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  1. 1 : : 2016/08/21(日) 14:56:35

    先生は、こう言った。


    「歌は、届くものじゃない。届かせるものよ」

    と。



    「あぁ……」


    私の口から出るのは、かつての賞賛された美声じゃない。ただの、老いぼれのようなかすれ声。


    それもそのはずだ。



    私にはもう、『届かせる』資格なんて、ないのだから。


  2. 2 : : 2016/08/21(日) 16:41:37

    「……宇佐美さん?」


    柔らかに吹くあたたかい風が、白いカーテンを揺らす。青空に蝉の声が染み渡っていった。



    「宇佐美さん、大丈夫?」


    「……あ、」


    どれだけの時間、そうしていただろう。
    つくづく耳が痛くなるほど静かだった。薬の匂いがする。白いナース服、白いベッド、白い壁、白い床、白い病衣、白い、

    白い肌。


    「宇佐美さん、さっきからどうしたの? 何かあった?」


    「あ、いえ。すみません」


    西内先生はほっとしたように息を抜いて、いつでも相談しなさいよ、と笑った。


    「コーラス部は、どう?」


    この世界は何もかも、誰かが白いペンキで塗りつぶしてしまった様に白い。

    先生の足の包帯も、白い。



    「ちゃんと練習している? 顧問がいないからって練習を怠ってはだめよ」



    先生の手の包帯も、白い。



    「何か変わったことがあったら、いの一番に私に伝えること。わかってる?」


    「……はい、わかってます」



    声を、絞り出した。

    そのまま、叫んでしまいたかった。




    変わってないことなんてあるはずない。むしろ全て、変わってしまった。先生が事故に遭ってから、全ての部員が、部活の雰囲気が、


    コーラス部が、全部変わってしまった。



    「……ねえ、宇佐美さん」


    「はい」


    なるべく快活に返事をして、作り笑いをする。
    笑い、作れているのだろうか。



    「大野さん、学校来なくなったんだって?」


    「はぇっ!?」


    私は思わず大声をあげてしまった。


    呆れた様に、先生のポニーテールが風になびく。



    「昨日、前田さんが珍しくお見舞いに来てくれて。何かと思ったら、大野さんが学校に来なくなったって、それだけを伝えて、そのまま帰ってしまって」


    「そん、な……」



    さっ、と血の気が引いた。


    「ねえ、どういうことなの?」


    「それは、ええと」


    「宇佐美さん、大野さんと同じクラスでしょう。大野さんが学校に来ていないことを知っていて、私に言わなかったの?」


    静かだ。

    静寂の中に、先生の声だけが聞こえる。

    まるで、一人で歩く人間のように。




    先生はそっと目を瞑る。これは途方もなく呆れた時の動作だ。


    「まあいい。次からはちゃんと伝えるようにね」


    「……なんでなんでしょうね」


    「……え?」


    「なんで、かれんは部活にも来なくなっちゃったんでしょうか」



    私も目を瞑ってしまった。

    だって、そうしないと涙が溢れ出しそうだったから。



    「あんなに、綺麗な声なのに」



    私は答えを求めていた。先生が、慰めの言葉でもかけてくれると思った。



    しかし、先生は声がないかのように黙っている。先生には、原因がわかっているはずなのに。その気になれば、かれんを学校に来させる方法だってくれるはずなのに。


    先生の口が、開いた。



    「宇佐美さん。あなた、もう帰りなさい。わかっているの? 会計っていう役職を背負っていても、もう受験まで半年なのよ」



    私は無言で頷く。

    立ち上がると、少しふらついた。




    体が、軸を失ったようだった。
  3. 3 : : 2016/08/22(月) 20:57:22

    カーテンを開けると、溢れんばかりのまばゆい光が私の目を突き刺す。それでもなぜか目を閉じることができないのは、私のどこかが歪んでしまったからなのだろうか。



    「……んっ」


    ぱんっ、と頬を両手で叩いて限界まで挟み込む。今日も頑張らないとだめだ。かれんがいなくなった今、私達3年生がしっかりしないでどうするのだ。



    「千尋、いるの?」


    「あ、実澪」


    振り返ると、音楽室の入り口に楽譜を持った実澪が立ち尽くしていた。手には白くどこまでも細い指揮棒を握りしめている。誰にも取られたくないという気持ちがそこににじみ出ていた。



    「今日も早いんだね。そんなに早く来て、何があるの?」


    「実澪こそいつも早いでしょ?」


    「別に。私は副部長のポジションを守る為に早く来ているだけだし」



    ああ、そう、と気の利かない返事を返しながら、私は気取られないようにため息を漏らす。

    3年間も密につき合ってきてまだこんなにやりとりがぎこちないなんて、私自身もどうしていいかわからない。前田実澪がただただプライドを守る為に部活に出ていること、優越感を感じる為に強豪合唱部に入ったこと、それは確実にわかっている。



