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クラブ『Flügel der Freiheit』(自由の翼)(第4章)

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  1. 1 : : 2014/03/31(月) 21:37:20
    ★ストーリー★
    現パロ。
    クラブ『Flügel der Freiheit』(自由の翼)
    http://www.ssnote.net/archives/3669

    (第2章)(http://www.ssnote.net/archives/6389)

    (第3章)(http://www.ssnote.net/archives/9955)の続き

    ディスコ・クラブのDJリヴァイが主役。
    オーナーのエルヴィン・スミスが準主役。
    世界観は『日本風の現在のどこかの外国』
    二人を取り巻く人たちとの日常のドタバタ劇。
    これまで同様、命を落としたキャラクターたちと
    オリジナルキャラが活躍します!
    クラブ(ディスコ)で紹介する曲は実在するものです。

    *オリジナルキャラ

    イブキ

    ミカサ・アッカーマンと年の近い叔母。
    異国の地に住んでいたがエルヴィンとミケに惹かれるものがあり
    同じ国に移り住む。二人に好意を寄せられ翻弄さたが、最終的に
    エルヴィンを選ぶ。
    イブキのイメージ画。
    https://twitter.com/lamaku_pele/status/433081120842727424/photo/1

    エルヴィンとイブキのイメージ画
    https://twitter.com/lamaku_pele/status/540143282458611712

    ★過去のSS

    「若き自由な翼たち」
    http://www.ssnote.net/archives/414

    「Ribbon in the sky~舞い踊る自由の翼は再生する」
    http://www.ssnote.net/archives/1006

    「アルタイルと星の翼たち」
    http://www.ssnote.net/archives/1404

    「密めき隠れる恋の翼たち~『エルヴィン・スミス暗殺計画』」
    http://www.ssnote.net/archives/2247

    「密めき隠れる恋の翼たち~『番外編・エルヴィン・スミスとの1週間』」
    http://www.ssnote.net/archives/4960

    「密めき隠れる恋の翼たち~『番外編・エルヴィン・スミスの苦悩』」
    http://www.ssnote.net/archives/6022

    「秘めき隠れる恋の翼たち~『番外編・エルヴィン・スミスの審判』」
    http://www.ssnote.net/archives/7972

    「秘めき隠れる恋の翼たち~『番外編・エルヴィン・スミスの否応』」
    http://www.ssnote.net/archives/10210

    「秘めき隠れる恋の翼たち~『番外編・エルヴィン・スミスの溜飲』」
    http://www.ssnote.net/archives/11948

    「堕ちゆく約束」
    http://www.ssnote.net/archives/13268

    ★ちょい予告★

    4月1日からUPしていきますのでよろしくお願い致します。
    原作が残酷な世界のため、この現パロの世界は基本、平和です。
    しかし、日常の大変さ、男女間の大変さを書いていこうと思います!
    どうぞよろしくお願い致します。
  2. 8 : : 2014/04/01(火) 11:21:17
    ①それぞれの始まり

     いつもの自分の部屋、自分のベッドに寝ているはずなのに、
    ふと目が覚めると、自分の身体に柔らかく温かい何かが絡みつくことを感じる。
     ミケ・ザカリアスがその柔らかさに手を伸ばすと、それが女性だと改めて気づく――

    ・・・あれ…? イブキ…であるはずがないか…ナナバ…

     カーテンの隙間からこぼれる朝の日差しがナナバの寝顔を優しく照らす。
    前夜、二人は『ザカリアス』の営業を終えるとそのまま二人は飲み続け、勢いのまま
    ミケの部屋に来ると、そのまま一夜を共に過ごしていた。

    ・・・やはり…そう…なってしまったか…

     互いに裸で同じベッドに寄り添っている――。記憶はないが身体にその感触が残っていて
    改めて、関係を持ったんだとミケは感じていた。
     ナナバはミケに寄り添いながら、幸せそうな笑みを浮かべる。
    その自分に向けられたような笑顔にミケは鼻を鳴らした。

    ・・・これで…イブキを忘れられる…ことではないだろうが…

     ミケはナナバのことをイブキの代わりにしてはいけないと思いながら、
    彼女の乱れた髪を整えた。再び眠気がミケを襲うと、そのまま目を閉じて寝息を立て始める。
     入れ替わりのようにナナバが目を覚ますと、ミケが眠る横顔を見上げた。

    ・・・ミケ…あなたは昨夜、私を抱きながら…『…イブ』って名前をささやいたけど、
    途中で飲み込んだ…やはり、あなたは彼女を忘れない…

     すがる気持ちでナナバはミケにその身を寄せた。その同時に彼の腕が自分の身体に
    絡みつくと、再び幸せな笑みを浮かべる。
     ナナバはかつて想いを寄せいていたミケとの再会に喜びを感じていた。 
     ミケが自分の店を持ったと、ナナバが店の客の伝えで知ったとき、そのときすでに
    彼女は結婚していた。
     それ以来、疎遠になっていたミケとの再会のため、もう彼と離れたくない気持ちが強いと
    感じていた―― 
  3. 9 : : 2014/04/01(火) 11:21:58
     エルヴィン・スミスが息子のアルミンを思うと、自分の大切な存在であるイブキの部屋には
    泊まりに行くことができない。
     いくつもの飲食店を経営するエルヴィンは多忙で、イブキの身体に触れることは出来ないでいた。
     日曜日はいつもアルミンと過ごしているが、妻が亡くなりずっと一人だったエルヴィンは
    自分の生活が固定化されていると改めて気づくと、それを崩すのが大変だと実感していた。
     イブキのことをもちろん、大切に思う。アルミンは大切さを比べるべきでない息子である。
    エルヴィンはどうしたら、イブキと長時間会えるだろうかと悩んでいた。
     土曜日の仕事前、自宅のダイニングテーブルでその日の予定を記されたシステム手帳を
    覗き込みながら、その手が止まる。多忙ななことが当たり前だと感じていたエルヴィンは
    イブキとの予定を考えると、ため息をもらした。

    「父さん、どうした? 仕事前にため息ついて?」

    「いや…何でもないよ…」

     父であるエルヴィンの向かいに座ったアルミンは悩む父を目の前にすると、
    声を掛けずにはいられなかった。予定表を見ていたことに気づくと、イブキに会えないことが
    気になるのかと勘ぐった。

    「僕は構わないから、父さん、日曜日さ、イブキさんとデートしてきなよ」

    「いやぁ…それは…」

     エルヴィンは頬杖をつくと、ニヤけて目じりを下げる顔を息子にさらしていた。
    その顔を見たアルミンは眉間にシワを寄せ呆れ顔を父にさらす。
  4. 10 : : 2014/04/01(火) 11:22:45
    「…とにかく、僕は構わないから――」

     その親子が互いの正反対の表情を交互にさらした後、エルヴィンは仕事への支度をはじめ、
    アルミンが『H&M』のランチに行くと言うと、彼も出かける準備のため自室に向った。
     同日、イブキはエルヴィンに会う目的でランチタイムのカフェ『H&M』へ行くことにした。
    彼女も占いの仕事で依頼が多くなると、部屋にこもることがあるが、
    時間が出来ると、カフェによく顔を出すようにしている。同じテナントビルの地下に位置する
    『ザカリアス』へと繋がる階段は意識して見ないようにしていた。
     これまでの経験上、ランチの場合、早目に行くことによりミケにバッタリ会うことはないと
    思っていた。エルヴィンだけを見つめ愛すると誓うと、ミケへの想いを心の奥底に沈め
    静かに鍵を掛けると、それが開くことはなかった――

    「こんにちは…! えっ? エルヴィンさん…?」

     ガラスのドアを開けたイブキの視界に飛び込んできたのは奥様連中と教育について
    熱心に話をしている後姿だった。すでにアルミンが来ていて、彼女をエルヴィンが
    先ほどまで座っていたカウンターのスツールに座らせた。

    「アルミンくん…お父さんは何をしているの? 仕事中にお客さんと討論会…?」

    「えっと…イブキさん、父さんは毎週土曜日――」

     毎週土曜日、自分の同級生の母親がやってきてはエルヴィンと互いの子供たちの
    教育について話し合うのが恒例行事のようなもの、と話すとイブキは笑みを浮かべ
    エルヴィンの背中を見つめる。
  5. 11 : : 2014/04/01(火) 11:25:21
    「…私のことは…あのお母さんたちに言えないか…」

    「ごめんなさい、イブキさん」

    「大丈夫よ、謝らないで! これも仕事のようなもの…なのよね?」

    「まぁ…そんなところかな…」

     申し訳なさそうに目線を下げるアルミンの肩を優しく触れると、イブキはプレートを
    手に取り、ビュッフェのメニューから好きなフードを乗せ始めた。その最中もエルヴィンを
    見ても、イブキのことに気づかずに彼は話す事で夢中になっていた。

    「ねぇ、イブキさん…明日の日曜日って何をしているの?」

     隣に座るアルミンはイブキが食事を始めると、話しかけた。
    途中でフォークを止めると、イブキはアルミンに視線を合わせ口角を上げる。

    「明日は休みだよ」

    「――じゃ、父さんと二人で遊びに行ったらいいよ」

    「えっ…」

     唐突に言われイブキは息を飲むとさらに喉を鳴らして水を飲むと、
    すぐに目じりを下げ、頬が緩んだ。

    「いいの…? アルミンくん?」

    「うん、父さんもその方が喜ぶと思うし」

    「そう…でも、例え高校生でも、日曜日を一人にするのは申し訳ないかな…」

    「ホント、気にしないで――」

     イブキの気遣いを嬉しく感じるアルミンだが、イブキの嬉しそうな顔を見ると、
    父であるエルヴィンとの時間を作ってあげたいと、おせっかいにも似た気持ちが湧き上がる。

    「じゃあ、3人で、遊園地に行こうよ」

    「えっ…僕はいいよ」

    「私がエルヴィンさんとお付き合いするということは、アルミンくんも大切にすることだし、
    いい機会だと思うよ」

     食事をする手を止め、イブキの柔らかい視線を見つめるアルミンは戸惑いながら
    すぐに視線を逸らした。自分を大切に思ってくれる存在が母以外にも増えた気がして
    快い気持ちが満ちるようだ。

    「それじゃ、明日、遊園地に行こう!」

     アルミンのその声を聞くと、イブキは行こう、と快活に返す。この街の郊外にある
    海が見える遊園地に行くことをアルミンが提案すると、すぐに快諾していた。
     二人は相好を崩し、エルヴィンが奥様連中と話す姿を尻目に翌日の計画を立て始めた。
  6. 14 : : 2014/04/02(水) 10:36:45
    ③新たなる3人の関係…#1

    「えっ…!? イブキ?」

    「もう…エルヴィンさん、全然気づかないんだから…」

     カフェ『H&M』のオーナーであるエルヴィン・スミスが毎週土曜日にやってきては
    自分と教育問題を討論する奥様方を見送ると、カウンターに座るイブキから
    半ば呆れた眼差しを注がれていた。

    「すまなかった、イブキ…」

     エルヴィンがイブキの背中に優しく触れ、照れながら謝るとアルミンと共に何か
    カウンターでしていることに気づく。二人の合間を覗き込むと、何かを書いていた。

    「父さんがお母さんたちと話しているとき、日曜日の予定をイブキさんと計画していたんだよ」

    「へー…!」

     アルミンはイブキと二人で翌日の日曜日に遊園地へ行くというスケジュールを
    簡単だが紙に書いていた。
     それを手に取るエルヴィンは目を見開き、ちょうど顔が隠れるくらいの予定表を
    まじまじと覗き込んでいた。

    「父さん、大した予定じゃないのに…何をそんなに見つめているの?」

    「いや…何でも…」

     ちょうどエルヴィンは顔を隠すようにその予定表を見つめている。
    その様子を見ていたリヴァイは舌打ちをする。また一人で薄ら笑いを浮かべているのではと
    勘ぐっていた。
  7. 15 : : 2014/04/02(水) 10:37:42
    「オーナー…隠してももう遅い、その顔を」

    「えっ…!」

     リヴァイはエルヴィンが上げている腕を下げると、薄ら笑いを浮かべているが、
    目じりにうっすらと涙を浮かべていた。

    「アルミン、父さん嬉しいよ。明日は3人で楽しもうな――」

     アルミンは頭をポンと軽く触れられると、エルヴィンは指先で目じりの涙を拭った。
    その顔を見たリヴァイは妖しい笑みを浮かべる。

    ・・・ほう…いつもの頭のネジが緩んだような笑みではなく、うれし涙を流すとは…

     エルヴィンはアルミンに予定表を渡すと、イブキとの間に立ち二人の肩に触れていた。
    彼の柔らかい眼差しは経営者としての厳しさを拭い優しさが漂うただの男になっていた。
     彼の眼差しを尻目にリヴァイは奥様連中のテーブルを片付け始める。

    ・・・まぁ…幸せなのは何よりだ…

     リヴァイは自分もペトラ・ラルにプロポーズをしたことを思い出し鼻で笑う。
    片付けながら、新しい何かが始まる予感がするとリヴァイは顔は冷ややかだが、
    心では踊りたい気分で満ちていた。

    ・・・エルヴィンさん…あなたはうれし涙を流すまで…?

     目じりの輝く涙を見たイブキの鼓動は大きく跳ねた。そこまで想われているのかと
    イブキは自分の胸をそっとあてがった。
    ――あなだけを見つめよう…改めて胸の鼓動に誓う。
     翌日、日曜日の朝。イブキはエルヴィンとの初めてのデートらしいデートのため、
    自分の可愛い姿を見て欲しいと思うと、頬を赤らめる。
     手作りのランチボックスを作りながら、そして髪を巻いたり前日に選んでいた
    洋服を見立てたりすると、あっという間にエルヴィンとの待ち合わせ時間になっていた。
  8. 16 : : 2014/04/02(水) 10:39:18
    「…イブキ、アパートの下に到着した」

    「うん、わかった! 今、降りるね――」

     イブキはエルヴィンが到着したという連絡がスマホに入ると、駆け出すように
    アパートの部屋を飛び出し、そのまま彼の車に向った。両手にはランチボックスが
    入ったバッグとその姿は彼に見せたいという、太目のボーダーのカーディガンを着て
    ロールアップしたジーンズを履いていた。

    「エルヴィンさん、アルミンくん…おまたせ!」

    「さぁ、行こうか…」

     助手席に乗り込むイブキはゆるく巻いた髪のポニーテールを揺らし、
    駆け出してきた影響もあり、弾む息とともに向けるエルヴィンへの微笑みは艶っぽい。
     その表情を見たエルヴィンは自分の為におしゃれするだけでなく、3人の食事を
    用意するイブキが愛おしく離したくない気持ちは強まるようだった。

    「アルミンくん、今日は楽しみだね!」

    「うん、僕も遊園地は久しぶりだから、楽しみだよ」

     車を運転するエルヴィンの様子を後部座席のアルミンがルームミラーで何気なく見ると、
    噴出すくらいに笑っていた。父であるエルヴィンは嬉しさで、目じりが下がりっぱなしになっていた。

    ・・・父さん…よっぽど、嬉しいんだな…確かに今日のイブキさん、キレイだし…

     アルミンは車のオートウィンドウのボタンを押して、窓の向こうの変りゆく街並みを
    楽しんでいた。見慣れた街から離れ、彼の鼻が潮の香りを捕らえると、
    目的地である遊園地が近くなったとその身体で体感していた――

    「風が気持ちいいね!」

     遊園地に到着してイブキは車から降りると、
    両手を握り青空に突き上げるように身体を伸ばした。

    「そうだな…」

     心地よさからこぼれたイブキの笑みを見たエルヴィンは荷物を持ち、車の鍵をかける。
    彼女が嬉しそうに口角を上げる表情を見ては、一緒に来てよかったと実感していた。
     3人が遊園地のエントランスに向うと、
    左からイブキ、エルヴィンそしてアルミンと自然に横並びで歩くことになる。

    ・・・本当の親子なら…アルミンくんが真ん中なのかな…

     イブキはアルミンの顔を見ると、予想以上に楽しそうに笑みを浮かべる彼に安堵する。
    エルヴィンがアルミンに返す微笑を見て、こういう幸せもあるんだと噛み締めていた――
     3人はアトラクションを楽しんだり、写真を撮ったりしていると、あっという間に昼時になり、ベンチに座りイブキの手作りランチを食べることになる。

    「お二人の口に合うといいんだけど…!」

    「イブキさん、これ、まさか全部手作り…?」

    「えっ…! えっとね、バンズだけは買ったんだけど…ハンバーグはハンジさんのレシピで
    作ったんだ!」

     イブキは手作りハンバーガーを手渡すと、笑顔でほお張る二人を見ると、
    早朝から起きて手作りして、よかったと笑みを返す。二人に飲み物を手渡したり、
    カットしたフルーツを広げ、3人が楽しい食事をしている最中だった――

    「――もう…この子ったら、どこに行くんだか…!」

     3人が座るベンチの隣に親子連れがやってきていた。
    大変そうに見えても、笑顔で『やんちゃ』な息子をあやす母親にアルミンが何気なく
    視線を送るとうつむき加減になる。

    「アルミン、どうした…?」

    「いや…何でもないよ、それより、父さん、イブキさんの手作りハンバーガーすごく美味しい――」

     エルヴィンは美味しい、というアルミンの眼差しに影が少し落とされた気がすると、
    隣の親子に尻目で追う。
     小さな息子をあやす母親は亡き妻、アルミンの母であるミランダが亡くなった年頃の女性だった。
     普段強がりなアルミンは母親が恋しかったんだと改めてエルヴィンは気づく――
  9. 17 : : 2014/04/03(木) 10:09:30
    ③新たなる3人の関係…#2

    ・・・突然、どうしたの…? 二人とも…?

     イブキは隣に座るエルヴィン・スミスと息子のアルミンの表情が突然曇りだし、
    不穏な空気がまとわりついている様子を見ると、息を飲んだ。自分の手作りの
    ハンバーガーをほぼ食べ終えているアルミンを見ながら、何が起きているのか
    想像できない。イブキは自分らしく明るく接するしかないと、決意するとアルミンの顔を
    覗き込む――

    「ねぇ、アルミンくん…絶叫マシンって平気だったりする?」

    「えっ…僕は平気だけど…」

     唐突に聞かれたアルミンは面食らうが、イブキの表情を見てもまだ口角は上げられないままだった。

    「私は高いところは苦手なんだけど…あの高いところから見る海ってキレイなのかな…
    って思うと、乗ってみたいんだ…一緒に付き合ってくれない?」

     イブキが指差す絶叫マシンは、太い鉄塔が大空に突き刺すように聳え立ち、
    そこに輪っかのように囲われたシートが頂点へゆっくりと動き出すと、今度は一気に
    地上へと落とされるアトラクションである。この遊園地でも人気があり、多くの客が
    列を作り並んでいる――

    「えっ…あの絶叫マシンは…50メートルはあるよ…?」

    「乗って…みたいんだ――」

    「じゃ…一緒に乗ろう…」

     イブキはアルミンが急に表情を曇らせた理由はわからない。だが、気をそらせることで
    気分転換になるのはないかと踏んだ。
     二人はランチしていたベンチを片付け始めると、イブキがたくさん人が並んでいるから
    早く行こうと急かした。

    「アルミン…父さんは…遠慮しておく――」

    「えっ…父さん、怖いの?」

    「まぁ…」

     エルヴィンは伏目がちになると、アルミンから荷物を託されしばらく待つようにと
    頼まれる。本当は高いところは苦手ではないが、この時はイブキとアルミンを
    二人だけにした方がいいのではと咄嗟に判断していた――


    「それじゃ、エルヴィンさん、二人でいってくるね――」

    「イブキ、頼む」

     何か大きなことを挑むようなイブキの口調をエルヴィンが見送ると、その浮かべる笑みは
    安堵にも焦りにも見えた。とにかく大切な二人が何とかこの不穏な空気を打破してくれたら、というその気持ちで溢れていた。
     イブキとアルミンが列に並びながら、他愛もない話をしていると、彼は気を使われているのかと
    逆に落ち込みそうになる。

    「…そうだ…私もね、高校生くらいのとき…実はデートで遊園地に来たことがあるんだ…」

    「へーっ…」

    「でもね、楽しかったのはその時だけで、結局その彼とはうまくいかなかったんだよね…
    あ、今のはお父さんには内緒ね――」

     イブキは『内緒ね』と言いながら、アルミンにウィンクすると口元に人差し指をあてがう。
    その表情にアルミンは微笑み返した。
  10. 18 : : 2014/04/03(木) 10:11:00
    ・・・イブキさんって可愛い大人って感じだな…そしてちょっと小悪魔っぽい…
    そういうところも父さんが好きなのかな…

     列が進んでいくと、アルミンが何気なく後ろを振り向いた。多くの人が絶え間なく並ぶ様子に
    人気のアトラクションなんだと実感する。

    「イブキさん、人がいっぱいだね…。あれ、大丈夫?」

    「えっ…だ、大丈夫よ――」

     強張るイブキの表情にアルミンは思わず声を掛けると、その声でさらに彼女は
    慌てふためく。そして、大きく息を吐きながらアルミンの顔を見た。

    「実は絶叫マシンって初めてで…高いところからの海を見たくて――」

    「――お客様、大変お待たせしました…! どうぞ、足元に気をつけてお入りください」

     強がるようなイブキが話し始めたと同時に、係員の誘導が始まり、二人は
    絶叫マシンに乗り込むことになった。 
     隣同士に座る二人だが、イブキの顔が青ざめすでに目を閉じていた。
    安全バーが降りて二人の身体を包み込む。イブキの顔を見ながら、怖さではなく
    アルミンは半ば呆れて顔を強張らせていた。

    「…イブキさん、このままじゃ、海が見えないよ…」

    「あっ…! そうだった…!」

     まぶたを開くイブキは涙目になっていて、アルミンは咄嗟に手を伸ばし彼女の手を握る。

    「アルミンくん、危ないよ! ちゃんと自分の安全バーを握ってないと…!」 

    「いや、てっぺんまでは大丈夫だよ。僕は高いところはホントに平気だし――」

     口角を上げ微笑返すアルミンを見たイブキは少し落ち着き始める。
    アルミンは幼い頃、高いところは平気で背の高い父親のエルヴィンから
    『高い、高い』と空に届くように高く掲げられても、怖がることなくきゃっきゃと
    笑い続けていた。 

    「じゃ…アルミンくん、一緒に海を眺めようね――」

    「うん!」

     ガタガタとマシンが鳴らす音と共に二人が座るシートはすでに頂点付近に達していた。
    二人の足には海風が絡みつくが、その些細な潮風に気づかないくらい頭上には太陽が近づいていた。

    「ほら、イブキさん! 見てよ、向こう! 水平線!」

    「あ、ほんとだ…! 海の向こう…楕円? あれ、でもここは晴れているのに向こうは雨?
    んっ…きゃーーーっ!」

     遠くの雨を見ながら、考える隙を与えられず、イブキの叫び声を上げたと同時に
    一気にマシンは垂直落下の如く降りていった。
     50メートル上空から眺める水平線は卵を横に寝かしたような半円にも見える。
    二人の上空は晴れているのに遠くに浮かぶ雲がが海上目掛けて降らす雨は
    ゆらゆら揺れるカーテンのようだった。
     目まぐるしいあっという間の時間が終わると、マシンは元の位置に戻っていた。
    大きく深呼吸をして安全バーを外し立ち上がるとイブキは足元のふらつきを感じる。
  11. 19 : : 2014/04/03(木) 10:11:31
    「イブキさん、すごいね! この絶叫マシン! すごい爽快感だった! また乗ろうよ」

    「そ、そうだね…でも当分は…」

     興奮するアルミンに対してイブキは顔を強張らせる笑顔を見せる。

    「今度さ、父さんと乗ったら…?」

    「それもそうね…!」

     息を整えながら、イブキはどうにか笑顔になると、二人は絶叫マシンから離れ
    エルヴィンが待つ場所へ向うことにした。

    「だけど、アルミンくんが合図してくれたから、自然の神秘が見られたよ!」

     上空から眺めた水平線と、ピンポイントに降り注ぐカーテンのような雨に
    『自然の神秘』というイブキがアルミンは微笑ましかった。
     何度か見かけたことがある光景で、アルミンは深く驚かなかったが、
    些細なことに喜ぶイブキを見ているとこちらの気持ちまで嬉しいと感じていた。

    「父さんが待っているよ! イブキさん戻ろう――」

     少し前まで落ち込んでいたアルミンの気持ちは晴れ、イブキに父の元へ戻ろうと言う
    その顔は何事もなかったような、いつもの笑顔に戻っていた。
  12. 22 : : 2014/04/04(金) 11:53:00
    ④新たなる3人の関係…#3

     アルミンが絶叫マシンから降りて、自分の母親であるミランダが亡くなった頃と
    同じような年齢の母と子供とすれ違っても、気にならなくなっていた。
     それよりも、アルミンはまだまだ強張る表情のイブキが気になっていた。

    「イブキさん、行こう!」

    「うん…!」

     アルミンが自然にイブキの手を繋ぐと、笑みを交わしながら
    父であるエルヴィン・スミスの元へ歩き出す。
     絶叫マシンの乗り場から出てくる二人を待ち構えていたエルヴィンは
    少し力んだような顔で二人を出迎えていた――

    「アルミン、どうしたんだ…? 手なんか繋いで?」

    「えっと…イブキさんって高いところが苦手だけじゃなく、絶叫マシンも初めてだったみたいだよ――」

     イタズラっぽくアルミンは父のエルヴィンに言うと、イブキを目を見開き見つめるが、
    すぐに彼女の髪の毛を撫でた。

    「なんだか…すまなかったな」

    「大丈夫よ…エルヴィンさん」

     恐怖から解放され、強張りながら懸命に笑顔を作る健気なイブキをエルヴィンは
    可愛らしく感じる。その日は何度、一緒に来てよかったと実感していたかわからないほど
    である。
     手を繋ぐ二人を見ていると、エルヴィンは拳を握り、二人はそのままにしようと小さな
    決意をしていた。
     この絶叫マシンに乗って二人の関係はより近いものになっているようで、親子にしては
    年が近すぎて、まるで姉と弟のようにも見える―― 
     3人がのんびりとしたアトラクションを楽しんでいると、すでに夕暮れ時で藍色から
    オレンジ色から移り変わる大空が遊園地を包み込もうとしていた。
     大海原が見渡せる丘で3人は水平線の上で浮かぶ夕日を眺めている。
  13. 23 : : 2014/04/04(金) 11:54:34
    「――私、太陽が海に沈む瞬間って見たことないんだ…!」

    「そうか…ちょうどいい機会だ」

     エルヴィンの顔を見上げたイブキに彼は笑みを返す。アルミンは欄干に手を置きながら
    その沈みゆく太陽を見つめていた。

    「えっ…何、緑色? あっ!」

     先に声を上げたのはアルミンだった。沈む直前、太陽を中心としてあたりは夕暮れの
    オレンジに染まるはずなのに、一瞬だけ太陽から緑色の光りが瞬いた――

    「父さん、イブキさん! 今のグリーンフラッシュだよ! 滅多に見られないんだよ!」

     興奮するアルミンは目を輝かせエルヴィンとイブキを見上げたかと思うと、夕日を指差し、
    グリーンフラッシュのことをあれこれと早口で説明する顔は綻んでいる。

    「私も初めて見た! 海さえ今まであまり見たことないのに――」

     様々な気象条件が重ならないと目撃することはないグリーンフラッシュの出現に
    二人は声をあげ興奮は治まらなく、沈んだ後の太陽が放つ光りをしばらく見ていた。

    「珍しい瞬間を3人で見られるって…」

     二人の笑顔を見ていると、エルヴィンは幸せの瞬間を目の当たりにしたようだった。
    欄干に手を置き遠くを見つめる二人の間に立ち、エルヴィンは二人の肩を抱きしめる。
     夕日を見つめながら、この3人の幸せをずっと守りたい――
    エルヴィンは静かにその心に誓っていた。 
     3人が帰路につく車中で、その日あった出来事を楽しげに話しているはずなのに
    後部座席のアルミンの声が小さくなっていく。

    「あれ…? アルミンくん…寝てる…」

     イブキが助手席から振り向きアルミンを見ると、居眠りをしていて、
    うつらうつらと車の動きに合わせその身体を揺らしていた。
     
    「初めて、3人で出かけたし…とても疲れたのかな?」

    「ホント…まだ子供だな…」

     小さく独り言をイブキが言うと、エルヴィンの横顔から父の表情を見た気がした。
    それもまた微笑ましく愛おしく感じる――
     遊園地から三人が住む街へと車が進むと、
    少し前までまるで闇夜が辺りを包んでいたはずなのに、街並みが明るくなりつつあると、
    我が家に近づいてきているのだと自覚させる。
     赤信号のライトをエルヴィンが確認すると、ゆっくりと減速してブレーキペダルを踏み込んだ。

    「イブキ…」

     エルヴィンがイブキの名前を呼ぶと彼女は自然にその声に顔を上げる。
    優しい微笑が注がれるとイブキには心地よい瞬間が待っていた。
     二人は信号の赤いライトが煌々と輝く下で互いの唇を重ねていた。
  14. 26 : : 2014/04/05(土) 10:02:04
    ④変わらぬ想い

