みで……今日の客の入りを考えると、直ぐ営業も終えられる」

     いつもの眼差しに鋭さはなく、ジャンはそれでもブースに立つリヴァイに息を呑む。

    「俺が変ります、リヴァイさんはもう休んで下さい」

    「悪いが…この次の曲から頼む…」

    (――やっぱり…風邪か…曲が思いつかない……)

     何年も風邪を引いてないリヴァイはブースに立ちながら、繋げるとしたら、どの曲がいいか
    思い浮かばなかった。それで、彼は風邪を引いたと自覚していた。
     ジャンにブースを譲った後、リヴァイはロッカールームに向かい、
    ペトラ・ラルに風邪を引いたかもしれない、とメッセージを送る。
    するとすぐにペトラが早く帰られないの、という心配の返事が来ていた。
     そのメッセージの文字を目で追うと右口角を上げそのままスマホをロッカーにしまった。
     フロアに戻ると、顔の赤いリヴァイを見たエルヴィンは目を見開き驚いていた。

    「リヴァイ、おまえが飲み過ぎるってことはない……体調が悪いのか?」

    「大丈夫だ…もうすぐ営業も終わる――」

     ブースに戻ろうとするリヴァイの足元がもつれると、
    エルヴィンは咄嗟に彼の腕を掴み転ぶことを阻止していた。

    「リヴァイ、今夜はジャンに任せてもう帰るんだ」

    「せめて、営業が終わってから…」

     リヴァイはエルヴィンに握られた腕を優しく振りほどくが、視線は涙目で力強さはない。

    「確かに…もうすぐ今日は終われそうだが……無理はするな」

    「あぁ…」

     ブースに戻らずカウンター席に座り、ジャンを見つめると、頭がぼーっとして、
    頭痛にも襲われると、熱が上がってきたと自覚していた。

    (これは…さすがにマズイか…)
       
     カウンター席に肘を置いて天井付近で回るミラーボールを見上げると、
    回転する様子がめまいを起こさせそうでリヴァイは視線をすぐに下に降ろしていた。
     営業が終わると、エルヴィンはすぐにリヴァイを帰宅させると、いつもの通り自分を追いかけてくる
    女性客がいないか気になるが、その夜は問題なくペトラの元へ帰ることが出来た。
  9. 14 : : 2014/05/25(日) 13:14:48
    「ペトラ…ただいま……」

    「大丈夫!? リヴァイさん――」

     ペトラの顔を見たリヴァイは安堵感からドアを開けると玄関先に座り込んでしまった。
    驚いたペトラはリヴァイの肩を抱き上げると、そのままベッドに寝かせる。

    「リヴァイさん、顔は真っ赤だし…大丈夫かな…」

    「すまない、俺は大丈夫だ…」

    「うん…でも、熱はどれだけあるの…?」

     ペトラが心配する顔を晒し、リヴァイの熱を体温計で測るとさらに目を見張る。

    「大変、高熱だよ…! 今から病院へ行こう――」

    「いや…俺が風邪を引くと一気に熱が上がり…直ぐ下がる、そこまでしなくていい…」

     ペトラが病院へ行く準備をしようとすると、リヴァイは彼女の手を掴む。ペトラはリヴァイに
    薬を飲ませると、額には冷却シートを貼っていた。リヴァイはそのシートは必要ない、と
    思っても、ペトラがはがす事を許さなかった。
     
    「リヴァイさん…寝たか…疲れていたのかな…こんな高い熱を出すなんて――」

     まだ顔は赤いままであるが、リヴァイが寝息を立てると、ペトラは隣のリビングの
    ソファで寝ることにした。

    「朝か…ペトラ…?」

     いつも隣に寝ているはずのペトラがそばにいないことに気づく。日曜日の朝、二人は
    寝坊することが多い。ペトラはリヴァイのために早くからキッチンに立っていた。
     まだ身体が重く感じるが、リヴァイは起き上がりベッドサイドに座った。

    「おはよう、リヴァイさん…顔が赤いし、まだ熱は下がってないみたいね…」

     リヴァイの額の冷却ジェルを剥がして、ペトラは自分の手のひらで熱があるか確かめると、
    首をかしげ再び体温計で熱を計る事にした。

    「昨晩より下がっているけど、まだ熱は高いよ…」

    「そうだな…」

    「まだしばらく寝てて、今、朝ごはん作っているから――」

     新しい冷却ジェルをリヴァイの額に貼り、再びペトラはキッチンに戻っていく。
     しばらく天井を眺めていると、キッチンからリヴァイの元へコンソメの香りが漂ってきた。

    「リヴァイさん、これね、私のお母さんが風邪引くといつも作ってくれたんだ」

     ペトラはベッドのそばに小さなテーブルを置くと、その上にチキンスープを入れた器を置く。しょうがとにんにくが溶け込んだチキンスープはリヴァイがまだ固形は食べられないだろうと
    ペトラが想像すると、具は入れず液体だけのスープを差し出していた。

    「自分で食べられる…?」

    「あぁ…それは出来る……」

     ペトラがリヴァイに食べさせようとすると、リヴァイは目の前に差し出されたスプーンを掴む。本当は食べさせて欲しかったが、気恥ずかしく止めていた。
     ベッドに座りながら、リヴァイがスープをすすると、美味しいといいながらすぐに平らげた。

    「リヴァイさん、食欲はあるみたいね、お代わりする?」

    「うん…今度はちゃんと具を入れて欲しい……」

     ペトラが具をキチンと盛り付けたスープをリヴァイに再び差し出すと、食べる前から
    口角が上がっていた。その顔を見たペトラは少しずつ元気になってきたリヴァイに笑みを
    返していた。
  10. 15 : : 2014/05/25(日) 13:16:29

    「……ペトラ、ありがとう…おいしかった…せかっくの日曜日なのに俺の看病なんて…」

    「もう、何言っているの? こういうときはお互い様だよ!」

     ペトラを抱きしめたくなっても、風邪をうつしてはいけないと、リヴァイはぐっと気持ちを抑えていた。
     再び薬を飲み、リヴァイはベッドで横になる。ペトラはリヴァイが寝ている間、
    静かに家事に取り掛かるが、風邪とはいえ、彼が一日中、ベッドに横になるのは同棲をして
    もちろん初めてのことである。
     自然に目が覚めたリヴァイがベッドサイドのテーブルに置かれた置時計を見ると、
    昼近くになっていた。
     身体が軽くなっている感覚がして、時計の隣に置かれた体温計を見つけ計ってみると、
    微熱になっていた、

    「下がったか……」

     自分の体温を確認して安堵すると、リヴァイは立ち上がりリビングに向う。
     ソファに座ろうとするリヴァイに気づいたペトラはキッチンから駈けるように近づいた。

    「リヴァイさん、ダメよ! まだ寝てなきゃ…」

    「いや…寝飽きた…」

    「…もう」

     ペトラが少し呆れた顔を顔を晒すと、リヴァイは手を引っ張り彼女を抱き寄せた。

    「ありがとな…ペトラ、おまえがいければ、どうなっていたことか……」

    「もう、リヴァイさん、大げさだよ」

    「だが…やっぱり、体調を崩したとき…大事な人がそばにいると、心強い……」

     リヴァイの顔を見上げると、ペトラは嬉しさで頬を赤らめた。
    彼の頬に手を伸ばそうとすると、急に顔を背けると咳き込んでいた。

    「ペトラ、ごめん…うつってしまう――」

    「私は大丈夫だよ……だけど、まだしばらく寝てなきゃダメだよ」  

    「いや…汗かいたし、シャワーに入る」

    「えっ…やっぱり、それはまだ早いよ」

    「本当に大丈夫…」

     軽くペトラの肩に手を触れるとリヴァイはバスルームに向った。
     いつもより熱めの湯を浴びていると、リヴァイはペトラへの熱も込み上げる。

    「今日は…無理か、さすがに……」

     リヴァイは自嘲の笑みを浮かべシャワーのハンドルに触れ湯を止めていた。
     ペトラはリヴァイがバスルームにいる間、ベッドのシーツを新しいものに変えながら
    清々しい気持ちになると幸せな気持ちに浸っていた。
     リヴァイが髪をドライヤーで乾かしてバスルームから出る頃、時間は昼をとうに過ぎていた。
     今度はしょうがと甘い香りがキッチンに漂わせている。
  11. 16 : : 2014/05/25(日) 13:19:33
    「ペトラ、昼は何を作ったんだ…?」

    「これもね、お母さんが子供の頃に風邪を引いたときに作ってくれたんだ…
    あのアップルパイを甘さ控えめにして、しょうがを入れたの」

    「ほう…」

     ペトラがカフェ『H&M』で母親直伝のアップルパイを皆に披露したことがあるが、
    それにしょうがを入れアレンジしたアップルパイをリヴァイに差し出していた。

    「風邪で食欲はないけど、これなら食べられるでしょ、ってお母さんが作ってくれたな…」

    「さすが、ペトラのお母さんだな…美味いよ……」

     ペトラが懐かしさに目を細めると、リヴァイはフォークでアップルパイを口に運んでいた。
     病み上がりだが、リヴァイは特にペトラの作るものは構わず食していた。

    「いつもの紅茶にね、しょうがの絞り汁とはちみつを入れたんだけど…
    なんだか、『しょうがだらけ』になっちゃったね…」

    「だな…」

    「でも、熱もだいぶ下がったし、さらにこれで汗をかいたら、風邪も吹き飛ぶね」

     ペトラの笑みにリヴァイは熱が下がったばかりの強張った頬を緩めていた。
     出されたものを全て平らげ、ペトラの愛情料理と看病でさらに元気になった気がしていた。

    「ペトラ、せっかくの日曜に家にずっと閉じこもるのは…もったいない…出かけようか」

    「リヴァイさん、さすがにそれは無理だよ、今日は大人しくしなきゃ――」

    「そうか…」

     風邪薬を飲ませると、ペトラはリヴァイをベッドに寝かせ食器の片づけを始めた。
     リヴァイが天井を眺めていると、意味なくペトラを呼び寄せる――

    「どうしたの、リヴァイさん? 何か飲みたいものとかある…?」

    「いや…何でもない…」

    「そう…」

     ペトラはキッチンに戻り、片づけを再開すると、その後姿にリヴァイは頬を緩める。

    (風邪を引いただけなのに…こんなに心細く、ペトラが恋しいものか――)

     しょうがで身体が温まり始めると、リヴァイは眠気に襲われ、気がつくと寝息を立てていた。
     その右口角は上がっていて、幸福感で充たされているようだった。
     夕方近くになると、寝姿を確認したペトラはそのまま買い物に出かけようとするが、
    物音に気づいたリヴァイは目を覚ます。

    「リヴァイさん、ごめんね、起こしちゃった…?今から買い物に…えっ――」

     傍に近づいたペトラをリヴァイはそのまま抱き寄せると、頬にキスをした。
     ペトラはリヴァイに自分の身体に半分預ける体勢になっていた。

    「ペトラ、ありがとな…」

    「もう、リヴァイさんったら…私はリヴァイさんが元気になってくれて、ホント嬉しいよ」

     リヴァイはペトラの髪を撫でると強く抱きしめていた。

    「こんなにくっついちゃ、ホントに風邪がうつちゃうよ!」

    「その時は俺が看病する――」

     ベッドに横たわるリヴァイに優しく組み敷くと、ペトラはそのまま彼の頬にキスをした。
     目下のリヴァイがいつもの鋭い眼差しでも温かみが溢れ、ペトラは幸せを体感するようだった。

    「それじゃ…リヴァイさん、いってくるね……」

    「あぁ、いってらっしゃい…」

     ペトラがゆっくりベッドから降り寝室から離れ、玄関が閉まる音が響くと、
    リヴァイはとてつもなく寂しい気持ちに襲われていた。
     天井を見上げながらエルヴィンがイブキと一緒にいたくて、
    度が過ぎる彼の甘えが原因で二人がケンカをしたことを思い出していた。

    「俺も……オーナーのこと、言えないか…」

     自分のことを鼻で笑うと、ベッドから下りてリビングのソファに座りテレビのリモコンに手を伸ばしていた。
     ペトラがマンションのエントランスから出ると黄昏始めた大空が無限に広がる。

    「こんな天気のいい日は…出かけたかったかも…でも、リヴァイさんの赤い顔も
    くしゃみも…なんだか、かわいいな……」

     ペトラが幸せを噛み締め頬を緩めると、メニューを考えながら歩き出す。

    「……さすがに、もうしょうがは避けた方がいいよね」

     黄昏に包まれながら、ペトラはリヴァイを想い、足早に買い物に出かけていった。 
  12. 17 : : 2014/05/27(火) 12:49:16
    ③込上げる愛しさの間で

     イブキは異国の地に出向き仕事の占いを勤しむ。その日、彼女は出張の最終日を迎えていた。
     そこはイブキの故郷の地で、馴染みのクライアントからぜひ直接占って欲しいと要望があり、
    それが叶っていた。

     昼過ぎ、レンタルルームの窓から見上げる故郷の上空にはどこまでも広がるような真っ白で
    大きな雲が浮いている。ふと、彼女の大切な存在であるエルヴィン・スミスの元にも繋がるのかと、
    思い浮かべると、鼻を鳴らし笑っていた。

     スマホにメッセージが入っても、疲れの影響で簡単な返事しかしない。イブキは
    自分のスマホのメッセージが届いた点滅するランプを見ても深く気に止めなかった。

    (たまにはこういう日があってもいいよね……互いにある程度の距離感は必要……)

     イブキは仕事に集中している合間、エルヴィンのことは考えないようにして、
    ライトが点滅するスマホを遠くを見つめるような冷徹な眼差しで自分のバッグにしまう。

     同じ日、エルヴィンはカフェ『H&M』のカウンターに座り、イブキと撮ったスマホの写真を
    見つめていた。息子のアルミンと3人で撮った写真もあれば、ソファで二人が寄り添う姿もある。
     恥ずかしさではにかむイブキの笑顔を目の前にすると、エルヴィンは深くため息をついた。

    (あと…4日で戻るか…)

     彼が送ったメッセージに対してイブキは連日、返事は来てもほとんど素っ気無かった。
     多忙で仕事に集中しているとわかっていても、会えない分、エルヴィンは愛しさが増す気がしていた。
     
    「ほう…こんな写真も撮っていたんだな……」

     音もなくエルヴィンの背後に近づき彼のスマホを覗くリヴァイが冷ややかにささやく。
     気配を消すリヴァイの行動に驚くことなく、エルヴィンのため息は続いていた。

    「おまえだって……ペトラさんとの写真、こうして撮っているだろう?」

    「まぁ…」

     鼻で笑うリヴァイはエルヴィンから離れ自分の仕事に戻っていた。
    それが図星で突っ込まれるのが面倒だ、ということである。リヴァイの場合は
    大切なペトラ・ラルとベッドで寄り添う写真を撮っていた。
  13. 18 : : 2014/05/27(火) 12:51:25
     イブキの出張最終日の、最後から二番目のクライアントは彼女の母親から引き継いでいた。
     初対面であるが、クライアント情報の資料を読んで驚かされた。イブキの現在の居住地の
    出身でエルヴィンと同い年である。こういう偶然もあるんだ、とただ思うだけで、
    母から引き継いだ情報に視線を落としていた。
      
    「はい、どうぞ……!」

     レンタルルームのドアに来客の合図のノックが響くと、イブキは気品ある笑顔を迎えれていた。
     そのクライアントの女性は、つばが広めで顔が隠れるような帽子を被っていて、
    日焼けよりも顔を隠している、という印象を受けた。長身でタイトスカートの膝下から伸びる
    脚は長くほっそりとしていて、ひと目で女優やモデルと思われるスタイルの持ち主である。

    (――お母さんのクライアント情報通り…スタイル抜群だわ……)

     イブキが彼女のスタイルに目を見張ると、彼女は帽子を取り、促されソファに腰掛ける。
     顔が小さく、外したサングラスのサイズは顔の半分くらいを占めていた。
     
    「初めまして、イブキと申します。私の母がお世話になっていました」

    「こちらこそ、親子二代で鑑定して頂いて、頼もしいですわ」

     テーブルを隔てて丁寧にイブキが挨拶すると、彼女も品良くお辞儀をする。
    美しさだけでなく、優雅な動きにイブキは見惚れてしまいそうだった。
     彼女はかつて、トップモデルだったが現在は、モデル事務所の女社長をしている。
    その佇まいはモデルとして、今でも活躍しているであろうと想像させる美貌を持ち合わせていた。

    「早速、相談の内容なんですが…」

    「はい、どうぞ――」

     女社長である彼女の悩みは水着のショーを計画を立てるも本決まりの寸前で、
    スポンサーが経済的理由から突然下りたり、デザイナーがデザインを変更したり、
    ショーの日は迫っているのに何も決定していない、ということ。またモデルたちの予定を
    抑えていたが、変更続きでキャンセルされ、身動き出来ない、ということだった。

    「―一体、どうしたらいいかわからなくて…私の今までのキャリアでこんなことが続いたのは初めてで……」

    「わかりました……」

     イブキはテーブル上の占い用のカードを横一直線に並べると、彼女に1枚選ぶよう促す。
     その引いたカードは『原点に戻る』という意味である。

    「原点に戻る……そうすると、今まで見えなかったものが、両目を見開いて見えるかもしれ
    ません…あなたの仕事の原点は何でしょうか…?」

     細く長い指先を顎にあて、目線を上げると、何かを思い出しイブキに視線を移す。

    「…親友と一緒に『モデルにならないか』って…スカウトされましたが、その時でしょうか」

    「親友の方もモデルをされていたんですか?」

    「いいえ、彼女はスカウトを断り、モデルにはならず、普通に恋愛して、結婚して……でも、
    その後、交通事故で死んでしまいました……」

    「そうでしたか…」

     女社長は親友の話をするとき、頬を緩め表情が明るくなったと思いきや、悲しい出来事を
    思い出した影響か、最後は花が枯れるように明るさも消えていた。イブキは彼女の原点とは、
    その親友と過ごした日々と感じ取っていた。

    「私は…そのお亡くなりになったご親友に思いを馳せることが原点なのではないかと、感じます」

    「えっ…そうなんですか?」

    「そのショーを成功させるヒントに繋がり、新たな縁を引き寄せるのではないでしょうか」

     イブキはゆっくりとした口調であるが冷静に話す。彼女はソファにもたれると腕を組んで
    再び目線を上げた。

    (――ってことは…帰省…か…何年も帰ってないし…)
  14. 19 : : 2014/05/27(火) 12:52:59
     彼女にとって亡き親友に思いを馳せるということは里帰り、ということである。
     仕事で様々な国に行っているが、帰省はしておらず、懐かしい友人たちとも
    何年も会っていなかった。

     亡き親友との楽しい思い出が詰まる街に戻ることを彼女は避けている。再び姿勢を正して
    イブキを真っ直ぐな眼差しで見つめる。
     涼しげだが、色気のある瞳にイブキはドキっとして、一瞬だけ目を逸らしていた。

    「まぁ…今、ゴタゴタ続きですが、時間をどうにか調整して、すぐにでも行ってみます。
    気分転換にもなりますし……原点の地と親友を避けていたら、いけないですしね」

    「そうですよ、きっといいヒントがその地で見つけられると思います――」

     イブキがさらに掘り下げ鑑定すると、女社長は納得して、さっそく帰省の手続きをする、と
    話していた。

    「お母様とも違い、『先生』は何かを考えさせ、生きるヒントを下さいますね…」

    「そんな、『先生』だなんて…!」

     イブキは目を見開き驚いて手を振りながら、先生と呼ばれることを拒否していた。
    その姿に女社長は手を口元で隠し、笑い方に気品が溢れる。
     鑑定が終わり、女社長を見送る為、イブキが立ち上がると、彼女は品定めするように
    嘗め回すような視線をイブキに注ぎ始めていた。

    「あの…何か…?」

    「先生もぜひ、私の事務所に入って頂きたいわ、背も高いし…スラっとしているし」

     イブキのウエストを測ろうとして、両手で触れようとするが、さすがに彼女は拒否していた。
     また女社長の方が高身長でイブキの方が少し低い。

    「――私は着痩せしてるって、言われるし…それにもう年齢的に…」

    「今のモデルは年齢幅は広いんですよ」

    「そうなんですか…それじゃ、機会があれば――」

     イブキは社交辞令的に返事をするが、女社長は気品の中に潜むような鋭い眼差しで
    握手を求めていた。
     帰る後姿も優雅な女社長は、イブキは改めて同性ながら惚れ惚れする、と感じていた。

    「次まで時間があるか…」

     イブキはクライアントが帰ると、窓を開け空気の入れ替えをして、次のクライアントのため
    部屋の空気をリセットしていた。
  15. 20 : : 2014/05/27(火) 12:57:35
     物静かに入ってきた最後のクライアントは年齢的に中年の後半くらい、
    高年にしては若いような女性である。

    「最近…夫に先立たれ…もう生きていけないんです――」

     イブキに意を決して話すと、ハンカチで目元を押さえていた。両方の親の反対を押し切り、
    半ば駆け落ち同然で結婚して、子供ができた頃にやっと互いの両親に認めてもらえた。
     子供が小さい時でも時間を作り、二人で一緒に出かけることもあった。子供が自立して、再び二人だけ生活に戻ってもいつまでも仲良くしていたい、とよく夫婦で話していたという――

    「――若いときから、幼い子供を預けて仲良く外出するなんて…って、
    よく陰口を叩かれましたが…でも子供たちに『結婚したらお父さんとお母さんみたいに
    なりたい』と言われ、私たちは間違いじゃなかったって…実感したんです」 

    「そうだったんですか…」

     イブキは涙ながらに話す女性の声に静かに耳を傾けていた。

    「そんな矢先、突然の病で夫は……孫も生まれ、あちこち連れて行こう、
    思う存分、かわいがろうって話していたんですよ」

     そのクライアントに耳を傾け続けると、本来、クライアントにカードを引いてもらうはずだが、
    イブキは勝手に身体が動く気がして、自然に占い用のカードを引いていた。

    (これは…亡くなったご主人が私にカードを引かせている――)

     たまにあること、とイブキは冷静に自分に言い聞かせ、二枚のカードを引いた。
     一枚は『隠れ家』、二枚目は『光』という意味である。

    「この2枚のカード、ご主人からのメッセージだと思います……
    『隠れ家にある光』と聞いて、何か思いつく出来事や物はないですか?」

    「えっ…?」

     その女性は突然のことで思いつかず、ハンカチを握り首を傾げていた。

    「――ご主人はそれを見つけられれば、あなたが一歩でも前に進めると言っている気がします…」

    「隠れる家にある光、隠れる光……あっ…」

     女性は何かを思い出し目を見開くと、大粒の涙を流して再びハンカチで目元を押さえていた。
     若い頃、結婚記念日に夫からダイヤのネックレスをもらっていた。

     当時、子供はまだ小さく、抱っこすると、引っ張られて、チェーンが切れそうになった。
     その一件でタンスの奥に閉まったという。

    「あるとき、夫がネックレスをしてないことを聞いてきて、理由を話すと……
    『それじゃ、いつかおまらしく生きられるとき、またそのネックレスをしたらいいんじゃないか』って
    何気なく言われてました…」

     ハンカチで涙を拭うが、幸せだった頃を話すせいか、涙の中にも笑顔を見せていた。

    「それ以来、もう何十年もタンスの奥に閉まったまま…大切にし過ぎて忘れていました…
    『隠れ家の光』とは、夫からもらったダイヤのネックレスです…」

    「それが、ご主人からの前向きになれるヒントであり、新たなプレゼントかもしれないですね――」

     イブキの柔らかい言葉に女性は目頭をハンカチで押さえっぱなしだった。

    「あのダイヤは…これから形見として共に生きていきます。思い出させて下さって、
    ありがとうございます、まさか死んだ夫からまたプレゼントがもらえるなんて」

     深深とお礼すると、まぶたは腫れているが、笑顔を取り戻していて、イブキも安堵の
    笑みを浮べる。

    「実は私、若い頃、お母さんにも鑑定をお願いしたことがあるんですよ」

    「そうなんですか!」

    「だけど、親子でも鑑定が全く違うのね、でも、どっちがいい…なんて、選べないわ」

    「そんな…恐れ入ります――」

     最後は笑みを浮べて帰るクライアントに、またお願いしますと、お礼をされイブキも
    笑みと共に彼女を見送っていた。
  16. 21 : : 2014/05/27(火) 13:01:35
     この最後のクライアントが帰るとイブキはソファにドカっと座り、天井を見上げ
    しばらくぼーっとしていた。

    「ダイヤを形見にする…か……」

     小さくつぶやきながら、イブキはエルヴィンが亡き妻のペンダントのヒスイを指輪に
    リフォームして、長い間、左手薬指にはめていたことを思い出していた。
     
    「――そこまで愛する人がいたのに、エルヴィンさんは私を……」

     その最後のクライアントの涙とエルヴィンの亡き妻への想いをイブキは重ねていた。
     エルヴィンの顔がチラつくと急に会いたい気持ちが募り始める。

    「でも、やっぱり…程よい距離感を保ちたい…」

     イブキは部屋の部屋の片づけを始めながら、エルヴィンへの気持ちに冷静になり
    翌日からのフリーの時間をどう過ごそうか、と思考を切り替えることに努めた。

    「忘れ物は…ないよね…」

     イブキは室内を見渡し、問題ないと判断すると、ドアを見据える。

    「私が…モデルね……」

     テレビで見たことがある、一直線上を背筋を伸ばして歩くようなモデルのウォーキングを
    イブキはマネようとするが、ヒールが脱げそうになり、すぐに普通の歩き方に戻していた。

    「うん、やっぱりムリ!」

     モデルの事務所に入らないかと言われ、少しでも気持ちが揺れたことにイブキは苦笑いする。
     
     レンタルルームが入るビルから出ると、辺りを夕暮れの茜色が包み、行き交う車は
    帰宅ラッシュで渋滞を起こしていた。イブキは故郷の女友達から食事会に招かれていて、
    足早にそのレストランに向うと、気持ちは学生気分に戻っていた。

    「イブキー! 久しぶり…あれ? かなり雰囲気がかなり変ったんじゃない? 
    服の趣味が明るくなったよね?」

     友人の一人がイブキの服を見て驚いていた。以前は黒っぽい服装が多く、その日のイブキは
    ブルー系のスキニーパンツ、白いコットンシャツの上には薄いオレンジのショールを
    マフラーのように巻いていた。
     
     レストランのテーブル席にイブキが座ると、皆は久しぶりに会う彼女が変った姿に
    訝しい笑みを浮べる。それは皆に共通した思惑があったからである。

    「やっぱり…異国の男の影響、ってことかな?」

    「えーっ…何よ、影響もなにも、ただ私は仕事の拠点を今住んでるところに移しただけよ」

    「それって建前でしょ? 私たちはあなたが異国の地まで男を追いかけていった、って
    思っているんだから…!」

    「あの…まぁ…正解みたいなもんです……」

     友人たちが問い詰めると、イブキが観念して話すことに、一斉に大笑いした。

    「その彼の写真とかないの?」

    「えっと…これね――」

     おもむろにスマホの操作をして、イブキはエルヴィンと二人で映る画像を皆に見せることにした。

    「へーっ…! なかなかの男前じゃん! これじゃ、追いかけたくなるわね」

    「結構、年の差あるんじゃない…?」

    「そうね…でも、そんな感じはしないかなぁ……」

    「イブキ、ホントにキレイになっているし、幸せなんだろうね」

    「うん…」

     うつむきながら、答えるとイブキは照れて頬を赤く染めていた。

    「確かに、イブキの彼もイケメンだけど…!」

     友人たちは食事をしながら、アルコールの影響もあり、それぞれの『男自慢』を
    し始めて、時にはグチを交え、皆は共感して目じりに涙を浮べるほど笑っていた。

    「――私の彼だって…えっ」

     イブキも皆に負けじと、エルヴィンのことを話そうとする自分自身に驚いていた。
      
    (エルヴィンさんのこと…皆に話したい…グチでも何でも……)

     エルヴィンのことを言葉にするたび、イブキは愛おしくなる。
     既婚者の友人は旦那が迎えに来るとか、彼が早く帰らないと、浮気を疑うのよ、
    という話題になると、その宴はそろそろ終了を告げようとしていた。
  17. 22 : : 2014/05/27(火) 13:03:35
     レストランから出ると皆が別れを惜しんでいると、それぞれ旦那や恋人が迎えに来ていた。

    「みんな、今日はホントありがとね、また出張で戻ったときには、よろしくね」

    「ぜひまた集まろう! あ、そのときエルヴィンさんも連れてきてよ」

    「えっ…うん、わかった…」

    「何照れてるの…? イブキ、愛されているんだね」 

     イブキはその日、エルヴィンのことで何度、頬を赤くしたか覚えていなかった。
     その照れた笑みに、突然異国の地へ行ってしまったイブキは幸せなんだと、
    友人たちを安心させていた。
     皆が家路につくと、イブキは一人、宿泊先のホテルに戻る。
     翌日からの行き当たりばったりの旅をしようと計画するが、行く先は特に思いつかない。

    「もう…エルヴィンさんったら…」

     スマホを何気なく見ると、ほとんどがエルヴィンからのメッセージだった。
    返事をしようと思っても、時差を視野に入れると、エルヴィンのいる街は真夜中を過ぎていた。
     帰宅しているだろうが、平日でアルミンが寝ているかもしれないと考えると返事が出来ないでいた。

    「明日…返事しよ……」

     イブキは一週間の疲れが押し寄せてきた気がすると、シャワーに入る準備を始める。
    シャワーヘッドから注がれる温かいお湯に、ふとイブキはエルヴィンと過ごした
    初めての夜を思い出していた。

    (あのとき…私がバスルームに突然に入って大胆だったな……)

    「えっ…何? なんで…?」

     一人っきりでエルヴィンのことを思い出すと、突然涙があふれ、イブキはその場にしゃがみ混んだ。

    「エルヴィンさんに…会いたい、会いたいよ……」 

     彼への想いで胸が張り裂けそうで涙が止め処もなく流れていた。これまで抑えていた
    感情が堰を切ったように苦しくて寂しい気持ちがイブキの全身を呑みこんだ。

    「早く…会いたい……」

     自分に重なる胸板とエルヴィンの筋肉で張った背中の感触を覚えている自分の
    手に平を見つめる。シャワーから注がれる温かな湯は雨粒のようにイブキを優しく打ち続ける。
     エルヴィンへの想いで、イブキの身体は芯から火照り出すようだった。

     「――私の…心と身体は…もう、あなたのものなのね……」

     イブキは咽び泣き自分の身体を抱きしめる。エルヴィンが愛おしいという気持ちが
    体中から溢れるとしばらく身体を動かせないままでいた。
     
     バスルームからイブキが出ると髪を乾かしながら、持ち込んでいるノートパソコンを
    ネットに接続する。彼女は、翌朝一番で帰れる電車の便を探し始めていた――
  18. 25 : : 2014/05/28(水) 11:04:34
    ④あなたに辿りつくまで(#1)

     イブキが一人、故郷のホテルの部屋で目を覚まし、寝ぼけた眼差しで時計に視線を
    送るとベッドから飛び起きた。昨夜、大切な存在であるエルヴィン・スミスに対して
    会いたい想いが募り、なかなか寝付けなかったが、一度睡魔に襲われると眠りがとても深かった。
     起きる時間にタイマーをセットしていた目覚まし時計に気がつかず、
    起きる予定の時間がだいぶ過ぎていた。

    「大変、チケットの予約、電話が早いんだっけ……その前にエルヴィンさんにも電話しなきゃ――」

     昨夜、その日の早目に帰国できる電車の便を探していると、早い時間に鉄道会社に
    電話した方が無難とわかり、そのためイブキは早起きする予定だった。
     いち早く、エルヴィンに電話して、繋がった、と思っても留守電のアナウンスに
    イブキは力なく肩を落とす――

    (エルヴィンさん、この時間は……カフェの前に他の店舗を回っているから、運転中か……)

    「――帰る予定が早まって今日帰れるから……」

     留守電でも、イブキはエルヴィンが聞いてくれると思うだけで声が弾む。その後、
    帰国のチケットを予約するため、鉄道会社に連絡しているとイブキのスマホにキャッチが入った。

    (きっと、エルヴィンさんから……でも、今は手続き中、あとで掛け直そう……)

    「はい…それじゃ、予約完了ですね、ありがとうございます――」

     予約の電話が終わり、スマホの着信履歴を見ると、予想通りエルヴィンの名前が
    表示された。イブキが乗車予定の便の時間も迫っているため、すぐに折り返さず、
    移動中に電話しようと決め、ホテルをチェックアウトし足早に目的の駅まで向う。

    「えっ……予約されてない? さっき、電話でしましたが…?」

    「ですが、こちらのデータで反映されていなんです……」

    「どうしても、この便で帰らなきゃいけないんです! お願いします、ちゃんと調べてください!」

     異国へ繋がる駅の鉄道会社のカウンターで、イブキが予約したはずのチケットがデータ上、
    彼女の名前が反映されてないとわかり、半ば呆然としていた。この便を逃せば帰国が
    翌日になってしまうため、イブキはカウンターの受付に切羽詰った口調で詰め寄った。

    「はい…調べますが…ただ、1件、保留になっている予約があって……今確認しますので、
    しばらくお待ちください――」

     イブキの後ろには彼女の予約の確認に時間が掛かっている影響で多くの人が列を作る。
     彼女は焦りから息を呑み、後続に列を譲っていた。

    (電話中、エルヴィンさんからキャッチが入って…気をとられて、予約できなかったことに
    気づかなかった…? うーん……でも、大丈夫よね?)

     予約カウンターの傍で、イブキは首をかしげ思いあぐねていた。列を作る人数が少なくなり、
    腕時計を見ると、その便が出発まであと10分と迫る。
     焦りで手に汗を握っていると自覚しているとき、受付カウンターの係りがイブキを呼んでいた。
  19. 26 : : 2014/05/28(水) 11:05:30
    「申し訳ありません、保留になっていた予約はお客様の分でした、
    こちらの手違いで保留になっていて、予約は問題ないです――」

    「やっぱり、そうですよね…!」

     イブキは安堵感でチケットを受け取ると、再びカウンターの係りが彼女に焦った口調で声を掛けた。

    「これは異国へ便のため、さらなる手続きが待っています……急いで下さい!
    出発時間が迫っています!」

    「――わかっていますよ!!」

     焦りの声にイブキは出発10分前と十分に知っていたため、それ以上に焦りの声を返す。
     トランクのキャスターの車輪はイブキの足元でガタゴトと轟かせる。
     額に汗して構内を足早に移動して、どうにかイブキはその便に間に合うも、出国の係員に睨まれる。

    「あの…時計をちゃんと見てますか? もう少し早く来て欲しかったんですがね――」

     いかにもムッとした表情の係員にイブキは頬を強張らせ奥歯を噛み締めた。

    「すいません、急いでいたんですが、もたついてしまって……」

    (――不可抗力なんだけど、もう…!)