    「ねえ、千尋」


    「……ん? どうか、した?」


    「いや」



    ただ、私もかれんもそれは諦めている。実澪がどのような目的で副部長に立候補し、指揮者を頑にやり続け、部活に毎日早く来ているかなんて私達が気にすることではない。

    だから私は実澪が、苦手ではない。



    「なぜ一週間ほど前から、かれんは学校に来なくなったの? クラス内のいざこざとか、何か心当たりはある?」


    「……ううん」


    時折実澪の澄んだ瞳に飲み込まれそうになりながら、私は続ける。



    「クラスでのいざこざなんて、なかったよ。かれんはいつもああだから、クラスでも人気者だし。グループ内でもリーダーみたいで、突然ハブられることはないよ」


    「そう」


    ならいいけど、と実澪は窓に目を向ける。


    朝の空気は心地いい。けれど、何か足りないような気がする。




    「先輩、おはようございます」


    威勢のいい男子の声が音楽室に響いて、私と実澪はほぼ同時にはじかれたように顔をあげた。



    「あぁ、おはよう」


    「私達も今来たところなんだ!」


    「すみません、他の高2と高1はすぐ来るので」



    男子部員が外に出ていく。他の部員の声が近づいてくる。

    かれんがいなくても、今日は始まり、そして終わる。



    「千尋」


    「えっ、何?」


    実澪はゆっくりと歩き出す。



    「私達だけで、大丈夫」


    そして扉のところで振り返ると、珍しく微笑んだ。

  4. 4 : : 2016/08/22(月) 21:13:41

    「おはよう、ちーちゃん!」


    声をかけられて、びくりと震える。

    手に持っていた本がぱたりと倒れた。



    「あ、おはよう!」


    「ねえねえ、かれんちゃんは?」


    またそれか。

    私の頭の中に、突然それだけが湧いた。



    「かれんは……朝練にも来てなかったよ?」


    「そっかー」



    その子たちは顔を見合わせて、作り笑いをする。まるで、役に立つ返答を返してこなかった私はもういらないとでもいうように。



    笑いながら帰っていく彼女達を見つめ、私はまた本に目を落とす。



    かれんが学校に来なくなってから、コーラス部もかなりの騒ぎようだ。しかし、それより何倍も騒いでいるのがかれんと私のこのクラスだった。

    かれんは冷静沈着、容姿端麗で、入学当初の高1からもうすでにものすごい注目を集めていた。歌のテストではその美声が発揮され、更に憧れの視線を浴びている。そんなかれんが突然不登校になるなど、何かがおかしい。誰もがそう感じている。



    「大野さんとは、連絡が取れないの?」


    「うん。まあもともとマメなタイプじゃないからしょうがないのかもしれないけどね」


    「へえー……」



    うんざりして本を読み始める私、次々やってくるクラスメイト、


    もうこりごりだ。
  5. 5 : : 2016/08/23(火) 16:58:07

    「ごきげんよう」


    斜め45度の礼をして、私は教室を飛び出した。つかみ取った鞄の中で、ペンや消しゴムが踊りだす。電光石火の勢いで教室からいなくなろうとする私に、クラスメイトが声をあげた。


    「宇佐美さん! 大野さんのことなんだけど……」


    「ごめーん、今日急いでるから!」



    冴えない走り方で音楽室に向かう。私は毎日、何をしているのだろうか。目立ったこれという親友はいないし、クラスのヒロインでもないというのに、これではマスコミに追われるアイドルではないか。いや、言い過ぎだろうか。


    「やばいやばい……」


    「千尋」


    ぐいと手を引かれて、私はその場に座り込んだ。



    「全くあなたってほんと世話が焼けるんだから」


    「実澪……」


    実澪が私を音楽室に引き込み、静かに扉を閉める。


    「音楽室通り過ぎようとしてたわよ」


    「はぇえ……」


    私のツインテールがしなる後ろで、女子達のすさまじい足音が扉越しに聞こえた。





    「今日も、追いかけられてるの?」


    「まあ、そうだけど……そんなんじゃないけどね」


    「大変ね。かれんのせいで」



    私は顔をあげた。仁王立ちしている実澪の顔がかすかに曇っている。


    「あ、いや、別にそういうんじゃなくて。実澪もかれんを責めるの、やめてあげてほしいの。きっとかれんもかれんの事情があって」


    「こんな迷惑かけてるのに、学校に来ないの?」


    「……実澪」


    「夏休み明け、すぐ都大会なのに。みんなで春の地区大会、突破したじゃない」


    やっぱり、そうなんだ。

    私の唇は震えるのをやめられない。



    「みんなで都大会頑張ろうねって、約束していたのはかれんじゃない。どういう事情があろうと、もう関係ない。もう7月なの、もう、」


    「実澪っ!」



    私は耐えかねて叫んだ。

    声を荒げる実澪の近く、扉が開いて、そこには後輩達が立ち尽くしていた。



    「……あ、こんにちは」


    「……な、なんかごめんね。さ、準備しよっか」



    痙攣する足で立ち上がって、私は駆け出す。扉の近くで立ったままの実澪を心配そうに覗き込みながら、後輩達がそれぞれの準備を始める。



    「……もう、時間はないのに」


    か細い実澪の声が、耳まで届いた。



    「あの人のせい、だ、あの人がもっと注意を払っていれば……」


    違う、と叫びたかった。

    違う。違うんだ。


    譜面台を握りしめる拳が、いつの間にか震えている。


    それでも私は叫んだ。



    「みんなー、譜面台運ぶの手伝ってくれない?」


    「……はい!」


    それが少し戸惑っている声だとしても、必ず返事は返ってくるのだから。


  6. 6 : : 2016/08/23(火) 17:45:47
    私が会計を務める私立月山高校のコーラス部は、部員も多くなく、顧問も一人しかいないが、毎年強豪校を破って都大会に出場する自慢の部だ。顧問の西内先生が部長だった時には全国大会で優勝している、伝統の部活でもある。



    「発声いきます」


    はい、と返事が返ってきて、私はピアノの近くに立つ。
    いつもはこのポジションも部長のかれんがやっているところだが、一週間前から臨時で私がやることになった。


    ピアノの音色に合わせて、部員達のありったけの声が響きだす。音楽室の壁と共鳴して、更には学校中を震わせていると考えると、とても気持ちがいい。だから私は、コーラス部が好きだ。




