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このSSは性描写やグロテスクな表現を含みます。

この作品はオリジナルキャラクターを含みます。

進撃の巨人 ~もしこの壁の中で 一人の少女と狩人が恋に落ちたとしたら~《第二話》

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  1. 1 : : 2019/07/02(火) 19:37:03
    まえがき



     一、二年ぶりにエレン&ミーナカップリング アナザーストーリー「もし壁」を更新していきます。



    ※〜もし壁とは〜

    ⇒「もしこの壁の中で一人の少女と狩人が恋に落ちたとしたら」が正式名称の、本編の主人公エレンと、第4話「初陣」(アニメ第5話)において死に至ったミーナ・カロライナを主人公とする物語です。

     カップリング要素は一応ありますが、それよりも原作の世界観に沿った形で執筆する為、殆ど必要な部分以外そういった描写を入れる予定はありません。

     Linked Horizon さんのシングル「もしこの壁が一軒の家だとしたら」をモチーフに構想しました。
     完全オリジナルストーリーであり、オリジナルキャラクターも存在していますが、 本編との矛盾はほぼゼロに近い状態で執筆しています。

    今作は15年より執筆していますが、私自身、病気を理由として療養していたのもあり、殆ど執筆が進んでいませんでした。その結果、こうして3年以上完結にまで時間がかかっています。

     ですが、ようやく執筆の目処が立ち始めたのもあり、つい先程「第一話」を完成させる事が出来ました。3年という時間が経過している為、かなり文章の書き方が変化している点があるかと思います。

     どうかその点はご了承ください。

     今作は「SSnote」において執筆が進み次第、他サイト「ハーメルン」等においても掲載を改稿した上で行うつもりです。


     今回第二話より、SSはやや小説に近い文章構成となります。見やすさを意識して執筆を行いますが、苦手な方はどうぞご退出ください。

     それでも良い、自分の描くエレンとミーナの物語を見てくださる優しい方は、そのまま下へスクロールください。

    ※第2話に関してはエレミナ(エレミー)要素はほとんど無いかもしれません。

     どちらかと言うとアニミナ要素が多くを占めると思いますが御容赦ください。


     それでは、どうぞ。


     追記

     今まで作中で沢山のありがたい意見を頂いております。ありがとうございます!
     ですが、今現在は他の方が読みやすくなる様、コメントは申し訳ありませんが不許可とさせて頂いてます。
     感想、ご意見は是非是非こちらへお願いします。ご協力、お願い致しますm(_ _)m

    http://www.ssnote.net/groups/2284
  2. 2 : : 2019/07/02(火) 19:39:07








































  3. 3 : : 2019/07/02(火) 19:43:12



    - attack on titan -

    -If a girl and "Yearger" fell in love in the walls.-






    Contents ─目次─






    第2話  「 友 達 」  - Annie Leonhart -




    ◇#00 Prologue ……………(>>4


    ◇#01     ……………(>>14


    ◇√01『ある巨人から見つかった記録』(>>39


    ◇#02     ……………(>>40


    ◇√02『ある貴族について一つの考察』(>>61


    ◇#03     ……………(>>62


    ◇√03『ある記者が最期に遺したもの』(>>90


    ◇#04     ……………(>>93


    ◇#05     ……………(>>145


    ◇#06     ……………(>>155


    ◇#07     ……………(>>181


    ◇#08     ……………(>>284


    ◇#09     ……………(>>303


    ◇#10 Epilogue ……………(>>321

  4. 4 : : 2019/07/02(火) 19:44:13


    ◇ #00 Prologue



     耳の奥の鼓膜は、強い大気で揺れていた。

     ────それはまるで嵐のよう。ひどく喧しく吹き荒れている。

     時速80キロを超える暴風。気を抜けば、眼球が風によってめり込みそうになる。

     だがそれは、嵐や台風のそれではない。
     重力に取り憑かれた壁の中で、一人の少女が風と共に宙を舞う事で生じたものだ。

     射出装置から、鋭い(もり)状のアンカーが放たれる。
     巨木の幹に刺さる直前にそれは展開─────深く食い込む。そうしてそこを軸にして少女の三次元での動きは展開されていく。


     ようやく使い慣れてきた操作装置。


     それら金属の冷たい質感。そして手に馴染むグリップの感覚を、汗ばんだ掌の薬指と小指で思わず離してしまわない様に強く握りしめる。

     そして、余った人差し指と中指の中にあるスイッチを引くようにして押す。その瞬間。立体機動装置本体の噴射口から一気に高圧ガスが吹き出し、鋼の様な風へ煽られる。

     弛緩(しかん)していた身体中の筋肉が瞬時に硬直する───── そうして、一気に肉体が高度を上げ、高く高く飛び上がる。

     一瞬にして鳥以上の速度で、さながら鳥のように、蒼空へと身体を羽ばたせていく。


    「……………………ッッッ!」
  5. 5 : : 2019/07/02(火) 19:51:02


     頬の筋肉が凶暴な風圧に押しつぶされそうになり、思わず目蓋を強く、つよく瞑る。そして、視界も暗転する。

     本来、宙に飛び上がった際に目を閉じる事は自殺行為に等しい。

     視界が閉ざされる事で、一気に平衡感覚を失う恐れがあるからだ。

     だが、長く真っ直ぐに伸びた髪を肩の前に下ろし、お下げ髪を二つに括った彼女にはそんな事を気にする精神的余裕など無かった。

     幸いな事に、空へ飛び上がり、宙を舞う彼女の感覚は、本人の持つバランス感覚の良さによってかろうじて保たれる。だがその時、叫び声に等しい叱咤が下から響いた。


    「ミーナ!! 目を閉じんな!! 死にたいのか!!」


     瞬間。

     ミーナと名を呼ばれた彼女───ミーナ・カロライナは、一気に瞳孔(どうこう)を開く。

     瞳に写るのは高さ15mもの重木を優に超え、重力という名の鎖から刹那、解き放たれながら垣間見る空。その空は、雲一つ無い。

     だが───飛躍していたのは、時間にしてわずか三秒。

     その三秒を超えた時、再び彼女の身体は大きな樹へと吸い込まれていく。

     そしてそこから木下に叩きつけられるまでも、三秒で事足りる事だろう。その先にあるものは、厳かな死などではない。

     地面に落ちた後、ぐしゃり(・・・・)とその形を惨めに歪め、目も当てられなくなった腐った果実そのものになる事は決して予想に難くない。
  6. 6 : : 2019/07/02(火) 19:53:51


    「───────っっ、あ、ぁあああっうぁああああ!!!」


     恐怖は全身から叫びとなって、鮮烈な勢いで漏れだしていく。
     二秒─────空から落ちる時、身体がふわっとした奇妙な感覚に襲われる。やばい。このままじゃ、死ぬ。

     何度この感覚を味わったかは分からない。
     これは何度味わおうとも、決して慣れる感覚ではない。失敗すれば死ぬ。

     だが、何度も自主的に訓練し、居残り訓練も受けてなんとか身体中に染み込ませることの出来た全身の感覚。

     脳の奥、前頭葉に抑え込まれた意識(じぶん)を解放する。

     暴力的な疾風は、その身を切り裂こうとせんばかりに少女の体へ叩きつけられる。
     一秒────地面へと墜落する僅か3mといったところで、ミーナは両手の人差し指のスイッチを押し込む。カチッ、という金属音。そして。

     巨大樹の中に飛び込んだ時、一瞬だけだが捉えることのできた太い幹へ、アンカーが凄まじい勢いで放たれる。その速度は人間では精々目で追うのが精一杯だ。

     反射神経の回路という回路が暴れ回る。脳細胞は狂ったように萎縮していく気がする。

     彼女は今度は中指のスイッチを押す事でそれらを瞬時にして巻きとる。

     機動装置本体が強烈な巻き取り音と共に唸り声を上げる。スピードで重力と、ワイヤーにかかる強い摩擦による振動が、全身の筋肉と細胞へと、強大な圧迫をかけていく。

     そして、再びリリースしたアンカーを再び射出する。
     
  7. 7 : : 2019/07/02(火) 19:56:46
     

    「───何度も言ってるだろ、ミーナ。立体機動してる時に目は絶対に閉じるなってよ」


    「え」


     腰元に備えられたアンカーは500m以上もの長い距離を巻きとることが出来る。機械的なファンの回転音が響く。

     そして、その巻き取られている間は姿勢を安定させながら維持するだけで、さながら空を飛んでいるかのように高度を保つ事が可能となる。

     そして、ミーナが丁度その状態で安定姿勢へ移行し始めたところで、先ほど強く彼女を叱咤した声の主が現れた。


    「ノア───」


     肩の上まで髪を伸ばした、男勝りな表情をした少女の姿がミーナの視界に映る。ノア・ティファニー。彼女の幼い頃からの親友であり、数少ない理解者だ。

     一年前に訓練兵団に入団した時よりずいぶんと長くなった濃い茶色のストレートヘアーを揺らしながら、ノアは呆れたと言わんばかりの表情でミーナへと話しかけてきた。鋭い目付きが目を細めることでなお一層にその鋭利さを増す。
     

    「……ごめん、つい」


    「前にも話したろ、実際に立体機動で死んだ奴がつい半年前にも出たばかりなんだから気をつけろよって」


    「うん、そうだよね……」


    「でもやっぱり、つい眼を閉じちゃうんだよね……急に高度が上がる時とか、身体中がすんごい圧迫されるし……」


    「それに何より───怖いもん………」


    「…………」


    (───まぁ、こんなもんやってたらそりゃそう思うのは無理もねぇか)


     ノアは思い出す。
     半年前、そこまで装置の扱いが悪いわけでもなかった2人の訓練生が立体機動訓練中、墜落死した。

     死因は恐らく、アンカーが正しく木の幹に入り切らずに外れたことによる平衡感覚の損失───それによる墜落だ、と教官からノアは聞いた。

    ─────立体機動装置を扱うということ。

     それは、全身の神経と筋肉を酷使するということであり。

     本来なら三次元に適応し得ない人間の身体を、半強制的に三次元に適応させる、などということを代償にそれが許されているに等しい。

     当たり前の事ながら、一度でも気を許せば、それは死にも繋がりかねないのだ。


    (───こいつ、ただでさえ昔からどっか抜けてるとこあるからなぁ………)


     正直、彼女は心配でならなかった。彼女を、死なせるわけにはいかなかったからだ。
     だが、だからといって訓練を放棄するわけにもいかない。だからこそ、ノアは訓練が始まる頃から常にミーナを気にかけていた。気にかけ続けている。

     いざという時、自分が助けになれるように。守れるように、と。

     ミーナもそんなノアの気持ちを薄々だが察していた。今回は個人訓練という形で、目標討伐とされている模型巨人を各々仕留めるという課題が出ている。

     そして、これは毎月4回ほど行われている訳だが、その際は必ずノアが着いて来ている程なのだから。
  8. 8 : : 2019/07/02(火) 19:57:54


    (間違いなく、私を心配してるからなんだろうなぁ……)

     ノアは昔から自分をいつも守ってくれていた。ミーナもまた、考える。そして、死と隣り合わせな状況でなら、尚更彼女は自分を助けようとするだろうとも。

     だけど、と彼女は思う。


    「───────── 」

     
     これでいいはずがない、とそんな事を考える。それでも────それでも、だ。
     ノアはミーナを気にかけながら。ミーナはノアへ感謝もしながら、同時に決意をした。

     もうこれ以上。いつまででも守ってもらっていてはいけないのだと。
     強く目を閉じ、そして、開く。

     視界に拠点となる訓練地が映り込む。

     ミーナは、トリガーを固く、固く。身を引き絞るような思いでもう一度それを握り締め、アンカーを再び射出した。
  9. 9 : : 2019/07/02(火) 19:58:33


     












    進撃の巨人 attack on titan


    〜もしこの壁の中で 一人の少女と狩人が恋に落ちたとしたら〜














    ______848
  10. 14 : : 2019/07/02(火) 21:42:29

    ◇ #01





    科目 「実技 : 立体機動」

    成績評価

    氏名 : ミーナ・カロライナ




    ミーナ「」


     立体機動訓練終了後、104期訓練生に講義室へ集合が掛かった。それから数分後の現在。
     ミーナ・カロライナの視界には、月末ごとに配布される成績評価表が置かれている。やがて両手で額を抑え込むと、深い溜め息を漏らす。

     正直、死んだ方がマシかもしれない。そんな事を彼女は考える。

     訓練兵団においての成績評価は、9段階で行われる。高い順から言うのならば、A+、A、B+、B、C+、C、C−、D、E……と言った具合だ。何故Cの評価だけがこう無駄に数があるのかどうかは置いておくとしても。
     ────この成績は本当に、冗談抜きで。

    ミーナ「洒落になんないでしょおおおおおおおおおおっっっおおおっおおおっ!!!!!!」


    「うおおおおおおっ!!!?」

     
     堪らず、彼女は叫び出した。額へ押し込んでいた両手を崩し、頭を机に叩きつけながら悶絶する様に叫んだのだ。


    「ななな、なんだよミーナ!? ビックリしちゃったじゃねぇか!!」


     ミーナの隣に座っていた坊主頭の少年───コニー・スプリンガーは、慌てた様に頭を掻きながら声を上擦らせる。
     余裕が無かったとはいえ、流石に今のはちょっと周りへの配慮が足りなかった。「あ……ごめん。……物凄いビックリさせちゃったね。ものすっごい身体浮き上がってたね」と頬を掻きつつ、ミーナは謝る。


    コニー「ホントだぞ!! 20mは飛んだぞ!!」


    「コニー、それは天井ぶち破っちゃってるよ。正しくは20cmね」と、ミーナの後ろにいた少女は苦笑した。
     薄緑のストレートボブヘアーを揺らめかせるその少女の名はソフィア・ルージュ。
     開かれた二重の灰色の瞳は、さながら小動物の様のように丸みを帯びていて、見る相手によっては愛苦しさを思わせる。


    コニー「ん? 20mがこんくらいじゃないのか」


     コニーは両手で大きく広げて20cmを表現する。
     明らかに理解を間違えているそれに対し、その横に立っていたノアと、コニーの隣にいたソフィアは顔を見合わせて呆れ返る。


    ノア「───……おまえそれ、馬鹿という域を超えてるぞ」


    コニー「? よく分かんねぇけど、じゃあつまり天才なんだろ!? 俺は」


    ノア「で? ミーナはどーしたんだよ急に叫び出して……」


     ノアはコニーの自慢げな顔を無視し、ミーナへ話を振る。彼は「?? おーい、ノア、お前に言ってんだぞー」と手を振り続けている様子にソフィアは益々笑えてきてしまう。


    ソフィ「…………シカトされてるし。コニー、単位、教えてあげるからおいでよ。あとドヤることじゃないからね」


    コニー「な、なんだと!?」

  11. 15 : : 2019/07/02(火) 21:43:27

    ミーナ「────って私、コニーのこと言えないくらいやばいんだよおおおおぉぉおどおおおしよおおおおおお」


    ノア「んだよ、うるせぇなぁ……どれ、見してみろよ」ペラッ


    ノア「…………(フムフムフムフムフ──)」


    ノア「…………………………………」


    ミーナ「………え、なんで止まってるの、ノア」


    ノア「………」


    ミーナ「………」


    2人「……………………」


    ミーナ「いや『……………』じゃなくて何か言ってよ!!!?」


    ノア「………ミーナ」


     ノアはこれでもかと言うほどの爽やかな笑顔を見せながらミーナの肩の方へとゆっくり歩いてくる。


    ノア「───────ガンバレ」


    ミーナ「いやなんも励ましになってない」


     ノアにすら完全に何処か諦観した視線を向けられ、絶望という絶望にとうとう完全に突っ伏したその時。


    「うるせぇな……どうしたんだよ、ミーナ」

    ミーナ「……………え」


     顔を上げる。と、そこには。
  12. 16 : : 2019/07/02(火) 21:44:49


    ミーナ「────エレン」


    エレン「さっきから何を騒いでんだよ?」


     104期訓練生の中ではあらゆる意味で有名な駆逐系男子。通称『死に急ぎ野郎』───こと、エレン・イェーガーがミーナの成績評価証明書をペラッと見つめていた。

     常に不機嫌そうな形をした太く、濃い茶色の眉毛に、確かな強い意志を感じさせる翡翠(ヒスイ)の瞳。
     ミーナの周りにおいてエレンは、いつもイライラしていそう、なんか怖い、悪人面だしあんまり関わりたくないetc……などと散々に噂されているのだが。

     彼の眼を見る度にミーナは思う。
     実はそんなことないのになー、と。

     ん? ところで、あれ? と彼女は成績表を探す。それは、


    ミーナ「────────」


    ミーナ「って!!! 何ナチュラルに私の成績評価証明書勝手に見てんのよおおおおぉぉぉぉぉお!!!」


     最初からそこに在ったかのように自然とエレンの手元に収まっていた。
  13. 17 : : 2019/07/02(火) 21:47:35


    エレン「………お前、思ったより成績悪ぃんだな」


     ミーナの成績評価をミーナの許可も得ずに見て呟いた一言はそれだった。勝手なこと言いやがって、とミーナは内心毒づく。
     

    ノア「───まぁ、正直言っちゃアレだけど結構やべぇよな、お前の成績」


    ソフィ「ええっえ!? ミーちゃん、こ、これは……まずくない?」


     何故か、先程諦観した視線を向けてきていたノアと、コニーに数学(もとい算数)を教えていたソフィアまでもが、いつの間にかミーナの成績評価証明書を見て口々とそう言う状況が彼女の周りに自然と出来上がっていた。
     口々に周りからはヤバいと言われて良い気分になる筈も無く、また机にミーナは言葉も無く突っ伏す。


    エレン「お前、座学の成績はオレより頭イイのによ……なんでこんな全体評価がオレより低いんだよ」


     うるさいよ。知らないよそんな事、とミーナは内心エレンの頬を叩きたい衝動に駆られる。


    ノア「んぁ、じゃあお前の成績はいくつなんだよ、見せてみ」


    (そーだそーだ、人のことあーだこーだ言うなら見せてみやがれってんだ)と拗ねた様にミーナは物言わず、そんな事を考える。だがそれを言葉にする気すら出てこず「………」とやはり伏せたまま話を聞く。


    エレン「あぁ? ほらよ」


    ノア「ん、………………おおぉ………んん?」


     そうしてエレンから彼の成績評価証明書を受け取ったノアは、何やら微妙な表情を浮かべる。
     なんとなく、ミーナは伏せていた顔を上げてみる。
     ノアは何やら眉毛がノの字を書いてくにゃりと歪んだような何とも言えない表情をしていた。いや一体何なのその顔、とミーナもまた似たような顔になる。
     ノアの表情を見たソフィアも好奇心からか、エレンの成績評価を「ん??」と見つめ始めた。


    ノア「────おまえ、対人格闘とかはずば抜けてんのに、座学と馬術の成績は酷いな」


    エレン「なっ、……う、うるせぇな!! 仕方ねぇーだろ! 立体機動の訓練もあってつい……寝ちまうんだし、馬術とかなんか、馬なんかどうやったら乗りこなせんのかとかもよく分かんねぇんだよ!」


     エレンはすかさず早口になりながらノアに対して弁解をする。「それはそれは見事な言い訳だな、おまえ……」とノアは皮肉な笑みを浮かべ、エレンを肘で軽く小突く。うるせぇよ、と不機嫌そうに眉を吊り上げてエレンは手でそれを跳ねのける。

    「でもそれでもエレン、評価は酷くても最低Cだし……もっと頑張って苦手なとこ潰せれば伸び代あるんじゃない?」とソフィアは横から垣間見つつ助言を挟む。


    ミーナ「…………… 」


     ─────その空気の中で、ミーナは一人沈黙を貫く。
  14. 18 : : 2019/07/02(火) 21:51:39
     腰を上げてエレンの成績評価を何気なく一緒に見ていたミーナは、自分の成績の酷さに愕然とせざるを得なかった。

     恐らく、座学はそこまで酷くはないだろう。そんな酷くは無いはず、なのだ。
     全体的評価としては、座学だけならB+と言ったところ。だが────問題なのは実技。
     座学、馬術に比べると、恐らく点数配分及び成績評価は高めに設定されているであろう立体機動戦闘訓練、兵站訓練といった、主に実技にあたる科目の評価が今回の重要点に当たる。げんなりとしたような気持ちで彼女はそれらの点数を平均点で割り出してみた。
     ………頭の中にガーン、という鐘のような鈍い擬音が響いたような錯覚に見舞われる。
     うわ最悪だ。やはり、このままではかなりまずい。
     恐らく、実技だけならCも行ってないだろう。実技を含めてもCですら怪しい平均的評価だった。

    (いやいやいやいやヤバすぎるでしょどーすんのこれ)

     実際問題ヤバかった。本当に洒落にならないとは彼女にとっておよそこの事だと考える程には。

     実のところ、今までサシャやコニーみたく追試に引っ掛かるといった事をミーナは一度も経験していなかった。だから正直、意外と何とかなるかもしれない。少なくとも実技が悪かろうと座学でカバーできれば良いかな、などと思っていた。

     ─────だが、ここに来てその考えの甘さを思い知った。そんな訳はなかった。

     訓練兵団においては通常、座学においてのみD以下の総合評価を受けると強制再試験が行われる。
     しかし、立体機動等の実技科目はそういったものは基本的に無い。故に一度でもD以下を取ってしまえば落第は大いに有り得る。
     そう、有り得るという事は基本的には即落第では無い。
     挽回のチャンスがないわけでもないのである。(講義態度、訓練態度も見られる為、それによって猶予を貰える事が多い)
     だがもし来月もまた似たような成績を叩き出せば、いよいよその落第はより濃厚なモノになると言ってもいい。
     もう座学で何とかすればいいなどと言ってる段階の話ではない。

     今回の実技成績は、下手をすればその境目になるものだ。

     つまり早い話、このまま行けば割と教官の評価次第では来月、早ければ今月にでも落第の話が出てもおかしくない。
     事実、立体機動を扱えなかった同期はここ一年の間に開拓地へ何人も送られていた。

     それだけ訓練兵団においては、立体機動は重要視されているのである。

     座学において毎回の様に追試を重ねているコニーやサシャが開拓地送りにならないのは、立体機動においてトップクラスの点数を叩き出すことでそういった点をフォロー出来ているからこそだった。自分にはそんな実力は無い。

     だからこそ余計に危機感だけが土砂の如く押し寄せてきている。
     まぁサシャとコニーに関しては兵団に人を無駄に追い出す余裕が今の所無いから、という事情も少なからずあるらしい。まあそこは置いておくにしても、だ。


    ミーナ「わぁああああん〜〜!! どうしよおおおお、このままじゃ下手したら今月の内に落第だよぉおおお……追い出されちゃうよぉおお」


     考えれば考える程に絶望感とネガティブな考えばかりがのしかかってきて、本当に涙が出そうだった。
     すると、そんなミーナは見兼ねたのか「……おい、ミーナ」と何やらエレンは声を掛ける。


    ミーナ「ぐすっ、なによぉ~……そんなに見てて楽しいのぉ、人が苦しんでるとこ見るのがぁ…」


    エレン「…いや、そうじゃなくてよ。お前、訓練課題掲示板とか行ってみたのか?」


    ミーナ「……? 課題掲示板……?」


     頭の中に疑問符が浮かぶ。
     何か聞いたことがあるような気もするが、そんなものは教官に教えて貰ったことは無い。明確には覚えていなかった。


    ノア「お、珍しく冴えてんなエレン。それいい案だぞ」


    ソフィ「うん! 凄く今の状況を打開するにはピッタリな案だと思う!」


    ミーナ「?? ?? ねぇ、課題掲示板って…?」


     話についていけていないミーナは慌ててソフィアとノアへ質問を投げかける。


    ノア「……お前、今までその存在も知らなかったのかよ…」


    ミーナ「むぅ、悪ぃ?」


    ノア「別に悪ぃとは言わねえけど、バカだなぁと」


     そんな事を言われても知らないものは知らないのだ。バカにしないで教えて欲しいのに。
     ムキーと言った擬音を叫びながら何かの動物のようにプリプリと怒るミーナを横目に、ノアは課題掲示板、というものについて説明を始めた。
  15. 19 : : 2019/07/02(火) 21:52:36
     課題掲示板、とはいわゆる課外活動、課外訓練の任務状や訓練兵団の人手を民間人及び憲兵団、駐屯兵団が各自要請した要請状が集められた掲示板の事だという。

     それらに応募、志望動向を示せば訓練時の配点に加えて、更に成績に加点が加えられるという訓練生にとってのメリットもある。
     成績を更に上げたい者、逆に成績を稼がなければまずいという訓練生はこれらに積極的に取り組んでいるらしい。


    ミーナ「そうなんだ………じゃあ、その…課外訓練に参加すれば、点数も稼げるのかな!?」


    エレン「というか、お前の場合はそうしないとやべぇかもしれねぇな」


    ミーナ「むぅうう…………」


    ノア「とりあえず、課題掲示板見に行くぞ。ソフィアも行くか?」


    ソフィ「うん、行く! 丁度私も成績稼ぎたいなぁって思ってたとこだから!」


    ミーナ「……分かったよ〜、行くよ〜……」


    エレン「んじゃあオレは、ミカサやアルミンと座学を勉強してくるから、頑張れよな。特にミーナ」


    ミーナ「応援どうも!!」


     ミーナは頬を膨らませながら部屋の扉を勢いよく開き、部屋を後にした。
     なんでアイツあんな怒ってんだ、とエレンは眉をひそめて腕を抱えた────どうやら、彼には全くその心情が理解に及んでいなかった。
  16. 20 : : 2019/07/02(火) 21:53:04


     そして、数分後。ミーナ、ノア、ソフィア一同は教官室前の課題掲示板とにらめっこをしていた。


    一同『…………………』


     ノア、ソフィア、ミーナは揃って同じ要請状を見つめている。雑に貼り付けられたそれには、

    要請状

    ・要請人数 : 訓練生4名
    ・要請名 : 『駐屯兵団』
    ・要請内容 : 訓練兵団で訓練生へ、トロスト区~ウォール・シーナ 工場都市地区への兵団資材、及び破損した立体機動装置の資材等の輸送を頼まれたし。

     輸送馬車に関しては既に訓練兵団施設へ資材の配送、詰め込みも完了している。

     しかし注意事項として、巨人に対し最有力な戦力を持つ調査兵団が、現在壁外調査へと出発してしまっている。
     ウォール・ローゼ各地区、及びトロスト区への巨人侵攻による防衛へ通常以上の駐屯兵の人数を割かなければならない状況にあるため、本来ならば訓練兵と同行しなければならない駐屯兵はこの任務において同行は不可能となる。

     よって、この任務に参加の意思を見せる訓練兵は必ず、成績上位20名の内に含まれる者が一人以上同行をし、
     安全性、報告任務への最大限の配慮を加える事の出来る者と、訓練兵団責任者が任務に適性ありと判断した者を必ずメンバーへ配置させる事が、安全とより確実な任務の成功への考慮を含めて今回の参加条件の必須事項となる。

     なお、参加条件には他の任務と比較してかなりの規定が施される為、
     この任務が達成出来た場合においては訓練兵団及び参加兵へ、駐屯兵団からの報酬もある。
     大幅な成績への加点も考慮しよう。
     是非とも励んで欲しい。よろしく頼む。

    要請責任者 : トロスト区 駐屯兵団 総司令 ドット・ピクシス

    申請書 代筆 : アンカ・ラインベルガー



    ─────


    以上の条件を満たせる場合、各自キース・シャーディスへ参加意思を示されたし。

    訓練兵団 課題掲示板 より


     ────といった内容が記されていた。

     ミーナはそれらを見上げながら、思わず絶句せずにはいられない。もしくは、開いた口が塞がらないという表現がきっとそれは正しい。


    ミーナ「────え、どう、しよ………これ、私無理なんじゃ」


    ノア「ソフィ、これ以外にはねぇのか?」


    ソフィ「……うーん、殆どがもう満員になってて、空きはないね」


    ノア「一つも?」


    ソフィ「ん、3人全員で一緒に出れそうなのはこの輸送任務くらいかも」
  17. 22 : : 2019/07/02(火) 22:24:21

    「くっそ、マジか……」とノアは髪の毛を擦りながら悪態をつく。
     そして、ミーナはその中の表記のある一部分に気が付く。


    ミーナ「ねぇ、待ってこれ……」


    ノア「ん?」


     よく見ると彼女が指で示した位置には『要請人数 : 訓練生4名』の記述があった。以上や未満の記述は一切この部分には書かれていない。

     これはつまり、3名では参加ができないという事ではないのかと彼女は気付いた。


    ソフィ「─────どーしよっか……誰か誘う?」


    ソフィ「というかこの任務自体、危険度とかどれくらいなんだろうね?」


    ノア「さぁな……運搬任務だし、そんな危険はねぇんじゃねぇの?」


    ミーナ「それなら良いんだけどさ……。でも、それにしても、メンバー足りないのはどうしよう……?」


    ミーナ「そういえばそもそもの話、私達の中に成績上位者って……」


    ソフィ「うーん、私は平均順位45位……」


    ノア「立体機動はぎりぎりトップ20には入れてねえな……んで、座学含めた平均は75……座学嫌いだしなあ私」


    ミーナ「………私一番最下位じゃん……」


    ノア「何位なんだよ」


    ミーナ「立体機動は289名のうちほぼほぼ最下位………平均順位は123位……」


    ノア「……アラー」


    ソフィ「……大丈夫、未来はあるよ」


     そういってやはり爽やかな笑顔でソフィアにミーナは肩をポン、とやさしく叩かれる。

     だが全くもってそれが慰めになっていなかった彼女には、自分の成績表を見てただただ溜め息を吐くことしか出来なかった。
  18. 23 : : 2019/07/02(火) 23:47:54


    ノア「っていうかおい、これ無理じゃねぇかよ」


    ソフィ「そーなんだよね、私達は誰も成績上位届いてないからねぇ……」


    ミーナ「うわあああんもうどうしよううう!!」


    ソフィ「ミーちゃん大丈夫だって!! まだ参加出来ないって決まった訳じゃないんだからさ!」


     ────ミーナ達の任務参加において、参加適正の点はほぼ問題ない、というのが教官室の女性教官の訓練説明の旨で判明した。

     分かりやすい話が成績だけではなく、それなりに訓練態度は認められている、という意味だ。

     つまり、参加の為の唯一の弊害となってるものは「成績上位20名メンバーの欠如」という点のみだった。
     ──────数分後。
     3人は成績上位20名のメンバーを探す為、一時間の昼休憩の時間を使って参加可能な人員を探し求めることにした。
  19. 24 : : 2019/07/03(水) 00:05:20

     しかし。


    「あぁ? 悪ぃな、俺とマルコはもうコニーやサシャの2バカ2人と別の任務行くことにしてるからな、他を当たりな」とジャン・キルシュタインは歪な笑顔でミーナに対して対応をし、


    「ごめんね……実はライナーやベルトルト、ユミルに私、別の任務に誘われてるの……! 本当にごめんね!」とクリスタ・レンズには手を合わせて涙目で断られた。


     そうしてソフィアとミーナ、ノアは効率をより良くする為、二手に別れ─────それぞれ都合を尋ねることにする。
     残り数名のメンバーであるルースやトーマス達は立体機動訓練を自習する為、既に兵舎内には居ないようだった。

     どうやら、殆どのメンバーは既に別の任務を受けていたり、予定を埋めている者が殆どだった様だ。

     ミーナとソフィアは人生の終わりだと言わんばかりに落胆しつつ、最後の希望を掛けてエレンやミカサ、アルミンを尋ねることにした。


    ミカサ「─────ごめんなさい、私はもう既にエレンやアルミンと3人で参加を許可された課題任務をこなす事を約束してる」


    ミーナ「え、ウソでしょ本当に!?」


    ミカサ「……え、えぇ。本当に」


     木製の椅子に座り込むミカサ・アッカーマンは顔を乗り出して頼み込むソフィアに少し動揺していた。
     ミカサ達は自学室において、立体機動装置の座学自習を行っていたようだ。エレンとアルミンはどうやらトイレで席を外しているらしい。

     そこでミーナとソフィアは両手を合わせながらミカサに相当な勢いで頼み込んだ。
     ────が、やや勢いに気圧されつつもミカサは丁重にそれを断り、その後すぐに戻ってきたエレンとアルミン・アルレルトにも────


    ソフィ「お願い! 成績上位20名のメンバーが一人でいいから必要なの! ミーちゃんの成績本当にピンチだから本当にお願い……力貸して!」


    エレン「いや、そうは言われてもよ……」


    アルミン「……僕もエレンも、勿論行けるなら行きたいところなんだけどね。生憎、その任務と全く同じ日にトロスト区で固定整備砲の清掃任務に志願しちゃってるんだ………」


    ミーナ「そ、そんなぁ!」


    エレン「本当に悪ぃな。一度参加申請したものは、取り消しは効かねぇってこないだもシャーディス教官にキレられたところでよ」


     そっか……。じゃあ仕方ないねとソフィアは諦観しミーナの肩を叩いた。

     確かに、参加申請した任務には訓練兵団のみならず、駐屯兵団の指揮系統や街を管理している自治体等や下手をすれば憲兵団なども関わってくる。

     一度申請したものを個々の都合ではい出来ません、と断わる事は出来ない。

     そんなことをすれば訓練兵団全体の信用が落ち、任務自体掲示板に来なくなる恐れすらあるのだから。

     ミーナは半泣き状態だったが終始申し訳なさそうに謝り、気まずそうにするエレン達にこれ以上迷惑を掛けれないと考えた。

     そうして、三人に一言謝ってから自学室を抜けることにした。
  20. 25 : : 2019/07/03(水) 00:23:34



     自習が終わる鐘がなり、夕方の清掃、及び調理時間となった。

     ─────時刻は夕時となり、日が沈む西の空は赤色と紫の雲がお互いに絡み合う様にして、それぞれグラデーションを彩っている。

     斜陽が調理場から高くそびえる山と共に揺れている。そこからは、1期下の訓練生達による兵站訓練の掛け声が聞こえてきた。

     訓練兵団においては、週に三度、食事を自分達で作る事が規則となっている。

     週の始まりに当番制で人員が振り分けられ、大体5人ごとに分かれ、その日の昼時から300人近くの食事を作る、といった具合だ。

     無論、5人だけではそんな人数の食事を用意するのに莫大な時間を要してしまう。

     その為、最終的には食事の始まる1時間前から年季が入った女性教官数十人が手伝いはしてくれる。また、訓練が終了した他の訓練生達も自らの食事の為、皿準備や給仕を行ったりもする。

     採点などは無いものの、仲間との協調性、食事の材料が限られている中で生き残る為────実質、これもまた訓練の一つだった。
     今日の調理当番はミーナ、コニー、エレン、トーマス・ワグナー、 ─────そして、アニ・レオンハートである。

     今にも泣きそうな表情でミーナは調理室の木造の扉をゆっくりと開く。

     すると、そこには先客がいた。

     鷹のような鋭い眼光に鷲鼻、クリスタやアルミンと似通った金髪の少女────アニ・レオンハートだ。
     既にアニは包丁で人参を切り終えようとしていた。


    ミーナ「あ、アニ」


    ミーナ「えっと……早いんだね」


    「……!」とアニはこちらに気付いたように視線を向ける。
     そして皮を剥き終えたのであろう人参を籠へ移すと「……あぁ、あんたか。……まぁね。もう人参とじゃがいも類は全て剥き終えたから。茹でるのお願い」と顔を伏せたまま作業を続けた。


    ミーナ「あ、う、うん!」


     ミーナはただでさえ落ち込みがちな気分の中、挨拶がてらアニに話し掛ける。

     が、少しだけ会話は続いたものの、すぐにそこで止まってしまった。
    「………」とお互いに殆ど無言のまま、アニからはそれ以降何も応答はなかった。
  21. 26 : : 2019/07/03(水) 00:34:33

     ミーナは更に気分が萎えつつも、二つに揃えられたお下げをポニーテールに結び直し、バンダナを頭に縛り付けた。

     調理当番で美味しい料理が作れると、他の訓練生にも喜んで貰えることをミーナは知っていた。

     だからこそ、彼女にとってはこの調理訓練が一番好きなものだった。

    ────……今は気分を切りかえ、自分のすべきことをしよう。うん。そう考えを変え、ミーナは付近にあるポンプで手を洗うことにした。

     そういえば、と彼女は手を流しながら思う。

     流れていく水は、ひどく冷たい。
     肌に触れる度に、雫は弾けながらも窓から零れていく夕陽によって反射する。

     アニとミーナは、ここ一年殆どまともに会話が続いた事は無かったが、調理当番や兵站訓練で一緒になる機会は何度かあった。

     話しかける度、アニは嫌悪感を見せることは無くとも、とにかく無反応に近い反応を基本的にミーナへ返していた。
     故に、今まで殆ど会話のキャッチボールは成り立っていないに等しかった。
     他の同期のメンバーもアニに話しかけたりしていたようだが、彼女の反応はやはり薄く、時には無視したりしてるようなこともあったとか(ミーナは話しかけて無視された事はなかった為、恐らく聞き取っていなかっただけだと考えている)。

     アニ自身、もしかしたら人と関わるのが本来あまり好きじゃないのかもしれないと、察していたミーナは、中々アニに対して距離を踏み込めずにいた。
  22. 28 : : 2019/07/04(木) 04:38:57

    ミーナ「…………」

     
     反応は、相変わらずそう期待出来ないかもしれない。

     でも、今なら……少しは話せるかな?

     彼女は細かくした不格好な野菜をボウルにまとめているアニを後ろ目に見ながら思う。

     アニは何分一人でいる事がとにかく多い。
     ……もし嫌そうな反応を返されたらすぐに辞めようと思い、ミーナは「ねぇ、アニ……?」と話しかけることにした。


    アニ「何?」


    ミーナ「……いつも思ってたけど、アニって調理当番の時ってなんで他の人より早いの?」


     アニは作業の手を止めることはない。だが「落ち着くからだよ」と表情一つ変えることなくそう言った。

     良かった、反応はしてくれてる、とミーナは思わず内心安心する。そして、会話を続ける。


    ミーナ「……ん? 落ち着く?」


    アニ「言葉通りの意味さ。少し早く来て作業をこなしておけば、一人で過ごす時間が取れる」


    アニ「調理当番の時は訓練に出なくても良いっていう口実も作れるし、ここは割と静かだからね」


    ミーナ「ほぇ〜……」


     ミーナは再びポンプのハンドルを動かし、大鍋の中に水を入れる。そうしてアニの方へ視線を向けながら、話を聞いていた。
     そっか、だからアニは一人でいる事が多いんだなぁとミーナは理解し、そういえば、と再び思い出した。
  23. 29 : : 2019/07/04(木) 04:52:00

    ミーナ「確かにここ、訓練所の中でも端っこの方だし、静かだもんね……」


    ミーナ「そういえば、私もたまーに一人でいたい時があってさ、そういう時は調理場に早く来る時もあるんだよね」


     アニは視線をこちらに向けて反応を見せる。
     ミーナはそれに気づく。
     どうやらちゃんと聞いてはくれてるみたいだ。
     嬉しくてつい、内心で変な笑みを浮かべてしまう。そうせずにはいられない。

    「それは少し意外だね」と言いながら、アニはかまどに火を起こす為か、調理場の窓扉を開けて太い薪を何本か持ち運ぶ。

     山向こうから行われているのであろう兵站訓練の掛け声は少しだけ大きく聞こえてくるようになり、風に揺らめく木々のざわめきも大きくなる。


    ミーナ「え、そう?」


    アニ「私から見たら、アンタはあまり一人でいる所を見たことがないからね」


    アニ「いつも二人の女子と一緒にいるように見えるけど」


    ミーナ「あぁ、あの二人は親友だもの」


     ミーナはアニが会話を続けてくれていることに対して微笑ましく思う気持ちと、ノアやソフィアのことに触れられている事に少し恥ずかしく思う気持ちとで頬が緩んでしまう。

     自分でも、そんな自身の単純さに少し苦笑せずにはいられなかった。

     アニは薪を最下段に並べながら「そう」とだけ呟く。
  24. 30 : : 2019/07/04(木) 05:05:43

    アニ「でも、そんな親友が居てもなお一人でいたい時はアンタにもあるんだね」


    ミーナ「ふふっ、それが意外?」


    アニ「そうだね」


    ミーナ「誰かと一緒にいる時間は、私にとっても大切なものだけど」


     ミーナは水を大量に流し込んだ大鍋をよいしょ、と運び、かまど前の長机に並べる。そうして、アニの作業を手伝おうとかまど前に一緒にしゃがむ。


    ミーナ「───── 一人でいる時も、やっぱり、少し必要なのかもって思うの。最近」


    アニ「──────」


     アニはすぐ隣のかまどで同じ様に薪を並べるミーナには視線を向けないまま「アンタの場合、どうしてそう思うの?」とだけ聞いてくる。


    ミーナ「え、うーん……何だろうね。一人でいる時間が無いと疲れちゃうのかも」


    アニ「疲れる?」


    ミーナ「うん」


    ミーナ「私の場合、あまり会話を振るのは得意なほうじゃないの。実は」


    ミーナ「どちらかって言うと、ノアやソフィが話しかけてくれて、私がその二人の話を聴きながら返すって感じかなあ」


    アニ「ふーん……アンタは話を聞く方が好きなの?」


    ミーナ「どうだろ、いやまあ得意ではないと言っても、割と私から話し掛ける事も多いっちゃ多いんだけどね」


     ミーナはアッハハ、と快活に笑いながらそう言う。アニはそんなミーナに視線を向け、また視線を戻した。
  25. 31 : : 2019/07/04(木) 05:15:52

    ミーナ「まあ、話を戻すなら……誰かと一緒にいる事が多い私だからこそ、一人で過ごす時間も少し欲しいってことかな」


    アニ「……………ふーん」


    ミーナ「だから、アニが一人でいて落ち着くって言うその気持ちも分かるんだ!」


     ミーナは細かい薪を並べつつも、アニに向かって笑顔でそう言った。やはりアニは少しだけ視線を向けていて、目が合う時もあった。
     初めて、ちゃんとした会話ができてる気がするミーナは頬がやはり緩まずにはいられなかった。


    アニ「アンタに分かられてもね……」


    ミーナ「ええっ、ひどいっ!」


    アニ「まあ、嫌な気はしないけどね」


    ミーナ「えっ」


     アニの表情はやはり変わらない。薪を並べ終え、細かい木々を小さな薪と一緒にその上に重ねている。
     相も変わらず作業の手は止まらないままだった。だがミーナはちゃんとそんなアニが自分の話を聞いてくれている事に気付いていた。
     
     もしかして、少しでも心開いてくれてるのかなと思い、ミーナは「アニってさ」とアニの作業を更に手伝う為に大鍋を運ぶ。
  26. 32 : : 2019/07/04(木) 05:23:10

    ミーナ「優しいとこ、あるよね」


    アニ「は?」


     アニは思わず作業が止まり、ニンマリとはにかむミーナと今度はハッキリと目が合った。その時。調理場のドアがガチャ、という音ともに開かれた。


    トーマス「コニー、お前今日はつまみ食いとかするなよー? キース教官が巡回来るらしいからな」


    コニー「いんだよバレなきゃ」


    エレン「バレない前提で話を進めんなよコニー……」


    エレン「って、ん?」


    ミーナ「あ、エレン! トーマス達も!」


     時刻はアニとミーナが作業を始めてから二十分以上が過ぎ、そのタイミングで本来の作業開始時間に間に合う様に調理場に入室してきたのは、エレン達だった。
     エレンは、アニとミーナが一緒に作業をしてることを少し意外そうに「なんだ、お前らもう作業始めてたのかよ。早ぇな」とかまど周辺を見渡しながらそう言う。
  27. 33 : : 2019/07/04(木) 05:36:51

    コニー「ん? お前ら早いなおい」


    トーマス「凄いな、助かるよ。ありがとう二人とも」


    アニ「……どうも。先に手を洗ってきたらどう?」


     そうだな、そうするよ、とトーマスは苦笑しコニーと一緒に手押しポンプのところへ向かう。

     エレンもそれに続く中、「アニが一人で作業してるのはよくあるけどよ、お前も一緒だなんて珍しいな。ミーナ」とやはり驚いた様な表情を見せる。


    ミーナ「え、あぁ、うん、まぁね!」

     ミーナは照れくさそうに微笑む。アニはその様子に無表情で少し目を細めている。

    エレン「そういやアルミン達とクリスタとかが心配してたけどよ、お前……課題訓練の人員見つかったのか?」


     ミーナはそれを聞いて顔を俯かせ「あ、それは……まだかな」と気まずそうにそう言う。


    エレン「そうか……ん?」


     エレンはミーナの横で大鍋をかまどに並べているアニを見てふと何かに気付く。そしてアニに対して「なぁアニ」と声を掛けた。
     アニは後ろを振り向くことも無く作業を続ける。

    エレン「お前も確か、今月の全体平均の中で成績上位に届いてるんじゃなかったか?」


    アニ「────よく知ってるね、何で?」


    エレン「いや、ライナーが何か言ってたんだよなそういや」


     アニはそれを聞いて少し不機嫌そうに「…………………そう」とだけ呟く。

     ミーナはそれを脇で聞きつつ何故アニがやや不機嫌そうになったのかは分からないまま、エレンとアニの会話の中、アニの作業を再び手伝う。
  28. 36 : : 2019/07/04(木) 10:07:12

     エレンはそんなアニの様子には気がつくことはないまま続ける。ふと、視線を戻したエレンは「ミーナ」と彼女を呼ぶ。


    ミーナ「? なに?」


    エレン「アニには聞いてみたのか?」


    ミーナ「………あ」


     昼休憩の時点において、ミーナは成績上位者の名簿を見つつ、ノアやソフィと共に課題訓練に対し協力してくれそうな人物へとにかく頼み込んでいた。

     だが、結論からいえば時間内にアニの姿を見つけることが出来なかった。

     どこの兵舎を探しても彼女の姿は無かったのだ。そして、ライナーやベルトルトもまた同様だった。
     時間も限られていたミーナ達はアニや彼らを探すことは早い段階で諦め、他の人物に助けを求めていた訳だが─────ミーナはアニとの会話に夢中で、すっかりその事をエレンに聞かれるまで忘れていた様だ。


    エレン「ちょうどいい機会だろ、アニにも頼んでみろよ。なぁ? アニ」


    ミーナ「そ、そうだね……ありがとうエレン、すっかり忘れてた……」


     話題の中心にあたる当の本人には全く会話の筋が読めず「……それで? アンタらは一体何の話をしてるの?」と訝しんでいた。


    ミーナ「あぁ、実はね……その、私、成績が今月ちょっと、いやかなりピンチなの……」


    ミーナ「だから、課題掲示板で募集してる任務に志願して成績を稼ごうかなぁって思ってるんだけど……」

     そこからミーナはその為の人員が残りあと一人足りていない事、そのメンバーは必ず成績上位20名以内である事が作戦参加の必須条件である事を彼女に伝えた。次いで、その任務の大体の内容も。
     エレンはトーマスやコニーと一緒に大鍋へと具材を流し込みながら話を聞いていた。

     それを聞いたアニは「────それで? エレン、……それこそアンタがやればいい話じゃないの? アンタも一応格闘と立体機動は上位なんだし」と無表情のままエレンに話を振り返した。


    エレン「そりゃミーナには借りがあるし、出来るならオレだってそうするところだけどよ……ミーナのその任務がある日はどうしても無理なんだよ。アルミン達と先約の任務がある」