     愛想笑いで頬が強張っているとわかっても、万が一反論した場合、出国できなくなるかもと、
    イブキは思い浮かべていた。手続きしながら、握る手は焦りで少し震えていた。
     列車に向かい再び足早に移動し、自分の座席を見つけホッと胸を撫で下ろそうとしたとき、
    イブキの頭上に車内アナウンスが響く――

    『最後のお客様の乗車確認ができたため、出発の最終確認を行います――』

     イブキは最後に乗り込んだ客で、彼女のせいで出発が少し遅れたことが知れ渡ると、
    他の乗客たちは彼女に冷めた視線を送る。
     イブキは自分の座席に座ると居た堪れなくうつむくしかなかった。

    (だから…皆さん、不可抗力なんです……)

     出張で様々な異国の地に出向くイブキにとって、時間ギリギリで列車に乗り込む経験は
    初めてである。
     列車が動き出すと、皆はイブキから視線を逸らし、車窓を目を細め眺めていた。
     イブキも皆と同じように窓の外を眺めると、自分の故郷が離れていくが寂しさを感じない。
     また戻ってこれるという気持ちだけでなく、イブキはエルヴィンに早く会いたい――
    彼への想いの方が強く勝っていた。
  20. 27 : : 2014/05/28(水) 11:06:49
    (……ここの風景、前はミケさんと見た…でも、次はエルヴィンさんと見たい)

     以前、ミケ・ザカリアスが彼女の両親の墓参りについてきて、
    その後、二人でイブキの故郷を後にしたことを思い出す。
     彼と一緒に見た風景を今のイブキが見ても、エルヴィンを想う。
     すでにイブキにとって、ミケとの出来事は過去であり、思い出に変ったと実感していた――

    「――あ、そうだ! エルヴィンさんにメッセージを…えっ」

     イブキがスマホをバックから取り出すと、バッテリー切れになっていて、
    予備のバッテリーを持参していたが、それは充電するのを忘れていた。
     この列車には充電できるコンセントが備え付けられてなくて、それに気づくとイブキは
    まぶたを落としため息を漏らす。

    (このまま休憩せずに移動したら……夕方には到着できるはず。留守電にも録音しているし、エルヴィンさんは私が帰ること知っているはず……)

     その時のエルヴィンはイブキが早く帰ることがわかり、嬉しい反面、連絡が途絶えたため、
    その日の何時に帰国するかわからない。ただ彼は電話を掛けすぎて、数回目かの発信で、
    長い呼び出し途中でプツリと回線が切れる音を耳にする。その直後、掛け直しても、
    『電源が入っていない――』というアナウンスが流れ、エルヴィンは自分のせいで
    バテッテリー切れにさせてしまったかもと、不安が胸に広がっていた。  

    (イブキ…また連絡くれるよな……だが、今日は金曜か……ママたちが来る夜だ……)

     カフェ『H&M』のカウンターに座りながらエルヴィンは眉間にシワを寄せ
    自分のスマホを見つめながら、大きくため息をつく。肩の揺れ具合でため息と気づいた
    リヴァイは彼の傍に近寄った。

    「オーナー…どうした、何かあったのか?」

    「あぁ、イブキが予定より早めに帰ってくるって連絡が入ってな…」

    「ほう……だが、今日は金曜、夜はイッケイさんたちが来る…」

     イブキを想い笑みを浮べていたが、リヴァイの一言で視線を落とす。
     エルヴィンの影を落とす眼差しにリヴァイの舌打ちが響いた。

    「オーナー、金曜の夜の盛り上がり……わかっているだろう…?」

    「今夜くらい、早目に帰るわけには……」

    「――できるわけねーだろ! それは自分が十分、承知じゃないのか?」

     脅迫染みたゆっくりとした口調は『自分の上司』に対する態度ではない。
     リヴァイにとって、金曜の夜はDJとして一番の盛り上がられる時間、
    それを蔑ろにしそうなエルヴィンが苛立っていた。
     リヴァイが自分の仕事に戻ると、エルヴィンは上の空でつぶやく――

    「……おまえが風邪引いたとき、早く帰したよな」

     その声はリヴァイの耳に届いていて舌打ちすると、再びエルヴィンの傍に立つ。

    「俺は…あのとき、営業が終わって帰った。あの時と今回じゃ状況が違うだろう……?」

    「まったく…わかったよ……」

     リヴァイの鋭い眼差しが注がれているとわかっていても、エルヴィンは彼と目を合わせず、
    カウンター席で自分の仕事を始める為、資料を広げ始めていた。
  21. 28 : : 2014/05/29(木) 11:19:51
    ⑤あなたに辿りつくまで(#2)
     
     「やっと…着いた……ここまで来て、一安心だったらいいけど、何だか人が多すぎ…?」

     イブキが彼女の故郷の地から愛するエルヴィン・スミスが待つ街へ繋がる
    列車に乗り換えようとしたときだった。駅の構内が混みあっていて、やけに人が多いと気づく。

    「――まったく、緊急車両点検ってどういうことだよ、家に帰れねーよ……」

    「ホント、4時間って酷くねーか……」

     すれ違うビジネスマンたちのぼやきを聞いたイブキは眉をしかめる。遅れる列車の
    影響で人が溢れているのなら、それは自分が乗る列車ではないことを願うばかりだった。

     イブキが目的地に繋がる列車の受付カウンターでチケットを受け取ると、受付係が
    申し訳なさそうな口調で話し出した――

    「お客様、大変申し訳ありませんが、只今緊急車両点検の影響で、ご乗車の列車が
    4時間遅れていまして……」

    「そうなんですか…仕方ないですよ、安全に運行しなきゃいけないし……」

    「そうおっしゃって頂けると、私どもも心強いです、ありがとうございます」

     受付係が深々と頭を下げる姿にこれまで、多くの客から色々と言われたのだろうと、
    想像するとイブキは何も言わず、構内に戻ることにした。

    (4時間の遅れね……仕方ないとはいえ、待つ間、何しようか、しかし人が多すぎる……)

     イブキが構内にあるカフェや携帯が充電出来るスポットはすでに人が行列を作るほど
    溢れていた。彼女はエルヴィンとまだ連絡は取れないままである。

     トランクのキャリーバーを握りながら、イブキは背中を丸めゆっくりと歩き出す。その歩調が
    寂しさを体現するようだった。

    (この駅の近くって…あまり来た事ないし……迷っても困るな…)

     構内から出て離れた場所のカフェでも探そうかとイブキは考えるも、土地勘がないため、
    迷子になって更に遅れても面倒と判断し、構内で待つことした。

     行き交う人を時には逆らい、または流れに乗りながらイブキは構内の隅の壁際に辿りつく。
    そこに座りながら、列車の時間を待つ乗客たちに出くわす。彼等は新聞や雑誌を敷いて
    腰を下ろし、スマホを眺めたり雑談している。イブキも同じように壁際に座ることにした――

    (結構…キツイな、何もすることないなんて……エルヴィンさん、心配してるよね――)

     ヒールの足でしゃがんでいると、かかとに痛みが走る。ヒールを脱いでストレッチを
    したり、またしゃがんだりと、繰り返す最中、イブキの隣に男性が座る。

     スーツを着て、ビジネスバッグを持っているため、仕事中のサラリーマンという印象を
    持つだけで、イブキが深く気に止めることはなかった。

    「……大変ですね、列車が遅れるって…」

    「そうですね…まぁ」

     突然、隣の男に声を掛けられてもイブキは素っ気無く答える。正面を見据えるだけで、
    イブキは男の顔を見ることはない。視界に入る姿は茶色い前髪がとても重たそうな
    ヘアスタイル、といことは気づいていた。
  22. 29 : : 2014/05/29(木) 11:21:42
    「あなたもここで待っているってことは行き先は同じでしょうか…?」

    「たぶん、そうでしょうね……」

     素っ気無く答え続けるイブキに興味を持ったのか妖しい笑みを浮かべ身体を彼女に向ける。
     相変わらずイブキは正面を見据えたままだった。

    「同じ行き先なら……ご一緒しませんか?」

    「向こうで待っている人がいるので……」

     イブキがさりげなく断っても男は引かない。

    「ご主人ですか…? 待っているのは……」

    「――はい」

    「また、ご冗談を……! あなたは左手薬指に指輪をしてないじゃないですか?」

    「家事の邪魔になるので…」

    「あなたの手はキレイだ…家事をするような手じゃない――」

     そのゆっくりとした甘い口調にイブキは背中がゾクっと冷える感覚がしていた。
     正面を見据えたままで身体は固まったままである。
     結婚してるというウソが見抜かれようが見抜かれまいが、男が重ねる言葉に
    イブキの心に凍えるような恐怖が宿る。

    「この互いが乗ろうとしていた列車が遅れたのは僕らが出会うための
    必然であり……きっと、運命だ…ぜひご一緒に――」

     その男の話を最後まで聞かず、イブキ振り切るように立ち上がった。
     トランクのキャリーバーを引っ張り、構内を突き進むように当てもなく足早に逃げ惑う。
     イブキが首を横に向けると、その男が彼女の後を付ける足元が視界に入った。

    (何でよ、もう…何なのよ……あっ、ちょうどよかった…!)

     追いかけてくる男から逃げながら、正面を見据えると警察官が二人歩いてくる。
    イブキは二人の正面に立ち、道を聞く振りをした。

    「あの、すいません…道を教えて欲しいですか…」

    「はい、どちらまで…?」

    「えっと、その……」
     
     咄嗟のことでイブキはどこを訪ねたらいか思い浮かばず、あたふたとしていると、
    その男がイブキから少し離れ背後に立つ。背後の男に気づいたイブキは警察官たちを
    見上げささやいた。

    「あの…私の後ろの男がしつこく追いかけてくるんです…」

    「あぁ…なるほど――」

     警察官はイブキが道を尋ねない代わりに目を泳がせ、戸惑い強張らせる顔を見ると
    この男から逃げてきたのだと察しがつく。一人の警官が睨むと、その男は舌打ちしながら、
    イブキの腕を掴もうと手を伸ばす。

    「すいません、僕の彼女なんです……まったく、やっと見つけたよ、いい大人が迷子になるなんて……」
     
    「ちょっと、待って……」

     また別の警官が何かを思い出したように胸ポケットから手帳を取り出し広げると、
    そこには指名手配の写真が多く並ぶ。彼は手配された写真の顔を覚える為、
    一日に何度も目を通す習慣がある。見覚えがあるような目の前に男に眉をしかめ、
    一人の指名手配の顔と何度か見比べ、首を傾げていた。

    「おい、似てないか…?」

    「似ているが…髪型を変えた…変装か……?」

     警察官同士が耳打ちするように話す姿に男は身体が少し跳ねるようにビクつかせる。
     その動きを二人の警官は見逃さなかった。
  23. 30 : : 2014/05/29(木) 11:24:42
    「おまえ……やっぱり…!」

    「結婚詐欺師で手配中の……」

    「なぜだ…!? 変装は完璧のはずなのに――」

     イブキを追いかけていた男は結婚詐欺で何年も指名手配中の名の知れた詐欺師だった。
     その詐欺師と確信した警察官たちの動きは素早い。男が逃げようと警官に
    背中を向けたとき、彼は瞬く間に一人の警官から羽交い絞めにされる。

     男が抵抗して暴れていると、彼の『髪の毛』が落ちる瞬間にイブキは身体を仰け反らせ
    目を見張る――

    「えっ…頭が落ちたかと思った…! ビックリした、もう…カツラか……」

     その詐欺師の男は整った顔立ちで、いい男の部類に入るが頭部はスキンヘッドに近い
    髪の毛の少なさだった。やけに多い前髪という印象だけにイブキの合点がいく。
     イブキが捕らえられてる姿を目の当たりにしていると、一人の警官が彼女に話しかける。

    「あなたからも事情を伺います……あの男はもう何十人という女性を泣かしてきた詐欺師なんでね」

    「なるほど…捕まってよかったですね、でも私も列車の時間がありますし――」

     イブキが自分のチケットを警官に見せても彼の態度は変らず、事情を聞くことを強いていた。

    「この列車が遅れているのは…知っています、あと3時間は動かないでしょう……
    直ぐ済みますから、詰め所へ」

    「その列車を待っている間、この男に話しかけられ、逃げてそして今に至るんですが……」

    「とにかく、一緒に来てもらいますよ――」

     何年も手配されていた詐欺師と一緒にいたイブキを警察官たちは半ば強制的に詰め所に
    連れて行く。彼女は泣く泣く事情聴取を受けることになった。   

     イブキが異国の地から来ていたこと、その詐欺師が彼女もグルだと最後の悪あがきすると、
    聴取に時間を要していた。
     結局、出発時間のギリギリまで事情を聞かれイブキはようやく解放された。

     再び彼女はその列車の最後の乗客になっていた。
     自分の指定席に座り、スマホを充電しようとしても、先に来ていた乗客がすでに
    コンセントを使っていて、イブキは再びその機会を逃す。
     安堵できないまま、ため息が漏れると、ホームの数少ない人影を眺めていた。

    (何で…こんな散々な目に遭わなきゃいけないの……もう到着は深夜か…)
     
     車窓がゆっくりと動き始めると、大空は薄いオレンジ色に染まり、
    かすかに残る青の夕焼けが広がる。
     列車はエルヴィンが待つ街へ進むが彼女は浮かない顔でスマホを握っていた。

    (今日は金曜日……夜はイッケイさんたちとダンスの日だ……)

     深いため息をつくイブキに隣の客に声を掛けられる。大丈夫です、と正面を見据え、
    女性でよかったと、今度は安堵のため息をついた。

     ため息の数だけ幸せが逃げますよ――と、品のある年配の女性に笑みを浮べられ、
    イブキは彼女と目を合わせるとうつむいた。その脳裏には彼女を優しい眼差しで見つめる
    エルヴィンを思い浮かべいてた。 
  24. 31 : : 2014/05/30(金) 11:10:14
    ⑥あなたに辿りつくまで(#3)

    「やっと…到着したよ、やっとだよ…ホント……
    まさか、帰りがこんな珍道中みたいになるとは思わなかった……」

     イブキが彼女の住む街の駅の改札から出ると、見慣れた街並みの街灯やネオン、
    行き交う車のヘッドライトが辺りを照らすと、涙ぐんでいた。
     左手薬指で涙を拭うと、トランクのキャリーバーを握る右手は強い。もう直ぐ大切な
    エルヴィン・スミスと会えると思うと、鼓動が激しくなるようだった。

    「ここから、タクシーに乗れば、もう到着……えっ…!」

     タクシーを止めようと、路上にイブキが近づくと手を上げる前に空車のタクシが彼女の
    視界に入ってきた。迷わず手をあげると、自然に笑みがこぼれていた。

    (最後は…ラッキーでよかった……)

     クラブ『FDF』に移動し始めると、イブキは見慣れた街並みがいつもに増して輝き出す気がしていた。

    (エルヴィンさんに…もうすぐ会える、嬉しい…)

     胸元に手を当てシャツを握る。その手には彼への想いで激しくなる鼓動が伝わるようだ。
     彼女にとってエルヴィンに会いたいという募る恋情は最高潮に達していた。

    「はい、お客さん、到着しました――」

    「ありがとうございます、あれ……どうして、こんなに混んでいるの?」

     イブキがタクシーから出ようとすると、『FDF』が入るテナントビル周辺に
    人だかりが出来て、出入り口が見えないほどである。 

    「そうだ、前に乗って下さったお客さんもこちらにお連れした……今夜、ここで何か
    イベントでもあるんですか?」

    「さぁ……?」

     運転手の言うことに首をかしげ清算を済ませると、タクシーからイブキは下りた。
    見渡すと、若い女性客たちが頬を赤らめ、中には派手なウチワを持っていた。

    「絶対来てるよね、きっといるよ!」

    「本人がネットに書き込んだんだから、絶対だよ――」

     多くの女性客に面食らっていると、イブキは目の前の女性に声を掛ける。

    「あの……この騒ぎは何なんですか……?」

    「えっ、知らないんですか、ここにいる皆、全員知っているはずだけどなぁ」

     その夜、この街の外れの大きなスタジアムでこの国でも人気のあるアイドルグループの
    ライブがあった。

     アイドルたちは打ち上げの後、メンバーがこの界隈で遊んでいる、と
    アイドル本人がネットで書き込みした、という噂が広まり、それを信じている
    ファンの子たちが集まってきていた――

    「そのメンバー…って、どこに遊びに来ているの…?」

    「どこって、『FDF』に決まってるじゃないですかぁ!」

    「えっ…! そうなの!?」

     イブキは仰け反り、驚きの声を上げる。クラブは入場制限がかかり、溢れ返す女性たちは
    『FDF』に入れなかったファンの子たちで、テナントビルの前は人で溢れていた。

    (そんな……今夜はもう会えないの……)

     やっと来れた、という思いの裏腹にエルヴィンに会えないかもしれない気持ちから
    イブキはめまいを起こしそうに、足元がふらつく。背後から大きな手が伸びて、
    倒れそうになる彼女を支えたのはイッケイさんである。

    「大丈夫? エルヴィンの女…イブキじゃないの……それに、どうしたの、この人の多さは…!」

    「ありがとうございます、イッケイさん…どうやら、入場制限が掛かっているみたいです……」

    「まぁ、いいってことよ……入場制限ね……まぁ、直接、エルヴィンに聞いてみるわ……」

     おもむろにスマホをバッグから取り出し、頬を緩めエルヴィン番号をタップする。
     長い呼び出し音の末、エルヴィンがの声が耳元に響くと、
    イッケイさんはイブキに向けていた厳しい眼差しを忘れたように目じりを下げいてた。

    「エルヴィン、この人の多さはどういうこと…?」

    「ママ、すまない、どうやら…アイドルがお忍びで遊びに来ているって噂があって……
    ただの噂なんだろうが、もう入場制限をかけている…ただ、そういう人は
    今夜、来てないし、今日に限らず、今まで見たことさえないんだよ――」

     エルヴィンは溢れるファンの多さに戸惑い、周りの大声の影響で自分の声が
    あまり聞こえておらず、そのため、通話の相手がママだとわかると、早口で一気に事情を説明していた――
     イッケイさんは通話を終えると、縦にした手のひらを口元に添え、大きく深呼吸すると、
    拡声器の如く、大きな声を響き渡らせる――

    「みなさーん、今、クラブのオーナーと話したんだけど、お目当の方はいなくってよ…!」

    「えーっ…いるし、絶対――」

     イッケイさんの言うことを受け入れられないファンの子たちはママの迫力にたじろぐが、
    お目当てのアイドルがいる、ということを強く信じて、一歩も引かない。
  25. 32 : : 2014/05/30(金) 11:11:30
    「まぁ、私はそのアイドルは知らないけど、ここのオーナーの方が好みだわね、絶対!」

     イッケイさんとマッコイさんが『FDF』に向うと、彼女たちは間を開け自然に道が出来てゆく。
     掻き分けることなく、前に進むとイブキもマッコイさんの後に続いて、トランクのキャリーバーを引いていた。
     そろそろ『FDF』の出入り口と近づいたとき、一斉に多くの客が帰り始め、
    今度は出入り口付近で人があふれ出す。

    「えーっ…情報はガセだったみたい」

    「いなんだ、会えると思ったのに……」

     一斉に帰り始めた客はアイドル目的のファンの子たちだった。続々と帰り出すと、いつもの
    金曜日の客数に戻ってゆく。出入り口付近でエルヴィンが眉をしかめ、彼女たちが帰る姿を見ていた。

    「彼女たち…帰ったか…いつもの金曜日に戻る……えっ…! イブキ…?」

     エルヴィンが客が帰る人の波に逆らい出入り口に向ってくるイブキを見つけ、目を見張る。
     嬉しさのあまり、流れに乗りイブキに手を伸ばそうとしたとき、立ちはだかり阻止したのはイッケイさんだった――

     妖しい笑みを浮かべイブキを見下げると、彼女に伸ばそうとしていたエルヴィンの手を
    後ろ手に握っていた。

    「ねぇ…イブキ…金曜の夜…エルヴィンは私たちのものよね……また、私は転ぼうとした
    あなたを助けたわよね…?」

    「はい…おっしゃる通りです……」

    「よろしい、マッコイ、いくわよ――」

     イブキはイッケイさんに妖しく凄みのある眼差しに睨まれると、そのままエルヴィンを
    差し出すことしか選択肢はないようだった。
     二人のママにエルヴィンは羽交い絞めにされフロアに連れ去られる姿をイブキは呆然と
    見送るしかなかった。

    「そんな、やっと…会えたのに……」

     これまでの困難が逆巻き、思わせぶりに引き裂かれる感覚がすると、イブキは自然に涙が零れていた。
     出入り口の客が蜘蛛の子を散らすようにいなくなると、
    カウンターにいたユミルがやっといつもの金曜日に戻った、と安堵するのも束の間、
    彼女の目の前で涙ぐむイブキが立っていて更に驚かされていた。
  26. 33 : : 2014/05/30(金) 11:14:21
    「どうしたの、イブキさん……オーナーと何かあった…?」

    「ううん、出張から帰ってきて……ここに到着するまでいろいろあって、やっと会えたのに……」

     涙声のイブキは二の句が継げなくなるが、彼女の涙にユミルは笑みを返す。

    「オーナーは…イブキさんがいない間、気がつけばスマホの二人の写真を見ては
    ため息をついていたのよ……きっと、すごく恋しいんだろうな、って思っていたんだ…
    離れていても、互いに想いあっているって素敵よね――」

    「うん…」

     ユミルの言葉にイブキの涙顔は笑顔に変る。指先で涙を拭うと大きく深呼吸をした。

    「――だけど、一目見て、なんだか安心した……今日はこれで帰ろうかな」

     イブキがユミルに手を振ろうとしたとき、エルヴィンがまるで命からがら化け物から
    逃げてきたように息を切らして、出入り口に戻ってきていた。

    「ユ、ユミル…すまないが…イブキの荷物を見ていてくれ……」

     ユミルにトランクを預けると、エルヴィンはイブキの手を引いて、行く先は従業員専用の
    ロッカールームである。
     ドアを開けるなり、エルヴィンはイブキを強く抱きしめていた。

    「よかった…無事に帰ってこれた…イブキ、おかえり……」

     イブキの長い黒髪の上から抱きしめるとエルヴィンは彼女の髪に指を通した。

     首元で手を止め、自分の胸元に顔をうずめさせる。イブキは朝からの困難を改めて
    思い浮かべ、エルヴィンの背中に手を回し、彼の温もりを味わっていた。

    「ただいま……あなたに辿りつくまで、何か天罰を受けたみたいに…大変だったよ……
    でもこの温もりでチャラにする…!」

    「イブキ、何があったんだ…?」

    「もういいよ、気にしないで…」

     イブキが目を細め、エルヴィンに慈しむような眼差しで見つめる。エルヴィンがキスをしようと、頬に手を添えると、突然、誰かがドアをノックするとその音が大きく鳴り響く――

    「オーナー…お楽しみ中、悪いが……もうあの曲の準備が出来た」

     声の主はもちろんリヴァイである――。彼はエルヴィンがイブキをロッカールームに
    連れて行く瞬間を見逃すことはなかった。

    「えっ…! まだ、キスもしてないのに…!」

     うろたえ上ずるエルヴィンの声にリヴァイは舌打ちする。もちろん、ロッカールームの
    二人にもその音は届いていた。

    「オーナー…とにかく待っている――」

     刺々しい声をドアに投げかけるとリヴァイはその場から離れた。大事な金曜の夜に
    想定外の噂に翻弄され、リヴァイは苛立っていた。
     
    「エルヴィンさん…お仕事じゃ、仕方ないよ……でも次、会うとき…私をあなたの好きにして……」

     頬を赤らめるイブキにエルヴィンはゴクリとつばを飲み込み喉を上下に動かす。

    「え…えっ……好きにって…!」

     爛々とした眼差しにエルヴィンの息が荒くなり、イブキの両肩を掴む手に力が入る。
    その時突如、ロッカールームのドアが乱暴に開かれた――

    「オーナー…いい加減にしないか、もう準備は済んでいる……何だ、その顔は…?」

     リヴァイは声を荒げるが、これまでの長い付き合いで見たことないようなエルヴィンの
    腑抜けた表情に引き気味になっていた。 

    「わかった…リヴァイ、すぐ向う…」

     イブキを軽く抱きしめると、エルヴィンはロッカールームから離れる。今、キスしたり、
    強く抱きしめると、彼は自分の気持ちをコントロールできない気がしていた。

     エルヴィン自身も自分がどんな顔をしているか想像できるため、気を引き締める為
    両手で顔を軽く叩いていた。

     フロアではイッケイさんとマッケイさんがエルヴィンを待っていて、
    イッケイさんは彼の後ろから付いてきたイブキに勝ち誇ったような視線を送る――

    「エルヴィン、借りるわね……」

     フロアにエルヴィンが到着したことを確認したリヴァイはブースにいるジャン・キルシュタインに
    合図を送る。いつものearth,wind & the fire のSeptenberがカットインされ、フロアに響くと、
    テンションが低かったはずのエルヴィンはその音を耳にすると、自然に身体が動き出す――

     ミラーボールのライトに照らされて踊るエルヴィンの笑顔をイブキは鼻を鳴らして笑う。

    (やっとここまできたのに……でも、金曜の夜だし、仕方ないか……でも、次は…ね)

     大事な人を見つめる眼差しは温かみを帯び、心は抱えきれない程の想いで溢れる。

    (だけど、思わず大胆なこと言っちゃったけど、エルヴィンさんの反応…かわいいな……
    次は何を言おうかな――)

     思惑顔で踊るエルヴィンの姿を見つめるが、やっと会えた気持ちで鼓動を激しくなっていると
    イブキは感じる。その眼差しは幸せで満ち溢れていた――
  27. 34 : : 2014/05/31(土) 11:10:39
    ⑦リヴァイ、子守をする

     カフェ『H&M』のオーナー、エルヴィン・スミスは彼の大切な存在のイブキが異国の地へ
    出張中、カウンター席で自分の仕事をする合間、スマホで彼女と映る画像を見てはため息をついていた。
     早く会いたい――。その募る恋情だけがエルヴィンの心に渦巻く。

     遠くを見つめ悲しげな影を落とす眼差しにリヴァイは鼻で笑い、カフェの仕事を勤しんでいた。
     カフェのティータイムが始まり、ガラスのドアが開かれ、きゃっきゃっ、とはしゃぐ
    幼い子供の楽しげな笑い声がカフェに入ってくる。

     その声にエルヴィンが耳を傾け、笑みを浮べた。声の主は常連客の子供で、
    ニファという3歳の女の子である――

     エルヴィンが初めて見たとき、彼の息子のアルミンが幼い頃の姿にそっくりで驚かされていた。
     お気に入りのピンクのワンピースを着ているニファに対して、『ぼく、いくつ?』と
    聞いてしまい、『おじさん、キライ』と即答されていた――

     母親はニファを抱っこし、また母親の友達も一緒にカフェに来ていて、
    3人はエルヴィンにテーブル席へ案内されていた。

    「エルヴィンさん、こんにちは! 今日は私の友達とニファの3人でお茶しにきました!
    ほら、ニファ、エルヴィンさんにご挨拶は…?」

     エルヴィンに挨拶するよう母親が促しても、ニファは相変わらずエルヴィンから顔を背け、
    目さえ合わそうとしなかった。

    (俺……いつまでニファちゃんに嫌われるんだろう……)

     エルヴィンは気にしてませんから、と言いながらオーダーを聞くが、誰が見ても
    強張る笑顔を作っていた。

     ニファがカフェ『H&M』に来るときは、ほとんど両親と一緒で、大人しく座るか、
    父親と一緒に遊ぶことが多い。その日、母親は友達とのおしゃべりに夢中で、
    ニファは落ち着きがなくなり、突然、席から降りると、外に出て行こうとした――

    「――おい…どこに行く……?」

     突然、カフェの出入り口に向かい駆け出すニファを追いかけ腕を掴まえたのはリヴァイである。

    「おじちゃん、遊ぼう?」

    「――おにーさんだ…」

     リヴァイはニファに『おじちゃん』と呼ばれると、舌打ちする。
     凄みのある顔で見下げ、その鋭い眼差しにニファは身体を硬直させ涙目になっていた。

     そのとき、ペトラ・ラルもカフェでエルヴィンの仕事を手伝いをしていて、それが終わると
    リヴァイのそばに立った。

    「リヴァイさん……まだ小さい女の子なのよ、そんな目で見ちゃ……」

     息を呑むペトラがリヴァイに恐る恐る話しかける。彼の睨む眼差しは少しずつ和らいでいった。
     涙目になっていたはずのニファ小さな手でリヴァイの手を握り、外に一緒に行こうと、
    彼を引っ張りだしていた。

    「リヴァイ……俺に懐かないニファちゃんがおまえの手を引くとは…近所でも遊びに連れて行け――」

     エルヴィンの仕事をちょうど終えたばかりのペトラの手は開いていた。ペトラがリヴァイの
    仕事を代わりにすることになり、泣く泣く彼はニファの手を引きカフェのガラスのドアを開けていた――

    (オーナーめ…俺の方が懐いているからって、子守を押し付けやがって――)
  28. 35 : : 2014/05/31(土) 11:12:32
     ニファは笑顔でリヴァイに手を引かれているが、彼はどこに連れて行くか迷っていた。

    (この近辺は車の往来が激しい……あぁ、ここはどうだ――)

     リヴァイがどこに連れて行けばいいか、決めかねていると、ショットバー『ザカリアス』に
    繋がる地下の階段を見つけていた。

    「ニファ…ここで遊ぼう……」

    「えーっ…ヤダ、くらいよ――」

     その時間、店は営業をしておらず、地下へ繋がる階段は途中から薄暗く見通しが悪くて、
    途中からかすんでいるようにも見える。

    「怖いのか…?」

    「うん、怖い…」

     ニファは小さく怯えた声をリヴァイに向けた。リヴァイの手を握ったままニファは彼の後ろに隠れる。ニファの手をギュッと握り返し、リヴァイは妖しい笑みを浮べていた。

    「そうか……じゃ、連れて行ってやるよ――」

     リヴァイは驚かすつもりで、手を引くがニファはそのまま付いてくる。振り向くと目をキラキラさせ
    好奇心旺盛な眼差しでリヴァイを見つめていた。

    「ねぇ、おじちゃん、何があるの、ねぇ、ねぇってば――」

    「……おにーさんだ!」

     ニファは期待で胸を膨らませるが、リヴァイは何も考えいなかった。
     ただ、ニファが怖がりもう帰ると、言い出し、彼自身はこれで子守から解放されるつもでいたからだ。
     
    (こいつ…暗いの、平気じゃねーか……)

     強くリヴァイの手を握るニファは恐る恐る地下に降り立つ。目が慣れてきて、見えてくるのは
    ただ暗闇で開店を待つバーのドアが並ぶだけである。

    「なーんだ、おもしろくない……」

     ニファがリヴァイを膨れっ面で見上げていた。リヴァイの舌打ちとため息か響く。
     真新しい遊びは何も浮かばないが、今度は疲れさせようと考えいてた――

    「ニファ……これから、上まで競争だ…!」

    「えっ…おじちゃん、何?」

     リヴァイは突然、階段を駆け上がると、ニファも釣られて一緒に駆け上ると、
    待てー、と言いながら笑顔で追いかけてくる。
     
    「俺を捕まえられるか……」

     ニファがゆっくりと階段を駆け上がると、リヴァイはまた途中で引き返す。

    「おじちゃん、まってよ――」

    「……だから、おにーさんだ!」

     ニファが階段を下るときはリヴァイは転ばないか後ろを気にしながら逃げていた。
    必死に逃げるのは馬鹿馬鹿しいと思いながらも、リヴァイはニファの遊びに付き合っていた。
     数往復して地下の出入り口に立つと、リヴァイは膝に両手を突いて息が上がるような
    荒い呼吸し始める――
  29. 36 : : 2014/05/31(土) 11:14:43
    「もっと、遊ぼうよ、もっともっと!」

     疲れ知らずのニファは目を輝かせリヴァイに遊ぼうとせがむ。このままでは夜の営業まで
    持たないと踏んだリヴァイは他の遊びを思いつく――

    「ニファ……後ろ向きで階段を下りられるか……?」

    「うしろむき……? できないよ!」

    「ほう……できなんだ……」

     ニファを見下げ鼻で笑いながら大人気なく言うと、再び頬を膨らませリヴァイに挑む――

    「できるもん!」

    「じゃ…やってみろよ――」

     地下へ繋がる階段のてっぺんにニファが立つと、リヴァイはその背後を見守るように立っていた。
     ニファが後ろ向きで階段を下りる瞬間を両手を広げ待ち構える――

    「いくよぉ……」

     ニファは一歩ずつ下りると、出来た喜びで笑みを浮べる。恐る恐る下りると、嬉しさが増し
    いくつもの段差を下る。リヴァイは彼自身も足元に注意して、階段を後ろ向きに下っていた。

    「ニファ、うしろむきに、かいだん、おりてるよ!あっ――」

    「あぶねーな……まったく――」

     階段を踏み外しそうになると、リヴァイがニファを抱える。後ろ向きに下りるよりも、
    背中から抱えられるスリルをニファは面白がる。
     後ろ向きで階段を下り、途中でそのまま後ろ向きにジャンプする、という遊びをニファは覚え始めていた。

    「こわい! おもしろい!」

     ニファは階段はこの遊びが気に入り、しかしリヴァイはすぐ飽きるだろうと、踏んで
    しばらく付き合うことにした。
     『FDF』の営業準備の時間を迎えると、エルヴィンはジャケットの袖を少しずらし
    腕時計で時間を確認する。エルヴィンはペトラに彼を直ぐに呼び戻すよう、お願いしていた。

    「リヴァイさん、どこに遊びに連れて行ったのかな……ん?」

     ペトラがリヴァイを探しにカフェから出た途端、地下に繋がる階段付近からきゃきゃと、
    ニファの笑い声が響くことに気づく。
     ニファと遊ぶリヴァイはこれまで見たことないような柔らかい笑みを浮べていた。

    (リヴァイさんって……子供、好きなんだ……)

     ペトラもリヴァイの笑顔に微笑むと、オーナーが、と話しかける。

    「もう、『FDF』の営業準備に入るって――」

    「やだ、ニファ、もっと遊ぶ!」

     ペトラが呼びにきたことで、ニファは遊びの時間は終わりだと感付く。
     最初はニファを立ったまま見下げていたのに、リヴァイは彼女に目線を合わせしゃがみこんだ。

    「ニファ、もっと遊ぶ!」

    「また今度な……」

    「いつ、ねぇ、いつ?」

    「お母さんに頼むんだな……」

     ニファは目線を下げながら涙を浮べていた。リヴァイに優しく頭を撫でられると、
    涙目で顔を上げながら、ニファは抱っこをせがむ。

    「リー、また遊ぼうね……」

    「わかった…」

    「リヴァイさん、『リー』って…呼ばれているの?」

    「あぁ、こいつ、リヴァイが言えないらしい……」

     鼻で笑い、ニファの頭を再び撫でると、リヴァイはぎゅっ、と抱きしめられていた。 
  30. 37 : : 2014/05/31(土) 11:18:28
     カフェに戻ると、なかなかリヴァイから離れたがらないため、母親を手こずらす。

    「すいません、リヴァイさん…遊んで頂いて、ニファ、もう帰るわよ――」

    「ママ、またあしたもくるの、あした?」

    「今度はいつかな……」
     
     母親のシャツの袖を引っ張り、ニファがまた来ることをせがんでも、母親は言葉を濁す。

    「ヤダ、ヤダよ……ニファ、リーと遊ぶもん、リーと……」

     ニファは大きな目から大粒の涙を流し小さな手のひらで拳をにぎり、そのまま涙を拭っていた。その幼い涙顔の前にリヴァイは再びしゃがみ、柔らかい眼差しを注ぎながら
    ニファの柔らかい髪に触れる――

    「またいつでも、遊びに来い、俺はずっとここにいる――」

     大粒の涙がニファの目じりに再び宿ると、唇をゆがませながら声を上げ泣き出した。

    「ニファ……リーのお嫁さんになる……」

    「何…!?」

     リヴァイは一瞬だけ凄みのある眼差しになるが、すぐに鼻で笑う。
     回りの大人の笑い声にニファは不機嫌になり、リヴァイに再び抱きついていた。

    「いいもん、ニファ、リーが大好きだもん!」

     リヴァイに抱きつくニファに唖然とするペトラは自分でも驚くくらい、
    二人の姿に対抗意識を目覚めさせられていた。

    「リーは私と結婚するもん……あっ……」

     自分が言ったことに思わず両手で口を閉じ、ペトラは耳たぶまで熱くするくらい、頬を紅潮させる。
     ニファはリヴァイの腕を強く抱きしめながらあっかんべーをして、ペトラに自分の赤い舌を見せていた。

    (もう…この子は、かわいい顔しているのに……! リヴァイさんは私のなんだからね!)
  31. 38 : : 2014/05/31(土) 11:18:57
     あっかんべーをするニファの小憎らしい顔にペトラの唇が強張りかすかに震えていた。

    「ニファったら……確か、パパと結婚するって言っていたよね? もうホントに帰るわよ――」

     母親はニファを抱っこすると、足元をバタつかせる娘に手こずるが、
    リヴァイは頭を撫でると、大人しくなっていた。

    「リヴァイさん、今日はありがとうございました! 次はいつになるかわかりませんが、
    ニファも懐いていることですし、そのときはよろしくお願いします――」

    「はい、いつでもお待ちしていますので……」

    「リー、バイバイ…またね――」

     ニファはリヴァイに手を振りその手でそのまま投げキッスをすると、彼は舌打ちを返す。

    「最近のガキは……」

     親子が帰ったことに肩を下ろすと、リヴァイは大きく深呼吸をしていた。

    「疲れた……」

     ニファの母親が座っていたテーブル席にリヴァイは手を付いて、胸を撫で下ろし、
    息が整うと深呼吸はいつのまにかため息に変っていた。

    「リヴァイ、ご苦労……お疲れのところ悪いが、もう『FDF』の準備に入る……」

    「あぁ、わかった……」

     エルヴィンに促され、『FDF』に向うリヴァイは首を回して自分の肩をもみだす。
    ガラスのドアに手を伸ばしたとき、何かを思い出したようにリヴァイは引き返しペトラに近づいた。

    「ペトラ…行ってくる――」

    「あぁ、うん、いってらっしゃい……」

     カフェ『H&M』をペトラが手伝うようになって以来、リヴァイはいつも『FDF』に移動するとき、
    彼女に一言声を掛ける新しい習慣が出来ていた。
     その習慣を忘れるくらい、リヴァイの疲れはすでに全身を蝕むようだった――

    (リヴァイさん……今日はシャワーじゃなく、湯船で疲れを取った方がいいかもね……)

     疲れた背中を皆に晒しながらリヴァイは手で拳を作り、腰をトントンと叩いていた。
     ペトラはその後姿を笑みで送り出す。

     深夜過ぎ、リヴァイが帰宅すると、案の定、文字通りヘトヘトになっていて、
    そのままソファにドカッと座り込んでいた。

    「リヴァイさん、今日はお疲れさま……」

    「あぁ…ペトラもお疲れ…今日は平日でよかった……週末だったら身体がもたなかった……」

    「そうね……」

     湯船に入るとリヴァイは居眠りしそうになると、心地よい湯に顔を何度か突っ込みそうになっていた。 
     リヴァイがバスルームから出ると二人は軽い食事をしていつもより早めにベッドに入る。
     天井を見つめるリヴァイは眠そうな声でポツリとつぶやいた。