    「じゃあ、朝練の続き。朝練の部分練習を参考にして、まず通してみよう」


    「千尋。副部長は私なんだけど」


    指揮棒をケースから取り出しながら、実澪がこちらを睨んだ。後輩達に愚痴を聞かれたのもあるのだろう、少しいらついているようだ。


    「あぁ、……ごめん」


    「まあいいけど」


    眼鏡の奥の目が私の心を握りしめる。実澪が三つ編みを揺らして向き直ると、部員達は一列に並んで、スタンバイしていた。私も後輩に続く。


    実澪がCDプレイヤーのスイッチを押した。



    軽快な前奏とともに指揮棒が動きだす。それで私達は気分よく歌いだす……そこまでは同じ。

    だけど、何かが違う。




    カンカンカン、と実澪が指揮棒で譜面台を軽く叩いた。



    「みんな、声出てない。かれんがいなくなってから声小さいよ」


    「はい」


    「声小さい」


    「実澪、落ち着いて」


    「私は事実を述べたまでなんだけど」


    「実澪、これは通しだから。止めないで」


    「副部長は私だってさっきも言ったでしょう」


    何かが喉の奥でつっかえて、引っ込んだ。いつも私は何かを言おうとしている。だけど、何も出てこない。実澪のあの目で全てぐちゃぐちゃに握りしめられて、終わってしまう。



    また音楽が流れ出す。相変わらず何かが違う。実澪もそれを感じ取っているのだろうが、通しだからという私の言葉を聞き入れてくれたらしく、止めない。

    あの、美声がない。


    美しく滑らかに、優雅に音楽室を包んでいた、あの声がない。




    「……っ」


    頭の中がひんやりとする感覚。脳内を冷たい風が駆け抜けた。嫌な予感がする。それでも私は歌い続ける。真ん中の位置から後輩達を見渡す。……あぁ、



    「すみません、前田先輩」


    一人の後輩が手を挙げた。


    「そこ、歌いやめないで。これは通しだって千尋も言ってたはずよ」


    あぁ、
    実澪の声が小さい。


    「指揮、早いです」


    会話がかみ合っていない。



    「はぁ? ごめん、全然聞こえないんだけど」


    「指揮が、早いんです。CDと全くあってないじゃないですか」



    私はプレイヤーに駆け寄り、音楽を止めた。

    実澪が咄嗟に私を振り返る。


    「ちょっと、千尋。通しって言ったのあんたでしょ?」


    「でも、うん、……ごめん」



    私は何も言えない。悔しくて悔しくて、仕方ない。


    今がチャンスとばかりに、さっきの後輩が実澪にもの申す。



    「前田先輩の指揮が早いです。CDと全くあっていません」


    「……私も、それは思ってた」



    嫌な予感は的中していた。実澪の指揮が、なぜか早くなっていっている。


    「なんで? いつもはあんなにリズムに厳しいじゃない」


    「今日は調子が悪いだけ。指揮の辛さなんて、わからないでしょう?」


    実澪がとげとげしい口調で私に言い、それから後輩に詰め寄る。


    「そりゃあ、指揮したことないので……」


    「ほら。素人が口出ししないで」


    「実澪!」


    今日の実澪は何かおかしい。いつもはあんなに完璧な指揮がここまで狂っている。しかもいつもより言葉が投げやりだ。



    「ほら、早く位置に戻って。始めるわよ」



    聞いてよ、と声をあげたかった。だけど、

    所詮私には何もできない。
  7. 7 : : 2016/08/23(火) 17:47:39
    期待です(∩´∀`)∩
  8. 8 : : 2016/08/23(火) 17:53:04
    >>7期待ありがとうございます!
  9. 9 : : 2016/08/24(水) 10:55:10

    月明かりが窓から差し込む。それを見上げて、いつもと同じ携帯のボタンを、無意識のようにタップした。


    プ、プ、プ、

    プルルルルルルル、プルルルルルルル、



    今日も終わる。

    つくづく私の人生は、いつも無意味だった。ロボットのように毎日、同じ様に、つまらない学校に通う。親友もいない教室に入る。決められた時間に、喧噪の中で一人昼食をとる。それからまた、つまらない授業を受ける。


    ただただそれを繰り返すだけの毎日だった。けれど、とりあえず幽霊部員くらいになろうと思っていたコーラス部に入ったとき、毎日が華やぎだした。

    私はコーラス部が好きだ。



    『はい』


    「あ、実澪?」


    『今日は何? 何か悩み事でもあったわけ? 今、勉強してるんだけど』


    「……いつもいつも、ごめん」



    決まり文句のように会話が続く。

    私はコーラス部の活動があった日、必ず何かを実澪に電話で相談している。なんでもいいのだ。声が出ない、後輩の様子がおかしい、夫婦喧嘩が止まらない。


    『まあ、別に私はいいわ。なれてしまったしね』


    「うん、ごめん」


    実澪のことも好きだった。入部した時は、コーラス部を諦めようとも思ったけれど。それも無理はないのだ。私の大切なたった2人の同輩になった人が、学年1の秀才かつ美人と、何も譲らないプライドが高すぎる冷血女子だったのだから。