    エレン「ていうか違ぇぞアニ、今回に関しちゃオレは格闘術しか成績上位に入れてねぇ。それはひと月前の話だ。だから、今回の場合は作戦参加自体そもそも認可が降りるか怪しんだよ」


    アニ「…………あぁ、そう」


    ミーナ「─────もし、出来たらでいいんだけど……」


     「……アニ、参加してくれないかな? 成績上位の人で頼めそうな人、もうアニしかいないんだ」とミーナは俯いて指を弄りながらアニに頼んだ。
  29. 37 : : 2019/07/04(木) 10:12:59

     アニは無言のまま左手で額を抑え「………それ、私にはメリットあるの?」と目を閉じながらミーナに問う。

    ミーナ「め、メリットなら勿論! 今回は作戦参加の為の制約が多いから駐屯兵団や他の所からの評価も期待できるみたいだよ!」


    アニ「……………」


    エレン「別に参加すりゃいいじゃねぇか、その日の非番は無くなるけどよ」


     エレンの言葉も聞いたアニは無言のままひとつ息を漏らす。「…………わかった、参加する」


    ミーナ「ほ、ほんと!?」


     それを聞いたミーナは頬を紅潮させ、アニとの距離を詰めてくる。アニはやや後ずさりしつつ「…………本当」と小声で呟いた。
  30. 38 : : 2019/07/04(木) 10:15:57

    「良かったなミーナ」と話を聞いていたエレンは白い歯を見せながらミーナとハイタッチする。


    ミーナ「うん!! アニはすっごく優秀だもの! 本当に嬉しい!!」


    アニ「持ち上げ過ぎだよ。言っとくけど私は憲兵団に対しての評価も欲しいから参加するだけだからね」


    ミーナ「それでも嬉しいよ!! ありがとう、アニっ!」


    アニ「…………どうも」


     アニはまたひとつ、嬉々とするミーナを横目にため息をついた。
  31. 39 : : 2019/07/04(木) 10:31:22



    ◇ √01


    《現在公開可能な情報》

    ※一部分、基となった資料の記載が何者かの手によって黒字、記号化されているため、解読できていない部分がある。
     また、記号はこの壁の中における文献において対応可能な文字───イロハニホヘトやヒラガナ、数字などを示す───が適応出来なかったものに当たる。

     また、この資料が見つかったのは壁に侵入したある巨人の体内から見つかった日記の一部分だ。
     この日記を書いた人物は一体何者なのか、またそれを発見した者はその後どうなったのかを知るものはいない。

     かつてMー☼においては○TN巨人の1つ『S:ntiJ*N』の能力を擬似的・及び一時的に創り出s為の人体実験gおこなWrていたと言u。
     巨人化学におけるある文献では、その能力は不完全ながらも多数の被検体の犠牲により完成し、ある一人の《以下、記述が余りにも乱雑及び解読不能の為、伏字》

     
  32. 40 : : 2019/07/04(木) 10:38:15

    ◇ #02



    「聞いて聞いてノア!! アニが課題訓練に参加してくれるんだって!!!」

     キーーン、という鼓膜の高音が自身の耳殻(じかく)から漏れているような錯覚をノア・ティファニーは受けていた。
     廊下上に設置されているランプもまた、大声の主によって灯火をゆらゆらとざわめかせている。

    「…………わかった、分かったからとりあえずそんな起きたての頭に大声を出さないでくれ……」と眉を指で抑え、苦悶の表情を浮かべながら彼女は嘆いた。
     その様子を見たミーナ・カロライナは黒髪のお下げを揺らし、慌てて「あっ、ご、ごめん……つい嬉しくてさ……だ、大丈夫??」と心配そうにノアを見つめた。
  33. 41 : : 2019/07/04(木) 10:45:07

     時刻は午後8時52分。夕方の食事を終え、自習時間がものの2分前に終わったところだ。
     各部屋の窓の向こうでは、鈴虫や鳥達が暑さが収まりを見せた外で楽しそうに騒いでいる。一切の明かりを通さない夜の森の中で、月だけは煌々と輝いている。

     そんな中、自由時間を知らせる鐘が鳴り響いたその1分後……凄まじい足音と共にノアやソフィア達の居る部屋の扉にやってきたのが彼女────ミーナ・カロライナというわけだった。

     
  34. 42 : : 2019/07/04(木) 11:14:08

    「なになに、どうしたの?」とその様子を見ていたソフィが駆け寄ってくる。

    ソフィ「とりあえず、外で話そうよ。ここじゃ邪魔になっちゃう」


    ミーナ「あ、そだね。ごめん」


    ノア「あぁ………」


    ミーナ「……もしかして、寝てたの?」


    ノア「そだよ、自習はどうも苦手でさぁ……」


     そう言ってノアは大きな欠伸をする。ミーナとソフィは呆れたり、苦笑せずにはいられなかった。


  35. 43 : : 2019/07/05(金) 03:03:46

     女子宿舎の扉を開くと、衣服の隙間から湿気た空気が入り込み、肌着と地肌にまとわりついてきた。

     ────長かった雨の時期は終わりを告げている。
     もうすぐ茹だるように暑い、あのジメジメとした夏が近づいてる事を予想させるには十分な夜だと、そうミーナは思う。

     きっとノアやソフィも同じ事を考えているのだろう。彼女達は服の襟のボタンをひとつ開いたり、襟を仰いでいた。

     今日は空がよく晴れ渡っている。
     漆黒に染まりながら高くそびえる樹林の隙間からでも、星の一つ一つが輝いている。それらは、今にも地上へと降ってきそうなほど煌びやかな光だった。

     ミーナ達は兵舎を出てすぐの階段脇に揃って三人で腰掛け、一息ついた。


    ミーナ「────こうやって」


    ノア「ん?」


    ソフィ「?」


    ミーナ「こうやって、こんな夜に三人で話すのは少しだけ久しぶりだよね」


    ノア「……ふふ、そうだな」


    ソフィ「だね!」


     三人は顔を見合わせて頬を(ほころ)ばせ合う。
     すぐ横で弾けながらその身を燻らせている松明の火が揺れる。


    ノア「────それで、誰が結局課題訓練に参加してくれるっつんだ?」


    ミーナ「ん? あぁ、アニだよ」


    ノア「アニ? アニってあのアニ・レオンハートの事か?」


    ミーナ「うん、そだよ?」


     ノアは腕を組みながら眉を吊りあげると
    「…お前よくそいつとそんな風に会話を持っていけたな」と驚嘆した様な様子で言う。


    ソフィ「私も驚いたかも、ミーちゃんがアニと仲良いなんて」


    ミーナ「え、そ、そうかな?」


     ソフィもまた、薄緑かかったセミバックヘアーのポニーを揺らしながら意外そうな表情を向けてきた。
  36. 47 : : 2019/07/06(土) 13:49:33

    ノア「お前、巷じゃアイツがなんて言われてるか知ってるか?」


    ミーナ「巷? 私たち104期の間ってこと?」


    ノア「まあそうだな」


     ミーナは長いまつ毛で揺れる大きな目を瞬かせなから不思議そうな表情を見せ、ノアの話に興味を向ける。
     ノアは少しだけ息を着きながら肩をすぼめ「────氷の女、だとさ」と小声で言った。


    ソフィ「氷の女?」


    ノア「あるいは氷柱(つらら)女とか言われてたっけな」


    ノア「なんだ、ソフィも知らなかったのか?」


    ソフィ「私自身あんまりそういう話好きじゃないからさ……」


     そうだな、お前はそういうやつだもんなと苦笑し、ノアは続ける。
     なんでもそれは、104期訓練兵の誰かが彼女の無反応さを詰って言い出した蔑称であるという噂もあれば、顔立ちが良い彼女の冷ややかさ────クールビューティな印象を揶揄してそういった呼称を作ったという噂もあるが、実際の所はどちらが確かなのか真偽は謎のままだという。
  37. 48 : : 2019/07/06(土) 13:59:43

    ミーナ「────アニ、そんなこと言われて嬉しくないよ絶対……」


     ミーナは苦々しく眉を潜め、無表情で作業をしていたアニの顔を思い浮かべながら俯いた。

     ノアはその様子を見て、ガシガシと頭を搔き、茶髪の毛束を弄らせながら「まぁでもよ……」と言う。


    ノア「正直私も私で、アイツはどうも苦手なんだよな」


    ミーナ「どうして?」


    ノア「アイツいつも基本一人だろ? それは別に個人の自由だとは思うけど、団体性を問われる科目の訓練とかで一緒に組まされると正直……やりずらい」


    ノア「基本一人で全部やろうとするしさ……」


    ミーナ「………」


    ソフィ「私も、アニがたまたま座学で隣で座ったことがあってさ」


    ソフィ「まあこれはウトウトしてた私が悪いんだけど……講義のノートが全部取りきれなくて。隣にいたアニに少しだけ写させて欲しいんだけどいいかなって聞いたの」


    ノア「そしたらなんて言ったんだ? アニのやつ」


    ソフィ「寝てたアンタが悪いんだから、反省して教官にでも聞いてきな、って……」


    ソフィ「……そのあとは教官に絞られながら、書けなかった所を聞きました」


    ノア「……ノートのひとつくらい見せてやりゃ良いのによ……」


    ミーナ「……そ、そんな事あったんだ……」


    ソフィ「ま、まぁ、その時に関しては自己管理が甘かった私が悪いんだし、アニの言うことももっともだけどね」


    ソフィ「────でも、正直言うと、その時のことあってからは、私も少し……アニとは話しかけにくい印象かもしれないなぁ」


     ソフィはあはは、と苦い顔で笑うと顔を俯かせ、一つ小さな溜め息を付く。
  38. 53 : : 2019/07/06(土) 19:58:40


    ソフィ「ところで、ミーちゃんは何をきっかけでアニとそういう話になったの?」 
     

    ミーナ「え、……えっと」


    ミーナ「ほとんど、エレンのおかげかな……」


    ノア「ん? なんでエレンが?」


    ミーナ「んと……今日私調理当番だったんだけど、その時にアニの他にもエレンと一緒になったの」


    ミーナ「その時に……気にかけてくれてたエレンが気を遣ってアニに話を振ってくれてさ」


     すると、ノアとソフィアは二人で顔を見合わせると「「え、エレン(の奴)が!?」」と声も合わせた上で揃って驚いた。
     ミーナは思わずたじろいで「う、うん。そんな驚く?」と苦笑する。

  39. 55 : : 2019/07/06(土) 20:14:13

    ノア「いやだってさぁ……」


    ソフィ「ねぇ……」


     二人は相変わらず顔を見合わせながら意外そうな表情をそのまま覗かせている。ミーナは今ひとつその真意が汲み取れず、「??」と少々汗を垂らして困惑する。


    ノア「あの巨人を駆逐することしか考えてない奴にもそんな気が遣えたとは正直驚きだろ」


    ソフィ「私もかなり意外、アニのことといい、エレンのことといい……なんというか、ミーちゃんってさ」


     人の心を開くのがすごく上手なんだろうね、とソフィはくすくすと微笑みながらミーナの頬に触れる。

     ミーナは「心を開くって……私は特にそんな何かしてる訳じゃないよっ? 大袈裟だよ……」とくすぐったそうに首を小さくよじる。


    ノア「いや、ある意味それはお前のすっげえいいとこだよ。そこは誇りを持ちな」


     ノアは顎を掌に乗せてはにかみながらそう言った。──そんな良いところが私にはあったんだ。ちょっと驚いたな。
     ミーナは何故か少し恥ずかしくなって、ポリポリと指で頬を擦った。
     自分では自覚がなかった分、こんな風に急に褒められると、どうにも心がいつも踊らずにはいられない。その感覚は、身体全体が少し浮き足立ってムズムズするそれに近い。


    ソフィ「……でも、ミーちゃんはそういう所があるからきっと、皆ほっとけなくてミーちゃんを助けちゃうんだろうね」


    ミーナ「え?」


    ソフィ「ミカサも言ってたよ、ミーナは周りがとても良く見えてる印象を受けるって。
     それでいて、いつも笑顔で話してくれるから、警戒心が自然と溶けるって」


    ミーナ「……ミカサが、そんなことを……えへへ、嬉しい」


    ソフィ「ふふっ」


    ノア「愛されてんなお前」


    ミーナ「…………うん。私……皆にいつも助けて貰ってばかりだなぁ」


    ミーナ「──────」


     その時、彼女は唐突に思い出す。
     脳に浮かんだのは、一年以上前の情景。そして、確かな体温。暖かな言葉。不安を見抜いていたのかもしれない母親がくれたもの。
     あの日────入団式の日に、母親が自分に対して優しく抱擁しながら伝えてくれた想い。


    _________


    _____あなたは優しい子よ。────だから、そんなあなたの優しさを知るだれかが、必ずあなたのことを助けてくれるわ。


    _____そしてもし、そんなだれかがあなたを助けてくれたら……


    _____今度はあなたがその人を助けてあげなさい?


    __________


    ミーナ「……………」


    ミーナ「世界は、この狭い壁の中でもそうやって回ってる……か」


     分かってはいた。言葉ではなんとなく、理解出来ているつもりだったのだ。その意味を。

     だけど、実際にほんの少しでも歳を重ねてきた結果、やっとその言葉の重みが分かる。たくさんの人を見てきた今なら、分かる。

    ノア「……ん? どうした?」


    ミーナ「………昔、ね。お母さんがね、助けて貰った分は、その分あなたが人を助けてあげるのよ、って言ってくれたことあったの」


    ミーナ「世界はそうして回ってるから、って」



    ノア「…………」


    ミーナ「今、やっとそれの本当の意味を理解したのかも。私」


    ソフィ「………………」


     ふと、訪れる静寂。森の声だけが、辺りには響く。ソフィアはそんなミーナを静かに見つめると、目を伏せる。
     そして顔を上げて、何処か遠い目で─────夜の光を見上げる。
     

    ソフィ「─────いいお母さん、だね」



    ミーナ「─────うん」


    ミーナ「………いつか、なれたらいいなぁ。もっと、当たり前のように真っ直ぐ人を助けれるような人に」



     静かな闇の中、揺らめく炎。
     松明の陰りの中で、ミーナは空を見上げている。

     ソフィアもまた、そんな彼女のこの先への憂いと期待に満ちた瞳を横目に、微笑みながら共に彼方へと視線を向けている。

     ノアはひとり、そんな彼女たちの表情を見つめている───── 一瞬、ひどく哀しげな表情を浮かべる─────ゆっくりと伏せる。

     目を、閉じる。

     膝の上に乗せた掌が、自然と力む。
     それはまた一つ、新たな決意を形に示す様に。かつて誓った、たった一つの願いを想うように。

     そうして、三人で夜空を見上げる。
     夜陰は、それそれの思いを否定はしなかった。
     ただただ────どこか、うら寂しげに沈黙を返すだけだった。
  40. 56 : : 2019/07/06(土) 20:20:44

    ソフィ「─────整理するとつまり、」


    ノア「エレンが間に立って話をしてくれたことで……アニは成績上のメリットの事を考えた結果、私たちと任務に志願してくれたってこと、でいんだよな?」


    ミーナ「そう。まとめるとつまり、そういう事」


    ノア「まあ、アニらしいよな。格闘技とかはサボってんのに、基本的に成績に役に立つ事は本気入れるヤツみたいだし」


    ミーナ「え、そなの? アニサボってるの?」


    ノア「知らねぇのか? しょっちゅう上手いこと教官の目を撒きながらサボってるぞ。まあ………アイツに限った話でもねぇけどな」


    ミーナ「へぇ……そうなんだ……」


     アニに対し、真面目なイメージがあったミーナは少し意外に思った。

     (────まぁ、私だって手を抜いてはいないけど、やっぱり立体機動の後に格闘技はキツいし……動くの辛いからそうしたくなる気持ちも分かるけど……)
     
     訓練に対して手を抜いている人間の気持ちも正直否定出来ない所があった。
     立体機動の訓練で疲れ果て、自己管理がままなっていない節がミーナにもあり、うたた寝を座学中に何度か行ってしまったこともある。人の事は全く言えた事では無かった。
     
  41. 59 : : 2019/07/08(月) 20:53:08

    ノア「ま、当日は教官もついてこねぇし、見張りの駐屯兵もいないらしいからそんな力む必要も無いだろしな」


    ソフィ「あははは、案外アニとも今回の任務きっかけに仲良くなれるかもねっ」


    ミーナ「ふふっ、うん、だといいなぁ」


    ソフィ「こうやって三人で任務に出る機会って、兵站訓練の時とか立体機動の時くらいしかないから……まぁ、気は抜いちゃいけないってのわかってるけど」


    ミーナ「楽しみだね」


     ソフィアとミーナは揃って顔を見合わせて「ねっ」と笑い合った。クスクスとを目を細め合う二人の様子を見たノアもまた、苦笑せずにはいられない。


    ノア「ったく……ピクニックじゃねぇんだぞー」


    ミーナ「いいじゃん! ウォール・シーナまでは距離あるんだし、まぁ道中ケガだけは気をつけながら行こ!」


     そう言って立ち上がり、ミーナの顔は、何かを吹っ切ったように晴れやかだ。ノアは仕方ないな、と言わんばかりに呆れつつも、微笑む。

     そのタイミングで、就寝時間を告げる鐘が鳴り響いた。

    「そろそろ寝るか、行こうぜ」というノアの掛け声をきっかけに、三人はお互いにそれそれの思いを胸に、宿舎の中へと歩きはじめる。

     宿舎の入り口の重い扉が閉まり、夜の湿った空気はその流れを断ち切られた。
     ソフィアは、おやすみと言い合うミーナとノアの背中を見つめている。ミーナから「二人共、また明日ね!」と言われ、彼女は「うん、おやすみ」と返す。

     ─────その表情は、ランプの灯火の影になっている。

    「行こうぜ、ソフィア」とミーナが奥の廊下へと向かうのを見送った後のノアには、ソフィアの面容は上手く窺えない。


    「………………」


     薄緑の髪の少女からの反応はない。彼女の視線は、右手のある一点から外れようとしない。

     ノアは「? どうしたソフィ………」と言いかけたところで、ソフィアが薄暗い闇の中で握りしめて見つめているものに気が付いた。
     そうして彼女は、ノアの視線に────気が付く。

     二人は視線を重ねる。


    「……………………………」


     その瞳孔は大きく開かれ────水色のそれは、無表情のままノアを穿つ。
     ソフィアの持った何かの正体に、ノアは気が付く。
     額は湿った汗に濡れている。脈打つ、心臓。早鐘の様に鳴り出す。
     手が汗ばみ、指先まで通っていたはずの血液が止まっていくような感覚に囚われる。

     火は、そんなふたりを照らしながら。
     そして、誰かの吐息によってその存在を掻き消された。
  42. 61 : : 2019/07/10(水) 00:35:10
    ◇√2




    《現在公開可能な情報》

     830年代、壁内における権力は「フリッツ家」と呼ばれる王家と、その他複数の貴族が数多く占めていた。
     そして王政は月に一度、壁内の情勢や今後の政治体制等を憲兵や駐屯兵へ伝達する為、軍法等に基づいて議会を行っていたという。
     だが、それらの場において具体的に壁内の将来を見据えた発言をした者は等しく皆無だった。どの者も自らの権益にしか興味が無かったからであろう。
     しかしある極秘の報告書によると、843年時、一つの貴族がその中で唯一積極的にある発言を行っていたという書記の記録がある。
     
     だが、その貴族の男は正義感が強すぎたと誰かが言った。
     その結果、翌月の議会において彼を見たものは居らず、それ以降も二度と彼の姿は現れなかったという。

     後に、ストレス区にて発行されたベルク新聞社の記事において、数日以内に起きたある大きな山火事についてこの様に書かれている。以下、その一文である。



    『山火事の発生源はひとつの豪華絢爛だった豪邸からということが判明した。出火原因は未だ不明。

     一時期は放火という説も学者によって検証されたが、それ以降の内容については憲兵によって捜査が打ち切られた為、詳細は不明なままである。

     周辺状況によると、ここ数日、地域は快晴が続き、乾燥が続いていた。よって出火は乾燥によって生じた摩擦熱の引火とみられている』
  43. 62 : : 2019/07/11(木) 09:51:44

    ◇#03

     空気は冷たく、およそ夏に近づいているとは到底信じ難い朝モヤの冷気が頬に張り付いていた。

     西の地平線近くにはぼんやりと滲んだ月がその身を隠そうとする一方、反対の空からは有明の光が堂々とその身を晒そうとしている。

     時刻は午前五時過ぎ。
     まだ日は登り始めたばかりだ。幸い、団服は厚手の長袖で皮膚をその身に出さずに済んでいる為、寒さは感じない。
     ミーナ・カロライナは、その中で一人、呑気に欠伸を漏らす。


    「ふぁあああ……」


     トロスト区、兵団支部。いくつもの煉瓦造り(れんがづくり)の塔が四方を囲む様にしてその周りを形成させている。松明の光は既に無く、そこに在った木片は炭となって辺り一面に空虚感を漂わせていた。

     その大広場の隅にて、ミーナ、ソフィア、ノア、アニはそれぞれ四人で整列していた。

     ソフィアは指先の爪を爪ヤスリで擦り、身だしなみを整えている。一方のノアはミーナとほぼ同じタイミングで大きな欠伸を一緒にしており、またアニは三人の目から見ても起きてるのかどうかすら判別ができないほど目が虚ろな様子だ。
  44. 63 : : 2019/07/11(木) 10:06:02

    「午前五時過ぎ明朝、輸送任務を行う第104期訓練兵はトロスト区兵団支部大広場前にて、ドット・ピクシス司令の任務説明を待機せよ」

     数時間以上前、訓練兵団の非番─────つまり休日一日前の彼女たちに女性教官より渡された伝令がそれだった。就寝前の四人はそれぞれゲンナリと倦怠感に駆られながら今に至る。
     だが、集合時間は既に20分以上は経過している。

    「………………………………」

     四人とも、当然のことながら起きたのはほんの30分前であり、眠気に囚われずにはいられなかった。
     おまけに、今日は本来であれば日々の訓練の疲れを癒すことの出来る限られた休日であり、同期の者達は皆ともにまだ深い眠りの中にいる時間である。─────まぁ、志願したのは、彼女たちの方ではあるが。
     だが、既に遅刻している総司令に対して四人はそれぞれ微かな苛立ちと不満、呆れの感情が積もり始めていた。
     
  45. 64 : : 2019/07/11(木) 10:31:23

     そして、そこから更に三分後、事態は動いた。

    「おい、アレ……」とノアは荷馬車用の大扉を指差す。


    ソフィア「?」


    ミーナ「んあ?」


     見ると、大扉が重い音を奏でながら少しずつ開かれている。そして、数十秒掛けてその扉は大きく開かれた。
     ──────そこから出てきたものは、本来の進行方向とは真逆に動く大きな幌馬車。

     見ると、その幌馬車のフレームは立体機動装置の半刃刀身にも使われている黒金竹製の金属めいた艶を見せている。
     調査兵団の荷馬車にも使われている型のものを輸送するのは、ノアとしては何とも神妙な気持ちになった。
  46. 66 : : 2019/07/13(土) 19:28:12

    「……やっと来たな」とノアは愚痴を呟くようにして小声で言う。ミーナは少し安堵した。
     そんな彼女たちを他所に、荷馬車と一緒に扉から入ってきた2頭の軍用馬────ドット・ピクシス総司令の乗ったそれと赤茶の髪の女性士官の馬────は蹄鉄を鳴らしながら少しずつ近づいてきた。


    ピクシス「ほう、遅くなってすまないね。少し輸送物の数が違っていたらしく、その総確認を行っていたのじゃ」


    女性「確認だけど、貴方達が今回の輸送を行う訓練兵達かしら?」


     赤茶色の女性士官が馬から降り、何かのリストをめくりながらくしゃっとした笑顔でそう尋ねる。ピクシスは髪の生えていない綺麗な坊主頭を手で擦り合わせている。
     四人はお互いにそれぞれ顔を一瞬見合わせた後、敬礼で答を返した。

     
    アンカ「そう、じゃあ今回は改めてよろしく頼むわね。紹介が遅れたけど、私はアンカ・ラインベルガーよ」


    ミーナ「あ、よ…よろしくお願いします」


     頬を緩めたアンカに対し、ミーナもぎこちない笑顔で敬礼のまま挨拶をした。

     その様子を見たピクシスは、鼻下の白髭を整えるかのように撫でると「ほぉ………なかなか今回の訓練兵は全員粒揃いじゃな」と呟く。

     それを聞いたソフィアとミーナは少し頬を赤らめ、苦笑する。ノアとアニは「………」と無言のままだ。
  47. 67 : : 2019/07/13(土) 19:36:54

    アンカ「─────………司令、そういうのはセクハラになります。やめてください」


     アンカは資料のような紙をめくる手を止め、ピクシスに対して目を細めながら発言を諌める。

     すると、老人はホッホッホ、としわがれた声で笑いながら何やら専用の兵団服の内ポケットから取り出す─────ノアの目から見る限り、それは瓶酒だった。恐らく、ウイスキーか何かだろう。
     

    ピクシス「どうじゃ、お主らも任務前に一杯気合いを入れていくか?」


     ピクシスは何やら楽しそうにそう言うが、当のミーナとソフィアは少し苦笑いしつつ、「え、遠慮しときます……」と汗を垂らす。
     アニとノアに関してはアンカの方を見つめ何とかしてくれこの上官、と言わんばかりに冷ややかな目を向けている。
     
     その様子を見たアンカは無言で勢いよく総司令の左手から酒瓶をふんだくり、「司令、勤務中ですよ」と睨む。ピクシスはやや萎縮しながら「……うむ」と言った。
  48. 68 : : 2019/07/13(土) 19:43:10

    アンカ「────ごめんね、四人とも。この人は何も悪気は無いからね」


    ノア「……は、はぁ」


     アンカの横で少し残念そうに眉をひそめている老人────ドット・ピクシスは仮にもトロスト区最高責任者、及び総司令である。いわば、トロスト区においても、駐屯兵団の中においても、トップクラスの権力を持った男だ。

     ……だが、同時に「世紀の変人」としてもまた、有名な男でもあった。

     その事実を薄々ながらも砲撃訓練時に駐屯兵によって聞いていたノア達は、この男のこの返しは予想の範疇ではあった。
     なんでこの人変人だなんて言われてるんだろ、と素直に疑問に思っていたミーナもまた、先の様子を見て納得したのだった。
  49. 69 : : 2019/07/13(土) 20:01:14



     時刻は3時間後。
     
     午前8時を回り、乾いた風の匂いが辺り一面に漂っている。朝方の冷気は霧散し、4馬の(ひづめ)の音が森林の中にこだましている。

     ─────アンカ・ラインベルガーはピクシスの対応に手を焼き、フォローもしつつも確実な任務内容の詳細を4人に伝えた。
     任務の内容は訓練兵団の掲示板に書かれていた内容に加え、より明確化されたものだった。

     任務時は必ず信煙弾を所持し、緊急事態時においては調査兵団が使用する煙弾と同じ「紫」及び「黄」の弾を撃つ事。

     恐らく緊急事態が起こる可能性は極端に低いものの、数ヶ月前に訓練兵団の一部が遭遇した────ミーナやエレン、ミカサ達二つの班が鉢合わせた強盗による立体機動装置強奪事件───案件がある為、決して油断はしないで欲しいとの事だった。
  50. 73 : : 2019/07/14(日) 19:15:04

    「油断するなっつったってな……」とふいに馬上のノアは頭を掻きながら息を漏らしてぼやく。


    ノア「ここ三時間ずっと森林を通ってばっかだぞ? さすがに暇だわ……」


    ソフィ「ねー……まあ景色は崖の付近の森林だから結構綺麗なんだけど……」


     ソフィアもまた、長時間の乗馬による固定された姿勢に嫌気が差したのか、はたまた肩が凝ったのか────肩関節を回し、何度も鞍の騎座の上で姿勢を変えていた。
     アニといえば出発から3時間が経過してから現在に至るまで常に無言のまま手綱を握り続けている。
     その一方で、隣のミーナはそんなアニの様子を、横目で垣間見ながら馬を走らせていた。

     恐らく場所は、3時間の道なりから逆算するにトロスト区から約80キロほどの巨大な大森林の中であろう。 
     森林はミーナにとって聞いたことの無い鳥の鳴き声や、ススメの鳴き声、その他様々な生命の声で常にざわめいている。
     
     彼女にとっては、かつてトラブルと共に経験した荒地行軍訓練での道程に比べれば、この景色はとても自然豊かかつ多種多様なものだったので退屈にはならなかった。
     だが、それはミーナのみに限った話のようで、先の様子を彼女から見る限りノアやソフィアにとってはそうではないようだった。
     
  51. 74 : : 2019/07/14(日) 19:21:08

     アニに関していえば、一言も愚痴も不満げな表情も無い上に常に無表情だった為、ミーナは彼女が何を考えているのかほとんど分からなかった。

     常に、無言。……どうしよ、なんか、やっぱり話しかけにくいなぁ、と彼女は宙を仰ぐ。

     聴くことの方が好きな彼女とはいえ、話すことが無い───もとい、何を話せばいいのか分からない相手には彼女も気まずさを感じずにはいられなかった。
     最も、当の本人であるアニはミーナのその心情には気づく様子も無かったが。

     ノアはふとアンカより渡された地図を開き、道のりを確認する。「なぁ、お前ら」と地図を見つめながら視線を横にいる3人に向ける。

    ノア「そろそろ休憩しようぜ?」
  52. 75 : : 2019/07/14(日) 19:50:25

     ミーナは布製の水筒の蓋を親指で軽く開け、乾いた唇へ、水を少量ずつ流し込む。
     口腔から注がれた水分は咽喉を通って汗ばんだ身体の隅々へと行き通っていく。ぷはっ、と満足したミーナは潤った唇を離し、ほぅと小さな息を漏らす。
     
     その様子を見ていた荷馬車の馬はまるで水を欲しがるかのように小さく(いなな)く。ミーナはそれに気付くと、自前のリュックに入れていた食事用の金属容器に水を流し込み、馬に飲ませる。

     馬は何やら嬉しそうに少し勢いよく舌で水を絡めとって行く。ミーナはその様子を見て思わず頬を緩ませながら頭を撫でた。

     ────立体機動装置の簡易点検をしつつ地図を眺めているノア曰く、まだ行程としては3分の1も行っていない、との事だった。

     ここから日没まで通しで馬を走らせれば何とかエルミハ区前の森林付近に到着は出来る見込みであり、ウォール・シーナに進入後は工業都市まですぐの道のりだった。


    ソフィ「私、こーゆう輸送任務初めてだったけど」


    ノア「ん?」


    ソフィ「まさかこんなに長い工程だなんて思わなかったよ……」


    ノア「ああ、そゆことな」


     ソフィアは凝り固まった筋肉をほぐすように首に手を添えて言う。どうも長旅には抵抗がある様だ。ノアも苦笑しつつ、その様子を見る。
  53. 76 : : 2019/07/14(日) 19:58:51

     アニは小さく腕を組み、付近の巨木にもたれながら立っている。
     彼女は、崖向こうの森林へとその視線を向けていた。ミーナは馬の横顔を優しく撫でながらアニへ視線を向けるが、彼女はそれには気づかない。

     ────……本当は話しかけたいんだけどなぁ。あーあ、どうしよっかなぁ……。

     ミーナとアニは一週間前の調理時以降、中途半端に会話が途切れたままだった。そこから結局お互いに話す事はほとんど出来ていないまま、そうして現在に至る。
     金髪の少女は遠い向こうの森林へ向けていた鋭い視線をふと戻すと、ミーナの視線に気が付く。


    アニ「………何?」


    ミーナ「ふぇ!? ああいや、その……なんでもない」


    アニ「────………そう。じゃああんまりこっち見ないで。落ち着かないから」


    ミーナ「ご、ごめん」


     それだけ言うと、アニは取り外していた装置の鞘を持ち上げると、無言で大腿部へ取り付け始めた。
     ミーナは結局それ以上アニに話しかける勇気は出ず、小さく溜め息をついた。
  54. 81 : : 2019/07/18(木) 08:52:15

     ────空の色が橙色に変わり始め、少しずつ暗さが目立つようになった。

     それ以降の一行の行程は順調なものだった。

     ノアの見込み通り、夕刻にはウォール・シーナの城壁が目視で確認できる範囲までは近付いている。
     ソフィアは馬を止め、目を細めながら「だいぶ見えてきたね!」とはしゃぐ。


    ノア「よし、んじゃまあ予定通りこの辺で野宿するか……」


    ノア「目視で見えるっつったってあと20キロくらいはあるみたいだし、野宿の準備も……日があるうちにやらないとだからな」


     ノアは、コンパスと地図の目盛りを確認しつつ馬を降り、3人に指示を出した。
     ノアのその提案に従い、全員それぞれ仕事を行うことにする。
     アニは火を付けるための薪をブレードで集める。
     ソフィアは火起こしの為の準備をノアと共に行い、ノアは食事の為に、付近の森林から食べれそうな植物類か果樹類を集める。
     一方のミーナは、荷馬車に積まれていた木樽バケツを手に、川まで歩いていた。


    ミーナ「んんぅ〜……こんなに長い時間馬に乗るとやっぱり疲れるなあ……」


     身体の関節を伸ばし、筋肉をほぐしながら彼女は川から飲み水を汲み取っていく。
     河川は山の麓から流れてきているのか───森林の隙間から滲む夕陽の明かりに照らされて、透き通っていた。
     
  55. 82 : : 2019/07/18(木) 09:06:23

     そうしてミーナが川から何杯かの水を汲み、火起こしをしているノア達の元へ運び終えた頃────細かい枝を切り集めていたアニと彼女は行き会った。
     アニは、敢えて短めにへし折ったのであろう半刃刀身を右手に、そして左手でそれを添えるようにして木を切っていた。


    ミーナ「……あ、アニ! 手伝おうか?」


    アニ「! あぁ、またあんたか。……いや、いいよ。もうすぐ終わるからね」


     アニはミーナを横目にそこまで言った時、ひとつの失敗をした。「ッ!」と少女は金髪を小さく揺らし、顔を歪める。

     恐らく油断したのか────ミーナに気が付いた時に、一瞬注意を逸らした事が一つの要因だった。刃の先端が左手に微かに触れ、小さく切り裂いていた。
  56. 83 : : 2019/07/18(木) 09:25:57

    ミーナ「あ……ッ、アニ! 大丈夫!?」


     その様子を一部始終見ていたミーナはバケツを置き、慌ててアニの元へ駆け出す。


    アニ「……ッ、別に平気だよ。放っときな」


    ミーナ「そんなわけないじゃない! ほら、見せて!」


    「だからいいって……」と言うアニに構わず、ミーナはジャケットの胸ポケットに仕舞っておいた小型医療セットを取り出す。
     アニの切り傷は刃の先端が触れただけとはいえ、大体4cm以上は血が大きく滲んでいた。様子を見ていたミーナが思った以上に、彼女は手の甲を深く切ってしまったようだ。


    ミーナ「……ごめん、少し我慢してね」


    アニ「な、だからいいって言ってるだろ……!」


    ミーナ「いいわけないでしょ! 傷から菌が入ったらどうするの!」


     アニが止めるのも(いと)わず、彼女は小さく叱責する。すると、お下げを耳に掛け、目の色を変えて集中を始める。

     ────医療セットから2枚のガーゼを取り出し、1枚目はバケツの水で濡らし、傷口の洗浄に使う。2枚目は小さな消毒液を付着させ、傷口を殺菌していく。

     傷が染みるのだろう。「んッ………ッ」と身体を小さく震わせ、アニは消毒の痛みに耐えている。……痛みに鈍そうなアニでもこんな風になるんだな、とミーナは少し意外に思いつつも「ごめんね、もう少しがんばって」と励ます。
  57. 84 : : 2019/07/20(土) 19:36:11

     ミーナがそうしてアニの傷を応急処置し、包帯を巻き終えた頃、林をかき分けて何者かがのっそりと出てきた。「お前ら、何やってんだ?」
     その声の主は茶色の髪を揺らし、頭に着いた葉を振り落とす。


    ミーナ「ノア」


    ノア「こんな所にいたんだな、……なんだよアニ、ケガしたのかよ。大丈夫か?」


    アニ「……あぁ、まぁね」


    ミーナ「私が応急処置したし、よっぽど大丈夫!」


     ミーナはそう言ってねっ、とアニへ白い歯を見せてはにかむ。アニは無言のままそれを見つめ返す。

     ノアは少しを見開かせた後────安心したのか、心配する必要が無いと判断したのか───「それなら大丈夫だな、…………そろそろ飯にしようぜ」と少々悪そうな笑顔で踵を返した。
  58. 85 : : 2019/07/20(土) 20:12:26

     辺りはすっかり暗闇が覆い尽くしている。
     夜の森林は松明無しで歩くには危険が伴う。
     まして、このウォール・シーナ付近の森林地帯は高山地帯でもある為、一歩踏み間違えばたちまち馬と共に落下しかねない。

     荷はおろか、下手をすれば4人の身の安全にも関わる。

     その為、実質夜間における野宿以外の選択肢は、4人には無かった。
     幸いな事に、今回の訓練は制限時間は課せられていない。安全こそが第一になるのは必然だった。
     
     夕陽が完全にその姿を隠す頃、四人はリュックにそれぞれ詰めていた支給品の野戦食を頬張っていた。


    ノア「…………この野戦食糧ほんっとカブトムシみてぇな味するよな」


    ミーナ「もー! やめてよぉー……食欲無くなるぅ……」


     ノアが口を歪めながら愚痴を漏らし、ミーナがそれに対して軽く嫌悪感を抱きながら咎める。ソフィは言葉は発さないものの、何とも微妙そうな表情で野戦食の缶詰を開く。


    アニ「そうかい? 私は別に普通だと思うけどね」


     アニは無表情なままではあるが、そんな二人に珍しく発言をし、クラッカーを齧る。バリバリと言う音が焚き火の音共に響く。

    「……なんだ、お前が喋るなんて珍しいなアニ」とノアは意外そうな表情で缶詰の中の味付け魚をフォークで口の中へ入れる。

     ミーナもまた、目を丸くしながら焚き火で温めたジャガイモスープをスプーンですする。


    ミーナ(……アニの声、みんながいる時初めて聞いたかも)


    アニ「失礼だね、私だって乙女なんだよ。今はなんとなくそう思ったから発言しただけさ」


     それを聞いたノアはブハッ、と口の中の魚をこぼしそうになる。そして慌てて飲み込むと「なんだよ、お前自分のこと乙女とか言うんだな。面白い冗談言うじゃん」と笑いを堪えるかのように震えた。


    アニ「………」


     アニは、少し口を開きながら苦虫を噛み潰したような表情をしていた。
  59. 86 : : 2019/07/21(日) 02:06:43

     その後、長い旅路に疲れ切っていたのか。
     
     4人は食事を終えた後、それぞれ微睡(まどろ)みに溺れていくかの様に眠りについた。

     その中でも特に金髪の少女は寝息を立てるのが早かった。彼女は寝袋を頭から被り、表情は伺えそうもない。

     川の水の入ったバケツで洗い───火に炙る形で乾かした金属の食器を、静かに片すミーナはその様子に少しクスッと微笑む。


    ミーナ「ふふ、思ったより一番早くに寝ちゃったね……アニ」


    ノア「だな」


     そうしてミーナはお下げを解き、寝袋の中へ体を半分うずめる。夜の閑静な森の空気は静かに彼女達を包み、体温を緩やかに奪っていく。

     だが、小さくなった焚き火はそんなミーナたちを守るように火の粉を散らしている。


    ノア「ソフィ、お前はもう寝るのか……って」


     手の平を頬にくっつける形で胡座をかいていたノアは、話しかける形でソフィアの方へふと視線を移す。

     すると、ソフィアは既に船を漕ぐ様に頭を揺らしていた。
     そうして、間もなく寝袋へ勢いよく倒れ込む。だが余程疲れているのだろう、彼女はそのまま床へ就いたままだった。


    「………」


     2人は無言のまま、顔を合わせる。そして、揃って苦笑する。
     
    「今日は長い一日だったのか、短い一日だったのかよく分からねぇな」と、ノアは両手を寝袋上で組み、寝転びながらそう言った。


    「………」


     ミーナはバラバラになった黒い髪の一つ一つを、母親がくれた(くし)()いていく。
     そうして、ノアの方へ穏やかな視線を向けながら「────うん、そうだね」と目を閉じる。

     その日は確かに、一年間過ごしてきた地獄のような訓練の日々と比べれば、いささか平穏過ぎるものであり。

     そして、彼女が忘れかけていた、確かな「日常」そのものでもあった。


     ─────馬に揺られながら、4人は色んな話をした。(アニがその会話に参加したのは片手で足りる程度のものではあったが)

     ミーナがかつて経験した、荒地行軍訓練での出来事の話。

     その中で見かけた大きなトカゲの話。

     強盗に誘拐されてしまったクリスタをエレン達と共に救出しようと奮闘した際の話。

     ソフィアが食い意地の張ったサシャによって、夕飯の半分以上を横取りされてしまった話。

     そして、そんなサシャの首を羽交い締めで押さえつけたノアの話。

     非番のトロスト区で偶然居合わせたハンナによって、ソフィア、ノアが一時間以上フランツとの惚気話に付き合わされた話。
     
     雨の日でも、雪の日でも、変わらずジョギングに励んでいたアニを見かけたというミーナの話。

     そして、そんな所を観察するなんてアンタも暇だね、と横にいたアニに呆れられた話。

     どれも、取るに足らない彼女達の情景ではあった。

     だが、立体機動で命懸けの訓練をしていた時。
     頭から知恵熱が出かねないほどの膨大な内容の講義を学んだ時。
     複雑怪奇な立体機動装置の技巧術を修した時。
     永遠にも思えるような行路を、とてつもなく重い兵装を背負いながら歩いた、兵站訓練の時。

     それだけの数多くの訓練をこなし続けた1年という長い時間の中で、今日ほど穏やかで緩やかな一日は、他に無かった。
  60. 87 : : 2019/07/21(日) 02:23:45
     
     つまるところ、今日ほど4人で会話をした日は他に無かったのだ。
     ─────長く続いた冬の日に、唐突に暖かな日差しと空気が辺りを包む時がある。
     虫たちは春の訪れだ、と言わんばかりにそのほとぼりを喜ぶのだ。
     その身を開きながら祝福の姿を世界に晒す花。
     サナギからまるで2匹の鳥(・・・・)のように空を掛けていく蝶。

     気分はひどく平穏にならずにはいられない。

     ミーナにとって今日の日というのは、そういうものに等しかった。

     もしかしたらそれをきっと、本当の意味での日常と呼ぶのかもしれないとミーナ・カロライナは思う。

  61. 88 : : 2019/07/21(日) 02:30:50

    「………今日みたいな日が続いてくれればいいのに」

     ミーナはそんな言葉を、思わず呟いていた。ほとんど無意識に等しく、それは彼女の口から零れていた言葉だった。
     そうして、ミーナはふと気付く。

     もしかして、私が望んでたものってこれ(・・)だったのかな。私が、願っていたもの(・・・・・・・)は────

     ノアはそんなミーナの様子を見て、どうしたんだ、と何気なく聞いてくる。

     ううん、ごめん、なんでもないんだ(・・・ ・・・ ・・・・・・・・)とミーナははにかんだ。
  62. 89 : : 2019/07/21(日) 02:43:01

     夜はそうして更けていく。

     閑静な森は、この世界を「巨人」という化け物が支配しているとは思えない程度に、彼女達を見守っていた。
     
  63. 90 : : 2019/07/21(日) 03:00:34

    ◇√3

    《現在公開可能な情報》

     これはある記者が書き残した日記のひとつであるが、その中にはこんな記述があったとされる。これが発見されたのは、850年になってからの話だ。
     だが、この日記は誰によって見つけられたものなのか、そしてこの日記がその後どうなったのかを知るものはいない。


    『その者達は、ある夫婦を射殺し、ある教師を拷問して嬲り殺しにした』

    『私は金髪の夫婦達が殺されるところを陰ながら観てしまった。そして、ある教師が『秘密』を知った為に殺されたことを聞いた。

     奴らはどうやら普通の憲兵ではないようだ。

     そして、あるとんでもない事実を私は共に聞いてしまった。そして、見つかった。見つかったのだ。

     私は消される。

     何故なら私は数日前、ある女にこちらを見られてしまった。草むらに隠れていたが、どうやら無駄だったようだ。私は必死に逃げた。逃げた。逃げた。
     そして今、逃げ込んだドブみたいな地下街から、ウォール・マリアの何処かに私はいる。何処に? そんなものは知らない。今はそんなことに関心など無い。
     だが、憲兵は100人規模で、私を探している。
     誰かがそう噂していたのを聞いたのだ。
     そしてその中で確かに『奴ら』は特にその目を光らせて殺そうとしている。この私を。

     怖い、恐い、こわい、コワイ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない誰かに助けて欲しいが誰にも助けは求められない。もはや助からない。殺される。確実にそれだけはわかる。

     だからもう、願うのはただ一つだ。この日記を読んだ人間は、速やかに憲兵団の目に届かないところへどうかこれを隠して欲しい。私の知った事実が消される前に』


    『憲兵団は、一枚岩ではない。彼らの中にはある特殊な組織が存在する。
     誰もが知る立体機動装置……それに似た何かを身につけた彼らは、今ある少女を探している。彼女はこの世界の『鍵』となる何かを持っているようだ。
     そして、『黒い髪が目立つある一族』を探している。それが何かは私には分からない。

     彼らがそれを躍起になって探す理由────それは、フリッツ王家が、ほんとうの』


     日記はこれ以降、血塗れになったまま記載が無い。
  64. 93 : : 2019/07/21(日) 13:21:49

    ◇#04

     木材と超硬質スチールを織り交ぜられた車輪が石畳に触れる度、帆馬車は揺れる。
     ウォール・シーナ南城壁都市を抜けた後、彼女たちの目的地は在る。
     エルミハ区は貴族の街だ。
     内壁に向かうまでの一本道となっているメインストリートでは、華やかな衣装を着飾った数多くの市民達が街を闊歩(かっぽ)している。その中を、帆馬車は真っ直ぐに駆けていく。


    ミーナ「……………」


    (なんか、ものすっごい視線を感じる)


     ミーナたち訓練兵の姿は、彼らからすれば物珍しい存在なのかもしれない。
     この街において巡回する兵士といえば、内地在住の憲兵団がその基本なのだろう。
     事実、彼女たちは道の脇にいる市民達から好奇な目、奇異なものを見る目で見られていた。

     2頭の馬の手網を握る手が何やら緊張して汗でぬかるんでいるのをミーナは感じる。

     ノアやアニはそんな視線を気にすることもなく、作戦要項を確認しながら荷馬車と共に馬を走らせている。


    ミーナ「………………」


     そうだ、と思いミーナはふと荷馬車の中にいるソフィアに声を掛けた。「ソフィア、体調は大丈夫?」


    ソフィア「う、うん。大丈夫……ごめんね、馬のお世話頼んじゃって」


    ミーナ「それは全然良いけど……」


     そう言ってミーナは隣を走らせているソフィアの馬へ視線を移す。
     ソフィアはエルミハ区に入るタイミングで、「頭が痛む」と言って体調不良を訴えていた。

     ミーナやノアは彼女の体調を慮り、野宿していた拠点で待っていてもいい、と声を掛けたが「大丈夫、私も行かないといけないでしょ? ……でも一つ、お願いがあるの」と言った。

  65. 94 : : 2019/07/21(日) 13:28:48

     その頼み、というのは至ってミーナからすればシンプルなものだった。


    ミーナ(荷馬車の中で休ませて欲しい、か……)