     「…私が一人だし、先に降りた方がよかったんじゃない…?」

     イブキとエルヴィン・スミス、そして彼の息子のアルミンが郊外の遊園地から帰ると、すでにあたりは闇夜が支配していた。
     日曜日の夜ということもあり、歩く人もまばらだ。
     アルミンは父のエルヴィンが運転する車の後部座席で居眠りをしていたが、
    イブキの声で目を覚ましていた。

    「あれ、父さん、イブキさん…もう到着したんだ?」

     エルヴィンが車を停止した場所はアルミンを先に降ろすため、
    彼の自宅マンション前だった。

    「アルミンくん、今日は楽しかったね! また行こうね」

    「僕も楽しかった!また計画立てよう。イブキさん…その前に今度はウチにも遊びにきてよ」

    「うん、ありがと! それじゃ、お言葉に甘えて近いうち――」

     イブキとアルミンはその日、楽しかったこともあり、互いに笑みを浮かべ、
    エルヴィンもその光景に目を細めていた。

    「エルヴィンさん、疲れているでしょ? 私はここでいいよ! 近いから歩いて帰る」

    「まぁ…近くだし、気にするな――」

     父であるエルヴィンがイブキを照れながら見つめる姿に
    アルミンは二人っきりになりたいんだと勘ぐった。
     車から降りたアルミンは眠い目をこすりながら、運転席のエルヴィンに向い言い放つ――

    「父さん、明日は仕事って忘れないでね…!」

    「あぁ、それはもちろんだ」

     アルミンが二人に軽く手を振りながら、あくびをすると、
    そのままマンションのエントランスに入っていった。その姿を見送ったエルヴィンは
    イブキをアパートまで送ることにする――
     車を移動させると、イブキのアパート近くの人気のない道路に路上駐車をしてエンジンを止めた。
  15. 27 : : 2014/04/05(土) 10:04:02
    「エルヴィンさん、どうしたの?」

    「いや、イブキ…少し話がしたかった」

    「そう…」

     イブキは少し疲れた表情をエルヴィンに向けるが口角は上げ、両膝を運転席に向けた。

    「イブキ…今日は本当に楽しかった…俺だけでなく、
    アルミンがあんなに楽しそうにしている姿、久しぶりに見たよ」

    「私の方こそありがとう。あなたといて…とても幸せな一日だった…」

     イブキのポニーテールは絶叫マシンに乗ったこともあり、少し崩れていて
    エルヴィンが後れ毛を見つけると指先で触れ、そのまま頬をなでた。
     触れられたことで、イブキがかすかに笑みを浮かべるとエルヴィンは再び唇を重ねた。
    互いにその日は楽しかったこともあり、感情が高ぶり車中であるが唇を荒々しく求め合い
    エルヴィンはイブキに覆いかぶさろうとした。

    「エルヴィンさん…人が来ちゃう…!」

    「少しだけ…」

     エルヴィンはイブキの吐息を自分の唇で受け止めると、周りを気にせずに
    互いの奪い合うように唇を重ねていた。イブキはエルヴィンのシャツを掴みながら
    心地よい幸せに浸っていた――

    「――見て…! あの車の二人! そんなに遅くない時間なのに、大胆ね」

     エルヴィンが駐車する位置から道路を挟み、向い側の歩道から歩きながらがら
    彼の車のフロントガラスを指差すのはナナバであり、その隣にはミケ・ザカリアスがいた。

    ・・・あの車は確か、エルヴィンの…? ってことは相手はイブキか――

     二人は日曜をミケの部屋で過ごすと、外食して再びミケのアパートに向う途中で
    エルヴィンの車と遭遇していた。

    ・・・イブキはもうエルヴィンと…俺にはもう関係ない

     眼光鋭く、エルヴィンの車に一瞥をくれるとミケは拳を力強く握る。
    正面を見据えると、止めろと、と叫びたくなる自分にミケはイブキへの気持ちが
    まだ変らないと気づいた。
     その時、ナナバの手が軽くミケの手に触れると、そのまま彼はぎゅっと力強く握った。

    「ミケ…!」

     ナナバは手を強く握られたことが嬉しくてそのままミケの腕に抱きつく。
    自分の気持ちが通じたのかと感じると、足早に歩きエルヴィンの車から離れると
    その車体は少しずつ小さくなっていった。
     ミケに見られていたとは気づかないエルヴィンはイブキの唇から少し距離を置くと
    彼女に熱を帯びた眼差しを注ぐ――
  16. 28 : : 2014/04/05(土) 10:05:04
    「今から君の部屋へ…」

    「明日は…早いんでしょ…? また…今度、ね」

     苦しいくらいの口付けを交わしたイブキは息が乱れていて、
    エルヴィンの残念そうな顔を見るとそのまま彼女から唇を重ねていた。
     運転席に引き寄せるようにイブキを抱きしめるとエルヴィンの甘い唇がささやく。

    「…もう、離さないから…」

     甘くくすぐったいエルヴィンの声がイブキの耳元でささやかれると、胸の鼓動が激しくなる。

    「私だって…離れないから――」

     二人は名残惜しそうにおやすみの口付けを交わすと、イブキがアパートまで入る瞬間まで
    エルヴィンが見送り車のキーを回しエンジンをかけた。 

    「次は…必ず…」

     エルヴィンの熱は下がらないまま、車を走らせていると途中でミケが視界に入ると
    女性と一緒で、しかも手を繋いでいることに気づく。

    ・・・ミケは…新たな出会いがあったのか…?

     ルームミラーに映る二人に視線を送るとエルヴィンはホッと胸を撫で下ろしていた。
    イブキと付き合うことになって以来、『ザカリアス』には行きづらくなっていたが、
    長い付き合いのため、近いうちに行ってみようと、ふと思い浮かべていた。

    ・・・またエルヴィンの車だ…助手席には誰もいない、ってことはイブキは今部屋に一人か――

     遠ざかる車を正面に見据えると、ミケは立ち止まった。ナナバは理由はわからないまま
    一緒に立ち止まると、ミケの顔をまじまじと見つめていた――

    ・・・今から、イブキの部屋に行って、どこかに二人で…

     ミケがイブキを奪い去りたいと衝動に駆られた瞬間――

    「ねぇ、ミケ…今夜も泊まってもいいでしょ?」

    「――えっ…あぁ、そうだな」

     頬を赤らめるナナバの一言にあいまいな返事をすると、ミケは強く彼女の手を握った。
     イブキへの気持ちが強い返しだが、ナナバはその強さはミケの気持ちが
    自分に傾いているのだと信じたかった。
  17. 29 : : 2014/04/06(日) 12:31:40
    ⑤リヴァイ、初めての戸惑い

     リヴァイがペトラ・ラルにプロポーズしても、二人の生活に大きな変化はまだ訪れない。
    ただ、ペトラの左手薬指に小さなダイヤの指輪が光り輝くだけだった――

    「あれ…ペトラ、それは?」

     仕事中、デスクに座るペトラが指輪を見つめていると先輩のリコが
    彼女の後ろを何気なく通り過ぎようとしたとき、
    頬を緩めるペトラの様子に感づき立ち止まった。

    「リコさん、えっと…まぁ…」

     照れるペトラは指輪を隠すように右手でなぞると、リコは笑みを返した。

    「私に続いて、またこのオフィスには既婚者が増えるのかな――」

     メガネの向こうの眼差しは幸せで潤い、リコが書類を手に急ぎ足でその場を去ると、
    ペトラは目じりを下げ彼女を見送った。
     リコの薬指にも真新しい結婚指輪が輝く――。名前も『リコ・ヤルナッハ』と名乗り
    多忙ながらも新婚生活を楽しんでいる。
     リヴァイとペトラは結婚に向かい歩みだす。ただペトラはリヴァイにプロポーズされて
    嬉しい反面、自分の人生の計画が少し早まってしまい、幸せな戸惑いを覚えていた。

    ・・・いつ…話そうかな、リヴァイさんに――

     幸せをまとった天使がまるでペトラの肩で一休みしているように、彼女のあたりは
    温かなベールが包み込んでいるようだった。
     仕事を再開すると、薬指の指輪に笑みを注ぎ彼女はしなやかな指先で、
    目の前のパソコンのキーボードを触れ始めた――
     同日のその夜。ペトラは仕事が終わると、そのままリヴァイのアパートに向かい
    仕事が終わる彼を待っていた。またいつものように、遅い時間でも笑顔で
    彼の帰宅を迎え入れる――
  18. 30 : : 2014/04/06(日) 12:32:43
    「リヴァイさん、お疲れ様…!」

    「あぁ…」

     自分の肩をもみ、首を左右に動かし屈伸するリヴァイを見ながら、
    その日も多忙だったんだと、ペトラは感じていた。
     そのままテーブルに座らせ、紅茶を入れ他愛もない話をしていると、ペトラは口火を切る――

    「あのね、リヴァイさん――」

    「そうだ、ペトラ…これから二人で住むとしたら、互いの仕事を考えると引越しをしないとな」

    「えっ…リヴァイさん、隣のレコードはどうするの?」

     と、ペトラはレコード部屋化した隣の部屋を指差す。

    「レンタル倉庫でも借りるしかないかもな…」

    「そう…でも、まだそのままでいいよ、それにこの部屋も――」

    「何? またどうして…?」

     ペトラの答えに面食らうと、紅茶が入るマグカップに伸ばそうとしていた手が止まる。

    「実はね…リヴァイさん、ハンジさんやカイさんに出会って――」

     彼女は思っていることを口火を切ったのはいいが、思いかけずリヴァイが話を
    さえぎった。だが、ペトラは流れをそのままに思い抱いていたことを話し出す――
     ペトラは元々料理好きである。専門的に学んだことはないが、母親とキッチンに
    立つことが幼い頃から好きだった。カフェ『H&M』で腕を振るうハンジ・ゾエと
    パティシエのカイに出会ったことにより、本格的に料理の勉強をしたくなった、ということだった。
  19. 31 : : 2014/04/06(日) 12:34:20
    「――ペトラ…まさか、どこか異国の地で勉強したいとか?」

     眉をしかめるリヴァイはテーブルに手を付いて立ち上がると
    マグカップの紅茶は小さな波紋を作った。

    「もう、リヴァイさん! そんなに焦らなくていいよ! カイさんがね、
    パティシエの講師をすることになったって、お店のホームページを見たの。
    それでカイさんが開くスクールに通いたいんだ…」

    「なるほど…」

     カイの店は隣街にある。異国の地ではないため、リヴァイは息を飲み安堵した
    表情を浮かべるも、ペトラを強い眼差しで見つめていた。

    「だから…リヴァイさん、この部屋はそのままで――」

    「じゃ…結婚は先延ばしってことか…?」

     リヴァイの強い眼差しには慣れていたはずなのにペトラは目を逸らし黙りこむ。
    息を吐き、再びリヴァイを見上げる。

    「もちろん、リヴァイさんと一緒にいたい…でも、夢も叶えたい――」

     真剣な真っ直ぐなペトラの眼差しを見ているとリヴァイも黙るほかなかった。
    互いに一緒にいたい、何か最善の方向性はあるだろうか――
     リヴァイの脳裏には何も思い浮かばなかった。
     数日後、カフェ『H&M』にペトラがリヴァイに連絡することなく突如やってきていた――

    「ペトラ、どうした…?突然?」

     ガラスのドアを開けリヴァイはペトラを迎え入れると、その後ろに続くのは
    限りなくペトラの雰囲気に近い少し年配の女性が一緒だった。

    ・・・まさか…!

     リヴァイはその女性を見ると顔が強張った。

    「リヴァイさん、ごめんね…今日、お母さん連れて来ちゃった――」

    「初めまして、リヴァイさん。主人からあなたと会ったことを聞いていたら、
    私もぜひにと思ってね――」

     リヴァイはペトラの母に軽く会釈をすると、すでに喉はカラカラで唾を飲み込んでも
    まだ渇いている感覚がしていた。その心には父親に会ったときの緊張感が満ち溢れていた。 

    「ペトラさん、誰を連れてきたの…? まさか、お母さん!? 
    それにしても、見てよ、モブリット! あのリヴァイの緊張している顔!」

    「ハンジさん、聞こえますって!」

     引きつるリヴァイの顔を指差して笑いたくなるハンジだったが、それを阻止していたのは
    夫のモブリットである。しかし、彼もかつて見たことないリヴァイの緊張感が溢れる雰囲気を
    キッチンから覗き込むように見守っていた――

    「こ、こちらへどうぞ…」

     ペトラと彼女の母親をテーブル席に案内するリヴァイは全身が張り詰めるようで、
    さらに鋭い眼差しを二人に注ぐ。ペトラの母は彼女からリヴァイの視線の鋭さを
    聞いているため、全く意に介さない様子で親子はリヴァイから渡されたメニューに
    目を通していた。

    ・・・ペトラと結婚したい…延期はしたくない…もちろん、夢は叶えさせたい――

     緊張感漂う背中をハンジとモブリットに見守られているとは知らず、
    リヴァイはただペトラを息を飲み見つめるだけだった。
  20. 32 : : 2014/04/08(火) 12:02:26
    ⑥ペトラの夢

     カフェ『H&M』のティータイム。リヴァイは珍しく鋭い眼差しに影を落とす。
    自分を訪ねてきたペトラ・ラルと彼女の母親を見つめるだけで精一杯になっていた――

    ・・・ペトラは母親に雰囲気は似ているが、どちらかというと父親似か…

     リヴァイは他のテーブルを拭いたりしても、ペトラが気になり落ち着きはなく時々深い
    深呼吸をしながら勤しんでいた。顔を上げるとペトラと目が合い、二人のテーブルのそばに
    立つ――

    「――私も仕事をしていて、やっとペトラと休みを合わせられて今日、来れたんだけど…
    あなたと少し話せないかしら…?」

    「えっ…」

     ペトラの母の一言に伝票を書こうとしている手が止まる。そのリヴァイの顔を見た
    オーナーのエルヴィン・スミスが彼の手中にあるトレーを代わりに持った。
     二人と座って話すよう促すと、その場から離れた――

    「ペトラの最近の幸せそうな顔を見ていたら、ホントあなたに会いたくなったのよ、リヴァイさん――」

    「もうっ! お母さん…!」

     母の発言にペトラは頬を赤らめ静止するように母親の肩を掴んだ。二人の会話を
    リヴァイは息を飲みながら見つめていた。

    「そうだ! こちらのケーキがね、夫が食べて美味しいっていうから、
    ぜひ食べてみたいと思っていたのよ――」

    「はぁ…」

     ペトラの母は快活な声で話しかけてもリヴァイは緊張で上の空で喉がカラカラに
    なっていた。ペトラに似て明るく楽しい雰囲気の母親なんだと感じても、それよりも
    リヴァイは緊張感が解けないままでいる。

    「おまちどうさまでした…」

     エルヴィンがペトラと母親の前にケーキと紅茶を丁寧に並べると、
    リヴァイの前には氷入りのグラスが置かれる。エルヴィンなりの配慮だが、
    普通のお冷を入れるグラスよりも一回り大きいサイズにリヴァイは舌打ちをしたくなるが、
    あえて抑えていた。
     リヴァイのどうぞ、という一言で二人はフォークを持つが彼はグラスを口につけると、
    ゴクリと音を立てて喉元に水を落とす。

    「あら、ヤダ…! ペトラ、お父さんの言うとおり美味しいわね。こう言っちゃ悪いけど、
    やっぱり、あなたのケーキよりこちらの方が――」

    「――ペトラさんの方が美味しいです…!」

     ペトラの母が正直にケーキの感想を話す最中、即座にペトラを褒めた。

    「もう、リヴァイさん…!」

     リヴァイの声を聞いたペトラは頬を赤らめうつむいた。しかし、そのケーキを作った
    ハンジ・ゾエは顔を強張らせ、仕方ないか、とつぶやくと引き続き3人を見守ることにする。
     鋭いが真っ直ぐなリヴァイの眼差しを通して、ペトラの母は娘が大切にされていると感じ取っていた――
  21. 33 : : 2014/04/08(火) 12:04:42
    「…リヴァイさん、今日は突然来てしまったけど、ホントにごめんなさい。娘を…
    ペトラをよろしくお願いしますね」

    「はい…!」

     力強い返事を聞いたペトラの母は笑顔の中に涙を浮かべる。プロポーズのことだけでなく
    『ペトラの夢』のこともすでに知っていた。お似合いの二人を見ていると、
    それは二人に解決させる課題だと判断して、これ以上何も言わず他愛もない話を
    するばかりだった。

    「ペトラ、せっかくだし、リヴァイさんと二人で話したら? お母さん、夕食の買い物もあるし――」

    「もうお帰りになるんですか…?」

     立ち上がるペトラの母は笑みを浮かべて、一人で帰ると告げる。
    今度は夫婦で来ると言い残すと、リヴァイの心臓は大きく跳ねた。
     ガラスのドアまで見送った後、リヴァイがまたテーブル席に座り
    グラスの氷をカラリと鳴らして水を一口飲むと、大きく深呼吸をする――

    「リヴァイさん、ごめんね…突然、二人で来ちゃって」

    「あぁ…」

     リヴァイはテーブルに手を伸ばし足を組むが答えるだけでも、まだ心臓の鼓動は
    止まらない。

    「――私はなんだか欲張り、夢も叶えたくて、リヴァイさんとも結婚したいなんて」

     その声に反応したハンジはキッチンから飛び飛び出すと、
    二人を邪魔するつもりはないが、テーブルの前に立ちはだかる――

    「えっーー! 結婚するの? 二人とも?? いつ、いつ!?」

    「もう…ハンジさん! すいませんね…お二人とも…」

     申し訳ない表情のモブリットは二人に割って入るハンジを見かねて連れ戻す。
    ハンジの手を引いて引き返すとリヴァイの舌打ちが聞こえた。
    二人はそれを気にせずキッチンから顔を覗かせ改めて二人を見守ることにする。

    「リヴァイさん、やっぱり…私…お料理、特にデザートの勉強をしたいの。
    だから、カイさんのスクールに通いたい…」

    「そうか…」

     リヴァイは息を飲む。反対ではない。ただ、突然のことでどうしたらいいか、
    結婚と平行した最善の考えが浮かばないだけだった。

    「ハンジさん…今の聞こえました…?」

    「あぁ…バッチリね…モブリット――」

     二人の会話を聞いていたハンジとモブリットは今度はゆっくりと
    キッチンから出るとテーブルの前に立つ。

    「ペトラさん…今のホント? カイさんのところで学んだら、ぜひこのカフェを
    手伝ってほしい」

    「えっ…ハンジさん…どういうことですか?」

     ハンジがいつもとは違って真剣な眼差しをペトラに注ぐ。リヴァイは珍しいハンジの
    姿にそれ以上に鋭い眼差しを返した。

    「イベントでね、あなたの料理のセンスを見ていたら向いているって思っていたんだよね――」

    「そうなんですよ! センスもそうですが、料理の道具を器用に扱う姿が見事だと、
    ハンジさんと話していたんですよ」

    「二人とも何を…急に…?」

     掃除は出来なくても、料理が一流の夫婦がペトラを褒める姿にリヴァイは鋭い眼差しで返す。
    ペトラの母親が来ていただけで、胸の鼓動が治まらないのに更なる二人の発言で
    戸惑うばかりだった。
     リヴァイのそばには他のテーブルを片付けていたエルヴィンも立ち、
    ハンジとモブリットに言い放つ。

    「二人がそこまで言うのなら、いいかもな――」

     オーナーのエルヴィンは長い付き合いの二人が認めるペトラなら、ぜひにと思っていた。
    また異国の地で学んだパティシエのカイのスクールで腕を磨くペトラなら、
    いいカフェにできると判断していた――
  22. 34 : : 2014/04/10(木) 09:56:49
    ⑦急展開

     カフェ『H&M』のオーナーのエルヴィン・スミスとハンジ・ゾエ、そしてモブリットが
    ペトラ・ラルに期待を寄せる視線を送ると、その様子にリヴァイは息を飲む。

    ・・・この3人は…何を考えてやがる?――

     眉をしかめるリヴァイをよそにペトラが目を輝かせる瞬間を彼は見逃さなかった。

    「私が…ここで働けるなんて、夢のよう…!」

    「そんな大げさな…だが、ペトラ…おまえはどうしたいんだ…?」

     冷ややかな眼差しをリヴァイに注がれてもペトラが笑みを浮かべる表情には変りはない。

    「願ってもないこと! だって、リヴァイさんと初めて出会ったこの場所で働けるなんて――」

     両手を祈るように胸元で絡め、ペトラは嬉しい溢れる気持ちを表した。

    「ペトラさん、私の意見で悪いんだけど…」

     ハジンは以前からペトラの腕を見込んでいた。そのため、ペトラと一緒に働けたらという
    『仮説』のような願いをモブリットと仕事の合間に話すことがあった。それを披露すると、
    夫のモブリットも見守りながらうなずく。

    「――カイさんのところで修行して、ティータイムのデザートはペトラさんに任せても
    いいと思うんだ。もちろん、私たちも手伝うけど」

    「栄養バランスは僕に任せてください!」

     ハンジに続いてモブリットも自信を持って右手で胸をあてがった。

    「他の店舗のデザートも任せてもいいかもな――」

     二人に続きエルヴィンもペトラに期待を込めながら提案をする。
    突然自分たちの意見を披露する3人にリヴァイは舌打ちで答えた。

    「…いきなり、そこまでまかせなくても、いいんじゃねーのか? それにペトラは今、
    仕事もしているし…」

    「それがね、リヴァイさん…」

     うつむき加減になったかと思うと、ペトラは決意をこめたように話し出した。

    「実は、今の仕事はハードすぎるから思い切って、辞めて他の短時間の仕事を探して
    それでカイさんのスクールに通おうかって考えていたんだ――」

    「どうして、そんな大事なことを早く言わないんだ…?」

    「だって、今…ちょうど話そうとしていたんだ…」

     目を見開くリヴァイにペトラは再び伏目がちになると二人に沈黙が重くのしかかった。
     その様子を察したエルヴィンは二人だけで話した方がいいと、
    再びテーブル席から離れることにする。

    「今の仕事は好きなんだけど…やっぱり料理も勉強したくなったんだ…で、今の仕事で
    貯金したお金でスクールに通うとかと思っていた矢先――」 
     
    「――俺がプロポーズか…?」

     ペトラがうなずくと真っ直ぐリヴァイを見つめながら再び話し出す。
  23. 35 : : 2014/04/10(木) 09:58:08
    「だから、あきらめようかと思ったよ。でも、リヴァイさんにも紅茶に合うケーキとか
    食べてほしいと思うし…」

    「今の仕事は…いつ辞めるんだ…?」

    「まだ決めてないよ…」

    「それじゃ、早目に辞めて、俺のところに住んで…カイさんのところに通えばいい。
    仕事はこのあたりにもあるだろう…?」

    「そうね…」

     リヴァイの力強い言葉にペトラは頬を赤らめうなずく。プロポーズをした後、リヴァイは
    ペトラを話したくない気持ちが強い。将来を見据えた責任感がそうさせていた。

    「今出来ることは…それぐらいか…」

    「うん…それじゃ、仕事を辞めたらリヴァイさんの部屋に住んで…でもレコードは?」

    「それは気にするな。レンタル倉庫を借りる――」

     その声を聞いたエルヴィンは再び二人の話の輪に入る。

    「まぁ、リヴァイ…二人と『レコード』が住めるこのあたりの部屋、
    ピクシスさんに話してみるから、別に倉庫を借りる必要はない。それでいいだろ?」

     エルヴィンはリヴァイのレコードコレクションのことを知っていて、またそれが『FDF』の
    音の広がりにつながることも理解していた。そのために倉庫を借りて不便になるよりも
    古くからの馴染みである不動産王のドット・ピクシスに話をつけると提案した。
     二人で決めたことをエルヴィンが聞くと、さらに提案する。

    「ペトラさん、短時間の仕事をするというなら、カイさんのスクールに通いながら
    ウチの事務的な仕事を手伝って欲しい。もちろん、そのときにハンジやモブリットから
    料理について学んでも構わないが――」

     経営陣3人は多忙で事務的な仕事まで手が回らないことがある。
    それを手伝って欲しいと頼まれるとペトラは目を輝かせ快諾していた。

    「なんだか…急展開だな…ペトラ、大丈夫か?」

    「大丈夫も何も、リヴァイさんと一緒にいられて、しかもスクールにも通えるなんて…!」

     ペトラは頬を赤らめ、正直な気持ちを打ち明けるとその目線の先にはリヴァイの鋭い
    眼差しに見つめられる。一緒にいられることの嬉しさで、その鋭さは意に介さなかった。

    ・・・…家族のようなみんなと共に、俺たちの幸せを築くってことか――

     リヴァイがグラスを手に取ると、すでに水は飲み干されていた。ペトラが気づき、
    ハンジに冷たい水のお代わりを頼むが、その笑顔は幸せそのもので、
    いつのまにリヴァイの眼差しも柔らかくなっていた。
     二人の住まいが決まると、ペトラが仕事を辞め一緒に住むことになる。結婚式は
    ペトラがスクールを終えてから、ということになったが結婚前提の同棲生活が始まる。
  24. 41 : : 2014/04/16(水) 11:40:24
    ⑧イブキとの初めての夜(上)

     エルヴィン・スミスとイブキが付き合うようになっても、特にエルヴィンが多忙で
    二人の時間を合わせることが出来ないでいた。だが、全く顔を合わせることが全くない
    ということではなく、イブキはエルヴィンがカフェ『H&M』にいるときを狙い会いに行くことはある。
     しかしエルヴィンは仕事が終わってもアルミンを一人にしてイブキの部屋には行けないと
    決めている。そのためイブキを想うと悶々とした日々が続いていた――
     その土曜日のカフェ『H&M』でティータイムが始まると、オーナーであるエルヴィンの息子、
    アルミンと同級生のミカサ・アッカーマン、エレン・イェーガーの3人がカフェのガラスの
    ドアを開け入ってきた。3人は浮かない表情で、どうしよう、間に合うかな、と言いながら
    テーブル席に座ったため、その声を聞いたエルヴィンは息子のアルミンに声を掛けた。

    「アルミン、どうした…?」

    「――あぁ、父さん…実は膨大な量の歴史の宿題があって…」

     アルミンたちの副担任でもある社会科教師、ルーク・シスは大量の宿題を出すことで
    有名である。今回はいつもよりも増した宿題の量だけでなく、それをまとめてグループで
    発表しなければならない。ちょうど3人は同じグループとなるが、発表する内容を
    まとめられないでいた。

    「――発表が来週の月曜日なんだけど…もう、なかなかまとめられなくて…」

    「大変だな、アルミン…まぁ、頑張りなさい…」

    「うん…」

     アルミンがテーブル席に戻る前、カウンター席の内側にいたユミルにドリンクとケーキを
    オーダーしていると、すでにミカサとエレンは資料をテーブルに広げていた。

    「エルヴィンさん…こんにちは…! あれ、ミカサ…みんな? どうしたの?」

    「イブキ…、あの3人は――」

     カウンター席で自分のシステム手帳を広げエルヴィンが仕事をしていると、イブキが
    ガラスのドアを開けて彼の傍に建つ。笑顔で迎え入れると、イブキの顔も自然に綻んだ。
     イブキがエルヴィンから3人の様子を聞くと、眉をしかめる。テーブル席にいっぱいの
    コピーされた資料をまとめるのは大変だろう、と安易ではあるが想像していた。
     
    「エルヴィンさんもお仕事か…じゃ、私はあの3人の席に座るね――」

    「えっ…そうだな――」

     エルヴィンが3人のテーブル席に向うイブキの背中を見送ると本当は隣に座って欲しいと
    願うが、きっと仕事にならないだろうと自嘲の笑みを浮かべ、仕事を再開した。

    「3人とも大変そうね…!」

    「イブキ叔母さん、来てたのね!」

     3人が座るテーブル席にイブキも座りながら皆が『格闘』している様々な資料を手に取る。
    怪訝な表情を浮かべ、学生は大変だと感じていた。

    「みんな、これじゃ…徹夜になっちゃうね――」

     イブキが3人に目配せすると、目があったエレンはため息をついた。

    「ホント…徹夜だよ…。明日の日曜日もずっとこれに費やすのはなんだか…。
    そうだ! 俺ん家に泊まりこんでさ、3人でやらないか?」

     カウンター席で仕事をしているエルヴィンは走らせていたペンを止めた。
    エレンの提案を聞いたイブキも呼応する――

    「エレンくん、それがいいかもね!3人でお泊りしながらまとめた方が
    まだ時間も短縮できていいかもね」
  25. 42 : : 2014/04/16(水) 11:41:52
     イブキのその声は聞き耳を立てているエルヴィンにも届いて、背中が
    少し跳ねるように震えた。ペンが止まったことを尻目に見ていたリヴァイは
    4人の様子、特にイブキが話していることに聞き耳を立てていると
    完全に気づいていた。
     音を立てずエルヴィンのそばに立ちその横顔を見たリヴァイは舌打ちする。
    笑いを堪えている横顔が視界に飛び込んでいた。