    だけど、なんだかんだやってきて、私達は最高の同輩になっていった、


    はずだった。


    「あのね、実澪。私、やってみたいことがあるの」


    『今度は千尋、何をやるつもり? くれぐれも私に迷惑はかけないようにね』


    「うん。……その自信はないのだけれど』


    いつからだろうか。

    実澪とかれんの関係が、ぎくしゃくしだしてしまったのは。



    最初からぎくしゃくしていただろうか。いや、それは違う。あの2人は良きライバルであり、良き親友だったはずだ。いつだろうか。高2から? いや、違う、そのもっと後……



    「……あのね」


    『何?』


    「私、かれんに電話してみようと思う」


    やってしまった。

    携帯の向こうの空気が、凍り付いた。



    「あ、えと、その、だから、かれんを取り戻すの」


    もうだめだ、何をして取り繕っても、もうだめだ。

    それでも馬鹿な私は、一生懸命穴を縫う。今私と実澪の間に開いたであろう、破れてしまったであろう生地に、なんとか糸を通す。



    「みんな、今じゃ、だめなの。実澪もわかってるよね。みんな、不安なんだと思う。顧問もいなくてただでさえ不安なのに、かれんもいなくて。正直私も不安なんだよ」


    過呼吸になってしまうほど言葉を継いだ。実澪に、何か言われてしまう前に。


    「だってほら、実澪も、不安でしょ?」


    『……そう、かもね』


    冷たい声が私に降り注いだ。


    『そうよ。その通り。私達は所詮、かれんとあの人がいなければ、何もできない』


    「やめてよ実澪。西内先生をあの人って呼ぶのはやめてって、あれほど……」


    『黙って』


    だめだ。

    やっぱり何か違う。

    実澪は変わってしまった。実澪が憎んでいるのは、かれんじゃない。


    『副部長は私なの。私が今は、一番偉いの』


    うるさい、と携帯を叩き割ってしまいたい。何が一番偉いだ、馬鹿じゃないのか。



    『電話くらい、勝手にして。かれんは出るかどうかもわからないけど。どうせかれんのことだし、あの人のお見舞いにでも行ってるんじゃないの?』


    「もうやめてっ」


    プー、プー、プー、



    一方的に切られた。


    いつからだろうか。

    いつから、あの実澪は、冷血だけれど根はとても優しい実澪は、どこかへ行ってしまったのだろうか。



    先生が、事故に遭ってから、全ては変わった。


    実澪が変わったのも、その時だ。

  10. 10 : : 2016/08/24(水) 11:10:15

    あれは、いつのことだっただろうか。

    6月の、下旬だ。

    梅雨の明けきらない、もやもやとした天気が続いていた。だけど、あの日はずっと、どこまでも、透き通る様に晴れていたはずだ。気持ち悪いくらいに。



    地区大会で優勝し、都大会に出ることが決定し、コーラス部は浮き足立っていた。

    私はそこに、確かにいた。


    あれを、見ていた。




    その日、コーラス部の活動自体はなかった。私とかれん、そして顧問の西内先生は、地区大会の参加費用やそれまでの雑費を、会計の私を中心にまとめていたのだ。

    つまり、その日学校に残っていたのは、コーラス部では3人だけだった。


    だからかもしれない。後輩に気を遣わなくてもいいからと、かれんはいつもの冷静さを崩し、私と西内先生の前では明るく素直な姿を見せていた。



    「先生、整理終わりましたよ」


    「じゃあ、あとはレシートを貼るだけね。あ、もう最終下校時刻じゃない。先生も帰らないと」


    「一緒に帰りませんか? 駅まで!」



    そう誘ったのは、確かにかれんだった。



    「そうね、たまにはいいかしらね? 宇佐美さんも、大丈夫?」


    「はい。大賛成です」


    そこで反対しておけば……

    いや、反対するにしても何も理由がないじゃないか。そう自分を落ち着かせる。



    校門を出て、歩き出す。夕焼けが綺麗だったのを覚えている。私達の顔は少し赤く染まっていて、みんな笑っていた。

    考えてみれば、そこが幸せの頂点だったのかもしれない。


    そこからは、何もかも崩れていった。



    「先生! 駅まで競争にしませんか?」


    「それはちょっと……というか、先生結構早いわよ」


    「20代には負けません!」


    「失礼な……って、大野さん、フライング!」


    「ちょ、ちょっと2人とも!」


    私があのとき遅れていなくて、階段を2人と一緒に駆け下りていたら、何かが変わっていたかもしれない。私はあの現場にいて、2人を助けられたかもしれない。


    わからなかった。

    足の遅い私が校門を出て、2人を追いかけようとした瞬間、




    大きなトラックが、西内先生をはねていた。





    調子に乗ったかれんがこけて、先生が先走ったのだという。横断歩道の真ん中で、先生はかれんを待っていた。

    でも、だめだった。



    立っていた間に信号はとうとう赤くなった。

    夕焼けに染まるように、赤く、赤く。



    「せん、せい……?」


    「いやああああああああああああああ!!!」



    かれんの叫び声だけが、現場に残り続けていた。

  11. 11 : : 2016/08/24(水) 17:57:17

    「く……っ!?」


    私の息は荒くなっていた。天井が見える。

    また嫌な夢を見てしまった。あの日の夢だ。ひざまづいて立ち上がれないでいるかれんと、その向こうに見える真っ赤な……真っ赤な、夕焼けに染まったあの身体。


    嫌だ、嫌だ。もう過ぎたことだ。どうしようもない。思い出さなくていい。


    「やばい、もうこんな時間!」


    いつもより30分遅れて起きてしまった。朝食抜きで慌てて靴を突っかける。

    なんとかいつもの電車には乗ることができた。しかし、部室につくとそこには、もうすでに実澪が立っていた。



    「あれ? 実澪、今日は早いんだね。おはよう」


    返事は返ってこない。やはり昨日の電話のこともあるのだろうか。

    と思いきや、


    「……あっ、……千尋、おはよう」


    「なんか考え事? 大丈夫?」


    「平気よ」


    平気、という実澪は決まって何か企んでいる。しかし、今回は素直にぼうっとしていたようだったから、怒っているわけではなさそうだ。まあどちらにせよ実澪をこれ以上つつくのは得策ではない。