     荷馬車の中は石畳の上を歩くのもあって、かなり揺れが激しいはず。
     その中で休んだりなんてしたら、なお一層気分が悪くなったり、下手をすれば酔ってしまうのではないのか。

     ミーナからすれば、そちらの方が余程心配だった。

     だがソフィアは、シーナから出る頃には多分良くなると思う。だから大丈夫だよ、と言って聞かなかった。

     
    ミーナ(───────どうしたんだろ、ソフィア)


     生理痛や、長い旅路で体調を崩したのならまだ良いけど……もしかしてそうじゃない理由もあるのかな……。
     だが、彼女の体調不良の理由を考えていても事態は変わらない。ミーナは仕方なく、馬を内門まで走らせる事に集中した。
  66. 97 : : 2019/07/21(日) 13:54:31



     ウォール・シーナの内門から工業都市まではさほど距離は無かった。
     門を出た時、彼女達は目視でもその目的地を確認する事が出来た。
     工業都市のシンボルとなっている、あるものを見ることができたからだ。

     ─────その街は50メートルもの高炉(言うまでもないが、それこそがシンボルに当たる)が中心に建てられており、それを囲むようにして数多くの煙突や小高炉が造設されている。

     ミーナ達は20メートルほどの警護障壁に覆われた街の門へと辿り着いた。そこには、図体が大きい2人の憲兵団の男が居た。
     その屈強な男達が警備兵である事を察するのは、彼女達にとってあまりにも容易だった。


    「お前達、その紋章は訓練兵か」


     男らは荷馬車を止め、身分証の提示を指示してきた。その右手にはマスケット銃が握られている。彼らは立体機動装置もしっかりと装備していた。

     ミーナは慌てて、作戦要項に書かれた一文と共に身分を明かす。


    ミーナ「は、はい。工破損立体機動装置、及びその他の工業用品のこちらへの輸送を請け負った者です」


    「ジャケットの紋章上に書かれた所属を伺おうか」


     男達は鋭利な疑いの目を向けてくる。
     アニは無言のままその憲兵を睨み、ノアはその視線に苛立ったように訓練兵の身分証を取り出そうとするが─────その時。


    「こらこら、そんな不穏なオーラでせっかく荷物を運んでくれた子達を睨んでどうすんの!」という陽気な声によって、その場の冷えた雰囲気は一気にその温度を上げた。

     昇降式の開かれた門から出てきた女兵士───眼鏡を掛け、ウェーブがかかった茶色の髪を揺らす女性────は呆れたような笑顔で男兵士達の尻を軽く両手で叩いた。


    「シルヴァーナ隊長! し、しかし……」と男憲兵は動揺する。
  67. 101 : : 2019/07/21(日) 14:03:16

     シルヴァーナ────恐らくそれは苗字だろう。そう名前を呼ばれた女兵士は、ミーナ達の元へ駆け寄る。


    「君たち、すまないね。私はこの工業都市を警備する憲兵団の責任者、ルチナ・シルヴァーナという者だ」


     ルチナ、と名乗った女性は日向のような明るい笑顔で一番近くにいたミーナへ握手を求める。
     ミーナは多少狼狽しながらも「だ、第104期トロスト区訓練兵団所属、ミーナ・カロライナです」と手を握りながら応える。

     その彼女の声に続くようにして「同じく、第104期訓練兵、ノア・ティファニーです」「アニ・レオンハートです」とノア、アニは馬から降りて敬礼をする。

  68. 102 : : 2019/07/21(日) 14:12:33

    ルチナ「あぁ、聞いてるよ! 君達が近いうちに荷を輸送してくれるっていってた第104期の訓練兵達だろ?」


     ルチナはそこまで言うと、何かを探すように視線をミーナ達へ彷徨わせる。


    「……あれ? でもトロスト区のピクシス司令から聞いてる人数は4人なんだけど、もう1人はいるかい?」と不思議そうにミーナ達へ問う。

     ノアはそれを聞いて、荷馬車の帆をめくる。


    ノア「おい、ソフィア。体調は大丈夫か? 大丈夫そうなら隊長さんに挨拶しようぜ?」


     すると数十秒後、ソフィアはノアがめくった帆とは反対の後ろ側からゆっくりと姿を見せる。


    「─────申し訳ございません。体調不良で少し荷馬車内で休ませて頂いてました」と敬礼し「第104期訓練兵、ソフィア・ルージュです」とソフィアは緊張を形にしたような表情をルチナヘ見せた。

  69. 103 : : 2019/07/21(日) 14:18:49

     ルチナはソフィアを見ると、何やら目を見開いたような仕草をする。


    ソフィア「………!!」


     ソフィアは何かに(おのの)いたように、目を開く。そして、声を上擦らせながら「………………あ、あの、何か?」と尋ねる。


    ルチナ「──────あぁ、いや。なんでもないよ。ごめんねぇ、知り合いに少し似てた気がしたからさ!」


     少しの間が空いた後、ルチナはあっはっはっは、と朗らかに大声で笑ってそう言った。
     ミーナは何気なく、ソフィアの方へ敬礼をしながら目を向ける。

     ソフィアの顔は、

     何故か、ひどく青ざめていた。

     ミーナはソフィアに声をかけようとするが「さてさて、長い旅路お疲れ様!」という陽気なルチアの声によってそれは遮られた。
  70. 104 : : 2019/07/21(日) 14:26:36

    ルチナ「いや、本来なら君達にもこれら荷の運搬を工業都市内の工場まで手伝ってもらう……っていう手はずだったんだけどね」


     ルチナは左手を口元に添えて苦笑いしながら続ける。「まぁ、アレだ。君達全員まさかの女の子達ときた!」 


    ルチナ「これだけの荷物をここまで運んでくれた君達みたいなか弱い子達に、またこれを工場まで運び出しまでさせるのは少々忍びないから……」


    ミーナ「え、つ、つまり?」


    ルチナ「ちょうど今日はエルミハ区でバザーが開かれてるみたいだしその時間を自由にそこで発散してきてくれればいいよって言おうと思ってね」


     ─────ルチナは突然、何やら早口になる。

     つまり、彼女はあとは自分達がやる。その間、君たちはエルミハ区で時間を潰してきて良いと伝えている。
     早い話が上官から心遣いをミーナ達は貰っているのだ。本来なら喜ぶべき、はずである。
     ───だが、何故か、だ。

     黒縁の薄眼鏡向こうの視線が、ミーナには伺えなくなる。ミーナは、何故か、嫌な予感を感じる。感じずにはいられない。思わず、ルチナの気配に気圧される。後ずさり、する。


    ルチナ「その前に」


     じり。じり。じり。じり、じり、じりじり。
     ルチナは、ミーナへ、近づいて、くる。その距離を、少しづつ、詰めて、くる。


    ミーナ「え? え、え? ………ふぇ?」



     後ろへ後退するミーナ。慄くミーナ。それは本能の動きだ。その表情は、喜ぶべき場面であるはずなのに、とてつもない困惑に満ちている。
     そして、そうして、突如。それは

     起こった。
     

    ルチナ「君の身体────────ちょっと、さわらせてぇええええ!!」


    ミーナ「きゃあああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁああ!?」


     そんな事を言いながら彼女は、

     ミーナへ襲いかかった。
  71. 105 : : 2019/07/21(日) 14:38:19

    ミーナ「!? !? ?!」


    ノア「な!? ちょ、な、何してんすか!?」


     ノアが慌ててルチナをミーナから引き剥がそうと飛びかかるが─────既に遅い。ルチナはノアをもハグの中へと引き寄せてきた。


    ノア「うわああああああああぁぁぁぁあ!? ちょ、やめ、どこ触ってんだあんたはぁあぁぁあ!?」


    ルチナ「んーーーーーーーーーーーーーーさいっっっっこう!! 君達さっきから思ってたけど、めっちゃんこ可愛いよね!! 特に黒髪のミーナちゃん、だっけ? 君とかもろ私のタイプ! ちょー可愛いよ!?」


    ミーナ「にゃああぁぁぁぁぁあぁぁぁあ!?」


    ミーナ「ちょ、ひゃぁ……っ! や、やだ、隊長さんんっ、どさくさに紛れてどこ触ってんですかぁあっぁっ!? や、らめっ……んぁっ、んっ、スンスンしないでくださっ……んぅんっ、やぁ!!」


     ─────それは、何とも形容し難い地獄絵図だった。
     暴走したそれはミーナに抱きつくと、彼女の髪や肌に自分の頬などの肌を擦り付け、匂いを嗅きはじめた。さながら捉えた獲物をじっくりと嬲るようだ。
     ノアに関しては、まるで猫か何かのようにそのケダモノに襟を掴まれ、年頃の女子にしてはややふくよかな胸を揉みしだかれた。

     それと同じタイミングでミーナも胸を揉まれ、一歩間違えば公序良俗に反しかねない光景がそこには広がっていた。

     ミーナは顔を真っ赤に染め、声もまともに出せないながらも必死に抵抗し、ルチナから逃げようとする。「んんっ………ぁッ! やだ、やめ……ぁ!」
     
     だが、両手を彼女の右手で固定され、獣の余った左手で自分でも普段触らない部分を愛撫されているミーナは────思う様に身体が言う事を聞かない。為す術もなく溺れ、口から唾液が零れ落ちる。


     そんなミーナを他所にルチナは「おおお! 君結構良いおっぱいしてるね!? うーん、将来巨乳になりそうだねぇ。あ! こら、逃げるんじゃない!!」と狂気を形にしたような好奇心旺盛の目をしつつ、ミーナの身体を淫らにまさぐり続ける。

     ミーナはもはや抵抗すらできず、目に涙を浮かべている。

     アニは絶句した様にその光景をただ眺めることしか出来なかった。────と、いうより、恐くて何も出来なかった。一歩間違えばその女の「餌」になりかねなかったからだ。
  72. 106 : : 2019/07/21(日) 14:46:25

    「隊長、ダメです。隊長!! あんた同姓愛を晒すのも大概にしてください!! それ以上俺らの前でその性癖を暴露されると貴方を立場上捕まえなきゃいけなくなります! 隊長!!」と最早獣同然となったルチナを、憲兵は慌ててミーナから両肘で脇を掴む形で引き剥がした。


    ルチナ「──────ハッ!」


     ─────そうして、ケダモノは我を取り戻したようにミーナを解放し、捕まえていたノアの身体を離した。


    ミーナ「…………ッ、はぁ、ぁは、はぁ」


    ルチナ「す、すまないね。大丈夫? ケガはない?」


     ミーナは突然の行為に竦み、身体を震わせながら石畳に倒れ込んだ。ルチナはそんな彼女へ手を差し出し、必死に謝った。


    憲兵「隊長、あんたは可愛い女の子を見ると直ぐに理性飛ぶそれなんとかしてください」


     ミーナはルチナの手を握って立ち上がる。
     だがすぐに、乱れてボタンが二つほど取れた衣服を、涙目になりながら慌てて整え直した。
     ノアもまた、羞恥なのか怒りなのか判断がつかない様子で顔を伏せ、震えていた。

     憲兵達はルチナの暴走を止めねばならないと分かってはいたが、どうやら突然のその展開に呆然としていたようだった。─────否、ミーナの余りにも艶かしい声に動揺していたのかもしれない。それは定かではないが。

     だが実際、彼らはミーナへ視線を向けることは決して無かった。


    (─────こ、こわかったよぅ……女の人に襲われる日が来るなんて思わなかったよう………)と赤面し、怯えながらミーナはルチナから距離を取った。
     幸いにも、憲兵はそんなミーナからは目を背けていてくれたので、特に彼女は気にすることもなく形が崩れて取れそうになったブラジャーを、服の上から整え直した。
  73. 111 : : 2019/07/22(月) 01:09:26

     閑話休題。

     ミーナ達は入口となっている門付近、そこにある兵士の休憩所に座り込んでいた。

     ミーナは萎え切った表情で、椅子にへたり込み「もうお嫁行けないよぅお嫁いけないよぅうう…………」とボソボソと呟いている。

     また、もう一人のセクハラの被害者であるノアもまた、血の気のない表情で床を見つめていた。────その眼は何処か焦点がまばらだ。

     アニはそんな2人へ同情の眼差しを向けている。


    「いやぁ……その、ごめんよ。さっきは」と反省したような口調でウェーブを巻いた彼女は紅茶を3人へ用意した。ミーナは「っ」と背筋を伸ばし、ひどく怯えている。
     アニは要らない、と言わんばかりに手を振り、ジェスチャーした。そっか、分かったと呟き、それを見たルチナはアニに渡そうとした紅茶をすすった。


    ルチナ「ごめんって! もう何もしないから。ね? 安心して?」


    ミーナ「ほ、ほんとですか……?」


     ミーナは身を守るかのように胸を隠し、両手を鎖骨前に添えている。
     その眼は未だに薄らと涙が滲んでいて、例えるならまるでケダモノに怯える兎のようだった。

     いやもうほんとだって! とルチナは最初に見せた屈託のない笑顔で、そんなミーナの頭を優しく撫でる。

     ノアはそんなルチナを警戒し続けている。


    ルチナ「あはは、まぁその、言い訳をすると私は可愛い女の子を見るとつい興奮して、ね。あぁなっちゃう時があるんだよね」


     ルチナは、紅茶を片手に頬を苦笑しながら擦る。

     

  74. 112 : : 2019/07/22(月) 01:22:47

    ノア「まさか訓練兵の女子見る度にあんなことしてる訳じゃないでしょね?」


    ルチナ「あっはははは! そんなことは無いよっ」

     いや、ホントなのかそれは、と言わんばかりにミーナとノアは互いに懐疑的な視線を向けた。
     そうしてノアは机に肘を乗せ、不機嫌そうに呟く。「あなたのその性癖のおかげで私とミーナは危うく貞操の危機でしたよホンット」

     それを見たルチナもまた、「あははは、だからごめんってぇほんっとに!」とまた苦笑した。

    ルチナ「いやまあホントのこと言うと、私は男の子よりちょーーっとだけ女の子の方が好きなんだよね!」


     ミーナとノアは、背筋を氷の板でなぞられた様な恐怖を一瞬覚える─────そのちょーーっと、というのは、女の子にとって大事な部分を揉みしだかれたり、なぞられたり、すりすりされたりする行為が「ちょーーっと」に当てはまるのか……と。
     

    ルチナ「まあ少し真面目な話をするとね」


     すると、彼女は少しだけ表情を変え、紅茶の入ったティーグラスを木製テーブルの上に静かに置く。ミーナやノアはその気配を察し、少しだけ伏せていた顔を上げる。


    ミーナ「!」


    ルチナ「─────うちの工業都市で勤務する子達ってみんな男の子ばっかりでさ。それも筋肉達磨みたいなゴッツイ野郎ばっかでね?」


    ルチナ「君達みたいに、」


    ルチナ「純粋な目をした女の子たち、ってのは」


    ルチナ「まぁ、珍しいんだよね」


     何故か、彼女の視線はミーナ達3人の中には向いていない。門の近くに停留している帆馬車へとその目線は向いている。
  75. 113 : : 2019/07/22(月) 01:37:25

     ルチナの表情には少し、陰りが見えた。何かを大きく憂いている様に──そんなふうに、何故かミーナには伺えた。
     ───────……え? なん、なんだろう? あの顔。

     ミーナはふと、疑問に思う。

     だが、ルチナはパッと表情を変えると「ささ、そんな私の話は置いといて! 君たちはエルミハ区で買い物でもして帰りな?」とミーナやアニたちの肩をポンポン、と叩く。

     ノアはその手を鬱陶しげに払うと「ていうか! あんたは実際どっち(・・・)」なんですか!?」と問い質す。


    ルチナ「え? 私が女か男かって話? なーに言ってんの!? ちゃんとほら、胸あるじゃん。君よりあるよ?」


    ノア「いやそうじゃなくてぇえええ!!」


    ミーナ「……………」


     そうしてルチナと騒ぐノアを差し置いて、そういえば、とミーナはふと帆馬車へ視線を移す。アニもまた、それに気が付いていた。


    ミーナ(──────なんで、ソフィア、あんな顔してたんだろ? なんで)


     私とルチナさんが話してる時、全然会話に加わらなかったんだろ?

  76. 114 : : 2019/07/22(月) 17:20:18



    「全くほんとにあんたって人は……」


     筋肉が締まった憲兵────その一人が、残りの紅茶をすするルチナへ呆れたように声を掛ける。


    ルチナ「なんだよ、アベル……。そんな怪訝そうな眼を向けてくれるなって」


     相変わらず、彼女は能天気そうにケラケラと笑う。アベル、と名を呼ばれた筋肉質なその憲兵の男は、角々している顔つきに苦悩の表情を浮かべる。


    アベル「───隊長、一つ気になった事を聞きたいんですけど」


    ルチナ「何だ? お前もあのノアって子みたく私が実際のとこ『バイ』なのか『ビアン』なのか気になるってのかい?」


    アベル「いやあの、そっちじゃなくて……」


     何がそんなに楽しいのか、ルチナはアベルをからかう様に冗談めいた口調で続ける。
     アベルは苦々しく「────あー、もう……」と切り揃えられたショートヘアのモヒカン頭を掻く。


    「…………話が、あるんですよ。真面目な話です」そう、彼が呟いた瞬間。


     空気は変わった。


    ルチナ「やめな」


    アベル「─────────────」


    アベル「………………は、」


     ルチナの眼鏡奥の表情は、アベルには見えない。─────だが、一瞬にして。
     朗らかだったはずの空気は冷気を伴い、鋭利なそれへと、姿を確かに変えた。

     それだけは、彼にも理解出来た。

     アベルは一瞬、声を失う。
     突然、悪ふざけが過ぎるいつもの彼女の姿が、変貌した。やめな、と彼女は言った。
     口調は明らかに本気だった。重々しいそれは、彼の背筋を凍らせるには十分すぎた。
  77. 115 : : 2019/07/24(水) 14:56:49

     思わずその感覚が錯覚なのではないかと考えアベルは、彼女のその目をもう一度、確認する様にして見つめ返す。

     ───ルチナもまた、横目でこちらを真っ直ぐ見つめ返している───だが、彼女の形相には、およそ表情と呼べるものがない。
     否、そこには。
     殺された確かな「感情」が遺っていた。


    アベル「──────ルチナ、隊長」


     脂汗が、額から滲み出ている。殺気のこもった視線から確かに、伝えている。

     表情で─────彼女は、伝えているのだ。

     喋るな、と。触れるな、と。

     
    ルチナ「─────あの子のことだろ?」


    アベル「……………はい」


    ルチナ「今はやめろ。その話は夜だ」


    ルチナ「じゃないと、」


     ルチナはそこまで言ったところで、静かにティーカップを木机の上へ置く。立ち上がる。
     そして、耳打ちする。アベルは、瞳孔を大きく開く。動揺する。

     身体の大きさや体格、全てがルチナのそれを上回っているはずの彼を、ルチナは戦慄させた。


     そうして、彼女は立ち去った。だが彼は立ちつくしたままだ。マスケット銃を持つ右手は震えが止まらない。

     彼女の言った言葉に対して、アベルはただ閉口する。

     その瞬間、何かが叫んだ(・・・・・・)

     彼は、恐ろしさのあまり、ぁあぁあっ、とその声に叫び返す。その身体は大きく震え、両眼は四方八方に揺れる。まるで錯乱のそれだ。

     だが実際に叫んだのは近くでその様子を傍観していた─────ただのカラスだった。カラスの黒目は彼を凝視している。その目が、まるで誰かが見ているように彼には感じられたのだ。

     制御出来なかった。
     止められなかった。
     止めるには、恐怖は余りにも彼を大きく襲った。

     膝が、嗤っていた。そのカラスが嘲笑ったように。

     ルチナは言った。

     お前、今日には死ぬかもよ、と。
  78. 116 : : 2019/07/26(金) 00:32:54


     普段は閉じられているエルミハ区の内門は、今日に限っては開かれていた。
     3人は馬を引き、空になった帆馬車を動かしている。そうして、影の中から開かれた巨大な門の光の中へとやがて触れていく。

     そうして門をくぐると、ミーナは高く昇り始めてきた陽に思わず目を細め、眩しさに耐えかねて左手でそれを隠す。

  79. 117 : : 2019/07/26(金) 01:35:26

     内門付近からのメインストレートは、なにやら数多くの賑わいを見せていた。
     路地からノアとミーナは二人揃って首を傾げ、石畳を踏みしめる。ノアの様子は、その後ろを歩くアニから見て何やら怪訝そうだ。


    ノア「おいおい、何だこの人の集まり」


    ミーナ「うわああああ! すっっごい!」


     ミーナは思わず子どものようにその様子を見て歓喜せずにはいられない。
     道には先程も工場都市に行く前に見かけた様な貴族達だけではなく、別の都市から足を運んだのか──── 一般市民らしき格好をした者達も多く溢れていた。中には家族連れの者達もいるようだ。
     普段この街には基本的に貴族以外の者が出入りすることは無い。否、基本的に立ち入る事がそもそも許されないのが常。
     だが、今日だけはどうやら特別に壁門が開放されているようで、マリアから足を運んだ者達なども居る様だ。
     余程大掛かりな行事か何かなのか、とノアはミーナとは対照的に歩きながらその様子を静かに眺め、観察していた。そしていくつか気付く。


    ノア(────兵士もそこかしこにうろついてんな)


     見ると、ミーナ達と違った紋章を背負うもの達がいた。ユニコーンの紋章────この街に駐屯する憲兵団か。或いは、警戒態勢を維持させ、文字通り治安を守る為に巡回している出張兵達といったところか。
     だがある者はマスケット銃を携えたまま呑気に警備することもなく駄弁っており、ある者は商店の壁煉瓦にもたれ、大きな欠伸をしながら首を揺らす。
     基本的には、真面目そうに警備をする者など居なかった。ノアはそんな様子を見て、思わず呆れずにはいられない。
     こんな普段以上に人が入り乱れる状況下でこそ、警備兵がしっかり警戒する必要があるだろうに。巨人と普段から戦う事のない人間はどうやら調査兵や最前線の兵士達とは質のそれが違うらしい。

     その中で、黒の服に、何やら三重の壁の女神を型どった煌びやかなネックレスを着けている年配の者と話している男が────こちらをチラリと覗いた。
     奴だけは何故かマスケット銃を持っていない。─────開かれた瞳孔がジロリ、とこちらを見据える。

     ノアはその視線に素早く気付くと、目をただちに逸らす。工場都市に居たようなあんな朗らかな憲兵など本来は居ない。奴はこちらの何かを警戒している。いや。もしくは何かを探して(・・・)いるのではないか。
     憲兵団には今日、訓練兵がこの街を通る事が伝達されているはず。

     だというのに、何故か。

     今の憲兵の視線には、不快な何か(・・・・・)を、感じた。もし仮に、奴らが何かを探してるのだとしたらそれは──────。


    ミーナ「んーなんだろ、お祭り? 今日何かの記念日だっけ?」


    アニ「………!」


     そんなノアの思惑の中で、ミーナは無邪気に目の前の喧騒に胸を踊らせていた。否、呑気に、と言い替えてもいいだろう。
     街路には様々な出店が立ち並び、木箱に詰められた品物らしきものを、多くの商品が店開きに合わせて運び出している。

     屋台には様々な物が並ばれつつあった。


    ミーナ「…………ん?」


     何処かの名産品か───その中で際立って豪華に袋詰めされたものをミーナは視界に移す。
    「………へぇー……すっごい、あんなのもあるんだ」と思わず足を止めて駆け寄り、品を手に取ってみた。

     それの裏にはビッシリと成分表が記載され、その中の表記には『オルブド区 名産品』と書かれていた。見るとそれは、高価そうな紅茶豆だった。


    「おっ、お嬢ちゃん。あんた目がいいね! それはローゼの北部都市……そん中でも小さな町の名産品のもんでね。この壁の中でも特に品質が良くて愛されてる紅茶なんだよ」


     大柄な体格をした商人の男は、ミーナへ得意満面な表情を浮かべて楽しげに彼女が手に取ったものを解説し始める。

     ミーナはその豆を手に取りながら「ほぇえ〜……これが紅茶葉かぁ。私あまり紅茶を飲まないけど、これマルコが好きだって前に話してた気がするしなぁ」と呟き、他の商品を検分し始める。独り言を話す彼女の様子に、なんだコイツと言わんばかりに商人から少々怪訝そうな目を向けられているとは気が付かずに。
     ジナエ町、といえば同じ104期訓練兵の一人───マルコ・ボットの故郷の小さな町である。彼女はその事を知っていた。

     ────……おいおい、ミーナのやつ……。

     ノアは急に馬が足を止めた理由を探るためにミーナを見つけると、またもや呆れてその様子を眺めた。
  80. 118 : : 2019/07/28(日) 06:01:36


    「今日は月に一度の自由貿易の日なんだよ、きっと」


     すると、唐突に帆馬車から先程の二人の疑問に答える声がした。
     帆馬車から体調を崩していたソフィアが顔を薄らと出す。
     ミーナは相も変わらず出店の色んな商品を手に取りながらも、それに気づきソフィアの方へ視線を向く。


    ミーナ「ソフィア、体調大丈夫なの?」


    ソフィ「うん、だいぶ平気。多分、街から出る頃にはだいぶ良くなるかも」


     ミーナがお下げを揺らめかせながら、心配そうにソフィアの表情を伺う。
     ソフィアはそれに対してカーテン状の帆を薄開きにさせたまま「ありがと、ごめんねミーナ」と苦笑する。


    ミーナ「にしても、よくそんな事知ってたね? 私今日初めてコレ見たのに」


    ソフィア「あぁ、うん。まぁ……来たことあるからさ」


    ノア「……………」


     ノアだけは唯一、何やら苦笑するソフィアを横目で何も言わずにただ見ていた。そうしてその時、ノアはふと気付く。


    ノア「────おい、なぁ」


    ミーナ「? どうしたの、ノア」


    ノア「そういえばアニのやつどこ行った?」


     ミーナはふと帆馬車の裏を見る。
     居ない。路地を歩く様々な人混みだけが空になった荷を通り越していく。

     そうして周りへキョロキョロと視線を向ける────だがやはり居ない。どこにも影も形もない。


    ミーナ「え、あれ!?」


     帆の中にいるソフィアも顔を出しミーナとはまた別方向で目を凝らし、視線を巡らせているがやはり何処にも姿は見当たらない。
     彼女はノアとミーナでこの状況に疑問符を浮かべている時には、まだ確かに横を歩いていた。
     そうして、それ以降から姿が無いことにノアは気付く。


    「………………」ノアは一旦馬車から離れ、大股で先程まで歩いていた内門付近の街路へと歩き出す。


    ノア「───────あ」


     数十メートル程歩いた所で、ノアは横の裏路地を何やら見つめる。
     ミーナはその様子を見つめ、手に持っていた紅茶をとにかく急いで買う。「ありがとさん!」と商人は大仰に白い歯を見せて硬貨を受け取った。

     そうして帆馬車の馬を元来た道へ折り返し、急いで駆け寄る。すると────
  81. 119 : : 2019/07/28(日) 06:21:40

     そこには少女が、居た。

     金髪の少女。自分達と同じ、二つの刃を交差させた紋章のジャケットを羽織った後ろ姿。

     有り体に言えばそれはアニ・レオンハートだ。そのはずだ。
     金色に映える髪を後ろでブルームバインドで縛り上げている姿のそれは、ミーナ達が知る限りではアニ以外には基本的に見た事が無い。

     だが、その姿はミーナやノア、そして帆馬車からその様子を見つめるソフィアの知っている彼女ではないように見えた。

     その少女は、猫の首をくすぐっていた。

     猫────恐らく野良猫か。首輪は見受けられない。だが毛並みはそれなりに揃っていて、そこそこ肥えた体型だ。

     彼女の周りには4匹ほどの猫が居て、そのどれもが金髪の少女に群がっていた。


    「…………………」


     猫達はとても機嫌が良さそうに彼女へ擦り寄っている。そして、その中の斑点状のでっぷりとした体型の猫が少女の左手を舐める。


    「ひゃっ」


     少女は慌てて手を収め、高い声を出して驚いた。───そんな声は、その様子を見守る同期の彼女達には聞いたことがないものだった。否、最早別人を疑うレベルのそれだった。三人は無意識に顔を見合わせる。

     そしてあろう事か。

     しゃがんでいる彼女の横にくっついてきたその猫を撫でながら─────

     その少女は、笑った。それは、「氷の女」などと呼ばれた人間の見せる表情などでは無かった。

     年相応の、少女の穏やかな表情。それが、斜め後ろにいるノア達から垣間見えたのだ。

     恐らく、誰にも見せたことの無いもの。それを、彼女は猫達に対して何も恥じることなく見せていた。

    「………ふふっ。おまえ、良い体型してるじゃないか。全く」


     猫はそれに答えるようにうにゃん、と鳴く。
     完全に懐いてる仕草だった。事実、その猫はだらしなく腹を見せ、その少女の目の前で寝転がってみせた。

     少女────アニ・レオンハートである筈のその誰か────は頬を緩ませ、その腹を勢い良く撫で回した。

     そして。

     ふと、彼女は後ろを振り向く。きっと何気なく、だろう。目が合う。ミーナ、ノア、そして帆馬車の中にいるソフィアとも。
     彼女達は呆然とも唖然ともとれないなんとも言い難い表情を浮かべ、とにかく口をあんぐりと開けていた。


    「………………………………」



    「………………………………」



     沈黙が、その場を一瞬支配する。


    アニ「────────────────は、」

     
     そして、数秒後。


    アニ「───────なに、覗き見、し、てんの?」


     顔を真っ赤に染めた少女が、瞳孔をこれでもかという程に開き、ゆらりと立ち上がった。
     その言葉は、どこかひどく上ずっていた。
  82. 120 : : 2019/07/28(日) 14:35:11

     アニの後ろには間違いなく何かが立っていた。例えるなら────修羅。それを思わず感じずにはいられないほどの、殺気。

     反対に、表情は喩えるなら林檎の様。頬は紅く紅く染め上がり、目には薄らと涙が滲んでるようにも見える。
     眉は八の字に歪み、口はきつくきつく閉じられている。それが、怒りによるものなのか、羞恥によるものなのか、屈辱によるものなのか────区別が三人にはまるでつかない。

     ただ感じるのは、見てはいけないものを見てしまったような、これ以上ないほどまずいものを見てしまったような、そんな感覚。

     ミーナは自分が驚きを感じているのか、アニの明らかに照れ隠しとしか思えない言動に可愛さを感じているのか、最早判断がつかなかった。つきそうもなかった。

     ただし、ものすごい冷や汗が脇からも額からも溢れているのだけは、彼女自身にも理解出来た。
     そして、チラリとその様子を横目で見るとノアやソフィアも表情が凍りついて、汗が浸たっていた。…………否、違う。ノアは違っていた。彼女は、頬を膨らませ、何か必死に笑いを堪えているようにミーナからは見えた。

     思わず、血の気が引いた。

     そうしてノアは先程のアニ以上に声を上擦らせながら「…………よ、よぉ。な、な、なにしてんだよう、アニちゃん」とアニへ質問を投げかける。

     身体はプルプルと震え、やはり笑いを堪えているようにしかどうみても見えなかった。



  83. 136 : : 2019/08/07(水) 03:58:17
    >>121
    「ガーベラ」はこのもし壁の中では割と最後の方の時間軸に当たるかもしれません。詳細は今後の4話以降から明かしますね!

    それ以降のコメントはずっと待ってくれてた方がいたという意味の有難いお言葉として受け取ります(´;ω;`)ありがとう。ごめんなさいね。

    >>131

    ありがとうございます(*´ω`*)
    第3話もいよいよ終盤。頑張りますね!

    コメント欄は小説の見やすさを意識するため、一部非表示とさせていただきます。数々のコメント、ありがとうございました! (ここ2日間のコメントは他の方のレスも含め、話が終わるまで敢えて取っておきますね!)
  84. 137 : : 2019/08/07(水) 04:39:54

     少女の髪の奥の表情は伺えず、ノアのその問いの後には沈黙が残った。ミーナは思わず、生唾を呑み込む。
     だが、しばらくして。
     彼女は言葉の代わりに、あるひとつの構え(・・・・・・・・)をとる。右手は右こめかみ横に、左手は左目より数十センチほど離れた位置へ、真っ直ぐに固定される。
     そこまでの一切の動きに余韻は感じられない。ノアは思わず、アニから足裏一つほどの距離を取る。


    ノア「………!!」


     少女らしく頬を染めていた────羞恥と怒りによるものではあるが────彼女の周辺の雰囲気は、その瞬間。

     確かに、豹変した。

     アニの足元にいた猫達はただならぬ気配を感じたのか、裏路地の奥へと走り去って消えていく。
     ────その構えには、無駄が無い。
     そして、とにかく隙も無かった。そこにあるのは殺気。それは見事なまでに洗練された「戦士」のそれだった。
     アニの眼は、獲物を狙う鷹さながらにノアを穿つ。そこには確かに、先程とは比にならない怒りが渦巻いている様にノアには感じられた。


    ノア「………へ、へぇ、喧嘩か? 喧嘩なら買ってやるよ。私はこれでも格闘術はエレンと並ぶくらいには成績良いんだぜ」


     かかってこいよ、とノアもまた茶髪を揺らし訓練所で習った格闘術の構えでアニのそれに対抗する。やっべ、これはまじで怒らせたかもなと内心思う。額から脂汗が滲む。
     両手の固く握りしめられた手汗もまた、滲む。

     ミーナとソフィアはその様子を離れた距離で見守っている。

     あの構え─────あんなの、見たことない。アニはいったい、何処でアレを得たんだろう。ミーナは無言のまま構えを取り合い、見つめ合う二人を垣間見ながら考えた。

  85. 138 : : 2019/08/07(水) 05:23:55

     ノアの挑発を聞き、更に不機嫌になったのか。アニは「…………乙女を怒らせると、どうなるか」と視線を外すことの無いまま呟く。

     そして。


    「あんたに教えてあげるよ」


     アニのその言葉を機に、試合のコングも無いまま。
     唐突に。瞬時に。
     戦いの火蓋は切って落とされた。

     アニの身体は一瞬、ゆらり、と揺れた。
     ────その動きはノアには読めなかった。それが、その事が、結論から言うと彼女の仇となった。

     アニはその瞬間。
     身体を刹那の間に屈ませ、右足を踏み出す。
     そして、加速。5メートル程の二人の間の距離は、一瞬にして、詰められる。

     声を出す間もなく、ノアはアニの攻撃に対抗しようする。拳、或いは蹴りに対応出来るように瞬時に身を固める。だが遅い。

     アニの右手は、ノアの顔面へ伸びる。口元を抑えられ、痛みが走る。そしてそれと同時に右肩が持っていかれる(・・・・・・・・・・)

    「は─────」と思わず声が漏れる。

     何が、起こった。ノアは自分が今何をされているのか理解出来ない。そうか、今私は右手を引かれたのか。
     そう気付いた時、ノアの姿勢は重心を大きく崩した。

     アニはすかさず、更に右足を踏み込む。ノアの顎には膨大な衝撃が走る。その痛みを感じる間はない。
     ─────そこまでの出来事は、僅か二秒にも満たなかった。
     その動きは、人間の神経が反応できる速度を超えてるようにノアには感じられる。

     あ、これやばい。

     そう思った瞬間、アニの「はぁあぁっ!」と言う掛け声によって、ノアはトドメを刺された。
     最後の拠り所となっていた左足の重心が、アニの鋭い左足の薙ぎによって蹴り崩され、そして。

     浮き上がった。

     ノアの身体は宙を一回転して大きく舞う。
     そうして仰向けに、石で出来た地面へと、叩きつけられた。


    ノア「──────が、っぁあっ!?」


     痛覚よりも先に、背中から脳髄へ強烈な震動が走る。声にならない声が喉から抉り出される。身体が、動かない。


    アニ「──────……」


     一歩も動けないノアの負けを悟ったアニは、放り投げたノアを後ろ目に一瞥(いちべつ)し、息を整えた。
     
  86. 139 : : 2019/08/07(水) 05:45:32

     戦いが終わった瞬間、ミーナは弾け出したようにノアの元へ駆け寄る。「ちょ、ちょっと! だ、大丈夫!?」


     ノアはゴロゴロと脊椎からの痛みに耐えかね、地面の上でのたうち回るように悶えている。


    ノア「いっ………………てぇ〜ぇええええ!」


    ミーナ「も、もう……喧嘩を売ったのは確かにノアの方だけど、アニもやりすぎだよ!」


     それに続いてソフィアも馬車から慌てて降りてくる。
     そうして、ミーナと共にゆっくりとノアの背中を起こした。いてて、と呻くノアを他所に、アニはそれを見下ろし、唇と頬に着いた土汚れを拭う。


    アニ「………………」


     アニは無言のままだった。
     ミーナはアニのその態度に対して少しむっとする。

     が、先程、猫を可愛がってる所を半ばからかうような事をしたノアにも今回は非がある。アレはアニが怒るのも仕方が無い。

     ミーナからすると、文字通り今回はどっちもどっちな気がした。

     あの様子を見たのはミーナからしてもとてつもなく心外であり、そして意外だった。

     アニにもあんなに年頃らしいところがあるとはミーナは夢にも思っていなかったのだ。

     正直、ちょっとだけそれをからかいたいと思ってしまった自分も(いが)めない。情けないな、とミーナはそんな自分に苦笑する。
     それもあって、ノアを咎める事も出来そうになかった。

     怒るにも怒れず、とりあえずミーナははぁ、と細い溜め息をつく。
     ────そして同時に、胸を燻らせていた一つの思いを漏らす。


    ミーナ「────でも、びっくりした」


    アニ「何が?」


    ミーナ「すごい技術、だね。それ」


    アニ「!」


     それは、素直な感想だった。

     先程の(いさか)い。彼女は本来ならば、止めに入ろうと考えていた。間に割り込み、その喧嘩の仲裁に入ろうとしていたのだ。

     だが。
     それが、出来なかった。その気が、削がれた。否、してはならない(・・・・・・・)と感じてしまった。

     余りにも、その構えが───気高く感じられたから。
     気高く、勇敢で、堂々としていた。
     隙もなく、油断が微塵も見られなかったあのアニの構え。

     それにミーナは、言葉もなく、魅せられていた。

     見蕩れていたのだ。



     
  87. 140 : : 2019/08/07(水) 06:22:20

    アニ「──────すごい?」


     少し間を持たせて、アニはそうミーナへ問い返す。それに対して「うん、凄いよ」とミーナは黒髪を揺らしながら素直に頷く。


    「…………」


     アニは大きな瞳でミーナを見つめる。ミーナも真っ直ぐに見つめ返す。金色の瞳に彼女の姿が映る。そこには、驚愕も映っていた。
     まるで、そんな事は初めて言われた、と言わんばかりに。


    アニ「………なんで、そう思うの?」


     ミーナはえっ、と小さく驚く。「何で? え、何でだろう」

     痛みに表情を歪ませているノアの背中を優しく撫でる────首を傾けて何でなんだろう、とアニに聞かれた疑問を思わず口から零す。そうして一つの結論に至ったのか、顔を見上げてアニと再び目を合わせる。


    ミーナ「私には、無いものだからかな」


     アニはミーナのその答えを受けると「……」と瞳を瞬かせた。路地の隙間から流れる小さな風に長い睫毛が揺れる。
     ミーナはふと、疑問に思った事を質問してみる。


    ミーナ「ねぇ、それ、誰に習ったの?」


    アニ「!」


    ノア「────ててて、あぁそれ、私も気になる。教えろよアニ。それ、訓練所で習ったものじゃないだろ?」


     やっと痛みが落ち着いたのか、ミーナとソフィアに支えられたノアもまた、その疑問に同調する。ソフィアとミーナは、アニを一緒になって見つめる。答えを待つように。

     ────アニは回答に悩んだのか、表情を落とす。


    アニ「……………」


     あれは、と呟く。少しずつつぐませた口を開く。


    アニ「お父、さんに」


    ミーナ「お父さんに?」
     

    アニ「そう」


    アニ「父親が、私に叩き込んだものなの」


    ミーナ「え!? そうなの? やっぱりすごいよ!!」


    アニ「─────そんな凄いものじゃないよ」


    ミーナ「え?」


    アニ「………そろそろ行くよ。人混みは疲れる」


     アニは目を輝かせるミーナに背を向け、帆馬車の方へ向かう。
     凄いものじゃない。自分自身の持つ技術に対してそう言い放った─────アニの背中が、ミーナには何故か、どこか寂しそうに感じられた。
  88. 145 : : 2019/08/09(金) 01:47:11
    ◇#05

    「ルチナ隊長」とアベルは古びた部屋の扉を開く。ギシッと軋む音ともに、ルチナの近くの壁で光源となる松明の火が揺れた。


    ルチナ「やあ、来たみたいだね編隊長さん」


    アベル「名だけです、そんな肩書き」


     アベルは一つ息を着き、手に抱えた紙の束と木の箱をルチナの机に置く。それらは憲兵団支部の内部にある資料保管室から運び出されたものであり、古い紙の匂いが珈琲と共に混ざる。
     そして彼の抱えたその束は数十枚以上もの資料であり、その1番上に挟まれたファイルの中にはベルク社の新聞の切れ端が入っていた。


    アベル「─────言われたとおり、揃えました」


    ルチナ「お疲れさん」


     ルチナは珈琲を啜り、ファイルを手に取り「原因不明の大火災、ね。よく言ったものだ」と呟く。


    アベル「─────ルチナ、隊長。やはり、あの帆馬車から出てきた彼女は………」


    ルチナ「間違いないだろうね」


     資料以外にも、様々な書類が積み重なって埃が被っている机。それらの机の紙と紙の隙間を開いて、彼女は珈琲の入ったマグカップを置いた。


    ルチナ「ウォール・シーナの中の貴族の一つにルージュ家、というものがあった」


    アベル「……!」


     ルチナは新聞の切れ端が入った薄いファイルの下にある分厚い “機密情報”と記された木箱を取り出す。そして、その箱の蓋を開きいくつもの古びた報告書類を手に取った。

     ルチナはしばらく無言になり、内容を素早く目で追う。
     そうして、およそ12枚目の資料で、その紙をめくる手を止めた。


    ルチナ「これだ」


    アベル「は……どういうものです?」


     ルチナに手渡された報告書をアベルはそっと受け取る。
     それは843年6月16日、王都ミットラスの城内議会室における記録書だ。恐らく、壁内の情勢を見据えた上で議会が行われていた事が伺える。


    ルチナ「────その中で、ウォール・シーナの中でたまたま壊れた昇降機を無断に使用し、マリアを出ようとした者が居たらしいんだけどね」


    アベル「はい」


    ルチナ「その人間は一般人だった。目的は不明、まあ恐らくシーナの中に紛れ込み、あわよくばそのままそこで生活をしようって魂胆だったんだろうとそこにも書かれてる」


    ルチナ「本来ならば審議所において審査会が開かれ、壁内で王政が定めた憲法と法律に基づいて裁かれる」


    ルチナ「だけど結果から言うと」


    ルチナ「その男は死刑になったそうだ」


    アベル「え?」


    ルチナ「─────理由としては、審議会においてのウォール教の提言、及び『ルージュ家』を除いた全ての貴族の多数決による審議結果、というのが理由らしい」
  89. 146 : : 2019/08/09(金) 01:56:58

    ルチナ「まあ壁を何の許可も無く乗り越えるのは本来禁止だ。憲法にもそう定められている。反すれば王制地下の幽閉所において無期懲役、酷い場合は……だけどね」


    アベル「─────は?」


    アベル「………待ってください、それだとつまり」


    ルチナ「……そう、本来であれば」


    ルチナ「その男は『死刑になるはずが無い』んだよね、大概」


    ルチナ「余程悪質なものでない限りはね」


    アベル「………その時は、悪質だと運悪く判断された、ってことなんでしょうかね? でも死人が出たわけでもないんですよね?」


    ルチナ「まぁね。死人はでてない。精々捕まらないよう抵抗した程度らしい。……本来であれば、こんな程度なら殆ど死刑になるなんてことは無いはずさ」


    ルチナ「これなら酷くても幽閉所においての無期懲役、及び20年以上の王制指揮下の開拓地における労働が一般的な罰になる。少なくとも私が拘束した様な犯罪者は九割方そういう末路を辿ったからね」


     そこまで言うとルチナは眼鏡を取り、胸ポケットに仕舞っていた布でレンズの汚れを拭き取る。
     眼鏡を外した彼女の顔は整った童顔であり、とてもアベルより歳上の女性には見えなかった。

    「───……ウォール教が、死刑を促したとかですかね?」とアベルは重々しくルチナへ尋ねる。


    ルチナ「その可能性はゼロじゃない。ただこの時のウォール教はそこまで支持が無かったし、そこまで発言力があったとは考えにくい」


    ルチナ「ウォール教が今ほどの大規模な宗教として壁内を占めるようになったのは壁が壊されて以降の話になるんだよ」

  90. 147 : : 2019/08/09(金) 02:06:32


    ルチナ「─────まあ、話を戻そうか」


    アベル「……先程『ルージュ家』以外の貴族の多数決、と隊長は仰ってましたけど、それも関係してる、と?」


    ルチナ「…………」


     ルチナは革椅子に背中を倒し、大きくもたれ掛かる。
     そして、一つ大きな息を着いた。天井を見上げ「彼女、ソフィア・ルージュと言ったよね」と静かに独りごちる様に話す。天井には窓が見え、その窓からは揺らめくように満月が黒い雲の合間から輝いている。


    アベル「はい」


    ルチナ「………ルージュ一家は、その報告書を最後に、もうどの議会報告書にも記載が一切見当たらない。その議会において彼は、彼だけはきっと、その多数決において唯一反対意見を申し出たのかもしれないね」


    アベル「…………!」


    ルチナ「その時の当主は、私からするととても常識ある人物だったんだよねホント。まあ、それはあの人を知ってる私のただの妄想というか、予想にしかならないけど。多分あの人は議会において唯一自分の意見を周りに流されて捨てようとしなかった」


    アベル「隊長………いえ、ルチナさんは、ルージュ家の当主と顔を見合わせた事があったんですか!?」


     アベルは背中に携帯させたマスケット銃のベルトを左手の脇で掴みながらも、ルチナへ身を乗り出した。ルチナはそれに反応を示す事も無く「あぁ、あるよ。何回かね。護衛任務とかだよ」とだけ呟いた。
  91. 148 : : 2019/08/09(金) 02:18:12

    ルチナ「─────貴族にしちゃ、全く歯に衣着せぬ話し方をする人間だったよ、あの当主」


    ルチナ「………貴族らしくなかったんだよあの人。全く傲慢さの欠片も無かった。品性を持った貴族で、あの人を慕う人間も多かったらしい」


    ルチナ「………あの当主は、よく嬉しそうに子どもを抱えててね。その女の子も父親に大層甘えてたのが今でも記憶に残ってる。………そう、確か、うん、間違いなくあの子は薄緑の髪だった。ここに配属される前、よく荷馬車の護衛に当たってたし」


    アベル「─────……その貴族や、子どもはどうなったんです?」


    ルチナ「……………」


    ルチナ「────大方、邪魔な存在……だったのかもね。議会に参加してる貴族や、王からしたら」


    アベル「…………!」


     ルチナはそうして口を固くつぐみ、ファイルを手に取る。「貴族の屋敷、大炎上」と見出しで書かれたそれを感情の宿らない目で眺める。
     アベルはその様子を見つめながら「隊長?」と問う。すると殺されたんだよ、と低さを伴った声音でそう彼女は言った。


    アベル「──────………え」


    アベル「え、でも、そのファイルには……」


    ルチナ「あぁ、ここには書かれてない。そしてベルク新聞社以外の全メディアでも『どこの貴族一家』の屋敷が火事によって消失したのか記載は無い」


    アベル「つまり、………それ、って」


    ルチナ「………あの一家は、火事によって殺された、もとい消された(・・・・)んだよ」


    アベル「!? 待ってください、それ一体、誰に?」


    ルチナ「それが分かれば私だって憲兵として犯人探しをしたいところさ。私自身独自で調査を行った、でもあれから五年近く経つってのに全く何の関連資料も出てきやしない」


    ルチナ「まるで、不自然に誰かが処分(・・)でもしたみたいにね」


    アベル「昼時、あの時喋るな、と言ったのは────」


    ルチナ「………実際にいるんだよね。私の知り合いから聞いた話だけど、それら関連のことを調べていたある駐屯兵が『行方不明』になったって話。何処で誰がその話を聞いてたのか。あぁ、安心しなよ。ここでの密会は誰にも話してないし、聞かれないように気を配ってるから」


    アベル「………………」


    ルチナ「……私にも、分からない。でも、憲兵団には私達の知らない「何か」が確かに動いてるのは間違いない。だから誰かに聞かれないようここに呼んだって訳なんだよ」


    アベル「……………それは、理解しました。だから、あの時脅迫じみたことを……。でもルチナさん。あのソフィア、という少女兵はそれじゃあもうつまり……」


    ルチナ「─────あぁ、間違いない。あの薄緑の髪、銀色の瞳。あれは」

     その瞬間。「っゔぁッ?」

     途端に、アベルは不自然な呻き声を漏らした(・・・・)

     天井を見上げながらも腕で両目を覆っていたルチナは「………なに、どうしたのアベル」と腕を下げて視界を向けた。
  92. 149 : : 2019/08/09(金) 03:17:15

    ルチナ「………………は?」


     目を、見開いた。

     そしてそれは彼女だけではなくアベルも同様だった。その目は目玉が転げ落ちかねないほどに瞳孔が開ききっている。
     アベルの腹部。丁度ベルトの真上、アンカー射出装置の5、6センチ横か。
     左腹部から、刃が飛び出ていた(・・・・・・・・)
     そして、そこから、真紅が滲む。


    ルチナ「──────────────」


     アベルはがふっ、と血を吐く。自身に何が起きたのかまるで理解が及ばない。脳の理解が追いつかない。
     勝手に震える身体、揺らめく視界を腹部に向け、そして、絶望した。なんだ、これは。なんで、刃物が? そして、なんで俺が、刺されているんだ?