    「オーナー…今夜、イブキさんの部屋に行くつもりじゃねーだろーなぁ…?」

     リヴァイが氷のように冷たい声でエルヴィンだけに聞こえるようにつぶやくと、
    エルヴィンは噴出すように笑い、大きな手で顔を押えていた。

    「リヴァイ、何を言っているんだ? そんなバカな…」

    「だが…なんだ、その顔は…!」

     顔を抑えているが、その指の隙間から笑いを堪えたエルヴィンの表情が
    リヴァイには手に取るように伝わっていた。

    「まぁ、仕事はキチンとしろ。今日はイッケイさんたちは来ねーが…週末の稼ぎ時だ」

     リヴァイは氷の声でささやくと、彼はそのまま自分の仕事に戻っていった。二人の様子を
    見ていたアルミンは、父であるエルヴィンの前にリヴァイと入れ替わるように傍に立っていた。

    「父さん、今夜、エレンの家に泊まって宿題することになったけど――」

    「――行きなさい、ぜひ行きなさい!」

     アルミンが話し終えない内に、早口で被せるようにエルヴィンは返事をした。
    その慌て振りを目の前にしたアルミンは目を見開き引き気味になる。

    ・・・父さん…イブキさんのところに行くつもりだな――

    「それじゃ…今夜、エレンの家に泊まるから」

     冷めた眼差しを父に残したアルミンはそのまま自分の席に座り
    引き続き資料を手に取ると、宿題を再開することにする。
     歴史を調べるため、スマホを操作して視線を落としていたミカサが
    イブキに顔を向けると何かを思い出したように話し出した。

    「そうだ、イブキ叔母さん、最近…キレイになったよね?」

    「えっ…? そう?」

     イブキはミカサと目が合うと照れて手に取っていたコーヒーカップを
    そのままソーサーに下ろした。

    「やっぱり…アルミンのお父さんのおかげかな?」

    「えっ…まぁ…そうかもね――」

     あどけない笑みのミカサに言われると、さらに照れてイブキは頬を赤らめていた。
    ミカサはエルヴィンとイブキが付き合うと知ったとき、素直に嬉しかった。ただ、
    一番好きなのは『ザカリアスのおじさん』のはずなのに、と思いながらも、それは
    あえて口にせず、大人の恋愛って大変なんだと感じていた。
     ミカサの笑みに照れていると、イブキは他の誰かに見つめられているという
    視線を感じると、突如エルヴィンと目があった。その表情は今まで見たことないような
    穏やかな笑みを浮かべていた。
     何か用があるのあと思い、イブキが立ち上がるとエルヴィンが近づいてくる。
  26. 43 : : 2014/04/16(水) 11:44:13
    「イブキ…」

    「どうしたの、エルヴィンさん?」

     エルヴィンは自然にイブキの腰に手を回して彼女の耳元に唇を寄せる。
    その姿を見たミカサは二人の自然な動作に、本当に仲がいいんだと思うと、
    照れてしまい、視線を資料に移した。

    「今夜…君の部屋に行く――」

    「えっ…うん、わかった…」

     イブキがうなずくと、エルヴィンは名残惜しそうにイブキから離れると、そのまま
    カウンター席に戻り仕事を再開した。エルヴィンの甘い声に顔が火照っていると
    感じながら、イブキは両手で顔を揉むように押えると、そのままもとの席に座る。
     今度はミカサの視線を感じたイブキが笑みと共に声を掛けた――

    「ミカサ、何?」

    「イブキ叔母さん、顔が赤いよ?」

    「えっ…? そう!?」

     ミカサの何気ない一言に驚くと、そのままイブキはうつむき、テーブル席の資料を
    手に取っていた。
     同日のその夜、クラブ『FDF』はいつもの土曜日に比べると、大入りだった。
    エルヴィンは客の多さを目の当たりにして、いつものなら、嬉しいはずだがこの夜に限り
    早目に帰りたい気分だった。

    ・・・もちろん、仕事は仕事だ――

     イブキの顔が脳裏にチラついても、いつもの『営業スマイル』で接客に勤しんでいた。
    DJブースからエルヴィンの様子を伺っていたリヴァイは鼻で笑い、レコードを手に取る。

    ・・・オーナー…耐えろ、イブキさんは逃げない――

     客層を主にリヴァイは見ていたが、その視界に入ってきたエルヴィンを一瞬だけ見るが
    その直後、気を引き締める。
    棚から取り出したレコードの埃を見つけると舌打ちしたては、ジャン・キルシュタインをにらみつけた。

    ・・・ほう…あいつらも来ているか――

     ヘッドフォンから漏れる音を確認しながら、フロアを見るとリヴァイの懐かしい友人たちが
    手を振っていた。テーブルに座る彼等をエルヴィンが接客しているとリヴァイは自分の
    懐かしい友人たちを覚えているのかと感心していた。
     エルヴィンはリヴァイの女性ファンだけでなく、DJファンも大切にすると、更なる縁が
    広がると考えていた。そのため、特にリヴァイの友人たちは忘れないでいた。
     結局、いつもの土曜より遅く閉店時間を迎えると、エルヴィンが慌しく
    フロアを片付け出す様子をリヴァイが目撃する。

    「リヴァイ、今日はおまえの昔の仲間たちも来ていた…イベントはいつですか、
    って聞かれたんだが…イアンさんとまた計画を立てないと――」

     リヴァイに片付けながら話しかけても、エルヴィンの慌しい様子に変りはない。
    その様子にリヴァイは口角を上げ妖しい笑みを浮かべた。

    「まぁ…オーナー…イベントの件はすぐにでも話し合おう…それより、
    今日は俺が最後まで見る。早くイブキさんのところへ――」

    「えっ?」

     イブキを想う様子には変わりはないが、リヴァイはかつての彼の仲間にも気を使う
    エルヴィンを頼もしく感じていた。そのため、その夜はエルヴィンを早く上がらせることにする。

    「リヴァイ…すまないな――」

     軽くリヴァイの肩に触れると、皆に挨拶して、口角は下げきれずそのままクラブ『FDF』を
    エルヴィンは後にした。
     慌てて『FDF』が入るテナントビルから離れると、イブキの部屋には徒歩でも行けるが、
    目の前を通るタクシーを止めたくなる。エルヴィンは息を切らしスマホを手に取ると、
    そのままイブキの番号をタップする――

    「イブキ、遅くなってすまない…今向っている」

    「えっ…! エルヴィンさん…今夜は遅いから、来ないのかな…って思っていたよ!」

    「いや、それはない…必ず行くって言っただろ」

     弾むイブキの声にエルヴィンの頬は緩みっぱなしだった。

    「じゃ…エルヴィンさん、待っているね…あ、やっぱり待てない…早く来て!――あれ?」

     イブキは冗談で『待てない』と言ったつもりだが、すぐにエルヴィンは電話を切った。
    逸る気持ちを抑えられず、スマホを握るとイブキの部屋に向かい走り出していた――
  27. 44 : : 2014/04/17(木) 11:19:34
    ※⑨話は『大人の表現』があります。イメージを壊したくない、18歳未満の方は安全な壁内へお戻りください…。
  28. 45 : : 2014/04/17(木) 11:21:42
    ⑨イブキとの初めての夜(下)

     「ん? エルヴィンさん、どうしたんだろ…?」

     イブキが彼女の部屋のリビングにいるとエルヴィン・スミスから
    スマホの着信があり、少しだけ話すとすぐに通話が切れてしまった。
     首をかしげスマホを見つめていると、部屋のドア前に慌てる足音がだんだんと近づき、
    突如インターフォンが鳴る。

    「エルヴィンさん!?」

    「イ…イブキ…!」

     イブキがドアを開けると、息を切らすエルヴィンが目の前に立っていた。
    汗をかきながら肩で息をして、額と前髪がくっついている。
     
    「もう、そんなに慌てて――あっ…」

    「会いたかった…!」

     イブキが額の汗を拭おうと手を伸ばすと、エルヴィンはイブキをぎゅっと抱きしめた。
    その声は慌てていた影響で熱がこもっていた。抱きしめられ、心地よさに浸るが
    イブキは冷静に返す。

    「会いたかったって…昼間も会ったでしょ?」

    「いや…抱きしめたかった――」

     エルヴィンに抱きしめられると、汗とファーレンハイトの香水が入り交ざった
    彼だけの香りにイブキは包まれる。
     厚い胸元から顔を上げると、額の汗にイブキは微笑む。

    「もう…エルヴィンさん…どうぞ、入って…」

    「あぁ…お邪魔します――」

     玄関からリビングへ向かいエルヴィンが部屋の照明に包まれると、
    額の滝のような汗にイブキは驚く。タオルを手に取り、汗を拭おうとしたとき、ふと思う。

    「走ってきて、この汗だし、シャワーに入ったら…?」

    「えっ…!もう!?」

     エルヴィンはイブキのベッドルームに一瞥をくれると、息を飲む。その表情に気づいた
    イブキは噴出すように笑った。

    「もう、エルヴィンさん! 仕事も終えて、走って汗もかいているし、それでシャワーを
    ってことなのよ!」

    「なるほど、そういうことね…!」 

     軽くため息をつくと、イブキに促されバスルームに向う。イブキの部屋には何度か
    来たことはあったが、その場所は初めてだった。
     胸の鼓動を感じながら、シャワーのハンドルをひねった。
  29. 46 : : 2014/04/17(木) 11:22:53
    「――エルヴィンさん、タオル、ここに置いておくね」

     イブキはドア越しにエルヴィンに話しかける。ドアの傍にタオルを置くと伝えると
    エルヴィンはすかさず返事をした――

    「イブキ、ありがとう…なぁ、一緒に入らないか?」

    「もう…何言っているの…!」

     エルヴィンの冗談を鼻で笑うと、そのままイブキはドアから離れた。
    エルヴィンが髪を洗いシャワーの温水を額で浴びているときだった。
     バスルームのドアが開く音がして、振り返るとイブキがタオルで身体を巻いて
    目の前に立っていた。

    「イブキ…!」

    「大胆…かな?」

     頬を赤らめ、タオルで身体を包み、エルヴィンの目の前にイブキが現れた。
    エルヴィンはイブキのタオルから伸びた足と笑みを見つめると
    そのまま手を引っ張り彼の元へ抱き寄せた。
     シャワーの温水が二人に注ぐと、イブキの長い髪も濡れる。
    イブキがエルヴィンの顔を見上げると、そのまま二人は荒々しく淫靡な音を
    立てながら唇を重ねた。

    ・・・イブキ…と…やっと――

     エルヴィンはイブキに直接、触れられることが心地よい。首筋に唇を這わせ、
    指先が胸に触れると、イブキはびくっと少し跳ねる様に震えた。その震えにエルヴィンの
    気持ちがあふれ出し、イブキの両手を掴みバスルームの壁に身体を押えた。
     イブキの両腕を伸ばし壁に押さえ、彼女を求め胸元に顔をうずめようとしたとき――

    「エ、エルヴィンさん…! 背中が冷たい…」

    「ごめん――」

     イブキをぎゅっと抱きしめ再び唇を重ねると、その眼差しは揺れていて、
    唇は艶やかで目前のエルヴィンを求めていた。

    「それじゃ…ベッドへ…行こう」

    「う…ん」

     バスルームから出ると、二人は互いの身体を拭くと、エルヴィンはイブキを抱き上げる。
    服を着ない互いの体が触れるのは更なる心地よさを与える。

    「エ、エルヴィンさん…! 自分で歩けるよ…恥ずかしい――」

    「いや…もう離さないって言っただろう?」

    「うん…」

     小さくイブキがうなずくと、彼女のベッドにエルヴィンは寝かせる。
    イブキのベッドはセミダブルで大きめだが、背の高い二人がそのベッドで横になると
    小さく見えた。
     エルヴィンがイブキに覆いかぶさり、再び二人は唇を求め、互いの唇の中では
    舌がまるで意思を持って動いているようだった。
     イブキは手のひらでエルヴィンの背中の感触を味わう。日ごろスーツを着て
    身を隠しているが、鍛えられた身体を手のひらで覚えさせるように触れていた。
  30. 47 : : 2014/04/17(木) 11:25:38
    「あぁ…ん」

     唇から漏れるイブキの温かい吐息をエルヴィンは耳元で感じる――

    「ずっと…この日を待っていたよ、イブキ…」

     潤んだイブキの瞳を目下にすると、エルヴィンは言わずはいられなかった。
    その声に呼応するようにイブキの何度も口付けされ火照った艶やかな唇が動く。

    「私も…あなたと…ん…あ…」

     声を出しても心地よさから、イブキの声は甘い吐息になっていく。胸を触れられるたび、
    イブキの声は甘く、エルヴィンだけに捧げる歌声を響かせていた。

    「敏感…なんだな…」

    「…だって…もう…」

     甘く耳元でささやかれても、イブキの声は心地よい苦しさで言葉にならなかった。
    イブキの声を耳元にエルヴィンがイブキの胸に手を触れながら唇を押し当てると
    彼女は身体をくねらせる。エルヴィンの細く長い指がイブキの身体を這いながら、
    どこにその指先が向っているかを感じると、さらに身体をくねらせた。
     エルヴィンは身体をくねらせるイブキの反応を楽しんでいた。
    手を伸ばすが、その場所をなかなか触れない。
     イブキは唇を艶かしく開き、漏れる吐息をまるで吸い取るようにエルヴィンは唇を塞ぐ――

    「ん…ん」

     息が出来ないほど何度も重ねられる口付けで、イブキは吐息しか漏れない。
    そのとき、エルヴィンの指先がイブキの秘部を捕らえると、妖しい笑みを浮かべる。

    「すごいな…」

    「いや…!」

     エルヴィンにされるがままに触れられると、イブキは顔を背け身体をくねらせる。
    彼女の大事な場所はエルヴィンの指先が光るほど、溢れていた。
     細長い指がイブキの突起を捕らえると、軽く触れただけで、体が震えシーツを握る。
    その反応を感じると、エルヴィンは容赦せず、触れ続けた――

    「ダメ…いや…ん」

     イブキの抗いを許さないと言いたげにエルヴィンの指先は彼女の突起を
    弄んだ。イブキは声を上げるしか出来ないが、頭が真っ白になっていく。
     エルヴィンがイブキに覆いかぶさり、その日何度目かの口付けを交わすと、
    目下のイブキを恍惚な瞳で見つめる。
     イブキの足を開かせると、エルヴィンはそのまま自分自身を彼女に送り込んだ――   

    「あ…ん、い…」

     痛みで歯を食いしばるが、イブキは自分の奥まで達したことを感じると、
    痛みはいつのまに消えてなくなり、心地よさだけを残した。

    「イブキ…」

     エルヴィンが名前を呼んでもイブキは吐息でしか答えられない。その甘い吐息を
    耳元で感じながら、波打つ動きを始める。イブキは奥歯を噛み締めていたはずだが、
    あえぐ声は大きくなるばかりだった。 
     エルヴィンの首元を掴みイブキは甘い心地よさに包まれる。

    「エルヴィン…さん…ダメ…もう、あ…ん、い…!」

     反応を感じてエルヴィンは動きの強弱を繰り返すと、イブキが先に果ててしまった。
    動きを止めずにいると、果てた影響からイブキの秘部がエルヴィン自身を締め付ける――

    「イ、イブキ…!」

     苦しいのか心地いいのかわからない感覚がエルヴィンを襲うと
    そのまま彼も果ててしまう。
     エルヴィンはイブキを抱き寄せ、乱れた息が整うまで抱きしめていた。

    「エルヴィン…さん…」

     イブキの声はあえぎすぎて、かすれ、それがまた艶っぽかった。
    エルヴィンの頬に手を伸ばし、潤んだ瞳で見つめるが、余韻がまだ秘部に
    残っていて、軽く開いた唇から吐息が漏れる。
     頬を触れられた手の平をエルヴィンが握ると、そのまま彼の唇に触れさせた。
    イブキは頬を赤らめるだけで、声が出なかった。

    「俺は…待っていて、よかったよ…イブキ」 

     火照った唇にエルヴィンが重ねる唇は優しく、背中に手を伸ばすと手前に引き寄せた。
    イブキは恥ずかしさよりも、これが幸せの絶頂なのかと感じると、
    少しずつ乱れていた息が整い始める。
     二人は互いの身体を抱き寄せ、身も心も一つになった幸福感に包まれていた。
  31. 48 : : 2014/04/18(金) 11:22:30
    ⑩始まる、新しい毎日

     温かい日差しがその街の街路樹に注がれると、青々とした葉っぱが一枚ずつ
    太陽の恩恵を受けて輝きだす。風の香りも変り始め新しい季節の訪れを告げる。
     
     ペトラ・ラルはリヴァイとの新居が見つかると、すぐに仕事を辞めていた。
    同僚たちからは惜しまれ、ペトラが勤めるカフェ『H&M』には必ず顔を出すと約束していた。
     リヴァイはエルヴィン・スミスから新居を紹介されたとき、好条件のため、即決しようと
    するが、その住所を確認すると、眉をしかめ舌打ちしていた。
     その場所はエルヴィンやハンジ・ゾエの近所に位置していたからである。ただでさえ日常を
    共にする皆と、プライベートも近いとなると不満に感じていた。だが、ペトラ自身は
    新しい街での暮らしで知り合いが近くにいることが心強かった。
     
     引越しを終えると、リヴァイはこだわりのレコード部屋を残せ、
    ペトラとの広めの部屋に住み始めると当初の不満もすぐに忘れ心地よく感じていた。
     二人の結婚前提の同棲生活はペトラの両親もリヴァイの人となりを知っていたため、
    すぐに同意していた。
     
     リヴァイは引越し以外、生活が一変することはない。ペトラは朝からカイのスクールへ行き、
    カフェ『H&M』のティータイムが始まる頃に帰る。その時、エルヴィンの事務的な仕事の
    手伝いをして、時間が許す限りディナーのウェイトレスとして手伝っていた。
     ペトラはハンジの料理の腕前を見習いたいため、率先して多忙な新しい生活に勤しんでいた。
     
     リヴァイは今までの付き合いでペトラと時間があまり合わなかったため、
    同棲を密かに楽しみしていた。だが、ペトラの多忙で新しい生活でもまともに話しが出来るのは、
    カフェのティータイムくらいである――
     その朝。リヴァイとペトラが一緒に玄関から出ると、これまでのアパートよりも早目に
    カフェが入るテナントビルに近辺に到着していた。
  32. 49 : : 2014/04/18(金) 11:23:43
    「リヴァイさん、新しいところに引っ越して、通勤が楽になってよかったんじゃない…?」

    「あぁ、そうだな…でも、身体を動かさないと、鈍ってしまう…」

    「じゃ、休みの日はどこかに遊びに行こうよ!」

    「それもいいな…」

     リヴァイはペトラとの何気ない会話さえ新鮮に感じる。
    聳え立つカフェが入るテナントビルを見上げると、周りを気にして
    ペトラの手を引いてビルの陰に隠れた。

    「ペトラ…いってくる――」

     リヴァイは周りに誰もいないか、首を左右に振りながら鋭い視線を送ると、
    ペトラの頬に手を沿え、そっとキスをする。そのまま口角を上げ、彼女の髪に触れた。

    「リヴァイさん、私も頑張ってきます…」

    「あぁ…気をつけて――」

     ペトラが頬を赤らめリヴァイに手を振ると、彼はいつもの涼しい顔でカフェ『H&M』に
    向っていった。ペトラはリヴァイへの高鳴る気持ちを抑え、顔を引き締め最寄り駅まで早足で向う。

    「モブリット…見た? いいねぇ! あの二人、相変わらずラブラブだよ!」

    「そうですね! ハンジさん」

     リヴァイは誰にも見られていないと思っていたが、ハンジとモブリットに
    見つかっていた。いつまでも変らないような仲がいい二人に微笑む。

    「ですが、ハンジさん、僕らだってラブラブですよ――」

     モブリットはハンジの手を握り、そのままカフェに向かい歩き出す。ハンジはモブリットに
    笑みを向け、夫の大きな手の温もりを感じていた。
  33. 50 : : 2014/04/18(金) 11:25:07
     カフェ『H&M』のランチタイムが中盤になる頃、オーナーのエルヴィンが
    他の経営する飲食店を見回ってきて、いつもの定位置のカウンター席に座った。
     ユミルからアイスコーヒーを差し出され一息つくと、リヴァイが近く。

    「リヴァイ、ペトラさんが事務的なことを手伝ってくれて、だいぶ助かる。
    俺やハンジたちの負担が減っていいのだが、ペトラさんは大丈夫か?」

    「あぁ…毎日、忙しいが、楽しそうにやっている」

    「そうか…ならよかった――」

     エルヴィンはアイスコーヒーのグラスを手に取り、氷を鳴らしながら口元に寄せると
    リヴァイを見ては鼻で笑った。

    「リヴァイ…おまえ、太ったか?」

    「…それはない――」

     リヴァイは言下に否定して、何気なく腹部に手を添えると、少しだけベルトの上に『肉』が
    乗っていることに気づく。
     口にはしないが、眉をしかめる眼差しにエルヴィンは気がついたかと言わんばかりに
    右の口角を上げた。

    「まぁ…リヴァイ、短時間で幸せ太りとはな――」

     舌打ちで返事をするが、リヴァイはエルヴィンに鋭い眼差しを送るだけだった。

    「まぁ…スタイルを維持する料理を作ってもらうか、それは関係なくペトラさんの
    美味しい料理を食べるかは…それを選ぶのはおまえ次第だろうな…もちろん、
    幸せなのはいいことだ――」

     リヴァイは確かにペトラが作る料理は残さず食べる。野菜中心の生活に比べて
    ペトラが考えたバランスのいい料理を食べると、太ったというよりも
    『健康的な食生活』になって、それが体型に現れただけである――
  34. 51 : : 2014/04/18(金) 11:27:35
     客の流れが落ち着き二人が談笑していると、ガラスのドアが開きイブキが入ってきた。
    リヴァイに挨拶して、カウンター席に近づくと、座りながらエルヴィンはイブキの腰に自然に手を回す。

    ・・・ほう…オーナーの自然なあの仕草…イブキさんを離したくないってことか…
    まぁ、幸せなのはいいことだ――

     鼻で笑うリヴァイは自分の仕事を再開して帰った客のテーブル席を片付け始めた。
     ティータイムに切り替わる頃、リヴァイはガラスのドアの傍に掲げられたイーゼルの
    看板を変えようとしたとき、背後に気配を感じる。

    「――リヴァイさん、ただいま…!」

     ペトラの声と気づきすぐに振り向くと、彼女は好きなことを学べた充実感から
    喜びが溢れ、活き活きとした笑みを浮かべる。
     ペトラの愛らしさがさらに増すことを感じると、リヴァイは息を飲み、おかえりと声をかけた。 

    「ペトラ、オーナーが待っている…」

    「うん、早速取り掛かるね!」

    「だが…昼は食べたのか?」

    「ここに来る途中で済ませたから大丈夫だよ」

     リヴァイがガラスのドアを開けると、ペトラはエルヴィンのノートパソコンを借りて
    事務的な仕事を始める。
     リヴァイは昼からペトラと会い何気ない会話さえも、涼しい顔をしているが、嬉しく感じていた。
     ペトラのその日の事務的な仕事はすぐ終わり、ハンジとモブリットの手伝いをすることに
    なった。
     嬉々としてキッチンに入るペトラに見とれていると、エルヴィンが声を掛ける。

    「――リヴァイ、『FDF』の準備に入る、行くぞ」

    「あぁ…」

     上の空でリヴァイが返事をすると、視線はペトラに注いだままだった。
    いつもは人を寄せ付けないような鋭い眼差しのリヴァイにエルヴィンは鼻で笑う。

    「ペトラさんは逃げない、先に行く」

     リヴァイはエルヴィンの一言に舌打ちして、残った仕事をユミルに願うと、
    彼女もいつもと違うリヴァイの様子を口元に拳を作り笑いを堪えていた。
     エルヴィンの背中を追うと尻目にペトラを捕らえ、DJとして気を引き締め
    カフェ『H&M』を離れた。
  35. 52 : : 2014/04/19(土) 12:35:36
    ⑪エルヴィン、謂れなき危機

     ある土曜日のカフェ『H&M』。いつものようにオーナーのエルヴィン・スミスは
    息子のアルミンの母親たち共にテーブルで顔を突き合わせ『教育討論』という名の
    交流会をしていた。彼の大きな手の身振り手振りの話す姿に奥様たちは夢中だ。
    もちろん、その中にはナイル・ドークの妻、シイナも含まれている――
     アルミンはいつも父が座るカウンター席に座りハンジ・ゾエ特性のランチに
    手を伸ばしていた。彼は父のエルヴィンの仕事として理解して、
    友達の母親たちと話す姿はさほど気にすることはない。
     ランチの客が落ち着き始めるとリヴァイがアルミンに近づいてきた。

    「…アルミン、おまえは…ペトラと会ったことはあるか?」

    「えっ、そういえば…僕はまだ会ってないですよ!」

     リヴァイの大切なペトラ・ラルが通うスクールは土曜日は休みで、カフェの手伝いも
    休みである。
     アルミンはリヴァイが結婚前提で同棲をしていることを知っているが、
    ペトラとはすれ違いでまだ会っていない。

    「この街で、あいつの…ペトラの知り合いはこのカフェに繋がる皆だ。ぜひ頼む」

    「もちろんですよ! リヴァイさん――」

     快活に返されるとリヴァイは口角を上げ、カウンターの内側に回り、食器の洗物を始めた。
    ペトラは土日は休みで、平日に出来ない家事を一気に片付けあとは自分の時間に充てる。
     彼女の自分の時間はほとんど料理をするが、リヴァイのために腕を振るっていた。
    それを知っていてリヴァイは土曜日の夜は逸る気持ちを抑え『FDF』のDJブースに立つようになっていた。
    稼ぎ時の土曜日であるが、営業が終了する頃、ペトラに会いたい気持ちが強くなる。
     健康的でバランスのいい食事をペトラが作り、翌朝食べたらいいのに、と言われても
    言うことを聞かず、リヴァイは夜から食べてしまう。その結果が『お腹』に現れ、
    エルヴィンに指摘されていた。しかし、その直後、寝る前に腹筋を鍛えるエクササイズを
    始めると、ベルトに『肉』が乗ることはなくなっていた。
     リヴァイとアルミンが談笑していると、アルミンの同級生のミーナと父のナイルと共に
    ガラスのドアを開けて入ってきた。
  36. 53 : : 2014/04/19(土) 12:36:53
    ・・・ほう…『ドーク家』勢ぞろいか…

     右の口角を上げるリヴァイはミーナとナイルをテーブル席に案内する。
    シイナはなぜ、と言いたげに目を見開き、娘のそばへ行きたい気持ちになっても
    エルヴィンの話を聞いている最中のため、気にしない素振りをした。
     ナイルが来た事で、エルヴィンはホッとするが、夫や娘のテーブルに
    移動しないシイナに対して彼は話を中断して声を掛ける。

    「ドークさん、あなたのご主人と娘さんが来ています。お二人の元へ
    行かれてはどうですか?」

    「いいえ…! 私は皆さんと大事な話をしていますし、
    ミーナは今日、夫と話したいことがあるみたいですから…!」

     シイナはエルヴィンを見据える貴重な時間のため、その場から離れる意思はなく
    『娘が父と話したいことがある』と咄嗟に嘘まで口にしていた。
     強張る唇から早口で話すシイナにエルヴィンは嘘だと見抜く。話を再開するが、
    シイナの熱をこめる視線はちょうどエルヴィンに隠れナイルが拝むことはできない。
    それが、エルヴィンは救いだと心根では感じていた。

    「ミーナ、いらっしゃい! 今日もありがとね!」

    「――今日はね、お父さんと本屋に行ってきてその帰りなんだ…!」

     アルミンがミーナのテーブルに行くと二人に挨拶する。
    ナイルの一人娘のミーナに注ぐ視線は優しい父、そのものだった。

    ・・・シイナ、やっぱりおまえは…エルヴィンを…

     アルミンが二人に挨拶を終え、元のカウンター席に戻ると優しい眼差しだった
    ナイルはエルヴィンの背中に刺すような視線を送る。エルヴィンがナイルの
    謂われない視線を感じると、眉をしかめる。そのとき、リヴァイと目が合い
    奥様連中にちょっと失礼、と言いながら皆から離れ、カウンター席のアルミンの隣に座った。

    「父さん、ミーナは家族で来ているね――」

    「あぁ…そうだな」

     返す声は焦っていた。その上ずる声を聞いたリヴァイはエルヴィンに近づいた。

    「オーナー…あの夫婦に好かれて、大変だな」

     心配するどころかリヴァイは妖しい笑みを浮かべていた。その表情を見たアルミンは
    えっ、と言いたげに視線を父に移した。

    「父さん、何かあったの?」

    「大丈夫だ、気にすることはない、アルミン――」

     あどけない横顔に少し疲れた笑みを向け、
    息子の頭を軽く触れると、エルヴィンはナイルとミーナのテーブル席に移動する。
  37. 54 : : 2014/04/19(土) 12:39:05
    「ナイル、今日は家族でありがとう――」

    「俺の妻を含め、おまえは人妻たちと一体何を話しているんだ?」

     ナイルは自分の妻のシイナを含め奥様連中と楽しげに話すエルヴィンに
    訝しげな眼差しで睨む。

    「あぁ…お母さんたちとは教育について、意見交換をしているだけだ。変な詮索はするな――」

    「ほう…意見交換ね――」

     すかさずエルヴィンも睨み返す。互いの子供の前で、言い争いは避けたかったが
    ナイルの視線は鋭いままだった。ナイルは自分の妻と、エルヴィンに何かあるのではと
    勝手に勘違いしていた。

    「まぁ…俺も娘の前では、これ以上何も言わん。おまえは昔から、俺のモノを欲しがるからな――」

    「何だよ、それ」

     父のナイルの一言でミーナは目を見開き、息を飲み二人に視線を送る。
    かつてナイルはエルヴィンの亡き妻が好きだったが、エルヴィンを選んだことを
    未だ根に持っていて、過去の負け惜しみを今更ぶつけていた。ちょうどその時――
     カフェのガラスのドアが開き、イブキがカフェに入ってきた。

    「こんにちは…! あれ、エルヴィンさん、どうしたの!?」

     カフェに入りエルヴィンを見据えると、彼が戸惑い、怒りにも似た、
    これまでの付き合いの中で見たことない表情を浮かべていた。
     その表情を見たイブキは彼のそばに駆け寄る。

    「何があったの? エルヴィンさん…?」

    「あぁ…イブキ、何でもない――」

     眉をしかめるイブキを目の前にすると、エルヴィンは自然に彼女の腰に手を回す。
    エルヴィンはイブキがそばに来ると、すでにその仕草がクセになっていて、
    彼女も当たり前のように受け入れていた。

    「ナイル、俺の大切な人を紹介する」

    「初めまして、イブキと申します!」

     どうも、とナイルがイブキに挨拶して、二人は昔からの馴染みだとエルヴィンが
    彼を紹介した。二人の幸せそうな笑みを見ると、ナイルはエルヴィンとシイナに
    何かがあるという疑いは、独りよがりな勘違いと気づく。だが、ナイルはそれを
    覚られないように意味なく毒づく。

    「エルヴィン、おまえが選ぶ女性は…昔から美しいな…!」

    「おい、ナイル! おまえ…さっきから何がいいたいんだ!?」

     エルヴィンが声を張ると、すぐにナイルも語気を強め言い返す――

    「まぁ…俺は…俺で、妻を愛する。おまえもそうだろ?」

    「もちろんそうだ!」

     隣に立つイブキに視線を送り、肩を抱くと彼女もエルヴィンに笑みを返す。

    「まぁ…ナイル、娘のミーナちゃんもウチのアルミンも同級生だ、これからもよろしく頼むよ――」

    「あぁ…それはそうだ――。俺たちは何だかんだと腐れ縁だな」
     
     終いには互いに『永遠のライバル』のように不敵な笑みを送りあっていた。
  38. 55 : : 2014/04/19(土) 12:40:35
    ・・・ほう…ボンボン社長と思っていたが、男気があるヤツなのか…?