    「……おはようございます」


    「おはよう! みんな毎朝大丈夫? ちゃんと寝てる?」


    私は今日、ちょっと寝不足ー、といいながらおどけて後輩のところに走りよる。その瞬間、私は何かの異変に気づいた。

    後輩達は殺気立っている。いつものほんわかとした部員達じゃない。


    「寝てるわけないじゃないですか。こんな毎朝練習で」


    「ちょ……?」


    私はおどけた体制のまま固まる。どちらかといえばその殺気は、全て実澪のほうに向けられている気がした。他人事のようだが、怖かった。

    その当本人の実澪は何もかもを振り払う様に振り向く。そして同じ様にきつく、言い放った。


    「愚痴ってるんじゃだめ。早く準備しましょ」






    「ああ、もう……全然声出てないじゃん」


    実澪が冷静さを失っている。いつもはドジな私を冷静な2人がサポートしてくれる、それでコーラス部はなりたっていたのに。



    「朝は声が出づらいんだよ、だから……」


    「そんなことわかってる。私が言いたいのは、それにしても、ってことなんだから」


    「は?」


    実澪の言葉にカチンとくることが最近多くなってきた。しかし、少し吐き出すだけでそれ以上は続かないのが私だ。


    「ねえ、みんなも朝は出にくいでしょう……?」


    「まあ、そうですけどね」


    やばい、と思った瞬間、1人の部員が言った。


    「すみません。期末テストは終わったとはいえ、私達、夏休みの課題を少しでも進めたいので、帰ります」


    数少ない後輩が、全員音楽室から出ていく。


    「ちょ、みんな、ちょっと、」


    「仕方のない話じゃない」


    私はぱっと後ろを振り向いた。


    「みんな、声出てないんだし。私が怒るのも……」


    「度が過ぎてるんだよ」


    ああ、やっと言葉にできた。




    実澪の顔が青ざめる。


    「実澪は度が過ぎてる。なんで後輩の言葉を聞き入れようとしないの? なんで自分が偉いと思うの? そういうの、悪い癖だよ」


    「あっそ」


    実澪は強引に指揮棒のケースを掴み、音楽室を出ていった。
  12. 12 : : 2016/08/24(水) 18:16:11

    今日も、勿論かれんは来なかった。今、かれんは何をしているのだろうか。生きているのだろうか。電話してみたこともなかった。実澪にはああ言ったけれど、やはり勇気がなかった。

    そのうち、かれんは私が作った幻想ではないかと思ってしまいそうだ。



    「あぁ……なんで……」


    なんでだろう?

    いつから、こんなことが始まった?

    誰のせいだ?



    そんなことなんて、もうどうでもよかった。



    何分待ってみても、音楽室には誰も来なかった。たった1人、実澪以外は。

    信じていた部員は、とうとう散った。



    私が座ってそのまま石像のように固まっていると、実澪が音楽室の扉を開けたのだ。



    「あー、やっぱりいると思った」


    「実澪……これはどういうこと!?」


    「どういうことって、私が練習中止にしたから」


    「はあ!?」


    全く、察してよね、と実澪がわけのわからぬため息をつく。目の前が赤い。あの日の様に、どこまでも赤い。怒りで、真っ赤に染まっている。


    「もう練習なんてやらないよ。夏休みの練習もなし」


    「馬鹿じゃないの」


    私は叫んだ。


    「学校に来ないかれんのことを、罵ったのは誰!? 時間がないって言ったのは誰!? もう都大会、諦めるってこと!?」


    「そうね」


    殴り殺してやりたい。こいつは誰だ。私は誰だ。全てがわからない。



    「だって、部長と顧問が来ない時点で、もう部活ってのはおしまいじゃない。なのに練習を続けてただけ、まだましなんだよ。地区大会突破していい気になって、油断して事故に遭った。しかも部長はみんなわからない原因でずっと不登校。こんな状態で練習なんてしてたほうが馬鹿なの」


    「馬鹿って……!」


    「ま、それじゃ」


    「待ってよ」


    実澪はかろうじて立ち止まった。私はまくしたてる。



    「副部長の威厳は? 指揮者の権利は? どこに行ったの!?」


    「もうそんなものいらない」


    この背中を、そうだ、音楽室の扉までぶっぱなせばいいのだ。



    「部員達も、歌う気なんてないじゃない」


    「……え?」


    「だから私は、指揮なんてしない。する必要、ない」



    そのまま、私は呆然と立ち尽くしていた。どういう、ことなんだ。

    歌う気は、ない?


    そうだ、歌う気は、


    『届かせる』気は、ないのだ。

  13. 13 : : 2016/08/24(水) 20:58:26

    「どうしよう、どうしよう、どうしよう」


    私は陽が落ち始めた世界の中を、全速力で駆け抜けていた。駅まで、決して速くない、先生を救えなかったこの足で。

    学校に近い先生の最寄り駅で乗り換えて、およそ5分。そこから私はまた、走る、走る。息が切れて、もはや感覚も消えていく。


    話さなきゃ。

    話さなきゃいけない。先生に。どうにかしてもらわなければいけない。実澪のこと。実澪のせいでわれた、コーラス部のこと。原因不明で休み続ける、かれんのことも。



    「せん……せいっ」


    切れた息で病室のドアを開ける。先生のベッドは6人部屋の入り口から見て右方向、窓際。反射的に右を見ると、先生のベッドのカーテンは開いていた。


    「先生、……」


    「宇佐美さん、大丈夫? 今日は一段と息切れが激しいようだけれど」


    「先生に」


    私はやっと、顔をあげることができた。


    「聞いてほしいことがあるんです」




    息切れがなんとかおさまってから、私は先生と向き合って話し始めた。


    「単刀直入に言うと……コーラス部は、壊れかけています」


    先生は驚くだろうと、私は目星をつけていた。しかし先生は全くの無表情で、真摯な眼差しでただ私のことを見つめている。


    「原因は、実澪です。実澪は、かれんが来なくなってから……先生が事故に遭ってから、変わってしまったんです。本当に冷血になってしまったみたいに。よくわからないんですけど」


    先生は、何も言わない。


    「それで、後輩にも声が出てないとか、歌う気がないとか言って、とうとう部活をなしにしてしまって……一番やる気のあった実澪なのに、都大会は諦めるとか言い出したんです」


    1人でただただ語り続ける。


    「実澪をどうにかすればいいと思います、でも、どうにもならないんです。先生、どうにかしてくれませんか」



    私がここまで話しても、先生の表情は全くと言っていいほど動かず、心配になった。



    「……先生? 聞いてましたか?」


    「ええ、聞いていたわ。そこまでマナーのなってないことはしないわよ」


    違う、違う。
    これもいつもの西内先生じゃない。



    「ねぇ、宇佐美さん。一つ訊くけれど」


    「……はい」


    「実澪のせい、実澪をどうにかする、って、全部前田さんが悪いの?」


    「……え?」


    今度は私が表情を固めた。先生はあのきつい表情のまま、淡々と私に語り続ける。



    「わかってるの? あなた、前田さんと同じ3年生なのよ。なのにまるで他人事みたいに。どれだけ前田さんが悪かったとしても、前田さんの話を聞こうという体制はないの?」




    ……前田さんの話を聞こうという体制はないの?