     その答えを出す間もなく、()は引き抜かれ、綺麗な刺し穴をアベルの腹部に空けた。
     勢いよく血が零れ、飛び散る。
     目玉がぐるり、と音を立てて上を向いたアベルは失神し───勢い良く、倒れ込む。資料に飛び散った血飛沫。
     そして、倒れ込むアベルの恐怖とも絶望とも取れない形相が、ルチナの網膜に焼き付く。

     脳の思考はスパークし、真っ白になる。


    ルチナ「────………っぁあ、ぁっ、あぁあああああああああああああぁぁぁ!!」


     自身の、断末魔。自身の鼓膜を破壊せんばかりの、悲鳴。アベルが倒れ込んだ、刹那。
     うそ、だ。コイツ、コイツ、コイツ、私の部下に、何をしてくれる。殺す。殺す、殺す。殺す。殺してやる。衝動的に吹き上がり、湧き上がって沸騰せんばかりの熱が身体中を灼き尽くす。

     ルチナは資料塗れの机に右手を叩きつけ、それを軸に、左足先で帽子を被り右手にナイフを持った男(・・・・・・・・・・・・・・・・)目掛けて轟音と共に、蹴りつけた。
     そこに至るまで、殆ど0.5秒にも満たない。アベルが倒れたその瞬間、仕掛けられた反撃。
     その蹴りはその男の顔目掛けて激烈な勢いで放たれる。まともに喰らえば、頚髄骨折となる速度─────だが、無駄。それは、徒労に終わった。

     硬い金属音によって甲高い音を奏でながら、その蹴りは虚しくも不発に決まる。


    ルチナ「っ、な、に………」


    「おっっっっと、あっぶねぇじゃねぇか」と、その男は殺陣の雰囲気にそぐわない陽気な声でそう言いながら、右手に取り付けられた金属の「何か」によってルチナの蹴りを確実に受け止めていた。
     ハット帽の様な帽子の下の口元は、ルチナから見て一瞬でも不快と感じる程に、不可解な笑みで歪みきっている。


    ルチナ「っ、き、さま…………!!」


     強く、つよく、歯を軋ませる。全身の毛が逆立っているのをルチナは感じる。視界が赤色に染まり、右手の軸が崩れる。
     ルチナはその瞬間、右手を離し───次いで左手を机に掌底させ、再びそれを軸に身体を縦向きに宙で一回転───帽子男を視界に捉え、再度左足で蹴りかかる。殆どそれは、脊髄反射としか言いようのない速度。
     ルチナの驚異的な身体神経を窺わせるには十分な蹴りだった。
     その蹴りは男の首を落とさんとばかりに縦に一閃し、繰り出される。だが、瞬時に男は右手のみならず、左手にも取り付けられた金属を頭上で交差させるようにしてそれを防ぐ。その身体能力は、ルチナのそれに勝るとも劣らない。
     空気を裂く蹴りを「おっ………っぉい。危ねぇ危ねぇ」と呻く様に男は受け止めた。

     それらは、とても常人に出来る芸当では無かった。
  93. 150 : : 2019/08/09(金) 04:22:27

     男の挑発し、こちらを馬鹿にしたような口調に更に怒りが湧き上がる。

     鉄を熱する時の様な、熱。鉄をも溶かす程の熱。

     それらがさらに湧き上がっては、ルチナを支配していく。
     だが、その男の不愉快極まりない口調。語尾。それらの全てを、ルチナは知っていた。

     軸となった両手に力を入れ、受け止められた左脚を即座にこちらへ反転。
     また、机上から振り上げるようにして、瞬く間もなく両手も元へ振り戻す。
     同様に前へも強制的に屈み、両手逆さ立ちの様になっていた身体をも、限界を超えた速度で無理矢理元に戻してみせる。
     そうして机上に前屈みにしゃがむ様にして降り立った、次の瞬間。
     ────右手による鉄拳が、放たれる。

    「……ぐ、……ぁ?」と男は刹那、呼吸が止まったかのように呻く。余りにも一瞬の間に体勢を戻した人間離れしたその動きに、ケニーの反応は僅かに遅れをとったのだ。

     腹部にそれはメキメキ、とめり込まれる。
     幸いにも、その部分には何のガードも付けていなかった。
     ルチナの銃弾にも似た拳は女の力とは思えない鉄槌となって、炸裂する。


    ルチナ「──────らぁぁあああぁあぁぁぁぁああああああああああああああああああああ!!!」


     男は、飛んだ。

     腹部に入ったそれは、男の身体を古びた扉ごと勢い良く廊下へ吹き飛ばした。激音と共に扉の破片が窓にヒビを入れる。

     男は床に倒れ伏せる。
     強烈な拳を腹部に喰らった男は、壊れて共に吹き飛んだ扉上に少量だが涎と吐瀉物を吐き出す。


    「ごふ、っが、はっ、………やる、じゃねぇか」


     だが、その瞬間をルチナは逃さなかった。

     そこから5秒後、ルチナはアベルから抜き取ったのであろう立体機動装置のグリップ───それに半刃刀身を取り付けたもの───で男に飛び掛った。さながら、獲物に飛びかかる狼のそれだった。

     男は脳髄と神経を全力で加速させ、左手をルチナのように掌底させて伏せていた身体を起こす。

     そうして、ルチナの殺気に充ちた刃を再び右手の金属部で受け止めた。
     ルチナによって袈裟斬りを仕掛けられた男の右肩の筋肉は悲鳴を上げて軋む。それと同様に、金属の鉄鋼と重なる黒金竹製の刃も音を立てて火花を散らしている。
     

    ルチナ「────貴様、「切り裂きケニー」か」


     帽子が吹き飛んだ男の顔。長身痩躯の身体。その男は、やはりルチナにとって見覚えのあるものだった。
     ────否、見覚えどころの話ではなく、「一度、殺し合いをした犬猿の仲」そのものだった。


    ケニー「ひっっっさしぶりじゃねぇか、女。相変わらず良い女の癖してバケモンみてぇな体術してやがる」


     ケニー、と名を呼ばれた男は一歩油断すれば首が吹き飛ぶような勢いにおいても饒舌に口を動かす。
     それはますますルチナの殺意に対して滑車を掛けていく。
     十年近く前。かつてまだルチナが十代だった頃────この男は、かつて同胞だった憲兵団の仲間や上司の首を何人も目の前で切り裂いた。


    ルチナ「────久しぶりに会ったと思えば、貴様、良くもまた私の部下に手をかけてくれたな」


    ケニー「あぁん? 知らなくてもいいことに首を突っ込んだおめェらが悪ぃんだろうがよ」


    ルチナ「………やっぱりあんただけはどんな手使ってでも殺しておけば良かったよ。なんで今更私の前に姿を現した!? 「知らなくてもいいこと」ってのは「ルージュ家」の事か!?」


     激情に駆られたルチナは狂気の表情でケニーをまくし立て、より一層スナップブレードを握る手に力を込める。まぁ待てよ、そう一度にぎゃあぎゃあ騒ぐなよ、とケニーは肩をすかしながら呟く。

    ケニー「────お前ら、特にお前に聞きてぇ事があってな? 本当ならお前だけを拘束するつもりだったんだが」


    ルチナ「…………何?」


    ケニー「お前の言う通り、俺らは今「ルージュ家」の人間を追っててよ」


    ケニー「あるジジィがそいつを殺すか連れてくるかどちらかしろってうるさくてな。仕方なく俺ら『対人立体機動部隊』が動いたってハナシだ」


    ルチナ「…………何? なんつった? 「対人立体機動部隊」だって? 何だそれは」


    ケニー「だから待て、最後まで聞けよ。おめーは強い上に良い女だがそこんとこはいけねぇな」
  94. 151 : : 2019/08/09(金) 10:50:11


    ケニー「俺らは今日、その『目標』をエルミハ区付近で見た奴が居るってのを聞きつけてな? おまけにそれでそれらしき女がこの『工業都市』にも顔を見せたって話じゃねぇか」


    ケニー「それでもしかしてと思って明かりの気配がしたこの扉からおめーらの会話を聴いてたら案の定だ」


    ケニー「まあ扉の前にいたアイツは、邪魔な上に余計なこと知ろうとしてたから頭ん中にクソを突っ込んでやったって訳だよ」


    ルチナ「────────」


    ルチナ「……つまり、口封じって言いたいのか」


    ケニー「あぁ、そーゆうこったな。ってな訳でそろそろ肩が痛てぇしよ、そろそろ「ソフィア・ルージュ」の居場所を教えてくれる気はねェかぁ?」


     ケニーは平然と口調を変えることも無く、流暢に続ける。肩が痛い、と言いながらもルチナのブレードに対する抵抗力は微力ながらも強まりつつあった。

     呟くようにして、抑えるようにして「…………何の為にだ? 何故十年以上前に皆殺しにされた一家の生き残りを今更になって探す?」とルチナはその目的を問う。


    ケニー「あぁ? んなもん俺の方が聞きてェぐらいだしな、生憎知らねぇよ」


     まあ冥土の土産代わりに教えてやってもいいぞ、とケニーは付け加える。そうして火花がまたひとつ、強く弾ける。

    ケニー「まぁ、その娘自体の消息も、つい最近までは死んだって事にされてたらしくてよ。「王家の妾の娘」をウォール教の連中が見張ってた時に、たまたまそれっぽいのを見掛けた────だから俺らにそいつを連れて来いって話がきたって訳だ」


    ケニー「何か「探しもん」をしてるらしいが────まぁ、詳しくは聞いちゃいねぇよ。どうだ? 満足したか」


    ルチナ「…………ふーん」


    ルチナ「ありがとうね、教えてくれてさ。でもさ」


     金属部分が手汗で滑りそうになる。一瞬でもグリップを手放せば、アベルを貫いた刃が今度は自分の首を飛ばすだろう。
     故に。
     グリップ部分を握り潰さんばかりの勢いでより強く、より硬く、握り締める。右手、右肩に掛けている重心へ更に力を込める。

     受け止めている金属板ごと、腕を断ち切らんばかりに。
     殺意はより加速していく。限界を超えてその先へ。
     死ぬ恐怖など最早どうでもいい。兵士になると決めた時から、心臓を捧げると誓った時からそんなものはとうに捨てている。

     今必要なのは、一秒でもこの不快にニヤついた老害を叩き斬る事。
     ただそれだけに、全神経と全細胞を総動員させればいい。それ以外は、どうでもいい事だ。
     
     ルチナの脳裏には、アベルの面貌(めんぼう)が浮かぶ。グリップを手に取った時、一瞬だが脈を測った。

     既に、事切れていた。つい数時間前まで自分を諌めていた男は、ただの肉塊と化し、その顔には恐怖だけが張り付いていた。

     歯が折れそうな程に、激情を軋ませる。

     
    ルチナ「─────冥土の土産って言ったよな」


    ルチナ「私は、死ぬ気なんて無いんだよ」


     その一瞬に。

     全ての力を────右手に込める。

     そうしてそのままルチナは、刃を叩き折った(・・・・・)

     折れ目が入った刀身はけたたましい音を立てて3つ程の破片となって飛び散る。
     一つはヒビが入った窓を更に砕き、一つはルチナの頬の肉を抉り取る。血飛沫がケニーに飛び散る。最後の一つは、天井へと突き刺さった。

     そして、僅か8センチ余りになった刃をルチナは金属板から脇の方へと、一瞬にして引き抜き。


    ルチナ「──────死ぬのは、」



    ルチナ「てめぇの方なんだからさ」

     
     そうしてその小さな刃を、ケニーの頚髄目掛けて、空気を切り裂きながら─────打突した。
  95. 152 : : 2019/08/10(土) 00:22:34

     だが、結末から言うのであれば。
     それは、ケニーを殺めるに至らなかった。

     音が、聞こえた。

     似た音がある。固定砲の発射音に似た音───耳をつんざく程の爆音。


    ルチナ「──────ァ?」


     ルチナの半刃による打突は不発に終わったどころか、右手からグリップが零れ落ちる。
     それは重力に引かれ、歯止めも無く落ちていく。
     誰にもそれは受け止められることも無いまま、間もなく、空しい音ともにそれは音を立てて床へ弾ける。

     ルチナはそれを、拾おうとする。
     脚の力が、何故か急に抜けてしまった。両膝をつく。ケニーを、この男を殺さなければならないのに、私は何をしているのか?
     力が入らない。それどころか膝が折れる。
     左の視界が真っ暗だ。
     うご、か、な、い。

     左目でそれを捉えようとする。
     だが、出来ない。
     そもそも、彼女は既に左目どころか左顔の肉を失っていた(・・・・・・・・・・・・・・・・)
     もはや痛みなど無い。

     あるのはただ、嵌めるべきピースが壊れて無くなり、欠如してしまったパズルの様な感覚。
     何かが、足りない。そんな感覚。状況を理解したいのに、理解する間もなく崩壊していく感覚。

     そうしてそんな感覚もまたすぐに、頭から零れ落ちた脳やリンチとなった肉と共に、砕けた硝子のように欠損して消え失せていく。

     つまり、言うなれば。
     ルチナの左半分は、固定砲に似た「何か」によって、綺麗に損失(・・・・・)していたのだ。

     かつてルチナだったそれは、ぐらりと揺らめく。そして横向きに倒れる。

     その反動で頭からボロボロと血塊とミンチ状になった脳が、床に散らばる。
     そのまま操り主の消えた肉は────仰向けに伏すと、とうとう完全に動かなくなった。


     
  96. 153 : : 2019/08/13(火) 00:36:38
     
     極端に甲高い音を出し、銀に揺らめくそれ(・・)は床へ舞い落ちた。硝煙を放ち、転がる。
     それは、喩えるならば「弾丸」。
     だが、弾丸にしては、必要以上に細長い。30センチ以上はある。

    「やるじゃねぇか、助かったぜ」とケニーは傾ききった身体を起こし膝を付いた体勢をつくる。
     そうして俯きながら、床に落ちている血飛沫が散ったハットを手に取る。血を拭うが、赤黒い染みは染み込んでいて取れそうにない。
     

    ケニー「……ったく、これ洗わねぇとだな」


     そうして、扉が破られたルチナの部屋からは一人の女が出てくる。
     女は、歩きながら左手に持つ「銃器」の中指のスイッチを押す。

     天井上に刺さりつつ垂れ下がっている窓付近のアンカーは、素早く「銃器」の中へ巻き戻された。

     金髪を後ろに縛り込んでいる化粧をした女の格好は、この壁内における兵士のそれにしては───奇妙の一言に尽きるものだった。
     
     まず、本来であれば腰裏に装備されているはずの機動装置「本体」が存在しない。また、その脇にあるはずのアンカー射出装置も同様に無く、射出装置は「銃器」と一体化している。

     背中には一本の小型ガスボンベが背負われている。ガスボンベの左右には本来の立体機動装置同様の形を──更にこれもまた同様に小型化されてはいるが──型どった本体が、揺らめく松明の光に照らされている。
     
     また、銃器本体から床に落ちた筒状固形物同様の───恐らく交換用の銃身───それらが左右6本の計12本ずつ、左右対称に大腿部には備え付けられていた。

     そして、女は右手にも持つ「銃器」───否、トリガー型操作装置兼「小型散弾銃」の銃身をその大腿部から装填する。
     ガチャ、という機械じみた低音と共にそれは手元の操作装置に装着された。

     女の操作装置には、通常の立体機動装置であれば在るはずの刀身を取り付ける柄が存在していない。
     その為なのか、同様に刀身を収納する鞘型収納装置もまた、彼女の身体の何処にも存在はしていなかった。
  97. 154 : : 2019/08/13(火) 01:01:43

    「隊長、今のは危なかったですね」と女はケニーの見下げる形で無表情に言う。

     ケニーはいてて、と痛みに軽く呻きながら「あぁ、助かったぜトラウテ」と女の名前を呼んだ。トラウテ、と名前を呼ばれたその金髪の女の表情は鉄仮面そのものであり、微動だにしない。

     すると、ふと疑問に思ったのかそのままトラウテは続ける。


    トラウテ「何故『対人立体機動装置』を使わなかったのですか? 中途半端に金属板だけ腕に括りつけて。案の定死にかけてましたが」


    ケニー「あぁ? それはまぁ……」


     ケニーは左膝に手を添え、右膝を軸に立ち上がると「この女とは、十年越しの因縁があってよ」と右側に倒れ付したルチナの遺体を一瞥(いちべつ)する。


    ケニー「こんな室内で必要ねぇと思ったのもあるが、コイツと今のような形で殺りあってみたかったんだよ」


    トラウテ「………………」


    ケニー「まあ何はともあれ、さすがに舐めてたか。憲兵になってから体術はこの組織の中で腐ってると思ったが、まさかのより一層強くなっていやがった」


    ケニー「下手すりゃ俺の方が脳ん中にクソをぶち込まれてたかもしれねえな」


     ケニーは立ち上がり薄汚れた黒のコートの胸を叩き、木片と埃を払う。

     腕に念のためにケニー自身が左右巻き付けた金属板には、深い切り傷の中に、薄い穴が空いていた。

     この金属板はスナップブレード同様の超硬質スチール製を更に強化したものだったが、ルチナの怪力はそれをも超えていたことが伺える。

     また、身体能力もケニー同様のそれだった。

     下手をすれば、あの刀身の刃で喉元を切り裂かれていたであろう事は本人にも、またルチナを撃ち殺したトラウテにも容易に理解出来た。
     トラウテの援護が無ければ死に至っていたとしても決しておかしくはなかった。
     その事実に、思わずケニーは薄笑いを浮かべる。

     その様子を見た女は、表情を変えることの無いまま「……楽しかったですか?」とルチナの遺体をケニーと共に見つめながら訊く。

     顎髭を擦るケニーは「あぁ? あぁ、相変わらず怒り狂った猫か何かみてぇな感じだったが」と呟き、そうして腕元の金属板を取り外すと、鋭い眼光を伏せる様に帽子を深く被り直す。


    ケニー「まぁ、俺の夢に向けての暇潰しには十分な相手だったよ」


     トラウテが侵入した天井の窓から風が差し込んでいる。
     揺れる月光の光は黒い雲に覆われてその身を覆い隠している。入り込んだ風は、床に倒れたアベルの死体の髪を揺らす。

     無表情の瞳には何も映ってはいない。

     同様に風に揺れる資料の紙達には、飛び散った血と争いの跡だけが遺っていた。
     
  98. 155 : : 2019/08/13(火) 01:47:35
    ◇#06

     時刻は夕刻。ミーナ達作戦班は自分達で作った焚火のある拠点へ再び戻り、夕飯の支度をしていた。
    「今日ごめんね、迷惑かけちゃったね」とソフィアは馬車から降り、水運び用のバケツを手に取りながら言った。


    ミーナ「ううん、体調は大丈夫?」


     ミーナはソフィアを心配そうに見据えながら聞く。「うん、私はもう大丈夫。だいぶ良くなったから」とソフィアは笑顔を返した。その屈託のない笑顔に、ミーナも思わず息をつかずにはいられない。
     すると、ソフィアはミーナの後ろのアニの姿に気付く。ソフィアは「あ、ねぇねぇアニ」と声を掛けた。


    アニ「何?」


    ソフィ「今日は私が木材集めやるよ。ちょうどさっき切れ味が良いナイフを見つけてさ、馬車の中からこっそり買ったんだ」


    ソフィ「それに、手の傷治ってないでしょ? 良いよね、ノア」


     ソフィアは、バケツとは反対の手に待つ革製の鞘に収まった20センチ程のナイフを手に取りつつ、アニとその脇に居たノアに微笑んだ。


    ノア「あぁ、まあ木材集めてくれさえすれば誰がやってくれてもいいけどな」


    アニ「……あんた、抜け目が無いね」


     アニはミーナが巻いた包帯の手をさすりつつ小さな息を吐いた。
  99. 156 : : 2019/08/13(火) 02:16:59

     そうして林の中へ姿を消したソフィアを尻目に、ミーナは林を見つめながらノアへ話し掛ける。


    ミーナ「でも良かった、ソフィアが体調を崩した事なんて殆ど無いから心配してたもの」


    ノア「………」


     ミーナはすぐ近くにいるノアに声を掛けているのにも関わらず、反応が無いのを不思議に思う。自分より背が20センチは高いノアの事を見上げるようにして目を向ける。


    ミーナ「ノア?」


    「ん? あ、……あぁ」と何処か上の空のような様子でソフィアの消えた林をノアは見つめていたが、ミーナの掛け声にようやく気付いたように反応を示す。


    ノア「なんか言ったか? ミーナ」


    ミーナ「え、体調なんて殆ど崩さないソフィアがああなっちゃうの珍しいね、って」


    ノア「……あぁ、そう、だな」


    ミーナ「?」


     何処か反応がハッキリしないノアの様子にミーナは怪訝な顔を向ける。どうしたんだろ、と眉をひそめる。
     だが、ノアは瞳を閉じて一つ息を着くと、表情を変えて「なぁミーナ」と反応を変えてきた。


    ミーナ「?? な、なに?」


    ノア「……お前さ、昼間のアニどう思った?」


    ミーナ「え、どうって……?」


     ミーナ達とは離れた距離で果樹類を集めているアニを他所に、ノアはミーナの肩に手を乗せ頬に手を添えて顔を近づけてくる。
     ミーナは思わず戸惑わずにはいられない。


    ノア「……私な、ひとついいことを思いついたんだよな」


    ミーナ「? なにを?」


     ミーナが黒髪の中の瞳を疑問で満たしている様子を見て、何やらはにかむ。そしてズボンのポケットから何かを取り出し、囁く。


    ノア「コレ(・・)だよ」


     ミーナはそれを見て、「っひっ!?」と思わず声にならない悲鳴を上げ、慌てて距離を取った。


    ミーナ「〜〜〜〜っっっ!? な、な、の、ノア、それ……!?」


     ミーナの顔には怯えが貼りついている。
     ノアはあっははっは、と笑うと「冗談だってぇ! そんなビビるなよミーナ」と可笑しそうにノアはそれを人差し指と親指で掴みながらブラブラとさせた。

     それは「5センチほどの小さな虫」に見える玩具だった。

     ミーナが目を細めてそれを見ると、とても出来が良く、さながら本物の様だった。なんの虫かは分かりたくもなかった。

     ミーナは顔をしかめ、溜め息をつく。


    ミーナ「………馬鹿じゃないのーー!? もー、ほんっとにノア趣味悪いよ」


    ノア「バザールの玩具屋で見かけたただのイタズラ道具だよ、本物じゃないさ」


    ミーナ「玩具だとしてもそんなの買わないでよっ!? ……何に使うの、そんなの」


     呆れながらお下げをミーナは耳に掛ける。するとノアは決まってんだろ、とニヤリとまた趣味の悪い表情をした。


    ノア「────アニに使うんだよ』
  100. 157 : : 2019/08/13(火) 02:37:00



     焚き火の光が夜の闇を弾いている。

     四人はその中で、その焚き火を囲うようにして食事を取っていた。


    ミーナ「………………」


     ミーナはげんなりとした表情でクラッカーを齧り、ノアを垣間見ていた。

     ノアは昨日と同じ戦闘糧食を一足先に食べ終えると、先程からチラチラと何度もアニが食べ終わる瞬間を観察していた。

     アニはそんな視線には露ほどの興味も湧かないのか、それとも単に気がついていないのか、無言のまま火で温めた具のないじゃがいもスープを啜る。
     もうすぐ器の中のスープは空になろうとしていた。────そして、その時は訪れる。
     
    「ん?」とアニは何かに気が付いたように声を上げる。食べ終わろうとしていた具のない筈のスープの中にあるスプーンに、何かが当たる。


    アニ「………?」


     そうしてアニは、それをすくい上げた(・・・・・・)。スプーンに乗ったものは「虫」────勿論、ノアが先程わざとらしくアニのためにスープをすくって入れた時に意図的に混入させた偽物だった。
     だが、当の何も知らないアニには、その虫が本物か偽物かの区別などつかない。

     それを2秒ほど見たアニはたまらず「っっひ!?」と悲鳴を上げ、器とスプーンが両手から零れ落とした。
     アニの顔にはミーナ以上に怯えと恐怖が浮かんでいる。
     そして、器がゴロゴロと転がる。

     そうして、アニは我に返ったように前を見る。


    「………………」


     三人共、アニのその反応を無言のまま目を丸めて見つめている。
     ────無論の事、ミーナ達は昼同様、アニがそんな反応を示した所などここ一年の間一度も見たことは無かった。
     その中で、ノアは堪らずぶはっ、と笑って噴き出した。


    ノア「ぶっあはっはっはっはっは!! 大丈夫かよアニ!?」


     一人笑い転げているノアの隣にいるミーナは、ノアのその悪戯に対して反対していた。辞めた方がいい、どんな事になるか予想が着かない、と。
     反対していた、が────アニのその意外過ぎる反応に、ノア同様に頬を膨らませて笑いを堪えずにはいられなかった。
     事情を一人何も知らないソフィアは焚き火横に転がった器から転がってきた虫を見て「きゃあぁあ!?」とアニ同様悲鳴を上げている。

  101. 158 : : 2019/08/13(火) 02:54:35

     その様子を見たノアは、笑いを抑え「大丈夫だってソフィア。それホンモノじゃねぇから」と虫の玩具を拾い上げる。


    ソフィ「もーーーーほんっとになにやってんのノア! やめてよねぇもう」


     初めてそれを見たミーナ同様にソフィアは呆れ返ってノアの悪戯を非難する───その瞬間、ソフィアは横から再びただならぬ殺気を感じ取る。

     思わず頬を引き攣らせながら隣を見ると、金髪の少女が、とてつもない怒りの表情をノアに向けていた。
     昼間見たそれとは違い、今度は頬を赤らめたりなどはしていない。
     より一層に、直接的に、まるで腸が煮えくり返ったと言わんばかりに怒りを剥き出しにさせて眉をひそめ切っていた。

     それを見たミーナとノアは、背筋を凍らせ、ゾッとした表情をアニに向けている。
     その表情を見たアニは、何も知らずに驚いたソフィアと違って、主犯のノア以外にミーナも「コレ」に絡んでいたという事に気が付く。


    アニ「───────そう。アンタらとは一回、決着をつけなきゃならないみたいだね」


    ノア「ま、待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待てアニ、まあ落ち着けって! ごめんってほんの出来心だったんだよ、ほらなぁミーナ、普段仏頂面のアニがどうするかお前も知りたいって言ってたもんなぁ!?」


    ミーナ「なぁあ!? ちょ、私そんなこと言ってな────」


     昼間のアニの格闘術の恐さを知っていたノアは、無言のまま砂利を踏んで近づいてくるアニに対し、普段の三倍ほどの速度で饒舌に弁解しようとする。ミーナを巻き込みながら。
     だがアニにとっては、そんなことはどうでもよかった。
     ─────そこから5秒後、勝負になってなかった勝負は、一瞬にしてねじ伏せられる事となった。
  102. 159 : : 2019/08/13(火) 03:19:39

     ミーナは背中を地面に叩きつけられ、両足を耳横に置く形で転がっていた。対してノアもまた、さながら死んで仰向けになったまま動かなくなった虫のように、仰向け状態で倒れている。その目は、日も暮れて暗闇に包まれた星空を虚しく映す。

     ミーナは涙目で脊髄の激痛に堪えながら「………わたし、やってないのにぃ……」と小声で呟いた。

     さすがに少し疲れたのか、ふう、とアニは息を漏らす。その様子を一部始終見ていたソフィアは身体を震わせ、子犬さながらにアニに対して怯えきっていた。
     アニの格闘術は、昼にノアに対して行った技以上に一瞬だった。二分前に溯る。

     ─────後ずさりするノアに向かって急加速。そしてアニはノアの首へ両手を素早く潜り込ませる。
     
     そのまま両腕で拘束し、あっと言う暇すら与えず、その勢いのまま─── 一回転させたノアの身体を、首ごと持ち上げる形で地面へ叩きつけてみせたのだ。
     加速した速度の分、身長をアニより超えている筈のノアの身体は呆気なく浮き上がった。


    ノア「───────!!! ちょ、ぐ、んぐ」


     地面に押さえ付けられたノアは両腕で首を拘束されている為、抵抗も出来ぬままに必死にアニの腕元を叩く。呼吸が出来ない。
     みるみる間も無くノアの顔は酸欠によって真っ赤になっていく。そのままいけば、窒息死は必至だ。
    「待て待て待て待て待て待て待て待待て待て! わるがっだ、ギブギブギブ! マジで死ぬがら!!」と堪らずノアは叫ぶ。

     アニは懲らしめたノアに対して満足したのか、ゆっくりと両腕を解き、そして離れる。だが。


    ミーナ「─────ぇ」


     次の瞬間。

     アニは同じく後ずさりして恐怖に顔を引き攣らせていた脇に居たミーナの襟を掴む。
    「ぇ、へ?」と何が起こったか分からないミーナは、前に出ていた左足に強烈な蹴りを叩き込まれる。

    「─────ぃっ」と呻く。
     だが同時にたちまちミーナの身体は浮き上がる。これは、昼間にアニがノアに対して決めた蹴り技。
     完全に不意を突かれたミーナはバランスを崩し、そのままノアと同じく一回転しながら地面へと吸い込まれ────

     そして、今に至ったのだった。
  103. 160 : : 2019/08/13(火) 03:33:12

    アニ「これに懲りたらもう二度とすんじゃないよ」


     アニは吐き捨てるように言い、大きな溜め息をつきながら転がった器をバケツの中へ突っ込む。背中から転がった二人は、全く動けないまま「…………ハイ」と言うことしかできなかった。


     閑話休題。そこから数分後。
     この夜の森は静かで、虫達の声すらもささやかだった。
     アニは河川で器を洗い終え、木のバケツに水を切ったものを一つずつ放り込んでいる。
     すると「手伝おっか?」と声を背中から掛けられた。


    アニ「……!」


    ミーナ「やほ」


     振り向くと、そこに居たのは黒髪のお下げを解き、両耳に髪を掛けたミーナだった。手を振ってアニに笑顔を向けている。「………いや、いいよ」とアニは顔を戻し、水を切っていない器を振る。


    ミーナ「そ、そう? ごめん」


     ミーナは、アニの横に座り込むと「でも、これだけは運ぶね」と言った。


    アニ「……好きにしな」


    ミーナ「うん!」


     ミーナはアニの反応に微笑むと、隣で一緒に水を切り始める。
     何がそんなに楽しいんだ、とアニはただただ疑問に思う。ただでさえついさっき背中から地面に叩きつけてやった後なのに。コイツはお人好しなのか。

     そこまで考えた所で、アニは思い出す。
     ミーナは、アニの知る限りいつもそうだった。いつも人のことばかり考えている印象だったのだ。

     例えば誰かが立体機動や格闘術の訓練で負傷した時は、大概クリスタと一緒に医務室に運ぶ。困っている誰かが居たら、とにかく積極的に声を掛けてく。
     アニは、この一年の中でも何度もそういったミーナの姿を見ていた。
     それが兵団の中で何を言われている人物であろうと、そんな事はお構い無しと言わんばかりに。それは、間違いなく自分の損得を考える人間のそれではなかった。
     
  104. 161 : : 2019/08/13(火) 04:00:49

     そんなことをアニが考えていると「ねぇアニ?」とミーナは作業をしながら、何気なく質問をしてくる。


    アニ「何?」


    ミーナ「……私さ、さっきの格闘術なんだけどさ」


     さっきの格闘術、というとさっきミーナとノアに食らわせたアレの話か。「それが何?」と返す。


    ミーナ「……お父さんに、教わったって言ってたじゃん?」


    アニ「……そうだけど」


    ミーナ「────その、さ」


    ミーナ「…………実は、その、格闘術ね。教えて欲しいんだ、私にも」


    「は?」と思わず素の声でアニは驚く。ミーナを見つめ返す。すると、ミーナもまた俯きながらもこちらに視線を向けていた。

     ミーナは何やら緊張しているように見える。
     その声には何処か自信が無く、いつもの彼女の明るさは無い。意図が見えず、アニは少し身を硬くする。

     ミーナの耳に掛けられた髪の毛。それらの一つ一つが森の隙間から輝く月光に揺らめき、光を放つ。
     さながら夜の街灯に揺らめく煌めきの様。アニは不覚にも一瞬、ミーナのそれを綺麗だと感じた。

     それを誤魔化す様に、アニは一つ聞きたいんだけどさ、と言った。


    ミーナ「? 何?」


    アニ「どうして、そう思うの?」

     
    ミーナ「え、………んー」


     ミーナは人差し指を顎に添え、考える。「……私さ、強くなりたいって思ってるんだ」と答える。


    アニ「……強くなりたい?」


    ミーナ「うん」


    アニ「何の為? ……今より成績上げるため?」


    ミーナ「いやまあ、それもあるんだけどさ」


     ミーナはふふふ、と口元を手で覆いながら苦笑する。きっとこういう所がこの子の好かれる所なのかもしれないな、とアニは何となく思う。


    ミーナ「─────守ってもらってばっかりだったんだ、私」


     ミーナはアニに向けていた視線を流れる水の中へと向ける。腕を両肘に乗せ顎半分を腕の中へ埋める。何かを憂いている様にアニには見える。
     どういう意味、と尋ねる。
     言葉通りだよ、と返される。


    ミーナ「私ね、自分のこの黒髪とか、自分の顔とか、嫌いだったんだ」


    アニ「……!」


    ミーナ「……トロスト区に居た時、ちっちゃい頃からよくいじめられてた」


     壁の中にも人を外見で差別する様な頭の弱い奴がいるんだな、とアニは思い、案外どこも同じなのかもしれないとも考える。「……それで?」とアニはミーナへ返す。
  105. 162 : : 2019/08/13(火) 04:12:43

    ミーナ「……その度に、いつも守ってくれる人がいた」


    ミーナ「守ってくれる誰かが居たの。私が苦しい時、いつもいつも守ってくれる人」


    アニ「……………」


     きっと幸せ者だったんだろう、とアニは思う。ミーナは環境に恵まれていた。この壁内においても、ごく普通に、幸せを享受できていた方の人間だったんだろう。
     そこまで考えて、アニはまた(・・)胸が痛むのを感じた。

     ミーナはその様子に気がつくこともなく、続ける。


    ミーナ「でもね」


    ミーナ「─────私、もう、守られてばかりいるの、嫌なんだ」


    アニ「どうして?」


    ミーナ「……助けたいから」


    アニ「助けたい?」


    ミーナ「……うん。だって、私には、文字通り何も無いから。エレンみたいに巨人を駆逐したいだなんて思わないし、マルコみたいに王様に貢献したいとも思わない」


    ミーナ「だからといって、ジャンみたいに自分の為に憲兵団になって壁の中に引き篭る様なことをするのも好きじゃない。私だって巨人と戦いたいだなんて思わないけど」


    ミーナ「でもだからといって、自分さえ良ければいいだなんて思いたくない、のかも」


     それは、心に溜まっていたのであろう悩みだったのかもしれない。自分でも分からない何か─────それを、ミーナは躊躇う事もなくアニに漏らしていた。

     助けたい、と彼女は確かにそう言った。
     それは自らの為ではなく、他人の為に在りたいと願う意志そのものだった。
     アニはそれを拒否することはなく、ただ無言で聞き続けていた。
     何も無い(・・・・)。その感情が、少し、理解出来る気もしたからだった。


    ミーナ「……でもね。私、どうしたいか自分でも分からないの。どうしたらいいのか分からないの」


    ミーナ「何の為に戦うのか、何の為に強くなりたいのか、自分でも曖昧なの。物凄く」


    ミーナ「─────だからせめて、守ってくれてばかりの人の為に、守ってもらった分を返したいの。私も助けたいの。その為に、今は強くなりたいのかも」


     そこまで言ったところで、ミーナは静かになった。「────……そう」とアニは返した。





     
  106. 163 : : 2019/08/13(火) 04:57:07

    ミーナ「────だから、だから私ね!」


    アニ「!」


     ミーナは川へ向けていた顔を上げ、横にいるアニの方へ振り向く。「教えて、欲しいの。アニみたいに、強くなりたいから」

     黒く鮮やかな瞳の中にまた自分が映る。

     思わず、潰されそうになる。さながら光に闇が塗り潰されるように。目を開けた時、太陽が目に滲んでつい目を閉じずにはいられないように。

     アニは堪らず目を真っ直ぐに合わせてきたミーナから目を逸らした。

     その眼を、何故かアニは怖いと感じた。

     何故なのかは分からない。ただひたすらに、怖い(・・)と感じていた。

     もしかしたら、彼女の思うそれは、決定的に、徹底的に自分とは違うものだったからなのかもしれない。
     それは定かではなかった。ただとにかくアニ・レオンハートにとって、ミーナ・カロライナは違う人種(・・・・)の様に考えずにはいられなかった。

     だけど同時に。
     アニは、複雑に感じていた。そんな感情と相反して─────心が、高揚していたのだ。

     そんな感情をここ数年まともに感じた事は無かったと言うのに、ミーナと話して、ミーナに誰からも言われたことの無い言葉を伝えられて────アニは、どうしようもなく心が、踊らずにはいられなかった。
     思わず、口から言葉が零れる。無意識に、扉を開く。もう開けるまいと、あの日誓ったその扉を、彼女になら開いてもいいかもしれないと、思いかける。

     
    アニ「私は、そもそも強くなんて、ない」


    アニ「……でも、そこまで言うんだったら。そんなにあの技が気に入ったんだったら───」


     その瞬間。声が、聞こえた。
     ──────残像が、走る。夢。なん、だ、これ、は。

    『うわぁあ……やめ、やめろぉおおおおおおお』

    『やめてくれよ!? アニ!?』

    『何で!? 何で!? 何で!? 何でだよ!??』

    『まだ……話し合ってないじゃないかあぁぁぁぁぁぁああ』

    『だれかっ、やだ、いやだ、やめ、うぁああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁ

    『島の悪魔からみんなを救ってくれ!!』

    『マルセルが必要なら…俺がマルセルに…なるから…』

    『帰ろう…みんなで…故郷に…』

    『俺が間違っていた。今更許してくれとは言わない』

    『だから約束してくれ、必ず』

    『帰ってくると』
  107. 164 : : 2019/08/13(火) 05:24:37

     その瞬間、世界が見える。視界が、狂う。

     青と緑の虹。何処とも言えない無限の夜の砂漠の中に自分が立っている。地平線の果てには光の樹木がそびえ立っていた。彼方の空にも数々の星が浮かび上がり、青白い光を放つ樹木の木々が存在を誇示しているようだ。
     それらは、一瞬の景色でしかない。やがて残像となって消える。網膜に、強烈にそれは焼き付いていく。
     そしてまた、それらは霧散する。


    ─────ニッ? アニ!?