     二人の様子をカウンターを隔てて見ていたリヴァイは洗いもを終えタオルで
    手を拭くと、鼻で笑っていた。エルヴィンがイブキを連れ奥様連中の前に立つと、
    私の大切な人です、と皆に紹介していた。

    「あら、私たちは、イブキさん? あなたとのとスミスさんをお料理教室で
    見かけたとき、仲がよかったので、もしや、って思っていたのよ」

    「そうだったんですか…!」

     ハンジカフェ『H&M』で料理教室を開いたとき、エルヴィンがイブキと楽しげに
    談笑していたことを奥様連中は覚えていた。

    「――だけど、あのとき…他の男性もいらっしゃいましたよね? その方とは…?」

     奥様連中は好奇心旺盛な眼差しでエルヴィンとイブキを見つめるが、シイナだけは
    うつむいていた。彼女たちはミケ・ザカリアスを交え、3人は三角関係だと思い、
    どうなるのだろうかと、噂をしていた。

    「まぁ…色々ありまして、私たち二人が付き合うことになったんですが、
    皆様、これからもよろしくお願い致します――」

     エルヴィンの丁寧な挨拶に奥様連中は両手を振りながら、顔を上げてください、
    という仕草をしたかと思うと、笑みを浮かべた。

    「スミスさん、何をおっしゃるんですか! 私たちは心配していたんですよ。
    あなたの教育熱心な面は理解でききますが、あなた自身の幸せはどうなるのかって…」

    「皆さん…!」

     これほどまで思われていたのかと、初めて気づいたエルヴィンは息を飲むが、
    シイナだけは、うつむいたままだった。ただ、イブキの存在を知っていたが、
    どういう関係なのか、気になるばかりだった。その時、二人の関係を知らせれると
    嫉妬の嵐が胸に渦巻き、それを顔に出さないよう努めることが精一杯だった。

    「――まぁ、私たちにはカイさんもいますから」

    「そんな…!」

     奥様連中の怪しい笑みにエルヴィンが戸惑うと、冗談ですよ、という一人の奥様の一言で
    笑い声がそのテーブルに広がる。エルヴィンは再び席に座り教育について討論会を
    皆で再開した。
     パティシエのカイの店に行くのはシイナ以外の奥様連中だけで彼女はエルヴィンが
    目的であるため、
    理由をつけて、カイの店に行くことは断っていた。
     イブキがカウンター席に戻ろうとしたそのとき、シイナの睨みつけるような視線を感じるが、
    深く気にせずアルミンの隣に座る。
     他の奥様たちはエルヴィンを『会えるアイドル』の如く思っているが、その視線の送り主の
    シイナだけは特別な感情があるのか、という想像力が働くと唾を飲み込む。
     リヴァイの鋭い眼差しがシイナに気づくと、彼女の視線をさえぎり、イブキの前に立ち
    彼女に聞こえるようにささやく。

    「イブキさん…俺もユミルも…ここの皆はあの人に気づいている。
    オーナーには近づかせない、大丈夫だ――」

    「ありがとう、私は平気よ! エルヴィンさんを信じているから」

     イブキはエルヴィンに一瞥をくれると、リヴァイに笑みを返す。だが、ミケの名前を出され
    料理教室での楽しかったひと時を思い出すと、彼のことも自然と思い出され、心が痛かった。
     嬉しそうに自分が作ったハンバーグを食べるミケの姿を脳裏に浮かべると、
    心の奥底に沈めた彼への想いがカタカタと音を立て蘇りそうでイブキは怖かった。
  39. 56 : : 2014/04/22(火) 15:11:26
    ⑫感染する幸せ

     土曜日の夜、クラブ『FDF』の営業が終了する間際、リヴァイがブースを
    ジャン・キルシュタインにまかせフロアにいると、彼のファンである女性客たちに話しかけられた。

    「ねぇ、リヴァイ! 遊びに行こうよ! もう仕事は終わりなんでしょ?」

    「…悪いが、俺はこのあとやらなきゃいけないことがある――」

     リヴァイは咄嗟に彼女たちに嘘をつく。ただペトラ・ラルの元へ早く帰りたいだけだが、
    自分目的の『ファン』を蔑ろにできないため、談笑してやんわりと帰すことにした。

    「――そうだ、リヴァイ、最近引っ越した? 帰るルートが変っているよね?」

     妖しい笑みに囲まれると、一瞬だけリヴァイは顔を強張らせるが、咄嗟にそれはないと、
    再び嘘をつく。

    「まぁ…ここでも会えるし…」

     リヴァイは彼女たちが冗談で言っていると理解してもそれ以上、話さなかった。
    背中を軽く押して帰宅を促せると、リヴァイに触れられた、と気分よくフロアを後にして岐路に着いた。
     フロアで彼女たちを見送ると、舌打ちする。以前より住まいは近くなったが、
    遠回りして帰るしかないと考えていた。嘘はつきたくないが、大切なペトラを思うと、
    仕方がないこと、と自分に言い聞かせていた。
     ブースに戻ろうとすると、リヴァイはオーナーのエルヴィン・スミスに呼び止められた。

    「リヴァイ、家を知られたら…まずいな」

    「いや…大丈夫だ、これまで通り、巻いて帰る」

    「そうか…ペトラさんとの『愛の巣』が見つかっても…何だかな――」

     リヴァイは問題ない、とエルヴィンに言い残すが、心根ではペトラに何か影響があっても
    いけないと、さらに気を使い帰宅することを決めていた。そのままロッカールームに行くと、
    リヴァイはペトラに今から帰ると電話をすると、彼女はキッチンで、何かしている様子が伺えた。

    「ペトラ…こんな遅い時間に何を作っている…?」

    「えっとね、紅茶を使った煮込み料理をしていたら、時間がかかったの」

    「そうか…」

     楽しげにキッチンに立つペトラを想像するとリヴァイは鼻で笑った。

    「じゃ…それに合う酒でも帰りながら買う」

    「うん! お願いね――」
  40. 57 : : 2014/04/22(火) 15:12:58

     朗らかなに返されると、リヴァイはそのまま電話を切った。
    ロッカールームから再びフロアに出て酒は何を買おうかと考えていると、エルヴィンと目が合う。

    「リヴァイ、ペトラさんのところに帰るとなると、そんな顔するんだな――」

    「何…?」

     エルヴィンが見かけたリヴァイは口角が上がりひと目で『ニヤケ』ていると知られていた。
    頬に触れる素振りをすると、そのままオーナーのエルヴィンを無視して、DJブースに向った。

    ・・・俺も…オーナーみたいに一人で薄ら笑いをするようになったのか――

     眉をしかめると、その顔を見たジャンは『俺は何もしてない』と言いたげに、
    ブースをいつも通り片付けていた。
     ワインを片手にリヴァイが帰宅すると、ペトラの調理はすでに終了していた。

    「――リヴァイさん、お帰り! 紅茶で豚肉を煮込んでいたんだ!」

    「ほう…」

    「でも、夜中だし、ほんの少しだけね」

     ペトラがワインのつまみ程度に皿に盛り付けると、二人はテーブル席に座り
    晩酌することになる。

    「これ、美味しい…紅茶の風味も残っているし、柔らかい」

    「でしょ!」

     涼しい顔をしながら、皿に手を伸ばすリヴァイを見ていると、ペトラは遅い時間まで
    作っていてよかったと幸福感も味わっていた。
     ペトラはリヴァイ好みの紅茶を使った料理を研究しているが、その第一号として
    『紅茶豚』という紅茶で豚肉を煮込んだ料理を作っていた。

    「じゃあ、次回作るときは紅茶の種類を変えてみるね」

    「そうだな…」

     ワインで頬を赤らめる目の前のペトラを見つめると、口角を上げる。二人はワインを
    囲み笑みを交え話していると、そのままリヴァイは風呂に入ることになった。

    「――ペトラ…俺は先に寝る…」

    「うん、おやすみ、リヴァイさん」

     ペトラが片づけを終えようとしてキッチンに立っていると、リヴァイは髪の毛を
    タオルで乾かしながら彼女の肩に触れた。毎日、多忙ではあるが、
    リヴァイの傍にいられると考えると、自然に笑みを浮かべる。
     ペトラも風呂に入りその後、寝室に向うとすでにリヴァイは寝ていた。
    二人のダブルベッドに身体を滑り込ませようとすると、リヴァイはうつぶせで寝息を
    立てている。

    ・・・この…寝顔を見られることが、当たり前に思っちゃいけないよね――

     ペトラが寄り添うようにベッドに入ると、リヴァイが目を覚ます。

    「ごめん、起こしちゃった?」

    「いや…起きていた」
  41. 58 : : 2014/04/22(火) 15:14:42
     リヴァイはペトラを待ち構えていたように見下げると、そっと唇を重ねた。
    ペトラはリヴァイの背中に手を伸ばす。
    リヴァイはペトラのシャツを手に取り、彼女の首筋に唇を充てる――

    「甘い…チョコレートの香りがする…」

    「え、ちゃんと洗ったのに…?」

    「冗談だ…」

    「もう…リヴァイさん…ん」

     リヴァイに触れられることで、ペトラは小さく心地よい声を上げる。
    唇でペトラを感じながらリヴァイは二人で幸せになろうという気持ちは強くなるばかりだった。 
     翌、日曜日の朝。リヴァイが目を覚まして、背伸びをしていると視界にはペトラはいない。
    すでに朝食の準備をしてキッチンに立っていた。

    「おはよう…何を作っている…?」

    「あ、リヴァイさん、おはよう――」

     毎朝、ペトラがキッチンに立つと、リヴァイは後ろから抱きしめる。
    すでに慣れて驚くことはないが、いつまで続けてくれるのかな、とペトラは思っていた。
    ただ、昨夜のことを思い出すと、頬を赤らめ、リヴァイに触れられるたび
    幸福感が増していく感覚がしていた。
     昨晩作った紅茶で煮た豚肉を使ったサラダを始めとした朝食をペトラがテーブルに
    並べると、リヴァイは飲み物を用意していた。二人で朝食を食べながら、
    リヴァイはその日の予定を話し出す。

    「ペトラ、今日は…どこかに出かけよう」

    「買い物は済ませてあるし…のんびりしないなぁ」

    「そうか…のんびり…。あのスパの個室は数日前に予約をしないといけない――」

    「もう…! リヴァイさんったら…!」

     妖しく右の口角を上げるリヴァイの口元を見たペトラは頬を赤らめうつむいた。

    「とにかく、今日は…のんびり出来るように公園に行って散歩でもするか」

    「うん、そうしよう! お弁当作るね」

    「いや、どこかで食事でもしよう」

    「えっとね、リヴァイさんに食べてほしいもの、いっぱいあるんだ――」

    「ほう…そうか」

     目元は涼しくてもリヴァイは唇の端を上げた。朝食を終えるとペトラは冷蔵庫の
    ストックから簡単に出来るランチを作るとそのまま外出することになった。
     二人が手を繋ぎ自宅マンションのエントランスから出ると、特にリヴァイが
    見られたくない人物に再び見つかってしまう――

    「見て、見て! モブリット! あの二人、どこ行くんだろうね!」

     近所に住むハンジ・ゾエがたまたまバルコニーにいて、地上を見下げていると、
    二人が仲良く歩く姿を目撃していた。妻の声を聞いた夫のモブリットも
    ベランダにやってきて、欄干を掴む。

    「そうですね、ハンジさん! リヴァイさんたち一緒に住むようになって
    ますます仲よくなっていますね!」

    「モブリット、私たちも出かけよっか?」

    「はい! この晴れた日曜日に出かけるほかないでしょう!」

     快活にモブリットが返し、二人は仲良く出かけるリヴァイとペトラの背中を見送ると、
    日曜の晴れ渡る雲ひとつない青空に包まれていた。
     リヴァイとペトラの仲のよさは周りの皆も刺激して幸せを感染させているようだった。 
  42. 59 : : 2014/04/23(水) 11:56:23
    ⑬溢れる想い、封じ込めた想い

     ミケ・ザカリアスとナナバはどちらからも付き合おうとは言わずとも、一緒に過ごす時間が
    日毎増えていく。
     その夜、二人はミケのアパートのベッドで寄り添い寝ていると、ミケはあの夢を見る――
    体がバラバラに刻まれ、全身に耐え難い激痛が走ると、最後の力を振り絞り、
    その手を上空に伸ばす。

    『もう会えないなんて、触れられないなんて…いやーーー!』

     命の炎がまさに消そうな瞬間、伸ばした指先には、微笑むイブキがミケを見つめていた――
    ミケが物心ついた頃から見ていた夢の果てにイブキの存在を感じたのは初めてのことだった。
     隣で寝ていたナナバはうなされるミケに気づくと飛び起きた。
    大丈夫、起きて、と心配した声で身体をゆすると、突然ミケに抱きしめられる。
    ナナバは驚きながらも彼をぎゅっと抱きしめ返した。

    ・・・イブキ…じゃない…ナナバか…

     目を覚ましたミケは、すまないと、一言声を掛けると、そのままベッドに座り、
    大きくため息をついた。

    「ミケ、ホントに大丈夫? すごくうなされていたみたいだけど…?」

    「あぁ…大丈夫だ、心配させたな――」

    ・・・あの夢の…会えなくなってしまった女性はやっぱり…イブキだったか…
    それに…俺はまだイブキのことを…

     ミケがイブキを諦めきれないと自覚して手のひらで額を押えると、汗で光る。

    「ホントに大丈夫? ミケ、こんなに汗をかいて…」

     疲労感が漂う表情のミケを見たナナバはタオルで汗を拭う。そのナナバの温かさに
    罪悪感を感じても、ミケの気持ちはまだイブキに傾いていた。
     
  43. 60 : : 2014/04/23(水) 11:59:17
     同じ日の夕暮れ時。その日は曇りで、雨粒が今にも落ちてきそうな大空がその街を
    包んでいた。イブキがカフェ『H&M』から離れ、自宅アパートに戻ろうとしたとき――

    「…イブキ」

     懐かしく、心なしか切ない聞き覚えがある声に呼ばれると、イブキはその声の方へ
    身体を向ける。

    「ミ…ミケさん…」

     二人は夕暮れ時、偶然にバッタリ会っていた。イブキは伏目がちになるが、
    ミケは真っ直ぐな眼差しでイブキを見ていた。その時、二人の周りには
    エルヴィン・スミスもナナバもいない。

    「イブキ…キレイになったな…」

    「えっ…」

     ミケの思いがけない一言にイブキは心臓の鼓動が跳ねるが、あえて気にしないようにする。

    「ミケさん…それじゃ――」

     二人がすれ違おうとしたとき、ミケはイブキの腕を掴んだ。さらに心臓の鼓動が跳ねると、
    息を飲んでもミケの顔は見つめられなかった。

    「イブキ…今から俺の店に来ないか?」

     イブキはミケに触れられても抵抗することなく、うなずき、二人は『ザカリアス』に向うことになった。
    すでにイブキとエルヴィンは男女の仲として進展した関係だけでなく、彼の息子のアルミンとも
    仲良くしている。そのためイブキは罪悪感を抱えながらもミケの背中を見つめ『ザカリアス』の
    ドアを開けていた。
     久しぶりにイブキが『ザカリアス』のカウンター席に座ると、うつむいたままだった。
    二人はしばらく言葉を発しなかったが、最初に口火を切ったのはミケだった。

    「…イブキ、この前…一人で来たとき…何を言おうとしていたんだ?」

    「えっ…?」

     唐突に言われたことで、ミケの顔を見上げると、再びイブキはうつむいた。
    あのときの気持ちをそのまま告げたら、エルヴィンと築き上げた幸せを壊しそうで
    怖かった。だが、イブキは意を決して顔を上げ、自分の気持ちを打ち明けようとしたとき――

    「あのとき…」

     ミケの表情は穏やかでイブキを責める気持ちはない。ただその優しい眼差しが
    イブキのエルヴィンだけを見つめるという決意を揺さぶりそうで怖かった。

    「やっぱり…私はもう帰る」

     イブキが突然立ち上がり、足早に『ザカリアス』のドアに手を伸ばそうとすると、
    ミケが彼女を追いかけ、待て、といいながら背中を抱きしめた。

    ・・・ミケさん…お願い、私はあなたへの気持ちは心の奥底に静めて、鍵をかけたの――

    「ミケさん、私は…」

    「イブキ、二人で…どこか…誰も俺たちのことを知らないところへ行こう。もちろん、
    おまえのふるさとの異国の地でもいい。俺は…おまえと一緒にいたい」

     ミケの正直な気持ちを聞いたイブキは涙が自然に溢れ頬を伝った。
    心地いいミケの温もりが心を揺さぶり、手にした幸せを壊しそうな一瞬の迷いがイブキを支配しそうになる。

    「ミケさん、私とエルヴィンさんはもう…」

     涙声でイブキは、すでにエルヴィンとは男女の関係だと察して欲しいと言い放つと、
    その声を聞いたミケは彼女を包む腕に力が入る。

    「俺は…エルヴィンからおまえを取り戻せたら、それでいい…」

    「ミケさん…!」

     背中の温もりを感じながら、イブキはゆっくりと振り返った。頬を伝う涙をミケが見つけると
    親指でそっと涙を拭う。強張りながらもイブキは笑みを浮かべミケを見上げた。
  44. 61 : : 2014/04/23(水) 12:00:27
    「ミケさん…私、今幸せなの…二番目に好きな人だったはずなのに、
    これ以上ない幸せを得たの。だから、ミケさんとは――」

     イブキの声が涙で詰まると、ミケは目を見開き息を飲む。

    「…ってことは、俺のことが一番――」

     精一杯な正直な気持ちをミケに告げると、イブキが彼の手を振りほどき、
    そのままドアを開けようとしたとき、ナナバが入ってきた。

    「…どうして? あなたたち、二人で…何しているの?」

    「何でもないの、ごめんなさい…」

     ナナバがイブキを睨むと、彼女はそのままドアを開け足早に『ザカリアス』を後にした。
    もちろん、ナナバはイブキの涙のあとを見逃さなかった。

    「ミケ、どういうこと? 私は何なの、ねぇ?」

    「すまない、俺はまだ――」

     うつろなミケを見たナナバはそのまま彼に抱きついた。動揺して、声を張りながら
    彼の胸の中で言い放った。

    「どうしてよ、私は…あなたを…あなたが好きなことわかっているでしょ?」

     ナナバの気持ちは充分なくらい知っているが、ミケは自分の心に問うと、
    まだイブキに惹かれていると感じていた。例え自分のことが一番に好きだったとしても
    すでにエルヴィンに気持ちは傾いている。
     ミケはただ、今の正直なイブキの気持ちを知りたくなっていた。

    「ナナバ…本当にすまない…」

     ミケはナナバの肩をそっと触る。彼女の気持ちは不快ではない。
    ただ、ミケはイブキへの思いに正直になっていただけだった。
  45. 62 : : 2014/04/25(金) 11:54:01
    ⑭ミケの苦手なモノ

     ミケ・ザカリアスとナナバと、そしてイブキがショットバー『ザカリアス』で鉢合わせても
    ミケとナナバの生活が一変することはない。ミケがイブキのことで口をつぐむだけでなく、
    ナナバがミケに惚れている――それ故、嫌われたくない気持ちから、強気になれない。
    あえて、ナナバはイブキのことは目をつぶることにしていた。
    またミケにのってナナバの気持ちは不快ではなく、正直な気持ちを自分にぶつけるナナバに
    戸惑いながらも、二人は同じ時間を過ごすことが多かった。
     ある夕暮れ時。その日は青空がどこまでも晴れ渡り、涼しい1日で、
    頬をかする風に心地よさを感じながら、ミケは『ザカリアス』に向っていた。
    もちろん隣にはナナバもいる。
     彼女は自分の店が休みの日は習慣のように『ザカリアス』に顔を出すようになっていた。
  46. 63 : : 2014/04/25(金) 11:55:40
     ナナバはミケの横顔を見上げるたび、イブキのことを早く忘れて、と切なく願う。だが、
    この横顔を見つめることが彼女にとって幸せなひと時だと感じていた。
     心地よい風とすれ違いながら、二人が『ザカリアス』へと繋がる地下への階段に近づいたとき――
    二人よりも背は低く、お腹のでっぱりが目立ち、大きくギラギラした目が特徴の老女が
    正面を見据え歩いて来た。
     白髪をダンゴヘアにして後頭部でまとめている影響か、目は釣り目のようにも見える。
     ミケが何気なくその老女を見ると、手にはリードが握られて、
    その先には小動物が繋がれていた。
     ――子犬の散歩か、とミケが思った瞬間、
    その小動物はミケに狙いを定めたように襲い掛かった。

    「きゃあああああーーー!!!」

     大きな身体に似合わず断末魔のような叫び声を上げると、ミケはナナバを楯にして
    彼女の背中に回ると、素早くその身を隠した。

    「えっ…! ミケ、どうしたの!?」

     ナナバは一瞬の出来事とミケの叫び声で戸惑い面食らうと、目の前の老女は
    その小動物が繋がったリードを慣れた手付きで力強く引っ張った。
     ミケも咄嗟にナナバの後ろに逃げたこともあり、怪我から免れた――

    「これ、さる! 止めなさい!」

     飼い主の老女が声を張りながらリードの先に繋がる小動物を叱ると、
    その正体は子犬ではなく、手のひらに乗るくらいの小型の猿だった。

    「――猿なのに…『さる』!?」

    「えぇ、そう! 猿の『さる』なのよ! 可愛いでしょ?」

     ナナバが目の前の猿に、なぜ『さる』って名づけたの、と疑問を感じつつ唖然として、
    口を開けていると、老女の手の平に乗る小型の猿の妖しい眼差しに気づく。
     咄嗟にミケを守らなければ――という意思が働くと、彼女の眼差しも鋭くなった。
    ナナバは背中でミケを感じると一緒に戦おう、という本来の強気な自分が蘇ってくる気がしていた。

    「おかしいわね…この『さる』は人に慣れているけど、襲い掛かることって
    今までもしたことがないのよ。ほんとに、ごめんなさいね」

    「はぁ…」 

     険しい眼差しが『さる』に注がれると、老女は大丈夫よ、と言いながら
    二人とすれ違おうとしたとき――
    老女に抱きしめられている『さる』が、しゃーっと勢いよく声を上げ、
    ミケに手を伸ばそうとした。

    「ナナバ…なんとかしてくれ…!」

     相変わらずナナバの後ろに隠れるミケだが、声が裏返り震えているようだった。

    「あら、この『さる』ったら、あなたを気に入ったようね。
    人懐っこいけど、自分から手を伸ばすことはしないのよ。
    またこの辺に来たら、あなたに会えるかしら…?」

     老女はミケに問うが、声が発せられない程震えていた。
    その震えを背中で感じたナナバが代わりに答えることにする――

    「私たちは…隣街に住んでいて、たまたま今日、ここを通っただけなんですよ…」

    「そうなの…残念ね、またいつか会えたらいいわね――」

     老女は笑みを交え二人から離れると、路上に『さる』を下ろして
    再び歩かせようとしても、ミケの元へ駈けようとする。
    そのため、リードを引っ張り連れ戻すと、
    老女は首をかしげながら『さる』を抱きかかえ散歩を再開した。
     老女が『さる』を抱えながら遠く離れていくことをナナバが確認すると
    ミケの元へ振り返りながら見上げた。
     その顔は青白く今にも大きな体は倒れそうで、ふらついていた。 
  47. 64 : : 2014/04/25(金) 11:56:40
    「ミケ…大丈夫?」

    「あぁ…なんとか…ナナバ、すまなかった、ホントに――」

     ミケが安堵感からナナバの肩を掴むと、大きく息を吐いた。

    「実は…俺、物心ついた頃から猿が大っ嫌いで…」

    「そうなの…?」

     ミケは憎しみ込めて『大嫌い』と言っているようで、
    猿が小型だろうと、関係なく嫌いという印象をナナバは受けた。
    またミケの叫び声を聞いたとき、理由もなく『罪悪感』が沸いて、
    身を挺して守らなければ、という不思議な気持ちにさせられていた。

    「ミケ、とにかく…怪我もせず、よかったわ…早く店に行きましょう」

    「そうだな――」

     ナナバの背中に隠れながら、相変わらず頼りになる、という不思議な感覚が
    ミケの心にも沸いていた。それは遠い昔、感じたことのある感覚だったが、
    それよりも今は落ち着いて休みたい、という気分が勝っていた。
     二人が地下の階段に足を踏み入れようとしたとき――

    「ミケ、どうしたんだ!? 大丈夫か…?」

     二人の目の前にはミケの叫び声に驚き、カフェ『H&M』から慌てて出てきたエルヴィン・スミスだった。
     ミケは小型猿に怯え、その大きな身体に似合わない叫び声を上げたことが
    恥ずかしくなると、伏目がちになる。

    「エルヴィン…なんでもない、俺は大丈夫だ…」

     ナナバに抱えられるように『ザカリアス』に向う背中を心配な眼差しで見送ると
    あの手を繋いでいた女性がこの目の前の彼女なのか、と思うとエルヴィンは眉をしかめる。
     ミケの叫び声がカフェ『H&M』まで届いたとき、エルヴィンはミケの声だと
    すぐに理解し、何事かと心配で窓の外を眺めていた。
     カフェにはエルヴィンに会いに来ていたイブキもいて、
    彼女はその叫び声を『感じたことがある』と、胸の鼓動を抑えていた――
     ミケとナナバが『ザカリアス』のドアを開けると、
    彼はカウンター席に重い腰を下ろすようにゆっくりと座った。
  48. 65 : : 2014/04/25(金) 11:58:32
    「ミケ、大丈夫なの? ホント…まだ顔が青いわね」

    「あぁ…」

     不安の色が消えない眼差しを見ると、ナナバはミケへ冷たい水のグラスを差し出す。
    彼は一気に飲み干し、大きくため息をついた。

    「ホントに…猿が嫌いなんだね…」

    「あぁー! ナナバ! それを言うなー!」

     ミケは『猿』という言葉さえ耳にしたくないくらい怯えていた。両耳を塞ぎながら
    顔を強張らせる様子から、本当に苦手なんだとナナバは眉間にシワをよせミケを
    見つめていた。
     ナナバはミケのそばに立ち、背中をさすると、そっと抱きしめる。

    「もう…大丈夫よ!」

    「すまない…ナナバ」

     抱きしめながら、ミケの鼓動の落ち着きをその胸で感じると、ナナバも安堵していた。

    「ナナバ…悪いが、もう1杯、水をくれないか?」

    「うん、わかった!」

     ナナバがカウンターの内側に入り、グラスに水を注ごうとしたとき、ミケはジーンズの
    ポケットからタバコを取り出そうとした。

    ・・・空か…

     空箱に気づくとミケはため息をつく。ナナバにタバコを買いに行くから、
    しばらく留守を頼む、とミケが告げると『ザカリアス』から離れることにした。
     地下から地上へ繋がる階段の途中、出入り口付近で男女の会話が聞こえてくると
    ミケは突如、歩みを止める。顔をしかめ、その声が聞こえる方を睨んだ。

    ・・・この声はイブキだ…――

     女性の声がイブキだと気づくと、猿に怯えていたことは忘れ去られたように
    咄嗟にミケはその声に耳を傾けた。


    「――今夜発つのか? 別に明日でもいいんじゃないのか?」

    「夜行の寝台列車で行ったら、明朝到着するの。で、昼過ぎの便に乗ったら明日の夜には
    またここに戻れるのよ」

    ・・・相手はやはり…エルヴィンか…? イブキと二人でどこかに行くのか…?