    「実澪の話、を」


    「今のあなたは、何かから逃げようとしている。全部人に押し付けようとしてる。自分の意見を通そうと必死の前田さんをなだめるだけで、後輩の話も聞き入れてあげられないんじゃないの?」




    後輩の話も聞き入れてあげられない?

    私が?


    あれほど実澪に、後輩の話に耳を傾けろとうるさくしてきた私が?




    「それに、前田さんを私が説得するって、どうするのよ。病院内で携帯なんて使う気? 呼ぶとしても、前田さんがわざわざ病院なんかに来るわけないじゃない」


    「……すみませんでした」


    「いいのよ」



    西内先生だ。

    先生は先生に戻った。にっこりと笑うその顔が、懐かしい。



    「……ただ、あなたは3年生としての自覚がまだ少し足りない。会計なんだし、部長と副部長を支える立場として、もう少し自分で踏ん張るべきよ。あなたの話を聞く限り、それは今日怒ったばかりのことなんだから」


    「……はい」


    さわ、と風が先生の姿を揺らす。


    「……やって、みます」


    「今まであなたは弱かった」


    先生は言った。

    まるで自分に言い聞かせる様に。



    「だけど、今は強い。私はそう思う」



    ……来てよかった。




    「もう少し、踏ん張りなさい」


    「……はい!」



    やわらかな風が吹いたとき、陽は山の稜線へとさしかかった。
  14. 14 : : 2016/08/24(水) 21:04:04





    プ、プ、プ、

    プルルルルルルル、プルルルルルルル、


    あっ、


    「……もしもし、かれん?」


    繋がった。


    「私。千尋。……なんてこと、わかってるか」


    苦手な作り笑いを顔に貼付けて、


    「あのさ、かれん。単刀直入に言うけれど、だめ?」


    それでも、


    「……明日、学校、来られない?」


    それでもきっと、私は強くなったのだろう。


    「私、待ってるの。ずっと待ってたの。かれんが、来ること」


    だって、こうしてかれんに電話ができているんだから。


    「やっぱりうちの部、かれんが必要なの」


    感情はこめられているだろうか。


    「だめ、かな?」


    だけど、まだ、弱い。


    「……え? あ、……うん、うん」


    何度も何度も、だめ押ししてしまうところが。


    「そう、だよね」


    またこうやって、作り笑いをしてしまうところが。


    「夜遅くに突然ごめんね。……うん、またね」


    実澪には電話出来ないところが。



    「……おやすみ」






  15. 15 : : 2016/08/24(水) 21:12:02


    足が重かった。

    私はそれでも、どうしても学校に向かう。


    向かわなければならないから。


    「前田実澪、いますか」




    わざと大声でそう言った。

    実澪を反省させるために。



    「ああ、前田さん? ちょっと待っててください」



    実澪は案の定、教室の隅っこで本を読んでいた。
    実澪はいつも1人だ。わざわざそんな人を呼ぶ私はいつも、心配そうな視線を向けられていると感じる。



    「何?」


    「かれん、だめだった」


    「……は?」


    「電話したの」



    睨んだ。


    ……もう少し、踏ん張りなさい。




    「かれんに、電話したの。学校、行きたくないって」


    「……あ、そう」



    本を持った実澪の手が、かすかに震えている。



    「……だから?」


    「あともう一押しなの。だから、手伝ってくれない?」




    実澪の手は、まだ震えている。

    答えなんて、わかっていた。




    「わざわざそんなこと言いにきたの? 無理よ」



    実澪の声も、震えていた。



    「私はもう、関係ないし」


    「……ふぅん、そう」



    それじゃ、と踵を返す。その裏で私は考えた。

    やはり実澪の優しさを信じるのは甘かった。どうしよう。もう実澪は味方じゃない。変な意地の張り合いをしている小学生のような関係だ。



    私は何を、すればいいんだろう。




    部員も、実澪もだめ、かれんもだめ、先生も手伝ってくれない、



    「……あぁ」



    情けなかった。

    情けない声が出た。




    もうだめだ。

    もういやだ、



    頭を抱えて、大泣きしてしまいたい。
  16. 16 : : 2016/08/24(水) 21:24:11


    ーーーーーーーーーーーーー


    着信履歴

    7/10 20:16 宇佐美かれん




    私は携帯を握りしめて、ため息をついた。

    一週間ほど黙っていた私の携帯に、突如電話が舞い込んできたのは、昨日の夜のことだった。


    「……まさか、あの千尋がね」


    私は長くのびた髪をかきあげて、ため息をつく。



    千尋は努力家で、真面目で、どちらかというと品行方正な少女だ。穏便を好む。私とは全く別のタイプの人間。それ故に臆病で、いつも私と実澪のあとをついてきていたイメージがあった。



    「本当に千尋だったのかな」


    ただ着信履歴を見る限りは、そのまま、千尋なのだ。

    千尋が私に、しかもあんな内容の電話をかけてくるなんて、珍しすぎることだ。今まで私がはいと言ったら千尋もそれに合わせてはいと答えるような感じだったのに。



    だからだ。

    だから私は今、この道を歩いている。


    久しぶりに月山高校の制服に腕を通して、携帯を握りしめて。



    ばかばかしい、と笑われるかもしれない。そんなことか、と追い払われるかもしれない。だけど、私は決めたのだ。千尋が反論するということは、西内先生に相談することに値するのだ。