     我に返る。


    アニ「………ッ、ぁ」


    ミーナ「アニ!? 大丈夫?」


     ミーナは何やら相当恐慌してアニの両腕を掴んでいる。アニは遅れてそれに気が付く。場所は同じ様に、川だった。ミーナと話している川だ。
    ────今のは何だ、とアニは考える。

     誰かの悲鳴。何かの記憶。まるで何かと繋がったように、一瞬だけ垣間見た。
     見たことの無いはずの景色と見覚えのない記憶が刹那のように視界に展開され、そして消えていった。見覚えの無いものは一秒と経たずに脳裏からその姿を消したが、その中にはかつて自分が見た景色と記憶も存在していた。

     そう。かつて、父親が伝えたもの。

     アニは、濁流の様に頭を流れた記憶の中で唯一確かなことを思い出す。

     それは使命。誓い。どれにでも当てはまる。

     そうだ。
     やらなければならないことは、何があろうと為さなれければならない。使命を果たす。そうでなければ、『故郷』に帰ることは出来ない。

     思い出せ、自分の『過ち』を。その罪を。
     
     ここでミーナにそれを伝えてはならないと、頭の中の声が言う。
     教えてはならない、と。
     お前にそんなことをする資格(・・・・・・・・・・)必要も無い(・・・・・)
     そんな事は許されない、と。私は戦士であっても兵士ではないのだから。


    アニ「───────何でも、ない」
     

    ミーナ「え……?」


     悪いけど、とアニはミーナの眼を見る事もなく立ち上がる。その際、ミーナが手に取っていた器を半ば強引に奪う。ミーナは「え、え? きゅ、急にどうしたの?」と訴えてくる。その声は明らかに動揺しているかのように震えている。
     

    アニ「私に、関わらないでくんない?」


    アニ「そんなの、自分でなんとかしな」


     吐き捨てる様に、拒絶する様に、アニはミーナへそんな言葉を浴びせる。
     いつもの様に。かつてソフィアに伝えた様に。仲良くしようと擦り寄ってきた連中へ同様に伝えた様に。ここに来るな、消えろと、言わんばかりに。
     ミーナが酷く傷付いたように目を開く。「────っ、え………な、なんで」と声を上擦らせる。
     開かれた瞳孔には確かな疑問と悲しみが浮かんでいるのがアニにも分かる。
     それに痛む何かをかなぐり捨て、アニはそのまま立ち上がり、早足で焚き火のある林の中へと消えていったのだった。
     
  108. 166 : : 2019/08/17(土) 18:53:16



     月が黒い森の隙間から青白い微かな光となって差し込む。今日の空気は、何故かミーナにとって酷く冷たく感じる。
     研ぎ澄まされた冷気は、自らの冷え切って傷ついた心を更に抉り取ってくるような気がした。
     
    『私に関わんないでくんない?』と言った彼女の言葉。それが何度も反復しては脳に響き渡る。

     ミーナは重い瞼を開く。
     明日はトロスト区まで再び長い旅路となる。今夜はゆっくり休まなければならない。
     だというのに、彼女は眠りにつけそうになかった。身体が震え、どうしてか目が冴える。
     何度も瞼を閉じようとするのに、どうしても眠れない。


    ミーナ「………」


     仕方なく、身体を起こす。
     するといの一番に視界に入ったのは、既に燃え尽きていたはずの焚き火だった。火は変わらず、寝袋に入る前と同じ様に光源となってミーナ達を照らし続けている。
     灰となった筈の木は新しい木で積み重ねられ、そして激しく燃えている。


    ミーナ「────え、あれ……」


     どうしてまだ火がついてるんだろ、寝る前には確かに消えかかっていたはずなのに。
     そんな事を思っていると「ん? なんだ、まだ起きてたのかミーナ」と暗闇から声がする。


    ミーナ「ノアこそ、まだ起きてたの?」


    ノア「あぁ、どうやらお互いに夜更かし好きみたいだな」


     ノアは新しく削り取ってきたのであろう細かい木々を火の中に放り込み、そんなことを言っては苦笑してみせた。
    「……眠れないのか?」と座り込んで少しの沈黙の後、ノアはミーナに問いかけた。


    ミーナ「……」


    ミーナ「うん、眠れないの」


    ノア「……そうか」


     焚き火は静かに三角座りをしたミーナと、胡座をかくノアを照らす。火の粉が小さく弾けた。
     そういやさ、とノアは何やらリュックを探り始める。
     中途半端に乱れたお下げを全てほどくミーナは不思議そうにそれを見つめる。


    ノア「こんなのがバザールにあってよ」


    ミーナ「え」


     それを見ると、ミーナは露骨に驚いて目を丸くする。目を見張ったそれはウォール・マリアにおいては非常に貴重な1リットル程の牛乳瓶だった。

     ノアはニヤリと笑みを浮かべると「これ、眠れない時に暖めて飲むと効くんだってよ」と瓶のコルクを開ける。空気が通る音と共にそれは開かれる。
     そして再びリュックを漁り、小さな鍋を取り出す。
     そのままそこへ牛乳を注ぎこんだ。綺麗な牛乳は揺らめく火に照らされて白く輝いていた。

  109. 167 : : 2019/08/17(土) 19:05:03


    ノア「お前も飲むだろ、ミーナ」


    ミーナ「えっ、いいの?」


    ノア「こんなんそう長くは保管なんか出来ねぇし、訓練施設に個人の地下保管庫があるわけでもねぇからよ」


    ノア「もうどうせなら、今一緒に飲んじまおうぜ」


     ノアはそこまで言うと、焚き火の上に金網を置く為か、木製の小さな支えを組み立て始める。そしてその上に鍋を置いて暖め始めた。

     それがノアなりに自分に対して気を遣ってくれているのだという事に、ミーナは気が付く。


    ミーナ「………」


     冷え切った心が、小鍋と同じ様に温められていく感覚を覚える。ふとそこで、思わずミーナは焚き火とは逆向きに眠っているアニの背中を見つめた。

    「アニと何かあったのか?」とノアはこちらを見ることもなくそう口を開いた。


    ミーナ「……!」

     素直に、驚く。……本当に、とミーナは思う。本当にノアには、叶わないなぁと。


    ミーナ「……どうして分かるの?」


    ノア「分かるさそんくらい。お前がさっき食器を持ってきた時、露骨に萎えた顔してたからな」


     ノアの観察力には本当にいつも驚かされずにはいられない。一緒に訓練を重ねたアルミンのそれに負けずとも劣らないかもしれない。そうしてミーナは小さく溜め息を漏らす。


    ミーナ「……アニに、ね」


    ノア「ん?」


    ミーナ「格闘術、教えてもらおうとしたんだ」


    ノア「あぁ、それで?」


     ノアが問うと、ミーナは途端に黙り込む。なお一層、腕の中に顔を埋め始めている。
     拒否られたんだろ、と微かな沈黙と共にノアが聞くと、ミーナは顔をひどく俯かせ「うん」と返した。
  110. 168 : : 2019/08/17(土) 19:16:43

    ノア「どうして?」


    ミーナ「─────それが、分からないの」


     ミーナはアニに対して話した内容を、そっくりそのままノアへ話した。
     自らが何の為に訓練施設で訓練を重ねているのか、一年が過ぎてもその答えが未だに見つかっていないということ。
     何の為に戦うのか。その答えに少しでも近付けると信じてアニに教えを乞おうとした事を。

     ひとしきり話し終えると、再びミーナは顔を埋める。
     そしてその姿勢のまま「……確かに」と呟く。
     それは迸る焚き火の音にいとも簡単に消えてしまいそうなか細い声。
     ミーナは「少しだけ、嬉しそうにしてくれてるように感じたの」と不安そうに言った。

     ミーナ曰く、アニは突然何かを思い出したように動揺を見せたのだという。
     その直後、話を黙って聴いていた姿勢を急変させ、大きく態度を変えてしまったのだとか。

     ノアには、どうもそれが違和感を感じずにはいられなかった。その原因は何かはノアには分からなかったが、とにかくそれはしこりの様にノアの思考の中へと残った。
  111. 170 : : 2019/08/17(土) 23:37:15

    「アニってさ」と、俯いたまま火を哀しげに見つめるミーナを見ながらノアは話し始める。

     話を振られたミーナは「?」と腕の中に顔を半分埋めながら目線だけノアを見つめる。
     そんなミーナの視線に気がついたノアは、何やら少しだけ困った様に微笑む。
     そして焚き火へと再び視線を戻した。


    ノア「………アイツのこと、今日どんな奴か少しだけ分かったような気がするんだよな」


    ミーナ「え、……本当に?」


    ノア「あぁ、本当だよ」


     アイツってさ、とノアは呟く。案外、普通の女の子なんだろうな、と。
     だがアニの事を「普通の女の子」とノアが評した理由がミーナには今ひとつ分からなかった。
     そうして「どうしてそう思うの」と思わず彼女は聞き返した。


    ノア「もしあいつが噂通りの『氷の女』とかいう奴なら昼間ん時みてぇな反応も、さっきみてぇな反応だってしないだろうなって私は思う」


    ノア「例えば野良猫とじゃれたり、それをからかった事をキレたり、虫にびびったり」


     言われてみれば確かにその通りかもしれないと、ミーナは静かにノアの言葉のひとつひとつに頷く。少なくとも、昼間の様に猫と戯れたりするのは誰でもすることだし、何も悪い事でも何でもない。
     むしろ、猫が好きな「普通の女の子」であれば誰でも似たような経験をしていてもおかしくはない話だった。

     大体『氷の女』というのは、彼女の事を何も知らない人間が勝手に名付けただけのただの蔑称だ。────アニはそんな人間じゃない。
     それだけは、ミーナにとっても確信できる事実だった。
  112. 171 : : 2019/08/18(日) 00:29:26

    ノア「だからさ、アイツ自身は多分そんな「友達」をつくる事自体が嫌ってわけじゃないように私には感じたんだ」


     まああくまでもただの勘だけどな、とノアは皮肉めいた笑みを浮かべる。


    ノア「……それは、お前も何となく感じてたんじゃないのか?」


    ミーナ「……!」


     ミーナは思わず虚をつかれた様な感覚に陥る。実際の所、その通りだった。
     アニは一度として、自分を拒絶したりはしなかった。
     本当に人との間に距離を取るのであれば、そもそも話を聞く必要は無いはずだったのだ。だというのに、そうしなかった。

     きっとそれにも、理由があるんじゃないのか。彼女はそう思っていた。

     そう思っていたが故に、この二日間の間だけでも何度も話すのを試みる事が出来たのだから。

     ─────でも。

    「……でも、私、もうダメだよ」と思わず本音を漏らす。嫌でも考えてしまう。
    「きっともう、嫌われちゃった。何かアニの触れたくないことに触れた。だから拒絶されたんだよ………」
     その声が酷く弱々しい。自分でも泣きそうになっているのが理解出来る。目頭に熱が滲むのが自分でも分かってしまって、たまらなくなる。アニに嫌われてしまったかもしれない。
     その事実に堪えきれず、それはついには頬を伝った。
     ノアは何も言わず、ただ本音を伝えるミーナを悲しげに見つめている。

     ────悔しいと、思った。

     そんな事で泣いてしまう自分が、ひどく惨めに思えた。また私は、ノアに甘えている。
     気を遣っているからこそ敢えて何も言わない事が余計に慰めてもらっている気がして、本当に嫌になる。どうしようもないくらい情けない。

     そんな風に自己嫌悪に陥ったミーナを見つつ、ノアは湯気を出している鍋をそっと持つ。そして金属のコップに温まった牛乳を八分程流し込んだ。


    ノア「─────……お前、甘い方が好きだったよな」
     

     ノアの視線はコップに向けられている。それは、とても穏やかでどこか慈しみを伴っていた。ミーナは何も言う事が出来ず、ただ頷く。

     それを見たノアは胸ポケットの中から小さな瓶を取り出す。その中に入っていた角砂糖を二つある内の一つに幾つかポチャン、と落とした。
    「……飲みな?」とスプーンの入ったそれを頬を濡らす彼女に差し出す。


    ミーナ「………」


    ミーナ「……ありが、と」


     ミーナは両手でコップを受け取る。ノアから渡された金属のそれは、手の平に、そして胸の中に確かな「熱」となって彼女の中に滲む。
     
     今は泣いてもいいんだよ、と言われてる気がした。

     息を吹いて牛乳を冷ます。そして、そっとそれを飲みこんでいく。
     喉の奥に染み渡っていくそれは、言葉よりもずっと明瞭にノアの優しさを伝えてくれた。
     もうどうしようもなかった。止めどなく、涙が溢れてくる。今の彼女には小さな嗚咽を漏らすことしか、出来ることはありそうも無かった。
  113. 175 : : 2019/08/23(金) 05:04:52


     金属製のカップが空になり、その温もりを失う頃、ミーナはふと一つ息を吐いた。

     焚き火の火は相変わらず燃え盛ったままだったが、その勢いは徐々に衰えていきつつもあった。ノアはカップを片手に枝をそんな火の中へ放り込む。

     しばらくの間、二人は無言のままだった。

     だがしばらくして、ノアは「……落ち着いたか?」と口を開いた。ミーナは、そんなノアの表情を垣間見て「……うん」と答えた。

     薄らと赤く腫れたミーナの黒い瞳から零れた涙は、既に乾ききっている。
     俯いて火を黙って見つめている彼女は何も言おうとはしなかった。何も言えないまま、寝袋の中の毛布を肩にかけ直して三角座りをしていた。


    ノア「……仕方ねぇなぁ」


     その様子を見ていたノアは、やれやれと言わんばかりに一つ息を吐く。
     ミーナがまだ、酷く思い悩んでいるのは明確だった。だからこそ考える。
     そうして何かを思いついたように、どこか空虚な視線を雲一つ無い空へ向け「まだ眠れねぇみたいだからさ。……一つだけ、お前に昔話をしてやるよ」と呟いた。


    ミーナ「……昔、話? どんな?」


    ノア「……そうだな」


    ノア「ある一人の女の子の話だ」


     ───昔、ある何処かの家庭に一人の女子が居た。
     その子は四人家族だったらしい。母親と、父親、弟との四人。その四人は、とても仲の良い家族だった。
     喧嘩なんてほとんどしなかったし、いつも笑いあってた。幸せな、家庭だったんだとさ。

     でもな。

     その四人の住んでた環境は、あまり良い所じゃなかったみたいだ。
     
     ───どんな環境だったの?

     ───さぁ、なんて言えばいいんだろうな。聞いた話だし。……わかりやすく言うなら、あまり「歓迎される様な場所」では無かったらしい。

     たまに石も投げられたりするし、周りから何処か蔑みの目で見つめられたりもした。

     その子の父親は理不尽に殴られたりもしたし、母親はヒソヒソと嘲笑われたりもしたらしい。弟に関しては、いじめられたりとかなんて日常茶飯事だったらしいな。

     その少女は何でそんな目に家族が遭わなきゃいけなかったのか全く理解が出来なかったみたいだ。

     でも、その少女にとってはそんな事は大した事でも無かったらしい。どうでも良かったらしい。
     家族もまた、同様に同じ事を思ってたみたいだからな。

     ただ家族で一緒に居られればいい。

     ただ、毎日を家族でささやかに過ごせればそれで良かった。ただ、毎日を飯食って、家族といろんな話をして過ごせれば、それで良かったらしい。
  114. 177 : : 2019/08/23(金) 05:22:31

     でも、その家族はある日突然引き裂かれた。

     ────え?

     ……まず父親は何処かに何人もの男に連れていかれた。母親もだ。

     残ったその少女と弟もまた、両親とも、姉弟同士とも別々になる形で何処かに連れていかれた。親がどうなったのか、少女は知らないままらしい。
     何で? さぁ、私もよくはわからないよ。何処かで誰かから聞いただけだからな。

     その少女は相当酷い目にあったらしい。どんな目なのかは分からない。
     最後にその少女が気が付いた時には、高台が見える湖みたいな所にいた。広い湖だったらしい。

     弟も一緒に居たみたいだけど、その少女が弟と顔を合わせたのはそれが……悲しいけど最後だったみたいだ。
     
     ────そこから少女曰く、長い時間が経ったらしい。雨の中、少女は何処とも知らない街で、たった独りで野垂れ死にそうになってたらしい。
     
     でも、その少女は見ず知らずの他人に救われたらしいな。
     それ以来、……その他人の為に、少女は憎んだ世界の中で生きる事を決めた、んだってさ。
  115. 178 : : 2019/08/23(金) 05:46:21

    ミーナ「…………」


    ノア「はい、これで昔話は終わりだ」


     ノアは手を小さく叩くのを合図に、話を締める。そうして何処かミーナからは哀しげに見えなくもない表情を浮かべながら「……さ、そろそろ寝ようぜ?」と言った。


    ミーナ「────ノア」


     ミーナは、思わず声を掛けた。何を言うべきなのか、自分の中でもひどく曖昧だった。
     ただ、声を掛けずにはいられなかった。話の続きが気になるからではなかった。その少女を、ミーナは知っていたような気がしたからだ。
     だがノアは、ただ静かに「ミーナ、一つだけその昔話に関連した言葉、言わせてくれ」と表情を変えることはないままに、黒髪の彼女を見つめる。


    ノア「その子はな、その「他人」に救われた時、『自分なんて生まれてこなければよかったのに』って思ったらしい」


    ミーナ「………!!」


     ミーナは小さく目を見開く。自分を見つめるノアが何故か、泣きそうになってるように彼女には伺える。
     火は、もうすぐ消えようとしている。
     ミーナは、燻りながら自分たちを見つめるそれに消えないで、と心の中で言った。

     だが彼はそんな事言われても困ると言わんばかりにその存在を徐々に縮小させていく。もう木々も薪も無かった。
     彼が消えてしまえば、この時間が終わってしまう。
     消えて欲しくない。終わって欲しくない。このまま話していたいのに。だって知っている。知らないはずがない。覚えているのだから。
     その少女が、かつてどんな眼をしていたか、ミーナはそれを知っている(・・・・・・・・)のだから。
     だがそう願うミーナの想いは叶いそうもない。その時間はもう、終わろうとしている。

    「─────でも」とノアは視線を落として哀しくもやさしい声で言う。


    ノア「……最終的には、少女はそう思わずに済んだんだってさ」


    ノア「『希望』を貰ったかららしい。……ただ、生きたいと。そう思えたかららしい」

  116. 179 : : 2019/08/23(金) 06:18:32

    「───希望」とミーナは独りごちる。

     希望を持つこと。それは、生きる為に必要な感情なんだということを、ミーナは知っていた。願いが無駄にならない事。それこそが、希望そのものだということも。

     それはなにかとても大切な事───例えるなら世界の秘密そのものの様に───彼女の胸の中に落ちていく。
     その言葉は、自分とひとつになるかのように不思議な感覚として全身に広がっていくのがミーナには理解出来た。

     さながら、灰色だったキャンパスに一つの絵の具が水滴の様に吸い込まれていくよう。

     そして紙に落ちたそれは、白黒を塗り替える。そこを起点として、沢山の色が溶けていく。
     それと同じ様に、ミーナの中の感情も色付いていった。

     
    ノア「…………ミーナ?」


     だというのに。


    ミーナ「え?」


    ノア「……おまえ、どうしてまた」


     泣いてるんだ、とノアは小さく驚く。そんなことを言われて、ミーナは自分の頬をまた涙が伝ってる事に気がついた。
     慌てて拭う。
     何で、どうして? とミーナは思う。
     でも答えが出るはずも無くて、また涙は溢れてくる。
     理由は分からない。ただ、無性に泣きたくなる。もしかしたら、これが最後なんじゃないかと思っている自分がいる。何を言っているのか、そんなわけがないのに。

     それが情けないって分かっているのに、彼女にはどうする事も出来ない。

     心配げにこちらを見つめてくるノアにミーナは涙を流しながらも目を向ける。
  117. 180 : : 2019/08/23(金) 06:45:56

     ノアは、決して直接的に慰める事はしない。先程もそうだったように。だがノアは、やはり困ったように微笑むのだ。
     そしてそんなミーナの頭を撫でる。自分より大きな手で撫でられているのが理解出来る。頬を伝う熱を感じながら、目を開いてミーナはノアを見つめ返す。
     すると「なぁ、ミーナ」と表情を変えずにノアは言う。


    ノア「これだけは、忘れないでくれ」


    ミーナ「え……?」


     ノアはどこか掠れたような声で言う。その声は、とても頼りない。普段の彼女のそれとはとても似ても似つかない。
     火が消え始める。その空間の空気を、ほんの少ししか震わせる事は出来ない。──ミーナ。


    ノア「大事なのはきっと、相手を恨むことじゃない」


    ノア「責めることでもない」


    ノア「いちばん大切なのは、お前自身がどうしていくかを決めること。─────お前は、自由だ」


    ノア「どんな「未来」を選んでもいい。どんな「道」を選んでも構わない」


    ノア「でもこの世界は残酷だからさ」


    ノア「────だから、せめてそんな中でも、どうか、お願いだから」


     そこまで言ったところで、ノアはミーナを抱きしめた。
     火が、まもなく消える。ふたりの世界は小さく消えゆく。東の空がその身を黒色から白と橙色に薄らと変えつつある事に、ミーナは気がつく。

     どうして、とミーナは思う。何故ノアは自分を抱きしめて────そしてこんなに震えているんだろうと、不思議に思う。何故自分の涙はこんなに止まらないんだろうと思う。だけどそんな事はどうでもいい。

     そんな事を、彼女は思った。

     そうして、ノアは消え入りそうに最後に言う。ミーナは、それを受け止める。とても大切なそれを、二度と忘れないように胸にしまい込む。

     ──────お前の好きなガーベラの花言葉みたいに……絶対に、

     希望だけは捨てないでくれ、と。

     そう、ノアは最後に、呟いた。思うように。願うように。祈るようにして、最後に彼女はそう言った。
  118. 181 : : 2019/08/24(土) 05:58:17

    ◇#07

     重いまぶたを開き、なんとなく彼女は目の前の林を眺めてみる。
     そうして次第に意識が目覚めたソフィアは胸元にある寝袋のチャックを下ろし、目を擦りながら身体を起こした。
     鳥達は静かに鳴いていて、朝の森のしっとりとした湿度は寝ぼけた彼女の肌へ緩やかに張り付いている。やがて彼女は周囲をなんとなく見回す。


    ソフィ「…………」


     アニは背中を丸め、寝袋の中にうずくまっている。一方のミーナとノアは、手を繋ぎながら一つの寝袋の上に寄り添いあって眠っていた。
     
     こんな所でそんな寝方してると風邪引いちゃうのに。でも、何だか癒されるなぁ。

     そんな事を思いながら、安心した様に眠る二人の顔をしばらくソフィアは見つめる。
     
     ふと顔を洗いたいと考えた彼女は近くの川へ行こっかなと思い至った。
     その時、彼女は自分の荷にしまい込んでおいたナイフの存在を思い出す。気にする必要は無いかもしれないが、いざと言うときのためだ。持っていこう。
     そうしてソフィアはミーナとノアへ毛布を掛け、立ち上がろうとする。


    ミーナ「……んっ、…んぅ」


    ソフィ「……!」


     あ、やばいと彼女は考える。起きちゃったかな? 失敗したかもしれない。
     案の定、ミーナは長いまつ毛を揺らして二重の目蓋をそっと開いた。


    ソフィ「……ぁ、ごめん。起こしちゃった……?」


    ミーナ「……そ、ふぃ……」


     まだ眠りが浅かったのか、ぼんやりとしつつも、ノアを起こさないようにそっと彼女は身体を起こす。「んんっ……だいじょぶ……」

     幼い頃から何一つ変わっていない彼女の仕草に思わずソフィアは苦笑した。
     

    ソフィ「まだ寝る? 私もう目が覚めちゃったから川で身体と顔を洗おっかなって思うけど……一緒に行く?」


    ミーナ「……ぅん、いく……」


     呂律が殆ど回っていない様子を見て大丈夫かなこの子、と心配になるが、ミーナはちゃんとリュックからタオルと下着も含めた着替えを出せている。
     この様子ならきっと心配はいらないかもしれないとソフィアはミーナの手を引いて歩き始めた。

     だが、結論からいえばその選択は失敗だったかもしれない。


     そんな事を、彼女は後になって思ったのだった。
  119. 182 : : 2019/08/24(土) 06:06:15



     悲鳴が森に響き渡る。木々から名も知らない鳥達が弾ける様に飛び立っていく。

     ノアとアニは瞳孔を大きく開かせ、目を覚ます。そして、飛び起きる。


    ノア「!? 何だッッ今の!?」


    アニ「…………!!?」


     ノアは周囲を見渡す。
     そして、背筋を凍らせた。自分の隣で眠っていたはずのミーナと、そしてそのすぐ近くに居たはずの────ソフィアの姿が無かった。

     嘘、だろ。おい、嘘だと言えよ。何で。


    ノア「─────────冗談、じゃない」


     考えるよりも早く、ノアは立体機動装置の元へ駆け出す。なんで、何でだ? 嘘だろ、と濁流の様に思考が前頭葉から後頭葉へ掛けていく。

     アニも事態を察したのか、共に立体機動装置を素早く身につけ始める。
     アニも、ノアも、お互いに確認し合うまでもなく理解していた。



     あの悲鳴は、ソフィアとミーナのそれだった。


  120. 183 : : 2019/08/24(土) 06:18:50

     悲鳴は西の方向、川の方から聞こえたのをアニは野良犬さながらに察知していた。共に木々や林を全力で駆ける。

     ノアの耳からは、音が消える。視界が極端に狭まっているのが分かる。
     (たぎ)る血液は、指先まで(ほとばし)る様に加速している。

     立体機動装置のグリップを握り締め、林を抜けたのを合図に───── 一際高い巨木の幹へ二人は左アンカーを射出。

     そして、グリップの人差し指────第一トリガーを勢い良く押す。本体からのガス噴射と共に、振動が凄まじい感覚となって二人の腰から頚髄を振動させる。

     並の風を遥かに超える暴力的な速度で、自らを急加速していく。


    ノア(──────頼む)


    ノア(間に合ってくれ)


     懇願にすらならない願いと共に、ノアは全速力で既に射出させたアンカーを巻きとった。
  121. 184 : : 2019/08/24(土) 06:39:43



     何が起こったのかを、彼女は認識出来ていなかった。ソフィアはつい数分前の事を思い出す。意識を持っていかれていたのは確かだが、そんなに時間は経っていないと思われる。

     ソフィアは川で顔を洗い、身体を洗い流そうとしていた。
     そしてジャケットを脱ごうとした瞬間───何かの「砲声(・・)」が響いたのだ。

     それは、自らの足元に転がっていた人間の顔程の大きさの石を────粉々に砕き伏せた。

     思わず、絶句し身体が瞬間的に硬直する。言葉を失う。

     ミーナもまた、顔をタオルで拭い終えていた時だった。何が起こったのかを理解出来ず、ソフィアと視線を交わす。

     その瞬間だった。硬直していたのは文字通り一瞬だったが、それは明らかにやってはならない事だったとソフィアは後になってやはり確信せずにはいられない。

     ミーナは何者かの手によって顔を覆われた。

     林から現れた幾つもの「それ」は、大きな白い布と共に彼女の口を覆い隠す。


    ミーナ「ぁ、────きゃあぁぁああぁあ……んっっ!!? んんんんんんんっっんっん!!!」


     突然の事態にミーナは悲鳴を上げることしか出来ない。そのまま、為す術もないまま林の中へ引きずり込まれる。


    ソフィア「ミーナッッッ!!」


     ソフィアはミーナを救う為林へ飛び出そうとする。
     だが既に遅い。何者かの手によって腕を強く引っ張られ、体勢を崩す。


    ソフィア「ッッ!? 誰─────」


     視界には立体機動装置の様な「何か(・・)」を着けた二人の若い男が映る。……これは、明らかに違う。そんな事をソフィアは光よりも早く理解する。
     この拉致のやり方は明らかに、訓練された兵士(・・・・・・・)のそれだ。

     その刹那、離せと振りほどこうとしたソフィアの腹部へ強烈な衝撃が走る。鈍い音が、鼓膜にも波動となって共に伝わる。

    「─────……ごっ、ふっぁ」と呻く。

    「おい、間違っても殺すなよ。加減は忘れるな」と腕を掴んで腹を強打した者の横に居た男が言う。分かってる、ともう一人の男は返した。

     その後、ソフィアは意識を失った。
     
  122. 185 : : 2019/08/24(土) 06:50:29

     そうして今に至る。
     ソフィアは、滲む視界の中からようやく意識を覚醒させる。ここは何処だ?

     ────今自分が居る場所、正しくは両手を拘束されて何かの柱へ括り付けられている部分……ここは、何だ。思うように動けない。そして、口が上手く動かないのが感覚となって分かる。
     意識が次第に急展開する状況に追いついていく。
     強烈な荷馬車の車輪の回転音が耳に届いてくる。縦横無尽に揺れる馬車外からは風の音が響いている。


    ソフィ「──────っ!?」


     ソフィアは荷馬車の中に居た。やがて自らの現状を理解する。
      猿轡(さるぐつわ)で口を抑えされていてまともに口を動かす事も出来ない。おまけに両手はきつく馬車の骨組みになっているのであろう金属棒へと括り付けられているようだ。
     ソフィアの身体は座り込む形で、馬車内部の側面に拘束されている。だが、思った以上に拘束が甘い。余裕が無かったのか。あるいは気絶から目覚めることは無いと判断したのか?

     いや、それよりもミーナは? ミーナはどうなったのか。

     目の前に視界を向けると、ミーナも自分とは反対側にだが、同じ様に拘束されている。どうやら気を失っている様だ。力なく壁にもたれて座り込んでいる。

  123. 187 : : 2019/08/24(土) 19:35:02

     その瞬間、甲高い機械音が馬車上から響く。ソフィアは音の正体にすぐに気づく。

     それはもう一年以上、身に染みる程聞いた音────立体機動装置本体のガス噴射音、そしてワイヤーの巻き取り音だった。
     ソフィアは視界を首を横に動かし、その音の発生音を探す。


    ソフィア「────────ッ!!」


     そして、戦慄する。嘆願し、そして心の中でただひたすらに叫ぶ。ダメ、来ないで。


    ソフィア(ノア、アニ!!)


    ソフィア(逃げてッッッ!!!)
  124. 188 : : 2019/08/24(土) 19:56:52


    ノア「おい…………待て。待てよ─────おい、止まれッッッ!!」


    アニ「…………見つけた……!!」


     狂った様に風が叫ぶ。
     林の中の樹木は森の奥へ進む程に標高が高くなっているように感じられる。次々と高木が視界の横を流れていくその中で、ノアとアニは道無き道を猛速度で駆け抜けている一台の荷馬車を捉えてみせた。
     二人が顔を見合わせ、左右からそれぞれ近づくと可視範囲に三人の男が映る。

     彼らは立体機動を行い、こちらよりも更に上から展開してくる。
     いや、おかしい。そもそもなぜ、立体機動を? なぜ、コイツらは……立体機動を行えている?
     疑問がノアの脳裏には瞬時に浮かぶ。だがそれよりも先に男たちは、何かをこちらに向けてきた。それに、見覚えがある。
     それが何なのかを認識し、察する。────刹那、ノアは凍りつく。まずい。


    ノア「────────は、アニ…………ッ、……避けろ!!」


     そこからまもなく、自分達と同じ操作装置らしき「何か」から激烈な凶弾(・・)が二発───放たれた。


    アニ「───────ッッ!!」


    ノア「………っあぁ、……ぁあああああッッ!!」

     
     アニは斜め上の巨木へ右アンカーを射出、バランスを崩しながらも間一髪でその銃撃を回避。悲鳴と共にノアも、両端の大木にアンカーをそれぞれ撃ち込むことで急降下し、それを避けてみせた。


    ノア「……ッ、じょ、……冗談……じゃないッッ!!」


    ノア「アニ、一旦距離を取れ!!」


    アニ「分かってるよ!!」


     反射神経の限界を超えた速度で、互いにそれを避ける事に成功した。─────だが、アニも、そしてノアも目を疑わずにはいられない。

     何だ、今のは。

     何故、どうして──────奴らは「立体機動を行いながら散弾を撃つことが出来た」? 否、そもそもアレは何だ?

     これは、ヤバい。冗談抜きで、ヤバい。そんな事をノアは思う。脈が更に加速し、背筋に冷たい汗が滲んでいるのが分かる。
     決して単調な動きにならないように弧を描き、立体機動を行う。ワイヤーの巻き取り数をひたすら変化させ、三次元の動きを上下左右へ複雑化させていく。そうして距離を更に300程開いた。

     それ(・・)は、アニの目にも、ノアの目にも「有り得ない」ものとしか映らなかった。理解しようも無い。何せ、見たことが無いのだ。
     本来、立体機動を行いながら銃撃など不可能だ。両手の操作装置で姿勢制御を行いつつ、精密射撃を行うことなど、出来るはずがない。

     馬車を護衛するかのようにして────5、6人が飛び回っている。彼らはこちらを凝視し、銃砲を向け続けている。

     その正体が恐らく「訓練された兵士」である事をアニに予想させるには十分過ぎた。
     
     まず立体機動自体、相当緻密な訓練を積んでいること自体を前提に成り立つもの。────だというのに。
     15メートル以上ある巨木群の幹から幹へ次々にアンカーを射出し、目にも止まらない速さで彼らは平然と森を駆けている。その速度は、恐らく自分たちのそれを上回っている。


    アニ(────違う)


     アニは確信を持つ。
     これはもう間違いなく、前回の荒地訓練の盗賊による襲撃の時とは訳が違う。明らかに奴らは民間人のそれではない。

      所属兵団が分かるジャケットを着ていない為、何処の所属の者かは分からない。

     奴らは何者なのか。それを知る術が今現時点では存在しない上に、それを考えている余裕も無い。
     そもそも兵士なのかどうかすら定かではないが、立体機動を使える時点で一般人の常識の範囲外を超えているのは明確だ。

     ……既に自分達は今さっき一度殺されかけている。

     見たところ、先程撃ってきた兵士だけではなく、荷馬車を飛び回る彼らの装備も同様の物だった。


    ノア「何、なんだよ………何なんだよッッ!? コイツらはぁぁあ!?」


     ノアは堪らず、激昂する。滞空状態を保ち続け、注意を払う。敵の装備が全く見た事のないものである以上、迂闊に近付く事も出来ない。

     だがノアは青筋を額に浮かべ激情を露わにさせつつも、冷静に観察してもいた。
     常に高低を頻繁に変え、奴らの射線から外れる動きで二人は散開していく。増幅された重力は、重みとなって全身に回っているのが分かる。ノアのトリガーを持つ両手は軋む程強く握られている。
  125. 189 : : 2019/08/24(土) 20:09:38
    アニ「────……どうするんだい、この状況!?」


    ノア「んなの私の方が知りてぇよ!! 大体、なんなんだあいつら!!?」


    ノア「あの立体機動装置は何なんだ!? 新型か!?」


    アニ「だとしたら、私達訓練生にも兵団でその情報は知らされてるだろうさ!」


    ノア「だったら尚更有り得ないだろ………そんなの!! なんでそんなもんをあんなどこぞの奴ともしれねぇ兵士が動かしてんだよ!?」


    アニ「………………」


     アニがその男達の装置を見たのは瞬き程の瞬間だった。
     だが、彼らの立体機動装置の特徴が自分たちのそれとは決定的に違う点に気が付いていた。
     思考を動かす。巻きとったアンカーを更に再射出し、800ほど離れた距離の巨木へそれを撃ち込む。


    アニ「…………対人用、かもしれないね。あの立体機動装置」


    ノア「あ?」


    アニ「だってそうじゃない? 奴らは見た所、私達のようにブレードを構えてる訳でもない。おまけにそれを納める鞘の部分も無かった」


    ノア「…………!!」


    アニ「何であんなものがあるのか、そもそもアイツらが一体何者で、何が目的でソフィアとミーナを拉致しているのは今は重要じゃない」


     そして、アニはノアの方へ視界を向ける。彼女は今、何をすべきなのかそれを考えろ、と目で訴えてきている事にノアは気付いた。


    ノア「…………あぁ、そうだな。その通りだ」


    ノア「そもそも、あの荷馬車に張りついてやがるアイツらを何とかしない限りは……」


    アニ「そう、私らの命だってどうなるか分からないし……もちろんミーナ達の身の安全も保証は出来ない。……下手をすれば」


    アニ「このまま、わけもわからずアイツらに為す術もなく殺されて─────全滅も有り得るよ」


     アニは淡々と、そう訴えた。事実、言う通りであった。戦わなければ、殺される。状況はそれを無慈悲に訴えかけてみせる。
     全滅? ふざけてるのか、とノアは思う。
     歯軋りをする。脂汗が額から頬を伝っている。そんなの、冗談じゃない。考えろ、アイツらを超える為には、考えなければならない。

     アイツらは強い。
     下手に近づけばあの散弾で頭を吹っ飛ばされて、蜂の巣となるのは目に見えている。中遠距離では奴らに対して火を見るよりも明らかに不利になるだろう。

     ならばどうする、とノアは自問自答する。

     冷静に観察したものを思い出す。───彼らの立体機動装置が、アニの言う通り「対人用」だと仮定する。そこから見える事、確認できた奴らの立体機動のやり方を思索させていく。


    ノア「─────アニは、気付いたか?」


    アニ「何が?」


    ノア「アイツらの立体機動装置も含めた武器の特徴だ。それに関して気付いたことは、お前にはあるか?」


    アニ「……」


     アニは少し押し黙り、視界を伏せる。そして、荷馬車を飛び回る敵を見据えながら風と共に応える。


    アニ「幾つかある。アンタの場合はどう考えた?」


    ノア「……そうだな。……まず、奴らの銃は一部のマスケット銃みたく、連続射撃を出来るタイプじゃないんだろうな。まあ見たとこ散弾だし、当たり前なんだろうが」


    ノア「……一瞬ではあるけど、私には見えた」
     

    ノア「多分、アレは一度撃つ度に大腿部に装着してる金属棒みたいなのをいちいち装填しなくちゃならない」


    ノア「空中であんだけの勢いのある散弾を撃つためには、やっぱデカい弾丸を装填させる必要があるんだろうよ。んで、まぁ当然の事、あんな大口径の射撃なんて掠っただけでも肉を持ってかれる」


     ノアはそのまま続ける。だけど、アレは恐らく射程も長いものでは無い、と。
     あの操作トリガー兼銃身となっている装置は────散弾銃である以上、せいぜい射程は50メートルもあるかないかと言った所なのだろうと。
     アニはそれを聞き、同意する。全く同じことを彼女も考えていたようだった。

  126. 190 : : 2019/08/28(水) 19:25:57

     ────あの散弾は、巨人に対しては恐らく全くの無力に等しいだろう。
     うなじの部位をいかに強力な散弾で捉えようとも、中身の肉ごと吹き飛ばす事は基本不可能とも言えるからだ。
     ならば何故、奴らが散弾銃をメイン武器とした立体機動装置を使っているのか。

     答えは至極単純。アレが文字通り「立体機動で飛び回る人を殺す(・・・・・・・・・・・・・)」兵器としては最強であるからだろう。

     何の為に。何故、そんなものを奴らが装備しているのか────だがこの場合、アニの言う通りそんな理由を考えるべきではないだろう。

     そこにもはや、関心など無い。

     ノアは太ももの鞘に納まっている刃の数を数える。数は左右それぞれ三組。
     ガスは恐らく、昨日点検した時点においてはまだ持ち堪えれるはずだ。

     
    ノア「……それで、アニ。お前が気付いた事ってのは?」


    アニ「銃身に関してはアンタと同じ意見だよ。交換式、一発限りの散弾銃なのは間違いないだろうね」


    アニ「ただそれに関してもう一つ補足する大きな違いといえば、……アンカー射出口の違いってところかもね」


    ノア「アンカー? どう違ってるのに気がついた?」


    アニ「正確に言うなら『射出口の位置』の違いだろうさ」
     
  127. 191 : : 2019/09/01(日) 18:08:46


    ノア「……!!」


    ノア「つまり……どういう事だ?」


    アニ「────シンプルな話だよ。あの散弾の射線とアンカー射出口は『同じ方向を向いている』」


    ノア「!! じゃあ……こちらの背後からの奇襲には……」


    アニ「そうなった場合、敵は一度支点となっているアンカーを収納し、再射出して体勢を変えなければならないだろうね」


    アニ「……つまり、どう足掻いても背後からの急襲に対して、向こうは即座に対応が出来ないってことさ」


    ノア「────────」


     額から垂れてくる汗をトリガーを持つ右手の甲で拭い、荷馬車周辺を哨戒している兵士隊を見据える。ノアはその時、2日前に脳裏に叩き込んだこの森の大体の構図を思い出す。

     アニ、とノアは視線を向けず彼女の名前を呼ぶ。


    アニ「……何?」


    ノア「……どちらにせよ、私達にはもう猶予は無い。これだけはハッキリしてる」


    アニ「……そうだね、このままあいつらに殺されればミーナもソフィアも……」


     違う、そうじゃないとノアはその声を遮った。そういうことでは無い、と。
     ノアは絶望的になり、唾を吐き捨てたくなる衝動に駆られながら訴える。「どちらにせよ、私達には時間も無い。思い出せよアニ、この森に入った時の状況を」


    ノア「私はマップで森を大体把握しているから位置はわかる。そのうえで今いる現在地から、目的地があと20キロか15キロ単位と仮定するぞ」


    ノア「……そしてその仮定に基づくとして、立体機動の平均速度的に言えば……大体残り10分以内には平地の荒野に出る事になると思う」


    アニ「…………!!」


    ノア「速度でいえばあいつらの方が圧倒的に有利だ。奴らにはあの荷馬車がある。大して私たちにはガスの量が限られたこの装置でしかアイツらを追う手段が無い」


    ノア「──────つまり」


    アニ「……奴らに森を抜けられれば、立体機動で追うことは実質不可能になり、二人を奪還する事も出来なくなるだろうね」


     そういうことだ、とノアは舌打ちをしながら言う。
  128. 192 : : 2019/09/01(日) 18:31:39

    ノア「私達が死のうが死ななかろうが、森を抜ける前に奴らを止める事が出来なければ実質終わりってことさ」


     奴らに逃げられれば二人の身元は保証など出来ない。このようなやり方で二人を拉致する人間が、ソフィア達へ何をするかなど予想もできない。
     逃がしてしまった場合、捜索面において憲兵や駐屯兵を総動員しても見つからない可能性もある。

     怜悧(れいり)な現実は確実に全身に押し拡がり、黒ずんだ確かな絶望となってノアの心を塗りつぶしていく。

     認めたくない現実は、いつだって消し飛ばすことも出来ないままにやってくる。口の中に苦々しい痰が走る。

     此処で選ばなければならない。戦うか、死ぬか。どちらかを選ばなければならない。

     知っている。ノアは知っていた。

     選ぶことが出来ない人間はいつだって「大切なもの」を容赦なく、慈悲もなく奪われる。

     ふざけるな。

     私の光。唯一無二の希望を、これ以上奪わせはしない。その為なら私は────とノアは思う。

     そしてアニは、じゃあどうするのと返す。お前の顔はいつだって無表情だ。今でさえもそう。何を考えてるのか分かったもんじゃない。

     だけど、それでも。

     アニが本当に、兵団に居たヤツらがほざいていた様に「氷の女」でしかなかったのなら、そもそも今彼女が此処にいるはずがないのだ。

     二度もお前は私に感情を向けてきた。怒りではあったが、それはいつものおまえらしくない、人間じみたそれだった。
     猫を可愛がるのも、虫に怖がるのも、普通だ。何も悪いことじゃない。だからこそ、だ。

     こういう状況の中でならきっと、とノアは思う。


    ノア「…………アニ、頼みがある」


    アニ「何?」


    ノア「あの二人を、奴らが森を抜ける前に救い出す」


    ノア「その為には、奴らを超える必要がある」


    ノア「私は今からある「作戦」でアイツらに攻撃を仕掛ける」


    ノア「そして、それには………お前の力が要る」


    アニ「………!!」


    ノア「頼みってのはそれだ」


    アニ「………」


    ノア「力を貸してくれ、アニ」


    ノア「────あの二人を、私は助けたい」


    ノア「もうお前しか頼れない」


     そうして荒れ狂う風の中、二人は視線を交える。
     それは長かったのかもしれないし、短かったかもしれない。だが、言葉にはならない思いを伝えるには十分なものだ。
     アニは無言のまま、やがて視線を伏せる。ひとつ小さな溜め息を漏らす。だがそのまま、左右両方の鞘からグリップへ、刃を慣れた仕草で取りつけた。


    アニ「────作戦を教えて」


     ノアはそれを見て、目を見開く。高揚した心は、確かな安心感と共に満たされていく。「お前なら……そう言ってくれると思ったぜ」と鋭い眼光を敵に向け、歯を見せて微笑む。


    ノア「行くぞ」


    ノア「あの二人は……私の命に代えてでも……!!」


  129. 193 : : 2019/09/05(木) 00:14:50



    「くっそ!! なんなんだアイツらは!?」


     「対人立体機動装置」を装備したストレートマッシュヘアの男性は吐き捨てる様にそう言うと、荷馬車の帆内へと降り立った。
     その罵倒は────先程彼を含めて三人で散弾を撃ち込んだにも関わらず、仕留めきれなかった二人の少女兵に対し向けられたものだった。
     
     その戦闘は、彼らにとっては予想を超えていたものだった。

     事実、その内の一人である「中央憲兵」の彼自身も、想像していた状況とは全く違う現状に対し、動悸を抑えるのが精一杯だった。

     いったいどうなってる。なんだアイツらは、化け物か。なんだあの立体機動の速度は───彼はそんな事を考え、同時に背後の森林の中へ視線を素早く巡らせる。

     荷馬車から確認出来る範囲には、少なくともあの兵士達の姿は無い。

    「あいつら、訓練兵にしては動きがいやに敏捷だったね」と隣に降り立った同期の女性兵士は呟く。

     後ろで括られた茶髪は風によって酷く乱れており、オールアップされた額からは汗が伝っている。明らかにその目には動揺が浮かんでいる事が彼にも理解出来た。


    「聞いてない……聞いてないよ。あんな立体機動が出来る訓練兵がいるだなんて」


    「アッカーマン隊長は何があっても油断するな、って言ってたけど……こんなの、予想できるわけないじゃない」

     
     彼女も彼に倣うようにして索敵を行う。だが、その表情は戦慄によってひどく凝り固まっていた。

     トリガーの役割も果たすこの対人用散弾銃は、射程が極端に短い。
     壁内で使用出来るショットガンに比べればこれでもまだ改善された方の部類に当たる。
     だが、それでも精々狙えても50メートルが限度の射程範囲だった。

     銃火器類を持たない彼女達に対し、中遠距離においてはその先を行くことが出来る兵器ではある。奇襲においては、こちらの方が圧倒的に有利だったはずなのだ。

     だが───如何せんその当たり判定の狭さと、立体機動時における標準の狙いにくさは彼らにとってはアドバンテージでもあり、ネックにもなるものでもあった。
     通常、立体機動は空間把握、アンカー射出の際の素早い判断、装置の状態把握等、数多くの自己管理が必要となる。
     それらのひとつでも把握を誤れば空中戦では死に直結しかねない。

     彼らの対人立体機動装置は、それに加えて通常の装置の仕組みが異なる。

     立体機動を行う兵士に対し戦闘行為を仕掛ける為には、通常の立体機動術より更に────高い偏差射撃技術と回避技術が必須となるのだ。

     過酷な訓練を重ねていたとはいえ、彼も、そして隣にいる彼女や残り四人の憲兵たちは全員実戦は未経験だった。
     先程の射撃で、本来ならば大概の兵士は避ける事など出来ずに射殺できた。敵はこの装置を知らない。この武器を知るはずがないからだから。

     だというのに────奴らは予想を遥かに超えた素早い回避を行うことで、咄嗟にそれを避けて見せたのだ。


    「…………………」


     彼は瞬時にして考える。そして、車内左右に拘束している二人の少女兵へ目を向けた。
  130. 194 : : 2019/09/05(木) 00:57:25

     視界に映るのはケニー・アッカーマン隊長から聞いていたとおりの外見をした目標の少女兵「ソフィア・ルージュ」。

     白緑とも薄緑ともとれない髪をした年端も行かない少女だ。そしてその反対側に同じ様にして拘束している黒髪の少女。意識を失っている。名前は確認出来ていない。

     この少女はソフィア・ルージュとよく傍にいる所をウォール教の人間が確認していたんだったか。
     ルージュのこの少女について関連している事を知る為なんだろうが────それだけでわざわざ拘束をせねばならないとは。
     恐らく、自分の生き別れた娘が成長したらきっと彼女の様になっているかもしれないと、彼はふと考える。

     いや違う。今はそれを考えるべきではない。視界を閉じ、再度考えを巡らす。

     今から10年以上前に「王」によって消されたはずの貴族の末裔。……この少女を捉え、真の壁の王へ差し出す。それこそが、今自分たちの果たすべき責任だ。


    「どうする、クラウス」


     隣にいる女性兵こと、コーエンは彼へ不安げな視線を向けてきた。
     アッカーマン隊長はこの別働隊の中で、 自分に指揮を託した。それは、意味があってこそのものなんだと信じていた。否、今でも信じている。

     クラウスはそうして、あるひとつの作戦を考案する。


    「………俺とコーエンで荷馬車内から隠れて奴らを狙う!! 対人用散弾銃は当然ながら散弾だからな、荷馬車から狙えばより確実に目標を仕留めれるだろう」


    「レナード、ライノア、リリィ、アリア、聞こえているな!!」


     それぞれ名前を呼ばれた四人の男女兵は帆上に降り立つ。レナードと呼ばれた褐色肌で筋肉質の男は「あぁ、んじゃつまりオレたちは────」と下にいるクラウスに叫ぶ。

     そして、ライノアという白色肌で金髪の髪を結った整った顔立ちの男は、それに続くようにして「この二人の少女を奪還してこようとするであろう少女兵を迎撃……そういうことでいいよね?」と言葉を並ばせた。
     
     あぁ、その通りだ、とクラウスは帆上に向かって返す。「できるな? お前ら」
     
     
    「上等ですよ! 副隊長!」


    「わたし達だって中央憲兵の端くれですよっ! アッカーマン隊長に誇れる様に、何としてでも奴らを仕留めてみせますよ!」


     荷馬車の背後を警戒し、鋭い目のままはにかむ赤茶髪のリリィはそう意気込んでみせる。
     そうして、それに続くように銀の前髪のピンを更に強く固定しながら────アリアは空の銃身を交換した。


    「よし─────奴らは距離を取っている。この高度の高い巨木群の中だ。何処から出てくるかは予想が出来ん」


    「各自、警戒を維持させつつ森を抜けるまで陣形を維持させろ!!」


    「総員、散開!!!」


  131. 195 : : 2019/09/05(木) 12:33:36

     対人立体機動装置を纏った兵士達はそれぞれ散開する。
     だがそこから数秒後────事態は急速に加速した。そう時間は経っていなかった。恐らく、彼らが戦闘態勢に再度移ったのと同じタイミングかもしれない。

     森林上空へ視線を軽巡させていたアリアは、何かが一瞬、木々の隙間を縫うのを捉える。


    アリア「……………!」


     散弾の照準を素早く向け、直ちに索敵する。だが居ない。そこには陽の光が森の隙間から零れているだけだ。「………何!?」

     その瞬間だった。

     それ(・・)は、真っ直ぐにこちらへ向かってきた。何かが居た、そこから。
     紫や赤の二つの煙幕が、筒状となって荷馬車後方斜めの視界を覆い尽くす。
     その直後、それに続くにして黄色、黒の煙が前右左右から展開されていく。たちまち荷馬車周辺は前後不覚に陥り、煙によって視界を囲まれる。


    アリア「なんだこれは!?」


    リリィ「嘘、まさか……!?」


     リリィは赤髪のショートヘアを揺らし、咳き込む。間違いない、これは……信煙弾。目くらましか。そうして、絶句する。

     それが馬車を覆ったのは僅か数秒にも満たなかった。風に流され、それはすぐに霧散していく。だが、それは死を招く油断そのものだった。

     鋭い、痛みが走る。否、痛みはなかった。正確には、分からなかった、と言うべきかもしれない。リリィの視界は、既に宙を舞っていた(・・・・・・・・・)からだ。

     リリィの様子を見ようと視界を彼女へ向けたアリアは、堪らず「──────っ、ぁ」と声を失う。
     
     リリィの身体から、首より上(・・・・)が綺麗に損失していた。そうしてその抜け殻は、木に刺していたアンカーを外れるのと共に荷馬車の帆上に真っ直ぐに落ちていく。
     対人立体機動装置が外れるガシャ、という高音と共に、やがて身体は惨めに荷台から転げ落ちていった。


    アリア「くっ、そ、くそ!!! ……リリィが、リリィが殺られたッッ!! 何処にいる出てこい!!?」


     そうして、叫んで、間もなく戦慄する。

    「………ぁ」と、声を漏らす。

     色に塗れた硝煙が晴れた刹那、目の前にあの茶髪の少女兵が現れた。
     その少女は、右手に持ったスナップブレードを右肩から振りかぶる形でこちらへ斬りかかってくる────その目はさながら鬼神の様。

     狂気の形相には、微塵も戦闘に対しての恐怖など感じられない。なんなんだ、こいつは。何故、こんなに、躊躇なく人を殺せる──────


    アリア「ッッ!!?」
  132. 196 : : 2019/09/05(木) 16:48:10


     数十秒前。
     信煙弾用小型拳銃の銃身を素早く取り替え、そして最後の紫の煙弾を宙へ撃ち込む。
     緊急事態を知らせる煙弾だ。この距離で撃てばトロスト区か、もしくはこの付近50キロ単位の壁上の兵士が気付くだろう。


    (信煙弾が風に流されるまで、見込みとしては多分10秒単位か)

     ノアは、素早い動きで右手に携えるトリガーに刀身を装着させる。
     僅か数瞬の思考が爆ぜていくのと同様に、超硬質スチールが金属質の鞘内部と摩擦し、火花が散る。

     そして煙弾を切らした拳銃を放り投げる。
    ─────それを合図に五秒後、取り付いた木から視界を煙弾で撹乱させた荷馬車へ突貫していく。

     本来ならばただの合図にしかならない信煙弾だというのに、想像以上に有効だったようだ。この暴風の中でも、四つほどの弾なら中型馬車を煙で数十秒程覆わせる事が出来る。

     チャンスは今しかない。先回りする形で50メートル離れた先の斜めに傾き立ち尽くす巨木へアンカーを射出。
     煙に紛れたまま、上から急降下する。その後、すぐに手はずの通り離脱だ。

     アンカーは巨木の幹を砕かんばかりに刺さり、爆発的なガス噴射と共に、ノアは迂回に成功する。荷馬車の上には二人の兵士が見えた。


    ノア(……! 捉えた!!)