     ミケは息を飲み二人の会話を聞き漏らさないように耳を集中させる。

    「お墓参り…俺も行きたかったが、今は忙しい時期で…すまないな、一人で行かせて」

    「大丈夫! いつか機会があれば一緒に…あ、エルヴィンさん、もうタクシーきた――」

     二人はタクシー待ちをしていたようだった。エルヴィンはイブキだけをタクシーに乗せると、
    そのまま彼はどこかへ行ってしまった様子だが、ミケは『FDF』の営業に向ったのだろうと想像した。

    ・・・イブキが…自分のふるさとの両親の墓参りか…

     イブキが一人で『ザカリアス』に来ていた頃、彼女のふるさとは自然が豊かな地で
    『墓地まで緑に囲まれている』と聞いたことがあった。ミケはその地名をおぼろげながら
    覚えていた。

    ・・・これが最後のチャンスかもしれない――

     地下に繋がる階段を勢いよく下り、『ザカリアス』のドアを開けると、
    急用が出来たから、今日は臨時休業だ、とナナバに告げると
    ミケはそのままの勢いで自宅アパートに戻った。イブキのふるさと行きの
    列車について調べると、まだ間に合うと判明すると安堵する。
     ミケはイブキを追いかけ同じ夜行の寝台列車に乗り彼女を追いかけることにした――
  49. 66 : : 2014/04/28(月) 12:15:00
    ⑰最後の…

    ・・・イブキ…どこにいるんだ…?

     ミケ・ザカリアスは息を切らして、その街の外れに位置する異国を結ぶ駅の
    ホームを走っていた。夜行の寝台列車の窓の外から見える乗客から、長い黒髪の女性を
    探しても、イブキは見つからない。ホームではミケだけがイブキを想い切なく駈ける。
     発車を告げるベルが響き始めると、ミケは大きくため息をつく。
    目の前の乗客を受け入れる、開いたままの列車のドアを見つけると、
    うつむき加減でミケは列車に乗り込むことにした――

    ・・・電話をかければ…でも、避けられても――

     まるでベッドのような自分の『席』で横になるとスマホのイブキの番号を見つめながら、
    もどかしさが募る。
     ミケが列車の自分の客室に入る頃、そこは相部屋のようになっていて、
    他の客たちはすでに寝る準備に入っていた。
     イブキがこれから行くであろう場所を考え、冷静になると、ストーカーじゃないか、
    と思ってしまうが、彼女を思うと自然に体が動いていた。

    ・・・まぁ…あとは明日…考えよう

     深夜前、その列車が動き出すとミケは心地よい揺れもあり、気がつけば寝息を立てていた。
    どれだけ列車の心地よさに揺られただろうか――
     カーテンの隙間から、夜明けを知らせる温かい光がミケの目元に射すと自然に目を覚ます。
    腕時計を見ると明け方で、数時間の後、イブキのふるさとへ到着する時間だとわかった。

    ・・・もうすぐ…だが、会えるだろうか――

     イブキのふるさとの異国の地へ足を踏み入れるのは初めて、というだけでなく、
    会えるかどうかわからない不安を覚えると奥歯を噛み締める。
     彼女から聞いて覚えていた地名のメモを見つめると、ただ会いたい、それを願うばかりだった。
     目的地に到着する車内アナウンスが、ミケの客室にも響き渡ると周りの客たちは、
    降りる準備をはじめ、その声は弾んでいる。すでに気持ちは観光地へ向い意気揚々と
    客室から出て行った。ミケはその声を聞いても、意に介せず、ただイブキに会いたい――
    その気持ちだけが彼の原動力のようだった。
  50. 67 : : 2014/04/28(月) 12:16:20
     客室から最後の客としてミケが列車から離れ、ホームに降り立った。長い車列から
    続々と客が降りる中、イブキはいないかと、辺りに目を凝らしていると、
    遠くに長い黒髪の女性の後姿を見つけた。
     遠く離れゆく後姿を見つめると、強張っていた顔が綻ぶ。

    「イブキーー!」

     その姿にイブキと確信すると、ミケは名前を叫ばずにはいられなかった。
    彼の声を背中で感じた長い黒髪の女性は体の動きを止める。
     出口に向う乗客に逆らうように止まった女性はミケが狂おしいほど会いたかった
    イブキだった。

    「どうして…? ミケさん…?」

     心の奥底に沈めたはずの大切な人の声が背中に響くと反射的に振り向いていた。
    行き交う乗客の中で、背の高いミケは遠くからでもその存在は一目瞭然だった。
    だが、イブキは自分の心に沈めた気持ちが、ミケの存在をいち早く見つけた気がしていた。
     ホームでイブキの姿を見つけたミケは駆け出すように彼女の元へ向う。イブキも
    自然にミケの元へ歩き出していた。

    「ミケさん…なぜ…?」

    「イブキ、どうしても…おまえと二人っきりになりたかった――」

     優しい眼差しのミケを見据えると、イブキの胸は高鳴る。数日前、ミケから
    『二人で誰も知らないところへ行こう』と言われたことを思い出す。その日がまさか
    やってきたのか、と思うと目を逸らした。エルヴィン・スミスだけを見つめる、
    という決意が揺らぎそうになっても、歯を食いしばり、ミケを見上げた。

    「ミケさん…あの…」

     ミケの優しい眼差しに息を飲む。沈めたはずの気持ちが蘇りそうで怖くなった。

    「イブキ…お墓参りに行くんだろう…?」

    「えっ…どうして、それを知っているの?」

    「ごめん…悪いと思いながら、エルヴィンとの立ち話を聞いてしまった…
    それで、この様だ…」

     ミケは申し訳なさそうに指先で口元の髭を掻いた。イブキは驚くと同時にミケが
    わざわざ追いかけてくれたことで、胸の鼓動が激しくなる。

    「それじゃ…ミケさん、一緒に行こう…」

    「あぁ…悪いな――」

     二人はホームを出るとイブキの先導でそのままイブキの両親が眠る墓地へと
    向うことになった。その道中、ミケはイブキに会えて嬉しい反面、自分の行動で
    彼女を悲しませてはないか、と思うと再び、ごめんと謝る。
     それでもイブキはうつむいたままだった。
  51. 68 : : 2014/04/28(月) 12:18:12
     イブキの両親が眠る墓地は高く聳え立つ木々や彩り鮮やかな花々の自然に囲まれ、
    まるで森の中に存在するような場所だった。
     ミケは『両親の墓地は自然に溢れ寂しく感じない』とイブキが話していたことを思い出す。
    そのことは口に出せず、ただ一緒に歩くイブキの浮かない顔を見守るだけだった。
     イブキが両親の墓で膝を突いて花を手向け祈る姿をミケが見つめる。イブキがどういう
    気持ちで、祈っているか想像できない。ただ、彼が押しかけるようについて来た事で、
    会いたい気持ちと、イブキの気持ちを踏みにじった気がして張り詰めていた糸が
    一気に緩んでいく感覚に襲われた。

    「娘さんに申し訳ないことをしてしまった――」

    「えっ…」

     突然、イブキの隣でひざまずくミケは地に手をついて、
    声を振り絞るように亡き両親に謝ると、彼女はそっと手を重ねた。

    「ミケさん…そんなことない! そんな…私がいけないんだから――」

    「それに…本当はエルヴィンとのことも報告したかったんだろ…?」

    「それは――」

     イブキは両親の墓の前で、嘘をつけなかった。ただうつむいて、
    何も話せずにいると、重ねていたミケの手を優しく握る。

    「ミケさん、行きたいところがあるんだ、一緒に…出かけよう」

    「えっ…うん、わかった――」

     亡き両親にこれ以上、心配をかけてはいけない――。本当はミケの言うとおり
    エルヴィンという大切な存在が出来たと報告するつもりが、思いがけないミケの
    出現に居た堪れなく、その場を離れることをイブキは突如、決めていた。
     イブキはこの場所から一番近い、彼女が学生時代から好きだった場所へミケを
    案内することにした。
    二人は電車に乗ると、すぐさまそのイブキが連れて行きたかったという湖が姿を現した。
     車窓を眺める二人は横並びに座り、窓側がミケだ。

    「思ったより…すぐ、姿を現したな、この湖」

    「そう、この国でも大きな湖だからね」

    「以前、おまえから話を聞いた通り…自然がいっぱいの場所なんだな――」

     ミケが振り向くと、イブキは車窓に顔を近づけ、水面が光る湖を見ようと
    身を乗り出す。イブキとの距離が近く、ミケは優しい眼差しを送ると、目が合わさった。
     人目を気にせず、ミケはイブキを力強く抱き寄せた。

    「…ミケさん、ダメよ」

    「ごめん…」

     ミケは切なくイブキにつぶやく。その声は心細く、寂しく繊細にイブキの耳にまとわりつく。
    イブキは抵抗すべきと思っても、自然に身体を預けていた。

    「ミケさん…これ以上は――」

    「もちろん、これっきりだ」

     エルヴィンの顔がチラつく。それでも、イブキはミケの胸に抱かれ、彼が好むタバコの
    銘柄の涼しげな香りが鼻腔で感じると、罪悪感も煙のように消えそうでゴクリと息を飲んだ。

    ・・・エルヴィンさんを悲しませては…それにアルミンくんも――

     一瞬の感情ですべてを失いそうな恐怖で、アルミンの笑顔が脳裏に浮かぶと、
    イブキは再びミケから離れようとするが、彼の力強さから逃れられなかった。

    「ミケさん…ごめんなさい、私はあなたとは――」

    「これ以上は…諦める」

    「えっ…」

     ミケはイブキの長い髪を抱きしめ、寂しさを増した声で本音を話し出した。

    「俺は…おまえに再び会うために、この世界に生まれた気がする…だが、もう…」

    「ミケさん…!」

     ミケの切ない声が再び耳にまとわりつくと、イブキは涙を流してミケを見上げた。

    「ごめんなさい…私はあなたと…エルヴィンさんに不思議な縁を感じていた。
    二人を見ていると『愛する誰かを失った後、傷ついている私を優しく包み込んだ…』
    そんな気がしていたの」 

     イブキの涙がミケのシャツに染みると、ミケは息を飲み、幼い頃から見ていた
    自分の体がバラバラになる夢を思い出す。
     死よりも辛い、会えなくなってしまった大切な誰かがいた。
     その相手がイブキだと確信しているだけに目を見張った――
  52. 69 : : 2014/04/28(月) 12:19:18
    ・・・あの夢は…俺がイブキを失って、その後…エルヴィンがおまえを優しく包んだっていうのか…?

     これまでの三人の関係が逆巻き、どうしてイブキに対して二人が熱を上げるのか、
    何となく合点がいくと鼻で笑った。

    「俺と…エルヴィンとの狭間で揺れる気持ち、今の俺ならわかる」

    「いつも一緒にいるあの方ね…」

    「あいつとも不思議な縁を感じる。もしかして…俺たちに縁がある奴等はどこかの世界で
    共に生きていたかもしれないな…」

    「そうかもしれない…私もそんな気がする」

     ミケの声に寂しさから脱したような明るさを感じると、イブキは微笑む。
    ただミケの温もりが罪悪感を生んでも、彼から離れるようなことはしない。

    「なんだか…ミケさんと話せてスッキリした。今、互いに誰を大切にするか気がついたかもね」

    「そうだな…」

     ミケはナナバを思うと、いつも大事にされている感覚がする。前日の『さる』に襲わそうに
    なった瞬間を思い出すと、恐怖が蘇り体が震え、イブキにも伝わる。

    「どうしたの…?」

    「いや、何でもない…ちゃんと、今誰に向き合うべきか…互いにもう知っているってことだよな」

    「そうね、私もエルヴィンさんを大切にしなきゃ…」

     互いの大切にすべき存在を確認すると、自然に体から離れ、
    イブキはミケに笑顔を向けることを決めた。
     電車内にイブキが目的とする湖へ向う駅名が告げられると、二人は降りる準備を始めた。
     駅の改札を出ると、湖の水平線がどこまでも広がっていた。
    二人はその湖に面して作られた歩道をゆっくりと歩き出す――
     時間は正午前、太陽は二人の頭上遠く、光り輝く。ゆったりとした風に
    揺れる湖面もその光に呼応するかのように輝きを増す。
  53. 70 : : 2014/04/28(月) 12:20:47
    「ここ、私が学生のときとか、よく友達と来てたのよ」

    「ほう…そうか、デートとか?」

     ミケがイブキにイタズラっぽく言うと、図星でイブキは頬を赤らめた。
    周辺には欄干に手を置きながら、湖を指差し遠くを見つめる寄り添うカップルや
    老夫婦が散歩をしていた。

    「あっ…わかっちゃったか…!」

    「なんとなくな――」

     二人は太陽に照らされた揺らめく湖面を見ながら笑みを浮かべる。
    そのとき、イブキのスマホに着信が入る――

    「…うん…大丈夫、無事に到着したし」

     ミケに一瞬だけ視線を送ったかと思うと、イブキは頬を赤らめ楽しげにその
    通話の相手と話をする。その相手はエルヴィンだとすぐに理解された。
     拳を強く握るが、イブキの幸せそうな表情を眺めると、ミケは伏目がちになる。
    欄干にもたれ、そのまま腕組みをしながら青空を見上げた。

    「――大丈夫、慣れているから、駅までの迎えは大丈夫よ…ありがとね…うん…私も…
    それじゃ…」

     通話を終えると、イブキは頬をさらに赤らめ、エルヴィンに大切にされていると感じると
    ミケは胸が苦しくなりため息をつく。

    「どうした…? 電話で話しながらそんなに顔を赤くして?」

    「うん…いつも、話し終えるとき…愛してるって言ってくれるから――」

     ミケが目を見開くと、その時、彼のスマホにも着信が入る。相手はもちろん
    ナナバである――

    「ミケ! やっと繋がった!」

     心配するナナバはやっと話せたミケに興奮して声が大きくなる。そのためそばにいる
    イブキにもその声が届いていた。

    「昨晩突然、店から飛び出したと思ったら連絡もとれない…! 一体どこにいるの?」

    「営業が始まる頃には戻れる、心配ない」

    「ホントに? それじゃ…『ザカリアス』を開けてまっている」

    「あぁ、よろしく頼む――」

     ミケは通話を終えると、大きくため息をついた。その隣のイブキは優しく微笑み
    彼の隣で欄干にもたれていた。

    「今のは…いつも一緒にいるあの方よね…?」

    「うん…あいつは…いつも俺を心配して、見守っている感じがするな――」

     ナナバのことを笑みを交え優しい声がつぶやかれると、イブキは伏目がちになる。
    互いに新しい縁を手にしている現実を思い知らされる気がしていた。
     潤んだ眼差しを隠し切れず、イブキは意を決したようにミケを見上る――

  54. 71 : : 2014/04/28(月) 12:24:07
    「私たちは…この世界で再会しても、必ず結ばれるってことは…なかったかもしれないね。
    新しい縁も生まれることがある…これからは友達として縁をつなげよう…ミケさん」

     微笑むイブキの目じりに大粒の涙が浮かぶ。
    その眼差しを見ると、ミケは胸が苦しく締め付けられた。
    イブキがエルヴィンと話す姿を見ると、幸せそうで自分が太刀打ちできない気がする。
     数日前に『二人で誰も知らないところへ行こう』と言った気持ちも秘めたままだった。
    今はそれを実行できるかもしれないが、ミケは互いのこれからを思うと
    それを心の奥底に沈めることにした――

    「そうだな…イブキ、おまえの言う通りだろう…だが、最後にお願いがあるんだ」

    「何…?」

     自然の光を集め、注がれ続ける湖の水面は輝きを絶やすことはない。
    その光に囲まれながらミケはイブキの頬に手を伸ばすと、
    そっと唇を重ね二人は最初で最後のキスをした。

    「互いに…前に進まなきゃね――」

    「――あぁ、そうすべきだ…」

     目じりに溢れていた涙がイブキの頬を伝うと、ミケは親指でそっとなぞる。
    イブキは触れられたミケの大きな手を握りそっと自分の唇に寄せると、
    笑みを交え優しく振りほどいた。

    「ミケさん…電車の時間が迫っているから…急ごう」

    「わかった」
  55. 72 : : 2014/04/28(月) 12:24:17
     帰路は移動中、ずっと一緒にいたが、元の関係に戻ったように他愛もない
    会話を楽しんでいた。ただ、あえてエルヴィンやナナバの話はせずに、
    しばらく話せなかった時間を取り戻すように顔を見合わせていた。
     ミケは抱きしめたい気持ちを押えていた。またイブキを混乱させ泣かせては
    いけない――本心を隠して笑顔を向けていた。

    「帰りは速いもんだな――」
     
    「えっ…そうね、同じ距離なのに、どうしてだろう…!」

     太陽がまだ天に昇った頃に移動を再び始めていたが、
    見慣れた街の駅に到着した頃、すでに辺りは闇夜が支配して星もチラホラと瞬いていた。
     二人が他愛もない話を続けながら、人もまばらな改札近くに近づくと、
    1日だけご無沙汰にしていた住み慣れた街が目の間に広がる。

    「ミケさん…私、近くでコーヒー飲んで帰るね!」

    「そうか、じゃ…またな、イブキ――」

     ミケはイブキに笑みを残し足早に何事もなかったように『ザカリアス』へ向った。
    小さくなる後姿を見送ると、イブキは近くのコーヒーショップに入り、テーブル席に座った。

    「――お客様、ご注文は?」

    「えっ…あの、ホットコーヒーを」

    「かしこまりました――」

     オーダーを取りに来たウェイトレスに気づかないくらい、イブキは呆然としていた。
     一日のほとんどを一緒に過ごしていたミケが、目の前から消えると、
    少しずつ時間が経つごとに彼がいないという現実が圧し掛かる。
    不思議とイブキはキスをしたという罪悪感はなかった。指先で唇なぞりミケの
    メンソールのタバコの香りを思い出していた。
     ホットコーヒーが目の前に運ばれると、イブキはカップの中の黒い液体を
    しばらく覗き込むと自然に涙が溢れてきた。

    ・・・私はエルヴィンさんだけを愛すると決めたのに…ごめんなさい…
    互いに誰を愛するか、わかった…それでいいよね――

     イブキは唇に残ったであろうミケのタバコの香りを消すようにコーヒーを口にした。
    普段は、ミルクだけを入れるイブキだが今回は敢えてブラックを喉元に通していた。
     そっと胸に手を添えると、鼓動が激しい。これはエルヴィンへの想いだとイブキは信じたかった。 
     
    「かなり遅くなったな――」

     ミケが腕時計を見ると、時間はすでに深夜近くになっていた。『ザカリアス』が位置する
    地下へ足を踏み入れると、すでにドアの前には『営業中』を知らせるライトが照っていて
    ミケはナナバが来ていると実感すると共に安堵感に浸る――

    「ナナバ、すまなかったな」

    「もう、ミケ! まる一日、どこに行っていたのよ!」

    「悪かった…」

     ミケが帰ってきた頃、ちょうど客が帰ったばかりで、他の客もまだ来ていない。
    カウンターの内側にいるナナバに向うと、ミケはそのまま抱き寄せる。

    「ミケ…! えっ――」

    ・・・ミケのタバコの香り以外にも…女性と一緒にいた? まさか彼女と…?

     ミケに抱きしめられながら、女の勘で自分が感じたことのない香りに気づく。
    ナナバはミケとイブキが一緒にいたのかと疑う気持ちが過ぎった瞬間――

    「ナナバ、ホントに今日はごめん…」

    「じゃ…今夜もあなたのところに泊まっていいの?」

    「もちろんだ」

    「ミケ…!」

     ミケはイブキへの想いを心の奥底に沈め、
    ナナバを大切にしたい気持ちから優しく耳元でささやく。
     その声で鼓動が激しくなるナナバはミケが自分を受け入れてくれたと信じたかった。
     鼻腔で感じたイブキかもしれない香りは気づかなかったことにしようと、
    小さな強い決意をすると、そっと胸の奥にしまうことにした。
  56. 75 : : 2014/04/30(水) 11:01:33
    ⑱ペトラとお茶会

     ペトラ・ラルが隣街にあるカイのスクールに通い出して、ある程度時が過ぎたその日、
    リヴァイはいつものようにペトラを送り出すと、カフェ『H&M』のランチタイムの前の
    掃除に取り掛かっていた。彼のテーブル席を拭く姿が視界に入ると、
    ハンジ・ゾエがキッチンから顔を覗かせ話しかけた。

    「ねぇ、リヴァイ! ペトラさんの腕さ、スクールに通い出してさらに上達しているよ」

    「ほう…そうか」

     右の口角を上げ返事をするリヴァイは自分のことのように喜ぶが、
    眼差しはいつものように涼しいままである。

    「そこで、提案なんだけどさ…ペトラさんが作ったデザートでお茶会という名の
    品評会をしたいんだけど、いい?」

    「もちろん、俺は構わないが…」

    「その日ある材料で作れるデザートを作ってもらいたいんだけど、今日ってどうだろ?」

    「いきなり…?」

     掃除を中断して鋭い眼差しをハンジに送るが、彼女は涼しい眼差しでリヴァイを見つめ、キッチンから顔を覗かせるだけだった。

    「で、今日はティータイムを休みにして――」

    「休んでまで…?」

     ハンジがリヴァイの傍に近づき『品評会』のことを詳しく話し出した。
    その日のティータイムを休みにして、従業員でその味の品定めをする、
    もちろん、その後は和やかに話してペトラをリラックスさせたらいい、ということだった。
     ハンジの提案にリヴァイは気が引き締まり、顔が強張る。

    「リヴァイ、あなたが緊張することではないけど、
    まぁ、我々の大事なパティシエのテストなんだから、あなたも協力してよね」

    「わかった――」

     程なくしてランチタイムが始まる時間が迫ると、リヴァイはいつものランチタイムを
    知らせる看板をイーゼルを掲げた。いつもと違うのはその隣に
    『本日のティータイムは従業員研修の為、お休み致します。ディナータイムはデザートのサービスあり!』というハンジのアイディアの看板も掲げられていた。
     リヴァイやユミルが忙しくカフェの中を動き回っていると、オーナーのエルヴィン・スミスが
    サングラスを外しジャケットの胸ポケットにしまうと、ハンジの看板を見ていた。
     その姿にリヴァイが気づくと、ガラスのドアを開け、エルヴィンがカフェの中に視線を移した。
  57. 76 : : 2014/04/30(水) 11:02:53
    「リヴァイ、ハンジから連絡があった。ペトラさんには『品評会』の件、伝えてないのか?」

    「あいつは…授業中、電話には出られない」

    「じゃ、いきなりってことか?」

    「まぁ…何とかなるだろう…」

     ガラスのドアをくぐりエルヴィンはいつものようにランチ客の入り具合を確認すると、
    カウンター席に座り、事務的な仕事を始める。その日はペトラに頼む仕事の負担を
    減らすため、ある程度のところまで進めることにした。リヴァイはタイミングを見て
    ロッカールームに行くと、ペトラに『品評会』の件としてメッセージを送っていた。
     返事はないが、ペトラの腕なら何とかなるだろうと、推し量っていた。
     ランチタイムが終わる頃、ペトラがガラスのドアの前に掲げられたイーゼルの看板を見て
    腕組みをして立っていた。リヴァイからもらったメッセージを見て目を見張り、
    体中に緊張感が走ると、大きく深呼吸をしていた。

    ・・・昨日…冷蔵庫にあったものが、まだあれば…大丈夫かも――

    「リヴァイさん、お疲れ様!」

    「ペトラ、みんながお待ちかねだ…」

    「う、うん…」

     緊張で頬を強張らせるペトラを目の当たりにすると、リヴァイは彼女の肩に触れ、
    大丈夫か、と言いながら、鋭い眼差しを送る。ペトラはリヴァイとの付き合いで、
    同じ鋭さでも心配されていると感じると、大丈夫よ、と笑みを交えキッチンに入り
    準備することになった。
     ランチタイムが終了すると、リヴァイが皆が座れるテーブル席を作る。
    ハンジ、モブリット、エルヴィン、ユミル、そしてリヴァイがペトラのデザートの
    品定めをすることになるが、リヴァイはただ、この人数で何を作るのか想像出来なかった。
     ペトラは冷蔵庫を見ながら、前日と同じ『材料』が使用されていないことを知ると、
    ホッと息を漏らし、ハンジに声を掛ける。

    「ハンジさん、ホントに冷蔵庫の分、何でも使っていいんですか?」

    「もちろん、何でもどうぞ!」

    「よかった…! ハンジさん、それじゃこのボウルの中の生地、使わせていただきます!」

     ペトラは安心したように冷蔵庫からガラスのボウルを取り出した。その中には
    ハンジが前日のディナーで使おうと作っていた小麦粉、バターそして水を混ぜこね、
    オフホワイトの色をした『丸い玉』の生地が入っていた。
     シチューの入った耐熱皿にシートのように伸ばした生地をその上に被せ、
    オーブンで焼く『ホットパイ』をハンジは作ろうとしていた。
     急きょメニューを変更して他の食材を使うと、この生地があまってしまった経緯がある。

    「リヴァイ…ペトラさんは何を作るんだろうな…?」

    「さぁ…」

     隣に座るエルヴィンに聞かれてもリヴァイは見当がつかず、足を組みながら左肘を
    テーブルに付き、左手を伸ばしていた。
     ペトラがキッチンに入ってしばらくすると、甘酸っぱい香りが漂い何かを煮込んでいる
    ことが皆に知られる。紅茶ではない――と、リヴァイが感じたと同時にその正体に気づく。

    「リンゴ…か?」

    「リヴァイ! 正解! さすが、ペトラさんと一緒に暮らしているとわかっちゃう?」

     ハンジのその一言に舌打ちするが、彼女の夫のモブリットも気がつく。

    「ハンジさん、あの生地を使い、リンゴを煮込むって…恐らく、あれでしょうね…!」
  58. 77 : : 2014/04/30(水) 11:04:00
     ハンジとモブリットが何が出来上がるか、予想を定めているとペトラがキッチンから
    出てきて、皆に紅茶を出していた。5人はお腹をすかせているため、紅茶をすすると
    大きくため息をついた。腹の虫は鳴っているのに、空腹感を刺激するような香りが漂う。
     それなのに食べられないという、胃袋は『おあずけ』をくらっているようなものだった。

    「皆さん、あと20分くらいで焼き上がると思いますので…すいません」

    「ペトラ、別に悪いことはしていない…間違ったことはやっていないだろう…?」

     バツの悪い表情を浮かべていたが、リヴァイのその一言が彼女を笑顔に変える。
    キッチンから仕上がりのブザーの合図が聞こえると、ペトラはすぐに戻り、盛り付けの準備を始めた。 
     
    「おまちどうさま…!」

     ペトラが作っていたのはシナモンの香りが出来たての湯気と共に漂うアップルパイだった。
    パイ皿に乗っていた熱々のアップルパイは、見た目もキレイにカットされ、
    取り分けられると、各テーブルに出された。カットされた部分からとろけ出す
    煮込まれたリンゴがさらに食欲をそそる。
     再び紅茶も出されるが、アップルパイに合うように茶葉の種類に変えられ、
    お皿やティーカップの配置などもキチンと考えられ、皆の前に出されていた。

    「どうぞ、召し上がりください!」

     ペトラが笑みを交え皆に食べるよう促すと、それぞれ手前のフォークを持つ。
    最初に口に運んだハンジはすぐさまペトラに感想を言う。

    「ペトラさん、美味しい! だけど、見た目もキレイにカットして…。
    ホールのアップルパイって、焼きたては切りにくいのに――」

     ハンジの声に連動するかのように夫のモブリットも話し出す。

    「僕も美味しいと思いますよ! 甘さのバランスがいいですね」

     ユミルも懐かしい味、と笑みを交えフォークを口に入れ、
    エルヴィンは何も言わないが、うなずくように味わっていた。

    「ペトラ…美味いな…それにこの紅茶もアップルパイに合ってスッキリ飲める。
    だが、これはちょっと濃い目だから、ミルクティーにしてもいいかもな――」

    「さすが…! この紅茶はアップルパイに合うように先ほどよりも濃い茶葉を選んだの」

     ペトラはリヴァイに彼女が意図して濃い紅茶を淹れたことを知られ、笑みも零れるが、
    経営陣3人が急に黙り込んだことに気づく。
     ペトラは一個呼吸置くと、自ら切り出した。