    「……子供があんなにかわいいとは思わなかった」

    「そうね、リヴァイさん……なんだかパパって感じだったよ!」

     ペトラはリヴァイに身体を向け笑みを浮べる。その笑みを感じたリヴァイはペトラの髪を
    ゆっくり撫でた。

    「ペトラ…子供欲しいな――」

     触れていた手をペトラの身体に伸ばしリヴァイは彼女に優しく重なる。
     目下のペトラから慈しむような眼差しが注がれていた。

    「そうね……でも、リヴァイさん…子作りのためにするのは……まだヤダ……」

     頬を赤らめるペトラにリヴァイは鼻で笑う。

    「まぁ……まだ二人の時間を楽しみたいな……だが、ペトラも大胆なことを言うようになったな…」

     リヴァイはペトラを柔らかく抱きしめる。ペトラはリヴァイの体温を感じながら幸福感は覚え、
    彼の背中に腕を回す――

    (今は…まだ……でも、いつかはね……)

     ペトラはいつの日にか、愛するリヴァイの子供が欲しいと願う。
     鋭い眼差しがどう変るのか、と想像しながらペトラはリヴァイの温もりを感じ笑みをこぼしていた。
  32. 41 : : 2014/06/04(水) 13:02:23
    ⑧思いがけない再会

    (あれ……何、私の…胸を誰かが…さわって……る…あっ……)

     ベッドに横たわり寝ぼけるイブキが薄目を開け、自分の胸元を誰かが触れていることに気づく。
     おぼろげであるが、イブキの意識が少しずつ戻ってゆく。
     彼女の胸の突起を指先ではじいたり、時にはつまんだりしているのはイブキの大切な
    存在のエルヴィン・スミスである――

    (そっか……エルヴィンさん、早い時間から……ウチに来ていたんだ……)

     二人は裸になりイブキのベッドで横たわっている。遠くを見るような眼差しでエルヴィンはその指先でイブキを弄んでいた。

     その日は日曜日――。早朝、イブキはエルヴィンの電話で目を覚ましていた。彼の息子の
    アルミンが友人たちと朝から遊びに行き、夕方まで帰って来ないことがわかった。
     そのためアルミンが外出した後、エルヴィンがイブキの部屋へ行くと連絡していた。
     イブキはエルヴィンからの連絡の後、早朝ながら張り切ってキッチンに立ち、朝食を
    作りながら彼の到着を待っていた。

     彼女の予想以上に早くエルヴィンが来たと知らせるインターフォンが部屋の中で鳴り響いて、
    イブキはキッチンでふふっ、と声をもらして笑う。

    「エルヴィンさん! もう、早すぎるよ! 朝ごはんをまだ作っている途中だよ!」

    「――イブキ…」

     ドアが開くと同時に、エルヴィンはイブキをそのまま抱きしめていた。 
     突然のことでイブキの胸は高鳴り、それを気にせず彼の抱擁を受け入れる。

    「どうしたの、もう…エルヴィンさん…?」

    「君は……『私を好きにして』って……言ったよな…?」

    「えっ」

     エルヴィンに抱きしめられながらイブキはさらに胸が高鳴るようだが、その問いに鼻を鳴らし笑う。

    「うん、言ったよ……」

    「――そうか、それじゃ」

     イブキの返事を胸元で聞きながらエルヴィンは彼女を抱き上げ、向う先はベッドルームである。
     二人でベッドに転がり込みイブキはエルヴィンに組み敷かれていた。

    「もう…エルヴィンさん、朝からいきなり……?」

     イブキが出張から帰った金曜日の夜、結局は互いの時間が合わず二人は大して話も出来ず、
    それぞれの帰路についていた。翌日の土曜日、イブキが出張で出会った占いのクライアントたちへ
    アフターフォローのメールを送ったり、返事をもらったりの繰り返しで、さらに二人が会うことはなかった。  

     その日曜日、エルヴィンはイブキに触れたくてたまらず、悶々としていたその時、
    息子のアルミンが出かけると知り、彼を見送ると真っ先にイブキに連絡していた。

    「イブキ、俺は……もう待てない……」

     情熱的にエルヴィンはイブキを求める。彼女は自分が『…好きにして』と言った手前、
    エルヴィンの熱を受け入れる。彼に身体を優しく時には激しく触れられ一つになった。
     イブキは愛されていると心と身体で覚える。エルヴィンの愛撫で身体が、心が、とろけ、
    もう離れられない――。彼への気持ちも溢れて止まないとイブキは感じていた。

     過度の情熱にイブキの身体は疲れ果て、互いに知り尽くす行為が終わる頃、彼女は
    悩ましい心地よさで寝息を立てていた。エルヴィンは頬を紅潮させ、汗ばむイブキの寝顔を
    見つめる。

     汗で艶やかな額や首筋にその手で触れるエルヴィンはイブキを離したくない気持ちが
    さらに強くなる気がしていた。
     イブキのまぶたがゆっくりと開いたとき、自分に触れるエルヴィンに微笑みその手もゆっくりと握る。

    「……エルヴィンさんったら、もう……何しているの…」

    「あぁ……君の……『ふくらみ』がかわいいから……」

    「もう…バカ……」

     その手を胸元から肩に移動させエルヴィンはそのままイブキを抱きしめる。
     力強い抱擁に互いの胸元は密着して重なっていた。
  33. 42 : : 2014/06/04(水) 13:02:39
    「なぁ、イブキ…俺たちも一緒に…住まないか……?」

    「えっ……あなたの部屋に…?」

     突然のことでエルヴィンの口元に視線を送りながらイブキは顔を上げた。エルヴィンは
    イブキの髪に触れ慈しむ眼差しを送り続ける。

    「あのマンションは…俺とアルミンだけでは広すぎる。君がこのまま来ればいい……」

    「そう…言ってもらって、嬉しいよ……でも、私はここで仕事もしているし、急には……」

    「そうか…」

     イブキの返事にエルヴィンはため息をつく。彼女の頬にエルヴィンのため息が触れ、
    同時にイブキはエルヴィンに笑みを返す。声は悩ましい疲れで、少し甘く掠れていた。

    「もう……エルヴィンさん、ガッカリしないでよ……時間があるとき、ここに来たらいいよ…
    私はいつでも、あなたを待っているから……」

    「――そうか」

     二度目のエルヴィンの返事は心なしか声が弾む。イブキに触れていた腕を移動させ
    エルヴィンは再び彼女を組み敷いていた。

    「ということは……いつでも、こういうことが出来るんだな…?」

    「もう…エルヴィンさんったら、そればっかり……」

     笑みを向けイブキがエルヴィンの頬に手を伸ばすと、彼女は再びエルヴィンの情熱を
    受け入れていた。エルヴィンは鍛えられた背中に手のひらを触れさせる。
     イブキが薄く開けた唇から彼の情熱に答える熱のこもった甘い吐息が漏れていた。

    (……もう、ダメ…エルヴィンさん…私は…もう、あなたじゃなきゃ………ダメ……)

     甘く苦しい嵐のような吐息が漏れる唇は少しだけ右口角が上がる。イブキはエルヴィンに愛されてると感じながらその行為の最中でも自然に笑みがこぼれていた。
  34. 43 : : 2014/06/04(水) 13:05:36
     また翌、月曜日。エルヴィンは自身が経営するカフェ『H&M』に顔を出したとき、
    彼を見つけるなり、オーナーシェフであるハンジ・ゾエがそばに駆け寄った。

    「ねぇ、エルヴィン! ヴィッキーが来るんだって! かなり久しぶりじゃない?」

    「そうか……あいつが来るのか」

    「うん、あなたのところにも連絡がなかった…?」

    「いや……」

     自分のスマホをおもむろに取り出し、エルヴィンがメールをチェックしながら
    未読メールの存在に気づく。着信時刻にはイブキに連絡を取ることに夢中になっていて、
    そのままメールを見落としているとわかり、頬を引きつらせた。

    「あっ…俺のところにも来ていたみたいだ……で、あいつは何しに来るんだ?」

    「エルヴィン、まったく……大事な私たちの仲間のメールを忘れるなんて、
    まぁ、理由は想像できるけど……! ヴィッキーは仕事で帰ってくるんだって」

    (…イブキさんと連絡することに気をとられ、ヴィッキーのメールを見逃すって……)

     ハンジはイブキに夢中なエルヴィンに半ば呆れるが幸せそうな横顔に仕方ないかと、
    ため息をついていた。
     ヴィッキーはエルヴィンの亡き妻、ミランダの親友だった。
    ハンジとも仲がよかったが、より仲良かったのはミランダである。
     エルヴィンはかつての仲間が来るのは素直に嬉しく感じるが、亡き妻の思い出に
    繋がるヴィッキーに会うことに例えがたい心境になる。

    (だが、俺は…もちろん、今はイブキを……)

     亡き妻は互いが幸せの絶頂のとき、突然の交通事故で亡くしていた。心のどこかでに
    形容しきれない悲しみを含む感情が潜む気がするのも確かである。

    (やっぱり…今は…あぁ……イブキ……)

     うつろな眼差しでヴィッキーのメールの文字を追うエルヴィンの耳にカフェのガラスの
    ドアが開く音が飛び込む。ドアの前に立つイブキに柔らかい視線を注ぎ、
    手に取っていたスマホのメールを閉じながら彼女を迎え入れていた。

     前日、エルヴィンに情熱的に求められたことを思い出すイブキの頬はゆるみ、
    ほのかに紅潮していた。
     エルヴィンがいつものようにイブキの腰に手を添え、二人はそのままカウンター席に
    着席していた。
     互いに見つめあいながら、エルヴィンはイブキの手の甲に自然に自分の手を添える。
     その二人の姿にリヴァイは鼻で笑っていた。

    (オーナー…イブキさんが出張から帰ってきてから、ますます離れられないみたいだな……)

     カフェがティータイムを迎える頃、ナイル・ドークがカフェのガラスのドアを開けていた。
     その彼にエルヴィンが立ち上がり目を見開いて、驚きの表情を浮べる。

    「ナイル、どうした……突然、そうか、おまえのところにも連絡がいっていたか……ヴィッキーから?」

    「あぁ…俺のところにも来ていた、で、ちょうど二人できたんだ」

     ナイルの後ろから茶目っ気溢れる顔を晒したのはヴィッキーだった。
    つばの広い白い帽子を被り、顔が半分隠れるくらいのサングラスをしている。

    「みんな、ご無沙汰! 元気だった~?」

    「あれ……この声…どこかで……?」

     快活のあるヴィッキーの声がカフェに響き渡り、その声の方向にイブキが身体を向けると思わず仰け反らせていた。
     彼女が前の週に出張先で出会っていた占いのクライアントで、モデル事務所の女社長、
    ヴィッキー・クロースがあの気品ある笑みを浮かべ立っていたからである。
     イブキの驚きの表情に鏡合わせの如くヴィッキーも戸惑う表情を見せた。

    「あれ……先生、どうしてこんなところで…?」

    「そうですよね……」

     二人は互いに予想さえしなかった場所での再会に目を白黒させていた。

    「……二人とも知り合いだったのか?」

    「えぇ、ヴィッキーさんは…私の占いのクライアントで最近も出張先で会ったばかりなの…」

     エルヴィンとイブキが寄り添い話す姿に間髪切れずに、ヴィッキーは二人の関係を問う。

    「イブキは……俺の大事な人だ」

    「まさか、あなたがミランダを忘れられるとは思えないわ、エルヴィン……」

     早口で棘のある口調でヴィッキーが言い放つと、エルヴィンはうつむき加減になる。
    その言葉にイブキの心はチクリと針が刺すように痛んだ。ヴィッキーの刺すような
    眼差し気づいたハンジが二人の合間に入り、エルヴィンを庇うように立ちはだかった。
  35. 44 : : 2014/06/04(水) 13:07:12
    「エルヴィンはミランダがいなくなって……イブキさんと出会うまで、長い間、誰とも
    付き合うことはなかったんだよ! そばで見てきた私が言うんだ、ヴィッキーわかってよ…!」

     エルヴィンがミランダの仲の良さを知っていたハンジの必死な姿にヴィッキーは唇を
    噛み締めうつむいた。ため息が漏れハンジの肩に触れる――

    「ハンジ…わかった…でも、この件は追々話すことにするわ……」

    「うん……ところで、ヴィッキー、どうしてナイルと一緒なの?」
     
     ハンジと目が合ったナイルは突如、ニヤっと妖しげな笑みを浮べる。

    「俺の会社が…ヴィッキーが開催するファッションショーのスポンサーになったんだ」

    「へーっ! ヴィッキー、よかったね! 持つべきものは金持ちの友達ってことか!」

    「まぁ…ほんと、突然スポンサーに下りられて困っていたところに……かなり助かるわ」

     ハンジとヴィッキーもナイルに妖しい眼差しを返し、手のひらで小さく拳を作って笑い声を
    抑えていた。

    「おい…! おまえら、相変わらず俺をからかうのか…! まぁ、俺のことが好きでからかう
    やつらは昔から多かったがな……」

     当たり前のように言うナイルの本気なのか冗談なのわからない寒い返事に皆は
    堪えきれず笑い声を上げていた。
     ヴィッキーはかつてエルヴィンが中心になって屋台販売をやっていた頃の仲間である。

     エルヴィンの亡き妻のミランダと二人で同時期に仲間になっていて、互いに助け合いながら、若かりし日々を過ごし友情を温めていた。

     そんな最中、二人は客としてやってきたモデル事務所のスカウトマンの目に留まる。
    二人は思わぬ事に喜ぶが、結局、ミランダだけスカウトを断っていた。まだ気持ちは伝えて
    ない、でも、エルヴィンのそばにいたい――。ミランダは当時、片思いの意中の相手、
    エルヴィンのため、モデルになることを諦めていた。

    (……あのときのスカウトマンは私よりも……ミランダを見出していたのに……)

     当時を思い出すヴィッキーは唇を噛み締めるがすぐに笑みに切り替え、イブキの傍に近づく。
  36. 45 : : 2014/06/04(水) 13:08:19
    「先生、私が予想さえしなかったことが展開しています。ありがとうございます……
    新しい縁が繋がるとおっしゃっていましたが、鑑定通り、故郷に戻ってみるとまさか、
    先生ともご縁があるとは思ってもみませんでした……」

    「……はい…」

     イブキは力なく返事していた。占いの鑑定が終わると、内容をほとんど忘れている。
     鑑定内容によって、いつまでも気にかけていた場合、自分の身が持たないから、
     リセットするつもりで忘れなさい、と同じ占い師だった母の教えにイブキは従っていた。

     テーブル席に座るヴィッキーの背中を見つめながらイブキは首を傾げる。母の教えを
    破るように鑑定内容を思い出そうとしていた。

    (……確か…交通事故で亡くなった親友がいたっけ……まさか、それがミランダさん…?)

     記憶が蘇った瞬間、イブキの心臓が大きく一跳ねした気がして手のひらを胸にあてがう。
     思い出すんじゃなかった、と後悔しても遅く、手のひらに大きな鼓動が伝わっていた。

     ヴィッキーを中心にかつての仲間たちは懐かしい昔話に花を咲かせていた。少し前まで
    イブキのそばにいたエルヴィンは仲間たちの前で、少年のような無邪気な笑みを浮べる。

    (懐かしい話か……いいな…エルヴィンさんの過去を知らないけど…私は今を一緒に
    生きられたらって思うけど……でも、思い出話を共有できる仲間がいるって羨ましい。
    私は…この街に思い出はまだ何もない……)
  37. 46 : : 2014/06/04(水) 13:09:28
     アイスコーヒーの氷をうつろな目で見つめ、グラスをストローでかき混ぜながら
    イブキはため息をついた。その横顔を見ていたリヴァイは彼女に近づく。

    「イブキさん、どうかしたのか…?」

    「えっ……あぁ、懐かしい仲間たちが集まるっていいなぁ…って思って…私はこの街で
    友達とかあまりいないし……」

    「確かにそうだな……ある意味、歴史みたいなもんは、まだ浅いかもしれない……
    これからそれを積み上げて、何年後かにあんな感じで話せるだろう、今からやれば――」

    「そうね……私もそうだけど、ペトラさんもこの街に来て間もない。私がペトラさんと仲良く
    してもいい…?」

    「あぁ…もちろんだ」

    「よかった…! ありがとう、リヴァイさん」

     リヴァイはかすかに笑みを浮べ、ヴィッキーたちが座るテーブル席に移動し、
    グラスに水を注いでいた。いつも冷静な雰囲気のリヴァイだが、頼り甲斐がある人、という
    印象をイブキは改めて感じていた。 

     今度はエルヴィンの背中を見つめヴィッキーが『ミランダを忘れられるとは思えない…』
    と強い口調で言っていたことを思い出す。

    (あなたの心には…いつもミランダさんがいるのね……私は本当に…愛されているのかな……)

     イブキの心は一抹の不安に支配され、カウンター席で頬杖をついてため息を漏らした。

     皆は思い出話で盛り上がり、話の隙を見て、イブキの元へ戻ろうかと、エルヴィンが
    タイミングを考えあぐねるが、次から次へと懐かしい積もる話題を披露していた。
     そのためタイミングを逃すたび、もどかしい気持ちがエルヴィンに募っていく。

     エルヴィンはもちろんイブキを愛する。妻のミランダが急にいなくなって、
    何年もポッカリと開いていた心を癒してくれたのはイブキだとエルヴィンは心の底から感じていた。
  38. 47 : : 2014/06/07(土) 13:07:07
    ⑨思いがけない誘い

     リヴァイが飲み物を補充しているとき、イブキが再びため息をついていることに気づく。
     そのうつろな眼差しに、きっとオーナーのエルヴィン・スミスのことを考えているのだろうと
    想像して彼女に近づいたときだった。ペトラ・ラルがオーナーの息子、アルミンと共に
    カフェ『H&M』に入ってくる。

    「ペトラ、お帰り……」

    「リヴァイさん、ただいま! 途中でね、アルミンくんたちとバッタリ会ったんだ!」

    「そうか……」

     ペトラとアルミンはもう何度も会っているが、そのとき一緒に来ていたエレン・イェーガーと
    ミカサ・アッカーマンは初対面だった。
     アルミンがペトラを紹介して、エレンが初めて話したとき『おねーさんが出来た』という気持ちが沸いてきていた。
     カフェに到着するまで2人はずっとおしゃべりをしていて、アルミンとふたりで歩くミカサは
    焼きもちから、自分の前を歩くふたりを鋭い眼差しで見つめていた。

    「それじゃ、リヴァイさん、私はオーナーの仕事をするね――」

    「あぁ、よろしく頼む……」

     カウンター席で仕事を始め出すペトラの後姿にエレンは心なしか肩を落とす。ミカサに促され
    ふたりでテーブル席に座るが、ミカサは彼を取り戻したかのように心が弾んでいた。
     アルミンは彼の母の親友がカフェに来ることを知っていて、父と同じテーブル席に座る。

     皆がオーナーシェフのハンジ・ゾエ手作りのケーキに手を伸ばしているとき、再び新たな客が
    カフェに入ってくる。

    「やっと来てくれたか……!」

     カフェに入ってきた男女のカップルの来店を真っ先に気づいたのはエルヴィンである。
     彼は立ち上がり、ふたりを自ら接客して、テーブル席に案内していた。
     このカップルはミケ・ザカリアスとナナバである――

    「ミケ、おまえ……なんだか、身体が引き締まったか…?」

    「えっ…まぁ……」

     指摘されるとミケは、はにかみナナバを横目で見ていた。

    「ナナバと付き合うようになって、二人でジムに通い出したんだ――」

    「ほう……」

     ナナバは『シャトー ウドカルト』の営業を始める以前から、自分目的で来てくれる客が
    多いと知っている。それ故、スタイルを維持するため、長年、ジムで身体を鍛えていて
    年相応には見えない若さを保っていた。

    「エルヴィンさん、今、そのジムの帰りなんです! 汗をかくと、やっぱり甘い物が欲しくなるから…
    今日はこちらに寄らせて頂きました」

    「ありがとうございます」

     ミケはナナバの柔らかい笑みを穏やかに見つめる。エルヴィンはこのふたりが
    幸せそうでよかったと、心から感じていた。エルヴィンが注文をとって、テーブル席から離れ、
    彼の背中で隠れていたふたりをイブキも見つめていた。

    (ミケさん……あんなに優しそうな笑顔でナナバさんを見つめて……きっととても、幸せなんだろうな…)
  39. 48 : : 2014/06/07(土) 13:09:07
     イブキは自分が幸せだからか、ミケとナナバの温かな雰囲気に胸を撫で下ろしていた。
     キッチンにはモブリットしかいないが、エルヴィンは彼に二人の注文を告げ、再び元の席に戻る。
     彼はヴィッキー・クロースの意味深な笑みに迎え入れられていた。

    「エルヴィン……あなたの周りにはどうして昔から、いい女が集まるんでしょうね……」

    「――おまえが言うなよ…!」

     エルヴィンは半ば呆れ、鼻を鳴らして笑っていた。

    「今回の私が計画するファッションショーね、プロのモデル以外にも地元の一般参加者から
    モデルとして起用することを考えているの」 

    「それで、ウチの会社の秘書からも数人、モデルが決まったんだ」

     ナイル・ドークはまるで自分のことのようにご機嫌で自慢気に答える。そのナイルにも
    エルヴィンは呆れ顔を晒していた。

    「まぁ…おまえの秘書たちはみんな長身で美女ばかりだよな……」

    「確かに、そうだな……」

    「ここにも多くいるじゃない、『長身の美女』が……!」

     話しながら、ヴィッキーは突然立ち上がる。エルヴィンとナイルが彼女の行動を目で追いかけるが、その先にはイブキがいた。

    「先生、この前……モデルの仕事、機会があれば…っておっしゃっていましたよね…?」

    「えっ…それは……」

     ヴィッキーのいきなりの問いにイブキはスツールから立ち上がり、ヴィッキーは
    ちょっと失礼、と言いながら両手で彼女のウエストを触りだした。
     イブキはされるがままで、その様子を身体を硬直させ見守っていた。

    「先生……確か、この前、着痩せして見られると言っていましたが、それは…本当のようですね……」

    「なんで……わかるの…?」

     頬を引きつらせるイブキにヴィッキーは妖しい笑みを浮べる。

    「あと……3センチか…」

     ヴィッキーがイブキから離れ次に向う先はミカサの前である。ちょうどそのとき、
    ユミルがミカサとエレンのグラスに水を注ごうとしていた。

    「確か……アルミンのお友達……あなたもちょっと立って下さる……?またあなたは
    ここの従業員よね……すごく素敵じゃない――」

    「え、何ですか……」

    「あの、私は仕事中ですが……」

     首を傾げるミカサはヴィッキーがアルミンの亡き母の親友とは知っているが、
    長身の美女の前に頬を赤らめながら、言われるがままに立ち上がる。 
     またユミルは片手でトレイを持ったまま、もろ手を挙げさせられていた。その頬は引きつり
    ヴィッキーを困惑顔で眺めるだけだった。
     ミカサとユミルのウエストを両手で触るヴィッキーは彼女たちを見ながら頷いていた。

    「あなたたちは…完璧! このままでいいわ……」

     ミカサの肩に触れるヴィッキーは次のテーブルに移動する。ミカサとユミルは互いに
    意味がわからないまま首をかしげていた。
  40. 49 : : 2014/06/07(土) 13:13:01
     次のヴィッキーの『ターゲット』はナナバである――。ヴィッキーは片手で顎を支えながら
    ナナバの全身を嘗め回すように『品定め』をしていた。

    「あなたは……年相応に見えない……大人の可愛い女って感じね、ちょっと立って下さる………?」

    「何ですか…?」

     突然のことではあるが、自分と同じくらいの長身で、フィギュアのようなスタイルの
    ヴィッキーに言われると、ナナバも言われるがままに立ち上がっていた。

    「確か……ヴィッキー…だよな? 突然、何なんだ…?」

     ウエストを触りだすヴィッキーにあっ気に取られるミケだが、彼女のことを覚えていた。
     ミケが『ザカリアス』を開店したばかりの頃、エルヴィンの亡き妻のミランダがヴィッキーと
    二人で飲みに来たことがあった。彼女の美しさに見とれ、一目ぼれしそうになるが、
    トップモデルと聞いて、口説くことを躊躇してしまっていた。

     そんな最中、ミランダの交通事故死をキッカケにヴィッキーがこの街に来ることはなくなっていた。久しぶりの再会のヴィッキーが目の前のナナバのウエストに触れる姿にミケもただ
    首をかしげ見つめるだけだった。

    「あなたも完璧……このままで――」

    「ヴィッキー、一体…何をしているんだ……?」

     再び自分のテーブル席の前に立つヴィッキーにエルヴィンはすかさず話しかける。
     その顔は疑問を感じて眉間にシワを寄せていた。

    「今、私がウエストを触った皆さんには、私が企画する水着のショーに出てもらいます。
    要するに、私は皆さんをモデルとしてスカウトした、ってことです――」 

    「ええーーっ!」

     当初、戸惑っていたはずが、スカウトされた嬉しさで目を見開き、皆のその頬は緩んでいた。

    「エレン、私は…出た方が――」

    「おまえのその割れた腹筋を世間に晒すのかよ!」

    「……えっ!」

     ミカサはエレンに出た方がいいか、相談するつもりが、半笑いで言うその顔が腹立たしく感じ、彼女を決意させる。

    「わかった……私…出る…水着のショーに……」

    「何だって……ミカサ、本気かよ…!!」

     諦めさせるつもりで言ったつもりのエレンだったが、ミカサの決意に唖然として唇は強張らせていた。

    「私の年で、モデルなんて……!」

     両手を握り胸元に宛がうナナバの眼差しは少女のように輝く。
     その視線の先のミケは嬉しい反面、水着のショーと聞いて、唾を飲み込む。

    「ナナバ、ちゃんと話を聞いていたか……? 水着って言っていただろう?」

    「それでもいいじゃない! 私は一度でいいからモデルってやってみたかったのよ!
    これでも私は学生の頃、友達から『モデル事務所に応募したら?』なんて、
    言われたことがあるのよ!」

    「そうか……」

     目の前の輝く眼差しにミケは何も言えなくなり、コーヒーカップに手を伸ばしため息をついた。

    「私が…水着のモデルね…」

     長身でボーイッシュのスタイルが多いユミルが水着のモデルと聞いて、鼻を鳴らして笑う。
     その笑みを見たリヴァイは近づいて、妖しい笑みと共にささやいた。

    「おまえは…ビキニじゃないと、男か女かわかんねーかもな……」

    「何よ、それ! あ、リヴァイ……もしかして、私の水着姿を見たかったりして…!」

     ユミルの冗談にリヴァイは舌打ちして、客が帰ったあとのテーブル席を片付ける為、
    一旦、彼女から離れた。

    「あの……ヴィッキーさん、私は『3センチ』って言われましたが、どういうことでしょうか…?」

    「あら、先生は……」

     ヴィッキーがイブキの元に振り向き、不敵な笑みを浮かべ腕組みをしていた。

    「先生、あなたは…あと3センチ細くしてくださいね、そうじゃないと、今のところ、ショーには
    ムリね」

    「そんな…!」

     頬を引きつらせるイブキは両手で自分のウエストを締めるように触れていた。その姿に
    エルヴィンはヴィッキーの前に立ちはだかる。

    「イブキの…ウエストは今のままでいい、それは俺がよく知っている――」

    「エルヴィンさん!! もうっ!何を…言うの…!」

     エルヴィンの強い口調にイブキの顔はみるみる真っ赤になってゆく。だが、エルヴィンの
    鋭い眼差しはヴィッキーに注がれていた。

     ヴィッキーが皆をスカウトしていく様子を冷めた目で見ていたリヴァイは鼻を鳴らして笑う。

    (まぁ、なぜか、ここにいる女たちはデカいが……小柄のペトラには……関係ないだろう――)

     カウンター席で集中してパソコンに向っていたペトラだが、仕事が終わると何事かと
    皆の前に振り向いていた。その顔にヴィッキーは再び妖しい笑みを浮べる。
  41. 50 : : 2014/06/07(土) 13:15:10
    「あなた、ちょっと……立ってみて……」

    「えっ、はい……」

     目の前に現れた美女にペトラは息を呑み、ヴィッキーの美しさに見とれ、
    彼女も全身を嘗め回すように品定めされることを無意識に許していた。
     その姿にリヴァイは舌打ちをして立ちはだかろうとした。

    「ペトラはダメだ……」

    「ちょっと、失礼――」

     阻止しようとしたリヴァイの行為も虚しく、ヴィッキーはペトラのウエストに触れ、その後
    納得したようにうなずいた。

    「あなたも完璧……小柄だけど、顔も小さいし、手足の長さのバランスがいいのよ、
    というわけで……あなたは『ミニマムモデル』として、出てもらいます……」

    「出てもらいます、って…何にですか?」

    「私が企画する水着のショーにですよ」

    「モデルとしてですか…私が…?」

     ペトラは突然のことで、あまり理解していないが、モデルとしてショーに出す、と言われ、
    大きな目をさらに見開き驚きの表情を浮べる。ヴィッキーに対してリヴァイは再び舌打ちしていた。

    「ウチのペトラは…結婚を控えている、そういうことには――」

    「リヴァイさん…!」

     『ウチのペトラ』というリヴァイにペトラは心が弾むようだった。まるで、自分のもの、と
    言われている気がするが、それとは別の嬉しさがペトラの心に沸いていた。

    「だけど、小柄の私が……水着のショーに出てもいいんですか?」

    「――何っ?」

     予想さえしなかったペトラの返答にリヴァイの眼差しはさらに鋭さを増す。ヴィッキーから
    改めて説明を聞くペトラの笑顔も輝きを増すばかりだ。

    「ぜひ、私も出たいです! いいよね? リヴァイさん?」

     ショーに出ると決めたペトラに唖然とするが、輝く眼差しにリヴァイは止めに入ることは
    出来ない気がしていた。皆がスカウトされてゆく様子をずっと見ていたハンジも
    納得いかない表情でヴィッキーに詰め寄る――

    「私はどうなのよ、ヴィッキー! 私も見てよ!」

    「あら、ハンジ……確かにあなたも背は高いけど、興味あるの?」

    「それりゃ、そうよ! 女だし、憧れはあるでしょ!」

    「わかったわ……」

     冷めた眼差しで、ヴィッキーはハンジのウエストを触るがすぐに妖しい笑みを浮べる。

    「あなたは……身長はちょうどいいくらい…なんだけどね…」

    「うん、うん…!」

    「あと、3センチどころじゃないわ、かなり絞らなきゃね――」

     冷たく宣言するように言い切るヴィッキーに対してハンジは目を見開きテーブル席に着席した。

    「そんな、ムリだわ……ダイエットなんて……」

    「ハンジさん…そんなに、ガッカリしないで下さいよ…!」

     ガクリと肩を落とすハンジの傍に立つのは夫のモブリットである。ホッとしたように
    その唇は柔らかく微笑む。
     妻がダイエットして、一緒に美味しいものが食べられなくなるのは、嫌だと思っていたので、
    諦めてもらって、本当によかったとモブリットは胸を撫で下ろしていた。

     ちなみにハンジは『年相応』よりほんの少し、ウエスト周りに肉がついているだけで、
    決して太っている、というわけではない。
  42. 51 : : 2014/06/07(土) 13:17:27
    「またショーの開催は急で申し訳ないけど、2週間後ですから! またこの近くの
    スタジオを借りて、モデルとしての心構えやウォーキングを教えます、私の連絡先は――」

     懐かしい友人たちに見せていた和やかな雰囲気からモデル事務所の女社長としての
    厳しい眼差しに変り、皆に意気込みを見せていた。

    「必ずこのショーを成功させますから、みなさん、よろしくね――」

     姿勢良く皆の前に佇む姿はかつてのトップモデルとしての貫禄はまだそこに残っていた。
    特にナイルは鼻を伸ばしているが、皆はそれに気づかないくらい、ヴィッキーの美しさに
    言葉を失っていた。

    「結局、身体を引き締めるのは……私だけなの…?」

     頬を強張らせたイブキの独り言に気づいたエルヴィンが彼女の隣に座った。

    「俺が……手伝うよ…!」

    「もう、エルヴィンさん、何を手伝うのよ!」

     思惑顔のエルヴィンがイブキの全身を見ながら、彼女の耳元に近づき、更にささやく。

    「だけど…胸は…落とすなよ、このままで――」

    「もう……エルヴィンさんのバカ……! 人前で何を!」

     頬を赤らめるイブキにエルヴィンは笑いを抑えきれず、大きな手で自分の顔を押さえていた。

    「まぁ…3センチくらい……何とか、なる…? でも2週間で…?」

    (なんだか、この街で初めての面白そうな……思い出が出来そう……)

     ウエストを両手で抱えるイブキはかすかに微笑んでいた。
     笑いを堪えきれないエルヴィンは今度はイブキのウエストを指先でつまもうとした。
     
    「これの……どこがいけないんだろうな……俺はこれくらいが好きなんだが」

    「そうね、私もこのままで……って、エルヴィンさん、どさくさ紛れに何するのよ!もうっ!」 

     エルヴィンとイブキは自然な振る舞いで、互いの仲のよさを晒すが、皆は見慣れていて
    いつものことかと、何も感じない。
     ただ、ヴィッキーだけは、亡き親友の夫であるエルヴィンに意中の相手がいることに、
    許せない気持ちで溢れていた。
  43. 52 : : 2014/06/10(火) 13:10:58
    ⑩結ばれるべく出会ったふたり

     その日は日曜。ペトラ・ラルはリヴァイと共に彼女の実家に顔を出しに行った。これまでの
    生活の報告や他愛もない話をするために二人は実家に向う。またペトラの両親から
    リヴァイは気に入られていて、時間があるときには気軽に遊びに来なさい、といわれていた。

    「じゃ、ペトラ…またいつでも二人で遊びに来なさい……料理の勉強も大事だが、
    父さんたちは孫の顔を早く見たいんだがな…!」

    「もう、お父さん、気が早いよ!」

     父親の冗談とも本気とも言える一言にリヴァイは頬を強張らせる。ラル家のリビングは
    和やかな雰囲気に包まれても、リヴァイは緊張感で出された紅茶をすでに飲み干していた。
     二人は帰宅の為、リビングから玄関先に向おうとしたとき、ペトラが何かを思い出したように
    父親に話し出した。

    「そうだ…! お父さん、私ね、水着のファッションショーに出ることになったんだよ!」

    「まさか、ペトラが…!?」

     ペトラの両親は予想さえしなかった娘の一言に言葉を呑む。二人のその表情に
    リヴァイは背中が凍る感覚がしていた。
     どうして反対しなかったんだ、と言われるものなら、リヴァイはすぐに断らせようとする――

    「ペトラ…やっぱり、辞退した方が――」

    「ほう…! 独身最後の面白そうな思い出が出来るじゃないか! 
    ペトラ、それはいつだい? 母さんと二人でビデオカメラを持って観に行くよ!」

    「……まさか、キッズサイズの水着のショーだったりしてね…!?」
     
     父親は反対どころか、ビデオ撮影をすると乗り出し、母親はイタズラっぽい笑みで半ば
    ペトラをからかう。ペトラは笑いながら、ショーの日付を二人に伝え、母親には
    ちゃんとした、大人の水着のショーです、と突っぱねていた。

    「もう、リヴァイさんからも何とか言ってよ! キッズサイズって失礼よね…!」

    「はぁ…」

     ラル家の明るい3人の会話にリヴァイは緊張で頬を強張らせるが、明るい家族に和まされ、
    自分も楽しい家庭を築けたら、と誓うことには変りない。 

    「ペトラ、じゃ…次会うときは、その水着のショーだな! だけど、ペトラ以外のモデルも楽しみだわ」

    「もう、お父さん! 何を言っているのかしら、もう、リヴァイさん、すいませんね……」

    「賑やかで…何よりです……」

     玄関先でペトラの両親に見送られたリヴァイは大きくため息をついた。相変わらず明るく
    楽しい両親だ、と思うが、毎回、ペトラの実家に来るとき、緊張感に包まれる。

    「リヴァイさん、ごめんね、お父さんが何だか変なこと言っちゃって……」

    「いや、明るくて好きだよ…俺はおまえのお父さんもお母さんも……」

    「よかった…!」

     ペトラは自分の両親を好きだというリヴァイを抱きしめたくなるが、その手をギュッと握る。
    手に汗をかいていることに目を見開き、ふっと笑うペトラにリヴァイは舌打ちする。

    「いいじゃねーか……緊張したんだし……」

    「ごめん、ごめん…! じゃあ、これから買い物に行こうよ、私の地元だし、いいお店、
    いっぱい知っているよ――」

    「わかった…」

     再び大きくため息をついて、リヴァイはペトラと手を繋ぐ。二人は来るリヴァイの
    DJイベントで着る衣装を探しにペトラが勧めるショップに行くことにしていた。
  44. 53 : : 2014/06/10(火) 13:12:32
     ペトラがお気に入りのファッションビルに入るリヴァイは年齢層の低さに舌打ちする。
     周りでは流行の服で着飾る学生らしき男女が多く占めていた。

    「ペトラ……ここ、場違いじゃねーのか…?」

    「何言っているの! そんなの気にしないの!」

     リヴァイの手を引いてペトラが入ったのは帽子を扱うショップである。
     異国の地から輸入したものや、作家の手作り1点ものなど、オーナーが集めたこだわりの
    帽子専門店だった。

    「帽子…か…だが、イアンさんはいつもイベントの時にベースボールキャップをかぶっている…」

    「そうえば、そうよね……もしかして、衣装とかがダブるのはダメなのかな…?」

    「いや、そこまで細かくはない…と思う……」

     歯切れが悪くリヴァイはペトラに答えるのは、これまで特別に衣装を気にしたことが
    なかったからである。
     だが、ペトラがイベントではカッコイ姿を皆に見て欲しい、と願うとリヴァイは渋々、
    買い物に付き合うことにしていた。

    「リヴァイさん、これなんかどうかな?」

    「ハンチング…か……」

     ペトラが選んだ帽子はハンチングである。レトロな雰囲気で帽子であり、天井が楕円形の
    幅が狭いデザインだった。
     色はダークグリーンでリヴァイが持っている服に合わせやすい色と素材である。

    「ほら、鏡があるし、サイズが合うか、かぶってみたら?」

    「あぁ…」

     鏡の前で、リヴァイはハンチングをかぶる。その鏡に映りこむペトラはリヴァイの背後で
    笑みを浮べていた。

    「帽子って…そういえば、今まで…買ったことない……」

    「へーっ…! そうなんだ、リヴァイさん…!」

     ハンチングを深くかぶったり、浅くかぶるなどして、リヴァイは自分が似合う被り方や
    角度がないか鏡の前で探っている。初めて見るその姿にペトラは自然にふふっと笑う。
     鏡の中のリヴァイが目深にかぶったハンチングのつばを片手で支えながらゆっくりと
    顔を上げた。
     これまで帽子の陰になって隠れていたリヴァイの鋭い眼差しが鏡に映ったとき、その眼差しに
    ペトラの心臓の鼓動が大きく跳ねる。

    (リヴァイさん……やっぱり…素敵……でも、これじゃ、またファンが増えちゃう…?)