     その中で、赤髪の女兵士へ狙いを定め、偏差を利用してアンカーを収納、落下して接近する。

     
    リリィ「嘘、まさか……!?」


     信煙弾の粒子が目に入ったか何かだろう。そいつは目を擦り、前しか見ていない。背後からの接近には気付く気配が無い。呼吸を止め、加速する。全ての力を右手のトリガーに込める。
     ノアは荷馬車の上に素早く降り立ち─────


    リリィ「──────あ?」


     右の刃を、一閃した。

     その女は最期までこちらに気付くことはなく、風に煽られて首が飛んでいく。あまりにも呆気なく、だ。感情の動く所などない。無感動に、無慈悲に、死を彼女へ手渡した。
     そうして身体も崩れ落ち、立体機動装置が外れる勢いで馬車から転げ落ちていった。

     人を殺す感覚。それは、余りにもノアにとって久しい感覚だった。
     だが今はどうでもいい。
     そんなことは、とうに覚悟していた(・・・・・・・・・)事。

     ここまで僅か5秒。
     だがもっと早く。

     速く、よりはやく、この身を翻す。そして血の絡みついたブレードを更に強く握る。


    アリア「リリィが殺られたッッ!! 何処にいる出てこい!!!」


     ノアは声の方角から目と鼻の真横に敵がいる事に気が付く。間もなく、視界は開かれる。煙弾が風によってその身を削られていく。そうしてようやくそいつはコチラに気づく。
     その敵は既に右手の銃身からアンカーを射出し、飛び立とうとしている。

     させない。お前は今ここで殺してやる────。

     そして、右足を一歩踏みしめ……目にも止まらぬ早さで接近。同時に右手のブレードへ全ての専心を向ける。

     死ね。
  133. 197 : : 2019/09/05(木) 17:58:08

     だがその瞬間、ノアは斜め上から殺気を感じ取る。「…………ッッ!!?」

     ノアとその女がブレードと銃身が衝突したその直後、斜め上の林から褐色肌の男が散弾銃の銃口を向けたまま接近してくる。その背後からはもう一人、金髪の兵士が並行して向かって来ているのが見えた。


    レナード「てめぇ!! よくもリリィをォォオ!!!」


     殺気立った顔で散弾銃を向けてきている。ヤバい、分が悪い。ノアは直ちにブレードで銃身を弾き、後方へ飛び降りる────その瞬間、予測通り散弾は放たれた。一発。

     だがそれは、鍔迫り合いをしていたノアの居た位置へ外れた。

     今だ。声の限り叫ぶ。「アニッッ!! 今だ!!」


     何、と動揺したように褐色肌の男はその目に動揺を浮かべる。だが既に遅い。コイツら、動きは早いが実戦経験は皆無か。
     その直後、その男の後ろにいた金髪の男は「あぁぁぁぁあがァァァァァ!!!」と、金切り声を挙げた。

     ─────アニだ。金髪を揺らめかせ、両手の刃でその男を真上からの急降下で躊躇なく脳髄ごと叩ききってみせたのだ。

     血飛沫は、アニの身体にまとわりつく。彼女の白のパーカーに血が飛び散り、頬にも張り付いている。
     アニは無理矢理酸素を補給する為、強く息を吐く────それはひどく乾ききっている。


    アニ「…………ッッ」


     痛みに耐えきれず、斬撃をまともに食らった男は銃による反撃も出来ないまま、やがて意識を失って堕ちていく。


    レナード「ライノアぁぁっっあァ!! 貴様ァァァァ!!!」


     そして、「喰らえ糞ガキがッッ!!」と激昂し、男はワイヤーをアニに放つ。
     アニは素早い判断で左へそれを避ける。だが、それはフェイク。

     男が右手の銃器から射出した銛の後……左手から、凶弾がアニへ狙い定められる。


    ノア「ッッ!! ダメだアニ、下へ逃げろ!!」


     ノアは身を軋ませながらアンカーを巻き取る最中、その男の策略に気が付く。だが、間に合わない。アニは顔にベッタリと付着した血によって反応が遅れる。そして。

     散弾はアニへ直撃する──────。
  134. 198 : : 2019/09/05(木) 18:29:10



    _
    __
    ___
    _____


    アニ『それで、作戦ってのは何だい?』


     二人は急襲を行う二分前、一旦木の幹へ降り立ち、信煙弾を四つある小型拳銃へ装填していた。立体機動をしながら信煙弾を装填し直し、撃ち込む余裕は無い。
     その為、距離は離れてしまうが三十秒の間に
    作戦実行の為の準備を行わざるを得なかった。


    ノア「時間がねぇ、とりあえず今在るこの信煙弾を装填した上でウエストポーチへ入れてくれ。詳細は行きで説明する」


     躊躇していればどんどん荷馬車と自分達の距離は離される。ノアは慣れた仕草で素早く、赤、黄、紫、黒それぞれの信煙弾を合計4つずつ弾を込めた。余った紫の煙弾の用途を考えてノアは弾を先にポーチへしまい込む。

     ノアが予め用意していたポーチに入るのは、最大でも2つの信煙弾用拳銃のみ。故に拳銃はノアとアニ、ポーチ内へそれぞれ二人ずつで管理する事がベストだ。
     本来ならばウエストポーチは腰部後方に括り付けて物の出し入れを行うが、今回は立体機動装置が邪魔になる。
     その為、腹部真下、今回は前方にそのポーチを配置し、取り付ける事とするのが良いだろう。


    アニ「装填完了したよ」


    ノア「ウエストポーチは念の為にと思ってバザールでもう一つ買ってた訳だが、まさかこんな形で役に立つとはよ……。予備も含めて取り付けといてよかった」


    アニ「一体なんで腹にそんなポーチ二つも付けてるのかと思ったら、そういう事だったのか」


     そして、拳銃が二つずつ収納されたウエストポーチを前腹部に装備し速やかに二人は飛び立つ。
     

    ノア「作戦の内容ってのはこうだ」


     ノア曰く、奴らの対人立体機動装置の特徴を踏まえ、今からあの荷馬車上空から攻撃を仕掛けるのだという。
     アニは巻き取ったアンカーを更に前方へ放ち、その詳細に耳を傾ける。


    アニ「んで、この信煙弾はその時に使うわけなの?」


    ノア「そういうことだ。一瞬だけ木に取り着き、片手で偏差撃ちをする形で弾をぶち込む。弾速がクソ遅いからな、偏差が必須になる」


     ノアは説明をしつつトリガーのスイッチを人差し指で弄り、アンカー射出装置を調整し宙を舞う。その時に敵の視界にはできる限り入らないようにな、と付け加えながら。


    ノア「そもそも私達は数的に圧倒的に不利になる」


    ノア「だが幸いなのは、話に聞く『巨大樹の森』程じゃないにせよ、この森も立体機動の点でも……襲撃における点においてもかなり都合が良いことだ」


    ノア「私達は互いにミカサほどバカげた動きができるわけじゃねえけど、それでもこの高っけぇ巨木だらけの立地条件なら襲撃だって容易い」


    アニ「………この絶好的に環境に恵まれてるのを利用する事で、中遠距離ではなく、私達の方から信煙弾を使って近距離に持ち込むってわけだね」
  135. 207 : : 2019/09/07(土) 19:59:30

    ノア「そう。まずは立体機動で奴らの周囲を素早く周り、」


    ノア「私とアニ、それぞれ二つずつ信煙弾を荷馬車へ撃ち込む」


     その後、荷馬車の周りを警戒して飛び回ってる敵をノアが先行して叩く。

     アニは彼らの視界に極力まずは入らないように立体機動で飛び回り────その後、荷馬車へ駆けつけた残りの敵を背後から仕留める役目を頼む、とノアは彼女へ訴えた。

     アニの観察が的中していれば、敵は背中からの襲撃には即座に対応する事はまず出来ない。ならば、徹底的な奇襲作戦に出るのが最も有利だと彼女は判断したのだった。

     だがその声には既に余裕はなく、焦燥感すらもアニに感じさせる。

     直後────アニは気になっていた「ある一つの問題点」について、斬り返すようにして問い掛けてみる。


    アニ「ねぇ、あんたはさ」


    ノア「何だ?」


     その後の質問は、ノアの脳髄に響いた様な錯覚をもたらした。
     つまりは、この作戦の根幹に当たる疑問でもあり。その答えによっては失敗に直結しかねないものだったからだ。

     ノアは、僅かながらも無言になる。

     だが、結論から言うと迷わなかった。迷いなく、答えた。

     アニはふと斜め前の彼女の眼を垣間見る。

     だがその眼には、確かに迷いは無かった。少なくともアニからは感じさせなかったのだから。
     そして彼女のその後の言葉からは一片の齟齬(そご)も見受けられず、あぁ、そうか、とアニは気付いた。

     そうして、アニは右手の刃を何気なく見据える。上から差し込む陽の光が反射して、超硬質スチールの輝きと共にそれは揺らいでいる。

     その刃に、「血が滲んだような」錯覚を覚えた。

     いつか覚悟していたもの。悪魔の末裔と呼ばれた「奴ら」を屠る為、いつか背負う事になるであろう罪。

     それらと共に───赤黒い刃が一瞬、自分の視界に映ったような錯覚を彼女を覚えたのだ。

     目を閉じる。そしてすぐに開く。

     無論、スナップブレードは汚れ一つ無く光沢を放っている。
     彼女の目は、人を殺めた事のある人間のそれだった。彼女は、迷いなくミーナやソフィアの為なら─────容赦なくあの「敵」を斬り殺すのだろう。

     奴らを殺せるの、と問うたアニに対して、彼女の答えは、こうだった。

     たとえ奴らだけじゃなくとも、あの二人の未来を奪う人間が居たなら────

     迷いなく、殺す。殺す必要があるし、



     殺さなければならないんだ、と。


     
  136. 208 : : 2019/09/08(日) 19:22:20


    ________
    ______
    ____
    __
    _


    「アニッッ!!!」

     
     ノアは、悲痛な叫びを漏らす。荒れ狂う風は、その悲鳴すらもかき消していく。

     アニは兵士の散弾が直撃したように見えた。彼女はゆらり、と揺らめきながらその身体ごと宙を舞い、堕ちていく。

     喉元から、その身を中身から食い尽くさんばかりの衝動が沸き上がる。それを、きっと人は殺意と呼ぶ。

     ノアの視線は、アニを射撃した張本人へと穿つ様にして向けられる。──────こいつ。

     その男は、その目線に気が付き恐怖の様な感情をこちらに向けてきた。


    ノア「─────────」


     お前─────
     憎悪に近い衝迫が喉から脳へと焼き付いていく。やがてそれは、神経を伝って彼女の指先へと伝達される。
     グリップの人差し指のトリガーを音が軋む程引き込み、目にも止まらないアンカーが射出装置から放たれる。


     ぐぼぁっあ、と男は惨めな悲鳴を上げる。

     そのアンカーは、男の身体を貫いたのだ。

     そうして、ノアはトリガー前のレバーを力強く引く。
     加速、加速、加速。
     重力が身を砕かんばかりに彼女へ襲いかかる。だがそんなことは彼女にはどうでも良い。


    ノア「おい─────死ね」


    レナード「ひっ、っあ、やめ、」


     男はアンカーを引き抜く間も無く、

     加速した刃によって、まるで豆腐のように、さも豆腐のように、その腹を引き裂かれた。

  137. 209 : : 2019/09/08(日) 19:39:32

     そこまで、僅か5秒の出来事だった。リロードも間に合わず、硬直した男の体は、綺麗に半分に(・・・・・・)なる。
     そして、その分け目から腸と大量の血を吐きながら森の茂みへと墜落していった。

     ノアは真っ二つになった男の身体から右アンカーを収納し、新たに左アンカーを斜め上の巨木へ放つ。まだ荷馬車上に一人いる────視線を向ける。

     だが残った銀髪の女は悲鳴を上げたまま、荷馬車上で冷静を欠いているようだ。

     人の死を見たのは初めてだったのか、とノアは予想する。見たことも無い武装をしており、最初は脅威に感じた兵士達だったが、彼らには決定的にノアと違ったものがあるようだった。

     人の死に、慣れているかいないか、だ。

  138. 210 : : 2019/09/08(日) 20:03:19

     やがて迂回し、再度荷馬車へ向かおうとしたタイミングで女はこちらに気付く。

     あの新型立体機動装置は、どうやら空中戦では確かにこちらより一歩上を行く存在ではあった。
     だが、あの兵士達は使いこなして間もないのか、どうにも動きがぎこち無い。ワイヤーを使った空中での軌道は何処か散漫で、単純なのだ。
     おまけに空中において偏差を利用した射撃を行い、敵にその弾を当てることは相当難しいのだろう。

     ならば、あの女もきっと同様だ。

     女は、一向に動く気配が無い。向こうから立体機動には移らず、待ちの姿勢で迎撃するつもりか。

     ノアは光の速さで思考を巡らせる。そして、目標へ焦点を定めていく。

    ───これならば、既にこちらに分がある。あの装置に対しては、接近さえしてしまえれば白刃戦において圧倒的に有利になれる。行ける。

     待ってろよ、ソフィア、ミーナ。今そこにいる奴らを全員殺して、助けてやる。何処にも行かせやしない。何人たりとも邪魔はさせない。


    ノア「らぁぁああああああああああ!!!」


     ノアはそうして、縦横無尽に姿勢を展開させる。彼女の狙い通り、女は偏差射撃を外した。2発。

     その顔には恐怖が張り付いている。だがノアにはそんな事は関係なかった。慈悲など無い。殺さなければ殺される。故に殺す。容赦など不要だ。

     そうして、血が染み付いたブレードにさらに力を込め、振りかぶる形で構える。
     そのまま、荷馬車の後ろから回り込む形で。

     その面ごと、叩ききってやる─────。

     だが、その瞬間。


    「ダメぇっっ!! 来ないで、ノアァアッッ!!!」と、叫喚がノアの鼓膜に届く。

     それが、馬車内部のソフィアの声だと認識した瞬間。

     
     彼女は、その身を4発の銃撃によって貫かれた。



  139. 229 : : 2019/09/12(木) 02:31:42



    「あぁぁぁぁあがァァァァァ!!!」


     ライノアの悲鳴が、クラウスの鼓膜に響いた。「……………っァッ……!!」とクラウスが常軌を逸した憎悪の表情を歯軋りで押し殺しているのがコーエンには理解出来た。
     何だ、今のは。ライノアはどうなったのか。今の悲鳴は負傷なのか────それとも。

     コーエンは今にも馬車から飛び出し援護に向かいたくなる衝動に駆られる。奥歯から鉄の味が滲むのが分かる。駄目だ。
     今ここで姿を見せれば「奇襲に対しての作戦」は失敗する。

     恐らく、奇襲に来たのはあの二人の少女兵のうちのどちらかだ。コーエンとクラウスはお互いに視線を見合わせる。

    「隊長ッ!」と、馬側の方から張りのある声がする。

     荷馬車の前方、二頭の馬を操るクラウスの相棒、ジャギーの声だ。
     この襲撃班の中では一番の年長者。刈り上げた前髪と横のツーブロックが特徴の男。


    ジャギー「ダメです……!! 奴らどうやら信煙弾を所持していた様です!!」


     そして、それを聞いた直後。荷馬車背後の景色を二人は確認する。紫、赤の煙幕が視界を覆っている。それらをたちまちクラウスとコーエンはまともに吸い込んでしまった。
     
  140. 230 : : 2019/09/12(木) 02:57:08

     クラウスは「信煙弾だと!? クソ、緊急事態用の予備か何かか!」と酷く咳き込みながらも声を荒らげている。
     ジャギーもまた同様に、手の甲で鼻と口を抑え苦悶を浮かべている────やられた、これでは……とコーエンは戦慄せずにはいられない。
     

    ジャギー「隊長、どうするんです!! コイツら、煙弾をこんな風に使うって事は………」


    クラウス「あぁ、恐らく、煙に紛れて接近戦を仕掛けてくるつもりだ────!!」


     クラウスは身を翻し、銃口を煙が渦巻く帆の背後へ向ける。索敵を行う、だが当然確認できないままだ。冗談じゃない、まずい、そんなことを彼は思う。
     反撃を行うどころではない、予想外にも程がある。何故信煙弾をここまで瞬時に用意出来た……たった数分。たかだか五分も経っていないというのに。
     このままでは────そう気が動転しかけたところでまたひとつ、彼の耳に悲鳴が届く。


    「ひっ、あ、やめ、ぁぁぁああああああああ」


     リリィ、ライノア。
     続いてレナードの金切り声。全身の神経という神経が逆撫でされ、脳へ駆け巡ってくるのがクラウスにはわかった。
     その感覚は、恐怖と憎悪を引き連れてくる。そうして、確かな確信をも伴って彼を襲う。

     このままでは、全滅する。

     
  141. 231 : : 2019/09/12(木) 03:17:46

     だが、もうチャンスは無い。不意打ちでもいい。確実に当てる。

     自分には対人立体機動の偏差撃ちを外にいるのであろう兵士に当てれる保証がない。彼はそれを分かっていた。だからこそ、それでも、だ。
     もうすぐ煙は晴れる。
     予想よりも長くまとわりついた煙はようやく風に流されていくようだ。
     そうしてクラウスは、「ジャギー。あの女兵士は高確率で荷馬車後方に迂回する。あるいはアリアの攻撃に対応し、その際に背後を見せるかもしれない」とジャギーへ視線を向ける。


    「………! タイプCの荷馬車迎撃ですか!?」とそれを聞いたジャギーは動揺を隠せず、狼狽する。


    クラウス「あぁ、お前も迎撃に協力しろ。敵はこちらの荷馬車からこの女二人を奪還するのが目的だ。馬は一瞬だけならそのまま手綱を離しても走り続けてくれる」


    クラウス「荷馬車が横転する危険があるジャギーよりも先に、アリアを片付けたいと思うだろうよ」


    クラウス「そこを────叩く」


     この反撃方法はまだこの作戦班では三回ほどしか訓練していない。敵に通じるかは分からない。
     だが、敢えて囮として荷馬車上で迎撃させているアリアに敵が狙いを定めるのであれば────奴は必ず背後から来るはず。

     その為に、ライノアとレナードは前方から迂回するよう指示しておいたのだから。
     たとえ見込みが外れたとしても、アリアの迎撃の際、高確率で荷馬車後方に敵は立体機動で回り込むはずだ。
     ジャギーは片手で手綱を握り、それぞれ脇からグリップをホルスターより取り出す。そして大腿部に取り付けてある銃身を片方ずつセットしていく。


    ジャギー「────準備、完了。了解です」


    クラウス「……よし、コーエン、お前も………」


     クラウスはコーエンに指示を出すため、銃身を構えながら彼女へ顔を向ける。
     だがその瞬間。
     最悪な事態が起きた。
     そこに至るまではきっと、いくつもの工程があったのだろう。そうして自分の未熟さを彼は思い知る。目の前にいた少女のその挙動(・・・・)に気が付いていれば、と。

     一瞬の空白。緊迫した空気の中でそれは、起こった。
  142. 232 : : 2019/09/12(木) 04:14:35



     やはり気が付いていない。
     これなら、奇襲を掛けれる。そんな事を思いながらソフィアは薄目を開き、気が付かれないように左ベルトの側面へ手首を動かす。

     視界には自分の腹を殴打したマッシュルームヘアの男がミーナの脇で銃を構え、外へ視線を向けている。そして目と鼻の先には咳き込みつつも同様に索敵している女兵士。
     外から何故か信煙弾の煙が薄らとだが馬車の中に侵入してきている。ノアたちが撃ったのか。

     両手首を双方拘束する形で縛り付けてある縄だが、思った以上に緩い。微妙にだが、動かせる。
     そして、ソフィアは右手首をうねらせ、ベルトに隠しておいたナイフの持ち手に指を掛けた。

    (……───お願い、バレないで)と内心懇願する。
     右人差し指と中指で持ち手の先端を挟み込む。そのまま器用に指を動かし、親指まで移動させる。やった、出来た。ナイフの柄を掴み、抜き取った。

     相変わらずこちらに気付く様子はない。男と女は、前にいる御者に何かを話しかけている。話の内容は入ってこない。
     ただ一つ分かるのは、この兵士達はノアを荷馬車内から迎え撃つつもりだという事だけだ。


    ソフィ(そんな事──……絶対させるかッ!!)


     縄がナイフの摩擦によってブチッ、と音を立てて切れる。外の暴風によってその音は彼らの耳には届いていない。
     ノアはもうすぐここに来る。来てくれる。それだけはソフィアには分かった。彼女はずっとそうだったからだ。
     ─────今自分に出来ることは、すべきことは、自分やミーナを救おうとしてくれるノアのために、コイツらを止めること。そしてノアを、信じる事だ。
     明瞭な目的意識を持ち、そうしてソフィアは機会を待つ。話を終え、指示を終えたのか。男は再び銃口を外へ向け、気を配り始める。


    クラウス「よし、コーエン、お前も……」


     ──────今だ。


     
  143. 233 : : 2019/09/12(木) 04:38:36

    ソフィア「うあァァあぁぁあッッッ!!」


     コーエン、と名前を呼ばれた女がこちらへ視界を向けたその瞬間。
     彼女は、弾かれたように左手のナイフを突き出す。「ッ、あ」と女は気付く。だが、既に遅い。
     その打突は、女の喉仏目掛けて放たれた。

     彼女は反応に遅れる。抵抗が出来ない。
     それは咽喉へ、突き刺さった。刃渡り10センチほどの刃は肉を抉った。

     女の身体はそのまま────「ごぶっ」とえずきながら、崩れ落ちていく。さながら脆くなった建物が惨めに砕け、零れていく様に。


    クラウス「コォォオエエェェンッッ!!!!」


     顔を引き攣らせ、絶望する。
     そして激昂した男は「クソ、ガキがァァァあぁァ!!!」と銃身を持った右手を振りかぶってくる。まず、い。避けきれな──────

     それは、女の体が揺らめいて(たお)れるのとほぼ同時だった。ソフィアはそれをかわしきれない。男の右手による強烈な一撃を、まともに食らう。


    ソフィア「─────ぁぐ、ッァ!!!」


     視界が、ブレる。世界が歪む。
     熾烈な殴打は、ソフィアの柔い頬を砕かんばかりだった。
     口中が斬れたよう。舌に鉄の味が溢れる。そして、彼女の体は荷馬車の強靭な帆の骨組みに叩きつけられた。
  144. 234 : : 2019/09/12(木) 04:50:25


    クラウス「─────貴様は、無傷で連れてこいとは言われてなかった」


     男は低く呟いている。近づいてきている。

     骨が粉砕された様な痺れと鈍い痛みが脊髄と左頬から響き回っていて、ソフィアはまともに動けない。痛みはもはや、熱の様にじんじんとその存在を強調してくる。
     口から何かこぼれているが、それが何なのかすら考えられない。頭がおかしくなるよう。
     動けない、だめ、だ、いたい、痛い。反撃できない。


    ソフィア「ッ、ぁぐぅ……!!」


     ソフィアは何が起こったのか理解できないまま額の髪の生え目から強烈な痛みを感じる。殴られた方でない右目を薄らと開き、何をされているのか確認してみる。
     私は髪を引っ張られて、いるのか。上手く見えない。視界は酷く朧気だ。
     男は「………仲間を、殺された分だ。悪いが、そのままもっと痛みに悶えてろ!!!」と絶叫する。そして、何かが、風を切る音がした。

     ぐさ、となにか、へんなおとがした。


    ソフィア「─────────────」


     その刹那、まるで太ももが「もげた」ような痛みが、走る。走る。走る。走る。加速して、脳に行き着く。
     いた、いっ、あ、いっっ─────「────ァァァァあぁああああああああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁああぁああああああああああああああぁああああああああああああああああぁぁああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁ!!!!」
  145. 235 : : 2019/09/12(木) 05:00:08

     そして倒れ込む。
     右足の大腿部が、燃えているようだ。何をされた、一体、これは、ナに? 錯乱しそうになる。痛みで狂い死にそうになるのを堪え、両手で痛みの部分を抑える。


    ソフィア「…………が…………ばっ…………ぁ、ぁ……」


     声すらも喉からまともに出せない。
     右目で、その脚を眺める。べっとりと、血が張り付いている。否、張り付いているのではない。血が、溢れ続けているのだ。

     見ると、そこには自分の手にしていたはずの、ナイフが────大腿部を貫いていた(・・・・・)。血は噴水のように、次々と内部から漏れていく。ズボンが血で塗れているからか、徐々に湿っていく。血の海が広がっていってるのが視界に捉えられずともソフィアには理解出来た。

     
  146. 260 : : 2019/09/14(土) 02:39:00


     死は、倒れ伏した身体を押し潰さんばかりにプレッシャーとなってソフィアを襲う。
     暴力的なまでの痛みと強烈な熱が右大腿部からどくどく、と音を立てて流れてきている。


    ソフィア「───────ッ、ぁ、が」

     
     イヤ、ダメ、やだ、こんな所で、と彼女は思う。こんな所で、私はまだ、死ねない。死にたくない、死ねない。
     その時、胸ポケットの中の硬い感覚が、荷馬車の床と擦れ合うことで彼女の脳を刺激した。
     途端─────走馬灯のように、ソフィアの視界をある情景が流れ始める。それはまるで土石流や濁流の様だ。

     幼い自分を愛し、抱きかかえてくれた活力に溢れた父親の笑顔。

     その父親が、黒いコートを着た男達によって喉を切り裂かれて殺される光景。

     それを、声を殺して乳母とクローゼットの隙間から眺めていた自分。

     その直後、火を放たれた、燃える家具。
     屋根。お気に入りだった大切なぬいぐるみ。家族を描いてもらった肖像画。床に血溜まりを生み、既に亡骸になっていた母親と、兄と、妹の姿。

     全ては、炭と化していった。

     強烈な死の匂いと煙。
     殺意を抱いた炎は本当に文字通り、全てを奪っていく。
     そこから命からがら逃げ出し、遠いとおい山林の向こうへ辿り着いた。少女はそこから、ある光景を眺めた。

     自らの家が、燃え狂う炎と闇に紛れて溶けていく光景を、眺めた。

     そうして彼女は、確かにその幼い身体に誓いを立てたのだ。
     全てを呪いながら。泣き崩れる乳母の手を握り、残酷なこの世界そのものを恨みながら。

     その『襲撃』が起こる直前に父親に託された、この世界の『鍵』を───握り締めながら。

     何があろうと、必ず生きて、この『鍵』で世界を壊してやると。

     それこそが、何もかもを失い、虚無に満ちた絶望の中で鈍く光った、彼女の唯一の道だったのだから─────
  147. 261 : : 2019/09/14(土) 03:01:25

    ジャギー「隊長ッッ!! ご無事ですか!? 一体何が!?」


     荷馬車の前の方から声が響く。騎手の声か。ぼんやりとソフィアは知覚する。次第に、意識が遠のいていく。


    クラウス「油断した……っクソ!! 捉えていた女にコーエンが、殺られた……!!」


    ジャギー「なっ……」


     騎手は言葉を失ったようにその先に続く声を詰まらせる。そうしてその直後、「時間が無い。アリアの迎撃も限界だ」と黒髪の男は散弾銃を荷馬車裏へ向ける。その焦燥感に満ちた声は、背中越しにぶつかってきた。


    クラウス「ジャギー。作戦を続行する……!! 女兵がこの帆裏に姿を見せた瞬間に、撃ち殺す」


    クラウス「アリア!! 迎撃、任せたぞ!!」


     そうして帆上からは「……残りは、残りはあの女だけです!! 奴は迂回して、こちらへ向かってきます。何としてでも引き付けます!」とくぐもった女声が響き渡る。


    クラウス「わかった……頼む」


     そうして騎手の居る荷馬車前から、そして目の前からガチャ、と金属めいた音が響く。
     させ、ない。そんな事、何がなんでも。
     濁流のような情景と共に、彼女は再び意識を次第に明瞭にさせていく。
     脚がなんだ、ふざけるな。ノアを、死なせない。私がミーナを助ける。
     こんな所で私は……私は、殺されてなんてやらない───!! 

     そうして、冷えた体に鉄をも溶かす熱を押し広げる。ありったけの衝動のまま、その熱で身体を起こす。揺れる視界の中、右手を床に掌底させた。


    クラウス「……! 何!?」


     ソフィアは、上半身を掌底した際の勢いのまま強制的に起きあがる。
     そのまま、うち震え続ける景色に反撃する様に彼女は左手を伸ばしてみせる。右足は使えなくても、手は動く。指も、動く。身体も、まだ動いている。まだ、戦える。

     そして、掴む。

     男の右手に握られたグリップの小型銃の銃身を握りしめてみせた。
     

    ソフィ「う、ぁあああぁぁああ!!!」


     
  148. 262 : : 2019/09/14(土) 03:21:35

     その瞬間、予感は的中する。立体機動のガス噴射音が近づく。帆の上にいる女が迎撃したのか、銃声が響き渡る。従来耳の良い彼女にはすぐにそれが、誰なのか理解する。

     ダメ、来ないで──────ノア。


    ソフィア「ダメぇっっ!! 来ないで、ノアァアッッ!!!」


    ソフィ「………やらせない……ッッ」


    ソフィ「やらせるもんかぁああッッ!!!」


     やがて両手で掴んだ銃を奪おうと、ソフィアは全ての力を入れる。
     歯を軋ませ、力の限り彼女は男の銃撃を妨害してみせる。


    クラウス「………っ! くっ、……いい加減に、」


    ソフィア「ッ、あ」


     だが男からすればソフィアはただただ、邪魔でしかなかった。
     手加減など不要と言わんばかりに、鬱陶しさに耐えかねた男は手元に張り付く彼女を振り払う───あらん限りの渾身の力で。肩から、放り投げた。


    クラウス「しろッッ!!!」


     下半身の振り絞れる力が皆無に等しかったソフィアは、へばりつくような形になっていた体をそのまま、再び帆内へ叩きつけられる。

     宙を一瞬舞った肉体は、彼女が声を出す間もないほど一瞬にして骨組みをひしゃがせ、先程より一層に強烈な衝撃を荷馬車の中へ走らせる。


    ソフィア「────っあが、ッ、ぐ……!!」


     そして、頭を思い切り衝突させたソフィアは惨めに倒れ伏した全身と頭の至る所から血が溢れてくるのを感じる。急に、目蓋が重くなる。最早それに抵抗する事は彼女にはできない。

     そのまま、ソフィア・ルージュは抗えぬ痛みと微睡みに飲み込まれていった。
  149. 263 : : 2019/09/16(月) 09:55:20



     ノアには一瞬何が起こったのか、理解できなかった。否、理解はできても身体が着いていけなかったと言い直してもいいだろう。


    ノア(────しまっ)


     そう思った時には既に手遅れだった。

     荷馬車背後の帆内────その片脇、ノアからすれば完全に死角に当たる位置と、騎手の居座る前方────に、銀色の揺らめきが彼女の視界には映る。
     そこから秒にも満たない速度で、4発の激しい銃撃が鼓膜を破壊せんばかりの音を伴い、放たれた。


    ノア「──────ッッあ」


     反応したのは速かった。四発のうち騎手側から放たれた2発は足横を掠めていくだけだ。
     だがその後ろ、ノアに最も近い位置から放たれた2発はもう、彼女の反応出来る速度を超えていた。


     左腕が、弾け飛ぶ。左上腕を繋ぐ腕間接ごと散弾によって、抉られとられていく。


    ノア「──────ぁ、がっ……!!」


     バランスを失い、ノアの身体はほんの一瞬ではあるが宙を彷徨った。時が、異常な程遅く感じる。スローモーションの様に、全てが緩やかになる。
     その刹那。
     彼女の眼には、倒れ伏し───血に塗れたソフィアの姿が、見える。


    ノア「─────────────」


     歯を、食い縛る。限界まで軋ませ、左腕がもげた痛みに抗う。それが憎悪なのか、怒りなのか、最早彼女には区別がつかない。
     ノアの止めを刺そうと帆の上に佇む敵が、見える。
     こちらへ向いている銃口を睨む。女兵士は左腕が消し飛んでもなお、殺意をより一層滲ませているノアの視線に何やら竦んでいるようにノアには見えた。
     それが、お前の甘さだ。そんなことをノアは思う。

     右手のグリップを握り締め、左肩まで瞬時に持ち上げる。グリップの二番目の補助スイッチ。それを押しながら────刃を解放する。

     刀身をさながらブーメランの様に投げつけてみせたのだ。
     そうしてその刃は目にも止まらない回転を見せると、灰色の髪の兵士の頭の半分を斬り飛ばしていった。
  150. 264 : : 2019/09/16(月) 10:23:32

     灰色の髪の女兵士は撃退出来た。

     だが、ノアの身体は変わらず宙を舞ったまま。ノアのスローモーションのような感覚は、兵士を倒したのを機に、元へと戻っていく。
     早鐘の様に脈打っていた心臓の音が聞こえなくなり、爆音の様な風の唸り声が次第に耳に届き始める。
     そうして、身体は重力に吸い寄せられて行くかのように堕ちていく。
     右肘に強烈な衝撃が加わるのと同時に、受身を取るための左手が損失した左肩は地面に落ちる。顔面から時速70キロを優に超える土草にその身体ごと叩きつけられていく。

     立体機動装置の鞘が土砂に擦られながら、鈍い金属音と留め具が外れる高音を奏でる。

     苦悶の声すらも上げれず、ごろごろとノアの身体は転がった。

     だが、まだだ。そんな事を彼女は思う。その思考回路は止まることを知らぬ名もなき機械の様に加速し続けている。
     痛みなど最早感じない。
     体は? 動いている。左腕の在った部分から血が止めどなく溢れているが、まだ動く。
     指は? 幸い、折れてはいない。右腕も右手も、折れてはいない。正常。意識の糸はまだ紡げている。まだ、追える。

     傍から見れば、人間のそれとはいえない思考回路なんだろうな、とノアは薄らと思う。だけどそれでいい。元よりこの身体は、彼女達を救う、ただ一つそれだけの為に在る(・・・・・・・・・)身体だからだ。
  151. 265 : : 2019/09/16(月) 17:41:01

     そして、ノアは自分を振り切ろうと速度をより上げた荷馬車へ視線を向けた。
     待て。
     ─────……誰が、逃がすか。
     土くれ塗れになった右手を、掌底させる。血は止まる事は知らない。だというのに、痛みを感じない。感じる為の末梢神経は既にスパークしているようだ。
     片方の鞘が外れたが、動いてくれるか。頼む、いや、動けよ。
     今動かなきゃ、いつ動くんだよ。動け、動くんだ。
     狂った思考回路の中で、それでもと言わんばかりにノアは装置へそんな事を心中で叫ぶ。

     右手と一体化してしまったようなフォアグリップの第二ボタンを押し込み、馬車の内部へ─────右アンカーを、射出した。

     放たれたアンカーは時速200キロを超える速度で、馬車の内部端へ強化木材を食い破るように引っかかる。


    ノア「逃がす……ッッかぁあああぁぁッッ!!!」


     トリガーを引く。

     身体がふわっ、と奇妙な重力を漂わせながら、荷馬車につられてノアの身体は一気に引っ張られる。強烈なGが頬を打ちつけてくる。
     残った左大腿部の鞘後方が唸り声をあげるように摩擦し、火花が閃光のように散らずにはいられない。
  152. 266 : : 2019/09/16(月) 18:08:12

    「アリア、………くっ、……ジャギー、加速させろ。奴から何としてでも逃げ切れ!!」


     そんな大声が風に沿って耳に届く。より速度が上がったのがノアには理解出来た。
     
     アリア、それはあの回転刃によって頭を抉り飛ばした灰色の髪の女か。
     あの男は仲間を殺されてもなお、その怨恨を晴らすより先に任務遂行を意識しているようだ。いや、もうそれしか道が無いのかもしれない。
     ───── 一瞬、殺す間際の奴の怯え竦んだ顔が脳裏に浮かぶ。だが、今はそんなことに気を配ってはいられない。

     グリップの第一ボタンを更に強く押し込み、よりガスを噴射させて加速させる。未だかつて無いほどの噴射量で、出火せんばかりにアンカー射出装置からも火花が飛び散っていく。

     おまけに両足の踵が常に土砂を抉り続けていて、今にもバランスを崩しかねない。

     だが、ノアに見えているのは────もはや、あの荷馬車で倒れていたソフィアと、ミーナの事だけだった。それ以外はどうでも良い。その邪魔になるものは殺す。消し飛ばす。

     その全ては、あの荷馬車を停めることだけに意識が向けられている。
     



     半強制的にノアの自重に引っ張られている馬車がいよいよ悲鳴を上げ始めたのか。
     左後輪が道端の石や土木に押し潰されないようにか、そちらも火花を散らしている。

     ようやくクラウスは、その低音の違和感に気付く。背後を覗き見て、そうして「─────な」と、絶句する。その姿を見て、凍りつく。そんな、馬鹿な、腕を撃ち飛ばしたんだぞ────。

     その時同時に、馬を駆らせるジャギーの「隊長!! まずいです、何かコントロールが効きません!! 何が起きてるんですか!?」という呂律が回っていない叫びも、クラウスの背中に叩きつけられる。

     
  153. 267 : : 2019/09/16(月) 18:20:53

     クラウスはそれに応じることは無く、既に装填させていた左散弾銃を素早く撃ち込む。
     空間を破る音共に、女を殺そうと秒の速度でそれは飛んでいく。だが。

     有り得ない速度で、奴はそれをかわして見せた。両足を摩擦させながらバランスを取ったとでもいうのか。
     とても、左腕が無くなったばかりの動きのそれとは彼には思えない。何なんだ、あの女は。化け物か!?
     

    クラウス「──────ジャギー、速度を上げろ!! 奴が、残った立体機動のアンカーを荷馬車に引っ掛けて追ってきている!!」


    ジャギー「なっ!?」


    クラウス「いいから速度を上げろ!! もうすぐ森を抜ける、そこまで全速力で駆け抜けろ!!」


    ジャギー「……いえ、隊長────」


    クラウス「何だ!?」


     あれを見てください、とジャギーは言った。クラウスは前方を垣間みる。
     ─────橋だ。丁度、横幅が荷馬車2台ほどであることが伺える橋が見える。
     だがそれは吊り橋だ。奴に取りつかれたこんな不安定且つ最大速度の状態では、橋を支えているケーブルへ車体ごとぶつかっても、決しておかしくはない。
     加えてこの辺りは相当な高地だ。
     万が一、あの橋に辿り着くまでに女を振り落とせなければ、馬車が崖に墜落しかねないだろう。

     冗談、じゃない。
     こんなところまで来て、部下をほぼ殺され、ここまで来て荷馬車が落ちでもしてみろ。そんな事をクラウスは自分に問う。

     それこそ、部下は犬死だ。犬死以外の何物でもなくなる。何としてでも、コイツを、殺さなければ。

     歯軋りを重ねる。そして、彼は目標の女の大腿部を抉るように刺さったナイフへ手を掛けた。

  154. 268 : : 2019/09/20(金) 18:13:33

     速度を上げ、砂利による噴煙を撒き散らしながら荷馬車は舗装された陸路を抜ける。

     ノアの身体は既に限界を迎えようとしていた。

     肉体は猛烈な速度で駆けている馬車に半ば引きずられているような状況だ。土砂を抉る音ともに視界が滲み始める。輪郭が、霞まずにはいられない。
     だがノアはふざけるな、と目蓋をこれでもと言わんばかりに強く瞑る。右手の人差し指のスイッチにさらに力を込めていく。ガスは先程から最大限噴射させている。ワイヤーは軋み、より悲鳴をあげた。

     それにより、徐々にではあるがノアの身体は荷馬車の速度を上回りながら追いつきつつあった。


    ノア(いける────追いつける)


     たとえ片腕しかなくとも、さっきの女の様に刃を投げてやればあそこにいる男の頭を裂くことが出来る。もうすぐだ、もうすこしで。

     そう、思った瞬間だった。

     ぷしゅっ、と嫌な音が、した。

     それは余りにも頼りない音で、弱々しい音ではあった。だが、これ以上にないほど、今の彼女にとっては絶望的な音でもあったのだ。

     その瞬間、金切り声をあげていた本体ボンベの噴射音が、綺麗に損失する。

     ワイヤーの巻き取りが停止し、体の重力感も消え去る。彼女は目を見開き、息を呑む。
     ウソだ、今、まさかこのタイミングで────ガス、切れ?
     だがそれだけでは済まなかった。
     ワイヤーがビィィン、と不可解な音を立てる。不意にその先を見ると、自分へ殺意を向けているリーダー格の男が荷馬車から顔を出していた。

     その手には、ナイフ───あれは、ソフィアのナイフだったか───が握られているよう。

     あっ、と思わず声が出た。

     ノアの体は、やがて装置のガス切れとワイヤー切断によって、地面に轟音と共に放り投げられる。
     激しくて鈍い衝撃。それがまず彼女の脊椎に刺激を与え、脳髄が幾度もシェイクされる。


    ノア「……ぁ、ッがっ」


     声にもならない呻きと共に、留め具から装置は完全に外れたよう。何かが折れる様な金属音が響き、大腿部の鞘も、ワイヤー射出装置も、全てが砂利道に転がっていく。


    ノア「──────っ、あ」


     身体が何回転も回り、それがようやく止まる頃。
    そうして彼女は視界を、ゆっくりと荷馬車へ向けてみせた。
     男は断ち切られたワイヤーの尖端を放り投げており、馬車はまもなく橋へと辿り着こうとしている。

     待て。止まれ。

     イヤだ、やめ、てくれ。

     身体はもう動かない。
     目で奴らを追うことはできるのに、脚は折れ曲がり、唯一残った右手もほぼ全て骨折している。そんな掌を、荷馬車へと指し伸ばす。これ以上ない程に。

     その様は、懇願そのものであり、希望が潰えていく様そのものでもあった。
     待って、ともう一度彼女は手を伸ばす。身体を動かし、抗おうとする。のしかかる絶望へ抵抗しようとグリップを探る。しかし見当たらない。
     立体機動装置は衝撃によって粉々にひしゃげ、ワイヤーの至る所は惨めな切れ目を見せている。主観的に見ても、ただ一つの真実が彼女へ襲い掛かる。

     もう、間に合わないと。

     もう、どうする事も出来ないと。
     あの橋を越えられればもう、森は無い。すなわち全ての終わりをそれは指し示す。────終わる。ミーナも、ソフィアも、自分から離れていってしまう。
     その事実を悟ったノアは、眼球が零れる程強くつよく、目を見開く。そこには、いとも簡単に彼女の存在そのものをすり潰してしまえる確かな絶望が映っている。
  155. 269 : : 2019/09/20(金) 18:35:09

     どす黒い黒色に染まった視界と共に、全ての熱が喪われる。
     伸ばした手が、力尽きていくかのように少しずつ、地面に吸い込まれ。
     限界まで稼働していた身体の体温は、陸路の砂や土に飲み込まれていく。
     同時に、心までもが、ゆらりとした黒い渦に呑み込まれる。

     あぁ、またこれだ、とそんな事を思う。

     その瞬間、何処から悲鳴が聞こえてきた。それは、犯されていく母親の悲鳴か。あるいは父親の呻き声と合わさったものか。またあるいは────。

     そうして闇は、嗤うようにしてノアを『痛み』へと誘い込んでくる。その手を振りほどくことなど出来ない。ただ頭に響き渡る悲鳴と共に彼女は引きずり込まれていく。

     蓋をしていた記憶はやがて彼女の意志を問うことも無く開かれる。

     イヤ、やだ、やめ────


    ────『な、んですか、あなた達は』

     玄関を明け、来客者を迎えた母親。

    ────『いや、やめ、なにをっ!?』

     母親は三人がかりの軍服と帽子を被った男達に抑え込まれ、床へ押し倒された。

    ────『いやっ、やめ、ぁ、ぁっやァああああああぁぁぁっっ!!!?』

    ────『何を……ッッ!? やめろォオオオオ!!!』

     父親はナイフを持って、母親をおさえつけ、服を脱がそうとする男達に飛び掛かった。

     だが父親は、また扉から入ってきた同じ軍服を着た男達によって、腹を蹴られ。
     容赦なく頭を蹴り飛ばされ。
     無慈悲に全身を銃の腹で殴られ。鼻や口から血を吐いてもそれは止まらなかった。

     男たちは「コイツらは悪魔の末裔だからな。女を手に入れたければ悪魔から奪え!!」「おい、次は俺にやらせろよ」「この男を連行しろ!!」「子どもは殺すなよ、そのまま連行しろ」などと騒いでいた。

     少女には、彼らは鬼のように見えた。他に例えるならいっそ悪魔でもいい。

     幼い少女とその弟は、自分の母親が何人もの男達によって蹂躙され、喰われて行くところを何も出来ず見つめる事しか出来なかった。

     顔の原型を留めていない父親が、ボロ雑巾の様に出口へ引きずられていく所を眺める事しか出来なかった。

     泣き叫び、やめて、と言っても彼らは辞めなかった。やがて二人は抵抗も虚しく、何かの注射を打たれて気絶した。
  156. 270 : : 2019/09/20(金) 18:49:30

     目が覚めた時、全てが夢であってくれたらいいと彼女は願っていた。
     目が覚めたら、いつも通り母親がマーマレードのパンとスープを用意して、父親が優しく撫でてくれるいつもの日常があるはずだと。そして、甘えてくる弟を抱きしめ、涙を流すのだ。あぁ、なんだ、ただの怖い夢だったんだと。良かった、と。

     だが、そんなはずもなかった。

     彼女は目を覚ました時、どこかの薄暗い部屋のベットに拘束されていた。暴力的なまでに眩い蛍光灯の光で視界が眩む。
     手足は両方共に縛られ、首にも何かの拘束がされていたようだった。親の姿は無い。それどころか共に手を握っていた弟の姿も無かった。たちまち、背筋が凍る。ここは、どこ? お家は? どうして、私はこんな所に?
     