    「…普通の…味ですね――」

     伏目がちなペトラにリヴァイが、充分美味い、と言うもさえぎる様にペトラは続ける。

    「リヴァイさん、何というか…『ここでしか食べられない』とか…そんな味ではないの」

     自ら厳しく評価するペトラに腕組みしてハンジもリヴァイの視線を気にしながら、
    感想を話し出した。
  59. 78 : : 2014/04/30(水) 11:05:17
    「確かに…厳しく言うと、そうかもしれない。お母さんの味って感じがするし…
    でも、私はこの味は好きだけどな…」

     苦虫を噛み潰すような口調がペトラに注がれると、リヴァイの視線は自然と鋭くなる。
    肝心なペトラは、ハンジの声を聞くと、あっ、と声を上げて目を見開いた。

    「実はこのアップルパイ…私の母が作っていたんです――」

    「――それで美味いのか」

    「おいリヴァイ…!」

     リヴァイの感想を聞いたエルヴィンが珍しく話を止める。腕組みしているエルヴィンが
    正面を見据えながら、渇いた声で言い放った。

    「ペトラさんが作ったとは言え…贔屓目で味わうから、おまえの意見は参考にならない」

     舌打ちするが、それを無視してリヴァイは残りのアップルパイに再び手を伸ばす。

    「ペトラさん…家庭的な味というのも好みだと思う。
    これに更なる工夫を重ね美味しいアップルパイが出来ると思うんだが…
    もちろん、ペトラさんの家庭の味を壊さずに」

    「はい! わかりました――」

     ペトラは皆から厳しい意見も出たが、笑顔で食する姿を見てホッと胸を撫で下ろしていた。
    また、カフェ『H&M』の皆と一緒に自分の作ったデザートを囲める幸せも味わっていた。

    「だけど、驚いたよ…まだスクールに通いだして短期間なのにここまで出来て…。
    このお皿の並べ方とかさ、カイさんのところで習ったの?」

    「別の先生で、カイさんとは別の異国で紅茶を学んだ方がいて、
    紅茶の出し方、お皿の配置で優雅に見える方法とか、教えてくれるんですよ!」

     快活に答えるペトラにハンジは腕組みをして、ペトラが並べた皿やカップを見ていた。

    「さすが、カイさん…すごいわ…異国の風を吹かせているよね…!
    ペトラさん、これからが楽しみだわ!」

     ハンジが笑顔でペトラに期待を寄せるようにうなずき、ペトラが隣に座ると
    労いの言葉を掛け、彼女も食べるように促した。
     ペトラはハンジとモブリットの間に座りながら、風味についてさらに意見を求めていた。

    「シナモンの風味に合うって、他にはスイートポテトもありますよね?」

    「ペトラさん、それもいいよね…リンゴとさ、スイートポテトを混ぜてもいいんじゃない?」

    「いいですね! ぜひリンゴに相性のいい食材を加えて、また近々改善してみましょう――」

     カフェ『H&M』のキッチンに立つ3人、特にペトラはメモを取りながら、自分の作った
    アップルパイの『スパイス』になるような話をハンジとモブリットから聞くと熱心にメモを取っていた。

     愛らしい笑顔には変らないが、リヴァイはペトラを視界に捕らえ、
    仕事に挑む真剣な表情を初めて目の前にすると、人知れず右口角を上げていた。

    ・・・パティシエの顔って…こんな感じなのか――

     いつもの鋭い眼差しリヴァイのはずだったが、いち早くアップルパイを平らげる姿を
    隣に座るユミルに見られ、冷ややかな視線を送られていた。
  60. 79 : : 2014/05/05(月) 11:10:13
    ⑳みんなの将来とイブキの占い

     エレン・イェーガーは平日の放課後、ミカサ・アッカーマン、そしてアルミンと共に
    カフェ『H&M』のティータイムに来ていた。いつもと違うのはイェガー家の
    近所に住むハンネスを連れてきていた。
     彼はエレンの父、グリシャの古い友人で建築家だ。
    痩せ型の長身で、短い金髪と口元の無精ひげがハンネスのトレードマークである。
     ナンネスは建築の視野を広げる為、異国の地を回ることが多い。彼は長期間、
    異国の地を回っていて、つい最近帰国していた。
     エレンとミカサはハンネスが帰国すると、いつもカフェに一緒に来ては
    異国の地での体験談を聞くのが恒例になっている。特にエレンは目を輝かせハンネスの
    話に耳を傾けている。

    「やっぱり…ハンネスさんのように色んな異国の地を回りたいな…」

     ハンネスの話を聞いた後、腕組みをして、何かを納得したように上下に顔を動かすと
    エレンは彼に輝く眼差しを送る。
     幼い頃からの憧れでもあるが、もちろん、父の後を継いで医者を目指すことに
    変りはない。ただハンネスの話を聞くたび、決意が揺れそうになる。

    「エレン、まぁ…世界を旅する医者でもいいんじゃないのか?」

    「えっ…! それもいいな、ハンネスさん」

     エレンはハンネスの言うことが冗談とわかっていながら、笑みを交え答えていた。
    異国の地への憧れは強いままである。

    「エレン…それじゃ、私も同行する看護師に…」

    「おまえはどこまで俺の後をついてくるんだよ!」

    「エレンは私がいなきゃ、無茶をする」

     エレンは感情的に問うがミカサはいつものように冷静に答えた。
    久しぶりに帰ってきてもこの二人の顔を見ているとハンネスは日常に戻った気がして心が綻ぶ。

    「エレンよ…おまえの暴走を止められるのは後にも先にもミカサだけだぞ…!」

     笑みを浮かべ本当は冷えたビールを飲みたいが、あえてアイスコーヒーで
    我慢するハンネスは氷を鳴らしてグラスを口元に運んだ。ハンネスの声を聞いた
    エレンは不機嫌な顔をするが、その顔を見たミカサは軽く握った拳を口元に寄せ
    かすかに微笑んでいた。
     3人はそろそろ自分の進路を決めなければならない時期にさしかかっていた。
    エレンはミカサに笑みを向けられても表情は険しく腕組みをする。その様子に
    ハンネスは柔らかい口調で話し出した。
  61. 80 : : 2014/05/05(月) 11:11:58
    「俺に憧れてくれるのは、嬉しいが…だが、おまえの親父のグリシャは旧知の仲…
    きっと、おまえが後継ぎになることは、あいつにとっても喜ばしいことだろうな」

     エレンは頬を緩ませるが、再び険しい表情なる。アルミンも一緒に同じテーブル席に
    着席しているはずなのに、彼はずっと3人のやり取りに目を細め話を聞き入っていた。
     ハンネスはアルミンに視線を移すと、彼にも将来について問い出した。

    「まぁ…エレンは医者で、ミカサは看護師…となると、アルミン、おまえは将来、
    何になりたいとか、決めているのか?」

    「僕は将来、父さんの手伝いできるように大学で経営学を学びたいんだ」

    「ほう…そうか、ハッキリしているんだな」

    「うん、前から決めていたんだ」

     幼い顔立ちのアルミンだが、将来のビジョンを見据える眼差しにハンネスは
    頼もしく感じる。エレンだけでなく、アルミンも親の後継ぎを自分の将来に含む姿に
    いい息子なんだと、感心していた。ハンネスの気持ちとは裏腹にアルミンの声が
    聞こえた彼の父親であるエルヴィン・スミスは少し慌てた口調で話の輪に入りだす。

    「アルミン、おまえが大学を卒業しても、父さんはまだ現役だろう。
    それよりは、本当におまえがやりたいことをやるんだ」

    「父さんの右腕として働きたい…それが僕のやりたいことだよ――」

     眼光鋭くアルミンに言ったつもりのエルヴィンだったが、それ以上の真剣な
    眼差しで返されると、父として言葉が詰まってしまった。休みが少ないだけでなく、
    亡き妻のミランダにも苦労をかけたことを思い出すと、エルヴィンは二の句が継げなかった。
     眉間にシワを寄せ何かを思い返しているエルヴィンにハンネスが気づくと、鼻を鳴らし笑みを浮かべる。

    「エルヴィンさん、孝行息子じゃないですか…! もっと将来について話し合いをした方が
    いいかもしれないですね」

    「そうですね…」

     エルヴィンがため息混じりに返事をすると、ガラスのドアが開き新たな客が入ってくると
    気づく。イブキだった。彼女は自分の仕事がひと段落着いて、ハンジ・ゾエ手作りケーキと
    エルヴィンに会いにきていた。
     愛しむような眼差しで迎え入れられると、ミカサを始めとした3人がいることに気づく。

    「エルヴィンさん…ミカサたちが話している方はどなた…?」

     ハンネスについてイブキに説明すると、彼女は自分と同じように異国の地を回る
    共通点があることで、興味を抱く。同じテーブル席に座ると、ミカサとアルミンが
    イブキの紹介を始める。

    「私の親戚の叔母さんで…」

    「僕の父さんの大切な人なんだ!」

     イブキがはにかみ、うつむき加減になると、ハンネスは鼻を鳴らして笑う。

    「まぁ…なんだか、賑やかな感じですね、イブキさん」

    「そうですよね…」

     イブキがハンネスに自己紹介を済ませると、彼女が来る直前まで話していた
    様々な国の古城を巡る話を再開していた。
     指先であごを支えながら、ハンエスはある古城の話を始める。
  62. 81 : : 2014/05/05(月) 11:13:55
    「――最近、行ったところなんだか…先祖代々の城に住む当主がいてな…
    確かクラウン家だったか…」

     『クラウン家』の名前が出ると、イブキは目を見開き、ミカサは飲んでいたオレンジを
    ごくりと音を立てて飲み込み、二人は目を合わせていた。

    「若くて…なかなかの男前なんだが…確か、占い師を妻にするとかで、
    大騒ぎになったって…噂で持ちきりだったな…」

    「ハンネスさん、モーゼズさんに…会ったんですか?」

    「いや…当主にはいつも警護がついていて、遠巻きでしか…あれ? イブキさん、
    どうして知っているんだ?」

    「実は…その妻に迎えようとした占い師…私なんです」

    「ええっ!」

     身を仰け反らせ驚き、ハンネスは思わずもったいない、と口走るが、
    イブキは顔を強張らせるだけだった。

    「だが…まぁ、金はあっても、不自由な生活だろうな、どこに行くにも警護がいては」

    「確かに…そうだと思いますよ、どんなにお金があっても、自由がないんですから」

     ハンネスは自分が自由に異国の地へ行けることを考えると、腕組みしながら唸り、
    口角に力を入れ視線を落としていた。

    「ホント、俺は自由気ままだから…あちこち行けるのは、俺の宝だわ…。
    そうだ、おまえら…自分の将来、イブキさんに占ってもらえば?」

     突然のハンネスの提案に驚きののあまり、えっ、と声を出したのはイブキだった。
    今まで身近な人をイブキは占うことを避けていた。何度かタダで占ってもらおうという態度の
    友人たちと人間関係がこじれてしまったことがあった。仕事でしているプライドだけでない。
    無料で占ってももらうため、自分に対してゴマをするような言動をしていたはずなのに、
    占わないと知ると、態度を一変させ冷めた眼差しを残し自分から去っていく者もいた。 
     その経験から、占い師であると身近な人に伝えても、占うことは避けている。
     脳裏にかつての経験が浮かんでも、ハンネスが3人に対して心配する眼差しを送ると、
    イブキは自分のバッグに自然に手を伸ばして笑みを浮べていた。

    「イブキ叔母さん、何を探しているの…?あっ――」

     イブキがバックから何かを探している様子にミカサが問うも、
    それがすぐ解決したのはイブキがテーブルに置いた物を見つけたからだった。

    「これね…占いカードだよ」

     テーブルにイブキが占いのカードを出した。表は赤紫色で裏側にはそれぞれメッセージが
    記入されている。簡単な内容だがイブキはそれを勘を働かせて深く読み取る手法である。
     自然にミカサがテーブル周辺を片付け始めていた。イブキの部屋に遊びに行った時、
    占いをするデスクに置かれているカードを何度か見たことがあるが、ミカサ自身も占ってもらうのは初めてである。イブキから身近な人を占わないということを知っていて、
    カードを見ても占って、とミカサから頼むことはなかった。
     濃い紫色のベルベットの布をテーブルに広げその上にカードを置く。
    本来はテーブルいっぱいに広がる布だが、イブキは周囲を気にして、
    ランチョンマットくらいのサイズにたたんでいた。

    「イブキ叔母さん、このカードをいつも持ち歩いているの?」

    「そうね、私の『相棒』だから、もしかして…エルヴィンさんよりもいつも一緒にいるかもね」

     カウンター席で自分の仕事をしていたエルヴィンはイブキのその声を聞くと
    顔を引きつらせ、後ろを振り向きイブキを見ていた。しばらく背中で5人の様子を
    エルヴィンは伺うことにしていた。
     手馴れたようにイブキはベルベットの布に上にカードを撫でるようにカードをバラバラに
    混ぜると、再びカードを集めひとつの山を作った。布の隅にカードの山を置くと横一直線に
    カードを滑らせ、等間隔に並べられた。
  63. 82 : : 2014/05/05(月) 11:16:19
    「まず…エレンくん、この中から一枚選んで…何も考えずに…」

    「うん、わかった…」

     エレンは息を飲み横並びの等間隔のカードから、適当に一枚選んでイブキに渡す。

    「このカードは…」

     イブキは深呼吸しながら、カードをベルベットの布の上に置きながら静かに鑑定を
    開始する。

    「…あなたには人にない個性と才能があるようね…」

    「えっ…あるかな…?」

     エレンは照れながら、手のひらを首の裏に移動させると、自分を落ち着かせるように
    首を揉んでいた。その目だけは自分が引いたカードを見つめていた。

    「医者と建築に憧れる…ってことも立派な個性かもしれない。もしかして、両方出来るかも
    しれないね…どちらかの技術を、どちらかに活かすという…ということも出来るかもしれない」

     イブキの鑑定を聞きながらハンネスは思いついたように二人に話し出す。

    「そういえば…老朽化した建築物を建て直す…『建物の医者』ってのもいいかもな、
    リフォーム専門の――」

     ハンネスのアイディアを聞いたイブキは更に話を続ける。

    「…大変かもしれないけど…両方の技術を学ぶことで、エレンくん、あなたにしか
    出来ない技術が生まれるかもしれない――」

     目を輝かすエレンは合点がいくようで、笑みを浮べていた。その様子を見ていた
    ハンネスはエレンに話しかける。

    「どっちも学ぶのも大変だな…」

    「だけどさ、俺にしかない技術があれば、異国の地から呼ばれるかもしれないよ!」

    「それもそうか…まぁ、どっちも学ぶのも大変だな…特におまえの両親、学費が大変だ」

     ハンネスが笑みを交えエレンと話していると、イブキはミカサの占う準備を始め
    再びカードを布の上で混ぜ始めた。またミカサに一枚だけ選ぶように促す。
     ミカサからカードを受け取ったイブキは目を丸くして、噴出すように笑った。

    「エレンと同じカード…何十枚もカードがあるのに、同じカードが出るって
    余程二人は一緒にいないといけないのかな――」

     カードをイブキが布の上に置くと、エレンは不機嫌になるが、ミカサは目を爛々と
    輝かせた。

    「人にない個性と才能…確かにミカサはエレンを追いかけるという個性と才能は
    別格よね…ってことはあなたも看護師の勉強だけでなく、建築の何かを学ぶってことも
    必要かもね…」

     いつも冷静なミカサのはずだが、イブキの話を聞きながら頬を赤らめ頭を上下に振る。
    鑑定に合点がいくようで、笑みをこぼしていた。ミカサの笑みにハンネスは再び腕組みを
    しながら、幼い頃から知っている彼女を思い出し、輝く瞳を見つめる。

    「ミカサが小さい頃から手先も器用ってことは知っている…
    何か細かい作業も出来そうだし…建築家のサポートか似合いそうだな」

    「きっと、そうよね! ハンネスさん! 私…エレンと一緒にいられるなら、建築の勉強もする!」

     二人のやりとりを見ていたエレンは頭を指先で掻くと目線を上に移動させた。
    その視線の先には眼光鋭いリヴァイがいる。ミカサに何か言ってしまえば、また雷が
    落とされそうで、何事もないようにゆっくりと視線をイブキのカードに落としていた。
     続いてアルミンの番が回ってくる。彼が引くカードを読み解くイブキは眉間にシワを寄せた。

    「…アルミンくんは今から学ぶモノに対して将来、実りがやってくるって出た…。
    そして学んだものを循環させようってこと。あなたのお父さんの後継ぎの勉強でもいいし、
    他の勉強でも、それを興味を持って吸収したら、皆の役に立てましょうってことかな…」

     イブキの占いは青写真のようにおぼろげな内容を伝える。ハッキリとしたことは
    言わずに、伝える言葉の中に何かヒントをクライアンとに見つけさせる、という手法である。
     そのため、アルミンはイブキの話を聞きながらすぐに理解できず首をかしげていた。

    「いつか自分が得たものが実りになる…自分の財産になるってことだけど、
    『実り』のは別の解釈で食事よね…だから、結局は食に困らないことが継続する。
    だから、あなたが学ぶものをいつか、必ず皆に還元しよう…ってことかな…」

     アルミンはイブキの話すことを理解できないのか、腕組みをしながら、指先であごを支え
    自分が引いたカードを見つめていた。その顔を見たハンネスはアルミンに言い放つ。

    「とりあえず、おまえが勉強したものは独り占めせず、みんなに恩返ししろ…って感じですか?イブキさん?」

    「そんな感じですね…!」
  64. 83 : : 2014/05/05(月) 11:18:15
     ハンネスがイブキの鑑定を一まとめにすると、アルミンは腕組みをしながら、
    再び考え込む。彼はイブキの鑑定を振り返ると、少しずつ点と線が繋がるように
    何となくわかるような気がしていた。彼は養護教論のミリアン・パーカーに出会い、
    彼女の影響で読書好きになっただけでなく、文学に興味を持ち始めていた。
     作家になりたい――ということはまだ誰にも打ち明けていないアルミンの密かな夢である。

    ・・・待てよ…僕が作家として成功すると、このカフェを始め、父さんたちが経営する
    お店が有名になる…ってことは父さんたちが食に困らないってことだ…

     イブキの鑑定と自分の誰にも打ち明けていない夢に合点がいくと、
    アルミンはふふっと、息を漏らすように一人でニヤけ妖しい笑みを浮べた。
     テーブルで顔を付き合わせる皆がその笑みを見据えると顔を強張らせ仰け反る。
     
    「ア、アルミンくん…何か思い当たる節はあるみたいね…!」

     アルミの妖しい笑みを初めて目撃したイブキは片頬を引きつらせながら、
    彼に問うと密かな夢が見抜かれた気がしていた。
     アルミンはごくりと喉を鳴らし息を呑む。

    「えっと…まぁ…」

    「今はまだ言えなくても、いつかみんなに披露できるといいね」

    「うん…! そのときが来たらね…! あれ、イブキさん?」

     笑顔で返すアルミンだったが、イブキが顔を強張らせ肩で息をして
    呼吸が乱れている様子に気づいた。

    「イブキさん、どうしたの…? 大丈夫?」

    「大丈夫よ…みんなの前で占うのも初めで、結構緊張したし…パワーも使うから」

    「そうなんだ…なんだか、申し訳ないことしちゃったね…」

    「ううん、大丈夫! だまにあることだし、平気よ。気にしないでね…!」

     イブキの異変に気づいたエルヴィンがカウンター席でしていた仕事を中断して、
    彼女のそばに立ち、肩に優しく触れた。

    「イブキ、大丈夫…?」
     
    「うん、大丈夫…ありがとう」

     笑みをエルヴィンに向けると、ホッとさせるが、隣のテーブル席は空席で
    彼は椅子をイブキの隣に移動させ、同じテーブル席に座ることにした。
     イブキが心配ということもあるが、アルミンの将来の話題になれば、
    何かアドバイスが出来ればと思い、一緒に座ることにしていた。
     イブキが大きく息をしながら、占い用のカードを片付けると再び話し出す。

    「私の占いは…あくまでも参考にってことを強調しているの。自分の将来は
    険しいかもしれないけど、自分で切り開く経験こそ財産になる…だから、
    この占いは、壁にぶつかったとしても、あくまでも参考に!ってことなの――」

     喉の渇きを感じてグラスの水を喉に落とすと、まだイブキは話し続ける。

    「やっぱり…自分の心は自分のもの。誰にも操られたくないよね」

    「そうよね、イブキ叔母さん、私もそう思うよ」

     ミカサはイブキの言うことに納得すると、頭を上下に振ってエレンを見つめる。彼は内心、
    おまえは俺を操るようなことするだろう、と言いたくなるがリヴァイの視線が気になり、それは
    言えずにいた。
     5人はエルヴィンを交え楽しげに話していると、ハンネスがまた近々異国の地へ旅立つと
    皆に知られる。そこはイブキの故郷の地であり、彼女は両手を握り胸元にあてがうと、笑顔になる。
     酒の美味しいレストランやその国でも大きな湖や興味を持ちそうな建築物の話を
    身振り手振り交え話すと、ハンネスも興味も持ち早速行ってみようと話していた。
     エルヴィンはイブキが皆に馴染んでいることが嬉しい。初めて占う姿を見ると、
    自分も占って欲しいと一瞬だけ過ぎる。

    ・・・だが…イブキの言うとおり…俺は自分の人生は自分で切り開いてきた…それでいい――

     エルヴィンは皆が話す様子を尻目に立ち上がると、再びイブキの肩に軽く触れ
    彼女もその手を軽く握り返す。イブキのしなやかな指先を感じると、後ろ髪引かれるが、
    そのまま優しく振りほどき、自分の仕事に戻っていった。
  65. 84 : : 2014/05/06(火) 13:58:33
    (21)アルミン、夢を告白

     アルミンは父のエルヴィン・スミスが経営するカフェ『H&M』で彼の大切な存在である
    イブキに自分の将来を占ってもらっていた。
     その時、彼は誰にも打ち明けていない心に秘めた夢について
    改めて考える機会を与えられた気がしていた。
     まだ明らかにしていないその夢を一番に話したい人がいる――。それはアルミンの学校の
    養護教論、ミリアン・パーカーである。
     その日の放課後。エレン・イェーガーはミカサ・アッカマーン、そしてアルミンと共に
    いつもの如く帰ろうとすると、アルミンは二人に行くところがあるから先に帰って、と告げ、
    教室から出て行くと一人、どこかに向っていった。
     二人は行く先を言わないアルミンに首を傾げるが、深く気にせず帰路につく。

    「そうだ、エレン…今日、リビングで一緒に宿題しない?」

    「なんで…おまえと一緒にしなきゃいけないんだよ!俺は一人の方がはかどるんだよ…!」

     学校の正門前、エレンは口を『ヘの字』に曲げ振り返りながらミカサに言うと
    一人で足早に歩き出す。それでも足の速いミカサには追いつかれていた。

    「もう…二人ほ方がはかどるのに?」

     ふんっと鼻を鳴らすとエレンはミカサに負けじとさらに足を速めても、追いつかれる。
    エレンはミカサから離れると不機嫌になり、二人でいるときは不機嫌さに可愛げが増す。
     ミカサはそれを承知で、二人で帰る時、彼のその表情を見たいため、わざと一緒に
    何かをしよう、という発言しては、からかい楽しんでいた。
     もちろん、アルミンの目的の場所は保健室である。養護教論のミリアンはアルミンが
    引き戸のドアを開けると、笑み浮かべ彼を迎えた。
     アルミンは彼女のデスク前に丸椅子を移動させ腰掛けた。他愛のないことや
    二人が好きな小説家や、最近読んだ本の話題をしては、互いに頬を綻ばせる。
     このひと時はアルミンにとって何事にも変え難い幸福な時間である。
     ミリアンに会いに行くことをエレンやミカサも知らない。
    彼女に想いを寄せるアルミンにとって『秘め事』のような感覚になっていた。

    「――そうだ、アルミンくん、もう進路とか決めなきゃいけない時期よね?
    やっぱり、お父さんの飲食店を継ぐの…?」

    「はい、もちろん…それもありますが実は――」

     突然、将来の話題を出されると、アルミンは自分が伝えたかったことを
    先に彼女が話し出したため、大きく目を見開く眼差しは意気揚々としていた。
     
    「僕、作家になりたいんです!」

    「えっ、そうなの? 作家か…!」

     ミリアンは弾んだ声で返したはずだが、すぐに険しい眼差しをアルミンに向けた。


  66. 85 : : 2014/05/06(火) 13:59:40
    「作家って…大変だと思わない? 私たちが好きな作家ってほとんどが
    普通の仕事をしながら文筆業と両立して…ある程度の年齢を重ねたとき
    有名になっているよね…?」

     落ち着いた口調でアルミンに話すと、ミリアンは手前の本棚から互いの好きな
    作家の本を手に取り、最後のページを開きプロフィールを指差す。
     その作家は処女作以降、数十年後に注目を浴びた、という経緯の内容だった。
     ミリアンに反対されているのかと考えると、アルミンは息を飲みながら
    そのプロフィールに視線を落としていた。

    「それで、いきなり作家からスタート、ってのは難しいと思うの。やっぱり様々な経験から
    書ける事もあるだろうし、お父さんと仕事をしながら、その傍らで作家の勉強ってのも
    いいかもね――」

    「はい!」

     自分の意見を交えるだけで反対することはない。ミリアンに話してよかったと、
    安堵感に浸りアルミンは瞳を輝かせる。大きく深呼吸をした後、今度は彼が話し始めた。

    「先生、作家になりたいってことを…まだ父さんにも話してないんです。
    僕の夢の話を聞いてもらったのは、先生が初めてなんですよ」

     えっ、と声を上げて驚きながらミリアンはデスクの引き出しを開けて、
    おもむろにノートとペンを取り出しながらアルミンに笑みを向けた。

    「じゃあ、初めて繋がりで…アルミン、ここにサインして! いつか作家として
    有名になったとき、これが初めてのサインですってみんなに自慢するから!」

    「はい!わかりました、先生」

     口角を上げ、喜びをそのままにアルミンは手渡されたノートにサインをした。
    『ミリアン・パーカー様』と書かれたそばにアルミンは自分の名前を書いた。

     ミリアンにノートを手渡し戻すと、彼女は嬉しい気持ちには変りはないが、
    何か物足りなさを感じさせられる。

    「アルミン、このサインは第一号として…取って置くけど、サインの練習をしてもいいかもね――」

     イタズラっぽい笑みを浮べながら、ミリアンは書き損じた用紙を貯めている箱に手を伸ばしす。
    この裏に練習してもいいよ、と言われるとアルミンは何度か自分のサインを書いていた。
     ペン先を見つめながら、ミリアンがそうだ、というとアルミンは手を止めた。ミリアンは
    サインにメッセージを添えてもいいかも、と提案すると二人で知恵を絞ることになる。
  67. 86 : : 2014/05/06(火) 14:01:33
    「そうだ、確か…お父さんが経営するクラブの名前って…異国の言葉よね?」

    「はい、そうです。父が考えた名前ですよ」

    「じゃ…同じ異国の言葉を使って――」

     デスク上のノートパソコンでネットに接続すると、ミリアンは言葉を検索し始めた。

    「『Liebe』って入れてもいいんじゃない? 書き方は崩したりして」

    「これは…どういう意味ですか?」

    「『愛』って意味だよ――」

     読み方は『リーベ』と教えてもらうと、アルミンは再びミリアンのノートにサインを書いた。
    『Liebe』の文字を自分なりに工夫して崩すと、彼女の名前の隣に添えた。

    「早速、サインを2枚ももらっちゃった! アルミン先生、ベストセラーを待ってますよ!」

    「先生、そんな…! 気が早いですよ!」

     互いに冗談を言い合うと、笑みをこぼすが特にアルミンは照れて
    彼女の顔を見られず、頭を指先で掻いていた。

    「まぁ…男女問わず、『愛』を抱いて生きなきゃね…!」

     優しい温もりを感じさせるような笑みがアルミンに向けられると彼は頬をさらに赤らめる。
    気づかれないように意味なく顔を手先で揉むような仕草をした。

    ・・・…母さんに会う感覚でミリアン先生に会っていたつもりなのに、僕はもう…

     自分の気持ちが溢れていると改めて気づいても、アルミンは自分の本音を抑え付ける。
    現実的に生徒から好かれても、いい気はしないはず――
     また彼氏もいることが脳裏に浮かぶと無意識にため息をついて、視線を落とした。