     もしかしてハンチングが似合うかも、とペトラは想像して勧めていたが、予想以上に
    似合う姿にペトラは頬を紅潮させる。だが、リヴァイ目的の女性ファンがさらに増えたら、
    と不安に駆られてしまった。

    「ペトラ、俺…このハンチング、気に入った……よし、買おう……!」

    「あ、うん…すごく似合うよ…!」

     自分で勧めておきながら、ペトラは唇を強張らせ返事をする。リヴァイはそのままレジで
    清算した後、ペトラに妖しい笑みを浮べながら彼女の元に戻ってきた。

    「これで……俺のファンが増えたら……おまえ、どうする? ペトラ…?」

    「えっ…その……」

    「冗談だ、ペトラ……行くぞ、これは…もちろん、イベントのときにしかかぶらない――」

    「もう、リヴァイさんったら…!」

     ペトラの頭を軽くポンと触れ、リヴァイはペトラの手を再び繋ぎ、そのショップを後にした。
     愛らしい笑顔を取り戻したペトラはリヴァイの手のひらの温もりを感じて、彼女が好きな
    地元のカフェに出向くことになる――
  45. 54 : : 2014/06/10(火) 13:14:42
    「リヴァイさん、ここね、紅茶のスコーンが美味しいんだよ! 」

    「ほう…」

    「また気に入ったら、ハンジさんにお願いしてメニューに……あ、私がいつか作れたらいいかもね」

    「…そうだな」

     二人はメニューを見ながら、何気ない会話が楽しいと感じる。もちろん、リヴァイが
    オーダーするのは紅茶と、ペトラが勧める紅茶のスコーンである。ペトラはホットラテと
    チョコレートのアップルパイをオーダーしていた。二人が勤めるカフェのオーナー、
    エルヴィン・スミスからペトラの家庭の味を崩さず、カフェ『H&M』らしいアップルパイを
    作ってはどうか、といわれていた。

     そのため、珍しい『チョコレートのアップルパイ』をメニューで見つけては、
    ペトラは迷わずオーダーしていた。

    「ペトラ、アップルパイの研究はわかるが…ここに来てまで食わなくてもいいじゃないのか…
    仕事はもう忘れて……」

     ペトラを正面に見据えていたと思いきや、リヴァイは気がつけば、清潔感が気になり
    視線鋭くカフェ内を見渡していた。

    「リヴァイさんだって、仕事を忘れてよ! ここまで来て清潔感は気にしないの!」
     
    「まぁ…そうだな……」

     ペトラの笑みにリヴァイも右口角を上げて答える。二人がオーダーした品物がテーブルに
    並べられ、リヴァイが紅茶のスコーンを手に取ったとき、鼻を鳴らして笑う。

     頬張る姿にすぐにでもハンジに頼んでメニューにしてもらうかも、とペトラは踏んでいた。
     再びリヴァイがイベントで着る衣装の話になり、ペトラが今後のイベントでコーディネートは
    任せてと、意気揚々で答えていた。

    「これで、リヴァイさんが更に人気者になっても……可愛い子のところには行かないでよね!」

    「そりゃ、もちろんだ……だが、ペトラ、おまえより可愛い子がどこにいる…?」

    「もうっ…リヴァイさん…!」

     リヴァイの返事にペトラは頬を赤らめて俯いた。リヴァイの鋭い眼差と共に返す
    彼の冗談に、ペトラは咄嗟に理解できず口ごもっていた。

    (俺がおまえ以外の女のところに……行くわけねーだろ…)

     照れて頬を赤めるペトラに口元を緩め、リヴァイは伝票を手に取りそのまま二人はその
    カフェを出ることにした。

     ペトラの地元の街のメインストリートの日曜は歩行者天国をしている。その影響から
    多くの人で溢れているが、あるビルの前で行列が出来ていて、最後尾までの人だかりを
    二人は目の当たりにしていた。

    「そっか、この行列は……確か、この通りの路上で有名な占い師がいたんだっけ…」

    「ほう…まぁ、俺たちの身近に占い師はいるし……だが、占い師はそんなに人気商売なのか……」

    「イブキさんも確かに異国の地を巡るくらいだし、人気よね…でもこの人は昔から『あること』
    で有名なのよ」

    「……『あること』って…?」

    「突然、意識を失って独り言を言うことがあるらしくて……でも、それが占いとは別に
    予言めいていたり、とにかく何かを宣言するらしいけど、それがものすごく当たるんだって……。
    その後、本人も記憶がないみたいで…まぁ、噂なんだけどね……」

    「噂ね……」
  46. 55 : : 2014/06/10(火) 13:17:10
     行列を尻目に二人は歩いているが、リヴァイはペトラの話を聞きながら、人だかりから
    抜け出したいと、早足で歩いていた。最前列に近づいたとき、ちょうど占い師が占いの最中
    であったが、彼が突然立ち上がる――

     リヴァイとペトラの前に飛び出し、両手を広げ二人の前に立ちはだかった。

     自然の素材で出来た大きいサイズの白シャツと異国の地の民族衣装のような原色の
    カラフルなパンツをはいている、白く長い髭を蓄える占い師の目はうつろだ。

    「……よかった…本当によかった……あなたたち、本当によかったよ……」

     よかった、と強い語気を連発しながら涙する男から、リヴァイはペトラを庇うように
    彼女を背中に隠した。

     二人とも突如、目の前に現れたその男の行動に理解できず、唖然とするだけだった。

    「……前世で…あなたたちが結ばれる前、娘さん、あなたは…残念ながら、殺されてしまっんじゃが……おまえさん、その遺体を見つけたおまえさんの……計り知れない…無念と
    後悔が胸に渦巻いておった……その後のおまえさんの人生、娘さんを想って生きておったんじゃ……
    で、生まれ変わった今生で、出会ったあなたたちは自然に惹かれおったはずじゃ……
    本当にもう一度出会えてよかった、よかった……」

     涙と共にその占い師が話す眼差しはうつろで、リヴァイはどうやら、自分たちのことを
    言っているらしいと理解するが、刺すような眼差しでその男を見つめていた。

     占い師の男は身体が足元からふらつき、次第に、彼は我に返る。

    「あれ……すいません、お二人とも……私は絆が強いカップルを感じると、突然何かを
    口走るらしいんです……すいません、無意識な行動とはいえ、失礼しました……」

     意識が戻った占い師は弱々しい口調で二人に謝る。自分でも理解しがたい行動が突然
    起きるため、迷惑をかけた、と何度も頭を下げていた。リヴァイとペトラはこっちだって、
    理解しがたい、と言いたげだが、二の句が継げなかった。

    「やっぱり…噂は本当だったんだ…! でも、これって何年かに1度しか見られない現象ってのも噂かな…?」

    「――すごい! この二人は結ばれるべきカップルなんだね…!」

    「羨ましいよ! 私もこの二人みたいな出会いが欲しいよ~!」

     行列を作る客たちから不可思議な眼差しを浴びせられるリヴァイは舌打ちして
    ペトラの手を引きながら逃げるようにその場から立ち去った。

     後ろを振り返り行列が遠くなったとき、ようやく足元を緩めるが、鋭い眼差しには変りはない。

    「リヴァイさん、何だかビックリしちゃったね……だけど、噂は本当だったんだ…」

    「意味わかんねーよ、ホントに――」

     息を整えながらリヴァイは正面を見据える。その手のひらにはペトラの手がもちろん繋が
    れたままである。

     今度はどこに行こうか、とペトラが話しかけてくるが、その声が遠く感じていた。
     眉間にシワを寄せるリヴァイはその占い師が言うことに心当たりがあり、二人で過ごしたこれまでの日々を思い出していた。

    (確かに…初めてペトラと会ったとき、困っている姿から…救わなければ…と咄嗟に思った――)

     ペトラと出会う前に大切にしていたローズには徐々に惹かれていて、ペトラのように
    『一目ぼれ』に近い感じではなかった。そのことを思い返すリヴァイは急に立ち止まる――

    「リヴァイさん、どうしたの…? 突然、止まって…? あっ――」

     街中でリヴァイは歩みを止め、ペトラを突然抱きしめた。行き交う人の目を気にせず、
    リヴァイはペトラを抱きしめずにはいられなくなっていた。

    「ペトラ……あの占い師の…あいつの言うとおりかもな、俺達は……出会うべく……」

    「私もそう思うよ…リヴァイさん――」
  47. 56 : : 2014/06/10(火) 13:17:48
     リヴァイが街中で抱きしめてきたことに最初は戸惑っていたが、ペトラは彼の温もりに
    包まれながら、それは些細なこと、と気にせず身を任せていた。

     その時、リヴァイがゴクリと唾を飲み込む声が響いて、ペトラは彼の顔を見上げる。
     リヴァイは目の前にあるシティホテルを鋭い視線で眺めていた。彼の気持ちに気づく
    ペトラはリヴァイの手を強く握る。

    「リヴァイさん、買い物は…ほとんど済んだし、今日はもう帰ろうよ……」

    「あぁ…そうだな…もう帰るぞ――」

     手を強く握り返すリヴァイの目は少し前まで鋭かったはずなのに、すでに和らいでいた。 
     ただペトラを大切にしたいと一心に願うリヴァイの手は温かくペトラを包む――

    (前世とかが…本当にあるのなら…俺たちはずっと繋がっていて……それが今でも強いのか……)

     愛らしい眼差しのペトラに衝動的にキスしたくなるリヴァイだが、それは帰ってから、と
    右口角を上げていた。

     人目を気にせず不意打ちのように、ペトラがリヴァイの頬にキスをする。
     ペトラが人前でする初めての大胆な行動に視線鋭く彼女を見つめても、心底嫌ではなく、
    ただ右口角は上がりっぱなしでリヴァイは家路に着いた。
  48. 62 : : 2014/06/19(木) 10:10:05
    ⑪DJイアンとのコラボイベント(#1)

     クラブ『FDF』のオーナーのエルヴィン・スミスとDJのリヴァイはイベントの打ち合わせで、
    イアン・ディートリッヒに会うため、彼が経営する居酒屋に来ていた。その日、妻のローズは
    子供たちと実家に帰っていて、リヴァイと顔を合わせることはなかった。
     すでに彼女との出来事が過去が思い出になっているリヴァイにとってローズが留守であろうと
    大したことではない。

     リヴァイとイアンが案を搾り出した結果、いつものスクラッチプレイの後、
    リクエストを募ったナンバーを繋げて回していこう、とアイディアを出す――

    「リヴァイ、確か…おまえは、リクエストってあまり受けたがらないんじゃないか……?」

    「あぁ…そりゃ、普段はそうだな……イベントのときは構わない」

     イベントのメモ書きに視線を落とし、リヴァイは無表情でエルヴィンの問いに答える。
     彼なりに緊張しているのかと、昔からの馴染みのイアンは目を細め、鼻を鳴らして笑う。

    「昔からそうだよな…! 一度、音の流れを決めたら頑なに変えたがらなかったな…!」

    「……そうでしたね…」

     クラブ『FDF』でリヴァイがプレイするとき、リクエストはジャン・キルシュタインにブースを
    譲るときに任せている。
     一度、流れを決めたら一向に変えないのが彼のスタイルである。それでも、多くの常連客から
    リヴァイのセレクトで踊るのは楽しい、という声も聞かれ、互いの利害に一致しているような
    ものである。
     それでも、リヴァイはイアンと出し合ったアイディアを柔軟に受け入れていた。

    「――じゃあ、これまで通り、前半は…スクラッチプライで魅せて、
    その後、リクエストで募ったナンバーを回す、ってことが最終決定でいいな?」

    「はい、俺もそれでいいと思います……」

     DJの二人が話す最中、エルヴィンはその内容を自分のシステム手帳に記録しているとき
    ふと、ペンが止まる。

    「リクエストって……ネットで募った方がいいのか…?」

     首を傾げるエルヴィンにリヴァイは彼の目を見据える。

    「いや…当日、並んでいる客から募ろう……その方が緊張感も高まる」

    「リヴァイ! 俺は最近の曲は知らんぞ! 大丈夫か…?」

    「その方が……イアンさんの腕の見せ所ですよ……まぁ、今から…調べるのもアリですから――」

     エルヴィンはかつての『師匠と弟子』のやり取りに右口角を上げる。
     どんなイベントにするか、二人の次第であるが、経営者としてそれの存続については
    自分次第、と考えると、ペンを握る手に力が入るようだった。
     リクエストはジャンル、年代を問わずディスコやクラブで流行ったナンバーを当日のファンから
    募ることになる。もちろん、自分たちが持っている曲に限るが、その曲ははだいたい自分が
    持っているだろうとリヴァイは踏んでいた。
  49. 63 : : 2014/06/19(木) 10:12:07
     その日からリヴァイは仕事から帰ると、レコードコレクションの部屋でこもり、リクエストで
    選ばれそうな曲を彼なりに選んでは練習する日々が続いていた。

    (リヴァイさん……頑張れ…!)

     彼の大切な存在であるペトラ・ラルは毎夜、真剣な背中をそっと見つめ、
    紅茶が入ったポットをテーブルに置いて就寝していた。リヴァイはペトラの気遣いに
    感謝しつつ、イベント前夜まで練習に全力を注いでいた――

     そしてイベント当日の夜――。ペトラはもちろん、リヴァイの練習の成果を楽しみにしていたが、
    いざ『FDF』に来てみると、女性ファンの多さに唇を強張らせていた。

    (リヴァイさんって……こんなに人気があるんだね……やっぱり、私のこと…知られたら
    マズイのかな……)

     『FDF』の常連らしき女性が、リヴァイのプレイのかっこよさを友達に熱弁したり、彼が立つ
    ブースに惚けた表情で見つめる客もいる。もちろん、DJファンの男性もいるが、リヴァイの
    ファンの多さにペトラは嬉しい反面、その日はリヴァイを陰ながら見守ろうと奥歯噛み締めていた。
     
     控え室として使っている従業員専用のロッカールームではDJの二人が最後の打ち合わ
    せをしている。
     当日のイアンはいつもの通り大きいサイズのポロシャツにジーンズを履いていて、今回は
    ニット帽を被り、もちろんリヴァイと衣装がダブることはない。
     リヴァイはハンチング帽のツバを後ろ向きにして、白いシャツの第2ボタンまで外し、上から
    着ているベストの前ボタンを全て外している。カジュアルにまとめているが、ペトラから
    初めてプレゼントされたあの片翼がクロスするピンブローチはベストの襟元で輝いている。

    「リヴァイ、おまえの今日の服……ペトラさんのコーディネートだろ…?」

    「えっ…まぁ……」

     打ち合わせ中にイアンが頬をかすかに緩め、服の話題を出すことにリヴァイは口ごもってしまう。
     古い付き合いのイアンはリヴァイの態度で図星だと確信していた。

    「まぁ…俺ももちろん、ローズが選んでくれた…このニット帽はヘッドフォンしながらだと
    頭が蒸れて熱くなるだろうからって、薄い生地のサマーニット帽だとよ……
    さすが、DJやっていただけあるよな、こういう気配りもできる、あいつは――」

    「…俺もペトラが……」

     イアンが自分の妻であるローズのことを話し出したとき、リヴァイが思わず口をついた名前が
    ペトラで、眉根を寄せる。その顔にイアンは声を上げ愉快そうに笑った。

    「硬派なおまえが変るものだな……!」

    「…はい…今の俺は……あいつの支えで成り立っていますから――」

    「まぁ…俺もそうだ…互いに愛する人の支えで生きている…そんなもんだろう……で、
    今の俺のローズは、こんな感じだ」

     おもむろにスマホを取り出すイアンはリヴァイに画像を見せる。それは臨月でお腹がまん丸で
    そのお腹に耳を当てるイアンと子供たちである。幸せな家族像にリヴァイは自然に笑みが零れる。

    「おまえもいずれこうなるよ…! 楽しみにしている、リヴァイ」

    「…はい」

     リヴァイと古い付き合いであるイアンはペトラと付き合うようになって、彼が以前に比べ、
    かすかに微笑むような気がしていた。それも幸せの賜物かと感じるとイアンも自然に笑みが零れる。
     イアンが妻のローズに結婚前提で彼が同棲を始めたことを伝えとき、妻は素直に喜んでいた。

    『へーっ! リヴァイ! よかったじゃない! ペトラさんとすごくお似合いだったしね……
    そうだ、パパ! イベントの今度の衣装、どうしよっか? リヴァイよりもカッコよく見せなきゃ……』

     イアンは家のリビングでリヴァイの話題を出したことを思い出す。リヴァイの話を聞いて、
    それをキッカケに自分のことを気にかける優しい眼差しに幸せと感じる。
     ローズの笑みを見ていると、リヴァイとの過去は完全な過去であり、思い出に変ったのだと
    実感していた。 
  50. 64 : : 2014/06/23(月) 10:28:12
    ⑫DJイアンとのイベント(#2)

     クラブ『FDF』の出入り口の前では、リクエストを募るため、ジャン・キルシュタインが客に対し、
    手のひらに乗るくらいの小さな用紙を配っていた。

    「DJリヴァイ、またはDJイアンにお願いしたい、お好きなダンスナンバーを
    お一人様、1曲だけ書いてください! このリクエストをうまく繋げて回しますから――」

     ジャンは用紙とペンを並んでいる客に配る。自分のリクエストをリヴァイが回してれるかも、
    と考える女性客は自然に頬が綻ぶ。
     だが、リヴァイやイアン・ディートリッヒを昔から知るであろう客たちが細める眼差しは妖しさが宿っていた。

    「リクエストか……イアンさんたち考えたな……」

    「だな、じゃあ……繋げるには難しい曲にしようか? 確か、イアンさん
    『これが流れれば、一部のコアな客しか踊らない、でも好きなんだよな』って言っていたヤツ…それ覚えているか…?」

    「えっと、あれは確か――」

     ジャンの耳にこの二人の客の会話が飛び込んでくると、喉を鳴らして息を飲んだ。

    (昔からの…知り合いだったら、一体、どんな曲を…? でも、あの二人だったら……きっと、
    うまく回せるだろう――)

     リクエスト用紙を配ったり、回収しながらジャンはペトラ・ラルも並んでいることに気づく。

    「あぁ…! ペトラさん、どうして…? 関係者として入ればよかったのに…!」

    「私はリヴァイさんの勇姿をファンとして見たいの…! でも関係者として私が来ると
    思ってるみたいで…でも、内緒ね…!」

     ペトラは内緒、と言いながら唇をすぼめ人差し指をあてがう。その明るい笑みに心臓が
    大きく跳ね、リヴァイはこの笑顔を毎日見ているのか、と思うと羨ましい気持ちがジャンの
    心に溢れそうになった。

    「じゃ…ペトラさん、リクエスト書いてくださいね……また後で回収に来ますから――」

    「はい! それじゃ、後ほど…」

     リクエスト用紙を手に取るペトラは首を傾げていた。曲は何にしようか迷っている
    自然な仕草がいちいち可愛い、と感じるジャンはため息と共に本音を小さくつぶやく――

    「俺も…彼女が欲しい……」

     街コンで声を掛けられた二人の女性客はあれから何度か『FDF』で会っていたが、
    マルコ・ボットは楽しげに話しているのに、ジャンは忙しさを理由にあまり話せなかった。
     ただ彼女たちを前に笑みを絶やさないマルコを見ながら自分も積極的に、という
    気持ちもあればリヴァイのプレイを目の前で見ていたら、釘付けになり、結局は女性と
    話すことを逃していた。 ジャンが用紙を配る姿にあっ、と声をあげ、気持ちが浮き立つ
    女性客が彼に話しかける――

    「もう、ジャンったら、そんな浮かない顔してどうしたの…?」

    「んっ…? あぁ…二人とも来てくれたんだ…!」

    「うん、だって、リヴァイさんのイベントってすごいんでしょ?」

    「そう…なんだ――」

     ジャンに声を掛けてきたのは街コン以来、話すようになっているあの2人の女性客だ。
     だが、リヴァイ目的なのかと知ると、再びジャンは視線を下げた。

    「あれ? どうしたのよ! 私たちは確かに今日のイベントも楽しみだけど、
    ジャンとマルコと話したくてここに何度も来てるんだからね――」

    「ちょっと…! ここでハッキリ言わなくても…!」

     二人は照れて頬を緩め、ジャンを見上げていた。二人は清楚な雰囲気で、
    その内の一人が着ているブラウスは襟元で揺れる細く長いリボンが目立っていた。
     二人の顔はまともに見られないが、ブラウスのリボンを眺め再びジャンは緊張感から
    喉を潤すようにゴクリと唾を飲み込む。

    「それじゃ…二人とも……イベントが終わったら、少し話そうか…? マルコも中にいるし…」

    「えっ…いいのー? ジャンからの初めて誘われたよ…! それじゃ、ジャンも頑張ってね!」

    「――うん、ありがとう…」

     伏目がちのジャンはリクエスト用紙を配り終え、回収するが、その時の彼の頬は緩みっぱなしだった。
     クラブの出入り口ではマルコが客を誘導しているが、二人の女性客からイベントが
    終わったら、ジャンと4人で話そう、と言われもちろん彼も大歓迎と、笑顔で返していた。
  51. 65 : : 2014/06/23(月) 10:32:48
     フロアではオーナーのエルヴィン・スミスが客の入りに目を見張りながら、今回も大入りで
    安堵していた。だが、DJ二人の馴染み客が今回、どのようなリクエストをするのか楽しみであり
    気がかりでもある。
     もちろん盛り上がりを落とさずにリクエストに答えられることが2人の見せ場であることに
    変りはない。
     エルヴィンがジャンに向かい、リヴァイとイアンを呼びに行くよう頼むが、彼の顔が緩んでいることに
    このイベントが余程の楽しみだと感じていた。確かに尊敬するDJ二人のイベントは楽しみだが、
    やはり、今のジャンにとっては予想外に気になる女性客と話せる機会を与えられたことに喜びを感じていた。

    「リヴァイさん、イアンさん! お疲れ様です、準備をお願いします…!」

    「あぁ…わかった――」

     大きく深呼吸するリヴァイに目を見張るが、彼が被るハンチングに視線を送り、
    きっとペトラが選んだのだろう、と想像を巡らせていた。

    「ジャン、やっぱり…リヴァイの帽子、気になるか…?」

    「え、まぁ…ペトラさんが…?」

    「そう、コーディネートしてもらったんだとよ…!」

     リヴァイの後ろを歩くイアンとジャンは並行してブースに向うが、二人の声が届かないくらい、 
    緊張感で全身が凝り固まっているようだった。

    「イアンさん、リクエストですが、今、用紙をまとめていますので、また後でお持ちします」

    「よろしく頼む! ジャン、それじゃ、行ってくる――」

     尊敬する二人のDJを見送るジャンはいつか俺もコラボが出来るようになりたい、
    その胸に誓うと、右手でシャツをギュッと握っていた。
     2人がブースに現れ、歓声と共に迎え入れられるが、イアンは愛想よく手を振ってもリヴァイだけは
    手早くレコードを手に取り、ターンテーブルへ設定していた。その彼の後姿にイアンは鼻で笑う。

    (……緊張しているな…… まぁ、リヴァイ、いつも冷静なおまえが緊張している姿を
    見られるのはある意味貴重だな――)
     
     この日はリヴァイが最初にブースに立ち、一曲目にセレクトしたナンバーはHouse of pain の
    jump aroundである。
     この曲のPVを初めて彼が見たとき、棺桶を数人の男たちが運ぶ様子に眉をしかめていた。 その光景に訳もなくなぜだか苛立ちを覚えるがだが、リヴァイにとってお気に入りの1曲である。
     イントロの車の急発進したような、はたまた馬の鳴き声のようなサンプリングを何度もループしては
    2枚使いのジャングリングを始めた。

    「リヴァイ…さすが…! 前回より動きが鮮やかじゃねーのか…?」

    「だな、指先の動きが細やかになっているような……?」

     DJ2人の昔からの友人たちはリヴァイの動きの変化に気づく。8ビートの中でも小刻みに
    フェーダーを動かし身体を左右に何度も移動させる。その動きから放たれる音にフロアは
    飲み込まれる。
     リヴァイはこの日のために練習を重ねた成果は長い付き合いの友人たちには気づかれるも
    彼を目的とする女性ファンはその指先に恍惚とした眼差しを送っていた。

     リヴァイがフロアの熱を上げたまま、イアンにブースを譲る。もちろん、彼もリヴァイから
    引き継いだナンバーから、フェーダーを指先で操り、さらなる熱がフロアを包み込んだ。
     ブースを譲った直後、リヴァイはハンチングを右手に取り、少し浮かすと、左手ですくように
    前髪に触れた。顎を上げ空(くう)を見上げるように再びハンチングを被る仕草を女性ファンは
    見逃さなかった。

    「ねぇ? 今のリヴァイ、見た…? すっごくカッコイイ……!」

    「うん…もちろん、見たよ! あの鋭く見上げる目線、もし私を見ていたら、気絶しちゃっていたかも――」

     リヴァイの女性ファンたちは互いに耳打ちをしながら話す。
     視線はリヴァイに向けられたままで、その先にリヴァイがいることをイアンが気づく――

    (リヴァイ……俺のプレイのときは……余計なことはしないでくれよな――)

     自嘲の笑みをイアンは浮かべるが、もちろん、彼の古参ファンからは相変わらずの
    『巧みな技』に関心と同時に尊敬の眼差しが注がれていた。

     DJ2人のそれぞれのショーが終わり、一旦休憩を挟む為、控え室に向うと、ジャンが緊張の
    面持ちで2人を出迎えていた。
     
     2人は息を飲みながら、リクエスト用紙を受け取る。それぞれにプレイして欲しいナンバーに
    視線を落としていると、リヴァイはあるリクエストに鼻を鳴らして笑う――
  52. 66 : : 2014/06/23(月) 10:32:58
    「ペトラのヤツ……この曲、気に入っているんだな――」

    「えっ……どうした、リヴァイ…? あぁ、この曲ね……」

     リヴァイの手中のリクエスト用紙を覗き込むイアンもふふっ、と笑い声を漏らす。
    またその用紙の隅に『リヴァイさん、ファイト!ペトラ――』と彼女の文字に自然に頬を緩めていた。
     
    「リヴァイ……俺の知っているクールなリヴァイは…どこに行ったんだろうな…?」

    「いや…その――」

     半ばからかい、リヴァイの肩を軽く触れるイアンも笑みを浮かべる。リヴァイは珍しく目を
    宙に向けて動かし、深いため息をついた。

    「まぁ…幸せなのはいいことだ…! それから、俺に対して、この曲のリクエストが
    来ていたんだが…おまえのラストの後、俺がトリでいいか? 今のおまえとペトラさんに
    お似合いの曲だと思うんだが――」

    「あ…まぁ…打ち合わせと違いますが……イアンさんが言うなら、その流れで行きましょう…」

     リヴァイはイアンの手中の、とある曲名を黙読して、うなずいて理解の意思を示す。
     改めて2人に寄せられたリクエストのナンバーを確かめ合い流れを決め、そのままフロアに戻る。
     またジャンにペトラが来ていたことを話すが、リヴァイは関係者として入れればよかったのに、と言うが、特に咎める様子はなかった――。見送る背中にジャンは少し首をかしげる。

    (もしかして、ペトラさん……あの曲をリクエストしたいから、リヴァイさんに内緒に来ていた……?)

     緊張の面持ちであったはずなのにブースに近づくリヴァイの背中は自然に背筋が伸びる。
     もらったリクエストを叶え、来てくれた客を喜ばせたい気持ちで緊張感も宿るが、
    ただ視線は鋭いままフロアにいるであろうペトラを無意識に探していた。
  53. 67 : : 2014/06/26(木) 11:53:01
    ⑬DJイアンとのイベント(#3)

     再びDJイアン・ディートリッヒとリヴァイがブースに戻り、どの曲から始めるかレコードを
    ラックから探し始める。またイアンは持参したレコードにもリクエスト曲が含まれていて
    ホッと胸を撫で下ろしているが、最新のナンバーはリヴァイのレコードコレクションから拝借
    することになっていた。

     イアンがリクエストされたナンバーから懐かしい時代をからさかのぼり、
    最新のナンバーに到達したとき、またリヴァイが新しい曲から逆行していく、という構成にしていた。
     最初にブースに立つイアンに彼の古参ファンは自分たちのリクエストが採用されるか、
    含み笑いをしながら、イアンを見つめていた――

    (まったく…あいつら……)

     自分のナンバーで酔いしれる姿の中に妖しい眼差しに気づくイアンは頬を引きつらせる。
     その時流れているナンバーの終わる頃、イアンはボリュームを絞る。
    通常、曲の最後はクロスフェードして次の曲に重なるようにカットインするはずだが、イアンは
    まるで当てつけのようにリクエストされた曲のイントロから流す。一定のリズムを刻むドラムの音に
    イアンの古参ファンはもろ手を挙げて喜び、そのドラムのリズムに身体を上下に揺らし始めた。

    「イアンさん……! この曲で久しぶりに踊るよ!」

     彼等がリクエストしたのはDepache ModeのPersonal Jesusである。同じグループで踊りやすい
    ダンスナンバーもあるはずだが、あえて一定のドラムの低音を終始響かせるこの曲を選んでいた。
     イアンはこの曲を避けるつもりはないが、現役当時、フロアが盛り上がっている最中、
    この曲を流したとき、フロアから離れる客を何度か見ていた。だが、踊り続ける客もいる。
    好みが両極端なのか、という印象をイアンは持ち続けていた。
     案の定、リヴァイ目的のファンはこのナンバーに戸惑い、少しポカンとした顔で踊ったり
    立ち止まったり、まるで淀んだ空気が圧し掛かっているようだった。

    「イアンさん、この曲は客層を注意しないと、盛り上がらないって言っていたよな!」

    「ホントだよ…! リヴァイのファンは踊りにくそうだな……ってことは…この曲はここでは
    初めて、ってことか…?」

     イアンの古参ファンたちは耳打ちしながら話すが、笑いっぱなしで踊っている。
     その姿にイアンは苦笑いで彼等を見つめていた。

    (あいつら……わざと、リヴァイのファンが多い中、この曲を選んだんだろう……)

     イアンは満足したか、と彼等に言いたげにこのナンバーを終え、今度はリヴァイの
    ファンたちが踊りやすいナンバーを選び、再びフロアをファンたちの熱で包んでいった。  
     リヴァイは自分の出番の前まで、イアンがブースに立つ最中、リクエスの曲を探す為に
    レコードが収められたラックの前で、音に乗りながら身体を揺らしていた。普段のリヴァイは
    音に乗ることはない。
     イアンとのイベントは自分の実力を高めるだけでなく、DJとして楽しめる時間を与えられている、
    という感覚がしていた。
     リヴァイは背をファンには背を向けて音に揺れるが、その姿に彼のファンはさらにときめく。
     またイアンはその彼女たちの視線の先に再び気づく――

    (リヴァイ…頼むから……余計なことはしないでくれよ……俺の出番のときは――)
  54. 68 : : 2014/06/26(木) 11:54:12
     イアンは顔を横に向けながら、視界の端に映るリヴァイを呆れ顔で見ていた。
     ブースを譲られたリヴァイはイアンがセレクトしていた最新のエレクトロダンスニュージック
    から再び時代をさかのぼってゆく。
     二人は短時間でリクエストの曲を吟味しては偏らないセレクトでブースを沸かせていた。
     リヴァイはリクエストされた曲で、かつての仲間たちとよく聴いていた1曲があり、
    レコードを手に取ったとき、鼻で笑っていた。

    (ここに来ているヤツがこの曲をリクエストしたのか……まさか、あいつらか――)

     この1曲でリヴァイはこれまでの仲間たちの顔が浮かぶ。
     エレキギターの低音のイントロがフロアに響きだすと、リヴァイの笑みはだんだんと
    妖しい色に変っていった。
     EminemのLose yourselfはリヴァイのお気に入りの曲で、イントロを聴いただけで、
    割れたガラスの尖りのような、鋭い何かが自分の中で蘇る気がする。
     それは遠い遠い昔の出来事、必死に空を飛びまわっていたあの頃を思い出しそうになる。
    今のリヴァイにとって幻のような過去よりも、自分のプレイで夢中になって踊るファンの姿に
    どうしたらも自分のセレクトにもっと熱を上げてくれるのか、と巡る考えに笑みは妖しいままだった。

    「リヴァイ、なんだか…目が鋭くてちょっと怖い……それでも、カッコイイ…」

    「ハンチングも似合ってるし……私は…どうしたらいいの、もうっ――」

     手元のレコードとフロアに目配せする射るような眼差しは、彼女たちの心も大して
    手間も掛からず、簡単にリヴァイに射抜かれていた。
     リヴァイが選んだ最後の曲はもちろん、LimeのSentimentally yoursである。
     切ないシンセのイントロのはずが、リヴァイの大切なペトラ・ラルはうっとりとしたような眼差しで彼を見つめる。
     もちろん、その眼差しにリヴァイは気づき、柔らかい笑みをペトラに返していた。
     いつものイベントなら、スローなナンバーを1曲で終えるはずなのに、イアンが再びブースに戻る姿に
    フロアの客は首を傾げるが、最後の最後のナンバーに特に女性客はうっとりとして唇を緩めるようだった。

     イアンがリヴァイとペトラに贈りたいと最後に選んだのはStevie WonderのFor your loveである。
     リヴァイはイアンがブースに立つ後ろ姿にいい曲を最後に持ってきた、と腕を組みながら納得する。
     同時にこの曲の歌詞が脳裏を過ぎると、組む腕に力が入った。

    ――君の愛のためなら、何だってするよ、君の笑顔を見るためだけに……
     
     すぐさまリヴァイはフロアのペトラを見るが、心なしか涙ぐんでいる気がする。
     彼女の笑顔が自分に幸せな安堵感を与え、さらに幸せにしたいとリヴァイは誓う――

    (ペトラ……いつまでも、一緒にいよう……)

     ブースでは険しい眼差しが多いはずのリヴァイはこの時ばかりは、フロアを包む
    優しい歌声が彼の心に溶け込んで、自然に穏やかな笑みを浮べていた。 
     もちろん、その夜のDJイベントも大成功で終演を迎えるが、リヴァイの女性ファンは
    鋭い眼差しだけでなく、優しい彼の眼差しにも惚れ惚れとして、毎回、このイベントに参加しようと
    決めていた。
  55. 71 : : 2014/07/01(火) 11:30:35
    ⑭約束しよう

     DJリヴァイと彼の師匠であるイアン・ディートリッヒはクラブ『FDF』のロッカールームで
    缶ビール片手に祝杯を上げていた。
     互いに感想や反省点、次回に向けての意気込みをほろ酔いの心地よい気分で話しているとき、
    ロッカールームのドアがノックされそのまま開かれると、そこにはジャン・キルシュタインが
    立っており、その後ろにはペトラ・ラルがひょっこりと彼の背中から顔を出す。
     ペトラはリヴァイを驚かすつもりで、ジャンの後ろから顔を出したつもりだった。
    だが、その笑顔はリヴァイを安堵させ柔らかい笑みを浮べさせる。

    「リヴァイ、俺は…邪魔者みたいだから……先にフロアに行っている――」

     イアンはペトラとすれ違うようにジャンと共にロッカールームを後にした。
     後ろ手にドアを閉めるイアンだが、古い付き合いのリヴァイの幸せそうな姿に自分の
    ことのように嬉しくなる。