    ────『被検体0027、聞こえていたら両手を握るんだ』


     そんな事を考えていた折に、何処からともなく不気味な程静かな声が部屋中から響いた。
     男の声。額に脂汗が浮かび、これ以上無いほどに恐怖に怯えていた少女はただ言う通りにするしかなかった。


    ────『よし。意識はある様だ。これより『実験』を開始する』


     じっけん、という言葉の意味を少女はまだ知らなかった。だがその言葉の響きが、酷く少女の耳にこびりつき、堪らず強烈な不安となって彼女を襲った。恐怖は鳥肌となって皮膚を走り、手汗が止まらない。
     なにを、するの。そう口を開こうとした、次の瞬間だった。
     ぷす、と空気が抜けたような音ともに小さな痛みが左腕に走った。思わずその部分を目だけを動かして見つめる。
     それは注射だった。
     何かの、液体が注入されたのだ。


    ────『ぁっが、ごぶっ、』


     その刹那。
     彼女は強烈な吐き気に襲われた。だがそれを吐き出せない。正確に言うとそれは吐き気ではなかったのだ。
     それは幼い彼女には────
     あまりにも壮絶すぎる痛み(・・)そのものだった。
  157. 271 : : 2019/09/20(金) 18:59:40

    『ぁばっがぁっ、ぁういやぁあああぁぁぁぁぅっァあグゥばぁああああああああ!!!』


     何度も。

     何度も。

     何度も。

     何度も。

     彼女は、その薬物を注入され、鎮痛剤を打たれ、声が出なくなるほど叫んだ。
     腕が軋み、骨が折れるほど体をバウンドさせ続けた。首に、腕に、足首に、いくつもの赤黒い痣ができ、時には吐血もした。
     だがそれでも終わらない。
     恐怖と狂ったような終わらない痛みに何度も失禁し続けた。
     目玉は上下し続けている。どこを向いてるのか自分でも分からないままに。

     何分も、何時間も、それは繰り返されたのだ。

     時間の感覚などとうに彼女は分からなくなっていた。代わりに感じていた痛みの感覚は喩えるなら、身体の中をなにかの虫が何匹も何十匹も何百匹も這いずり回り、自身の血肉を喰い漁っている様な感覚だった様に彼女は思う。

     それに対し、なにか明確な表現をするのであれば、きっと間違いなくそれは『地獄』そのものだったのだろう。
     だが非力だった少女には、何も出来なかった。本当に、文字通り何も出来なかった。ただ、頭の中で、引き算をし続ける他には。

     注射される度に、男たちは幾度も彼女にでも出来るような計算式を課し続けたからである。
     少女はそうしないと、とてもでは無いが気を保ってられなかった。その理由など、彼女には考える由も無く。
  158. 272 : : 2019/09/21(土) 19:06:40

     そこから長い時間が経った。

     地獄は突然、ピタリとその境目を見せなくなった。肉に注入され続けた針が止まったのだ。

     そこに至るまでは何時間、何日、何十日だったかもしれない。もう自分の身体は、既に自身のものでは無いように彼女には思えた。

     ただの肉塊となった肌はひたすら痙攣し、目からも、口からも、耳からも、涙とも唾液ともとれない液体が流れ続けていた。

     そのまましばらくの間、茫然自失となっていた時、彼女の拘束が不意に取り外された。

     視界に時々映る誰かによって、何かをされているのは理解出来ていた。だが、もうまともに肉体を動かす事も出来なかった彼女は、ただただその流れに身を任せるしかない。

     そうして、次に意識がハッキリと再び覚めた時。

     彼女はどこかの砂だらけの土地に座らされていることに気が付いた。膝から下が妙に冷ついている。
     微かに残った大腿部の感覚から察するに、肌に風と共にまとわりつくものが砂だと彼女には理解出来た。
     どうしてそれが砂とわかったのかと言うと、かつて父親から聞いていた砂の感覚とそれがそっくりだったからだ。
     今となっては、それはもうただの記憶でしかないが。

     彼女の視界を覆い切っていた帯は、誰かに解かれる。視野が解放されるのと同時に、強い光によって目が潰されそうになった。

     
  159. 273 : : 2019/09/21(土) 19:32:16

     まず目に映ったのは、赤黒く燃える夕陽だった。ゆっくりと、ぼやける輪郭を整えていく。

     何気なく、周囲を見回した。そこは高台の様な場所だった。

     何十メートルもの高さがある高台で、下には砂丘が見える。そして、不意に左右へ視界を向けた。

     その景色は、さながら何かの儀式の様に彼女には見えて幼心に気味が悪かった。確認出来るだけで、20人以上の子どもたちが虚ろな目をしたり、ただただ呆然としていたり、怯え竦む様に涙を流していた。

     その子どもたちの後ろには一人一人、軍服や白服を羽織った男達がまた何かの注射を準備して待機している。


    「これで最後か」


     薄気味悪く高い声の男がそう言いながら、幼い少年を彼女の隣に並ばせた。その少年は、見覚えがある髪型だった。「───────アル、ク?」と思わず彼女は彼の名前を呟いた。


    「…………ぇ? おねぇ、ちゃん?」と彼は怯えながらも絞り出したかのようなか細い声で彼女を呼んだ。間もなく、彼の視界は彼女と同様に開放される。

     少年は酷くやせ細っていた。目には恐怖が映り込み、身体中が傷だらけ。口脇からは血の跡が滲んでいる。


    「良かった、無事、だったんだね」


     彼女の弟は目を見開き、安心したように目尻を細める。彼女は、そんな彼の姿にどうしようもなく絶望した。そして、その次に思った事は弟だけでも助けなければ、という衝動だった。

     だが、その願いは果たされる前に砕かれる。


    「最終実験をこれより開始する。認識番号順にそれぞれ注射をしろ!!」


     彼女の後ろにいた眼鏡で痩せ型───声の高い男は後ろに並ぶ男達に向けてか、突如指示めいた声を張り上げた。

     了解、と彼らは声を揃え、それぞれ瓶を内ポケットから各々取り出す。そして、注射器をその中に打ち込み、液体を注入し始めていく。

     いったい、何を─────? そう、思った瞬間だった。

     
  160. 274 : : 2019/09/21(土) 19:49:18

     それは、突然だった。

     
    「やだ、いや、いやだァァァァァァァァァァあぁああああああああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁ!!!!!!」


     弟の方へ視線を向けていた彼女の背後から、この世のものとは思えないおぞましい悲鳴が、耳をつんざく。そして、振り向く。

     見ると、一人の少年が、高台から砂丘へ墜落していた。

     その身体は両手両足を自分と同じように拘束されていて、まともに身動きも出来ないまま宙をクルクルと回り、堕ちていく。

     その、瞬間だった。

     まるで、地が割れる様な、そんな音だった。衝撃。世界がその身を変えんばかりの爆風と光。
     思わず彼女は目蓋を強く瞑らずにはいられない。そして、耳を抑えたかったがそれは叶わなかった。

     例えるなら、雷。
     砂の中へ落ちていく少年目掛けて、遥か遠くの天から、雷が彼の身を貫いた(・・・)のだ。

     彼の体は、消えた。

     否、別のもの(・・・・)へと、進化したと言うべきかもしれない。

     彼女はただただ、その超常現象を見つめるしかなかった。彼の体は、五メートルから七、八、九メートルとどんどんと巨大化したのだ。

     そして、その雷鳴の中で、その肉体(・・)はピタリと、不意に巨大化を止める。次第に雷じみた何かは霧散していく。そうして恐らく、その場にいた子どもたちはただただ恐怖に息を呑むしか出来なかっただろうと、彼女は思う。

     噴煙を纏わせながら、その巨大な肉体は砂丘へ着地した。砂の爆煙が暴風となって彼女や彼女の弟を襲う。「ッッ!!!!」


     そこに居たのは、かつて、父親が話していた、教えてくれたこの世のものではない生物。


     ───────巨人、だった。


  161. 275 : : 2019/10/03(木) 03:19:52
     
     その巨人───確か、無垢の巨人とよばれるアレ───は名通り「巨大な人間」とは名ばかりで、あまりにも人とは似て非なるものだと、少女には思えた。
     それは、喩えようもなく怪物そのもの。顔には恐怖とも畏怖ともとれない感情がテープか何かによって貼付されたかのよう。

     九メートル級の巨人の手足は酷く細長く、あばら骨が浮き上がるほど痩せこけて晒された裸体の身体が砂丘からのそり、と音を立てて立ち上がる。


    「…………………」


     ふと。巨人がこちらを見据える。

     おぞましく大きな瞳と、少女の目が合う。
     つい先程まで確かに人間だったはずのそれは、人間の形を模してはいても明らかに人間のそれでは既に無い。
     堪らなく、少女は「……っ、ひっ、あ」と戦慄し、喉の奥から悲鳴を小さくあげる。

     それとほぼ同時に、背後からは小さな舌打ちが少女の耳に届いた。「……失敗だな」という小声と共にそれは彼女の鼓膜に張り付く。
     失敗? どういう、意味なのか。だがそれを考えるよりも早く、悲劇は起こる。

     また悲鳴が、響き渡る。


    「ああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁ」


    「やだ、やめ、おかあさあああああああ」


    「死にたくないやだ、巨人になんて、なりたくな」


     そんなことを叫びながら────次々と彼らも、彼女らも、砂丘へ蹴落とされていく。
     そして先程の雷鳴が、幾つも幾つも、また幾つも轟いた。暴力的なまでの音と光が鼓膜と視界を限界まで壊そうとしてくる。

     四、十、十五、二十、二十七体。
     続々と、巨人達はそのなりを膨大な爆風と煙によって露わにしていく。やがて、残ったのは彼女とその弟だけだ。
     その、瞬間だった。間もなく少年に注射が打たれようとしていた時。彼は抵抗したのだ。


    「うぁぁぁあああああっっっぁああ!!!」


     アルク、と彼女は身を震わせるよりも早くその弟の名を叫ぶ。少年は「お姉ちゃん、逃げて!!」と張り裂けんばかりの声でそう言うと、身を覆す。
     すると、自らの頭の上に居た白衣姿の男────彼の膝部分へしゃがんだままタックルしてみせた。

    「な!? この悪魔のガキが───」と彼を罵ろうとした瞬間、その男はそのままバランスを崩し、足を滑らせる。「……あっ」

    「あ、いや……っぁ、ぅぅばああああああああああああああ」と悲鳴をあげた男は、そのまま高台から転落していく。────男は手に持っていた注射器と何かの手帳ごと、その下にいて大きく口を開けた5メートル級の巨人の体内へ吸い込まれていった。


    「貴様ァァァァ!!!」


     その瞬間を間近で見ていた軍人姿の男は、その背中を押さえ付ける形で────少年の頭を高台の地面へ叩きつける。ゴリ、とまるで骨と骨を鈍く擦り合わせたような強烈な打撲音が走る。


    「ぐっ、うがっぁああ!!」


    「いや………いやっぁああああああああぁぁぁ!!! アルク!!」


     それらは全て、秒の内に起こったことだった。
     だが少女の身体は、最後の最後までその後ろにいた同じく白衣を着たリーダー格のような声の高い男によって固くかたく拘束されていた。身動きのひとつも取れないままに。
     
     やめ、やだ、やめて、お願いなんでもするから。弟だけは、助けて。

     少女は首をこれでもと言わんばかりに後ろに上げ、泣き叫ぶ。弟の命を乞う。いやだ、やだ、いやだ、このままでは弟も────下にいる、「あの化け物」になる。お願い、助けて、誰か。それだけは。

     だが、少女をこの場で助けるものなどいない。少女の懇願に充ちた言葉は届かない。

     一向に男たちは見向きもせず、その言葉に耳も貸さない。少年の身体をあらん限り、大人の力で拘束する。

     結局、幼い少年の抵抗は白衣姿の男達のうち一人を偶然の形で巨人の餌にしただけであり────少年の思惑であった姉である彼女を逃がす目的は達せられなかった。
     「いやだ、お姉ちゃ、……にげて、逃げてぇぇぇぇぇ」と少年は顔を潰さんばかりの勢いで地面に押さえ付けられながら悲鳴をあげる。だが、男達にはそんなものは関係無い。
     お願い、もうやめてと少女は限界まで目を開かせて抵抗する。

     しかし。

     無慈悲なままに、その針はやがて。
     彼のうなじへプスッ、と音を立てて通される。


    「───────ッぁ、が」


    「いやぁあぁあああああぁあああああああああああああああああああぁぁぁあああああぁぁぁああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁ!!!!」
  162. 276 : : 2019/10/03(木) 03:50:23

     号哭(ごうこく)は、限界を超えて少女の耳をも貫かんばかりに辺りをこだます。
     だがそれも虚しく、少年の生気が失われていく瞳と共に彼の身体もまた、惨めに巨人達の中へ堕ちていった。やがて、その二十七体の巨人の頭上でまた、光り輝く。


    「────────────」


     弟だった肉の塊は、十五メートル程の巨体に変化し、不自然な程折れ曲がった首をこちらへやがて向けてきた。その身体はでっぷりと腹が出ており、手足が今度は恐ろしく不揃いで、その上短かった。

     かつて弟だったはずのそれを少女は言葉も無く、見つめる。茫然自失となり、思考回路が正しく働かなくなっていくのが少女には幼心にも分かった。
     

    「─────無駄な犠牲が出たな」と少女の身体を押さえ付ける白衣姿の男は呟く。だが、それもこれで終わりだ、とも。

     彼女を形成していたもの。それが、音を立てて崩れていくのを少女は感じていた。不意に、瓦解していくものの中に幾つもの顔が思い浮かんだ。
     泣いてばかりな自分を抱きしめて、美味しいご飯をいつも作ってくれた母親。
     その母親が、陵辱され、服を次々と破られ、欲に塗れた鬼に喰われていく姿。やがて潰えていく悲鳴。

     手を繋ぎ、自分の身体を持ち上げて逞しくも優しい瞳を向けてくれた父親。

     マスケット銃で殴りつけられ、抵抗も出来ずに顔を蹴飛ばされ、殴られ、そして逃げろ、と自分と弟へ吠えていた姿。

     怖かっただろうに。もしかしたら自分以上に怖い思いを、気が狂う程の拷問を受けただろうに。
     そうなってまで、自らを救おうとした自分よりも幼い弟の涙でぐしゃぐしゃになった顔。

     それらのひとつひとつが、次々と泡のように浮上しては、その形を消していく。
     
     やがて、少女のうなじにも同じ様に注射が刺される。何かの液体が、注入される。小さく熱を伴ったそれに痛みなど最早感じない。

     コイツらが、奪った。

     コイツらに、殺された。

     コイツらに、消された。

     何故? 何の為に? そもそも何故自分達は、どうしてそんな目に合わなければならなかった?

     そんなことを、少女は蹴落とされながら、その体を宙に舞わせながら思う。
     その中で、ふと。
     自分を見下ろし、注射針を滴らせる男と目が合った。巨人の中に堕ちていく道中に見えた男達の姿を見て、少女の中である一つの感情が芽生えた。
     それは恐怖ではなく。絶望でもなく。悲しみでもない。

     この身を焦がさんばかりの、熱。───憎悪だった。
  163. 277 : : 2019/10/03(木) 03:57:16





     助けたい? とふと、幼い少女の声がした。




     気が付くと少女は倒れ伏している。
     無くなった左腕からは溢れんばかりに血が流れている。

     右手の指は幾つも折れ曲がり、骨折している。意識を失おうとしていた、成長した少女の前には『誰か』が、立っている。

     誰だ? お前は。
     
     少女は目の前にいる『声』の存在に、視線も向けることが出来ない。そのままの姿勢で、意識だけの声を発する。

     そんな少女に『声』はもう一度問うてきた。

     助けたい? と。

     
  164. 278 : : 2019/10/09(水) 21:24:07

     そんなの、と彼女は歯軋りを重ねる。鈍い鉄の味が歯肉の間から染み渡っていく。

     助けたいに、決まっている。

     ───ノアは、伏せていた顎を痙攣しながらやっとの思いで上げる。

     少女の前に立ちつくす人物は幼い子どもだった。髪の奥の表情はノアには伺えない。
     それはまるで、いくつもの黒い絵の具を塗りたくった様な暗闇の層に彼女には思えた。

     裾がバラバラにほつれ、形が所々歪に崩れた衣服は土汚れに塗れている。

     その少女の面立ちは伺えなくとも、こちらを虚ろな目で見据えている事だけはノアにも理解が追いつく。

     そうして少女はもう一度言う。独りごちる様な、密かな呟き声で。

     ─────「あなたには、その為の「力」がある。でも、それを使えば最後、」

     そうだ、とノアは取り留めのないぼんやりとした視線を落とす。その瞳には灰色の虚無だけが映り込む。

     少女は、言う。


    「あなたはもう、『二人』の元へは帰れなくなるかもしれないよ」と。

     
  165. 279 : : 2019/10/13(日) 18:55:52

     少女の言葉は、確かな小さな刃となってその身を貫いていく。
     その痛みは、吹き飛んだ左腕のそれよりも遥かに彼女へ苦しみを与えさせる。

     もう、帰れない。あの二人の元へは。

     一緒に笑い合うことも。
     一緒に星空を眺め合うことも。
     一緒に大して美味しくもない食事に楽しみ合うことも。

     一緒に、生きていくことも。

     彼女には、もうそれが叶わない。

     その『選択』はそれを意味する。

     
     それでも? と少女は問う。今の彼女にとって少女は悪魔の末裔の様にも、ともいえば死神の様にも見えた。
     だが、彼女にとってそれはもはやどうでも良い事だった。
     
     虚無に堕ちた瞳を浮かべるノアの脳裏には、かつての景色が浮かんでいる。

     薄暗い空の中、凍える程冷たい雨が降りしきる中で、差し伸べられた『それ』は彼女にとって希望であり、光だったのだ。
     終わらない悪夢の中で、唯一自分を救い出してくれたもの。一対の腕。

     ねじ切れる寸前の光。消えゆく寸前の希望。

     今度は、自分が救うとあの星降る夜に誓った。私が、助けなければならないと。

     少女は、彼女のその言葉の意味を問うようにもう一度訊き返してくる。

     ────たとえ、あなたがもう死ぬことになっても。それでも助けたいの?

     あぁ、それでも、と彼女────ノア・ティファニーは応える。


    『ノア! これ、あげるっ。大切にしてよね?』と幼く、無垢な明るい残響が蘇る。あぁ、この声は、ミーナの声だ。根っこは負けず嫌いで、気が強い所もある声。でも、誰よりも人を想いやる心に溢れたあの少女の声。
     ボロボロになった制服の裾から、小さな石とリング状になった繊維がその身を輝かせている。
     希望の象徴であり、約束の腕輪でもあるそれは、ミーナが結ってくれたもの。


    『たとえ何があっても』


    『私達はずっと一緒!』


     それはソフィアの声だ。耳を撫でるように優しく届く声。人懐っこく、暖かさを伴ったそれもまた、彼女だけの声だ。
     あぁ、そうだ。彼女達は、こんな私にそう言ってくれたのだ。だから、だからこそ。


     そう。じゃあ、行かなくちゃね。


     そう言ってそれを聴いた幼い少女は、ノアへ手を伸ばす。いつの間にか、身体中の傷は消え、腕が元に戻っている事にノアは気が付いた。

     指し伸ばされた左手を、右手で握る。

     すると、陰が入ったままだった少女の表情に光が差していく。やがてノアは、暗闇しかなかった空間の上に沢山の星空といくつもの『道標』の様な線が流れている事にも気が付く。

     そうしてようやく優しげな、憂いを浮かべてるようにも見える少女らしい微笑みが、ノアからは伺えた。

     そしてそんな世界は形を変える。

     その手を握っていた少女の姿はいつの間にか消え、代わりにミーナとソフィが真っ白な暖かい空間の中に立っている。

     ノア、一緒に行こう?

     ソフィアとミーナは、また揃って手を差し伸べてきた。
     ノアは何を考えるまでもなく、左手を伸ばしてミーナの手を取る。右手を伸ばしてソフィアの手を握る。手から手へ。その温もりを伝えていく。

     目を瞑り、微笑む。

     あぁ……そうだな。




     行こう。一緒に──────



  166. 280 : : 2019/10/14(月) 12:05:27

     その「力」はかつて、大国を滅ぼした。

     やがて王を守り、死に絶えたその「力」は

     娘達を通じて九つに分かれ、

     血肉と骨髄は幾つもの座標を創った。





     名を───────




  167. 281 : : 2019/10/14(月) 12:29:38


     空が割れたのだと、クラウスは考えた。

     そうして、動揺を隠すまでもなく彼は前方に向けていた視界を背後に向き直す。
     そうとでも言わなければ説明できない爆音と、目を潰さんばかりに光り輝く迅雷だったのだ。
     その前触れは無く、それはあまりにも唐突で、彼等には思いがけないものである事に違いは無い。
     
     先程、確かにワイヤーを切り落とした。切り落としたはずだと言うのに。
     ────倒した女兵士の伏した姿が、あそこにはあったはず。そのはずだ。
     
     だがそこに、異変が起きた。

     その位置には、一目でもわかる異変が起きている。


    クラウス「──────……なん、だ、…あれ、は?」


     ただ、彼は呆然とその景色を見つめる。世界は暗闇に包まれ、雷鳴がその陸路に堕ち続けている。それは、もう彼には脳の理解が追いつかない光景だ。
     一つの大きな雷の中で、『何か』が創造されている。
     大きな骨格。人の骨格と思わしき骨組みが、その眩い光景の中に垣間見える。その骨は見る間もなく巨大化し肉を伴っている────


    『ァァァァァああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁあああああああああああぁぁァァアァアアアアアアアアアアアアアアア』


     鼓膜が張り裂けんばかりの衝動を伴わせながら「それ」は咆哮する。判別できる限りではそれは女のそれに近い。悲鳴の様な叫び。

     やがて落雷は徐々に収まっていく。膨大な煙が霧のようにその周囲を漂う。
     嘘だ、と彼はまずそんな事を思う。そんなことは有り得ない。有り得てはならない。何故、どうして。
     
     その噴煙はやがて雲が晴れるように姿を霧散させていく。その巨体は長い髪を揺らす。
     口らしき部分から息を漏らすように蒸気を上げている。

     そこに居たのはこの場に居るのは絶対に有り得ない。有り得るはずがなく、存在してはならないもの。


    クラウス「───────巨……人だ」

  168. 282 : : 2019/10/14(月) 12:42:59

    「隊長!!? 今のは何です、雷ですか!?」とジャギーは悲鳴の様な声で喚く。手網を握る手は状況を理解出来ず、ただ震える。

     背後をただ茫然と見据えるクラウスはそれには答えない。否、答える余裕は無い。ふと「──────走れ」と呟く。
     

    ジャギー「隊長!?」


    クラウス「いいから走れ!!!」


    クラウス「何なんだ……いったい、何が、何が何が何が何が何が起きて」


    ジャギー「隊長ッッ!? 何が起きているんですか!?」


     巨人だ、とクラウスは病的なまでに動揺した様子でボソリと言う。「は?」と理解出来ず、ジャギーは目を見開く。
     突如、地響きがした。
     荷馬車は橋に辿り着き、吊り橋はその荷重にワイヤーごと揺れる。その地響きは、ジャギーには到底正体が分かるものでは無い。徐々に、近づいてきている事だけは理解が追い付く。
     有り得ない、ありえる訳が無い。そんなはずがない、まるで、まるでこれは─────


    ジャギー「───────何が、起きて、」


     そう呟いた瞬間だった。

     
    『ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!』


     また悲鳴が、響く。荷馬車が浮き上がる。
     ドゴォ、と大地は耐え切れず震えていく。
     そう。その音は、ジャギーにとって聞き覚えのある音。それは、紛れもない────巨人の、足音だ。


    ジャギー「──────ぁ、うっ、あっああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」

  169. 283 : : 2019/10/14(月) 13:30:38

     その身長は十五メートル程に多くの人間には見える事だろう。
     筋骨隆々ながらも細身な黒髪の女の巨人は、さながら人間の女の様な見事なフォームで一気に大地を駆けていく。その速度は、ノアのいた位置から荷馬車が渡ろうとする数百メートルという橋までの距離を一瞬にして詰めてみせるほどだった。

     馬車を捉えるのは渦のような黒い瞳。世界全てを憎むかのような凶悪なまでの怒りを表情に浮かべている。

     そして、怒号のような悲鳴じみた声をあげ、荷馬車へ手を伸ばし、巨大な手でそれを掴み取る。しかし、その手には四発の散弾が肉を抉る様に撃ち込まれる。咄嗟に、伸ばしていた手を戻す。

     その荷馬車の中に居た男達は実際に金切り声をあげ、恐怖に震えながらも専用の立体機動装置で前方と後方から飛び出してきた。

     だが彼らは対巨人戦において有効な刀身を持ち合わせていない。その時点で勝利など無い。黒髪の奥の目を揺らす女型の巨人はそれを蝿でも観るかのように観察する。

     実際のところ、彼等は文字通りの「蝿」でしか無かった。

     素早く飛びまわり、恐怖に溺れたような表情でこちらのうなじへ銃撃の射線を向けてくる。

     だが、無駄。

     うなじは眩い藍色の金属によって瞬時に覆われ、その凶弾を甲高い音ともに弾き返す。銃弾は鉱石の様なその淡い金属によって弾け飛んだ。

     男は「なっ!?」と動揺の声を漏らしているのが聞き取れる。
     ─────こいつには左腕をもぎ取られた。こいつはソフィアを傷つけた。
     
     男はこちらに接近しながら「ジャギィイイイイ!!! 俺が囮になる、せめて薄緑の女を連れて、逃げろ!!」と叫んでいる。

     囮? と巨人は思う。そもそもお前はそんなものにはなれない。

     やがて巨人はその黒髪の男を素早く捉えた。著しく俊敏な、人間が反応できる限界を超えた速度で右手を振り、ワイヤーを振りほどく。

     そうして束の間のバランスを失った男は、さながら人が虫を手で潰すかのように───呆気なく叩き潰された。
     その間、吊り橋はワイヤーが切れた音ともに崩れようとしている。

     やがて橋はいよいよもって崩壊を始めた。荷馬車の重みによってとどめを刺されたのか、木片を弾かせながら橋はバラバラと崩れ始めていく。


    『………!!!』


     橋の木片に埋もれるように引っかかり、沈む様に落ち始める荷馬車から、ひとつの影が飛び去る。

     髪を刈り上げた男が、ソフィアを脇に抱えて立体機動で逃げようとしていた。ガスの最大噴射による最大加速。瓦解していく橋を、まもなく抜けようとする。

     ──────待て。

     女は、巨大な左手を掌底させる。やがて左膝と左足に溜めていた力を解き放つように、

     飛んだ。

     その肉体はまるで嵐かなにかのように暴風を伴っていく。


    「───────ッ、ひっ!?」


     崩れ落ちていく橋を踏み抜き、宙を舞いながらも女型の巨人は残った右手を使う。そしてその右手で、短い叫喚をあげた男の頭を掴むことに成功した。


    「むぐ、んっ、んんんんんんんんんんん」
     

     男はそのまま、血飛沫を上げながら掌の中で脳を潰される。ブジュッ、と惨めな音ともにかつて男だった果実の絞りかすは、巨人の手から落ちていく。────そして同様に、その男の右脇に抱えられていたソフィアも零れ落ちる。


    『──────────』


     前屈みに堕ちていく荷馬車からも、意識の無いミーナが、橋下の崖へと吸い込まれていく。

     目測で高さ四十メートルを優に超える崖下の滝壺に落ちれば、人間の身体は耐えられない。
     この高さで水中に落ちれば、石の上に時速何百キロもの速度で叩きつけられるのと同じだ。

     骨もろとも肉体は砕けるだろう。────ダメだ、そんなの、絶対に。少女は、巨人となった自らの手を伸ばす。共に奈落の底へ墜落していくソフィアとミーナへ。

     その巨体や荷馬車と共に、橋は完全に崩落する。
     重力の井戸の根底まで、それらは────雨のように降っていく。

  170. 284 : : 2019/10/14(月) 16:09:56

    ◇#08

     アニにとって、あの不意の一撃は予想外と言う他無かった。左肺と肩を散弾で抉り取られ、立体機動のバランスを崩した彼女は、かろうじて脳をやられる事だけは避けていた。
     脳と脊髄を損傷すれば、いよいよ治癒は不能になるからだ。
     そして、林の中の窪みに倒れ伏していた彼女は、頬に当たる水滴によってようやく目を覚ました。

     ここは何処だろうか。
     
     傷を癒し、重い体を起き上がらせる。やがて立ち上がった彼女は、土汚れを払いながら歩き始めた。

     頬に当たった水分の正体は雨だった。何気なくアニは空を見上げてみる。
     いつの間にか厚い雲が立ち込め、灰色と白が織り交じる光景が広がっていた。何かが泣いているように見えたのは、きっと気のせいなのだろう。

     そんなことを考え、坂のような林の窪みを抜ける。車輪によって土抉れができている道が見えた。
     その抉れた部分には既に雨水が溜まり、幾つもの波紋が雨とともに生まれている。

     アニはその車輪跡を立体機動で辿ることにした。
  171. 285 : : 2019/10/14(月) 16:25:25

     道中には幾つもの血の跡が見られた。身体が文字通り真っ二つに割かれた遺体もあり、首から下が無い遺体も見受けられた。

     ─────ノアが、一人でコレをやったというのか。アニはその事実に冷静になりながらも、素直に驚きは隠せなかった。
     
     ────その惨状をそのままにしておけば、何か騒ぎになった時に自分の足跡が着くと考えたアニは、遺体を崖下に葬る事にした。
     見つけられる限りの遺体は、全て少し歩いた先に見えた崖下の河へ放り投げる。一人ずつ、一人ずつ。

     既に腐敗が始まっていた遺体は、蠅や名を判りたくもない虫によって少しずつたかられていた。
     軽い嘔吐感に駆られながらも、それを必死に喉元まで押しとどめる。

     この者たちは結局、何者だったのか。

     死体が身につけていた小型の立体機動装置は自分達の使う装置に酷似してる様に彼女には見えた。────だが、そこから見受けられた技術は、やはり訓練で学んだものとは違う文字通り本当に初見のものばかりであった。
     
     これは、試作型か何かなのか。近くで見ても対人用に特化した造りである事はよく分かる。

     そもそもこの技術を活かせば、より装置を改良出来るのではないか。……いったい、何故訓練兵にも公にされていないのか。

     その事実は結局の所考えても分からない。
     自分の任務にも今の所何のメリットも無いと考えた彼女は、最後の女の死体を力いっぱいに放り投げる事にした。
  172. 286 : : 2019/10/16(水) 10:40:15


     そして、そこからは随分と長い距離を飛んだように彼女は思えた。
     多くの乱れた車輪跡は、そこで確かな死闘が起きていた事を意味していた。死体だけではなく、幾つもの大量の血飛沫までもが木々に飛び散っており、その実際の惨状は想像を超えるものだったのだろう。
     やがて彼女は、まるで金槌で何度も何度も潰されたようにひしゃげた立体機動装置本体や、道端に転がった鞘を目にする。


    アニ「………!!」


     それは陸路の四方八方に散らばり、林の中の樹林に吹き飛ばされたように突き刺さってる刀身もあった。不可解だと、アニは考える。
     普通に考えるなら、空中戦の最中で立体機動装置がこの様な形で外れるとは少し予想し難い。

     この様子は、さながら何か凄まじい(・・・・・・)衝撃が起きたかのようにもアニには見える。更にアニはその先に見えたものにより明瞭な驚きを覚えた。

     視線の先には、あからさまに崩壊した事が分かる吊り橋の姿があったのだ。

     支点となった端の部分は、幾つものワイヤーがその主を失った様に風に揺られている。

     雨は霧雨の様相を辿る。そして、耳鳴りのような不穏な風と共にアニの金髪を揺らす。
     やがて、彼女の目線は自然と霧が揺らめき始めている谷底へと移る。
     ─────まさか、戦闘の中でこの崖下に落ちたのか。
     その予感は吊り橋の残骸と、そこに引っ掛かっている車輪によってより明確なものへと変わっていく。

     そう余韻を持たせることも無く、迷うことも無いままに、アニは立体機動の左アンカーを反対側の崖目掛けて射出した。

     
  173. 287 : : 2019/10/16(水) 10:59:58

     霧は、ノア・ティファニーの目線を嗤う様にして、その身を揺らめかせていた。
     彼女は、自身が巨人のうなじから半身が飛び出るような形で意識を失っていた事に気が付く。

     左腕────有り体に言うなら左肘がやけに脈打つのを感じる。

     そうして呆けた瞳をゆっくりと左側に向けると、銃撃によって抉れる様に弾け飛んだ腕が生えていた。また、そこからまるで植物から「根」が生えるかのように巨人のうなじと繋がっていた。
     頬に当たる風と、巨人から微量に発せられている生暖かい蒸気の温度の差に余計に脳がクリアになっていく。

     目がハッキリと覚めた彼女は、巨人の肉塊から脱出する為に左肘から先に掛けての部分へ思い切り力を込める。


    ノア「─────……ッッフっ!!」


     込めた力と共に、深い息をひとつ同時に吐き飛ばす。それに応えるように、左肘の先端は巨人から解き放たれた。
     瞬間、強烈な熱を伴った蒸気がその切れ目から飛び出していく。「……ッ」とその水蒸気に思わず右手の甲で口を塞ぐ。

     かつて巨人だった肉は、そうして時間をかけながら、そこを起点にするかのように自ずと巨大な骸骨と化していく。

     左腕を庇う様に握るノアは、その景色をただ忽然と、呆然と眺める。
     自分がつい先程まで「それ(・・)を操っていた」という事実が、今ひとつ腑に落ちなかった。
     
     だが、確かに散弾によって無くなった左腕は、微生物か何かのように何事も無く生え揃っている。

     指から先、爪の先まで元通り。折れ曲がった足首や右手の指一つ一つまでもが完治している事が、何よりもその証拠だった。
  174. 288 : : 2019/10/17(木) 11:01:08
     

     やがて肉が溶けていくように骨も崩れていく巨人は、凄まじい蒸気熱を放ち、その気体や水分は霧と共に混ぜ合さっていく。

     巨人と融合していた部分は未だ酷く熱を持っている。滑り気と湿気を伴った肉片がこびりつき、それらは少しずつ蒸気となって気化していく。
     だが同時に、やはりと言うべきか。
     指の先へ走る神経の感覚は、融合部分の熱と反比例するかのように───確実に一本ずつ感覚が閉じていっているのがノアには理解出来た。

     来るべき終わりは、確実に迫っていることを示していた。

     その時だった。

     強烈な狭霧(さぎり)から飛び出す様に何かが降ってくる。やがて、それは地面に緩やかに音を立てて舞い降りた。


    ノア「……よぉ」


     ノアは、煙霧(えんむ)の中から少しずつ近づいてくるその影が何なのか。姿を現すまでもなくその正体を理解していた。
     

    ノア「……無事みてぇで、何よりだよ。アニ」
     

    アニ「……………」

  175. 289 : : 2019/10/17(木) 11:28:15

     アニは、自らの両手に握らせているグリップと刃が揺れている事に気が付いた。それが武者震いだということを理解するのに、そう時間は掛からない。

     これは、これは一体、何だ。

     頭の中の理解が追いつかない。
     アニは、目の前にいる同期の訓練兵の「正体」に凄まじいまでの困惑と動揺を覚えていた。脂汗は額から流れ落ち、背筋が凍りつく。
     そうして彼女は、カラカラに乾いた喉から、絞り出すようにして声を出す。


    アニ「─────これは、」


    アニ「いったい、どういう、こと?」


     自分でも想像以上に声が震えていることにアニはただただ(おのの)く事しか出来ない。ノアはそんなアニをただ「………」と虚ろに見つめる。

     そうして、ひとつ小さな息を漏らす。

     すると、力が抜けた様に彼女は、唐突に足のバランスを崩す。そのまま背中から倒れ込むように、すぐ脇にあった木にもたれ掛かった。

     彼女の息は荒く、どこか疲労困憊の状態のようにもアニには伺えた。おまけに、跡のように浮かび上がっている頬の模様は、赤黒く彼女の顔を縛っているようにも見えた。


    アニ「……………」


    ノア「……………」


     そのまま両者は無言のまま、ただ見つめ合う。アニは両目を見開かせ、頬を伝う汗を拭うことすらもしようとはしない。
     反対に、ノアはそんなアニを冷静にみつめている。そうして数秒程経ち、ノアの方から口を開いた。


    ノア「………まあ、時間はかかるかもしれんが」


    ノア「お前なら、無事だとは思ってたよ」


    ノア「────なぁ、」


    ノア「マーレの戦士(・・・・・・)さんよ」

  176. 290 : : 2019/10/17(木) 11:39:21

     アニの心拍数は、その一言を機に更に上昇する。心臓は早鐘の様に脈打ち、鼓膜に響いている。「………はっ、……っ────」

     右手のスナップブレードに荒い呼吸と共に更に力が入る。刃がカチカチ、と金属めいた小声を出す。

     息を飲み込み、ノアから少し離れた距離で暴力的なまでに蒸気を放っている巨大な骸へ目線を向ける。
     疑問はいくつも、いくつも生じている。
     だが、まず聞かなければならない事はきっとこれだろう。返答次第では……否、もう、今すぐにでも─────


    アニ「…………………アンタは、」


     アンタは、何者なの。

     そう、アニは喉を鳴らした。


    ノア「……………」


     ノアは静かに目を瞑る。そして、何を思うでもなく、灰色の雨空に顎を上げる。やがて「……そう、だな」と呟く様に声を漏らす。


    ノア「強いて言うなら─────」


    ノア「ただの……出来損ない(・・・・・)だよ、私は」


    アニ「………………出来、損ない?」

     
     言葉の意味を計り兼ねるアニは、ただ聞き返す事しか出来ない。すると、ノアは空へ向けていた視線をアニに戻した。
     

    ノア「……お前も、今死ぬ程疑問が湧いてて困ってるんだろうがな」


    ノア「────生憎、私ももうそんなに『時間』が無い」


    ノア「……だから、それの許す限りだったら、教えてやってもいいぞ」


     ノアは終始何かを悟っているかのように、アニに対してそう言った。
     アニは「どういう意味?」と訊ねる。「すぐにわかるさ」とノアは返した。
  177. 291 : : 2019/10/17(木) 11:54:45

    ノア「………私はな、アニ」


    ノア「もうさっきの『マーレの戦士』って言葉が出た時点で察しがついてるだろうが」


    ノア「この壁────『パラディ島』の人間じゃない」


    ノア「大陸側……残留エルディア人の、もっと言うならレベリオ収容区の生まれの人間だよ」


    アニ「……………」


     アニはようやく額を拭い、ただ黙ってノアの言葉に耳を傾ける。マーレの存在を知っている時点で、薄々そうであろう事は彼女の言う通り察しがついていた。

     だが問題はそこだけでは無い。「……それで?」とアニは静かに相槌を返す。


    ノア「────そうだな、まず何から話せばいいか……」


     そして、自嘲じみたようにノアは「……まぁ、私の正体、からだよな」と苦笑した。


    ノア「お前も知ってるよな、知性巨人がこの世には何体居るか」


    アニ「………当たり前でしょ」


    ノア「何体だと思う?」


     その問いに対し、少し呆れたかのような口調で「………九体」とアニは返した。「そう。その通りだ」とノアはどこか穏やかに見えなくもない声色でそう言う。


    ノア「大昔、『始祖ユミル』は自らの力を九つに分け、そこからそれに従う様に知性巨人は誕生した」


    ノア「『顎』『女型』『鎧』『超大型』『戦鎚』『獣』『車力』『進撃』……」


    ノア「……そして、その始まりにして原点が」


    アニ「──────『始祖』」


    ノア「……そうだ」

  178. 292 : : 2019/10/17(木) 12:03:28

    ノア「とりわけ、『始祖の巨人』は全ての始まりであり、まあある意味では最強といってもいいかもしれねぇ」


    ノア「進撃の能力は知らねぇからなんとも言えねぇけどな」


    アニ「………」


    ノア「……私の持つ巨人は恐らく」


    ノア「『始祖の巨人』だ」


    アニ「………!!」


     霧は深みを増していく。そうして、ノアの付近で蒸気を放ちながら気化していた巨大な骨は、とうとうその身を瓦解させた。
     肋骨や脊髄が細かく分離し始め、それらの一つ一つが地面へ落ち始める。

     それらが、地面に吸い込まれる度に、空気は重みをより増していく。
     質量を持った骨が地面に堕ちて砕ける事に、衝撃が走り、大地は小さく震える。

     ノアの身体も。アニの水分を纏った金髪も。

     ノアによって木にもたれながら意識を失っているミーナやソフィアの身体や髪も。

     ─────そうしてゆらゆらと揺れた。

  179. 293 : : 2019/10/17(木) 13:10:19

    アニ「─────始祖の、巨人」


     アニは、言葉の一文字一文字を噛み締めるようにその名前を呟く。それは、アニにとっては悲願にも等しいものだった。その力を得ることさえ出来れば、私は─────。

     だが、疑問が残る。最も、その疑問は根幹に関わると言ってもいい。さながら川魚の骨が咽喉に引っ掛かり、強烈な違和感を残すかのような感覚。
     そう。
     そもそもの話、ノアの出身がアニと同郷であるレベリオだという話が本当であるならば。

     何故選出された戦士でもない一般人である彼女が壁内にある筈の『始祖』を有しているか(・・・・・・・・・・・・・・・・・)という点だ。


    ノア「……最も。この力は……多分──お前ら戦士の欲しがる(・・・・・・・・・・)ものとは、全く違う偽物だろうけどな」
     

    アニ「……!?」


     内心でも見抜かれたかのようだった。彼女の疑問は、ノアのその答えによって明確になる。偽物? 本来の「王の力」ではないと?
     だが、その答えは上手くない。
     よりアニの疑問は深まる。理解が追いつかないのだ。
     あの巨大な骨を操ったのであろう彼女の力は、自分の知る「巨人の力」のそれとは、その本質すらも違うようにアニには思えた。

     ノアは、余程自分が動揺している事を見抜いているのだろうか。
     先程からノアはひどく落ち着き払ってこちらを観察しているのに対し、考えがまとまらず、目を見開かせ続けるアニとは対照的だった。

     そうしてノアはさっきも言ったろ、と厳かに口を動かす。


    ノア「私は、ただの『出来損ない』なんだよ」

  180. 294 : : 2019/10/17(木) 13:22:43

     その言葉の意味を語るように、ノアはそのまま続ける。その目には光は宿らず、藍色の瞳には灰色の影が差す。
     

    ノア「─────お前も知ってるとは思うが」


    ノア「レベリオ収容区では『九つの巨人』の力を軍事転用させる為の『マーレの戦士』が募集されていた」


    「……多分、お前もその一人なんだろ、アニ」とノアは金髪の彼女を見据えることもせず、力無く呟く。アニはその問いには答えず、ただ降りしきる雨に打たれながら、瞳を瞑る。

     その無言を肯定と受け取ったノアは、自分にも、アニにも確認をするかのように話を続ける。

    「その戦士ってのになれれば、エルディア人はマーレに住みながら『名誉マーレ人』としての扱いを受けれる。そういうやつだったよな」と。


    ノア「……だが、その裏で」


     そこで、声色はより一層落ち始める。


    ノア「マーレの中の、本当にごく一部の奴らによって────あるひとつの『極秘計画』が同時に進められていた」

     アニは「……計画?」と反応を示す。


    ノア「………………」


    ノア「『始祖の巨人』────量産化計画だ」


  181. 295 : : 2019/10/19(土) 19:58:36

     量産化計画。聞き覚えの無い、そんな単語が耳にこだましていく。「………なに、それ」とアニは目を見開きながら静かにそんな言葉を零す。
     そんなのは不可能だ。
     言葉よりも先にそんな思考が、彼女の脳裏の先頭へ、真っ先に立つ。考えるよりも先に、断定する。

     
    アニ「─────何を、言ってんの?」


    ノア「……………」


     ノアは無言のまま、アニへ視線を移す。そしてアニの表情を見つめると「……その様子だと、どうやら何も知らされてなかったんだな」と言った。


    ノア「まあ、私もある『手帳』を読んでその事実を知った口だ。軍の中の本当にトップシークレットに等しかったのかもな」


    ノア「……お前も知っての通り、巨人──特に知性巨人──は……本来九体(・・)しか存在し得ないものだ」


    ノア「でもな」


     ノアは諦観したように、何かを(あざけ)る様にして語り始める。


    ノア「────マーレの中のごく一部の人間は、それを人為的に創ろうとした」


    アニ「………人為、的」


    ノア「そう。人の手をもって、人の力で、巨人を支配しようとした」


    ノア「それに一枚噛んでたのは……軍の上層部と、巨人化学を専攻とする一部のマッドサイエンティスト共だったんだよ」

  182. 296 : : 2019/10/19(土) 20:09:52


    ノア「巨人の力ってのはお前も知っての通り、人為的にどうこうできるもんじゃないし、人の手で生まれたもんじゃない」


    ノア「分かっていることは、巨人化能力者の骨髄液を受け継ぐことにより……その能力を引き継ぐことができるという点」


    ノア「だが、巨人学会のとち狂った一部の人間はな、それを使って無垢の巨人にする予定の子ども(・・・・・・・・)に対して、…………幾つも、」


     ノアはそこで言葉を詰まらせる。右腕を左手で掴み、何かを抑える様な仕草を見せた。
     

    ノア「……幾つも、人体実験を行ったんだ」


     アニは、信じられないと言わんばかりの形相でノアを見つめる。降り続ける雨はその勢いを増す。
     ノアがもたれる巨木の葉は雨水を弾かせ、アニの金髪へ落ちていく。


    ノア「……巨人化の為の骨髄液の注入以前、私は頭が壊れる程、身体中の穴という穴から水分が吹き出るくらい実験をされた」


    ノア「何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も、

     ─────身体が拒絶反応を起こしてもなお、それでもなお、」


    ノア「幾つもの注射をされ続けた」
  183. 297 : : 2019/10/19(土) 20:33:38

     アニは、ただ、ただただ言葉を失う。
     あまりにも残酷過ぎるノアのその事実に、世界が根元からぐらりと揺れつき、脳髄までもが反転した様な感覚が彼女を襲う。
     空気は温度を失い、肩に浸たる雨水が体温を奪っていくよう。

     二十九人、とノアは静かに呟く。
     アニは草花と河原の石に向けていた視線をあげて反応を見せる。


    ノア「私と、弟。そして、それ以外に巨人にされた子どもたちの数だ」


    アニ「…………………」


    ノア「───マーレではその実験が行われる同じ時期に、幾つものエルディア人の誘拐事件が起きていたらしい」


    ノア「ある一家は家ごと燃やされ、ある一家は突然失踪したかのように姿形が無くなった」


     そして私の家族も、と少女は虚無に堕ちている視線を殺しながら続ける。


    ノア「─────私の父親は、マーレの軍服を着た男共に嬲り殺された」


     抵抗などできなかった、と彼女は呟く。ノアの父親は強烈な蹴りを腹部に食らった後にリンチされた。今でも覚えている、忘れるはずがない、と少女は言った。

     リンチされ続けた挙句、ズタボロの雑巾のようになって家の外へ引きずられていく彼が絶命している事は、あの時の少女にもすぐに理解ができたという。
     首の骨はありえない方向に折れ曲がり、顔面は人のそれを模してはいなかったのだ。


    ノア「……おまけに」


    ノア「私の母親は、『女が欲しければ悪魔から奪え』とほざくデブの命令によって、父親を殺した男達とそれ以外の男に犯された」


    ノア「私と、弟の目の前で。何度も、なんども、何度も。泣き叫んでも、やめてと懇願しても奴らは腰を動かし続けた」


    ノア「そうして、殺された」


    ノア「そして私と同じように人体実験をされた弟も、そんな目に遭ってもなお、私を助けようとした弟は巨人にされた。また、目の前で」


    アニ「───────────」


     アニは、目を限界まで開かせてその話に耳を傾けていた。返す言葉など無かった。返せるはずもなく、何も言えようはずもなかった。

     目の前の少女は、同情などできる隙も無いほどに、悲劇という二文字の人生を辿っているようにアニには思えた。

     そこには、圧倒的な絶望だけが色を無くして彼女に覆い被さっていた。

     両親を目の前で殺され、犯され、そして自身も人間にすることでは無い実験を何度も経験させられ、おまけに弟も同じ目に遭いながらも────最期に自らを庇ったというのか。

     アニはただ、言葉を無くし、彼女の言葉に絶望する事しかできなかった。

     