    「急にため息なんかついてどうしたの…アルミン先生?」

    「何でもないです。僕、先生にいつか読んでもらえるように頑張ります!」

    「その前にお父さんを手伝う為の進学も忘れずにね!」

    「はい! それはもちろん――」

     快活に返すアルミンの笑みはその幼さとは似合わない大きな決意も含むようだった。
     その日、ミリアンが付き合っている社会科教師のルーク・シスは多忙なのか、
    保健室に来ることはなかった。アルミンは彼が来ないと途中で気づくと、いつも以上に
    頬を綻ばせ二人で会話を楽しんでいた。
     ミリアンが天井に備え付けらた照明が急に明るく感じると、何気なく窓の外を見上げる。
    夕焼けの時間も終わり、気がつけば二人の頭上に夜空が現れていた。 

    「アルミンくん、ごめんね、こんな遅い時間まで引き止めてしまって…!」

    「いや、僕が長居しちゃったから…でも、とても楽しかったよ! ミリアン先生」

     ミリアンはまだ仕事を残しているが、アルミンを校門まで見送ることにする。
    彼は誰かに見られていないか、辺りを見渡しても他の生徒たちはいない。
     部活を終えた威勢のいい声が遠くから響いても、二人が彼等に見られることはないため
    アルミンを安心させていた。

    「アルミン、私がお父さんに電話しよっか?」

    「大丈夫ですよ、僕から連絡しますから!」

    「それじゃ、気をつけて帰るのよ」

    「はい! さよならー!」

     正門に立つミリアンに手を振ると、嬉しさのあまりしばらく口角を下げられなかった。
    スキップして帰りたい逸る気持ちを抑え、アルミンは家路を急いだ。

    「残業か…でも、楽しかったし――」

     正門でアルミンを見送ると、保健室に向いながらミリアンは鼻を鳴らし笑っていた。
    彼女は趣味が合う生徒と話せるのは楽しく、さらに自分を慕ってくれることを
    一人の教論として喜びを感じる。
     アルミンの笑みを思い出しながら、生徒たちの笑顔を守るため、
    ミリアンは保健の養護教論として皆に尽くそうと改めて誓い、保健室に戻っていった。
  68. 87 : : 2014/05/14(水) 13:15:06
    (22)三人の時間、二人の時間

     日曜日の昼過ぎ、イブキは一人で自宅アパートのドアを開けると目の前には
    大きく白い雲がぽっかりと浮いていた。最上階に位置するそのアパートから
    眺める雲は近くて、手を伸ばせば届きそうな雰囲気を醸し出す。
     晴天が目の前の雲の白さを引き立てているのだと感じると、右頬は自然に上がった。
    彼女が目に映る些細な風景にも頬を緩めるのは、大切な存在であるエルヴィン・スミスの
    自宅に招かれていたからである。
     イブキは逸る気持ちを抑え、自分の部屋の鍵を閉めると徒歩で移動できるエルヴィンの
    マンションへ足早に向う。その日はアルミンと3人で食事をすることになっていた。

    「おじゃまします…! アルミンくん、こんにちは」

     イブキがエルヴィンの部屋のインターフォンを押すと、アルミンが笑顔で彼女を
    招きいれる。
     アルミンの後ろに立つエルヴィンは部屋でくつろいでいて、カジュアルな格好をしている。
     上着は白いTシャツだけだった。エルヴィンはスーツをキレイに着こなせるように身体を鍛えることを怠らない。
     Tシャツの上からでもひと目でわかる厚い胸元にイブキは一瞬だけ視線を送る。
     アルミンに笑みを向けるが、エルヴィンの姿に心臓が一跳ねしても、
    それを気づかれないように微笑むが自然に表情は固くなっていた。

    「イブキさん、父さんに会えて緊張しているの?」

    「えっ…そ、そんなことないよ!」

     アルミンの突然の問いに慌てるようにイブキは目を逸らすが、彼の後ろには笑みを浮かべ
    エルヴィンが立っている。いつものようにイブキに近づき、彼女の腰にエルヴィンの
    手が添えられると強張っていた顔も自然な笑みに変っていた。
     イブキがキッチンに立ち、アルミンも手伝い二人が料理をしたり食器を洗う姿に
    テーブルに座りながらエルヴィンは目を細め眺めていた。
     食事が終わるとリビングのソファに3人は集まった。アルミンを真ん中に囲み
    左にイブキ、右にエルヴィンが座る。直後、アルミンがレンタルしてきたという 
    アニメのDVDを鑑賞することになった。

    「今ね、これがすごく流行っているんだよ!」

     アルミンがリモコンを操作して再生すると、そのアニメが始まった。
     人が人を喰い、その原因を突き詰めるグループと、『人喰い』を裏で
    操るグループとの激突ストーリーである。人が喰われる血しぶきがあふれるシーンに
    エルヴィンは眉間にシワを寄せた。

    「アルミン…これを3人で見るのはどうだろう…」

    「父さん! これね、ホントに今とても人気なんだよ!」

     拒絶反応を起こしている父に対して息子のアルミンはしり込みすることなく、
    このアニメに夢中になっていた。ストーリーが進んでいくと、『人食い』の謎に迫る
    グループのリーダーが部下たちに命令を下していた。

    『撃てーーー!』

     敵に対して銃口を向けるよう指示する力強い号令の耳にしたエルヴィンが息を飲んだ。

    「…このリーダー…俺に似ているような…」

    「こんなにカッコイイかな…?」

     イブキがエルヴィンに視線を送っていると、画面では長身、端整の顔立ちの
    金髪のリーダーが眼光鋭く敵を睨んでいた。その隣には同じような金髪の少年が仕える。
     やけに頭脳を働かせ知恵を絞り、リーダーの補佐的立場を担っていた。

    「この男の子は…アルミンくんに似ているね」

    「えっ…僕はそんなに頭脳明晰じゃないよ…」

     アルミンはイブキに言われた一言で妖しい笑みを浮かべる。父であるエルヴィンも
    イブキもストーリーに引き込まれ彼の笑顔を見ることはなかった。
     このアニメが終わると、アルミンはもうひとつ流行っているということで、DVDを
    再びプレイヤーにセットして、リモコンを操作する。
     別のアニメが始まった途端、先に声を上げたのはイブキだった。
  69. 88 : : 2014/05/14(水) 13:16:17
    「あーっ! このアニメは私も知っているよ! 海がない私の国でも流行っていたんだ」

     今度のアニメも、いくつもの海賊のグループが大海原を冒険するストーリーである。
     3人が見入っていると、男を次々と誘惑しては、自分に惚れさせるという
    黒髪で長身の女ボスが出てきた。またイブキが反応して、テレビ画面の女ボスに指差す。

    「この女ボスとね…友達から私に似ているって言われたことあるんだ…!」

    「ほう…似ているかもな」

     イブキのその声を聞くとエルヴィンも返事をしながらかすかに笑みを浮かべる。
     画面が変ると、その女ボスの特徴で、洋服から零れ落ちそうな丸々とした胸元が
    映されるとエルヴィンは息を飲んだ。イブキを見たと思うとまた視線をテレビ画面に移す。

    「エルヴィンさん…私の方が小さいって言いたいんでしょ?」

     イブキが両手で胸元を隠す仕草をすると、アルミンが肩をすぼめ、頬を赤らめる。

    「もう…二人とも僕の前でいちゃつかないでよ――」

     アルミンは二人に半ば呆れるようだが、父であるエルヴィンのイブキへの優しい眼差しで
    本当に好きなんだと感じる。父さんのこの笑顔がずっと続けばいいのに、とアルミンは
    心の中でそっと願っていた。
     アニメや映画を一通り鑑賞すると、夕食の時間となった。イブキが再びキッチンに立ち
    アルミンが手伝う。エルヴィンがテーブルを片付けたり、飲み物の用意をする。
     イブキがエルヴィンの部屋に招かれたのは初めてのことだが、3人の手際のよさに
    何度も食事をして共に繰り返してきたような光景が広がっていた。

    「父さん、イブキさん…僕、宿題があるから、部屋に行くね――」

     夕食が終わり、飲み物を飲んで一息ついていると、アルミンが自室に戻ると言うと、
    そのまま部屋に入っていった。
     アルミンは宿題があるのは事実であるが、父のエルヴィンとイブキを二人っきりにさせたい
    という彼なりの計らいだった。

    「私は…何時に帰ろうかな…」

    「今夜は泊まるんだろ?」

    「えっ…うん…」

     イブキはお茶を飲みながら、独り言のようにつぶやいたつもりが、
    エルヴィンが頬を赤らめ思わぬことを言う。その顔を見るとイブキは静かにうなずいた。 
     二人はリビングのソファでテレビを見ていると、エルヴィンがイブキの肩を抱き寄せると
    身体を預けるようにもたれる。密着した二人の空間が心地よい。
     エルヴィンはこの心地よさをずっと味わっていたい――。そんな気持ちに浸ると自然に
    頬が綻ぶ。
  70. 89 : : 2014/05/14(水) 13:17:57
    「この時間が…ずっと続けばいいな…」

    「いいねぇ…この、のんびりした時間はたまには必要…」

     イブキが返す声は心地よさで、ゆっくりと発していた。エルヴィンはイブキと
    いつまでも一緒にいたい気持ちで言ったつもりだが、イブキはその本質に
    気づかなかった。のんびりとした時間を楽しみたい、ということである。だがイブキは
    エルヴィンに大切にされ愛されているという実感もあり彼から離れたくない気持ちは強い。
     
    「イブキ…あれ? 寝てしまったか…」

     二人で話していたはずなのに、エルヴィンがだんだんとイブキから返事が遠のいて
    いく感覚がして、彼女に視線を送ると寝息を立てていた。イブキはエルヴィンにもたれながら
    そのまま寝入ってしまった。
     起こさないように静かに抱き上げようとするが、口角を上げ幸せそうな寝顔をしている。
     すぐに起こしてはかわいそうな気がするとエルヴィンはそのままソファに寝かせることにした。
     自分の部屋から毛布を持ってきてイブキに被せると、エルヴィンは彼女の頬に指先でそっと触れた。

    「…おやすみ」

     イブキの寝顔にささやくように言うとエルヴィンは静かにリビングから離れた。
     寝返りを打とうとしたイブキは、ちょうど高いところから落ちるような夢を見ていた。
     実際にソファから落ちそうになるが、寸前で目が覚め、一人でソファで寝てしまったんだと
    気がついていた。被された毛布でエルヴィンの温もりを感じると、そのまま身体を包み
    彼の部屋のドアに向っていた。
     ドアを開けると、シンプルなエルヴィンの自室でベッド以外は本棚やパソコン用の
    テーブルくらいしかない。寝ていたエルヴィンはドアの開く音で目を覚ました。

    「ごめん、寝ちゃった…」

     イブキの声の方向へエルヴィンは両手で招くとそばに寝かせる。
    背の高いエルヴィンは好んでダブルベッドで寝ている。二人が横になると、
    一人では広いベッドがちょうどいい具合になったとエルヴィンは自嘲の笑みを浮かべた。

    「疲れていたんだな…」

    「うん…ソファが心地よかったし…だけど、この部屋はずいぶんとシンプルだね」

     肩を抱かれたイブキはエルヴィンの胸元でささやく。イブキは長い髪を触れられ
    さらに心地よくなるようだった。

    「仕事を家に持ち帰ってもダイニングテーブルですることが多い…アルミンとは
    いつも顔を合わせていたいから」

    「優しいお父さんだね」

    「そうだな…でも今は…君の前ではただの男でいたい」

     ベッドの傍でオレンジ色に温かく光るライトがイブキの顔を照らす。イブキに覆いかぶさり、
    そっと互いの唇を重ねると、微笑む彼女に気持ちが抑えられないとエルヴィンはたやすく気づく。

    「エルヴィンさん…隣にアルミンくんが――」

    「大丈夫…こっそりと…」

     イブキの耳元にはエルヴィンの甘い声が響く。こっそり、と言いながらエルヴィンは
    イブキの唇を荒々しく求める。シャツの上から身体に触れると、イブキは心地よさから
    甘く苦しい声をささやきそうになる。

    「…イブキ、静かに…!」

     エルヴィンはイブキが甘くささやくよう、わざと声を出させるように彼女の身体に触れていた。

    「もう…意地悪…ん…あ」

     困ったようでも心地よく、揺れるような眼差しのイブキが愛おしい。再び唇を求めると、
    エルヴィンは自分のTシャツを脱ぎ、彼女のシャツのボタンに手を伸ばした。
     その夜の二人はゆたったりと肌を重ね体温を感じ合う。
     それでも心地よい時間に変りはなく二人は互いの身体におぼれていた。
     
  71. 90 : : 2014/05/16(金) 10:54:16
    (23)初めての『イッケイのお部屋』(#1)

     金曜の午後。その日は午前中から鉛色の空がどこまでも広がり、
    隣街にあるパティシエのカイのスクールへ通うペトラ・ラルは空を見上げ天気を気にしながら、
    電車に乗り込んでいた。
     改札から出ると目の前のアスファルトには雨粒が作ったいくつもの波紋が広がってゆく。
     薄いオレンジのパステルカラーの傘を差すと、鉛色の曇り空も少しは華やかな雰囲気に
    なるのかとペトラは感じていた。本当は彼女の意思でこの傘を持参したわけではない。
     リヴァイが出かける前に天気予報をチェックして、傘を持って行くよう促していた。
     だが、ペトラは雨は降らないよ、と返すが、濡れたら風邪引くだろう、という鋭い眼差しの
    彼の一言で持参することを決めていた。

    ・・・リヴァイさんの言うこと聞いてよかった…!

     ペトラはリヴァイに大切にされている、そう感じると傘に打ち付ける雨音さえ愉快にとらえ
    足早にスクールに向った。

     ペトラがスクールの授業を終えるとカフェ『H&M』にいつものように向う。
    オーナーのエルヴィン・スミスもリヴァイもカフェ内にいるが、忙しそうに接客していた。
     エルヴィンはペトラにその日の事務的な仕事を手短にお願いすると、
    彼女は早速カウンター席で取り掛かる。
     ティータイムに訪れた突然の団体客でカフェ内は人で溢れ、
    リヴァイはペトラが帰ってきても、挨拶さえ出来ずにいた。
     少しカフェ内が落ち着いてくると、ペトラはリヴァイに私も手伝う、というが、
    オーナーの仕事をするよう言われる。だが、彼女はすでにその仕事を終えていた。

    「こんにちは…! あれ? ペトラさん、お久しぶり…!」

     ガラスのドアを開けて入ってきたのはイブキだった。彼女はもちろん、リヴァイが
    結婚前提で同棲を始めたと聞いているが、ペトラとはすれ違いで会えずにいた。
     イブキはペトラと久しぶりに会うため、カウンター席の彼女の隣に座り、話し出す。

    「ねぇ、ペトラさん、この街の生活は慣れた?」

    「うん…生活はほとんど慣れたけど、でもこの街のことはあまり知らないの」

     ペトラはイブキに笑みを交え、カウンター席にあるアイスカフェオレのグラスを手に取った。

    「私もこの街は近所くらいしか知らないなぁ…」 

     イブキはペトラに比べ比較的長くこの街に住んでいるが、仕事柄、部屋に篭ることも多く
    徒歩圏内の施設くらいしか知らない。

    「そうだ! 同じクスールに通う友達から、『イッケイさんたちの店』に行ったことがあるか、
    って聞かれたんだ!」

    「あぁ…あのお二人の店ね…!」

     ペトラが好奇心から目を輝かせイブキに問う。すぐにイブキはゲイバーのママ、
    イッケイさんとマッコイさんを思い出す。
     丸めた拳を口元に近づけ、笑みを堪えながら目じりはエルヴィンを追っていた。

    「私の友達が言うには…人生相談や恋愛相談に乗ってくれるんだけど、
    でも、すごく怒鳴られて…だけど、納得できるような話をしてくれて、
    最初は怖くて泣いていたのに、最後はうれし涙に変るんだって!」

    「そうなんだ! 何だか面白そうね…」

     イブキは右口角を上げ指先を顎にあてがう。何度か会ったことがあるイッケイさんたちの
    お店に行ってみたいという興味が沸き始めていた。

    「イブキさん、今夜、時間があったら一緒に行きませんか?」

    「いいねー! 私もぜひ行ってみたい! あのお二人って一体どんな話をするんだろうね――」

     二人は早速、待ち合わせの時間を決めていた。その時のエルヴィンとリヴァイは
    団体客が長居をしていて、また常連でもあるため、二人はまるでその団体の
    専属のように勤しんでいた。イブキとペトラの会話は勘の鋭い二人にはもちろん届いている。

    ・・・イブキとペトラさん…ママたちの店に行くって…どういうことだ?

     エルヴィンが珍しくイブキの姿を見ながら首を傾げる様子に
    リヴァイはきっと同じことを考えているのだろうと睨んだ。

    ・・・ペトラ…この街でお前の知り合いは少なく、もちろんイブキさんと仲良くなるのはいいが…だが…
    イッケイさんたちの店は俺さえ…まだ行ったことがない…
     
     二人の心配をよそにイブキとペトラはカウンター席で楽しげに話していた。団体客が帰ると、
    リヴァイとエルヴィンは二人の話に加わり、その日の夜にイッケイさんたちの店に
    行くことを改めて知ると、エルヴィンは目を見開いて驚いていた。

    ・・・ママたち…イブキに何かするわけないか…長い付き合いだし――
  72. 91 : : 2014/05/16(金) 10:55:37
     ペトラと笑みを交わすイブキの肩に触れると、彼女の身を案じる。
     付き合っている女性がいると知ってもイッケイさんとマッコイさんは変らず常連でいてくれる。だが、初めてイブキを目の前にしたときの二人が唖然とした顔を思い出すと、
    エルヴィンは喉を鳴らして息を飲む。

     その日の夜は早い時間に降っていた雨はすでに上がっていて、
    星がチラホラ眺められる夜空がその街のネオンを包んでいた。
     ペトラとイブキが待ち合わせして『イッケイのお部屋』に入ると、他の客はおらず、
    二人がその日、初めての客だった。

    「いらっしゃい…あぁ…あなたは…エルヴィンの女ねぇ…」

     イブキをひと目見たイッケイさんは眉間にシワを寄せ、彼女を睨みつける。
    その日は赤いタイトなミニスカートから立派な脚を出している。
    白いシースルーのブラウスの中から薄っすらと黒い下着が見えるような衣装を着ていた。
     バサバサと音を立てそうな、つけまつげに睨まれたイブキは、目を泳がせる。
    その顔を見ても意に介さずイッケイさんは、ペトラには笑みを浮かべカウンターに座るよう促した。

    「ごめんなさいね…ママは本気でその態度をあなたに投げかけているわけじゃないわ…
    ただ、エルヴィンにのめりこんでいるから、焼きもちなのよ!」

     チー(小)ママのマッコイさんは小声でイブキに話しかけると、ペトラから数席離して
    イブキをカウンターに座らせた。
     最初は目が泳いでいたイブキはマッコイさんからママのことを聞いて安堵すると彼女は
    飲み物を注文していた。
     マッコイさんは大きな身体を隠す薄紫の色のカーテンのような生地が身体を包む。
     ふっくらとした唇にばら色に光るグロスを乗せ、艶やかに輝かせている。
     その唇が彼女のトレードマークである――

    「…ママはね、あなたにエルヴィンを取られたと思ってね…確かに悔しいけど、
    またさらに彼の色気が増した最近の姿を見ると…あなたのおかげだと思うわ」

     マッコイさんはイブキが飲み干したグラスに再びビールを静かに注ぐ。

    「エルヴィンはね…奥さんが…あ、ごめんなさいね――」

     イブキの前で、マッコイさんがエルヴィンの亡き妻、ミランダのことを話そうとしたとき
    はっ、として目を見開き、大きな手で顔を押える。マッコイさんはエルヴィンの色気の原点を
    考えていると、ミランダのことを自然に思い浮かべていた。
     イブキは気にせず、どうぞ、というと彼女は話を再開する。

    「奥さんはね…かすかに覚えているけど、そこのカフェをオープンして、初めて二人を
    見たとき…『何、あの美男美女? 男をこっちによこせー!悔しい!』って、見てるだけで
    ムカムカさせるお似合いのカップルだったわ…確か。
    それが突然、あんなことになっちゃって――」

     マッコイさんもミランダが交通事故で突然死したことを知っていて、エルヴィンが嘆き
    悲しんでいる姿を思い出すと、ハンカチを取り出し、目じりの涙を押えていた。
     イブキはマッコイさんの涙にエルヴィンはこの街の人たちに大切に思われている、と感じる―― 
  73. 92 : : 2014/05/16(金) 10:57:19
    「でね、奥さん…残念だけど亡くなって…そのあとクラブの営業も始めたんだけど…
    彼の男の色気に気づいたときから私たちはもう夢中だわね」

    「それで、毎週金曜日のダンスが始まった…?」

    「あぁ、あれね――」  

     ほぼ一方的に話しているマッコイさんは喉が渇くと、スパークリングワインを飲む。
    グラスの脚の部分を支える指先はネイルサロン仕立てで、爪先のスワロフスキーが
    照明に反射して輝く。

    「――それでも私たちは月に数回行く程度の常連だったのよ。だけど、あるとき…
    あの曲がかかったとき、突然エルヴィンが一人で踊り出したのよ…そしてよく見たら
    泣いているわけ…! 恐る恐る近づいて、理由を聞くと…
    『妻と踊った初めての曲だ、聴いたら踊らずにはいられない…妻と一緒にいるようだ』って
    言うの…涙流してさぁ…」

     再びマッコイさんはその当時のことを思い出し、目じりの涙を拭く。つけまつげの上に
    たっぷり乗せたマスカラが落ちないか気になるようで、しきりにハンカチに移る涙を見ていた。

    「もうエルヴィンの涙に…私たちは居た堪れなくて…私たちでよかったら、
    一緒に踊っていいかしら? って言ったら『もちろんだ』って抱き寄せられ、しかも
    あの甘い声が耳元でささやかれると…それから、もう何年も毎週金曜日は一緒に踊っているわね」 

    「そういうことだったんですか…!」

     イブキはエルヴィンがイッケイさんたちと踊る経緯を知ると、少し切ない気持ちになる。
    亡き妻を深く愛していた、ということも同時に知ると自分は太刀打ちできないのでは、
    という気持ちが心中に過ぎり、眼差しは少しだけ影を落とす。

    「もう…何その顔は…! まぁ…私たちが知る限り、色んな女性客がエルヴィンに言い寄ったけど、
    私たちが阻止しなくても、見向きもしなかったわ…それなのに今じゃ、
    あなたに夢中みたいだし…もうお手上げだわね、だから…自信をお持ちなさい!」

    「はい…! ありがとうございます」

    「ほんっと羨ましいわ! あんないい男に抱かれてるなんて!」

     突然、冗談とも本気とも取れることをマッコイさんに言われると頬を赤く染めるが、
    イブキも負けずと言い返す。

    「――幸せですよ! あの厚い胸板に抱かれるのは!」

    「あらやだ…! ホント悔しいわ…! ママ…今の聞こえた?」

    「えぇ…もちろん、バッチリ…」

     マッコイさんがイッケイさんを隣に呼び寄せると、二人にイブキは睨まれる。

    「言うよね~! ほんとにっ!」

     イッケイさんはエルヴィンを取られた気でいるため、これ以上『惚気話』をさせないように
    イブキの口元を閉じるように人差し指を彼女に伸ばす。
     その指先はマッコイさんと同じように手入れされたネイルで光輝く。
     近づいた『ゴツイ』指先を見つめるとイブキは少し仰け反り、眼差しは自然に寄り目になっていた。
  74. 93 : : 2014/05/17(土) 08:58:48
    (24)初めての『イッケイのお部屋』(#2)

     ゲイバー『イッケイのお部屋』のママ、イッケイさんがイブキと顔を突合せ話していると、
    一人の女性客が入ってきた。その顔を見るとイッケイさんは眉間にシワを寄せた。
     すぐに恋愛相談目当ての客だと気づくとカウンターに座らせ飲み物のオーダーを取る。
     その女性客は若くて流行の派手なメイクで露出のあるファッション、高いピンヒールを履いている。
     巻いている髪を指先で『くるくる』といじるのがクセなのか片手でスマホを持ち、
    もう片方の指先で『くるくる』回してキレイにネイルアートされた爪先が髪に絡んでいた。

    「あら…あなたは何度目かよね…? ここに来たのは?」

    「何回目かな…? 忘れたぁ~!」

     若く甲高い声が響くと、イッケイさんは不愉快らしく、無愛想に口角を上げ、タバコに
    火をつけた。この女性客をひと目見て眉間にシワを寄せたのは、客とはいえ、不愉快に
    なってしまうだろうと、予想が付いていたからである。イッケイさんは煙をくゆらせると、
    タバコを持つ手の肘をもう片方の手で支えた。

    「で…今回の相手は誰なの?」

     苛立つ口調のイッケイさんはその女性客に冷めた眼差しを送る。目を合わせようとせず、
    彼女はスマホに視線を落としていた。

    「ずっと同じじゃないですか! これでも一途なんですよ、わかんないかな~」

    「知るわけねーだろ!」

     鼻がかかったような語尾にイッケイさんは女性客に毒づく。 灰皿にタバコを押し当てるが、
    苛立ちから指先に力が入った。
     先端は瞬く間につぶれ、もう1本のタバコに火をつける。

    「で、その相手は誰なの?」

    「えーっと…そこのクラブのDJやってるリヴァイ!」

     ネイルアートで輝く指先がクラブ『FDF』の方向を指すと、ペトラはその女性客に目を見張り、
    イブキは飲んでいるビールを噴出しそうになっていた。

    「あぁ、リヴァイなら私も『FDF』によく行くし知っているわ。で、彼が好きなの?」

    「きっと、リヴァイも好きだと思いますよ! アタシとよく目が合うから…!」

    「あなたが…リヴァイを好きなの? ちゃんと質問に答えて…!」

     女性客が目を合わせて話してきたかと思われてもイッケイさんの質問に答えず、
    スマホにばかり気を取られている様子に苛立ちを表していた。肝心のその女性客は
    イッケイさんの気持ちを意に介せず、友達からのメッセージが入ると、彼女を無視して
    スマホの操作をしていた。イッケイさんはビールを一口飲むと、落ち着いた口調で再び質問する。

    「だから…あなたがリヴァイを好きなの?」

    「えーっ! 何度も言ってるじゃないですか、アタシがリヴァイが好きって! もう、わかんないかな~」

     イッケイさんは大きくため息をつくと、グラスに入っているビールを一気に飲み干した。
    ママが苛立っている、とひと目でわかるとマッコイさんは新しいビールを用意する。

    「でぇ、ママに聞きたいんですけど、リヴァイと付き合うにはどうしたらいいですか?
    全然話せなくて、目は合わせてくれるのにぃ、照れてるのかなぁ~」

     その声にペトラは顔を引きつらせ、イッケイさんはタバコを指先に挟むと妖しい笑みを浮かべた。
  75. 94 : : 2014/05/17(土) 09:00:11
    「ハッキリ言って…見込みどころか、リヴァイの眼中にあなたはいないわよ。私はあのクラブは
    長いこと常連だけど、リヴァイと目が合うってことはきっと彼がフロアを見て客層を
    チェックしているだけよ。個人的に目が合った、って思うなんて大きな勘違いに決まっているわ」

     本来、ヘビースモーカーではないイッケイさんは何度か煙を口から吐くが、
    苛立ちを解消するように自然にタバコに頼っているようだった。

    「――で、彼が女の子と話すってのは、だいたいが自分の選曲の感想や音について
    色々聞かれるときくらいじゃないかしらね」

    ・・・えっ…! イッケイさん、リヴァイさんのこと…ちゃんと見てるんだ…!