    「ジャン、おまえにも…いい出会いがあるといいな……」

    「えっ……まぁ…」

     フロアに向いながら、イアンはジャンの肩に軽く触れ、出会いがあるように願う。
     ジャンがイアンに対して、ファンの方が待っています、と話しながらフロアに顔を出すと
    そこに待っていたのはマルコ・ボットとあの2人の女性客だった。

    「ジャンったら! もうっ!どこに行っていたの!? やっと4人で話せると思っていたのに――」

    「えっと……ごめん」

     フロアで待っていた女性客の一人がジャンの顔を見るなり、弾けるような笑顔で彼の両手を握る。
     ジャンは驚き身体を一跳ねさせ、紅潮する頬は引きつっていた。

    「ジャン、待っていたのは……おまえのファンじゃねーか……!」

    「イアンさん、すいません! その――」

    「まぁ、冗談だ…! 早速出会いがあってよかったな……!」

     イアンはジャンの肩に軽くポンと触れそのまま4人から離れることにする。
     直後、俯き加減のジャンは手のひらで首根っこを支えるが、もちろん、頬は紅潮させたままである。

    「――イアンさん、今回も大成功です!」

     フロアのイアンを見つけすかさず話しかけたのはもちろん、オーナーのエルヴィン・スミスである。
     その声にイアンは立ち止まり少しだけ疲れた笑みを浮べるが、充実感で溢れていた。

    「ありがとうございます…定番のイベントになりつつあるので、毎回が勝負ですよ」

    「そうですね……ところで、リヴァイは…?」

    「今、ロッカールームにいますよ」

    「えっ…? 一人で何を……?」

     眉をしかめるエルヴィンにイアンは鼻を鳴らして笑った。

    「もちろん、大切な人と一緒ですよ!」

    「なるほど……!」

     エルヴィンはイベントが終わり、常連客やファンに挨拶をしながらフロアを回っていてもペトラに
    会わなかったため、その理由に合点がいくと頬が緩む。

    (リヴァイとペトラさんは…今頃……だが、俺は最近、イブキと会っていない……)

     エルヴィンは彼の大切な存在のイブキのことを考えると思わずため息を漏らした。互いの
    多忙もあれば、イブキは水着のショーに向けて、時間があればアパートの階段を駆け上がり、
    身体を鍛えていた。

    「エルヴィンさん、どうしたんですか?ため息なんかついて? まさか、恋人とケンカとか…?」

    「いやぁ…」

     エルヴィンはイアンの冗談に照れて頭を掻いて首を傾げる。イベントに集中していたが、
    イブキの話をされると、早急にでも会いたくなる気持ちが募っていた。一呼吸置いて、再びイアンに話し出す。

    「仲はいいんですが、忙しくて……会えないだけないですよ――」

    「そうだったんですか…! まぁ…みんな、大切な人がいるから、頑張れるんですよね……」

    「はい、まさにその通りです」

     2人が笑みを交え談笑していると、イアンの数人のファンも交え、会話を弾ませていた。
     その一人からローズは元気か、と話すとはハッとイアン目を見開いた。

    「そうだ、ローズ…! すいません、エルヴィンさん…ウチのカミさん、臨月でいつ産まれても
    おかしくないんで…今日はこれで失礼します、また次回、よろしくお願いします!
    それに…リヴァイにもよろしく伝えてください――」

     イアンはエルヴィンに早口で挨拶して、帰る支度をするとそのままファンに見送られフロアを後にした。
  56. 72 : : 2014/07/01(火) 11:33:29
     イアンとジャンがロッカールームを離れた直後のリヴァイは、ペトラをロッカールームで抱きしめていた。

    「ペトラ…おまえがいてくれてよかった……いつまでも一緒にいると約束する…
    俺はおまえが心から笑顔になれるなら、何でもするよ……ペトラ、いつまでも俺のそばで
    笑っていてくれ――」

     抱きしめられながらペトラはリヴァイの力強い言葉が身体に染みる感覚がすると、
    彼の背中に絡まる手が強くなっていく。

    「もちろんだよ、リヴァイさん……私だって、いつまでもそばにいるから……」 

     顔を上げるペトラは涙ぐんでリヴァイを見つめる。2人は自然に互いの唇を求めるが、
    次第に音を立てるほど激しくなる。
     突然のことで戸惑うペトラは彼の唇から苦しそうな息遣いで、一旦離れた。

    「リ、リヴァイさん……ダメだよ、ここではこれ以上――」

     リヴァイはペトラの抗いを許さないように唇を求める。その夜のイベントの成功で興奮した
    だけでなく、ペトラへの気持ちが最高潮に達した感覚がしていた。
     リヴァイがペトラのシャツに手を伸ばした瞬間、ロッカールームのドアが数回、力強くノックされた。
     我に返ったリヴァイはペトラは抱きしめながらドアを見つめる。
     そのドアの向こうに立っているのはもちろん、エルヴィンだった。

    「リヴァイ、お楽しみ中、悪いが…イアンさんは奥様のお身体が気になり、もう帰った……
    よろしく伝えてくれだと……それだけだ、じゃあ……続きを…お楽しみ…にっ…」

     エルヴィンの後半の声は笑いが堪えきれないようで、半笑いで徐々に小さくなってゆき、
    そのままドアの前から離れていった。
     その声にリヴァイはペトラを抱きしめながら舌打ちして彼女の顔を見ると、
    突然のエルヴィンの襲来で顔を赤らめていた。

    「もう……オーナーったら…ビックリしちゃうね――」

    「まぁ、イアンさん……奥さんが臨月なら、仕方ないだろう」

     自分が何度もキスをした影響で少し赤く腫れたペトラの唇に再び優しくリヴァイが
    キスをしながら、強く抱きしめる。リヴァイはペトラの耳元にささやく様に話し出す。

    「ペトラ……水着のショー、もう直ぐだが……俺に何か手伝いができることはないか?
    今度は俺がおまえを支える番だ……」

     その言葉にペトラは嬉しくてリヴァイの顔を見上げ、笑みを灯す。

    「リヴァイさん、何もないよ……でも、お父さんもお母さんも見に来てくれるし……
    一緒に見てくれたら、嬉しいな――」

    「えっ……ああぁ、そうか…わかった」

     ペトラの願いに緊張感が走るリヴァイはペトラをさらに強く抱きしめ、痛い、と言われようやく離す。

    「ペトラ、ごめん……この続きは……帰ってから…なるべく早く帰る」

    「うん…! それじゃ、リヴァイさん…ウチで待ってるから…」

     リヴァイは後ろ髪を引かれる思いでペトラを誰にも見つからないように注意して帰宅させた。
    フロアに戻ったリヴァイはエルヴィンを見つけると足早に彼の元へ行き睨みつける。

    「オーナー…携帯にでも…メッセージを残せばよかったんじゃねーのか…」

    「あぁ! そういう方法もあったな…お邪魔してしまって、悪かった――」

     尖った声を耳にしてもエルヴィンは悪びれる様子も無く、半笑いに答える姿に舌打ちするが、
    リヴァイは『あること』を思い出して目を見開いた。エルヴィンの大切な存在であるイブキが、出張から
    帰るとすぐに『FDF』に来たことがあった。
     エルヴィンがイブキをロッカールームへ連れ込む姿をリヴァイは見逃すことはなく、
    忙しいのに、何をしているんだと、すぐにロッカールームのドアをノックしていた。
     またエルヴィンの『まだキスもしていない』という、うろたえる声も聞き逃していなかった。

    「オーナー…あの時の仕返しか――」

     宙を見ながら呆れ顔で鼻で笑っているリヴァイはハンチングを手に取り少し乱れた前髪を
    整える。
     その姿に彼の女性ファンが囲みだした。

    「リヴァイ! 何か…おしゃれになってない…?」

    「まさか、女が出来たとか……?」

    「――ねぇ、リヴァイ、今日こそ一緒に帰ろうよ!」
  57. 73 : : 2014/07/01(火) 11:34:49
     リヴァイのファンが質問攻めにするが、相変わらず呆れ顔の視線は宙に浮かしたままで、
    その視線がエルヴィンの背中を捕らえると、咳払いをした。
     本能的に自分が呼ばれているという感覚がしたのか、エルヴィンは振り返り、ファンの合間に割って入る。

    「いやぁ~…みなさん、プライベートなことはちょっと……」

    「えーっ……でも、オーナーさんも最近、すごくかっこよくない?」

    (この子たちは……俺のことまで……?)

     リヴァイの若い女性ファンたちに褒められ照れてしまい、甘い声でありがとうございますと、
    丁寧にお礼をする姿にファンたちは顔を赤らめ両手でその頬を抑えていた。

    「……オーナーさん、こんなに素敵な声だったなんて……もう、乗り換えようかなっ」

    「ほう……そりゃ、残念だ」

    「もうっ! 冗談に決まっているでしょ! 私たちはリヴァイ一筋なんだから――」

     女性ファンたちはエルヴィンを話の輪から締め出し除け者のような扱いにした。
     リヴァイを囲む女性ファンたちを見ながらエルヴィンは少し傷ついた胸を手のひらで押さえる。

    (さっきの……ノックの仕返しか、リヴァイ――)

     面食らって頬を強張らせるエルヴィンの姿を見ていたリヴァイのDJファンが、エルヴィンに
    話しかけ、俺たちに任せて、とサムアップしては女性ファンに囲まれるリヴァイに挑んでいった。
     DJファンは音について質問攻めをしてリヴァイは快く答え、また女性ファンも、負けずと話しかける。
     エルヴィンは目を細めリヴァイがファンに半ばもみくちゃにされる様子を遠巻きに眺めていた。

    (このイベントは……ここクラブだから出来るイベントにしなくてはいけないな――)

     エルヴィンは経営者としてただでは喜べないと、気が引き締まり、両手に作る拳は強く握られていた。

     ファンに囲まれるリヴァイだけでなく、オーナーであるエルヴィンをクラブの出入り口で見ていた男女のカップルの眼差しは妖しく輝く。

    「アニキ、相変わらずカッコイイし、不思議と人にも恵まれるし……でもさ、昔に比べて
    柔らかい雰囲気になった?」

    「あぁ、確かに……尖っていたのが削られて丸くなったって感じが……だが、俺たちは
    負けてない、まさか…あの曲、俺たちのリクエストって……
    やっぱり、気づいているだろうな……鋭さは昔から変らなさそうだしな――」

     ほぼ偵察でこのイベントに来ていたため、目深に帽子を被る2人は妖しい笑みのまま、
    フロアを後にする。この2人に鋭く見られていたとは気づかずリヴァイは疲れた表情では
    あるが、ファンたちの質問に受け答えイベントの成功を心から喜んでいた。
  58. 75 : : 2014/07/07(月) 10:58:37
    ⑮夏は色香と共に(#1)

     この街の外れにある海沿いの遊園地に特設ステージが設けられ、その日曜の夕暮れ時、
    夕日を背に水着のファッションショーが行われる。
     ヴィッキー・クロースが企画したショーは、スポンサーのナイル・ドークが経営する
    会社の会長である父親のつてを使い、その場所は選ばれた。水着のデザインもその街でも顔が広いナイルの父の知り合いのデザイナーに
    急遽依頼しても快諾され、水着も仕立てられていた。

     すべてナイルの父親のつてヴィッキーの企画は実行に移された。ナイルの父親はその街では
    有名な名士でもあり、それで地元が活性するのならと、息子にショーについて相談されると、
    快く引き受けていた。また息子のナイルにはショーの広報を任せていた。

     ほとんど父親の力で計画が進んでいたはずだが、ナイルは自分の活躍でショーが
    行われると身近な人たちに自慢していた。

     ショーが始まる直前、ランウェイの側面の、最前列ではそのショーを楽しみにしていた
    リヴァイやエルヴィン・スミスを始め招待された身内たちが緊張の面持ちで待ち構えていた。

    「リヴァイさん、ペトラは最初に出てくるって聞いたけど、どんな感じの水着かしらね……?」

    「えぇ……どんな感じでしょうか……」

     リヴァイの隣に座るペトラ・ラルの母親は笑顔でランウェイを眺め、さらに隣の父親はビデオカメラの準備をする。
     母親の横顔を見ながらリヴァイはペトラから水着はビキニと聞いているが、それは言えず、
    答えを濁していた。
     腕時計を見ながら、もう始まる時間かとリヴァイが思った瞬間、流行のエレクトロニュージックが鳴り響き
    ショーの開幕を知らせていた。

     ペトラの母はショーのスケジュール表を見ながら今や遅しと娘の登場を待ちわびる。
     最初にランウェイに出てきたのはキッズサイズのモデルたちで、多くの子供たちや一部の大人のモデルが流行の色の水着で『親子おそろい』というコンセプトで登場したとき、
    ペトラの母がモデルの一人に目を丸々と見開き、口を抑え笑いを堪えた。

    「あらやだ……! ペトラ、やっぱりキッズサイズじゃない……!」

     リヴァイたちの傍を通るペトラはあまり緊張もせず、笑みを浮べているようだが、
    子供たちを世話する、年の離れた姉、というテーマで小さなキッズモデルの手を引いていた。
     ペトラはペパーミントグリーンの胸元にリボンがついたビキニを着ていて、
    セパレートタイプのショーツの上からレースタイプのミニスカートを巻いていた。
     キッズサイズじゃない、というペトラの母の声に最初は頬を強張らせても、リヴァイは
    ペトラのビキニ姿に喉をゴクリと鳴らし唾を飲み込んだ。

    (この姿は……俺以外に……これ以上、誰にも見せてはいけねーな……)

     ランウェイのトップでポーズを取り、リヴァイたちが待ち構える傍を歩くペトラが彼を見つけ手を振る。
     その瞬間、リヴァイは驚きで口を開いたまま、顔を前に突き出した。
     ペトラが手を引いていたキッズモデルはニファだった。リヴァイに手を振るペトラの
    視線の先をニファが追い、彼を見つけた瞬間、はち切れんばかりの笑顔のその口は
    『リーだ!』と言っているようだった。
     ニファが手を振る姿にもリヴァイは柔らかく笑みを浮かべ自然に身体が動き手を振っていた。

    「いつか……あの本物の姿を見せてね、リヴァイさん――」

    「はい…!」

     ペトラの母はリヴァイの笑みにいつか生まれるであろう、新たな家族を夢見ているようだった。
     リヴァイは自信を持ってその夢に答える。もちろん、口角は緩んだままである。

     ペトラの父は娘の姿を捉え、満足していたが、その次であろう『大人のモデル』も
    撮影していいか、妻の顔を伺っているときだった。

    「ペトラ……最後は男の子にも手を引かれ、まさか恋人同士ってテーマだったりして……?」

    「あぁ、そうね……それに最近の男の子は背が高いわね、お父さん――」

     キッズサイズのモデルたちの出番が終わり、ステージ裏に移動した最中、ペトラと
    同じ背の高さの男の子のモデルが突然彼女の手を引いて振り向きながらリヴァイを睨む。
     妖しい笑みを浮かべ、ペトラと共にそのままステージ裏へ消えていった。

    (なんだ……あのガキは……)
  59. 76 : : 2014/07/07(月) 11:01:00
     リヴァイは深く気にせず、ただペトラたちの姿を見送っていた。ところが、そのキッズモデル

    ペトラを気に入っていた。 彼の名前はトーマ、小学生のキッズモデルとしてはそれなりに有名で
    黒髪の涼しい目元の少年はファッション雑誌にも登場するほどである。
     ペトラがリヴァイに笑みを浮かべ手を振る姿に対してトーマは敵対心を抱いていた――

     ペトラとトーマはその日、ステージ裏で初めて会っていた。緊張するペトラがクールな表情
    にも、ふてくされたようにも見えるトーマに話しかけていた。

    『ねぇ、どうしたの……? せっかくのカッコイイ姿なのムッとした顔で…何かあったの……?』

    『別に何でもねーよ……めんどくせーし、屋外のショーなんて暑いし――』

     幼い頃からチヤホヤされているだけでなく、遊びたい年頃にも関わらず、ショーに出される
    ことにトーマは不満を抱いていた。それでもペトラは幼くても鋭い眼差しを浮べるトーマに
    リヴァイの面影を少しだけ重ねては、彼に親近感を覚えていた。

    『やる気がないなら、辞めたら……?』

    『金にならねーじゃんか……』

     冷めて見下すように鼻で笑うトーマだが、ペトラは笑みを浮べたままである。

    『なんだかまだまだ子供なのにお金のことを考えるのも大変ね……
    とにかく私は初めてなんだから、色々教えてね…!』

     まるで目の前に一輪の花がパッと咲いたような笑みでペトラはトーマの頭を撫で彼女は自分の
    持ち場に戻っていった。
     ペトラはまだまだリヴァイのクールさには敵わないと思い、隣に立つニファの手を握っていた。
     トーマはペトラの優しい笑みに頑なに凍りついていた心が溶かされた感覚がして、
    触れられたその髪をそっと撫でる。その頬はかすかに赤らめ視線はペトラを追っていた。

     会場に広がるアナウンスで続いては大人の水着のモデルが登場すると皆に知られ、ビデオや
    カメラを構えだしたとき、堂々とランウェイを歩くモデルの中にイブキとミカサ・アッカーマンが
    混ざっていた。
     二人は顔が似ているため、色違いの揃いの三角ビキニを着ることになっていた。
     イブキは紺地にトロピカルな椰子の木やハイビスカスが描かれ、ミカサは白地でデザインはイブキと同じだった。

     ミカサは日ごろから腹筋を鍛え確かに胸元からへそにかけ縦線が出来るほどの引き締まる姿だが、
    プロのモデルにも負けないようなウエストのくびれである。ランウェイ上から
    ミカサはエレンを見つけ手を振るが彼は頬を赤らめすぐに目を逸らしていた。
     しかしながらエレンはすぐに顔を上げ自然にミカサをその目で追いながら息を呑む。
     右隣に座るアルミンは鼻で笑いエレンに話しかけても、彼はずっとミカサを見ていた。

    「ミカサ、似合っているね…!」

    「あぁ……そうだな……」

    「それじゃ、ミカサにその感想を素直にいいなよ――」

    「それは……」

     アルミンの言葉にエレンは頬を赤らめたまま俯き加減になる。アルミンはこれを機会にエレンとミカサが
    さらに仲良くなれば、と密かに願っていた。また左隣に座るアルミンの父のエルヴィンは
    彼の大切なイブキしか目に入らない。

    「イブキ……ウエストが……あんなに細くなって……」

     目じりを下げ独り言を言うエルヴィンの小さな声は息子の耳にしっかりと届いていた。
     アルミンはその声に唇を強張らせるが、イブキとミカサがランウェイのトップでポーズを取り、
    その後、エルヴィンの傍を通るイブキが彼にウィンクをする。

     ミカサは自分の指先にキスをして、その指先をふーっと息を吹きつけ、まるで自分の
    キスがエレンのところまで飛んでいけ、と言わんばかりの仕草をした。
     
    「イブキさんも、ミカサも大胆だ、ね……って、もう、2人とも……!」

     左右に座る二人を見渡すアルミンは顔が更に引きつる。エルヴィンとエレンは惚気て口を開けたまま、
    2人を食い入るように見つめていた。

    「父さん……なんて顔しているんだよ、全く……! やっぱりミカサとイブキさん似ているね」

    「えっ!? ミカサちゃん、どこにいるんだ…?」

     息子のアルミンの声に目を見開き首を傾げるが、エルヴィンはイブキしか見てなくて、
    隣のミカサに全然気づかなかった。
     息子は呆れ、父に冷めた眼差しを送り、ため息をついていた。
  60. 77 : : 2014/07/10(木) 11:08:14
    ⑯夏は色香と共に(#2)

     ヴィッキー・クロースは自分が当初計画したショーとは全く方向性は変わってしまったが、
    それでも新たな試みのショーがスムーズに展開し、成功を収めるだろうと確信していた。

     ステージ裏でモデルたちを見送り彼女自身がインカムを使いながらスタッフに指示を出しているとき、
    古くからの友人であり、スポンサーでもあるナイル・ドークが彼女に話しかける。

    「ヴィッキー、よかったな……客も多く入って、短期間でこれだけのショーが出来るとは」

    「そうね、持つべきものは友達よね――」

     ヴィッキーはインカムで相手と話しながら、小規模でもショーが開けたことで満足気で笑みを浮べる。
     ナイルだけでなく、彼の父親が持つ『つて』にもヴィッキーは感謝していた。
     久しぶりに再会したヴィッキーは長い間、トップモデルとして活躍してきただけあり、
    その美しさに目を見張る。
     厳しい眼差しで指示する姿さえも、ファッション雑誌の撮影のようでナイルは彼女に
    見とれて息を呑んでいた。

    「なぁ、ヴィッキー……このショーが終わったら、一緒にお祝い――」

    「ナイル、ごめん! 今忙しいの、えっ、ごめん、ごめん、こっちの話……」

     ヴィッキーはナイルの誘いの言葉を半分も聞かず、インカムのイヤホンを耳に差し込み、
    スタッフの声に集中する。ナイルにまたあとで、と手を振りながら、早足でそのまま持ち場へ
    戻っていった。

     この国の平均的な女性よりも背の高いヴィッキーはさらにヒールを履いて、ナイルは彼女を
    見上げるくらいの身長差になっている。
     颯爽と歩く、金髪で軽くカールされた後姿にナイルはため息をついた。

    (ミランダも……生きていたら、あんな感じだったろうな――)

     ナイルが若い頃、エルヴィン・スミスの亡き妻、ミランダに片想いをしていたが、
    結局、彼女はエルヴィンを選んでいた。ナイル自身、ミランダが死んでしまったことに
    心にポッカリと穴が開く感覚がしていたが、それは誰にも明かせない秘密である。
     自分の妻を愛することに変りはないが、ミランダへの片想いは心のどこかでまだまだ続いている。
     ナイルはヴィッキーを通してミランダを見出そうとするが、それはショーとは間逆に失敗に終わろうとしていた。

     出番を終えたモデルたちが控え室に戻っていく姿にナイルはエルヴィンの大切なイブキを見つける。
     本番を追えた安心感から、他の仲間たちとはしゃぐイブキの声がナイルの耳にも届いていた。

    (エルヴィンの野郎、ミランダともまた違う美女を見つけやがって……だが、あいつは……
    ミランダを本当に忘れているんだろうか――)

     控え室のドアに冷めた一瞥をくれるナイルは再び遠くを見つめ、ショーが見渡せる会場に向っていた。

     ヴィッキーがスタッフに指示を出している頃、ランウェイにはナナバとユミルが同時に登場していた。
     ユミルは同じビキニでもバンデゥタイプでチューブトップのように胸元を覆い、黒いラメの
    フリルが胸元を強調する。

     ナナバはワンショルダータイプのワンピースで背中が広く開いていて、パレオを腰に巻いて
    ウエスト部分から下半身を隠しているが、歩くたび、スリットから太ももやふくらはぎを覗かせていた。
     エスニックの柄の揺れ動くパレオから大人の色香を感じさせる長い足を見たミケ・ザカリアスは
    目を丸々と大きく見開いていた。

    「あんなに……キレイだったのか、ナナバ――」

     ミケが思わず口をついた独り言に隣に座っていたエルヴィンが気づき鼻で笑う。

    「ナナバさん……キレイだな…」

    「うん、そうだな」

     ミケは素直にエルヴィンの言葉に頷いていた。

    「――互いに誰を大切にするべきか……今はわかるよな……」

     隣に座るエルヴィンの横顔はランウェイを見ているが、その視線の先は曖昧で誰を
    見てるかミケにはわからなかった。エルヴィンの問いにミケは一瞬だけ間を空け、
    あぁ、と答えた。今回、イブキも見ていただろうが、キッパリと諦めろ、と言われているような
    気がしていた。イブキがエルヴィンに対してウィンクする瞬間を目の当たりにしたとき、
    確かに焼きもちに似た何かが煮えたぎるような感情が芽生えていたことをミケは認める。
     しかしその感情は瞬く間に消え去り、今のミケにとってナナバは大切な存在であることに揺ぎ無い。
  61. 78 : : 2014/07/10(木) 11:10:08
     ユミルが出てきたことで歓声を上げたのはクリスタ・レンズである。ユミルはクリスタに
    水着のショーに出ると連絡していた。また2人の元同僚のペトラ・ラルは彼女だけでなく、
    アニ・レオンハートにも連絡していて、今回、2人の彼氏たちと共にダブルデートのように参加していた。

    「やっぱり、キレイね、憧れちゃう――」

    「ホントね…」

     両手を握り胸元であてがうクリスタは頬を赤らめユミルに憧れのまなざしを送る。普段から
    落ち着いてクールなアニもうなずきながらウエストが引き締まり長い足が目立つユミルの姿に
    関心するように頷いていた。

    「ペトラも出られたのに……だけど、私ももう少し背が高かったら、出たかったかな」

    「そうね、クリスタ……私も出たかった……かも」

     クリスタが頷きながらアニを見ると互いに笑みを交換していた。その後ろでは2人の
    彼氏たち、ライナー・ブラウンとベルトルト・フーバーもショーを眺めていた。
     クリスタとアニの声も2人に聞こえていて、ぜひ彼女たちの水着姿を見てみたいと頬を赤らる。

    「ベルトルト、ぜひ……今度は海に行かないか? 4人で……?」

    「あぁ……そうだね、ぜひ…行こうよ――」

     ライナーの誘いにベルトルトは指先で頬をかく。その頬はほのかに赤く、視線の先は
    もちろんクリスタに微笑みかけるアニの横顔だった。
     
     ヴィッキーが意気揚々とショーを見守っている最中、彼女のスマホの呼び出し音が突如鳴り出す。
     インカムのイヤホンを抜いてタップする顔は自然に綻んでいた。電話を寄越したのは
    彼女が経営するモデル事務所からである。

    「――お疲れ様、ショーは順調、このままいけば成功して……」

    「は、はい……他の者からも報告を受けてまして、また別件で早急にお耳に入れておきたいことが――」

    「何、何があったの……?」

     ヴィッキーは眉根を寄せ、受話器に耳を当てる。電話の向こうの通話相手も最初は
    微笑んでいたはずなのに、ヴィッキーの顔は険しさに変っただろうと簡単に想像できた。

    「最初の……計画倒れに終わったショー、実は妨害されていて――」

     目を見開き自分の唇が震えていくのがヴィッキーはわかった。話をすべて聞き終えると
    伏目がちになり、気がつけばため息がもれていた。

    「――わかった……あなたたちにも…たくさん迷惑をかけたわね……私個人的なことなのに」

     通話を終えたスマホを握る手は強いが、大きく深呼吸して、その手を腰元までだらりと
    力なく垂らした。薄々感じていたが、妨害されているのではないかと――だが、この電話で
    確信するヴィッキーは悔しさと切なさで唇をかんでいた。

     水着のショーがほぼ終了しようとしたとき、会場の端で強張る表情でこのショーを
    見守る長身の男がいた。黒髪の短髪で、軽く七三に分けているが、鋭い眼差しが夕日のまぶしさで
    さらに鋭くさせるようだった。
     カジュアルだが着こなすドレスジャツは高級ブランドであると第一印象でわかるほど
    違和感なく似合っていた。

    「ヴィッキー…よかったな、おめでとう――」

     ショーが終了するアナウンスが流れすべてが終わったとき、背の高さとは似合わない
    小さなため息交じりの声でつぶやき、それでも彼の姿勢はよく、そのまま足早に会場を後にした。
     暑くて脱いだジャケットを小脇に抱え手の甲で汗を拭い、胸元のボタンを外すしぐさは
    それだけでも絵になるようで、その長身のすらっとした体型の男とすれ違うたび振り向く女性客も多かった。
  62. 79 : : 2014/07/17(木) 11:52:49
    ⑰夏は色香と共に(#3)

     水着のファッションショーが成功し、モデル事務所の女社長であるヴィッキー・クロースは
    ショーの残った仕事を終え、一旦、現在の活動の場である異国の地に戻ることになった。
     その前にカフェ『H&M』で挨拶して帰国すると親しい仲間たちに伝えていたため、
    エルヴィン・スミスは彼の大切なイブキ、息子のアルミンと共に彼女の到着を待ちわびていた。

     カフェのティータイム終了の看板をリヴァイが下げる頃、ヴィッキーが目の前で
    タクシーを降り、つばが広い真っ白な帽子を被り、カフェに向って颯爽と足早に近づいてきた。

    (ほう……日常的な動きでも、さすが元トップモデルだな、絵になる姿だ――)

     リヴァイがヴィッキーに関心してカフェに招き入れるが、カウンター席でエルヴィンとイブキ、
    そしてアルミンの3人の睦まじい姿を目の前にした途端、わずかばかり訝な色をその美しい
    顔に浮かべ、すぐさま伏目がちになる。

     一呼吸置いたヴィッキーがエルヴィンをはじめ、このカフェで出会った皆との縁でショーを
    成功に導けた、と礼を述べるているときだった――
     カフェのガラスのドアを開け、不意に入って来た長身の男はヴィッキーのショーを遠い位置から
    見守っていたその人だった。

    「ヴィッキー……やはり、ここにいたか――」

     その声に驚いたヴィッキーは身体を少し跳ねさせ、振り向いた。眉根を寄せ、その男を睨む。

    「ケイジ……どうしてここが…?」

    「ここのカフェは…この街でも君の思い出の場所と……以前、聞いたことがあったから、
    きっと帰りがけに立ち寄ると思って…俺も来てみたんだ――」

     その日のケイジはドレスシャツにパンツスタイルで、長身のすらっとした体型は見事にその
    ハイクラスのブランド服を着こなしていた。
     ケイジはヴィッキーの元恋人である――
     彼も元モデルで現在はファッション業界の実業家で、ヴィッキーとは婚約まで交わした
    関係だった。だが、ヴィッキーはケイジが浮気をしたと思い、一方的に別れを告げていた。

     それはもちろん、ただの誤解である。人脈の幅広いケイジに近づいて、
    のし上がろうとした若いモデルがケイジを誘惑する瞬間にヴィッキーと鉢合わせしあことがあった。
     それはそのモデルが仕掛けたことで、もちろん男女の関係は一切ない。

    「あなたよね……私のショーを台無しにしたのは――」

     ヴィッキーの目元は苛立ちで鋭くなり、ケイジはその眼差しを見られず、伏目がちになった。
     唇を噛み締めても、その眼差しが少しずつ悲哀の影を落としてゆく。

    「ヴィッキー……落ち着いて話し合ったら……?」

    「えぇ、まぁ……それはそうだけど――」

     心配で焦りの色を浮べるエルヴィンに一瞬だけ一瞥をくれてもヴィッキーはすぐにケイジを睨む。
     ケイジはヴィッキーと結婚して、普通の主婦として彼自身を支えて欲しかった。それで
    大規模な水着のファッションショー計画していると聞きつけたケイジはショーを中止を追い込み
    自信を失えば、きっと自分のところに戻ってくれるだろう、という策略を立てていた。

    「――君が開催したショーを見て……和やかな雰囲気で、当初とは違う方向性になったが……
    素晴らしいものを見させてもらったよ」

    「確かに……私の地元でのショーは当初の予定より規模は小さくなったけど……それでも
    このショーの成功を通じて新たな人たちとの繋がりもできた……帰りにくかった故郷の地に
    帰りやすくなったってことも事実ね……」

    「そうか……」

     ケイジを見つめる眼差しは悔しさやこれまでのケイジへの気持ちが織り交ざり、
    ヴィッキーの頬を強張らせ、大きくため息をついた。

    「結果的に……このショーを開催してよかったと思うのよ…でもねケイジ…
    あなたのやったことは『私のため』とはいえ、たくさんの人に迷惑をかけて――」

    「あぁ……訴えられても仕方ないだろうな……」

    「えぇ、そうね……ただ、今はあなたのことより……
    忙しかったからいえなかったけど……エルヴィン――」

    「えっ!? 俺…?」

     ヴィッキーはエルヴィンの正面に立ちはだかる。その眼差しは強く、突如、話を振られた
    エルヴィンは首をかしげ目を見開き、何を言われるのか、想像が出来なかった――
  63. 80 : : 2014/07/17(木) 11:54:09
    「……ミランダはね……本当に悩みに悩み抜いて……モデルのスカウトを断ったのよ……」

    「あぁ…それは――」

     エルヴィンは亡き妻がモデルにならないか、とスカウトされたことを知っていたが、
    興味がない、と、軽く断ったと聞いていた。だが、ヴィッキーの鋭い眼差しを通し
    真剣に考えていたんだとその当時のミランダの笑顔が思い出された。
     エルヴィンはイブキが隣に座るのにも関わらず、ミランダと過ごした日々を思い浮かべ
    胸が締め付けられる感覚がしていた。

    「あのときのスカウトマンは、『君はミランダのついでだった』って言われてね……
    とても悔しい思いをしたのよ……それで、自分の身体を作り上げ、絶対にトップモデルに
    なってやるって……強い決意できたのに……実際にモデルとして頂点に上り詰めたとき、
    ミランダは何と言ったと思う……?」

     エルヴィンは淡々としてヴィッキーの話す声に耳を傾けていたが、だんだんと彼女の声が
    震えて今にも泣きそうだと感じていた。彼はヴィッキーの問いにただ目を伏せ何も答えられなかった。

    「『私ならそこまで出来なかった、私はエルヴィンを選んでよかった…平凡だけど幸せ』
    だって……
    死に物狂いで頂点を目指していた私がなぜか負かされたって感じで……それなのに
    ミランダが先に逝くなんて、私の大事な親友であり……ライバルのミランダがなんで――」

     ヴィッキーは話の途中で涙を流し、語尾では涙声で嗚咽を漏らしながら、両手で顔を抑える。
     大粒の涙が次から次へとその頬に伝わり落ちていった。
     ヴィッキーはミランダの死を未だ受け入れていない――。それ故に、彼女の夫である
    エルヴィンが新しい恋人を迎え入れていることが許せなかった。
     エルヴィンはヴィッキーの涙に口をつぐむ。

    (俺は……ミランダを一生愛すると誓ったのに、今はイブキを――)

     唇を噛み締めエルヴィンは隣に座るイブキの顔も見ることができず、両手を膝に置いて
    今は何もはめていない左手の薬指を見つめる。
     ミランダの形見だったヒスイのネックレスをリフォームしてカレッジリングに仕立てて、
    長い間、存在感のある光輝く左手薬指だったが、それが今では薄っすら指輪の跡が見える
    程度になっていた。

     イブキは目を細めエルヴィンの横顔を見つめる。エルヴィンの揺れ動いているような
    気持ちにイブキは不安に襲われ眼差しに影を落とす。またどう接していいかわからず、
    半ば呆然としていた。
     その2人の様子を横目に一文字に唇を結んだエルヴィンの息子であるアルミンが
    立ち上がる――
  64. 81 : : 2014/07/21(月) 10:11:59
    ⑱夏は色香と共に(#4)

     エルヴィン・スミスの息子のアルミンは亡き母の親友の前に、まるで父を庇うように
    2人の間に立ちはだかる。
     アルミンは彼より背の高い母の親友、ヴィッキー・クロースを悲しげに見つめるが、熱が
    こもった口調で話し始めた。

    「ヴィッキーさん……まず、お礼を言うよ、母さん……ママをそこまで思ってくれて…ありがとう」

    「アルミン……」

     ヴィッキーはアルミンを抱きしめようと彼に手を伸ばす。だが、悲しげな表情を
    浮べていたはずなのに、意を決したようその眼差しは炎が灯ったように鋭くなる。
     その顔を見据えたヴィッキーは抱きしめようとしたその手を止めた。

    「父さんは……イブキさんと出会うまで……ママにはもう会えない苦しみで、いつも、
    もがいていた…仕事から早く帰ってきたら、僕の4歳の誕生日のビデオを見ていて……
    ママのことを思い出して泣いてばかりだった……
    僕はそんな悲しい父さんの姿を見たくなかったんだよ――」

     アルミンは真っ直ぐヴィッキーを見つめながら静かに語りかけるがその語気は意思の強さも
    感じられた。
     ヴィッキーは彼の強い口調に耳を傾け、口をつぐむことを強いられているようだった。
     アルミンはヴィッキーに向けていた視線をイブキに移すが、鋭かったはずの視線は
    いつのまにか柔らかくなり、口角には笑みを宿らせていた。

    「父さんはとても、とても……長い間、本当に苦しんでいた……その苦しみから救い出して
    くれたのが…イブキさんなんだ」

    「アルミンくん……」

     イブキはアルミンの優しい声が彼女の心をそっと撫でる感覚がしていた。
     嬉しさで唇が震えてしまうが、イブキはアルミンを揺れる眼差しで見つめることしか出来ない。

    「もちろん、僕にとって、ママは……掛け替えのない……ママだよ……
    だけど、やっぱり僕は……父さんを笑顔にするイブキさんが大好きだよ――」

     アルミンの声にイブキは口を押さえ、堪えていたはずの涙がとうとう溢れ出し、温かい
    涙が頬を伝う。エルヴィンはイブキの背中にそっと手を添え、アルミンを見つめていた。
     アルミンの目元にも薄っすらと涙を浮べているが、彼は何事もなかったように涙の雫を
    指先で拭った。