    「……失礼します」



    初めての病院だった。千尋なんかはいつも来ているのだろうか。

    先生のベッドに向かう。



    泣き声だった。しくしくと、押さえた様に泣いている。



    「あのぅ……西内先生……?」



    閉ざされたカーテンをそっと開けると。

    そこには、


    宇佐美千尋の泣き顔があった。


    「かれん……?」



    その顔はまっすぐに、私を見つめていた。



    ーーーーーーーーーーーーーーー
  17. 17 : : 2016/08/24(水) 21:41:02


    「かれん……?」



    掠れた声が喉から絞り出されると同時に、

    しまった、と思った。



    見られた。



    「あ、ええと……?」


    「あら、大野さん。珍しいわね。ほら、ここ座って」



    かれんは私の隣りのパイプ椅子に座らされる。



    「……千尋、泣いてるのって私のせい?」


    「ええ、それもあるけれど」



    先生は包帯をしていないほうの手で、私の背中をさすってくれている。かれんの凛とした美しい声が、耳にここちよい。



    「宇佐美さん、昨日大野さんに電話したんですって?」


    「……あぁー、はい」


    私もそのことで……と言いかけるかれんをさえぎって、先生は続ける。



    「それで答えがよくなかったっていうのもあるけれど、どうやらコーラス部が壊れてしまって、どうやっても立ち直れないみたい」


    「コーラス部が、壊れる……?」


    かれんが珍しくものすごく驚いた表情で先生に聞き返す。



    「ちょ、千尋、壊れたってどういう……」


    「どうやら私も大野さんもいなくなって、部員の不安が歌に出てしまって、それに不満を隠せない前田さんとぶつかったみたいなの。それで……」


    「嘘、嘘、そんな」



    かれんは顔面蒼白で地面を見つめている。




    「……先生。千尋と、二人きりで話をしてもいいですか」



    かれんの声が、ずしりと重く、心に響いた。












    「……今まで気づいてあげられなくて、ごめんね、千尋」


    「ううん、いいの。だってかれんが学校に来なかったのも、何か事情があってのことだったんでしょ?」


    「……それに、ついてなんだけど」


    かれんが遠くを見ながら言う。



    「私ね、今は大丈夫なんだけど、道路を見ると突然、フラッシュバックするの。目の前で人がはねられて、命はとりとめたけれど、全身に大けがを負ってるの」


    思えばこうしてかれんときちんと話すのは、いつぶりだろうか。


    「だから、学校に来れなかったの。食べ物だって食べる気にならなくて、人とも喋れなくて」


    いつも勝っていたかれんが、こんな表情をするなんて。


    「もちろん、歌うことだって、できなかった」


    かれんはぴとりと止まって、私を見つめた。


    「これからも歌うことは、できない」


    「どうして? 声は、出てるじゃん」


    私が強くそういうと、かれんは首を振った。




    「……もう私には、『届ける』資格なんてない」


    「……どういう、こと?」


    かれんは哀しそうな目で地面を眺めている。



    「私は、人の、……西内先生の、たいせつな体を傷つけた。奪ってしまった」




    そんな、ふうに。


    かれんがそんなふうに、考えていただなんて。



    「私だって、歌いたいけれど」


    「歌えばいいじゃない」


    「だから……」


    「奪ってしまった、だからこそだよ」



    かれんの表情が素直になる。

    私は微笑んだ。



    「元気を、また先生に届かせればいいでしょ?」


    「千尋……」


    「お願い」


    私は目の前の美少女の、小さな手をとった。



    「私、先生に歌を届かせたい。そのためには、かれんの力が必要なの」



    強くなった。

    今の私は、誰よりも強い。


    かれんの目から、一筋の綺麗な光が零れ落ちた。

  18. 18 : : 2016/08/24(水) 21:54:50


    「かれん! こっちこっち!」


    一つの人影が、異常に光を放っている。

    かれんだ。



    突然学校に来て、かれんはそれこそアイドルのようにおいかけ回されている。またいつもの日常が戻ってきた。クラスメイトたちも安堵の表情で、私まで何かほっとしてしまう。


    「ちょっと、大野さん!?」


    「ごめーん!」


    「馬鹿、そんな声出したら……!」


    ありったけの力で、かれんを実澪の教室まで引っ張り込む。朝の教室は騒がしい。


    「前田実澪、いますか!」


    私は叫んだ。昨日より大きな声で。



    また実澪が迷惑そうに出てくる。しかし、その表情はいっきに変わった。


    「かれん……」


    「話したいことがあるの。ちょっと来てくれない」





    トイレの近くの目立たない場所で、私達は3人、そこに立った。


    「実澪。本気なの?」


    「何が?」


    「都大会、諦めるって」


    「またそのことを訊くの?」


    うんざりした様に実澪は言う。


    「今かれんは戻ってきても、まだあの人は治るまでに時間がかかるでしょ。それに」


    また嫌な予感がした。


    「指揮者もいないじゃない」


    「はあ?」かれんがすかさず突っ込む。


    「何よそれ。実澪が指揮者でしょ?」


    やめて、と言葉が出たのと同時に、実澪は自信ありげに言い放った。



    「あんな無気力な部員に、私は指揮したくない」


    そうだ、私は実澪の不満の原因を、かれんに言っていない。だめだ、どうしよう。どうしよう。かれんはなんて言うだろう。



    パァン。






    すごい音が響いた。


    「はぇえ……っ」


    また変な声が出てしまう。



    「最っ低。部員の歌がうまくないから指揮しない? わけわかんないんだけど」


    「ちょ、かれん、やりすぎだってば」


    「は? うまくないとは言ってないでしょ?」


    真っ赤な跡を頬につけた実澪が、尚も反論する。


    「同じことだよ。部員に不満がある? 部員にやる気がない? そのやる気をそいでるのは、まぎれもなくあんたでしょ!?」


    周りの人の目がきつい。目立たない場所とはいえ、これは厳しすぎたか。


    しかし、実澪は何も言い返せない。ただ呆然と、口をあんぐり開けている。



    「じゃ、私達はこれで」


    「待ってかれん、どこ行くの?」



    かれんはにやりと微笑んだ。



    「今日、午後練やろう。全員の部員に声かけようよ」

  19. 19 : : 2016/08/24(水) 22:59:41

    「ねぇ……かれん、本当にやるの?」


    「なんか千尋らしくないね。都大会、目指すんでしょ? だとしたら、練習しなきゃ」


    「うん、そうだけど」


    「それじゃ、やるよ」


    力強くそう言ってピアノの前に立つかれんの姿は、いつか見たその姿とは違った。