     イッケイさんのその声でペトラは少し頬を赤らめ、グラスを口元に運んでいた。
     リヴァイはペトラに心配させまいと、女性客と話すときはイベントのときや
    営業中、曲のことで質問されたときのみ、と話していた。
     目を細め引き続きペトラはイッケイさんの話に耳を傾ける。
     女性客はイッケイさんの言うことに納得せずふくれっ面を晒していた――

    「リヴァイはアタシのこと見てるし~ママの勘違いですよ~!」

    「それに決定的に見てないのは、あなたはタイプじゃないってことよ!」

    「えーっ! わかんないじゃないですか、それって~」

     女性客の間延びするような語尾に苛立ちながらイッケイさんはペトラと目が合うと
    突然彼女を指差す。

    「――リヴァイのタイプってこんな感じだわ!」

    「ちょーウケるんですけど! 全然地味じゃないですか! あり得ないですよぉ」

     その夜のペトラはジーンズに白いブラウス、その上からパステルピンクのショールを
    身体に巻いている。彼女は近所に住んでいるだけでなく、すぐ帰るかもしれない、と考えると
    いつもの外出のスタイルに比べ、カジュアルな格好をしていた。

    「リヴァイはね、こういうタイプがクラブにいると、いつも目線で追っているのよ!」

     キレた口調で喉仏を上下に動かしながら女性客に言い放つが、ペトラはさらに
    顔を強張らせる。イブキは笑ってはいけない、と思いながら顔を上げられずにいた。

    「こういうね、『ほわ~ん』とした温かい雰囲気のコが好きなのよ、リヴァイは!」

     『ほわ~ん』という表現を説明するため、イッケイさんは両手の平を上に向けて手に乗る
    綿を持ち上げているような仕草をするが、女性客はその姿に顔を左右に振り、言下に否定する。
  76. 95 : : 2014/05/17(土) 09:01:18
    「――それはナイ、全然ナイ…あ、きた」

     友達のメッセージを確認すると、バッグからサイフを出して清算を済ませ、スマホを
    握り締めると、友達と共に『FDF』に向うという。

    「じゃあ、イッケイさん、今から行くけどー、
    今日も思ったより何もアドバイスにならなかったー! うけーる~!」

    「はいはい、あなたはリヴァイに相手にされないわ、残念でした~」

     イッケイさんは残念でした、と言いながら女性客に首を傾げ軽く手を振る。
     女性客はドア付近で振り返り、勝ち誇った表情を振り撒くと、一瞬だけペトラを見て
    またイッケイさんに視線を移した。

    「絶対、今日はリヴァイと一緒に帰る~!」
     
    「ハイハイ、わかった…今度はまともな恋愛相談を――って、聞いちゃいねー!」

     イッケイさんの話の途中でドアを閉めると、女性客は足早に友達の下へ向った。
    指先のタバコを灰皿に押し付けイッケイさんは大きくため息をつく。

    「リヴァイは簡単に落ちないわよ」

     小さな吸殻の山を作ってしまった灰皿をイッケイさんが片付けるとペトラに広く大きな
    背中を見せていた。
     ペトラはリヴァイの行動をちゃんと見ているイッケイさんが頼もしく心強く感じる。
     いつもリヴァイに見せる愛らしい笑みを浮かべ、ペトラは新しいカクテルをオーダーしていた。
  77. 96 : : 2014/05/19(月) 11:25:27
    (25)初めての『イッケイのお部屋』(#3)

     若い女性客が帰った後、ゲイバー『イッケイのお部屋』のママ、イッケイさんは
    ビールをグラス半分ぐらい飲み干すと、ふーっと大きくため息をついて、ペトラに視線を送った。

    「あなたも恋愛相談に巻き込んでごめんなさいね…だけどさぁ、そこのクラブのDJやってる
    リヴァイって知っている…? 彼ね、とてもクールなんだけど、きっとあなたのこと好みだと
    思うわ…ぜひ紹介したいんだけど、いいかしら?」

     ペトラ・ラルはイッケイさんにリヴァイを紹介すると言われ、面食らうが頬を強張らせて
    その誘いに答えることにした――

    「あの…私、リヴァイさんと同棲しています…結婚前提で」

    「あら、やだ…! そうだったの!?」

     イッケイさんは動揺してうろたえるが、その声を聞いたマッコイさんも近づき二人は顔を見合わせた。

    「あなた…何度か『FDF』に来た事あるわよね?」

    「はい、ありますよ!」

    「リヴァイが目で追いかけていたってのは…あなただったわ、確か…うん、ん…?」

    ・・・たぶん…このコ以外にもいた…はず?

     イッケイさんはビールのグラスに口元に近づけると目線を宙に浮かせ泳がせる。
     ペトラはイッケイさんの眼差しが急に狼狽するように上下させるため、自分以外にも
    リヴァイが女性を目で追っていたかもと感じると、くすりと微笑み口元を押えた。

    ・・・もう…リヴァイさんったら…でも、見られていたならいいか――

     嬉しさで口角を上げるとペトラもグラスを手を伸ばす。
     同時に再びイッケイさんとマッコイさんの視線を感じると顔を上げた。

    「まぁ…リヴァイは人気者だし、あなたたちのことはここでの秘密にするわ」

     イッケイさんとマッコイさんはペトラにウインクしながら、唇を人差し指にあてがい
    内緒、という意味で唇をすぼめた。その二人にペトラとイブキは強張らせた笑顔を返していた。

     直後、数人の女性客が来ると、彼女たちは『まともな恋愛相談』目的でイッケイさんに会いにきていた。
     ある女性が失恋から立ち直れない、ということを涙を流しイッケイさんに話す姿を見ると
    ペトラもイブキも話しに聞き入っていた。ペトラが聞きつけた噂通り、イッケイさんは最初、
    彼女の至らないところを厳しい口調で追及すると、泣かせてしまった。
     だが、思い当たる節があって、彼女は反論することなく、ハンカチで目元を押えていた。
     カウンターからイッケイさんは彼女の手のひらを握ると、
    笑みを浮かべ柔らかい口調で語りかける――

    「大丈夫、あなたなら乗り越えられるわ…だけど、あなたの魅力がわからないおかしな男も
    いるもんね、まぁ不幸だわね、そいつ」

    「そ、そうですよね…」

     鼻声になりながら、女性客はイッケイさんに腫らしたまぶたの視線を送る。
  78. 97 : : 2014/05/19(月) 11:27:11
    「ホント、いい気味だわ! って思ってなさい」

    「はい、ありがとうございます」

     女性客の背中に立つマッコイさんは背中をさすり、大丈夫よ、と励ますと、
    まだぎこちないが、少しずつ彼女は笑顔を取り戻し、背筋を伸ばす。

    「――イッケイさん、マッコイさん…私、新しい恋に向って頑張ります!」

    「そう! その前向きな気持ちがあれば、必ず出会えるわよ」

     この女性客が笑顔になると、イッケイさんとマッコイさんも安堵したように
    女性客を目を細め見つめていた。イブキは二人のこの姿を見ながら、彼女の大切な存在の
    エルヴィン・スミスを追いかける姿を思い出していた。

    ・・・涙を笑顔をする人たちなんだね…彼女たちのストレス発散の相手が
    エルヴィンさんなら…仕方ないか…

     イブキが自嘲の笑みを浮かべイッケイさんとマッコイさんを見ていると、
    バーのドアがゆっくりと開かれた。
     その夜のイッケイさんの話が長引いている。
     それ故、エルヴィンが二人のママを迎えにやってきていた。

    「エルヴィンさん…どうして?」

    「イブキさん、ホント…オーナー、どうしたんだろ?」

     イブキとペトラはバーのドアから最も離れたカウンター席の隅に座っていたが、
    エルヴィンの登場に気づいていた。
     イッケイさんたちが金曜の夜の、いつもの時間に『FDF』に現れないと、
    エルヴィンが出迎える、という彼の仕事をイブキとペトラは初めて目の当たりにしていた。

    「エルヴィン、またあなたに手間を取らせてしまって…ごめんなさい――」

     イッケイさんは目の前のエルヴィンに恍惚な眼差しを送り、赤い唇が少し開く。
    エルヴィンもいつものように甘い言葉を投げかけようとしたとき。

    「ママ…今夜も色っぽく…何より美しい…イ、イブキ…?」

     イブキに気づいたエルヴィンは目を見開く。肝心なイブキは笑いを堪え目を逸らし、
    あえて彼を見ないようにしていた。エルヴィンが珍しくうろたえる姿に
    イブキを意識していると、イッケイさんにはすぐに気づかれていた。
     エルヴィンに手を差し伸べると、イッケイさんは妖しい笑みを口元に宿らせる。

    「――そうだ、エルヴィン…今夜はあなたを独り占めにしてもいいかしら?」

    「もちろんだ…」

     甘い声と共にエルヴィンの細く長い指先がイッケイさんの手に絡むと、彼女は全身が
    火照った感覚がして、真紅のバラのように頬を染めた。

    「――皆さん、この方は」

     イッケイさんはエルヴィンの手を握りながら、彼のことを説明すると、甘い声と漂う
    ファーレンハイトの香りに女性客たちは魔法にかかったように『FDF』に向かうという。

    「新しい出会いが…あったかも…!」

     失恋で涙を流していた女性客がエルヴィンを頬を赤らめ見つめる姿にイブキは
    驚きで声が出そうになるが、あえて呑み込んだ。 
     ママたちが手早く閉店の準備をすると、バーの女性客と共に『FDF』行くことになる。
    イブキが最後にドアから出ると、待ち構えていたのはエルヴィンだった。
  79. 98 : : 2014/05/19(月) 11:28:09
    「イブキ、まだいたのか…?」

    「ええ、楽しい人たちだから長居しちゃった」

     エルヴィンは深夜近い時間までペトラと二人で『イッケイのお部屋』にいることに
    ため息をついて、イブキに半ば呆れた笑みを向ける。

    「ペトラさんも一緒だし…リヴァイも驚くだろう――」

     エルヴィンはイブキの隣に立つと、いつもの通りに彼女の腰に手を添えようとしたときだった。

    「エルヴィンさん、今は私じゃなくて、イッケイさんでしょ!」

     エルヴィンがイブキの腰に手を触れようとすると、彼女はその手を掴み、イッケイさんに
    触れさせた。茶目っ気溢れる笑顔を残すと、ペトラと足早に『FDF』に向った。
     イッケイさんは自分たちがエルヴィンに夢中になる気持ちを理解するイブキに息を飲んだ。

    「エルヴィン…だから、あなたが惚れたんでしょうね、彼女に…」

    「あぁ、そうだな…」

    「でも、悔しいわ…」

     イッケイさんはエルヴィンに触れられ、このまま抱きつきたい気分に浸るが、それを邪魔したのは
    もちろんマッコイさんである。二人にまるで羽交い絞めにされるように歩くと、エルヴィンが
    途中で宙に浮きそうになった。
     3人の目線の先には楽しげに談笑するイブキとペトラが先を進む。

    「ペトラさん、今夜は一緒に楽しみましょうよ! ここまで来たら――」

    「そうね、だけど…あの女性客がどうなったか、気になるかも…リヴァイさんは大丈夫だと思うけど」

    「そうね…私も…」

     イブキはエルヴィンに頬を赤く染め、失恋から立ち直った女性客が気になっていた。
     楽しみたい気持ちだけでなく、二人はもちろん信じているが、自分たちの大切な人に
    気持ちを寄せる存在が気がかりだった。

    「オーナー…お疲れ…! 何? ペトラ、どうした…?こんな遅くまで」

     エルヴィンが『FDF』にイッケイさんとバーにいた女性客全員を連れてくると、
    その中にペトラが含まれることに眉に力を入れ目を見張った。
  80. 99 : : 2014/05/19(月) 11:29:24
    「たまにはいいでしょ?」
     
     イタズラっぽい笑みをリヴァイに振舞うと、彼に誘導されカウンター席に座り
    すぐに背筋を伸ばしフロアを眺めていた。ペトラは早速、リヴァイが気になるという
    女性客を探していた。エルヴィンもイブキにカウンターに座るように言うと、名残惜しそうに
    彼女を見つめながら、イッケイさんと共にテーブル席で飲むことになる――

    「ペトラ、誰かを探しているのか…?」

     ペトラは『イッケイのお部屋』で会った女性客の特徴を言うと、リヴァイが目線を上げ目元が険しくなる。
     ペトラのためにその客を思い出そうとしていた。

    「あぁ…確か、ブース前で踊っていたが…男と帰った」

    「そうなんだ…! よかった…のかな?」

     ペトラは首をかしげリヴァイに返す。男性の出会いがあったかもしれないが、もしかして
    バーで連絡を取り合っていた友達は男友達のことだったのか、と勘ぐっていた。

    「まぁ、あの…リヴァイさん…今日もお客さんいっぱいだね」

    「そうだな、金曜日の夜は特にストレス発散したいんだろう――」

     ペトラが目を細めフロアを改めて眺めると、リヴァイはビールの入るグラスを口元に寄せた。
     長時間ブースで立って疲れていたはずだが、ペトラを見ると気持ちは安らぐようだった。

    「何だか…楽しそうで、よかった…」

     エルヴィンに頬を赤らめていた『イッケイのお部屋』の女性客はクラブに来たのが久しぶり
    なのか、
    音に酔いしれ、楽しげに身体を動かしていた。
     直後、ブースにいるジャン・キルシュタインにリヴァイが合図を送ると、
     金曜の夜の宴を告げるEarth wind & FireのSeptemberが鳴り響くと、
    この音以上の存在感で、エルヴィン、イッケイさんとマッコイさんがフロアを支配する――

    「もう、エルヴィンさんったら…あんなにもみくちゃに…! でも、この曲は大切な思い出…なんだよね」

     イッケイさんはイブキに見せ付けるように早速、エルヴィンのシャツのボタンを器用に外すと、
    その手を胸元に滑らせていた。
     イブキはこの曲がエルヴィンにとって大切な思い出が詰まっていて、
    またイッケイさんたちが、彼が悲しい過去に向き合える力を与えてくれる、というのなら
    彼にとってもこの金曜の夜は必要な時間なんだと、感じていた。
  81. 100 : : 2014/05/19(月) 11:30:33
     フロアの客が踊るか、エルヴィンたちのダンスを見ていると、ペトラが隣のリヴァイの
    耳元に唇を近づけると、二人は自然に身体を寄せ合う。

    「リヴァイさん、あのね…今日、この街に住めてよかったって思ったよ!
    ホント、私はリヴァイさんと出会えて幸せだよ」

    「そうか…」

     耳元でくすぐったいペトラの弾む声が響くと、リヴァイはぶっきら棒に返す。
    だが、声を出したと同時に誰も自分たちを見ていないことがわかると、
    ペトラの頬に手を寄せそっとキスをした。

    「ペトラ、今夜も帰りが遅くなる…悪い――」

     愛らしい微笑をリヴァイに向けると、ペトラは顎を引き下げ、うなずいた。
     彼女の頭をポンと軽く触れると、Septemberから次の曲に変り、
    リヴァイがフロアを見ると、エルヴィンがイブキに向い近づく。
     エルヴィンのシャツのボタンは乱れていて、厚い胸板が晒されていた。

    「もう、エルヴィンさんったら…!」

     イブキがエルヴィンのボタンを留めようと、彼に手を伸ばすと、そのまま抱きしめられた。
    肌蹴た胸元へ直に顔をうずめるイブキは心臓が一跳ねすることを感じ、そのまま見上げる。

    「こんなに乱れて…!」

    「イブキ、今日はあまり話せなくて、すまない」

    「平気よ、気にしないで…」

     エルヴィンがイブキの顎に触れキスしようと、彼女の顔に近づき目を細めると、
    イッケイさんに力強く首根っこをつかまれ、踊る前まで座っていたテーブル席に連れ戻された。
     何かバケモノに連れ去られるようにエルヴィンの目は恐怖に満ちていて、テーブル席に
    座らせると、早速イッケイさんとマッコイさんに挟まれ恍惚な眼差しを送られていた。

    「今夜は…イッケイさんたちに…だけど、エルヴィンさんは奥さんのことすごく愛していたんだね…」

     イブキはふと、エルヴィンの心に自分が入る余地はあるのかと過ぎると
    彼女の心はチクっと針が刺されたように痛み心細さが募る。
     
     隣に座るリヴァイとペトラが見つめ合い話す姿やイッケイさんたちの楽しげな姿を
    目の当たりにすると、人との繋がりで、いい縁に恵まれていると実感する。
     イブキ自身もこの街に住んでよかったと改めて感じていた。
  82. 101 : : 2014/05/20(火) 11:52:28
    (26)あなたと、永遠(とわ)に(第4章最終話)

     クラブ『FDF』のオーナー、エルヴィン・スミスがその日、全ての営業を終え、
    自宅に向おうとする頃、漆黒の闇が彼の上空を包んでいた。
     息子のアルミンが自宅に一人でいるため、足早に帰ろうすると、同じテナントビルの
    地下へ繋がる階段付近から男性の怒鳴り声が響いてきた。その声に馴染みがあるため、
    エルヴィンは耳を傾けると、ただ事ではないと感じ、気がつけばその場所へ繋がる階段を下っていた。

    「――お願いだ、俺とやり直してくれ…頼む、この通りだ」

     エルヴィンがショットバー『ザカリアス』のドアを開けると、男性客がカウンターに額をつけ、
    嘆願している姿が彼の視界に入る。

    「お願いだから、帰ってよ、もう…あなたとやり直す気持ちなんてないわ」

    「ナナバもそう言っているだろう…もう帰ってくれ」

     ミケ・ザカリアスはナナバを庇い、カウンターを隔て彼女の元夫、ゲルガーに対して
    帰るように促していた。本来、物静かな彼が人を睨み、怒鳴りつける姿にエルヴィンは
    余程のことが起きているのだと察し、目を見開いていた。
     ゲルガーは長身で浅黒く、リーゼントヘアが特徴である。目鼻立ちがハッキリしているが、
    眉の合間が狭く、それがさらに鋭い眼差しを醸し出していた。
     ナナバと元の鞘に納まりたい気持ちのゲルガーはナナバが経営するバー、
    『シャトー ウトガルド』に会いに行っても、このところすれ違いで会う事はなかった。
     数日前、彼がバーの馴染み客と街中でバッタリ会うと、
    ナナバが『ザカリアス』に顔を出している、ということを聞きその夜、駆けつけていたのだった――

    「――3人とも、落ち着いて話そう」

     エルヴィンが3人の前に近づくと、ミケはゲルガーを睨みつける。同じようにゲルガーも
    ミケを睨み、今にも殴り合いが始まりそうな空気が二人を包んでいる。

    「だから、落ち着こう…!」

     エルヴィンが息を飲み恐る恐る近づくと、ゲルガーは一瞬だけ彼に視線を送ると
    すぐにミケに戻した。

    「関係ない人には引っ込んでもらいたい、これが落ち着いていられるか!」

     ゲルガーが勢いよく言い放ったと同時に手を水平に振りかざすと、カウンター席に
    置かれていたビール瓶に当たってしまった。エルヴィンが踏み込もうとした足の下に
    転がる瓶が滑る混む。彼は歩みのバランスを崩すと激しく右ひじを床に叩きつけてしまった――

    「…うわああっ…痛っ…」

    「エ、エルヴィン…! 大丈夫か!?」

     目の前でエルヴィンが転んで喚き声を上げると、ミケがカウンターの内側から飛び出し、
    彼の傍に寄る。
     身体を丸め、右腕を庇う姿にミケは骨が折れたかと想像すると彼に触れられず、顔面蒼白になった。

    「ナナバ…救急車を呼んだ方がいいだろう…頼む」

    「う、うん…わかった」

     青ざめるミケの顔を見ると、ナナバは自分のスマホを取り出し震える指先で番号を押した。
  83. 102 : : 2014/05/20(火) 11:54:16
    「すいません…俺がしたことで、こんなことに…」

     ゲルガーはその場に立ち尽くし、ミケがエルヴィンを介抱する姿を見ていた。
     救急車の手配が済んだナナバは呼吸を整え、強張る唇を押さえつけ、
    ゲルガーを睨む眼差しは鋭く眉間にシワを寄せていた。

    「ゲルガー…何てことするのよ、あなたは…昔から後先考えずに行動するから――」

     語尾が強い口調と共にナナバの頬には涙が伝った。
    右手薬指で目元の涙を拭うその視線の先にはエルヴィンを介抱するミケがいる。

    「ミケ…イブキさんに電話して…今のエルヴィンさんには彼女が必要でしょ?」

    「あぁ、う…うん、わかった――」

     ミケも身体を丸め痛がるエルヴィンがイブキに連絡するのは無理だろうと思っていたが、
    まさか、ナナバがその提案をするとは予想さえしなかった。その時のミケとナナバの関係は
    良好で、二人の部屋に行き来する関係になっていた。
     ミケはイブキへの気持ちを心の奥に収め、彼女の顔がチラつくことはだいぶ少なくなっていた。
     ためらいながら、ミケは自分のスマホでイブキの番号をタップする――。
     長い呼び出し音の末、彼女の声が耳に届いた。
     ミケは懐かしい声に元気はなく、ミケは自分が夜中に突然電話をしたからだろうと、察する。
     イブキに懐かしい気持ちが沸いてきても、その気持ちを抑え強い口調で話し出した。

    「イブキ…落ち着いて聞くんだ…」

    「えっ…?」

    「エルヴィンが『ザカリアス』で怪我をした――」 

    「ええっ!」

     イブキが驚き戸惑っていると、そのまま電話は切れてしまう。ミケは彼女の様子から
    そのまま、『ザカリアス』に来るだろうと踏んでいた。
     救急隊が到着して、エルヴィンの腕の具合を診ていると、イブキも『ザカリアス』のドアを
    開けていた。

    「エルヴィンさん、どうしたの? 何があったの…?」

    「イ、イブキ…俺は大丈夫だ…」

     苦痛で表情をゆがめても、イブキには心配かけまい、というエルヴィンの気持ちは強い。
     救急隊がエルヴィンを腕の腫れを診ながら折れている可能性があると告げられ、イブキの
    顔色も青ざめていく。

    「スミスさん、担架を用意しましたので、横になりましょう――」

     エルヴィンが腕の痛みで歩けないと判断した救急隊が彼を担架に寝かせるとイブキも
    付き添い、救急車で病院に向った。
     『ザカリアス』にいても、イブキはミケと目を合わせることはなかった。
     エルヴィンを心配して、動揺するイブキをミケは見つめていた。
     もう自分のことは忘れてしまったのかという気持ちが一瞬だけ過ぎるが、
    ナナバが今にも倒れそうに身体を揺らす姿を目の当たりにすると、ミケは彼女の傍に近づいていた。

    「ゲルガー…もう帰って、お願いだから」

    「すまなかった…俺はいつもおまえの幸せの邪魔をするようだ…
    ミケさんと言ったな、ナナバをよろしく…」

     弱々しい口調で二人に会釈すると、ゲルガーは背中を丸め『ザカリアス』から離れていった。
     寂しいゲルガーの後姿にナナバはドキっと心臓が一跳ねするが、彼が帰ったことにより、
    緊張の糸が切れ、足元から崩れ落ちそうになった。

    「ナナバ、大丈夫か…?」

    「ごめんなさい…ミケ、私は平気」

     ミケは倒れそうになったナナバをそのまま抱きしめていた。まだ短い間ではあるが、
    自分のことを大切に想ってくれるナナバをそれ以上に大切にしなければと改めて感じていた。
  84. 103 : : 2014/05/20(火) 11:55:40
     エルヴィンが運ばれた病院はやはり、亡き妻のミランダが亡くなった病院で
    再び彼女の死亡診断書を書いた医者が迎え入れていた。

    「スミスさん…またどうして…?それにあなたは――」

    「私の大切な人をお願いします!」

     イブキがエルヴィンを心配して、青ざめる姿に彼女に対して、
    やはり特別な存在の女性だったかと思い浮かべていた。

    「わかりました、処置室へ」
     
     エルヴィンが治療を受けている間、イブキは廊下の長椅子に待っているが、握る両手は
    かすかに震えていた。
     エルヴィンの右腕は骨折ではなかったが、骨折寸前のひびが入っていて、
    治療が終わると大事をとって一晩、病院で過ごすことになった。 

    「スミスさん、こちらで朝まで様子を伺います。付き添いの方はどうされますか?」

    「もちろん、こちらで朝まで一緒に」

    「わかりました」

     エルヴィンが病室に案内されると、イブキが付き添うことになった。
     医者は安堵した表情を浮べていた。エルヴィンの怪我が重症でなかっただけでなく、
    妻を亡くして嘆き悲しんでいた彼に大切な存在がいることがわかったからだ――

    「エルヴィンさん、何があったの?」

    「俺の不注意だ、誰も悪くない」

    「そう…」

     エルヴィンの固定された右腕は包帯でキツく巻かれ痛々しさを現していた。
     痛みから解放され、安心感からため息をつくがベッドサイドの椅子に座り涙ぐむ
    イブキを眺めていた。

    「私と一緒にいて…二度も病院で治療するくらいの大怪我をしてしまうなんて…」

    「いや、前はかすり傷だろう」

    「でも、こんなことが二度もなんて――」

     イブキが真珠のような大粒の涙を浮べると、エルヴィンは左手を伸ばし彼女を抱き寄せた。

    「どんな困難でも、君と一緒なら…受けて立とう、俺一人よりまだいい」

     エルヴィンの穏やかな声に存在する力強い言葉で、イブキは目を見開き頬に一筋の涙が伝う。

    「俺は…いつまでも君と一緒にいたい、もう離さないと言っただろう?」

    「えぇ…私も離れないと言った…」

     エルヴィンはイブキを強く抱きしめた。離さない、というのは亡き妻のミランダが
    交通事故死で目の前から突然消えてしまったという過去がある。その耐え難い経験から
    エルヴィンは自分の大切な人は離したくない、という強い気持ちが芽生えていた。
     右腕に激痛が走ったとき、咄嗟にイブキの顔が浮かび、訳もなくまた看病してもらうことになると、
    思い浮かんでいた。目の前のイブキの温もりを感じると、その思い浮かんだことを
    深く気にすることなかった。
     エルヴィンの大きな手のひらの温かさを感じながらイブキはようやく笑みを浮かべ彼を見上げる。
  85. 104 : : 2014/05/20(火) 11:58:00
    「いつまでも一緒にいたい…なんて、何だか今のプロポーズみたいね」

    「俺は…そのつもりだが?」

    「ええっ!」

     目を見開き驚くと身体を仰け反らせながらイブキは椅子から立ち上がった。
    イブキはエルヴィンから愛されている、と言う実感がある。だが彼は亡き妻のミランダを
    今でも愛し、自分が彼の心に入る余地はあるのか、と感じることがある。
     プロポーズみたい、とイブキが冗談で返したのはエルヴィンが自分に対して
    本気でそんなことは言わないだろうと、寂しい気持ちも募るがそう察していた。
     そのためエルヴィンの反応に驚き隠せず身体で表現していた。

    「あの…私でいいの?」

    「俺の気持ち…気づいていると思っていたのだが…」

     エルヴィンが鼻で笑い、呆れた眼差しを送る。イブキは息を飲み口ごもっていた。
    『奥さんをまだ愛しているでしょ』という言葉を口元に用意していたが、イブキはそれを呑み込んだ。
     目を細め優しい眼差しに変るエルヴィンが正直な気持ちを自分にぶつけていると
    イブキは感じる。

    「えっと…あの…私はプロポーズされるなら、『結婚してください』ってハッキリ言われたいから…」

    「そうか…」

     イブキを手招きすると、再び目の前の椅子に座らせエルヴィンは唾をゴクリと飲んだ。

    「け、けっ…け…」

     いざとなると、エルヴィンの唇は強張り、声を上ずらせ肝心な言葉を発せられなくなる。
     エルヴィンの一生懸命な表情にイブキは頬を緩め、今度は彼女が唇を動かす――

    「…私と結婚してくれますか?」

    「はい!」

     エルヴィンが快活に返事をすると、早速イブキを抱き寄せそのまま誓いのキスをした。
     左腕の抱擁は強く、イブキを苦しめるくらいエルヴィンは唇を押し当てていた。

    「もう、エルヴィンさん! 息ができない…! それに誓いのキスってこんなに長いの!?」

    「長かったか…? もう君のことを離したくない…痛っ…」

     イブキを強く抱き寄せキスをした影響でエルヴィンは右腕に負担をかけるような
    姿勢になっていた。痛みで苦悶の表情を見たイブキは再び眉間にシワを寄せる。

    「イブキ、そんなに心配するな…だが、しばらく看病して欲しいんだが…?」

    「うん、わかった…」

    「よろしく頼む」

     イブキはエルヴィンをベッドに寝かせると、彼が抱き寄せようとしたとき、
    巡回にきた看護師に見つかり、こっ酷く注意されていた。イブキが平謝りすると、
    どうにか宥められ、彼女は他の病室に向った。
     
     二人はこれを機会に互いが過ごす未来を見据えることになった。
     翌朝、エルヴィンは自宅に帰されるが本来右利きで、また車の運転がしばらく出来なくなる。
     エルヴィンは経営者として仕事を休むことなく続けるが、イブキは自分の仕事を
    一時的に休み、彼に付き添うことにした。

     これまでの付き合いで二人がほぼ一日、一緒に過ごせることが初めてで、
    特にエルヴィンは怪我を気にすることなくご機嫌になっていた。
     
     エルヴィンが怪我をしても、屈することはない。これまで以上に精力的に仕事をこなし、
    経営者として、というだけでなく父として、男としての責任感で輝いていた。
     ただイブキの前だけでは甘えた惚気顔を晒す。 
     誰にも見られていないだろうと、隙が出来たとき、リヴァイの鋭い眼差しと
    舌打ちがお見舞いされてもエルヴィンが意に介すことはなかった。第5章へ続く――
  86. 105 : : 2014/05/20(火) 11:58:22
    ★あとがき★

    皆様、いつもありがとうございます。
    第4章ではミケがナナバとイブキの合間で揺れ動くが、ミケはナナバを選びました。
    一番といっていいくらい、好きな相手がいても、自分を大事に想ってくれるのは誰だろう
    と考えたとき、ミケとイブキは実際に選んだのは互いではなかった。
    それでも心地よい幸せを築けることがある、ということを二人は気づいたかもしれないですね…。
    リヴァイとペトラも幸せを築いていますが、第5章では二人の幸せに起るものは…?
    またリヴァイのDJ風景があまりなかったのですが、第5章では書いていきたいと思います。
    第5章は…リヴァイの回りの人たちはどうなっていくのでしょうか…?
    皆様、引き続きよろしくお願い致します!

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著者情報
lamaku_pele

女上アサヒ

@lamaku_pele

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