    「とにかく、僕らはママを思いながら、前に進む……それだけだ――」

     腰掛けていたスツールから立ち上がったエルヴィンはアルミンを強く抱きしめた。健気で
    正直な彼の言葉がエルヴィンは何より嬉しかった。

    「……ミランダが…ママがいなくなって……父さん一人だけだったら、
    乗り越えられなかった……おまえがいて、よかった……アルミン、ありがとう」

     アルミンは自分の仕事を終えたような安堵感で父の顔を見つめる。
     エルヴィンはもう片方の手は、涙を流すイブキの手を引いて抱き寄せた。

    「イブキ、確かに……ミランダは俺の心の中で、今でも…生きている……
    もちろん……俺は君を愛することに嘘偽りはない……信じて欲しい――」

     エルヴィンの抱きしめる強さと優しさを多く占めた声にイブキはただ涙を流すだけだった。
     アルミンはポケットから小さなハンドタオルを取り出し、泣かないで、と言いながら
    涙を拭うがその手をイブキはそっと握った。

    「私は……ミランダさんが心にいる……2人を受けれなきゃね……それにアルミンくんは
    何だか…息子のような……弟のような…とても身近に感じるし、家族って気がして……」

     止め処もなく流れるイブキの涙をアルミンは笑みを浮かべながら拭った。
     イブキは握っていたアルミンの手から左頭部へ移し、髪をすくように優しく撫でる。

    「ママ……?」

     アルミンはイブキの手のひらの温かさに不思議そうに首を傾げる。これまでも幾度か
    同じように触れ方をされたが、毎回、イブキの手のひらを通し母の温もりを感じることが
    理解しがたい。だが、心地よいことには変りはなかった。
  65. 82 : : 2014/07/21(月) 10:13:53
    「その触れ方って……」

     驚きを隠せずヴィッキーは目を見開き、イブキが触れたアルミンを見ていた。ヴィッキーは
    アルミンがまだ赤ちゃんの頃、ミランダが息子の髪に触れる姿を何度か見かけたことがあった。
     こうして撫でるとこの子が照れ笑いするのよ、とミランダはアルミンの左頭部の柔らかい
    髪に触れ、明るく丸々とした幼い笑顔を親友に見せていた。
     ヴィッキーは震える指先でアルミンの髪を指差し、乾いた喉を鳴らした。

    「どうして……その同じ触れ方を知っているの……?」

    「エルヴィンさんとお付き合いする前に……色々あって……なぜだか急に……私が言うのも
    なんだけど、無意識に触れてしまうんです……不思議なんですが」

    「……そうなの」

     黒目を動かし首を傾げるイブキに彼女自身もこの行動がわからないんだとヴィッキーは踏んだ。
     再び溢れた涙を指先で拭うが泣きすぎてヴィッキーの声は鼻声になっていた。

    「ミランダが愛し合うエルヴィンと先生を受け入れ……母親の役割もってことかな……
    それに……私だけがもう何年もミランダのことで前に進めていない…一歩でも前に
    進まなきゃいけない」

     ヴィッキーは笑顔を無理に作ろうとしても、これまでのミランダへの思いが逆巻くと、
    どうしても頬が強張ってしまっていた。ヴィッキーの元恋人であるケイジはヴィッキーの
    涙を見ながら何も言わずただ彼女の話に耳を傾けていた。少しばかり俯き加減になりながら
    ヴィッキーを抱きしめたくても抱きしめられない、もどかしさに包まれる。だらりと腰元に
    垂らした手のひらは自然と強く握られ拳が出来ていた。

     イブキはエルヴィンを見上げると、彼の優しい笑みに愛されていると実感する。
     名残惜しそうにイブキはエルヴィンの胸元からそっと抜け出しヴィッキーの両手を握った。

    「ヴィッキーさん……原点に戻ることで縁を結ぶ……それってきっと未来に繋がる縁なんでしょうね……」

    「えぇ……先生のおっしゃる通りで……本当にこの街に帰ってきて本当によかった」

    「またこの街で……ヴィッキーさんのお仕事が再びできるかもしれませんね――」

     うなずきながらヴィッキーはイブキの手のひらを優しく振りほどき、涙を浮かべる目元を
    指先で拭おうとするが、ケイジが何も言わずハンカチを差し出す。ヴィッキーは無言のまま
    受け取り涙を拭った。ケイジは抱きしめたいと思いながら、ヴィッキーを見つめていると、
    自然に身体が動いていた。

     ヴィッキーが涙を拭い終え、その美しい顔に少しずつ笑顔を取り戻してゆく。
     ハンカチを強く握りエルヴィンを再び見つめるが、涙で腫れた眼差しだが唇には笑みが灯る。

    「ところで、エルヴィン……」

    「うん…?」

     突如、エルヴィンに腫らした眼差しを向けるヴィッキーに彼は頬を頬をこわばらせる。
     次はどんな話題が飛び出すのかと、息を呑むだけだった。

    「エルヴィンは……先生と結婚するの…?」

    「えっ……あぁ……」

     新たなヴィッキーの問いにすぐに胸の内を皆に話すべきかとエルヴィンは逡巡する。
     息子の穏やかな眼差しと、ヴィッキーの声で少し頬を赤らめたイブキにエルヴィンは
    俯き加減に頬を指先で掻いた。回りからどのような答えが飛び出すか期待の眼差しに
    エルヴィンは晒されるが答えは決まっているだろうと、皆は想像していた。
  66. 83 : : 2014/07/26(土) 10:37:15
    ⑲夏は色香と共に(#5)

     エルヴィン・スミスは古い付き合いであるヴィッキー・クロースから彼の大切な
    イブキとの今後の関係を問われると、頬を赤らめ唇を強張らせていた。
     2人は未来を見据えているが、エルヴィンは息子のアルミンにさえまだ打ち明けていなかった。
     皆の注目を浴びるエルヴィンは緊張感で口ごもってしまう――

    「えっと……俺とイブキは……」

     息を呑みながら話そうとしても、強張る頬のエルヴィンにリヴァイは呆れ顔で舌打ちした。

    「オーナー……しっかりしろ……答えは決まっているだろう……」

     呆れて眼差しが鋭くなるリヴァイにアルミンは僕にまかせて、と言いたげにイブキに笑みを
    向ける――

    「イブキさん、僕は父さんとの結婚に賛成だよ! いつでもウチにきてよ」

    「……アルミンくん…ありがとう」

     イブキはアルミンの意気揚々とした笑顔に再び目じりに大粒の涙を浮べていた。

    「それに……年の差のある妹か弟が出来るのも僕は楽しみだよ!」

    「アルミンくん、それはまだ先の話だよ……」

     アルミンの言うことにイブキは少し頬を赤らめながら、指先で目じりの涙を拭う。
     息子の言うことに父であるエルヴィンは緊張感から解放され笑いを堪えきれなかった。
     緩みっぱなしの顔を右手で押さえ、左手では優しくイブキの肩に触れた。

    「イブキ……早く作りたいな……」

    「もう…エルヴィンさんったら……! 気が早いよ…それに私は自分の部屋で仕事してるし、
    今すぐあなたの家に行くのは……」

    「えっ…? 今すぐ子供が欲しいのか? 俺は構わないが」

    「誰もそんなこと言っていないでしょ!違うっ! 今すぐってのはね――」

     エルヴィンとイブキの仲のよさは皆には知られているが、将来を見据えている様子に
    そっと胸を撫で下ろして目を細め見つめていた。イブキはもちろん、エルヴィンとの将来を夢見る。
     だが、自宅で占いの仕事をしているため、すぐにエルヴィンの元へというのは、
    仕事に支障が出てしまわないか、慎重になっているだけだった。

    「先生は占いのお仕事を普段は自宅でされているのよね……」

    「はい、そうなんです……」

     ヴィッキーはイブキを見つめ腕組みしながら、片方の手で頬を押さえ、考え事を始めた。
     直後、何かがひらめいたように目を見開いた。
     その口角を上げ、イブキを見つめる美しさには妖艶さが織り交ざり、彼女を囲む皆は
    見とれてしまうほどだった。

    「そうだ……通い婚でいいじゃない! 一方がどこかの部屋に通うって形でも……
    ずっと一緒にいるよりもたまに会うのがいいのよ――」

    「ヴィッキーさん、それいい! 自分の時間を保てて、結婚生活を送るって……いつでも
    新鮮な気持ちでいられそう…それなら、すぐでも構わない……かも!」

     ヴィッキーの言うことにイブキはふふっと声を出して笑い口元を軽く押さえた。
     そういう方法もあったか、と関心しながら腕組みし、顎を上げ不敵な笑みをエルヴィンに注いだ。
     イブキは冗談のつもりで言ったつもりだが、彼はイブキの両肩を掴み、眉根を寄せる。

    「イブキ……俺が通うのか? 俺はそれでも構わない、それはいつからだ?
    週に何回くらいがいいんだ?」

    「もう、エルヴィンさん! 冗談だって! 私たちはまだまだこれからでしょ――」

     真剣な顔から諦め顔に変るエルヴィンにイブキは目を細め、肩に触れられた手をそっと握った。
     エルヴィンとイブキの2人の楽しげで幸せな雰囲気にヴィッキーの頬は自然に緩み、
    安堵のため息を漏らした。
  67. 84 : : 2014/07/26(土) 10:38:55
    (私が……過去にこだわりすぎた……ミランダの死で……あんなに嘆き悲しんでいた
    エルヴィンが……笑っている――)

     ミランダの死の直後、エルヴィンが涙に明け暮れていたことを知っている。それ故に、当初、
    エルヴィンに意中の相手がいることに腹立たしく感じていたはずだが、新たな縁に恵まれ
    笑顔になれるなら、それも人生の一つ―― とヴィッキーは少しずつ思えてきた。

    「私も……前に進まなければ……」

     ポツリとつぶやいたはずのヴィッキーの声は少し後ろに立つケイジには届いていた。

    「ヴィッキー……俺は……おまえがそんなに苦しい想いをしてたとは……知らなかった…
    ずっと…そばにいたのに悪かった……」

     ケイジはヴィッキーに空ろなまなざしを注ぐと直ぐに彼から目を逸らした。
     2人は若い頃から付き合っていたが、ヴィッキーがモデルとして人気が出るほど、多くの
    時間を共に過ごせなくなっていた。ヴィッキーが必死にトップを目指しているとケイジは
    理解していたが、その理由の影に親友への想いがあったことをその日、彼は初めて
    知ることになる――

    「君の仕事に損害を与えたことは……法的に訴えられても構わない……
    俺はそれだけのことをしたんだ……自分が恥ずかしいよ……」

     手のひらにケイジのハンカチを握るヴィッキーは涙で腫れた眼差しで彼を見つめる。
    しかしながら、その眼差しは当初の強さより弱まっているようだ。

    「それに、ヴィッキー…こんなに素晴らしい仲間に恵まれて、おまえが羨ましい……」

    「えぇ、そうよ……私の仲間たちは昔からいいヤツばかりよね」 

    「それから、誓おう……俺は浮気はしていない……俺はおまえだけ…ずっとおまえだけを
    見ていた」

     真っ直ぐな瞳でケイジがヴィッキーを見つめても、彼は自分がしでかしたことを思い浮かべ
    その眼差しに強さは宿っていなかった。ヴィッキーはケイジが正直に打ち明けているの
    だと、すぐに察知していた。ヴィッキーの脳裏にこれまでのケイジとの付き合いで楽しかった
    瞬間がいくつも逆巻き、再び涙を流し目元を押さえる。
     口元はかすかに笑みを浮べていた。

    「私の方も悪かった……あなたの気持ちを知っているはずなのに……私が意地っ張りに
    なっていた……それにあなたの話をキチンと聞いていたら……こんなことに
    ならなかったかもしれない……でも、このショーは本当に成功させてよかったと思うの」

    「それは…俺も見ていて思ったよ……改めて、ショーの成功、おめでとう……」

    「ありがとう……それから、損害は法的には訴えないけど、見積もりはあなたの事務所に
    送るわね」

    「あぁ……それは構わない、待っている」

     ケイジはもうヴィッキーに会えないと感じたのか、伏目がちにカフェの出入り口に移動して
    ドアに手を伸ばした。
     ケイジはヴィッキーに背中を見せるが、遠くにいってしまいそうな後姿に彼女は優しい
    笑みを浮べた。
  68. 85 : : 2014/07/26(土) 10:40:09
    「ケイジ、待って…!」

    「俺はもう、おまえの前にいられないだろう? それじゃ――」

    「私は仕事が好きなの……いい奥さんにはなれないわ」

     涙顔のヴィッキーは作り笑いと感じていても、ケイジに笑顔を降り注ぐ。
     横顔をヴィッキーに見せ、耳だけ彼女の声に傾けても、ケイジの眼差しは空ろでドアに
    手を触れたままだった。
     
    「そうだろうな……」

     ケイジがドアを押し、出て行こうとしたとき、ヴィッキーが彼の片方の手を握った。
     何事かケイジはハッとして目を見開き、ヴィッキーに戸惑う視線を送る。

    「だから、私はいい奥さんにはなれない…それでも私でいいの……?」

     決意のこもったヴィッキーの魅惑的な唇が動く。瞳は揺れていて、ケイジを一心に見つめていた。

    「いいのか……?俺と…?」

    「えぇ……ただし、通い婚よ…! これが条件」

    「それでも、おまえと一緒にいられるのなら――」

     ケイジはヴィッキーに握られた手を強く握り、彼女を引き寄せた。
     ヴィッキーは片方の手に握られたハンカチを落としてしまうが、すぐにケイジとの間には
    隙間がないほどに強く抱きしめられていた。
     すでに夕日がその街を囲み、ガラスのドアから柔らかいオレンジ色の夕焼けが差し込む。
     ケイジがヴィッキーの頬に手の平を沿えそっと口付けを交わした。淡いオレンジに
    包まれながらの元モデル同士のキスはまるで映画を見ているようで、2人を囲む皆は
    見とれていた。
     ヴィッキーは確かに損害を与えられたが、結果として予想以上の成功だけでなく、
    まるで引き換えのように帰りにくかった故郷にも帰りやすい機会を与えられ気がしていた。
     亡き親友のミランダが引き寄せたであろう様々な縁を思い浮かべるとヴィッキーは
    口元を綻ばせ、ケイジのしたことは水に流すことに決めた。
     もちろん、損害を請求すると決めたことに変りはない――
  69. 86 : : 2014/07/30(水) 11:37:13
    ⑳夏は色香と共に(#6)
      
     ヴィッキー・クロースは改めて互いの気持ちを確かめ合ったケイジとカフェ『H&M』で
    キスをした。夕暮れ時の淡いオレンジがカフェを包む。まるで温かなベールが2人を祝福
    してるようだった。
     2人の様子を目を細め見つめるエルヴィン・スミスは自分の大切なイブキの肩を抱く強さに
    さらに力が入った。

    「イブキ……」

    「エルヴィンさん…! ここでは――」

     エルヴィンはキスする2人に触発され、イブキの唇を求め彼女に視線を落とす。
     イブキは皆の前では恥ずかしいと、両手を差し出し、やんわりと断った。
     エルヴィンはそれでも鼻で笑い、抱いていた肩から彼女の腰に腕を移動させた。
     2人の身体が密着することには変りはない。

    「……だけど…私、幸せ過ぎて…怖いかな」

     顔を上げエルヴィンを見つめるイブキの眼差しは涙で揺れていた。
     エルヴィンは親指で彼女の目じりの涙を拭い甘い含み声でささやいた。

    「イブキ、今夜…君の部屋へ……」

     イブキがゆっくりと頷こうとするが、その声はリヴァイにも届いていて、舌打ちが響く。

    「…オーナー、明日は早くから別の店舗で会議があるって言ってなかったか……?」

    「あぁ! そうだった……」

     肩を落とすエルヴィンだったが、すかさずイブキの耳元に唇を寄せる。今度はリヴァイに
    聞かれないようにと耳打ちするようにイブキを誘った。

    「少しだけ、君の部屋へ……」

     エルヴィンの声がくすぐったくて、イブキの肩が竦んだ。頬を緩めエルヴィンを再び見上げ、
    手のひらを口元に添えた。彼女は声が漏れないよう、エルヴィンにだけに聞こえるように
    ささやき返す――

    「もう、少しだけって……何よ…! だけど、私は…少しだけじゃ……いや……」

    「えっ……イ、イブキ…!」

     辛うじて保っていたエルヴィンのクールな顔はイブキのささやきで崩れてしまい、目元や
    口元が緩みっぱなしの表情を晒した。

    「オーナー……何だ、その面は…?」

     リヴァイの声にエルヴィンの顔に視線が集まると、惚気た顔に皆は引き気味になっていた。
     ただイブキだけはゆるく拳を作って口元に当て笑いを堪える。イブキは大胆なことを
    エルヴィンに言っては、表情を崩させることが好きになっていた。
     彼が身体に触れる手のひらの温かみにイブキの幸福感が増すようだった。
  70. 87 : : 2014/07/30(水) 11:43:09
     イブキはエルヴィンを尻目に幸せそうなヴィッキーを笑みを浮かべ見つめていた。占いの
    クライアントとして出会ったときは上品で近寄りがたい、という雰囲気だったが、仲間たちに
    囲まれている彼女はとても親しみやすいと印象が変っていた。

    (ここにいるヴィッキーさんも素敵だな……)

     イブキに笑顔を向けられたヴィッキーはケイジに抱きしめられていた。互いに笑みを浮かべ
    見つめ合っていたが、ヴィッキーが何かを思い出したようにエルヴィンの元へ振り向いた。
     ケイジはヴィッキーを離したくないため、手を握る指先は絡み合っている。

    「そうだ…! エルヴィン、私もこの近くで事務所を構えようと決めたんだけど、
    ねぇ、いい不動産屋さんを紹介してよ!」

    「このあたりか……馴染みの不動産王がいるから、それは問題ない」

    「不動産王って…誰よ、それ! 相変わらず人脈は幅広いのね――」

     エルヴィンはヴィッキーが故郷の街に帰りやすくなったと安堵の笑みを浮べ、
    美女を紹介することにピクシスさん、また喜ぶだろうと鼻で笑っていた。

    「ところで……ナイルにも事務所を構えるって何気なく話したら、自社ビルで開いている
    貸事務所があるからって言うんだけど、ありがたいんだけど…それとは別にあいつ、
    奥さんいるのに、仕事以外に個人的にあちこち誘うしさ……なんだか、昔からの
    仲間とはいえ――」

    「ナイルのヤツ……」

     突如、エルヴィンはナイルの秘書たちは長身の美女ばかりのことを思い浮かべる。

    (まさか、あいつは……ミランダの面影を追ってヴィッキーを――)

    「…で、ナイルのところで借りるのは理由をつけて断ったんだよね」

    「ヴィッキー、あいつは大事なスポンサーだろ? 友人であっても油断ならない、
    会いに行くときは俺も一緒にいく」

    「ケイジ……!」

     ヴィッキーはケイジの力強い口調とそれに負けないくらいの眼差しに心臓が大きく一つ跳ねた。
     ナイルがエルヴィンの亡き妻、ミランダに片想いをしていたことをエルヴィンは
    もちろん知っている。ミランダを今でも密かに想い、今でも彼女に似た長身の美女を
    自分の近くに置いて、さらにはヴィッキーとミランダを重ねているのか、と逡巡していた。
     イブキに触れる手に思わず力が入り、彼女が気づくと首を傾げる。
     
    「エルヴィンさん…どうしたの…? だけど、見てよ、ヴィッキーさん、幸せそう……」

    「えっ……あぁ、そうだな」

     ヴィッキーがケイジを見つめる柔らかい眼差しに、ナイルの気持ちは勘違いだろうと、
    敢えて気にせずにいようと小さく決意する。
     イブキに触れていた手の力が少しずつ抜けていくと彼女の肩を柔らかく抱きしめた。
     ケイジはイブキも友人かとヴィッキーにたずね、これまでの経緯や彼女の占いが更なる
    縁を引き寄せたことを話す。 ケイジはイブキに握手を求め、丁寧にお礼をした。

    「イブキさん…俺はとても恥じることをしたはずなのに、あなたの占いで……ヴィッキー
    だけでなく、俺も救ってくれました、ありがとう――」

    「いいえ、そんな……」

     真っ直ぐな黒く熱い瞳でお礼をされると、イブキの頬が自然に緩む。元モデルのケイジは
    佇むだけで絵になり、イブキが息を呑みこむ喉元の音にエルヴィンが気づいた。

    「イ、イブキ……? どうした…?」

    「えっ、何でもないよ――」

     戸惑い慌てふためくような複雑な表情を浮べるイブキにヴィッキーが口元に手を当てて
    品よく笑った。

    「もう……エルヴィン! 先生を離しちゃだめよ! それに……これだけいい女なんだから、
    ガッチリと捕まえなきゃ、奪いたくなる男も出てきちゃうかもよ、この先に!」 

    「もちろん……俺が大切な人をもう離すわけがない」

    「エルヴィンさん…」
  71. 88 : : 2014/07/30(水) 11:43:22
     イブキはエルヴィンの抱擁に胸の高鳴りを覚えた。ただケイジは素敵だと思うだけで、
    それ以上の感情はない。自分だって、奥様たちやイッケイさんたちに人気があるくせに、
    と思っても敢えて口にせず、含み笑いをしていた。

    「先生、私は仕事柄、異国の地を回ることが多い……でも、何年も故郷だけは
    避けてきました……だけど、これを機会にこの故郷の街で頑張れば、またさらに
    他のところで頑張れる気がします……」

    「私もそう思いますよ…! だけど、私の占いはあくまでも後押し程度の助言です…
    ここまで発展させたのはヴィッキーさんの行動力ですから」

    「ありがとうございます……」

     イブキの柔らかい笑みビッキーが涙を流そうとするが、ケイジに肩を抱かれどうにか
    涙を堪えていた。

    「これからも、ご縁が続きますが、先生……これからもよろしくお願いしますね」

    「はい、こちらこそよろしくお願いします!」

     2人は握手と笑みを交わし、ヴィッキーは皆に丁寧に挨拶してケイジの肩に抱かれ、
    カフェ『H&M』を離れた。夕暮れ時の柔らかいオレンジの日差しはそのままに夏の香りに
    包まれ二人はヴィッキーが宿泊するホテルへと向った。
  72. 89 : : 2014/08/02(土) 14:57:38
    (21)リヴァイ、初めてのヤキモチ

     水着のファッションショーが終わって数日後、その街の夏の日差しは色は濃く輝く。
     通りを歩く人々は手のひらを目元にかざし、特に女性にとって日傘は必需品になっている。
     ペトラ・ラルはショーが終わっても疲れも見せず、いつもの生活に戻り、その日も彼女の
    大切なリヴァイが待つカフェ『H&M』に向っていた。

    「リヴァイさん、ただいま…! 今日も暑かった…」

    「おかえり、ペトラ……変な男は」

    「もう、リヴァイさん! 追いかけてくるわけないでしょ――」

     カフェのガラスのドアを開け、日傘を閉じるペトラにリヴァイは眉間にシワを寄せ
    その眼差しは彼女を心配し、鋭さが増していた。
     水着のショーの最中、ペトラがランウェイを歩いているときに、あの子可愛い、という声が
    あちらこちから聞こえていた。ペトラかもしれないが、そうじゃないかもしれない。リヴァイは
    どちらとも判断しかねる声にただ心配でペトラに『たちの悪い男』が付きまとわないか、
    執拗に心配していた。
     オーナーのエルヴィン・スミスはペトラに事務的な仕事をペトラに引き継ぎ、リヴァイの前で
    含み笑いをした。

    「リヴァイ、そこまで心配しなくても……まさかここまで追いかけてくるヤツはいるのか……」

     テーブル席を片付けトレイに食器を乗せながらリヴァイはエルヴィンを鋭く睨み、舌打ちする。

    「念のためってこともある……まぁ、イブキさんに対して、『あの長い黒髪のモデルを彼女にしたい』…って声を聞いていたがそれは、俺の勘違いだったんだろうな――」

    「まさか、リヴァイ……!」

     リヴァイは右頬を上げ、ニヤリと笑っては食器と共にカウンター内側の流し台に移動した。
     エルヴィンは狼狽の色をその目に宿し、カフェの出入り口のガラスのドアを開ける。
     その日はまだ姿を現さない彼の大切なイブキを待ちわびる。手のひらで目元をかざし、
    スマホを取り出しながら、イブキの番号をタップした。
     エルヴィンの横顔は少しばかり焦りを浮べていたはずなのに、イブキの声が聞こえた
    影響か、すぐに笑みを浮べる。
     エルヴィンが笑顔で話す姿にリヴァイは鼻を鳴らし笑っていた。

    「もう、リヴァイ…! あの長い黒髪のモデルって、確かにイブキさんかもしれないし、
    でもその隣には同じような長い黒髪のミカサちゃんだっていたんだし、どっちのことか
    わからないじゃない…!」

    「まぁ…俺も誰に対してなのか、わからねーが……オーナーのあの顔を見るにはいい機会だろ……」

     リヴァイに話しかけたユミルがドアの向こうのエルヴィンを見ると、イブキと話す横顔は
    惚気ていて、仕事中、皆に見せるクールな目元は崩れていた。

    「まったく、リヴァイ…わざとでしょ?」

     ユミルの声にリヴァイは何も答えず鼻を鳴らす。図星だと感じたユミルは呆れ顔で
    新たな注文を受けるため、客のテーブルに向っていた。
     リヴァイの目の前ではカウンター席に座るペトラは少しだけ険しい表情で仕事に集中している。
     いつもの自分に向ける愛らしい笑顔とは別の顔にリヴァイは新鮮さを覚え、彼女の
    どんな表情でも大切にしたいと密かに願う。

    「ペトラ、今日も……仕事の量、多いのか……?」

    「大丈夫、もう終わるよ!」

     リヴァイに返事をしながらペトラはノートパソコンの画面の横からひょいと顔の覗かせ
    笑みを向ける。いつものペトラに戻った気がするリヴァイは自然に頬を緩める。
  73. 90 : : 2014/08/02(土) 14:59:09
    「あぁ…いらっしゃい、どうぞお入りください――」

    「オーナーの野郎……!」

     新たな客が来たにも関わらず、エルヴィンはイブキとスマホで話したままで、通話を中断して、ガラスのドアを開けてカフェに招いていた。
     カフェに入ってきた新たな客は背の高いエルヴィンの腕の下をくぐる様に入ってきた
    小学生の男の子だった。
     エルヴィンの態度にリヴァイは苛立つが、その客は気にも止めずそのままカフェに入ってきた。

    「ペトラ、会いたかったよ!」

    「何…!?」

     快活ある声がカフェに響くとリヴァイはその声の主を睨む。ペトラは首をかしげスツールを
    くるりと回し、あっと声を上げた。その顔を見た小学生の男の子はペトラに抱きついた。

    「トーマくんったら! こんなに早く会いに来てくれるとは思わなかったよ!」

    「だって、ペトラに会いたかったんだから…!」

     スツールに座るペトラに抱きついた男の子は水着のショーで出会っていたキッズモデルの
    トーマだった。
     ショーが終わった直後、トーマはペトラに家まで遊びに行くと言っていたが、勤めている
    カフェなら遊びに来ていいよ、と話していた。
     ペトラはトーマを自分の隣に座らせ、彼の話を聞くことにした。ただリヴァイは突如現れた
    トーマに不機嫌になり、ティータイムの仕事に勤しむことになる――
     ペトラがトーマのオーダーをリヴァイに頼むと、さらに無愛想に伝票に書き込んでいた。

     心を許せるペトラにトーマはこれまでのあまり打ち明けたことのないこと淡々と話し出しす。
     トーマが家族の稼ぎ頭のようで、両親は彼がモデルとして人気が出て、いいギャラをもらうと
    仕事を辞めてしまっていた。息子のマネージメントをするわけでもなく、トーマはただの
    『金づる』のようになっていた。不機嫌にショーに挑むトーマの姿の根底に
    この状況があったのかとペトラが初めて知ると、笑顔で話を聞いていたのに少しずつ険しい
    表情に変っていく。

    「トーマくん、それじゃ…君の身体が持たないでしょ? 思い切ってモデルを辞めて、
    両親に気づかせたら? 君がどんなに悩んでいるかって……」

    「それが簡単に辞められないんだよ……。 妹が生活できなくなるし」

    「そう……妹さんもモデルなの?」

    「いや、違うよ…それにモデルはさせない…普通の女の子として暮らして欲しいんだ」

     トーマは遠くを見るような眼差しで頬杖を付いて、もう片方の手ではストローを持って、
    半分ほど飲み干したコーラが入ったグラスの氷をつついていた。
     ペトラは幼いながらも責任感を持つトーマに感心して、そっと背中を撫でた。トーマも
    ペトラに甘えるように身体を傾け再び他愛もない話を続ける――
     
    「やっぱり、ペトラと話すと癒されるよ! また会いに来ていいか?」
     
    「うん、もちろん! 大歓迎だよ」

     トーマとペトラが寄り添うように話す姿にリヴァイは凄みのある眼差しを向け舌打ちする。
     リヴァイはトーマがペトラのことを呼び捨てにすることを聞き捨てならず、タイミングを見ては
    2人の合間に入ろうか推し量っていた。その矢先、トーマがリヴァイの視線に気づく。

    「ねぇ、ペトラ…さっきから俺たちを睨んでいるあいつは誰?」

    「えっ……私の婚約者! 私たち結婚するのよ」

    「そんな……」

     トーマは目を見開きリヴァイを見てはそのまま肩を落とすが、すぐさまペトラに熱い眼差しを注ぐ――

    「俺が大人になったとき、いつかペトラを迎えに来るつもりだったんだ…!」

    「もう…トーマくん…」

     ペトラが戸惑いの色を見せると、リヴァイが彼女の傍に近づいて肩をぎゅっと抱いた。

    「悪いが……ペトラは俺のものなんでな……」

     リヴァイはトーマを見下げるように睨み付けるが、トーマも負けじとリヴァイを鋭く睨み返した。
  74. 91 : : 2014/08/02(土) 15:00:41
    「だけど、この先わかんねーだろ、俺がいつか奪ってやるよ、いいよな? ペトラ?」

     幼くても眼差し鋭いトーマに言われ唖然とするが、ペトラはすぐに口元を綻ばせ目を細めた。
     リヴァイに抱きしめられながら、ペトラは彼に身を預けるように寄り添う。

    「残念だけど、私はリヴァイさんのものなんだ…!」

     ペトラはリヴァイを少しだけ見上げすぐにトーマを見据えた。今にも頬が落ちそうなくらいの
    笑みを浮べるペトラにトーマはガクリと肩を落とした。俯き加減のトーマの肩をペトラはそっと触れる。

    「いつでもここに遊びにおいでよ、トーマくんがお仕事で疲れたときとか、
    ここで美味しいケーキ食べてさ、リラックスしたらいいよ……!」

     トーマが見上げたペトラの微笑みは温かく、独占したい気持ちを堪えきれず彼女を抱きしめた。

    「ペトラ…好きだよ! 大好き」

    「ありがとね、トーマくん……」 

     ペトラを強く抱きしめながらトーマが彼女の肩から顔を出すとリヴァイがまるで
    矢を射るような鋭い眼差しで睨んでいた。トーマは意に介さずリヴァイを睨み返しペトラを
    抱きしめる腕は強くなっていった。

    「リヴァイ…! 結婚前にペトラさんを略奪されないように気をつけなきゃ…でも相手は小学生!」

    「ハンジさん、聞こえますって…!」

     キッチンから顔を覗かせるオーナーシェフのハンジ・ゾエと夫のモブリットはリヴァイと
    トーマが視線を合わせ火花を散らす姿に息を呑みながら観察する。特に夫のモブリットは
    ハンジがリヴァイを茶化すような発言をしないか、冷や汗を背中に感じ妻を見守っていた。
     トーマはカフェ『H&M』から離れた街に住んでいて、ペトラがカフェの壁掛け時計を見ながら、
    彼を最寄駅まで送ると提案していた。

    「ペトラ、俺はもっと一緒にいたいのに」

    「お父さんとお母さんも…それに妹さんも心配するでしょ? 遅く帰ったら……」
     
     ため息をつくトーマをどうにか帰るよう促し、二人はカフェの出入り口に立っていた。
     リヴァイが心配そうに眉間にシワを寄せ、ペトラを見つめ彼女の傍に近づいた。

    「リヴァイさん、大丈夫よ! すぐ戻ってくるから」

    「あぁ…」

     トーマはペトラの手を強く握って、リヴァイに勝ち誇った視線を送り鼻で笑う。

    「一緒に帰っていいんだよな?」

    「まぁ……子供を一人で帰すのもなんだ……俺が代わりに駅まで送っても――」

     トーマはリヴァイの話を最後まで聞かず、ペトラの手を引っ張り、カフェから逃げ出すよう
    に出て行った。
  75. 92 : : 2014/08/02(土) 15:06:32
    「あのガキ……」

     夕暮れの帰宅時間、2人は家路へ急ぐ人たちに紛れながら駅に向っていく。リヴァイは
    その後姿を睨みつけながら舌打ちした。
     トーマが座っていたカウンター席に視線を移すが、眼差しの鋭さに変化はない。
     片付け始めるリヴァイのそばにエルヴィンが近づいた。その表情は緩み半笑いだ。

    「リヴァイ、結婚前に……最大のライバル出現だな」

    「あいつはただのガキだ……ライバルにも及ばねーよ……」

     エルヴィンの声に頬を強張らせ、怒りに満ちた眼差しのリヴァイはカウンター内側の
    流し台に移動した。
     心に煮えたぎるような怒りを覚えるも相手が小学生でバカらしいと思い、いつもの冷静さを
    取り戻そうと大きく深呼吸をする。 
     リヴァイの心境も露知らず、トーマはペトラと手を繋いで話せることの喜びで笑みを浮べていた。
     その幸せな表情はモデルの仕事では見せない心が充たされた笑みである。

    「俺、早く大人になりたい、それでペトラを迎えに行きたいよ」

    「もう……トーマくんったら…! あなたが大人になっても、私はリヴァイさんと結婚しているから――」

     ペトラが幸せそうに綴る言葉に仏頂面を晒し、トーマが繋いでいる手は自然に力が入った。

    「…俺がどうあがいたって…ペトラに手は届かないのか」

    「そうね……残念だけど」

     目的の駅が近くなるに連れてトーマの歩みは遅くなり、足取りも重く感じていた。
     肩を落とすトーマの手のひらを強く握り、ペトラは改札近くまで足早に連れてきていた。 

    「トーマくん、もう到着したよ! 早く帰らなきゃ」

    「うん…」

     手を繋いで俯いたままを見つめるペトラは軽くため息をつく。
     ペトラは彼の髪に軽く触れ、それでも笑みは向けたままだった。

    「もう、どうしたの…? 私はあのカフェでいつでも待っているから」

    「俺はそんな、ちっせーガキじゃねーよ……」

     トーマは頭を撫でられ子ども扱いされたと感じ、勢いよくペトラの手を引き寄せ彼女の頬にそっとキスをした。

    「ペトラ……あいつに免じて、頬にしてやったよ……また会いに来る、送ってくれてありがとう……」

     リヴァイに勝てないという悔しさでペトラの耳元に素っ気無くつぶやいた。トーマはペトラの
    優しい笑みが忘れられず、また時間があるときにはカフェに行こうと強く誓っていた。
     改札に消えゆくトーマを見送りながらペトラはキスされた頬を手のひらで押さえそっと
    笑みを浮べる。

    「もう、この子ったら――」

     半ば呆れ顔のペトラはため息をついて愛するリヴァイの待つカフェに戻ることにした。
     小学生に慕われてもペトラは、ただ一心にリヴァイを見つめ、彼を想うだけで自然に笑みが
    零れる。
  76. 93 : : 2014/08/02(土) 15:10:11
     カフェのガラスのドアの前にペトラが姿を現すと、リヴァイがドアを開け彼女を迎え入れた。  その表情は強張り目元は影を落としているようだった。

    「ペトラ…おかえり……」

    「リヴァイさん、ただいま……そんなに心配しないでよ! 相手は小学生よ」

    「えぇ…まぁ」

     リヴァイはペトラの背中に自然に手を添える。普段、リヴァイはカフェではペトラに触れる
    ことはないが、その時だけは少しばかり狼狽して、日常にない行動をしていた。
     エルヴィンは珍しくリヴァイが弱々しい眼差しでひたすらペトラを見つめる姿に頬を緩ませた。

    「まさか…キスとかされてたりして――」

    「オーナー…何言ってんだ…」

     エルヴィンは冗談のつもりだったが、リヴァイは舌打ちで返事した。ペトラはハッと目を
    見開き、トーマにキスされた頬を押さえていた。リヴァイはトーマが出て行ったガラスのドアを
    恨めしそうに鋭く睨む。

    「あいつ……」

    「リヴァイさん、頬にキスなんて、挨拶みたいな感じでしょ…焼きもち焼かないで…!」
     
     リヴァイはため息混じりに眉根を寄せペトラの肩にポンと触れた。

    「ペトラ……これからFDFの営業に入る――。あのガキめ……」

     苛立ちあらわにリヴァイはガラスのドアを開けカフェから離れた。リヴァイは当初、ペトラを
    追いかけてくる『たちの悪い男』がいるのではないかと、要らぬ心配をしていた。だが、
    それを自分の予想を遥か上回るような、ペトラに好意を持つ小学生の出現でまたさらに
    不機嫌になる自分が気に入らず、いつもの冷静さを失う自分自身に苛立っていた。