    私達は届けたいのだ。本気で、


    西内先生に、

    部員達に、

    実澪に、


    届かせたいのだ。この歌を。




    「ねぇ……はいる?」


    「馬鹿じゃないの。帰ろうよ」


    「いや、でもさ……部長、言ってたじゃん?」



    発声いきます。

    かれんの透き通った声が、音楽室を包んだ。



    「今日来なかったら、……退部、だって」



    はい。

    私は明るく、そう、答えた。


    ピアノの音が鳴りだして、私達は軽快なリズムで発声を始める。




    「突然部長も来て……しかも、宇佐美先輩もあんなやる気でさ」


    「でも、副部長は来ないしね」



    実澪は、来なかった。

    あれだけ言っても、来なかった。私達はそれでも、歌い続ける。





    「……え」




    ドレミファソファミレド。



    「……前田、先輩」


    かれんのピアノが、ふと鳴り止んだ。



    「みんな、今までごめん」


    実澪が、謝った。



    「私、もう一度やってみる」


    「み、れい」



    かれんの口から零れ落ちる。



    「……歌を届けるの、手伝ってくれない?」


    「実澪」


    「かれん!」




    かれんは、音楽室の扉を開けて、飛び出した。


    「ちょっとかれん……!」



    涙の粒が、光って消える。

  20. 20 : : 2016/08/24(水) 23:10:40


    ーーーーーーーーーーーーー

    「ああああああああああああああ」


    「ちょ、千尋。ししししっかりしなさいよ」


    「実澪こそぉ!」



    私は制服をしゃんと整えながら、言い放つ。


    「ちょっと。前の学校がやってるんだから、静かにして」


    「ごめんなさーい」


    「だいじょうぶ」


    私は微笑んだ。

    部員に向かって。大事な同輩、2人に向かって。


    「大丈夫、だからね。私達は絶対、届けられる」




    拍手の音が会場を包み込む。

    千尋と実澪の表情がこわばったのが見えた。



    「ねぇ、覚えている? 夏休み前のこと」


    みんなは何も動かない。それでいい。



    「あの状態から立ち直れたことを、西内先生に届けなきゃならない」


    次は、月山高校です。



    「届かせよう、西内先生に」


    私が手を出すと、そこに無数の手が集まってきて、


    ああ、



    私はたくさんの仲間に囲まれている。


    届ける資格がないなんて、そんなことなかった。



    誰でも、何をした人でも、誰かから何かを奪った人でも、



    届ければいい。


    歌で、自分の気持ちを。


    相手の心に、届かせればいい。





    私は大きく息を吸い込んだ。


    「ごきげんよう、月山高校です。私達は今年、大きなダメージを受けています」



    一言、一言、ゆっくりかみしめる。



    「顧問の不在、それによる部員の衝突」



    それを乗り越えた仲間が、今ここで笑っている。



    「だから私達は、いつもとは違います」



    強豪校として、なんなく都大会に出場してきた月山。それは違う。



    「困難を乗り越えてまで私達が歌を届けたかった相手がいる。だから歌い続けました」



    観客席にいるであろう、先生。
    西内先生。












    「また一つ成長した月山を、届けます。」











    拍手が響いた。


    いつもの位置に立って、いつものように歌えばいい。




    拳が震えている。



    笑っちゃうね。

    私もちょっと、緊張してる。





    実澪が、指揮者として壇上に立った。


    手を、振り上げる。







    白い、白い棒が、空へ放り投げられる。













    そんな、気がした。














    《了》
  21. 21 : : 2016/08/24(水) 23:11:28
    《一言》
    すみません。締め切りをなめていました。本当にありがとうございました。
  22. 22 : : 2023/07/04(火) 09:48:20
    http://www.ssnote.net/archives/90995
    ●トロのフリーアカウント(^ω^)●
    http://www.ssnote.net/archives/90991
    http://www.ssnote.net/groups/633/archives/3655
    http://www.ssnote.net/users/mikasaanti
    2 : 2021年11月6日 : 2021/10/31(日) 16:43:56 このユーザーのレスのみ表示する
    sex_shitai
    toyama3190

    oppai_jirou
    catlinlove

    sukebe_erotarou
    errenlove

    cherryboy
    momoyamanaoki
    16 : 2021年11月6日 : 2021/10/31(日) 19:01:59 このユーザーのレスのみ表示する
    ちょっと時間あったから3つだけ作った

    unko_chinchin
    shoheikingdom

    mikasatosex
    unko

    pantie_ero_sex
    unko

    http://www.ssnote.net/archives/90992
    アカウントの譲渡について
    http://www.ssnote.net/groups/633/archives/3654

    36 : 2021年11月6日 : 2021/10/13(水) 19:43:59 このユーザーのレスのみ表示する
    理想は登録ユーザーが20人ぐらい増えて、noteをカオスにしてくれて、管理人の手に負えなくなって最悪閉鎖に追い込まれたら嬉しいな

    22 : 2021年11月6日 : 2021/10/04(月) 20:37:51 このユーザーのレスのみ表示する
    以前未登録に垢あげた時は複数の他のユーザーに乗っ取られたりで面倒だったからね。

    46 : 2021年11月6日 : 2021/10/04(月) 20:45:59 このユーザーのレスのみ表示する
    ぶっちゃけグループ二個ぐらい潰した事あるからね

    52 : 2021年11月6日 : 2021/10/04(月) 20:48:34 このユーザーのレスのみ表示する
    一応、自分で名前つけてる未登録で、かつ「あ、コイツならもしかしたらnoteぶっ壊せるかも」て思った奴笑

    89 : 2021年11月6日 : 2021/10/04(月) 21:17:27 このユーザーのレスのみ表示する
    noteがよりカオスにって運営側の手に負えなくなって閉鎖されたら万々歳だからな、俺のning依存症を終わらせてくれ

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