    「リヴァイさんったら……」

     呆れ顔でリヴァイの後姿を見送るペトラの傍にエルヴィンが近寄った。

    「リヴァイはずっとペトラさんを心配して、ドアを開けては何度も追いかけようとして……
    あいつらしくなく、落ち着きがない姿は見ものだったよ」

    「そんなことがあったんですか……!」

     視界から消えたリヴァイだが、ペトラの脳裏にはいつまでも彼の姿が映っていた。

    (私は……リヴァイさんだけなのにな……)

     ペトラの口端には幸せが宿る。リヴァイを追いかけるため、ガラスのドアを開き彼女も
    クラブ『FDF』に向けて駆け出した。リヴァイはすでにクラブのドアの前に到着していて、
    背中からまだまだ苛立つ気持ちがペトラに伝わるようだった。

    「リヴァイさん…!」

    「ペトラ……どうした?」

     背後から愛おしい声が響くとリヴァイは自然に反応して振り返る。
     優しい笑みを捧げるペトラはリヴァイを抱きしめ、背伸びをしながら苦しいくらいの口付けをした。

    「リヴァイさん……今日のことは、これで忘れてね――」 

     彼の唇から離れたイタズラっぽい眼差しにリヴァイは面食らった。
     ペトラを強く抱きしめ耳元でささやく。

    「今夜は……俺が帰ったら覚悟するんだな、一晩中……」

     氷の冷たさに熱が篭ったリヴァイの声にペトラの鼓動は激しくなり、その頬は少しずつ
    紅潮していった。

    「えっ……うん、わかった…待ってるね」

    「ペトラ…行ってくる」

    「いってらっしゃい……」

     リヴァイは名残惜しそうにペトラの指先をぎゅっと握り、顔を引き締め改めてFDFの
    営業の準備に入った。
     エルヴィンも営業の準備のためクラブまで移動してきていたが、
    2人の姿にあてつけられた気がして、はにかみながら頬を指先でこする。
      
    「ペトラさん……俺も行ってきます」

    「はい、いってらっしゃい!」

     ペトラは何事もなかったようにエルヴィンも笑顔で見送っていた。 
     リヴァイに深く愛されることでペトラは女として揺ぎ無い自信を持っていた。
     すでに暮れ始めた茜色の空をペトラは目を細めながら見上げる。
     夕食は何にしようかと、リヴァイの好きなメニューを考え、笑みが零れるペトラの唇にも
    確固たる幸せが宿っているようだった。
  77. 94 : : 2014/08/20(水) 10:37:20
    (22)再会の夜(上)

     ある平日のクラブ『FDF』の深夜前、DJリヴァイがジャン・キルシュタインにブースを譲り、
    フロアで客の様子を伺っていると、彼は男性の常連客に話しかけられた。
     この客はリヴァイがセレクトする音について質問を投げかけることもある。
     リヴァイにとって、その類の質問や雑談は大歓迎で、いつも互いに和んだ時間を過ごしていた。
     その夜も雑談を楽しんでいるとき、突如その常連客は目を見開き、何かを思い出しながら、
    リヴァイに新たな話題を差し出した――

    「そうだ、リヴァイさん、ここの最寄り駅から一駅隣の、わずかしか離れていない歓楽街に
    最近、クラブが出来たって知っている?」

    「いや…俺は聞いたことはないが?」

    「男女のツインDJで、結構面白いらしいんだ……音の好みによって、ここから客が流れたりしてな!」

     2人は音に関しては何でも話せる仲であるが、特にこの客は曲に詳しくて、いい意味で
    『音にうるさい客』であり、リヴァイは彼がくれた情報を聞き逃せなかった。
     そのクラブの場所も知らされリヴァイは一人、偵察に行くと決めた。
     営業を終え、常連客から聞いた情報をオーナーのエルヴィン・スミスに伝えたリヴァイは
    真剣な眼差しと共に偵察すべきだと賛同されていた。 エルヴィンも一駅隣のクラブが
    どのような営業をしているのか、経営者として気になる点が多々あるようだった。
     話を聞いた翌日の夜、クラブ『FDF』の営業開始はジャンが始めにブースに立ち、
    リヴァイが戻る予定の時間から繋ぐことになった。

     平日の夜のため、その新しいクラブの客は少ないだろうとリヴァイは踏んでいたが、
    予想よりも客の入りがよく息を呑んだ。それでもその直後、妖しく笑みを浮べる。
     年齢層が低く、若い客ばかりで入場料以外の金を落とす額は少ないだろうと想像していた。
     クラブの内装を見渡すと、『FDF』が大人が遊べるクラブで落ち着ける雰囲気なら
    そこは対照的にやけに派手なLEDのライトが点滅していて、リヴァイはその光に眉根を寄せていた。

    (まぁ……ターゲットにする年齢層が違うなら、この内装もありなのか――)

     クラブの出入り口から堂々と入店するリヴァイはそのクラブの従業員から、一目で
    『FDF』のDJリヴァイだと気づかれた。『同業者お断り』と言うべきか狼狽するがリヴァイの
    鋭い眼差しに口をつぐんしまう――
     元々、客の年齢層が低く珍しい大人の客、というだけでなく、凄みのある雰囲気の
    リヴァイにクラブの従業員は簡単に近づけなかった。
     多くの客が踊り狂う先のDJブースに目をやるリヴァイは再び妖しく笑う。

    「やっぱり、あいつらか……」

     男女のツインDJの正体、ファーラン・チャーチとイザベル・マグノリアがフロアを盛り上げる
    姿にリヴァイは鼻で笑っていた。缶ビールを一口飲んで、リヴァイは大きく息を吐く。

    (イベントのリクエストもこの2人だろう……まぁ、俺が負けるわけがないが――)

     リヴァイは最近のDJイベントで、あるナンバーをリクエストしたのはこの2人だろうと確信していた。
     かつてリヴァイが他のクラブのブースに立っていたとき、そこに客としてやってきた
    2人は彼に親しみを覚えたのか、常連になり、仲間になっていた。その当時から、
    『アニキのようなDJになりたい』と言われていたが、リヴァイはDJとして原点に戻ろうと決意した頃と重なっていた。直後、リヴァイがそのクラブを辞め、2人とは縁がプツリと切れてしまっていた。
     リヴァイは2人から憧れているともちろん自覚していた。それでもクラブ『FDF』の
    一駅隣の歓楽街のクラブで回しているとは予想さえしなかった。
     リヴァイはクラブの出入り口付近から2人のDJ風景を眺める。最新の流行のナンバーを
    中心にセレクトしている影響か、男女の客層はクラブ『FDF』に比べても断然若いと改めて知る。
  78. 95 : : 2014/08/20(水) 10:38:42
     一方、フロアの隅ではナンパする女性客を巡り、男性客どうして睨みあい、一発触発の
    雰囲気が漂っていても、クラブの従業員は誰一人、間に割って入る様子もなかった。 
     リヴァイはその光景に呆れ顔で軽くため息をつく。

    (まぁ…ウチとは比べ物にならねーな……)

     『FDF』の場合、無理にナンパする客は従業員が注意してやんわりと合間に入る、という
    ことを徹底している。その気遣いで常連になってくれる女性客も多く存在する。
     改めてリヴァイはエルヴィンが築き上げたクラブ営業方針に感心すると同時に『FDF』で
    DJとしてブースに立てることが誇りだと改めて感じ、自然に口元だけで笑っていた。
     ブースに立つファーランが何気にフロアに視線を送り出入り口付近の見覚えのある
    人物に首を傾げる。次にハッとして目を見開きながら隣のイザベルに話しかけた。
     もちろん、視線はその人物から外さず、そのまま正面を見据える。

    「イザベル…! リヴァイが来てるぞ、向こうを見ろよ」

    「えっ! アニキが……!」
     
     ファーランの視線の先をイザベルもその目で追い、リヴァイを見つけては頬を綻ばせた。
     2人は視線を合わせ頷くと、その時にフロアを包み込むナンバーのボリュームを下げ、
    ある1曲を突如、カットンインしてきた――
     エレクトロの機械的な音からスローなピアノの調べと一定のリズムを保った
    エレキギターの音が少しずつフロアを包んでいった。

    「あいつら……!」

     リヴァイは舌打ちしながらフロアを見渡す。客はエレクトロダンスナンバーに酔いしれていたが、
    突如、これまでの雰囲気も違うナンバーにどよめき、戸惑いながら身体を揺らしていた。
     突然、ぶっこんで来たのは彼等がFDFのDJイベントでリクエストしたEminemの
    Lose yourselfだった。
     少し苛立ちながらリヴァイは歯を食いしばり、冷めた眼差しで2人を見守っていた。

    (俺がいると気づいても、曲の流れってもんがあるだろう……)

     2人を見ることに夢中になり、気がつけば手元の缶ビールは生温くなっていて、
    リヴァイの唇が温さを感じる。彼はそれ以上、ビールを口にすることはなかった。
     ファーランとイザベルが自分に親しみを感じていただけでは飽き足らず、
    その曲をよくリクエストしていた当時をリヴァイを呆れ顔のまま思い返していた。
     当時、DJとして岐路に立たされていた、と思い浮べた瞬間、この曲のサビが脳裏に過ぎる―― 

    ――自分を忘れるくらい、音楽にすべてをささげ、チャンスを掴め
    絶対手放すな、次はないんだからな
    たった一度のチャンスを見逃すようなヘマはするな
    おまえの人生で一回限りのチャンスなんだからな――

     リヴァイはFDFよりもやけに派手な照明やブースを見張りながら、自分のDJ人生を思い返す。
     DJとして岐路に立たされたと感じた頃にエルヴィンと出会い、飛躍するチャンスをつかんで、
    何年も自分が好きなようにFDFのブースに立っている。
     それだけでなく、ペトラ・ラルという大切な存在にも出会い、プライベートも充実している。
     与えられたチャンスを活かし、自分が予想さえしなかったことがリヴァイのの身に起きていた。

    (確かに人生は一回きり……だが、ペトラと歩む人生、ヘマはできねーが……
    だが、納得する選択をすれば、どう転んでも、あがいてもそれは俺の人生だがな――)

     リヴァイは温くなったビールを一気に飲み干し、大きく息を吐く。
     頬に宿る笑みは充実感を表すが、もちろんリヴァイはペトラを幸せにする選択ならいくらでもするだろうと思っていた。
  79. 96 : : 2014/08/20(水) 10:39:39
     いきなり曲の流れを変えたことにより、客の一人がブースに立つイザベルに向かい
    缶ビールを投げつけた。
     イザベルはビールを頭から浴びせられても、驚くのは最初だけで、投げた方向を睨みつける。
     ブースに立ちながら彼女が感情を露にすることはなかった。

    (昔のあいつなら……ブースから飛び出してケンカになっていただろう……
    イザベルも大人になったってことか……)

     リヴァイの斜め前で踊る客も便乗してブースに向ってビールを投げようとした瞬間、彼は客の腕を掴みその行動を阻止した。

    「すでにイザベルはビールを浴びている……もういいだろう…」

    「何だよ……おっさん――」

     いきなり背後から腕を掴まれただけでなく、リヴァイの凄みにこの客は後ずさりした。 
     
    「この人……FDFのDJだ……確かリヴァイだっけ」

    「へーっ…だけど、何しにここに来たんだ……?」

     リヴァイに気づいたFDFよりも若い男性客が彼を囲みだそうとしたとき、
    ブースに立つファーランが出入り口付近で人だかりの異変に気づく。
     機転を利かせ、ブースに立つファーランは曲の流れをエレクトロに戻す。
     リヴァイの周囲にいた客は流行のナンバーに耳を傾け、次第にブロアに繰り出していった。
     人だかりがまばらになったとき、そこに取り残されたかのように佇むリヴァイに
    ファーランは安堵感で胸を撫で下ろした。
     出入り口付近で一人佇むリヴァイに対して、ファーランはそっと右手を上げ、合図する。
     口元は薄っすらと笑みを零しているようだった。リヴァイはファーランの笑みに呼応して、
    同じように右手を上げて合図を返した。
     リヴァイの合図の意味は彼の周辺にいた客を追い払った礼を含んでいるようだった。

     リヴァイにケンカを吹っかけようとした若い客たちはファーランとイザベルがセレクトする
    ナンバーに狂ったように踊り出す。リヴァイはただ冷めた眼差しで彼等を見ていた。
  80. 97 : : 2014/08/23(土) 11:55:48
    (23)再会の夜(下)

     リヴァイがファーレン・チャーチとイザベル・マグノリアのDJブースを眺めながら、腕時計で
    時間を確認したとき、自分の出番もあり、そろそろこのクラブから出た方がいいと判断した。
     フロアから離れリヴァイがクラブの出入り口に向かい踵を返し何気なくブースに
    視線を送ったとき、イザベルがブースから離れようと移動し始めていた。
     イザベルの動きにリヴァイは自分の元に来るのだと気づく。当時から短い赤い髪を
    ツインテールにしているが、その姿が近づこうとした瞬間、リヴァイは右手を上げ、来るなと
    合図し、首を左右に振った。

    「アニキ、どうして……?」

     イザベルがリヴァイへ近づこうとした動きを止めたとき、彼は手を上げたまま頷いた。
     来るな、という理由がすぐに理解出来ないイザベルの表情はただ困惑しているようだった。
     リヴァイはブースに立つときは不要に離れるな、ということを伝えたいだけである。
     上げていた手のひらを2人に向けリヴァイは親指を宙に浮かせ、サムアップした。

    「やった……! アニキ、俺たちのこと褒めてるのか……?」

     親指を高々に上げているリヴァイは不敵の笑みを浮かべ、その直後、親指をフロアに目掛け、
    下ろしてサムダウンをした。その姿にイザベルは驚きのあまり、目と口を開きっぱなしだった。
     
    「まだまだ…俺には追いつけねーな、2人とも……」

     リヴァイがサムアップしたのは、自分に憧れるだけでなく、初めて出会って
    何年も過ぎているのにクラブで実際にDJブースに立っていること、
    またイザベルが缶ビールを投げられても感情的にならなかった、ということを
    褒めていたからだった。
     イザベルはリヴァイのサムダウンに自分たちに対してどんな不満があるのか気づけず、
    仏頂面を晒して不機嫌に頷いていた。その顔に隣のファーランがすかさず話しかける――

    「イザベル、ブースに立っているときは自分の持ち場を離れるなよ」

    「アニキ…久しぶりに話が出来ると思っていたのに…俺たち、何がいけないんだろ…」

    「リヴァイは俺たちの実力がまだまだ、ってことを言いたいのさ……
    それに来るなって合図したのは、フロアが盛り上がっているときにブースから離れるな、
    ってことだろうな……おまえもリヴァイの完璧主義わかるだろ?」

    「うん……ホント、俺たちは……アニキの背中はまだ見えてないのかな……」

     自信を失いそうなイザベルにファーランは意気込み、盛り上がるフロアを鋭く眺めた。

    「だけど……俺たちは超えてみせるよ、いつかリヴァイよりもフロアを盛り上げられるようになるんだ!」

    「そうだよね…! きっと、アニキを超えられる」

     ファーランの自信溢れる声にイザベルもフロアを目を細めながら眺める。その直後、
    自分へ缶ビールを投げつけた客を見つけていた。その客を目で追っている姿に
    ファーランは営業が終わる頃、イザベルが何かしでかさないか、わずかばかり呆れていた。
     だが、このクラブのオーナーやマネージャーが許さないだろうとも思っていた。
     リヴァイはかつて自分を慕ってくれた仲間たちがDJブースに立つ姿に、素直に嬉しく
    感じても、まだ足元に及ばない、ということだけでなくこのクラブが競合相手にもならないと判断した。
     クラブ『FDF』のオーナーのエルヴィン・スミスにいち早く報告しようと、リヴァイがスマホを
    取り出したときだった。
  81. 98 : : 2014/08/23(土) 11:58:19
    「――リヴァイ、久しぶりだな」

     不意にリヴァイは肩を叩かれ、その肩越しに声の主の元へ顔を上げると、リヴァイは
    安堵感で細めていた目を大きく見開いた。
     そこに立っていたのはこのクラブのオーナーのフラゴン・ターレットである。洗いざらしの大きな
    サイズの白いコットンシャツを着ていて、第3ボタンまで外している。鍛えているであろう
    胸元を晒し、細身のジーンズが似合っている。エルヴィンとも異なる大人の雰囲気に
    リヴァイは目を開きっぱなしだった。
     エルヴィンより少しだけ背が低いフラゴンをリヴァイは心なしか引きつる頬で見上げていた。

    「フラゴンさん…久しぶり……まさか、ここのオーナーなのか……」

    「あぁ、そうだ……おまえがいたあのクラブは、色々あってな……あれから閉店したんだが
    また改めてクラブの営業を始めたってことなんだ――」

     フラゴンはあごひげに触れ、懐かしそうにリヴァイを見つめていた。
     かつてリヴァイがDJとしてブースに立っていたそのクラブのオーナーがフラゴンだったが、ファーランとイザベルも常連客だった。
     やり手の経営者で、自分の型にはめたがるフラゴンとリヴァイは何かとぶつかることもあったが、
    面倒見がよかった。同じ経営者のエルヴィンは厳しい面もあれば、柔軟性もある。
     フラゴンと比べてしまえば、現在のリヴァイにとって、比較的自由にさせてくれる
    エルヴィンがオーナーのFDFの方が心地よく仕事が出来る――と心底感じていることは
    彼にとって紛れもない事実である。
     フラゴンもファーレンとイザベルがDJになりたくてリヴァイに憧れていることを当時から
    知っていた。

    「――で、このクラブをオープンしようと準備をしながら、DJを探しているときに……
    2人のことを思い出して、試しに連絡したら他のクラブでツインDJをやっているって言うんで
    ……そのまま引き抜いた!」

    「引き抜いてまで……?」

     フラゴンの話を聞きながら、リヴァイはさらに頬を引きつらせた。他のクラブから
    引き抜くことになると、他店から目をつけられ、営業がしにくくなるのではと懸念した。
     リヴァイの表情に気づいたフラゴンは愉快そうに口元で笑う。

    「客として会っていた昔から、気になる2人組なんだが……だけど実際にブースで
    プレイさせると、この実力がまだまだでさ…! 通りで元のクラブが二つ返事で
    引き抜かせてくれたわけだ!」 

     フラゴンは話している途中から呆れ顔で頭を掻いて目は宙を彷徨っていた。

    「どうせなら、ウチで育てみても面白いと思ってな…!」

     懐かしさから一方的にフラゴンはリヴァイに話しかける。呆れた表情から意気揚々とした
    口調に変っていく。ブースを見つめる眼差しは温かく、子供の成長を見守る親にも見えた。

    「リヴァイ、おまえは…ある意味、この業界では『老舗』のFDFで何年もブースに立っている
    って聞いたぞ……俺も、あの2人をおまえに負けないように育てないといけないな」

    「それは…もう、フラゴンさんに任せれば……だが、クラブ内の風紀も気をつけた方がいい」

    「えっ…!」

     リヴァイの視線の先にはフロアの隅で女性客を無理にナンパしようとする客がいた。
     フラゴンはあっ、と目を見開いて頬を強張らせる。

    「――だな……まだオープンしたばかりで、その辺がまだまだなんだよな……
    ウチもFDFに負けないよう、俺も頑張らなければいけない……」

     フラゴンが再びナンパをしている客に視線を送ったとき、今度はほっと胸を撫で下ろす。

    「もう、俺の『右腕』が宥めにいった……あいつだけでなく、他の従業員にも…その辺を
    見張るよう、さらに注意を促さなければならんな――」
  82. 99 : : 2014/08/23(土) 12:00:17
     リヴァイに指摘されたことで、フラゴンの語尾はため息混じりになった。だがリヴァイは
    フラゴンの『右腕』という、久方ぶりのその姿に再び目を大きく見開いた。
     笑顔で接客するも目は笑っていない、このクラブのマネージャーというサイラムがナンパ
    する客に立ち向かっていった。
     黒縁メガネがトレードマークで、カジュアルな雰囲気とは正反対のサイラムはジャケットを
    着こなしている。その下のストライプのシャツにネクタイをゆるく結んでいて、仕事帰りの
    ビジネスマンにも見える。リヴァイは懐かしい優等生に目を細める。正義感の強さも相変わらずで、
    ナンパする客を宥める姿は頼もしかった。
     リヴァイがフラゴンのクラブでDJをしていた頃、経営に興味を抱く当時、学生だった
    サイラムがフロアのウェイターとして勤めていた。互いに真っ直ぐな性格でも方向性の
    違いから反りが合わなかったことをリヴァイは覚えている。
     それでもそのサイラムがフラゴンの右腕と聞いて、リヴァイは少しだけ焦る気持ちが胸に広がった。

    「サイラムとは昔から経営のことで意気投合して、2人でいつか、店を持ちたい、
    って話していて…それが、やっと叶って今に至るんだ…あいつはホントに俺のいい右腕だよ」

    「そうか……サイラムもここにいるのか――」

    「『真面目くん』がクラブで何やってんだ…!って顔しているな、リヴァイ!」

    「いや…それは…」

    「まぁ…俺はあいつの真っ直ぐで真面目なところが気に入っているんだよな…!」 

     フラゴンは自信が溢れる笑みをその口端に宿らせた。サイラムに送る視線はファーランと
    イザベルとは違い、熱を帯びているようだった。頼りにしている証だとリヴァイは感じる。

    「そうだ、俺はそっちのオーナーのスミスさんには、会ったことはないんだ……
    ここが落ち着いたら、偵察に行かなければな、俺も」

    「あぁ……オーナーに伝える、俺はいつでも歓迎だ」

    「それと、リヴァイ、おまえがブースに立っている時間とここの営業はダブってしまうだろうが、
    またいつでも、ここに寄ってくれ……呼び止めて悪かったな――」

     フラゴンは軽く右手を上げ、肩越しにリヴァイを見ては自分の持ち場に戻っていった。
     リヴァイはエルヴィンに連絡しようとスマホを取り出していたが、その手で固く握ったままだった。
     何と報告しようか迷いながらリヴァイはこのクラブを後にする。エルヴィンとも違うやり手の
    フラゴンがオーナーで、頼りにされているマネージャーのサイラムを思い浮かべながら、
    リヴァイの眼差しは少しずつ険しくなっていく。

    (DJは…まだまだ俺には及ばないが、それ以外が……競合相手…ってことか――)

     リヴァイは歯を食いしばり最寄り駅に向いながら、ふと腕時計で時間を確かめる。
    自分の出番が迫っているが、それよりもFDFの今後が気になり出していた。

    (ウチのオーナーだって…負けていない…いい競合店が出来た方がいい緊張感が保てる……)

     リヴァイはスマホを再び手に取り、エルヴィンの番号を見つめる。
     だが、エルヴィンに直接、このクラブで見てきたことを話した方がいいと判断した。
     リヴァイは自分の帰る場所である『FDF』に向かう足取りは無意識に速くなる。彼の姿は
    瞬く間に駅の構内で消えていった。
  83. 100 : : 2014/08/28(木) 11:45:24
    (24)永遠(とわ)の誓い<第5章最終話(上)>

     リヴァイがかつて世話になったフラゴン・ターレットがオーナーとして経営するクラブから
    彼のホームであるクラブ『FDF』に帰ったその夜――。彼の怪訝な色を浮べた表情を
    一目見たオーナーのエルヴィン・スミスは眉をひそめる。
     その夜は平日でも忙しく、経営者のエルヴィンにとっては喜ばしいことである。
     しかしながら、リヴァイの偵察について、詳細を聞きたくても時間が作れず、結局2人は
    カフェ『H&M』のティータイムでミーティングの時間を設けることにした。
     翌日、エルヴィンはいつもより早めにカフェに到着して、ペトラ・ラルに引き継ぐ事務的な
    仕事を手早く済ませ、リヴァイと共にカフェの中でも一番端のテーブル席に移動した。

     エルヴィンが皆に背中を向け、リヴァイがその正面に座る。リヴァイは腕を組み、
    時には頬杖を付いて前夜のことを目の前のエルヴィンに報告した。
     互いの目元は険しく、クラブを経営して初めて出現した競合店とリヴァイが
    知るフラゴンについて、エルヴィンは耳を傾けシステム手帳に細かく記していた。
     珍しく2人が話し込んでいる最中、ペトラがカフェへ出勤する時間となる。いつもなら
    リヴァイがガラスのドアを開け、大切な彼女を迎えてくれるが、さすがにその日はそれもない。
     ペトラは首をかしげティータイム中のカフェ『H&M』に入ってきた。

    「あれ……リヴァイさん、どうしたの……? オーナーと2人で…?」

     戸惑い、独り言をいうペトラに帰った客のテーブル席を片付けていたユミルが近づいた。

    「ペトラさん、今ね…クラブのことで2人はちょっとミーティング中なのよ――」

    「えっ…そうなんだ……そういえば…」

     前夜のリヴァイはいつとは違い、少しばかり険しい表情を浮かべ、考え事でもしている
    ように見えた。
     これまでリヴァイが仕事を家に持ち帰る、ということはクラブのイベントのときくらいである。
     その夜はいつもに比べ口数も少なく、すぐにリヴァイは就寝していた。
     眉間にしわを寄せ、エルヴィンと話をするリヴァイを尻目にペトラは自分の仕事に取り掛かる。

    (私も……リヴァイさんに相談したいことがあったのにな――)

     ペトラは軽くため息をつくが気持ちを切り替え、ノートパソコンの電源スイッチを入れた。
     リヴァイはペトラがカウンターに座って仕事を始めたにも関わらず、彼女の存在にさえ気づかず、
    エルヴィンと夢中になって話し込んでいた。
  84. 101 : : 2014/08/28(木) 11:47:39
     ペトラが事務的な仕事を追えパソコンを閉じたとき――。新たな来客で視線を出入り口のドアに送った。
     そこに立っていたのは自分の仕事がひと段落して、気分転換にきていたイブキだった。
     それでもリヴァイとエルヴィンは2人の存在に気づかない。

    「ペトラさん、こんにちは…? あれ? 今日は2人とも忙しいのね」

    「えっ…そうみたなの、イブキさん…」

     イブキは2人を尻目にカウンター席のスツールに座り、ペトラの横顔に視線を送った。
     ペトラの眼差しが、心なしか影を落としていることにイブキは気づく。

    「どうしたの、ペトラさん…何かあった…?」

    「えっ…あのね…私が通っているスクールの課題でケーキを作ることになったんだけど、
    それをどのケーキにしようか……迷っていて――」

    「へーっ…ケーキを作るんだ……」

     カウンターでペトラはイブキに課題のプリントを見せた。様々なケーキに視線を落としながら
    イブキはあるケーキに目を大きく見開いた。

    「――絶対、今の2人にはこのケーキがいいよ! でも、日取りとかあるし、すぐには難しい
    のかな……」

    「私もそれをリヴァイさんと相談したくて…でもあの様子じゃね……」

     ペトラが肩越しにリヴァイを見つめる姿は戸惑いながらも、口角を少しだけあげる。
     イブキが2人を見ても、相変わらず話に夢中だった。

    「ずっとあの調子なの…? 2人は?」

    「うん、そうなの……なんだか…とても大変なのかな、ずっと険しい顔して――」

    「で…その課題はいつなの…?」

     イブキは課題の日付に視線を落とし、ペトラを見上げた。照れながらも、戸惑う表情に
    リヴァイに遠慮して彼女が話しかけられないのだとイブキは感じていた。

    「ペトラさん…この日付だったら…早く相談した方がいいよ…」

     自然とスツールから立ち上がりイブキはリヴァイとエルヴィンのテーブル席に身体を向けた。
     ペトラはリヴァイと出会った頃、年齢差があるだけでなく、DJとして人気があることを知り
     遠慮がちになっていた。それでも2人は付き合いだし、リヴァイからもそれを指摘されたこともあり、
    あるがままの自分をペトラは振舞っていた。
     いざ、自分の大切なことを話したいこととなると、ペトラの遠慮がちな性格が久しぶりに現れていた。

    「ペトラさん、やっぱり…招待したい人の予定もあるだろうし……早めに相談した方がいいと思うよ」

    「うん…」

    「私…いってくる…!」

    「イブキさん…!?」

     意を決したようにイブキは2人のテーブル席に向う。ペトラは大きな瞳をさらに大きくして
    イブキの背中を見送った。
     イブキはペトラが気を使って話せない姿に居た堪れなく、率先して自ら2人に挑む。
     様々なケーキの種類の中からペトラが選びたかったのはウェディングケーキだった――
     ペトラが課題プリントに視線を落とし、顔を上げたとき、イブキが2人のテーブル席に近づいていた。
     イブキがそばにいることをいち早く気づいたのは、リヴァイである。
  85. 102 : : 2014/08/28(木) 11:49:37
    「イブキさん、どうした……?」

    「えっ…イブキ…?」

     話し込む最中、リヴァイが突如、思わず口をついた名前がイブキで、彼の視線を追って
    エルヴィンは振り向く。リヴァイは頬杖をついていた手のひらを頬から離し、そばに立つ
    イブキを見ていた。
     エルヴィンは腕組みしながらイブキを見上げる。大切な彼女が視界に入ってきても
    険しい眼差しを向けていた。

    「イブキ…悪いが今は話し込んでいて――」

     やっと話せる、とイブキが安堵のため息をつくのも束の間、エルヴィンとリヴァイは
    眉根を寄せ、厳しい表情を浮かべているのは明らかだった。

    「お2人とも……とても長く話しているみたいだけど……ここらでブレイクタイムにしては…どう?」

    「えっ…!」

     エルヴィンはイブキが放つ予想外の一言に目を見開く。これまで彼女が彼の仕事に対して
    話に割り込むようなことはなかったからだ。

    「リヴァイさんも…ペトラさんと話してリフレッシュ!」

    「ペトラ……? 来ていたのか――」

     イブキがペトラの名前を出してリヴァイはその日、初めてペトラの存在を確認していた。
     エルヴィンと話すことは平行線のままで、前夜の出来事やフラゴンがかつてどのような
    営業をしていたか、という話の繰り返しだった。

    「まぁ…そうだな……オーナー、ここで気分転換でもするか……」

     ペトラが来ていたことをしばらく気づかなかったこともあり、リヴァイは申し訳ない気持ちから
    すぐさま立ち上がった。イブキの言うとおり、2人はブレイクタイムをとることにした。
     リヴァイが席を立って、ペトラが座るペトラのカウンター席に移動し、空いた席はイブキが
    座ることになった。リヴァイがペトラの傍に立ちながら話をしていると思いきや、突如
    スツールに座りだす。リヴァイは課題のプリントを両手に取って見入っていた。
     イブキはリヴァイの後姿に安堵で胸を撫で下ろす。ペトラが振り向いてイブキに笑みを浮べた。
     彼女の柔らかい笑みに話せたんだと、イブキもそっと笑みを返した。

    「どうした……イブキ…?」

     テーブルを隔て目の前に座るイブキが自分と話もせず、ペトラと視線を合わせる様子に
    エルヴィンは首を傾げていた。

    「あぁ…まぁ、あの2人からすぐにでも話があると思うよ」

    「そうか……」

     エルヴィンはリヴァイとの話が平行線でも、話し続けたため、喉の渇きを感じ
    目の前のアイスコーヒーを手に取る。グラスの中の氷はほとんど解けていた。
     グラス周りはまだ冷たさは残るも、結露の影響でまるで汗をかいているようにも見える。
     エルヴィンが持ち上げたブラスから数滴の雫がテーブルに落ちていた。
     それでもアイスコーヒーで喉を潤し、その姿にイブキが視線を合わせ話し出す。
  86. 103 : : 2014/08/28(木) 11:51:17
    「エルヴィンさん、お疲れのようね……大丈夫?」

    「えっ…まぁ、クラブの競合店が一駅隣に出来て、今、そのことをリヴァイと話し合っていたんだが――」

     グラスをテーブルに置きため息をつく。エルヴィンの珍しい影を落とすような眼差しに
    イブキはそれでも笑みを絶やさず彼を見つめていた。

    「そう……大変ね……でも、たくさんの常連さんだっているし、この街では数少ない
    大人が遊べる場所だし、私は好きよ、『FDF』――」

    「そう言ってもらえると嬉しいよ…」

     エルヴィンはイブキの言うことでようやく笑顔が戻ったようだった。互いに相好を崩し
    他愛もない話をしていると、イブキが再びエルヴィンから視線を逸らし顔を上げた。
     リヴァイとペトラが近づいてきて、その動きに気づいたエルヴィンが二人の元へ身体を
    捻った。

    「オーナー…」

    「どうした、リヴァイ…?」

     いつになく真剣な眼差しのリヴァイにイブキと笑みを交わしていたはずのエルヴィンは、
    その表情に眉根を寄せた。イブキはリヴァイが何を言うのか想像が出来ていて笑顔で
    2人を眺めていた。

    「俺たち……このカフェで結婚式を挙げたい…!」

     エルヴィンは驚きと嬉しさが混ざる表情を浮かべ、2人を眺めていた。

    「もちろん…それは大歓迎だ…! このカフェから2人が始まった……結婚式もここでいいだろうな――」

     リヴァイはエルヴィンにペトラのスクールの課題でウェディングケーキを作ることを話す。
     それを審査する先生のパティシエのカイも結婚式に招待するという。
     またカフェ『H&M』は、ケーキを作る設備や道具も調っていて、ペトラがカフェのキッチンで作り、
    皆に振舞いたい、ということだった。エルヴィンはキッチンに立つオーナー・シェフの
    ハンジ・ゾエと夫のモブリットを呼んで、二人の結婚式の話をしては、感激されていた。

    「リヴァイ、ペトラさん…! もちろん、大歓迎だよ! 私たちもサポートするから、
    いい結婚式にしようね!」

    「はい…!」

     ハンジの快活ある声にペトラは頬を緩ませ満面の笑みを浮べる。ペトラは早速、ハンジと
    モブリットとどのようなケーキを作るか、という話し合いを始めていた。
     リヴァイは少し前までエルヴィンと険しい表情を付き合わせていたはずだが、
    それさえ忘れ、柔らかい笑みをペトラに注いでいた。  
     2人の結婚式の日は近い。エルヴィンは競合店の対策は後回しにして、2人の結婚式の
    準備に取り掛かろうとリヴァイに提案し、彼も快諾していた。
  87. 104 : : 2014/09/03(水) 11:39:37
    (25)永遠(とわ)の誓い<第5章最終話(中)>

     その週末の日曜日にリヴァイとペトラ・ラルの結婚式がカフェ『H&M』で行われる運びとなった。
     ペトラは結婚式で振る舞うというウェディングケーキのレシピを完成させ、カフェのオーナーシェフであるハンジ・ゾエと夫のモブリットから、これで合格できるだろうと太鼓判をもらっていた。
     結婚式というよりも、リヴァイとペトラはティーパーティーのようにカジュアルな雰囲気でも
    心をこめた式にしたいと願っていた。二人は仕事をしながら式の準備をすることとなる。

     だが、自らサポートすると名乗り出たのはオーナーのエルヴィン・スミスの大切な存在である
    イブキと彼の息子のアルミンである。

     その日は結婚式前日の土曜日――。カフェ『H&M』は臨時休業として、皆は式の準備に
    取り掛かる。クラブはリヴァイの意向もあり、営業することになった。
     ペトラは生花を使ってカフェをデコレーションをしたい、という願いを叶えるため、
    さらに呼ばれた『助っ人』はアルミンの同級生でイブキの身内でもあるミカサ・アッカーマンだった。
     手作りのウェルカムボードやドアに飾るリースを器用に作る姿に皆は感心するばかりだ。
     ペトラはリヴァイの人の繋がりにあり難く感じて、彼女がすべきケーキの材料の最終チェックに追われていた。

    「ミカサ…! 本当に器用だよね、ミカサに頼んでよかった」

    「うん、私…こういう手作り好きだから――」

     カフェのテーブル席で一人、黙々とマグカップに彩り豊かな花を生けるミカサに
    関心していたのはアルミンである。
     彼は花屋が届けた様々な種類の花の束をミカサが座るテーブルに持ってきては彼女に
    目を細める。
     来客者のテーブルに置く『マグカップの盛り花』が手早く仕上がっていく様子にアルミンは
    ミカサに頼んでよかったと改めて思っていた。
     ミカサが作った生花のリースや作品を壁に飾るのは背の高いユミルとイブキが中心となる。
     手伝いとしてエレン・イェーガーも呼ばれていたが、半ば強制的にミカサに誘われていた。

    「もう、エレン…! エレンってば…!」

    「えっ…何、ミカサ?」

    「ちゃんと、手を動かして…!」

     ミカサの目の前に座るエレンは視線を宙に浮かせ、落ち着かない様子だ。
     エレンはミカサを手伝いながら、時々、作業する手を止めてしまう。姉のように慕うペトラを探しているんだろうと、ミカサは睨んでいた。

    「今はペトラさん、キッチンに篭ってケーキを焼いていると思うよ」

    「えっ……そうなんだ…って何で!?」

     勘の鋭いミカサが自分の考えを見破り、少しだけ苛立つ口調にエレンは頓狂な声を上げた。
     宙を浮かせていた視線をエレンは突如、目前の花に移動する。それは彼の視界に
    リヴァイが予定表を手に持ち二人に近づいて来たからだった。
     ちょうどエレンとミカサのテーブル付近で、リヴァイが足を止め怪訝な表情を浮べた。

    「なぁ…エレン……」

    「はいっ!?」

     さらに声を掛けられたエレンは背筋を伸ばし返事をした。リヴァイの視線の先はエレンではなく、
    壁を飾ることを勤しむユミルとイブキだった。

    「確かに二人は背が高いが……やはり、女性だけで、壁を飾るのは骨が折れるだろう。
    悪いが、時々、おまえも手伝ってくれないか、二人を――」

    「はい…! それはもちろんです!!」

     エレンは立ち上がり、脚立に上っているユミルが壁を飾り終えたところを確認して自ら交代すると
    話していた。ユミルはきっとリヴァイの指示だろうと、次に飾るリースを渡す。
     様子を見届けたリヴァイは自分の客に出す料理について、エルヴィンと話すため2人から離れていく。

     これまでに自分の行動に対してエレンはリヴァイから注意されたことがあった。
     その方法は耳元で冷たい声でささやいては氷のような眼差しで睨む。この繰り返しがある意味、
    エレンにとって今ではトラウマになっていた。
     そのため、何をされるわけでもないがリヴァイに話しかけられただけで、条件反射のように彼の言うことを聞く『体質』になっている。
  88. 105 : : 2014/09/03(水) 11:41:23
    「ミカサちゃん、お疲れ様! しかし…ホントに見事だわ、特にこのウェルカムボード…!」

    「うん…! ネットで探して、このデザインが花が映えてキレイだと思って――」

     これまで座っていたエレンの席にユミルが着席して、ミカサが作るウェルカムボードを見ていた。
     ユミルはテーブルに肘を付いて、手のひらで頬を支える。いつもカフェの出入り口のイーゼルに営業を知らせる看板やボードを設置するのはリヴァイである。それが自分の結婚式の
    ボードを飾るのか、とユミルが思うと感慨深いものがあり、自然に頬を緩めていた。

    「まぁ…ミカサちゃんも、いつか…誰かさんとの結婚式のため、もう一度作れたらいいね…!」

    「もう…! ユミルさんっ! エレンとの結婚式なんて、ずっと先よ!」

    「えっ、私は誰もエレンのことなんて、一言も言ってないよ?」

     ユミルのからかいにミカサは作業をしていた両手を止めて、そのまま両頬を押さえる。
     それは瞬く間に紅潮していった頬を押さえるためだった。
     今度はミカサの手伝いをユミルがすることになる。ユミルも器用な方で2人が手を動かすと
    仕上がったマグカップの盛り花やリースがテーブルには増えていった。

    「――ミカサもユミルさんも…すごいな……でも、見慣れたカフェがこんなに変るものなんだね……」

     思わず独り言をいうのはエレンが作業する脚立よりも高い位置からカフェを眺めるイブキである。
     ミカサとユミルが仕上げる作業が早いが、脚立に上がるときには慎重になるほかない。
     そのため自分が飾るべき2人の作品が手元に増えていった。
     カフェの中では花々が増えていき、まるでどこかの植物園にいるような気分になり、
    様変わりするカフェにイブキの口角は人知れず上がる。

    「あの……ドレスのことで打ち合わせに来たんですが――」

     ペトラが着るウェディングドレスの担当者がカフェのドアを開けていた。
     カフェのドア付近で作業をしていたイブキが彼女と目が合い、エルヴィンを呼び、
    さらに当のペトラが呼び出されていた。
     ペトラと担当者は近くの美容室で最終チェックをするため、移動する。リヴァイがペトラを
    見送るまなざしは優しくて、どこか力強さも宿っている。リヴァイの胸にはペトラを
    幸せにする責任感はすでに宿っていた。

    (なんだか……いつも眼差し鋭いリヴァイさんも、あんなに優しい目をするんだ――)

     イブキはリヴァイがペトラを見つめる姿を微笑ましく感じる。その直後、エルヴィンは
    イブキが高い位置で作業することを気にして、彼女の元に近づいた。

    「イブキ……大丈夫か、君は確か高所恐怖症で――」

    「このくらいの高さなら大丈夫、平気よ!」

     エルヴィンがイブキを見上げる眼差しも優しさに心配する気持ちが混ざったようだ。
     イブキは手元のリースの飾り付けを終え、脚立から降りようとしたとき、エルヴィンが手を
    差し伸べた。

    「ありがとう、エルヴィンさん」

     エルヴィンはイブキの指先をぎゅっと握る。その手の強さと彼の優しい眼差しにイブキは幸せを覚える。

    「おおーっ! まるで、王子様がお姫様をダンスに誘うようね、エルヴィン!」

     2人の仲睦まじい姿をからかうのはハンジである。カフェに響き渡るような快活ある
    彼女の声をキッカケにエルヴィンとイブキは皆の多くの視線を浴びることになった。

    「もう……ハンジさんったら…」

     イブキはハンジの声に頬を赤らめエルヴィンを見上げた。いつものようにエルヴィンは
    イブキの腰に手のひらを柔らかく添える。

    「オーナー…明日は俺とペトラの結婚式なんだが――」

    「えっ…まぁ、もちろん、それはそうだ」

     気が置けない口調でリヴァイはエルヴィンに声を掛ける。いつもなら、呆れた眼差しも注ぐ
    はずだが、その日のリヴァイはエルヴィンの行動にさえ優しい目つきだった。

    「それじゃ、イブキ……俺はまた料理のことで、ハンジと打ち合わせに戻る」

    「はい、いってらっしゃい……!」

     突然、ガラスのドアからその日の輝く太陽の日差しが射し込み、イブキの目元を掠める。
     笑顔で目を細め、手のひらを顔にかざすイブキの姿が美しくエルヴィンは瞬く間に魅了された。
     しばらく彼女の前にぼうっと立ち尽くすエルヴィンにその日、初めてリヴァイは舌打ちする。
  89. 106 : : 2014/09/03(水) 11:42:41
    「オーナー…いい加減にしないか…! 早く打ち合わせを」

    「あぁ、悪いな! リヴァイ」

     エルヴィンは自嘲気味に笑みを浮かべイブキから視線を逸らし、ハンジの元へ向う。
     リヴァイやモブリットも交え、料理の品数などを最後の調整を始めるその真剣な
    エルヴィンの眼差しにイブキは口角を上げていた。

    (エルヴィンさん…私たちのときも…あのくらい頑張ってくれるのかな…)

     イブキはミカサとユミルが座るテーブルに行き、新たなリースを手に取る。
     新鮮な花の香りが鼻腔をくすぐり、幸せのおすそ分けをもらった感覚がしていた。

     皆は時々休憩を挟みながら、作業をし、エルヴィンとリヴァイがクラブ『FDF』へ移動する頃、
    西の空に沈む太陽と茜色がその街を優しく包み込む。
     ペトラが入れ違うようにドレス打ち合わせから戻り、皆に幸せそうな笑顔を振りまいていた。

    「あの……皆さん、私たちのために……急にも関わらず、本当にありがとうございます――」

     語尾は今にも泣きそうな口ぶりで、ペトラはカフェの出入り口で深々と頭を下げた。
     その姿にハンジとモブリットが駆け寄る。ハンジは柔らかい笑みを浮かべ、ペトラの肩に
    そっと触れた。

    「もう、ペトラさん! 泣くのは明日よ! それに…今から本格的なケーキの仕込があるんだから、
    それも忘れないでね」

    「そうですよ、ペトラさん…! 僕らはサポートしか出来ませんが、絶品のウェディングケーキを作りましょう!」

     モブリットは任せて、と言いたげに自分の胸元を手のひらで押さえ頷いた。頼もしい2人に
    ペトラは目じりの涙を指先で拭う。ハンジに肩を抱かれ、ペトラはキッチンに向った。

    「すげーよ、アルミン! いつものカフェが結婚式場に変ってしまったよ…!」

     エレンは脚立に登って、ミカサのアイディアで作ったフラッグガーランドをカフェの天井に
    まるでバツ印を描くように飾り、それをアルミンも手伝う。
     それは二層の紐の飾りがカフェの天井付近にバツ印に張り巡らせれ、上部は張り詰めて、
    下部は少し緩やかに飾られている。
     紐にぶらさがる等間隔の逆三角形のフラッグがわずかな風でなびく。その淡い色彩の
    フラッグもミカサのアイディアで花の形が切り絵の如く、装飾が施されていた。

    「ミカサ、ホントにすごいね…! 今日、僕は感心しっぱなしだよ」

    「ありがとう、アルミン……こういう、細かい作業も好きだから」

     再びミカサはアルミンに褒められて、視線を下げる。この時はイブキやユミルも手伝っていて、
    ミカサが照れる様子に安堵する。それは、細かい指示が多くて、やっと終わったと
    胸を撫で下ろしていたからだ。
  90. 107 : : 2014/09/03(水) 11:43:52
    「ホント、ミカサったら、こんなに頑張って……いつか、エレンと結婚式の練習なんじゃないの?」

    「もう…! イブキ叔母さん、そんなんじゃないっ!」

     今度はイブキにからかわれ、ミカサは耳たぶが赤くなるくらい照れていた。
     ユミルとイブキは図星だと思い、笑みを浮かべミカサを眺めていた。

     夜も更けてゆき、皆はひと段落つくと、帰宅の準備を始めていた。
     翌日の結婚式は昼から始まる。それまで、特に女性は自分の支度の開始をしなければならない。
     エルヴィンとリヴァイは『FDF』の営業を終え、ジャン・キルシュタインを早めに帰した。彼も
    翌日の結婚式の出席者で、また片付けを手伝うと約束していた。
     リヴァイは足早に帰宅しようとするが、ふとカフェ『H&M』の様子が気になり、覗くことにする。

    「あいつら……ここまで…!」

     額を窓ガラスに密着させ、食い入るようにカフェの中を覗く。電気が消えたカフェの出入り口で
    リヴァイは半ば呆然と立ち尽くしていた。
     フラッグがぶら下がる天井、壁にはフラワーリースがいくつも飾られている。
     いつもの見慣れたカフェとは違い光景を目の当たりにし、自分たちのために尽くしてくれた皆を思うと自然に熱い何かが込み上げてきた。

    「ペトラ……俺たち、幸せにならなければな…」

     リヴァイは足早にカフェから離れ愛するペトラの元へ戻る。自宅でリヴァイの帰りを待ちわびる
    ペトラは緊張して眠れない。
     だが、リヴァイが帰宅しても緊張感は変ることなく、眠れないだろうと思っていた。
     リヴァイが玄関先に現れると、ペトラは彼に抱きつく。リヴァイも抱きしめるつもりでいて、
    痛くなるくらいペトラをぎゅっと抱きしめていた。

    「ペトラ…みんな、すごいな……あそこまで飾り付けて…明日は…いい日にしよう」

    「うん、リヴァイさん…!」

     潤んだ瞳のペトラの頬に手を添え、リヴァイはペトラにそっとキスして再び抱きしめる。
     ペトラをいつまでも大切にしなければ――。リヴァイはペトラの温もりを感じ、2人の
    幸せな未来を築こうと、その胸に誓っていた。
  91. 108 : : 2014/09/09(火) 11:29:22
    (26)永遠(とわ)の誓い<第5章最終話(下)>
     
     リヴァイはその日曜の早朝、部屋の窓から空を見上げ舌打ちする。
     その頭上には、今にも雨粒が落ちてきそうな大空がどこまでも広がっていたからだ。

    「まったく……大事な日なのに――」

     ため息つきながら窓を閉め、彼の大切なペトラ・ラルと共に結婚式の会場として様変わりした
    カフェ『H&M』に向う。

    「もう、リヴァイさん…どうしたの、不機嫌な顔して…? まさか、緊張してるとか?」

    「いや……ペトラ、この空を見てみろよ」

     2人はマンションのエントランスから出て、空を見上げる。まだまだ鉛色の雲が辺りを囲んでいた。

    「そっか…でも、向こうを見てよ…!」

     ペトラが指差す遠い空へリヴァイが目をやったとき、鉛色の雲の合間から、光が差し込み出していた。
     まるで希望が降臨してきたような淡い黄金色の光にリヴァイは目を細めた。
     彼が繋いでいたペトラの手のひらには更なる力を込められる。

    「今日は晴れるといいな…ペトラ…」

    「うん、きっと晴れるよ、リヴァイさん!」

     早朝にも関わらず、上空の曇り空の影響で、2人を囲む空気はいつもの晴天の時間よりも
    まだまだ暗く感じられる。そんな最中でも明るくいつもの愛らしいペトラの笑みをリヴァイは思わず抱きしめた。

    「もう、リヴァイさんったら……まさか…緊張してるとか?」

     リヴァイはペトラの問いに答えない。リヴァイの胸元からいつになく緊張する鼓動がペトラに伝った。
     ペトラは鼓動が激しいリヴァイの胸元にそっと手をあてがい、笑みをそのままに彼を見上げた。

    「早く行こう…みんな、待っているよ……」

    「あぁ…」

     リヴァイはペトラに手を引かれ、カフェに向う。ふと彼が空を見上げると、雲の合間から差し込んでいた光は大きく広がり、更にその合間から青空が覗く。
     安堵感からリヴァイの唇から自然に笑みが零れていた。

    「見て…! モブリット、あの2人…結婚してもずっと仲良しだろうね…!」

     リヴァイとペトラが通りの先を歩いてゆく姿を目撃したのは、カフェ『H&M』のオーナーシェフの
    ハンジ・ゾエと夫のモブリットだった。

    「はい、そりゃ…もう、きっとそうでしょう…! 何より僕らと同じようにカフェで結婚式を
    挙げるなんて、うれしい…じゃない…ですか……」

    「どうしたの、モブリット…?」

     喉を詰まらせ、感情を抑えた口ぶりのモブリットを妻のハンジが見上げる。
     彼は幸せそうな2人を見据え、堪えきれず涙を浮べていた。

    「もう、モブリット! 泣かないの! 今日はあの2人が主役なのよ! 今、あなたが泣いて
    どうする…のよ……」

     そう言うハンジも夫の涙に誘われるように涙が頬を伝う。ハンジは長い付き合いであるリヴァイが
    いつも眼差し鋭く愛想もなかったはずなのに、それがペトラと出会って以来、その表情は
    まだ固くても、時々笑みを浮べるごく最近の彼の姿を思い返す。

    「だけど、人って…出会いで…こんなにも変るものなんだね……」

    「はい、僕も思います……でも、僕のハンジさんへの気持ちはずっと昔から変りませんよ――」

    「もう、モブリットったら…!」

     当たり前のように答えるモブリットは鼻声で、ハンジは彼の目元の涙をそっとハンカチで拭う。
     同じハンカチを妻の手のひらからモブリットは優しく受け取り、ハンジの涙を拭い返した。
     見詰め合う二人はリヴァイとペトラを目の前にして、互いの気持ちを確かめているようだった。

    「だけど……ハンジさん、普段のメガネのいいもですが、コンタクトのときもキレイですよ……」

    「ありがとう…!もう、行くよ! 主役の2人を先に到着させるのもなんだか悪いし…!」

    「はい…!」
  92. 109 : : 2014/09/09(火) 11:31:13
     照れ隠しで快活よく返事するハンジもモブリットの手を引いて、足早にカフェに向った。
     二人が持つバックには正装する衣装も含まれている。
     日常的にメガネを掛けているハンジだが、ドレスアップするその日はコンタクトを装着してた。

     リヴァイとペトラがカフェに到着した頃、オーナーのエルヴィン・スミスが一人でカフェの
    飾りや料理をチェックしていた。招待客でもあるハンジやモブリットが正装しながらでも、
    皆に料理を振る舞えるように、料理はほとんど準備されている。

    「オーナー…おはよう…」

    「あぁ、リヴァイ、ペトラさん、おはよう…! 昨晩はよく寝られたのか…? なんだか眠そうに見えるが?」

    「まぁ…」

     伏目がちに答えるリヴァイにエルヴィンは緊張のあまり寝ていないだろうと睨んだ。
     それでも、幸せなのはいいことだと、2人に笑みが注がれた。
     エルヴィンは普段着のままカフェで最終チェックの作業をしているが、その姿にペトラは声を掛ける。

    「オーナー、私…今からウェディングケーキの最終仕上げに入ります!」

    「わかった、最後は一人で仕上げるとか言っていたっけ…? 美味しいケーキが出来ることを楽しみにしているよ、ペトラさん」

     ペトラは幸せな笑みから少しばかり緊張感が漂う表情を浮かべキッチンに向った。彼女の
    その後姿をリヴァイが見送る。結婚式の緊張だけでなく、ペトラは上手く作るだろうか、と
    リヴァイの眼差しはほんのわずかであるが、心配する気持ちが滲んで見える。

    「リヴァイ、ペトラさんの実力だ、問題ないよ」

    「あぁ…それはそうだ…。 俺は……掃除でもするか…」

    「みんながすでに片付けているし、お前は特に何もすることはないだろう?」

    「いや……」

     リヴァイが何気なくテーブルの傍でしゃがみこむ。前日の準備で使われたリースの花びらや
    飾り付けであまった紙くずが落ちていた。 
     リヴァイは皆が自分たちのために尽くしてくれたことを十二分に理解していて咎めることはない。

    「……俺も最終点検を兼ねて掃除をする……オーナーも着替えに帰ったらどうだ?」

    「えっ…まぁ……」

     エルヴィンはリヴァイの提案に唇を綻ばせ視線を逸らす。その顔にリヴァイは即座に察しがついた。

    「イブキさんが……待っているのか? マンションに…?」

    「昨晩から泊まってくれて、俺とアルミンの服のコーディナートをしてくれることになって……」

     エルヴィンは照れながら、頭を掻いていた。その足はすでにカフェの出入り口に向って
    自分の準備に取りかける、というよりもイブキに会いにいく、という気持ちの方が際立っている
    ようにも見える。

    「オーナー…イブキさんにも来客の誘導もお願いしている……よろしく――」

    「わかった…!」

     軽く右手を上げエルヴィンは足早にカフェから自宅マンションへ向う。

    「俺は……イブキさんが泊まっていることとか…聞くつもりはなかったんだが――」
     
     リヴァイは鼻で笑い、エルヴィンの背中を見送る。カフェにはハンジとモブリットもすでに到着していて、料理の仕込みに入っていた。
  93. 110 : : 2014/09/09(火) 11:34:10
     式がそろそろ始まろうという時間、エルヴィンや彼の息子のアルミンやイブキ、
    そしてミカサ・アッカーマンやエレン・イェーガーもカフェに集まっていた。それでもペトラは
    ケーキ作りに没頭する。彼女は自分が納得するまで、手直しを何度も繰り返していた。

    「あの…リヴァイさん、そろそろ時間が……」

     ペトラのウェディングドレスを担当するプランナーは焦っていて、時間を気にしながら
    腕時計に視線を落とす仕草を何度も繰り返していた。
     リヴァイがその焦る声や動きを察し、キッチンのペトラを呼ぶ。

    「あっ…! ごめんなさい、 夢中になっていて…もう時間が迫っていたなんて!」

     焦りから頬を強張らせるウェディングプランナーにペトラは予定の時間を大幅に過ぎていたことにようやく気づく。
     二人はウェディングプランナーに連れられ、近くの美容室に着替えとメイクのため移動した。

    「ペトラさん……一体、どんなケーキを作るのかな、楽しみ…!」

    「そうだな、ミカサ…それに、ウェディングドレスもきっと…キレイというか、かわいいんだろうな、ペトラさん」

    「もう、エレン! ペトラさんがそんなに楽しみなの!?」

     ミカサとエレンはペトラが慌ててカフェから出て行く後ろ姿を見送る。
     しかし、ペトラのドレス姿を頬を緩ませ想像するエレンにミカサは苛立ちを表す口調で返していた。

    「2人とも…! 今日は頼まれていることがあるんだから、仲良くしてよ…!」

     ミカサとエレンが振り向いた先に立っていたのは呆れ顔のアルミンである。彼はイブキの
    コーディネートのリボンタイを胸元に結びジャケットを着こなしていた。
     父であるエルヴィンが幼い頃、正装したときリボンタイを結んだことがある、とイブキが聞いたことがあり、アルミンにも似合うだろうと思いそれを選んでいた。

    「アルミン…似合っているな、そのリボン!」

    「えっ…まぁ、エレンだって、蝶ネクタイ、似合っているよ…」

     互いに着慣れない格好に頬を強張らせ伏目がちになる。もちろん、エレンのコーディネートはミカサである。

     そのミカサは胸元が花のモチーフで、色はグリーンのワンピースだ。膝上が少しだけ見えて、袖部分はギャザーが入り、全体的にタックがランダムに入るふわりとしたシルエットである。
     
    「はい、ミカサも…エレンくんも、2人が到着するまで、スタンバイ!」

     2人が頼まれているというのは、自分たちで作ったブートニアをリヴァイの胸元にミカサが飾り、
    エレンがペトラにブーケを持たせる、ということだった。
     ミカサとエレンに準備をさせるイブキもドレスアップして、式の準備に勤しんでいた。

    「イブキさん……今日は僕の格好まで、コーディネートしてもらって…」

    「ううん、アルミンくん、いいのよ! だって、大事な日なんだから…ドレスアップしなきゃね」

     アルミンとイブキは互いに笑みを向け、リヴァイとペトラの到着を待つことにした。

     結婚式の内容はほとんどが歓談で、パティシエのカイがするケーキの評価をした後、
    2人がテーブル席を挨拶で回る程度である。それは堅苦しいことは抜きにしたい、というリヴァイの願いもある。もちろん、一人ひとりに挨拶して感謝の気持ちを伝えたいという2人の意向は強い。

     いよいよ、ペトラとリヴァイがカフェに登場という瞬間、興奮から歓声を最初に上げたのはミカサだった。彼女の姿を楽しみにていたエレンに焼きもちを焼いていたのはずが、ペトラを目前にすると、瞬く間に忘れ去られていた。ミカサの隣に立つエレンはペトラに見入っている。

    「ペトラさん…! すごく、かわいい! ねぇ、ほんとにっ! エレン…!!」

    「…あぁ、そうだな…」

     カフェの出入り口に現れた純白のウェディングドレス姿のペトラはノースリーブの
    ビスチェタイプのドレスを着こなす。それは膝が隠れる程度のチュチュのスカートが
    少しだけ広がるワンピースである。また髪から腰の辺りまでふわりとしたマリアベールをペトラを纏う。
     ペトラの笑顔の周囲にはレースで細かな花柄が装飾され、リヴァイは彼女らしい衣装を選んだと、優しい眼差しを注ぐ。

     一方のリヴァイはスーツではなく、白いシャツに光沢が入ったグレーのベストを着て、
    同じ素材のアスコットタイを結んでいる。
     ストールのようなネクタイは布の長い方を前に出し、全体的に柔らかく見せ、中心部を
    ピンで留めている。ヘアスタイルもいつもは洗いざらしだが、この時ばかりは、
    ツーブロックのヘアスタイルをワックスを使って頭頂部分の髪を軽く浮かせ丸みを持たせていた。
  94. 111 : : 2014/09/09(火) 11:37:01

    「ペトラさん…これを…どうぞ――」

    「ありがとう、エレンくん! だけど…すごくキレイに作ってくれたんだね! ありがとう、ミカサちゃん――」

     エレンがペトラにブーケを手渡す。淡い彩り鮮やかな生花のバラがいくつも束ねられた丸い形のブーケはミカサの手作りである。
     柔らかなペ笑みで両手に抱えるペトラの姿にミカサも作ってよかったと、安堵感で自然に口角が上がる。ウェディングドレスが純白のため、このカラフルなブーケはドレスは映えていた。
     ミカサは同じ花で作ったブートニアをリヴァイの胸元に飾る。ミカサはリヴァイの表情が緊張で強張ってると気づき、彼女にまでその緊張感が移ってしまっていた。

    「リヴァイさん…あの…おめでとうございます……今日…とても素敵ですよ」

    「あ、ありがとう…ミカサ……」

     二人は目をあわすことなく、互いに蚊が鳴くような弱々しい声を交わす。ミカサは
    後ずさりしながらリヴァイから離れ、エレンの隣に立つ。
     リヴァイの強張る頬に気づいたペトラは彼に笑顔を向け、いつもの愛らしさに彼の緊張感が少しだけほぐれたようだった。

    「もうすぐ招待客が来る時間だ、リヴァイ…出入り口でペトラさんと2人でスタンバイだ――」

     招待客を誘導する役も担うエルヴィンは二人を出入り口で立たせ、招待客を出迎えるよう
    促す。エルヴィンはドレスアップした彼の大切な存在であるイブキのそばにいたくても、
    その時ばかりは、どうにか堪えていた。イブキが選んだエルヴィンの胸元のネクタイは
    『トリニティ・ノット』という結び方で、三角形の中で交差する結び目が目立ち、彼の華やかさがさらに増すようだ。もちろん、ネクタイも彼のためにイブキが結んでいた。
     いつもの鋭い眼差しとは違い、緊張感で視線が定まらないリヴァイの肩をエルヴィンはそっと触れる。

    「リヴァイ、おまえが…そんなに緊張するとはな……結婚式をしてよかっただろう、
    こんなに美しい花嫁を目の前にして」

    「まぁ…そうだな……オーナー…今日のイブキさんもキレイだな……このままカフェから
    出してしまったら、誰かに奪われるぞ…」

    「えっ!?」

     エルヴィンは驚きで目を見開くが、イブキは息子のアルミンとその日の進行表を眺めていた。
     それでもイブキの美しさに目を奪われその場に立ち尽くす――

    「オーナー…もう…客がきたぞ」

     リヴァイの棘のある一言にエルヴィンは我に返る。目の前にはリヴァイの言うとおり、
    ペトラの両親が満面の笑みでカフェに入ってきていた。

    「ペトラ…リヴァイさん、おめでとう……今日はホントにキレイよ、ペトラ――」

     ペトラの母親は娘の前で涙を溢れさせる。父親はその瞬間をビデオカメラで撮っていた。
     ペトラの父は娘の成長記録を幼い頃から撮るのが趣味で、この日のためにカメラも新調していた。

    「リヴァイさん…ペトラを頼みますよ」

     ペトラは両親が現れたことで、涙ぐみ言葉が出ない。リヴァイはペトラの肩を抱いて、
    必ず幸せにします、と力強く答えていた。

     続々と招待客がカフェに現れ、エルヴィンが中心となり、席に誘導されていた。全員が
    着席したところで、ペトラの手作りのウェディングケーキをハンジとモブリットが皆の前に披露する。

     ケーキは長方形で招待客の人数分が食べられるようなサイズである。周囲はホワイトの
    生クリームが囲う。中心部分はハート型の土台に翼を広げた天使のカップルが立ち、
    見詰め合っている。その天使たちははキスをしていいて、その周囲にはカラフルな季節のフルーツが宝石のようにいくつも散りばめられていた。
     段差になっているスポンジケーキの中にはもちろん、紅茶のテイストも含まれる。

    「カイ先生……まずはお先にどうぞ……」

     ペトラは招待したパティシエのカイにケーキを先に出す。それは評価をしてもらうために
    別に作っていた同じケーキで、ウェディグケーキを切ることなく、評価を願う。それはカイも承知していた。
     先にケーキを口に運ぶカイは皆の注目を浴びる。合格させろ、という空気に包まれるが、
    本来のペトラの実力を理解していて、最初から合格を与える予定でもあった。

    「ペトラさん……」

    「はい…」

     カイが腕組みをしながら唸っていた。ペトラは何か味に問題があるのかと、頬を引きつらせる。

    「このケーキ……ウチの店でも出したいんだが……レシピを教えて欲しい…!いいかな?」

    「えっ!?」

    「あ、そうそう…! おめでとう、もちろん、合格だよ!」

    「よかった…! ありがとうございます!」

     ペトラは胸を撫で下ろし、リヴァイを見上げる。出された課題を合格するだけでなく、
     レシピを教えて欲しいとまで言われ、安堵感に浸っていた。
  95. 112 : : 2014/09/09(火) 11:40:55
     二人は早速、初めてケーキ入刀をしたとき、互いがナイフを手に取る姿を撮ろうとする
    ペトラの父親が席から立ち上がり、それが撮影開始の合図のようで、皆は続々とカメラを構えていた。

     リヴァイは緊張で頬を引きつらせるが、ペトラは合格をもらって安堵感からずっと笑顔だ。
     カジュアルな雰囲気のパーティーを、と当初リヴァイは計画したかったが、見渡すカフェが様変わりして、多くの笑顔に包まれる。予想以上の式にリヴァイは言葉を失っていた。
     もちろん、感謝の気持ちは変らない。
     ファーストバイトとして、互いにケーキを食べ与えても、リヴァイは照れ隠しでその日、初めて眉根にシワを寄せる。
     ペトラはリヴァイの不機嫌そうなその眼差しもいつもの彼を見ているようで、幸せに変りはない。
     だが、その眼差しを見逃さないのはハンジである。

    「もう、リヴァイ! せっかくの結婚式で、そんな顔をしてどうするのよ! お口直しに……
    ペトラさんに誓いのキスをしてみては!?」

    「ハンジさん…何を言うんだ…!」

     リヴァイはハンジの言うことに頬を引きつらせる。直後、ペトラはリヴァイと目が合い、
    頬を紅潮させ、リヴァイを見上げた。そっと目を閉じるペトラにリヴァイは彼女への気持ちが素直に現れた。

    「ペトラ……」

     リヴァイはペトラの頬に両手を添え、唇に柔らかく、優しいキスをして彼女を強く抱きしめた。
     
    「…これからも…よろしく……ペトラ…いつまでも一緒にいよう……愛してる――」

    「うん…リヴァイさん、私も…」

     リヴァイの優しく、涙ぐんでいるような語尾に、抱きしめられるペトラも涙で声が詰まる。
     彼女は途中から自分の気持ちを表現できず、二の句が継げない。その代わりのようにペトラが抱きしめる力は強かった。
     ペトラの父は2人が愛しむ姿にビデオカメラを構えいてるが、目元は涙で濡れて直視できないでいた。

     ハンジやモブリットが招待客に料理を振る舞う最中、ペトラはケーキを皆に切り分けるが、
    それを手伝うのはやはりミカサである。ものの見事に大きなケーキが等分に分けられ、
    ペトラとリヴァイは改めてミカサに手伝いを頼んでよかったと実感する。

    「ミカサ……おまえとエレンの結婚式のときは……俺たちも呼んでくれ…」

    「そうね、ミカサちゃん、楽しみ――」

     2人の冗談なのか本気なのか理解しがたい一言にミカサは頬を真っ赤にして、口をつぐんでしまう。否定はしない姿にリヴァイとペトラは互いに視線を合わせ笑みを交わしていた。

     時間が経つにつれリヴァイとペトラは招待客のテーブル席に挨拶に回りだす。
     リヴァイのDJの師匠でもあるイアン・ディートリッヒのテーブルで、彼は産まれたばかりの三人目の子供の写真を2人に見せた。

    「リヴァイ、おまえたちの子供も…楽しみにしているぞ」

    「はい…それはもう、いつでも――」

    「おまえは以外にも子煩悩になりそうだな……」

     イアンが言うその表情は優しい父親そのもので、ブースに立つ険しい表情のDJではなかった。
     写真を手に取る夫を目の前にペトラはカフェの常連客の娘であるニファと遊んでいたリヴァイの笑みを思い出していた。

    (リヴァイさん…あのとき、パパって感じだったな…イアンさんみたいな優しいパパに
    いつかはなるのかな――)

     ペトラが見上げるリヴァイの胸元にはシルバーのネックレスが輝きそのトップには
    真新しい結婚指輪が輝く。リヴァイはDJとしてブースに立っている最中、レコードを傷つけて
    しまうため、これまで指輪のアクセサリーはしたことがない。
     それでも結婚指輪だけはネックレスのペンダントトップにして肌身離さず身につけると決意していた。
  96. 113 : : 2014/09/09(火) 11:42:58
     リヴァイとペトラが最後の到着したのはエルヴィンのテーブル席である。
     2人が近づいてきたときから、エルヴィンはすでに涙ぐんでいた。

    「リヴァイ……」

    「オーナー…泣かなくても――」

     隣に座るイブキからハンカチを手渡される姿にリヴァイは呆れる。エルヴィンは立ち上がり
    リヴァイに握手を求めた。

    「これからも…よろしく頼む、リヴァイ」

    「こちらこそ……ペトラと共によろしく……」

     エルヴィンはペトラの肩にも触れ、幸せな2人を目の前に堪えていた涙が頬を伝った。

     リヴァイとペトラはまだまだ話し足りないという招待客のテーブルに再び移動し始める。
     着席したエルヴィンの隣のイブキは幸せな2人を目を細めて眺めていた。
     その日のイブキは薄いゴールドカラーの柔らかいシフォン素材のノースリーブのドレスを
    着こなしている。いつもは長い黒髪を下ろしているが、ドレスに合わせアップスタイルにして
    カールした後れ毛がまた色っぽい。
     エルヴィンはイブキの横顔に時々見とれ、着席しているときは彼女の手を繋いで離さない。

    「私も……ここで結婚式したいな……」

     リヴァイとペトラが談笑する姿を見据え、イブキはポツリとつぶやいた。その唇は幸せの
    おすそ分けをもらったのか、口角は上がっている。 エルヴィンはイブキのその一言に
    戸惑い目を見開いた。亡き妻ともこのカフェで結婚式を挙げていたからだ。
     エルヴィンは握っている手をイブキの肩に移動させ自分の元へ軽く抱き寄せた。
     イブキの独り言に返事が出来ないが、エルヴィンは何かを思い出したように彼女に問う。

    「そうだ、イブキ…『FDF』ではどうだ……?」

    「えっ…『FDF』か…」

     イブキはエルヴィンの提案にイタズラっぽい笑みを浮かべ、艶めく唇が動く。

    「それもいいね、面白そう……でも、イッケイさんたちにあなたを取られちゃうな、素敵な姿を見られたら…!」

    「それはない、イブキ…俺は君だけだ――」

     エルヴィンはイブキの唇を見ながらとうとう耐えられず、そのまま自分の唇を重ね、抱きしめて離れないでいた。
     直後、リヴァイの視界に飛び込む2人に呆れ顔でため息をつく。

    「まったく……オーナーよ…今日くらい、理性を働かせ……」

     リヴァイの少しだけ尖った口調の先にいる2人に気づいたペトラは彼を見上げる。

    「オーナーとイブキさんの結婚式も近いのかな…?」

    「だろうな……」

     慈しむ視線を向けられたリヴァイはペトラの肩を抱く。気がつけばリヴァイもペトラの唇を
    求めていた。
     周りの招待者たちにカメラを向けられてもリヴァイがペトラの唇から離れることはなかった。  
  97. 114 : : 2014/09/09(火) 11:43:43
     もう一人、イブキの幸せそうな横顔を遠くから見ていたのはミケ・ザカリアスだった。
     彼はナナバと2人で招待されていた。ナナバはリヴァイとペトラがキスする姿に見とれ微笑んでいる。
     ミケは隣に座るナナバはスリットが深く入ったロングドレスを着こなし、大人の色香を醸し出す。確かにミケは彼女の美しさに魅力を感じる。
     ナナバが新郎新婦に視線を送っている最中、ミケが気がつけばイブキの柔らかく幸せな笑みを眺め、鼓動を激しくさせていた。

    (本来なら…俺のそばで、おまえはその笑みを浮かべ……)

     イブキへの自分の気持ちにミケは今更ながら驚いて膝に置いた拳を強く握る。

    (俺は…まだイブキを……)

     普段は気にしないようにしても、イブキの幸せな笑みを見てしまうと、自分がどうかしているのか、と疑ってしまうくらいミケはその感情に揺さぶられ振り回される。
     あえて見ないように、と視線を宙に浮かせても鼓動の激しさが止まるはずはなかった。

    (…おまえをもう…諦めていたと思っていたのに……イブキ)

     彼の傍に座るナナバは美しく、優しい笑みで相変わらずリヴァイとペトラを見つめている。
     その姿にミケは罪悪感を覚える。それでもごまかしていた自分の気持ちに気づいて
    遠くの席のイブキを一心にミケは見つめていた。第6章に続く―― 
  98. 115 : : 2014/09/09(火) 11:43:58
    ★あとがき★

    いつもありがとうございます!
    今回の第5章は私の都合上、4ヶ月という長い間書いていました。
    初夏から夏にかけて、という季節の移り変わりを表現したつもりですが、
    うまく伝わっていたら幸いです。
    今回も様々な恋愛模様を書いてきましたが、リヴァイとペトラの結婚式は
    この章の最後で挙げたいと思っていました。カフェでの小さな結婚式で
    みんなに祝福される姿を妄想して書き上げました。2人の明るい未来も次号でも
    書いていこうと思います!
    あと、最後の最後のミケですが…しつこいと感じるかもしれない。でも、なかなか
    諦めきれない想いってあるのではないか。ミケの強いその気持ちと
    エルヴィンを選んだイブキ、どうなっていくのか…第6章で乞うご期待!
    これからも私の「妄想劇」にお付き合いくださいますようよろしくお願いいたします!
    ご感想はこちらまでお願いいたします⇒http://www.ssnote.net/groups/542/archives/1

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著者情報
lamaku_pele

女上アサヒ

@lamaku_pele

この作品はシリーズ作品です

クラブ『FDF』(自由の翼)2 シリーズ

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