     
  184. 298 : : 2019/11/16(土) 18:58:49

     信じられないのも無理ない事だろうな、とノアはそんなアニの様子を見つめながら思う。
     アニの言葉をなくしたような表情を虚ろな目で見つめるノアは、そのまま静かに言葉を発する。


    ノア「……そうして私も、最後の実験体として」


    ノア「巨人化薬を打ち込まれ────巨人化した」


    ノア「私は、巨人になった直後の記憶は巨人化が解けてから何故か思い出せなかった。でも」


    ノア「その時にな────『何か』を通じてきたかのように頭ん中に声が聴こえたんだ」


    ノア「お前は力を手に入れた、って」


    ノア「でも同時に、私はその時に巨人化直後の記憶も思い出した。この巨人の本質について(・・・・・・)も、理解した」

     
     きっとあの時は、無我夢中だったのかもしれないと彼女は続ける。
     それはまるで、巨大な身体になった自分を第三者の視点から俯瞰的に見ているような感覚だったんだとか。

     残像が走る様な記憶の映像に浮かんだのはこんな景色だった。
     
     母親を犯した者達は一人一人、恐怖の金切り声をあげながらも骨と筋肉ごと主観的な自分の掌で叩き潰されていた。また、叩き潰すだけでは飽き足らず、その身体を引っ張り、四肢分断された後に粉々にされた肉塊も在った。

     父親を嬲り殺した男達はその身体をまとめて掴みあげた後に握力で潰し、足から綺麗に細切れにした上で自らの口の中で喰らい尽くしていた。

     目が覚めた時、────周りには誰も居なかった。

     砂丘より数十メートル程高い展望台の真下に彼女は居て、気がついた時には強烈な蒸気の中、巨人のうなじの上に跨っていた。
     その時、文字通り辺りには誰も居なかった。
     在ったのは砂丘の上に飛び散った破片や内蔵、そして血溜まりだけ。

     その時に、彼女は頭の中の『声』に導かれる様にして理解した。
     否、理解したという言い方はこの場合正確ではない。アレは悟ったと言うべきだろうな、とノアはアニへその話をしながら考える。
     あの主観的な殺陣の光景は、決して夢幻でも何でもなく、『自分が憎しみのままにやった事』なのだという事実を彼女へ突きつけたのだ。

     誰かのせいにする事は出来ず、許されることもない。
     自分が殺して、自分が奪った。
     それは事実でもあり、また真実でもあった。誰にも変えることの出来ないものだった。



  185. 299 : : 2019/11/17(日) 18:03:44
     
     そうしてそんな中、「……あんたの」と金髪の少女は口を開く。
     アニの脳内は、既に限界を超えた情報量と困惑によって満ち溢れている。少しでも早く、より早く事の真相を知りたいという欲求ばかりが少女の中には在った。知らなければならないという、義務感すらも伴いながら。


    アニ「その巨人の力の本質は、何なの」


    ノア「……………」


     頬と額を滴る汗を拭い、ノアは視線を下へ向けたまま思い悩むような仕草を見せる。アニはどうも躊躇うようなノアのその様子に、もどかしさを感じると共にその先にある『真実』というものの重みを感じざるを得なかった。
     だが、それでもその真実から目を背けてはならないのだろうと彼女は思う。
     首を横に振ってそれを拒むという選択肢など、アニには既に無かった。覚悟を示す様、再びノアの双眸を真っ直ぐに眺める。
     
     それを見たノアもまた、そうしてやがて意を決したように小さく息を漏らす。


    ノア「────私は」


    ノア「その『始祖の巨人』量産化計画実験で犠牲になった、二十九人の中の唯一の生き残りであり」


    ノア「実験成功者だ」


    ノア「どうして私が成功したのかは分からない」


    ノア「だが、私の能力自体はほぼそのまま『始祖の巨人』そのものだと言ってもいい」


     アニの中にそうしてまたひとつの疑問が泡沫の様に生じる。「なんでそれが断言できるの?」と訊く。
    「それが真実だからだ」とやはりアニにとって理解し難い答えをノアは返す。


    ノア「有り体に言えば、お前は自分自身がどうやって身体を動かしているのか自分で説明できるか? 私には無理だ」


    ノア「言っちまえばそれと同じだ。最初っからそういう事実があった(・・・・・・・・・・・・・)としか説明しようがねぇんだよ」
  186. 300 : : 2019/11/17(日) 18:22:59


    ノア「あるいはこうとも言えるかもしれねぇ」


    ノア「さっき、頭ん中に声が聴こえたつったろ。そん時に、何か(・・)が私の中に流れてきたんだ。記憶とか、力の使い方とか、それの有り様とか、そういったイメージに近い全てのものが」


    ノア「それによれば、私はどうやらもう死ぬ運命らしい」


    アニ「は?」


     余りにも自然に告げられた一言に、アニは思わず耳を疑わずにはいられなかった。
     死ぬ、と彼女は言った。だがそれはありえないのだ。そんなはずがない。
     九つの巨人の力は「ユミルの呪い」と呼ばれるものによって十三年で死に至る事をアニは理解していた。だからこそ、その時点で矛盾するのでは無いかと考える。


    アニ「……それは、何年前の話なの?」


    ノア「良くはわからん。ただ少なくとも、十三年も経っちゃいないのは確実だ」


    アニ「なら何でアンタは死ぬの? そもそもアンタは、巨人になった人間が十三年で死ぬって事を────」


    ノア「まぁ落ち着けよ。私だってユミルの呪いって奴で、巨人化能力者がどんな末路を辿るのか位は流れてきたもの(・・・・・・・)で理解してる」


    ノア「ただどうも、私のは例外らしい」


    ノア「……メリットの分、それなりに代償を背負うって事らしい」


    アニ「……何の代償? 普通の巨人化能力者より早く死ぬってのが代償なの?」


     まああながち間違いでもない、とノアは嘲る様にして皮肉な笑みを浮かべる。
    「正確に言うと、この力にはいくつか今言ったように利点もある」とノアは続ける。
     不意に、肩から何か淡い蒸気が出始めている事にアニは気が付く。
     ノアはそれに小さく舌打ちしながらも、落ち着いた声色を保ったまま説明する。

     まず一つが、始祖の巨人の力をそっくりそのまま使いこなす事が出来ること。ただし、どれ程の効果を模倣出来ているかは、ノア本人にはその点のみ理解出来ないというデメリットも伴うのだという。
     二つ目が、「練度」を問うことなく直ぐに自らの手足そのものの様に「巨人」そのものとして活動出来るという点。

     どちらもアニにとっては聞いたことも無い条件だった。始祖の巨人は王家にしか使えず、また、巨人の力そのものは幾度もの修練によって練度を伴い、次第に使いこなせる様になるものだからだ。

     だが、そのメリットを一瞬にして食い潰す程のデメリットもまた、存在していた。それが───


    アニ「…………肉体が、蒸発する?」


    ノア「─────あぁ、そういう事だ」
  187. 301 : : 2019/11/27(水) 11:17:28

    ノア「私の肉体は、さながら今さっき向こうで崩れた骨屑の様になるんだとさ」


     まるで誰かに伝聞したかのように、ノアは朽ちていった巨人の亡骸跡を見ながら(うそぶ)く。「もっと繊細に言うなら、細胞分裂ってのがあるだろ。アレが常人の何万倍、普通の巨人化能力者の百倍らしい」
     アニは、余りにも平然としているノアのその口調に、ともすると自分の方が不自然な存在なのではないかと錯覚しそうになる。

     だがそれは違う。

     この世界は端から狂っている。
     そして、人間も全員何処かしら狂っているものだとアニは定義している。
     だがノアは、その中でも頭一つ飛び抜けている。その佇まいは、狂った歯車に踊らされるがまま、あるいはそれを受け入れているようにすらアニには感じられた。

     そして気が付けば、アニは「怖くないの?」と、余りにも自然に口から零していた。


    ノア「さぁな」


     そうして彼女は自身の頭を木にもたれさせながら、ぶっきらぼうにそう言い放つ。
     そして、一つ小さな沈黙の後に「……分からなくなったんだろうな、いつからか」と彼女は続けた。


    アニ「………」


     無理もないのだろうと、アニは思う。
     自分が逆の立場なら、とふと心を寄せる。そうしてその異常さに、一瞬の間にそれを拒絶した。単純に、考えたくもなかった。
  188. 302 : : 2019/11/27(水) 11:33:59

     アニは、そんなノアを見て問う。それは純粋な疑問でしかない。
     懐疑的な思惑から生まれたものでも、義務感から問い質さなければならないと思ったものでは無い、ただ一つの純度の伴った疑問そのものだ。


    アニ「………何で、アンタは使ったら死ぬと分かってて」


    アニ「その力を、使う事を選んだの?」


    ノア「………………」


     ノアは彼女の疑問にはすぐに答えられなかった。代わりに脳裏に浮かんでいたのは、巨人化する直前に見た景色だった。
     それは酷く見窄(みずぼ)らしい格好をした幼い少女が、自分へ手を差し伸べてくれた光景。
     或いは、ミーナとソフィアが自分へ手を伸ばしてくれて、手を握り締めてくれた情景。
     それらのひとつひとつは、彼女の心象風景そののものだった。そして、それらは全てあの雨の日へと最終的に帰結していくのだろう。
     
      身を切る様な冷たさを付き従わせたそれによって、次第に心までもが死んでいったあの日。

     心の底から死のうと絶望していた、今の景色と同じようなこの灰色の空の下で────全てが救われた、あの日へと。
  189. 303 : : 2019/11/27(水) 12:13:41


    ◇#09


     その日も、酷い雨が降っていた。

     それは決して身綺麗なものでは無く、側溝から漏れ出た吐瀉物の臭いやゴミ溜めから漂う醜穢(しゅうわい)さだけがまとわりついてくるような降雨だった。
     
     調査兵団の荷馬車に紛れ、壁内へと侵入したその日から、ノアは途方も無く長い放浪の旅を続けていた。
     シガンシナ区から流れ、クインタ区へと流れてきた少女には行き場というものが微塵たりとも存在し得なかった。
     身寄りも無く、自身の力となる様な(つて)すらも持ち合わせていなかった非力な少女にとって、壁内の世界は余りにも過酷過ぎたのだ。

     故に彼女にとって、毎日が常に死と隣り合わせに等しい。

     クインタ区は駐屯兵の哨戒と巡回が侵入したシガンシナ区に比べ、比較的行われていた傾向ではあった。
     だが壁が破壊されるより以前の壁内情勢における安全意識の中では、その殆どが建前上のものでしかなかった。
     
     その為、駐屯兵から見放され、スラム街と化した街の一角も存在していたのである。ノアはクインタ区に潜り込んでからしばらくの間は、そこで身を潜ませることしかできなかった。
  190. 304 : : 2019/11/28(木) 21:30:54

     その数日、ノアにとって気が滅入るほどには雨は続いていた。湿気は肌にまとわりつき、裸足の感覚が水の冷たさで消えつつある。
     マイスター・キャリッジ通りと呼ばれるメインストレートの末端。数多くの荷馬車や喧騒に溢れる街中の本通り────その路面に通ずる裏路地のゴミ箱隣で、彼女は三角座りをしてへたれ切っていた。

     食べ物を得る為に、十三歳になった少女は盗みを働いた。何度も、何度も、何度も。
     今日も、また一つ盗みを重ねた。店売りをしていた小太りな大男のパン屋から、乾いたパンと、幾つかの果実を盗んだのだ。

    「………はぁ、はァ」とノアは息を荒げる。

     当然、随分と長い事彼女は追い掛けられた。そうしてようやく少女は追っ手の目を撒き、このゴミ箱横に潜む事が出来たのだ。


    ノア「……………」


     どうして私はこんな事をしているのだろうと、少女は思う。何でしたくもない盗みを働き、身体を売って汚い男共から金をせびらなければならないのだろうと。
     だがそれを悩む時間も少女には無かった。
     ノアの目の前には駐屯兵が貼り付けたのであろう指名手配書が在ったからだ。
     やがて、すぐ間際の表通りからは駐屯兵の怒号が耳に入ってくる。


    「居たか?」「いや、見ていない。クソ、そんな遠くには行けない筈だ。探せ!!」


     畜生、と落ち着く所を知らない心臓に滑車をかける。そのまま、息を吐きながらパンを齧る。パサパサに乾いた食感には、絶望的なほど味覚が無い。ただいたずらに口腔内の水分が奪われていくだけだ。
     母親の顔を一瞬、思い浮かべる。自分の大好きな焼きたてのパンを作ってくれていた、優しい母親の横顔が残像にして走る。


    ノア「………………」

  191. 305 : : 2019/11/29(金) 00:03:33

     そうして、乾ききった固いパンを無理矢理飲み込み、林檎を芯まで食べ終える。むせそうになるのをなんとか堪える。ここで見つかる訳にはいかない。
     次第に通りからの騒々しさは大きくなってきている。
     もう、そう長くはここに居られないだろう。凍える身体。震える肩に鞭を打つようにして路地口の方へ視線を向ける。

    「……行かなきゃ、ダメだな」

     そこからはまた、随分と走った様に彼女は思う。
     一度は駐屯兵の目に入った。だが、ゴミに塗れている路地まで追いかけて来た彼らの視線を切るのは、やはり容易なことだった。
     鼻が曲がる程の腐臭が入り混じり、立ち込めているココに長く居たくない。それが少女にとって本音だった。

     だが、どこに逃げればいい? どこへ行けばいいのだろう。

     夜が来る度、道端で座り込んだ。その度に男達に何度も声を掛けられた。
     その後の事はよく覚えてはいない。思い出したくもない。
     丸々と太った奴や肌が擦れる度に痛みが走る様な筋肉質の奴に、身体中を舐め回された。さながら玩具の様に。
     ナメクジのような、反吐が出る程気持ちが悪いそれらに抱かれ続けた。
     そして、それらが終わる頃にはまるで自分が生ゴミか何かのようになった気になる。
     次の朝には、その生き物達が置いていった有り金を握り締め、逃げるように街を駆ける。それを幾度も繰り返した。それはもう、飽きる程に。
  192. 306 : : 2019/11/29(金) 00:18:47

     結局の所、行く場所などどこにも無かった。
     落ち着いて眠れた事など殆ど無く、満足に食事を摂る事も、水浴びが出来ることも無かった。

     だが。抱かれた時だけは───皮肉な話、温もりを感じる事が出来た。
     自身の身体にしか興味を持たれていないとしても、それでもその温もりは、優しく抱きしめてくれたあの父親を思い出させてくれたのだ。

     長い雨のせいで、身体中がすっかりと冷え切っている。
     指名手配されているクインタ区から荷馬車を使って逃げ延び、やがて彼女はトロスト区に辿り着いた。
     ペタ、ペタ、と雨が溜まりに溜まった石畳を歩む。傷だらけになった身体からはすっかりと人らしい温度というものは損失していた。


    ノア「…………………」


     誰も、助けてはくれなかった。

     見当違いなのかもしれない。だが、それでも自分のような誰かを助けてくれる人も、もしかしたらいるのではないかと期待していたのだ。どこかに、そんな心があった。
     否定は出来なかった。
     願っていたのだ、ただ、それだけを。
     しかし現実はそうはならなかった。クインタ区でも、トロスト区でも。
     誰もが少女を見ては忌み嫌う様に傘を差したまま、薄汚れた自分を避けていくだけだった。
     あるいは、下卑た目をしたナメクジ達が下心で近づいてくるかの違いだった。

     あぁ、結局同じなんだ、とノアは考えた。

     壁の中も、外も、結局の所、同じだった。どんな環境でも、どんな世界でも、人は人だった。

     どこまで行っても、どこまで広がろうとも、世界は少女にとって残酷なだけだった。
     いや、違うか。ふと、そんなことを思う。
     これは、代償なのかもしれない。自分の都合で命を殺めた事に対しての、いわば等価交換。だとするならば、これは必然なのかもしれない。

  193. 307 : : 2019/11/29(金) 01:21:40

     やがて、力尽きた。
     無理もない。ここの所、殆ど毎日歩いてばかりだった。おまけに、まともに眠る事すら出来ていないのだ。
     そうして少女は、広場の噴水前にもたれ掛かる。
     もう、動けそうにない。足の裏の皮が腫れ、血豆になっているようだ。そして何より、足全体が酷く痛く、どうしようもないほどに重かった。
     これがこのままであるならば、ある意味どんなに良かったのだろう。
     このままでい続けられたなら、きっともっと早い段階から楽に野垂れ死ぬ事だって出来たのにと、少女は虚ろな目で自らの足を眺める。

     少女の意志を問わず、その痛みはやがて巨人の力のせいか、治まってしまう。
     すると否応無しに、少し休みさえすれば少女は歩けるようになっていた。それが余計に良くなかった。
     そうなると否が応でも、身体が歩く事を求める。それの繰り返しだった。あの巨人化した日から今日に至るまで、ずっと。

     死のうにも、死ねなかった。
     心はとっくに死んでいたというのに、身体の生理的なものは生を求めずにはいられない。

     それも、ようやく終わりを告げるのだろう。そんな生に意味など無く、理由すらも無い。
     心の中に、絶望という名の雨水が次第に浸水してくる。少しずつ、それは明瞭な死そのものを連れてくる。
     

    ノア「─────────」


     これでやっと、家族の元へ逝ける。やっと、帰れる。
     そうして何気なく、少女は顔を上げる。視界に映るのは灰色に淀み、煤けた空の色。そして汚れた頬に当たっては次々と堕ちてくる雨粒だ。
     次第に強くなっていく雨は輪郭すらもぼやけさせ、鼓膜に伝わる音波すらも曖昧にしていく。

     そんな時。ふと、何処かの一軒の家から、楽しげな声が耳に届いた。

     その小さな漏れ出る声は、過ぎ去った記憶を甦らせる。弟と一緒に家の中でお菓子を巡って喧嘩した時のそれが、ふと思い浮かぶ。

     傷だらけのノアは追憶の中で、玄関のドアに手を掛ける。そこには眠る為のベットも、暖を取る為の暖炉も、食事を摂る為の台所に、料理までもが在った。
     優しい父親と、よく心配性な母親。
     やんちゃで、臆病な癖に、本当は家族想いな弟。
     ────私の、世界でたったひとつの家族。
     ノアは何度も、何度も、何度も、それを求めた。失ったあの日から、何度も記憶を反復させた。

     だが、もう二度とそれは還らない。
     愛おしい記憶、洗濯して日向に当てたばかりのシーツのような温いそれは────血塗れで、泥に塗れて、冷たく汚れたものへと変わってしまった。

     どうして、私ばかりがこんな目に遭うのだろう。

     ノアは、怨恨や憎悪だけではどうしようもならない絶望に身を溺れさせながら、またもそんな事を思う。
     そうして、そこであるひとつの真実に気が付く。確信する。

     そうだ。私はもう、何も選べない人間なのだと。何も選べず、選ぶ事を放棄したのだ。
     この残酷な世界で、抗う事を放棄したのだ。

     つまり、当たり前の話なのだ。

     私は────結局の所、どこまでいっても不自由なのだ。

     
  194. 308 : : 2019/11/29(金) 18:03:26

     そう。私は、命を奪った。
     どういう形であれ、殺した。殺めた。その尊厳を、その先の未来をも。そんな事をふと思い、ノアは自分の両の手を眺める。
     マーレにまだ居たならば、エルディア人がマーレ人に手を掛けた時点で極刑ものだった。
     もうその時点で、この世界には居場所は無かった。いや、もっと言えばそれよりももっと早い段階において自分は居場所など失くしていた。
     この世界において唯一無二の拠り所だった家族を失くした、あの時点で。

     その結果、ノアは感情に支配された。
     何故そんな目に遭わなければならない、と。
     何故、ここまで奪われなければならなかったのだろう、と。
     始祖の巨人量産化計画? ふざけるな。そんなものの為に、二十七人の命と、私の弟の命と、私の家族を奪った奴らを『殺してやりたい』と願った。その選択をした結果があの血の砂丘だ。

     理不尽に怒るのは人の運命であり。

     残酷な現実に抗う事こそが、『生きる』事そのものだと、その時点で半ばノアは理解していた。幼心に、もうそれを理解していた。

     だが、その為に多くの人間を殺められ、殺めた。一時停止をして、思い悩む事は出来なかったのか。雨に打たれながら、少女はそんな事を灰色の空に聞く。
     答えなど無い。否、答えは出ていた。

     結論から言えばそれは『NO』一択だった。

     殺さないで活かす事が出来たのかと言われれば、それは不可能に近かった。
     実験が成功した時点で、奴らにはそこから更に軍事転用され死ぬまで戦わされ続けていたか、死ぬまでサンプルとして利用され続けていたかのどちらかだっただろう。

     そんなことは火に油を注ぐよりも明確に予想が着いた。

     だから、殺すしかなかった。
     主体的に、自ら考えて選択をする余裕など端から無かった。たとえその結果、こんな自分の望まない未来になったとしても。

     どういう形で選択をしたとしても、彼女にとって望む未来など訪れなかった。決して、訪れる事など無かった。

     殺してやりたい、という憎悪に支配されようがされまいが、どちらにせよ幸福など無かったのだ。
     なら一体誰が私を責められるのだ、とノアは問う。殺してこようとする人間から身を守るには殺すしか無かった。

     そうするしか、なかったのだから。

     
  195. 309 : : 2019/11/29(金) 18:09:34

     だからこそ、ノアは不自由だった。
     
     どこまで行っても、人の命を奪った時点でもう帰る場所などは無いのならば。
     ─────自分でその先の未来を選ぶ力など、もう彼女にはなかった。どうせ、死ぬまで不自由ならばと彼女は思う。
     どうせこのまま死ぬのならば、最期くらいは自分で死なせて欲しい。自分で死ぬ場所くらい選ばせて欲しい。その後、例え地獄で永遠に苦しむ事になったとしても───それを贖わなければならなくなったとしても。

     断言出来る。今より辛い地獄なんて無いと。

     それだけは自由だ。自由のはずだ。
     誰が何を言おうと、それは自分の自由意志で決めたものだ。
     誰にも文句など言わせない。そんな事をノアは歯軋りを重ね、盗んでいたナイフの柄に手を掛ける。これでやっと、こんなクソッタレな世界からさよならできる。これで、あの家に、帰れる─────


    「ねぇ、大丈夫?」


     そう、思っていた時だった。
     ノアは右手にナイフを握り締め、持ち上げようとしていたその瞬間。誰かに声を掛けられた。


  196. 310 : : 2019/11/29(金) 19:04:07

     右手にナイフを握り締めたまま、ノアは顔を上げる。そこには、二人の少女が居た。一人は黒髪の少女。髪を二つに分け、肩に掛ける形の前お下げにしている。
     もう一人は薄緑の髪色をした少女。短いウェーブがかかり、首に掛かるか掛からないか程の長さをした幼い風貌。
     黒髪の少女は左手でへたり込むノアに傘を差し出してきており、薄緑の少女はパンと水を抱えている。


    ノア「──────なんだ、お前ら」


     ノアは殺意を持ってそんな二人を睨む。薄緑の少女はその目線に肩を震わせ、黒髪の少女の背中へ隠れる。だが黒髪の方はノアのその姿勢に怯むことは無い。「……怪我、してる」
     そう言うと、薄緑の少女へ「ごめん。傘、持ってて」と藍色の傘を手渡す。


    ノア「……は?」


     黒髪の少女は迷う事など無いかのように長スカートのポケットから包帯とガーゼを取り出す。
     少女がやろうとしていることに察しがついたノアは、ガーゼを額に貼ろうとしてきた手を跳ね除ける。少女は「ッ」と目を瞑って驚き、その指に在ったガーゼは石畳へ落ちていく。


    ノア「………何が目的なんだテメェら」


    ノア「同情のつもりか?」


     ふざけるな、とノアはその少女の両眼を強く睨む。「誰もお前の助けなんていらない」


    ノア「消えろ。殺すぞ」


    「……………」


     雨は変わらない勢いのまま振り続ける。それは本意だった。事実、右手に握られていたナイフの握力は強くなっていた。もうこれ以上、誰かに情けを貰うのは御免だ。そんな事を強くノアは思う。死なせてくれ。頼むから、と。

     だが、怯えきった背中の少女とは相反して、黒髪の少女はそれでも目を逸らさない。真っ直ぐにノアを見つめてくる。そこには何かの決心すらも感じさせる。「…………」


    ノア「──────」


     そんな少女の態度に殺意が込み上げてきたノアは、歯軋りを重ね、ナイフを向ける。「────殺すっつってんだッッ!! 近寄るな!!」と。

  197. 311 : : 2019/11/29(金) 19:13:29

     薄緑の少女は「ッ……!」と怯え、後退りをする。黒髪の少女に乗せている左手を強く震わせている。だが刃を向けられても尚、黒髪は眉を動かして肩を反射的に動かすだけだ。
     何だ、こいつは。ノアは右手のナイフを少女へ向けたまま疑問で脳を満たす。
     何で逃げない。逃げる事だって出来るはずだ。人間はいつだってそうだ。圧倒的な力を見せればみっともなく逃げ出す。大切なのは自分。だから誰もが自分を見て見ぬ振りをしていた。

     なのに、なぜ?
     
     なんで、逃げないんだ。

     すると黒髪の少女は目を細め、「……死にたいの?」と一言、質問をしてくる。

     
    ノア「そうだ。私は今日、ここで死ぬ」


    ノア「お前らに助けを求める言われは無いし、そんなものクソ喰らえだ」


    ノア「…………もう一度言う。今度は本当に殺す。消えろ」


     声に低音を響かせ、本気で脅しをかける。
     今まで、あのナメクジ達が私の服を破いてそう迫った様に。本気で感じた恐怖そのものを同じ様にこの無垢な瞳をした子どもに。
     だが、次の瞬間。
     その脅しは予想を超える形でノアへ返る。
     
     少女は、そんなノアの右手を両手で握ったのだ。

  198. 312 : : 2019/11/29(金) 19:26:47

    「! ミーナ!?」と薄緑の少女は黒髪の少女の名前であろうそれを呼ぶ。
     ミーナ、と名前を呼ばれた少女は目を細め、悲しげに眉を潜ませると「────震えてる」とただ一言、そう言う。


    ノア「………………!!」


    ミーナ「まるで、子犬みたい。誰かに助けを求めてるのに、誰も助けてくれなくて、ひとりぼっちでずっと泣いてる子みたい」


    ミーナ「────今日みたいな雨の中で、たったひとりで、死んじゃったあの子みたい」


     そう言って、黒髪の彼女は涙を零していた。涙を流し、ノアの手を握る両手をひどく震わせている。


    ノア「───────なん、で」


     ただひとつ、それを呟く。ノアはまるで毒気が抜かれたように、ナイフを落とす。甲高い落下音が地面から響く。「どうして、お前がそんな、泣いてるんだ」と、訊く。


    ミーナ「だってわかるもの」


    ミーナ「あなたが、ずっと泣いてたんだってこと」


    ミーナ「もう、泣かないで」


    ミーナ「私は、あなたの味方だから」


     その言葉を掛けられた瞬間だった。
     ノアの何かが、決壊した。

     そうして決壊した何かが、頬を伝う。何だ、これは。なんで、私は、どうして。そんな事を思うのに、それは止まらない。目頭がどうにもならない程熱く、反比例する様に水分が溢れてくる。
     そして、号哭する。
     慟哭は止まらず、ミーナと名前を呼ばれた少女の両手を強く握りしめて叫び続ける。きっとそれは、一生分の涙だと、ノアはそんな事を思う。
  199. 313 : : 2019/11/29(金) 19:47:57

     肩を震わせ、膝を突いて泣き叫ぶノアの両手を離す。そうしてミーナはノアと共に膝を突いて彼女を強く抱き締める。「───大丈夫、もう、大丈夫だからね」と。
     ミーナは膝頭が雨水でずぶ濡れになろうと、降雨を被ろうと、それでもなおノアを抱き締め続けた。

     長い時間、何度も、何度も、大丈夫だよと伝えながら。

     薄緑の少女はそんな様子へ驚きを覚えつつも、やがて二人に慈しみを伴った優しげな表情を向ける。そうしてそんな二人を雨から傘で守りながら見守り続けた。

     やがて雨が止む頃、少女は涙を流したままミーナの肩の上で力尽きた。
     何かの安堵感に襲われたかのように、とてもその表情は穏やかだった。

    「眠ってるね」とそんな顔色を見て、ノアの右肩を背負うソフィア・ルージュは頬を綻ばせる。
     そして、彼女の脇と左肩を支えながらミーナ・カロライナもまた「そうだね」と微笑んだ。

     雨が上がり、空から光明が差す。傘の中、寄り添いあった三人は、零れ落ちた涙を拭うようにして前に進む。

     晴れ上がった空は灰色の雲を割り、全てを光へと還す青だけがその隙間から覗かせていた。

     それは844年。長い雨季が終わり、穏やかな春の日もまた、終わろうとしていた時期に起きた出来事だった。
  200. 314 : : 2019/11/29(金) 20:25:35



     それはつかの間の追憶の中、欠片として消えていった記憶の断片のひとつであり、彼女という人間が彼女である為に必要不可欠な情景そのものだった。
     そして、一瞬の間にそれは脳裏を巡り、海馬を突き抜けていく。
     やがてノアはアニの問いに対し、ひとつの答えを示す。隣の木の株にもたれ掛かり、揃って気を失っているミーナとソフィアへ視線を向けながら。

    「この二人は、私にとって希望そのものだった」と返した。

    「希望?」とアニは返す。

    「そうだ」とノアもまた返す。


    ノア「このクソッタレな世界の中で、私はあるひとつの選択をした」


    ノア「私はきっと、不自由そのものだったと思う。誰かのせいにして、あの船着場から壁まで逃げた。そして壁の中でも生きていく為に逃げ続けた」


    ノア「自分自身の感情そのものでしか、生きてこれなかったからだ。……明日を選ぶ余裕すら、無かったから」


     やがてノアは、足元へ向けていた目線をアニへ向ける。「でも、そんな中でも」と微笑んだのだ。


    ノア「この二人はこんなクソッタレな私を『大丈夫』と助けてくれた。救ってくれた。生きていてもいいんだと、黙って受け入れてくれた」


    ノア「─────この世界に、小さな居場所を作ってくれた」


     だから選んだ、とノアは言う。その時だった。彼女の身体に、小さな異変が起こる。


    アニ「アンタ、鼻血が……」


     それは、ノアにとっては殆ど無自覚に等しかった。鼻から鼻血が零れてきている。ポタポタ、とそれは音を立てて血痕となり、大腿部へ染みを作る。
     落ち着いた仕草のまま、彼女は右親指を鼻柱へ添える。もうそう時間は無いのだろう。確実に迫ってきている。そんな事をノアは思う。

     だがノアはそれに構う事はなく、続きを伝え始める。


    ノア「だから、選んだ」


     それは理解していた事。


    ノア「だから私は、自分の自由意志で選んだんだ」


     あの日、救われた日から。


    ノア「ソフィアを、ミーナを、この命にかえても守る。そのうえで、コイツらと堂々と一緒に生きてやるんだって」


     あの日、星くずが零れ落ちた日から。
  201. 315 : : 2019/11/29(金) 20:36:15

     
    アニ「───その為なら、アンタは死んでも良かったの?」


    ノア「あぁ、そうだな」


    アニ「─────アンタが、死んだら。その二人は悲しむんじゃないの?」


    ノア「………どうせもう永くない命だからな」


     アンタは、と顔を伏せアニは叫んだ。矛盾している、と。ノアは返す。そうだよ、その通りだと。


    ノア「……仕方ないだろ、こんなふうになるなんて、思わなかったんだからさ」


    アニ「アンタは生きたいんじゃ………ないの」


     アニは視線を向けることは無いまま、顔を伏せる。最後の言葉は、少しずつ掠れていく。「……そりゃ、生きれるなら、生きていたかったよ」とノアは呟く。


    ノア「でもな、それ以上に私はこの二人に生きていて欲しいんだ。幸せになって欲しいんだ。それだけが本当の所、私の願いなんだよ」


    ノア「私はエゴイストだろうからさ、……踏みにじった命がある分、ツケを払わなきゃならない」


    ノア「──────そのツケを、払う日が来たんだ」


     アニはノアのそんな諦観じみた答えに納得がいかなかった。だが、その通りだった。残酷な程に、その言葉に返せるものをアニは持ち合わせてなどいなかったのだ。
     何故それに納得がいかないかなどこの場合、アニにとって関心の欠片も無い。ただどこかで、とアニは思う。何処かで、コイツは私と───


    ノア「…………だけど、もう、私はこの二人の傍に居てやれない」


    アニ「!」


    ノア「……だから、さ。アニ」


    ノア「お前にひとつ、頼みが、あるんだ」


  202. 316 : : 2019/11/29(金) 20:47:38

     そこでやっと、アニはノアと目線を合わせる。その目を見て茫然とせずにはいられない。その眼は、既にノアのそれ(・・・・・)ではなくなりつつあった。本来、黒色だったはずの彼女の瞳は藍色に変色していたのだ。
     アニは、何故か本能的にそれを理解する。もう、ノアの意思は消えいきつつあるのだということを。
     そうして、そんなノアを見入りながらアニは「…………何を?」と返した。
     何、単純な話さ、とノアは笑う。それは、初めて見たノアの微笑みだ。なんて、哀しそうな笑顔なのか。


    ノア「─────私の代わりに、この二人を、頼む」


    アニ「……………え?」


     アニは、その答えを予想だにしていなかった。だが、考えてみればそれは当然の話だ。彼女の立場に立つのならば、理解出来て当然の話だろう。


    ノア「ま……ぁ、待てよ。……何も、何のメリットもなくお前に頼むわけじゃ、ない、さ」


     ゼェゼェ、と息を荒らげながら一つ一つの言葉をそんなアニを裏腹にノアは紡いでいく。口からも吐血し始め、身体中から何やら蒸気が上がり始めていた。
    「…………」そんなノアを眺め、アニは言葉を待つ。


    ノア「……お前に……いいもん、やるからさ」


    アニ「いい、もの………?」


     すると、ノアは震える左手でこっちへ来い、とジェスチャーをする。アニは生唾を呑み込み、少しの躊躇いを見せながらも、トリガーの刃を鞘へ仕舞う。「……分かった」
     まるで、ノアは死にかけの老婆そのもののようだった。アニはそんな彼女の元へ、早歩きで近寄っていく。

  203. 317 : : 2019/11/29(金) 21:11:35
     
     ノアは何やら口元に手を添えている。耳打ちをするつもりか。アニは視界を斜め下に向け、ノアの口元へ耳を寄せていく。「…………!!」

     やがて、強い風が吹き荒れる。枯葉が舞い、木の葉も強く舞っていく。アニは目を見開き、その言葉を聴く。
     そして、耳を離していく。「───本気、なの?」とアニは問う。虚ろな目でノアは「……あぁ、本気だ」と答える。


    ノア「どうせ、死ぬ事は……変わらねぇんだからな」


    ノア「保証なんてもんは何一つねぇが、もしかしたら……お前にとって利になりうるかもしれねぇだろ」


    アニ「でも、それをやるってことは……」


    ノア「……あぁ、私はお前らに手を貸す事になるだろうな」


    アニ「─────アンタの守りたいものを、殺す事に、なるかもしれないのに?」


    ノア「……だから、だよ」


     思わずアニはそんなノアの答えに「は?」と聞き返す。ノアはアニを見てまた微笑む。「……だから、お前に、頼みたい」とノアは呟く。右手をアニの頬へ寄せ、触れる。
     アニはそれを拒絶せず、左手で思わずその手を握る。「……アンタのやる事は、私に手を貸すって事で、強いてはこのパラディ島を、……滅ぼすかもしれないのに?」


    ノア「─────私にはな、壁の中も、外も、どちらも、……同じ、だった」


     少女の眼は次第に焦点が合わなくなってくる。ぼんやりとアニを見つめているそれは、ひどく朧気になりつつある。


    ノア「……私にとって、こんな、世界は、どうでもいいんだ」


    アニ「…………!」


    ノア「私にとって、守りたいものは、たったひ、とつ、なん………だ。この壁の中でも、外でもない」


     アニの頬へ触れる右手は次第に頼りなくなっていく。左手の中の右手は、今にも崩れ落ちそうでアニはそれを離せない。離すことが、出来そうになかった。ただ、その言葉を目を見開きながら聴きとることしか出来ない。

  204. 318 : : 2019/11/29(金) 21:33:43

     だからさ、とノアは変わらず呟く。「これは、お前を…………『友達』と見込んで……頼みが、あるんだ」
     

    アニ「………友、達?」


    ノア「────あぁ、友達、だ」


    ノア「……この世界が、どうなろうと構わない。どうか、頼……む。あの二人、だけは、この残酷な世界の中で、戦いから、遠ざけてやって、くれないか」


     風は変わらず吹き荒れ続け、アニの髪を揺らす。そして、ノアの白色に変色しつつある髪もまた、強くたなびく。
    「そんな、の…………」と、アニは目を強くつよく見開きながら、否定の言葉を出そうとする。捻りだそうと、する。だが出てこない。否定をしなければならないというのに。
     私は、戦士だ。兵士じゃない。この目の前に眠る二人もまた、滅ぼすべき悪魔の末裔なのだ。そうでなければ、私は、故郷には……帰れないというのに。

     なのに何故、私は、と思う。あぁ、そうか、とアニもまた、ひとつの答えを得る。
     私は、もう既に、戦士になり損ねてしまった(・・・・・・・・・・・・)とでも言うのだろうか。
     選べ。
     選べ。選べ。
     選べ。選べ、選べ。

     果たすべき贖いを。果たすべき責任を果たせ。そうでなければ、お前は何の為にあの日────レベリオを出たというのか。

     何の為に、何があろうと故郷に帰ると、誓いを立てたのか。


    「─────わたし、は……」


     その時。アニの握る彼女の左手に結ばれたものに気が付く。あぁ、これは何だったか。確か、あの時も見たのだ。
     そう。ミーナが馬に水を与えて私に話し掛けてきた時。あの後に、彼女はそれを大事そうに撫でていた。ソフィアもまた、座学でいつもそれを触っていたのだったか。

     ……そんなにも、大切にしているものなのか。そんな事をアニは思う。
     ずっと、胸に感じていたものがあった。それは、収容区を出た日から、否、もっと遠い昔の日から仕舞い込んだものだったように思う。

     アニ、とか細い声でノアは彼女の名前を呼ぶ。
     誰も呼ばなかった自分の名前を、自分の事を、友達と呼んだ彼女の手を、アニは再び握る。

  205. 319 : : 2019/11/29(金) 21:50:20



     ノアはアニに肩を貸される形で、そうして願い通り、もうひとつの樹木へともたれた。「………悪ぃな、アニ」としわがれた声でノアはアニへ礼を伝える。
     金髪の少女は何も言うことなく、ノアへ貸していた手を静かに引きながらそこから離れた。

     ノアもまた、眠る様に意識を失っているミーナとソフィアの合間に入る形で木株へもたれている。丁度、二人はさながらノアへ姿勢を預けているようにも見える状況だった。


    ノア「………」


     ソフィアの脚は酷い出血だった。大腿部をナイフで貫かれた以上、おびただしい血の量と共に神経網も死に至っているに違いない。──彼女は、もうこの先、五体満足で歩く事は出来ないだろう。
     ノアは、泣きそうになりながら頭を打って気絶したのであろう彼女の頬と髪を優しく撫でる。「……ごめんなぁ………もっと、早く私がお前のとこに行けてたらなぁ……ごめん、な……」
     そして、頬を撫でながらミーナの方へも視線を向ける。
     ミーナはソフィアほど重体ではなかったが、やはり余程強い毒を嗅がされたのだろう。長い眠りについたままだ。「……ったく」とノアは苦笑しながらそのミーナの顔を見つめる。


    ノア「………呑気な顔して寝やがって……」
     
  206. 320 : : 2019/11/30(土) 00:16:20

     すると、「んんっ……」とミーナが反応を見せた。ノアは思わず触れていた頬から手の甲を離す。だが、起きる気配は無い。どうやら寝息を立てただけの様だ。
     その時。黒髪を揺らしながら何やら寝言をミーナは呟いた。


    ミーナ「…………そ、ふぃ……」


    ミーナ「………の、あ……」


    「…………ッ、─────ぁ」その瞬間、既に死につつあった筈の身体が反射的な反応を見せる。寝惚け眼な状態ではあるが、確実にミーナは呼んだ。自分の、名前を呼んでくれた。

     もうすぐ、その存在そのもの(・・・・・・)すらも消えゆく事になる自分の名前を。

     そうしてミーナは、何やら幸せそうにふへへ、と目蓋を閉じたままに微笑んだ。


    ノア「───────ッ、あ、………っ」


     その余りにも無警戒で、余りにも無邪気な笑顔に、ノアはもうこれ以上堪える事は出来なかった。

     堪らず、頬を擦り寄せた。
     皮膚の感覚すらも消失しつつある自らの体温を、彼女に譲り渡すかのように。ミーナにも、ソフィアにも。つよく、強く抱きしめ、そして擦り寄せる度に、どうしようも無いほどに涙が溢れて止まらない。


    ノア「─────ごめん、ごめんな……」


    ノア「もっと、もっと……そばに、居てやりたかった……っっ」


    ノア「もっと、お前らと一緒に色んな景色を……色んなもんを食べたり、もっとずっと、色んな思いを経験したかった……!!」


     そう。まだ、何も出来ていないのだ。
     まだしたい事も、やりたい事も────どうにもならないほどにあった。どうして、こんな事になるんだろう。
     まだそばに居たいのに。ただ、一緒に生きていきたいのに。最早ただそれを涙ながらに訴える事しか出来ない。
     ソフィアにも、まだ別れの一言すら言えていない。ミーナに、ミサンガの礼すら出来ていない。こんなににも愛おしくて、こんなににも大切なのに、目の前に在るというのに。
     もう一緒に、名前を呼び合う事も。
     もう一緒に、喜びや悲しみを、言葉で分かち合う事も。
     もう一緒に、痛みを抱きしめあう事すらも、できない。

     崩れ落ちていくものの中に、ただ一つだけ消えないものがある。
     もしもそうなのだとしたらきっとそれは寂しさなのかもしれないと、少女は思う。

     きっと自分は、この二人の少女にそれを背負わせてしまうのだろう。そしてそう遠くない未来、その感情そのものすらも「無かった事」になるのだろう。

     だがそれでも、と願う。
     
     もう二度と、この並ぶ二つの影に交わる事は出来なくとも。

     もし、こんな世界のどこかで、また新しい未来が在るのであればどうか、ほんの少しでも忘れないで欲しい。こんな私の事を。────そうして、たった一つの約束を交わそう。
     どうか、忘れないで欲しい。
     誰よりも、幸せを願っている事を。誰よりも、ただ生きていて欲しいと願っている事を。

     
    ノア「─────お前らに、出会えて、救われた」


    ノア「ソフィア、ミーナ……」


     もう、目も見えず。そして、風鳴りの音すらも遠くなりつつあった。間もなく、少女にとっての世界は終わる。あぁ、これで、これで大丈夫だと少女は想う。
     もうやり残したことは無い。
     怖くない。ようやく、いける。やっと自分で、選ぶことが出来た。出来たのだ。
     この結末を、この未来を、自分の自由意志で。

     私は、自由だ。自由なんだ。

     あぁ。最後に、伝えなければ。

     ミーナ。ソフィ。お前らに、出会えて良かった。

     ─────ありがとう。

     さよなら。



  207. 321 : : 2019/11/30(土) 19:33:57
    ◇ #10 Epilogue


     誰かが、自分の名前を呼んでいる。そうして、ようやく私は重い目蓋を開く。

    「おい、しっかりしろ!! ミーナ!!」

     すると目の前には、酷く青ざめた表情をした目つきの悪い少年の顔があった。翡翠の色をした眼には、私の顔が映っている。「………エレ、ン?」と名前を呼ぶ。

    「やっと目を覚ましたな。しっかりしろよ……大丈夫か」

     エレンは左手に皮水筒を持ち、右手で私の肩を支えてくれているようだ。そうして頭と首を動かすと、鈍い痛みがぐらりと走る。「……ッ、」

    「……ん、ぐ、少し頭、いたいけど……大丈夫」

    「本当か? ……まぁなんにせよ、医者に診てもらった方がいいのは間違いないだろ」

     それにしても、とエレンは周囲を見回すように首を上げる。「─────にしてもいったい、何があったんだこれは」

     私もそうして身体をもたれさせながらも、一緒になって首だけで周りの状況を確認する。それは、中々な惨状だった。周辺には帆の一部が擦り切れて散り散りになっていたり、荷車の木片や歯車が散らばっている。   
     そうして、二頭の馬までもその荷馬車の下敷になって身動ぎひとつせず、既に死んでいた。……私は堪らず、その亡くなった遺体から目を逸らす。
     ゴメンねと内心謝る。
     記憶の裏側で、私に顔を擦り寄せてきた馬の愛らしさを思い出して、強烈な罪悪感が胸を抉られる。
     ────ここはどうやら谷底の中流かどこかのようで、周囲一帯は高い壁の様な崖が切り立っている。そうして、私は流れが早い川から少し離れた大きな樹木にもたれかかっているようだ。

    「……私も、殆ど何も覚えてなくて」

    「どうして、エレンはここに?」
  208. 322 : : 2019/11/30(土) 19:40:31
     
     そうして私は、左手で頭を抑えながらゆっくりと思考を動かしていく。
     エレンは「あぁ、オレか? オレ、いや……オレらは壁上固定砲の整備中に、この森周辺から緊急事態の信煙弾が見えてよ」と周囲を見回しながら続けてくれた。

    「ちょうど、今日は日付の予定的にお前らが任務から帰る道中だったろ? もしかして何かあったんじゃねぇかって、駐屯兵の上官に掛け合って飛んできたんだ」

     そっか。つまり、エレンは私達を心配して駆けつけてくれたということなのかな。ぼんやりとする頭に、自然とそんな思考が浮かぶ。

    「そう、なんだ………ありがとう。心配してくれて」

    「いや、それは別にいいんだけどよ」

     ────記憶にあるのは、ソフィアと顔を洗いに川へ向かった時が最後だ。それ以降と、それ以前の記憶が何やらモヤが掛かったかのように思い出せない。その後は、何があったんだったか。
     そうして私は、そこで何よりも気掛かりな事を慌てて思い出す。

    「………ッ、ソフィアは!? アニはどこ!?」

    「っ、ぐ! いっつ……」思わず前屈みにエレンの肩に掴みかかったからか、ズキンと弾けるような痛みが走る。

    「お、おい、大丈夫か? 無理すんなよ……」とエレンは私を支えてくれる。

    「……ソフィアか? ソフィアのやつ……特にアイツはひでぇな。太ももんとこに刺し傷みてぇのがあって……動けずにいる」

    「刺し傷!?」

    「あぁ、アニ曰く馬車が橋から墜落した時に猛スピードでこの木の枝とかに落下して刺さっちまったんじゃねぇかって話だ」

     エレンは私のもたれ掛かる太く、大きな樹木を見上げる。

    「そんな………!!」

    「……アニは!? アニは、怪我は無いの!?」

     私は背筋が凍ったような思いでアニの状態も聞く。
     するとエレンは視線を何やら背後へ向ける。見るとそこには、ミカサやアルミンの姿もあった。
     ────そして、アニの姿も。その場に居合わせている駐屯兵と医療服を羽織った兵士達に何か説明をしている。どうやら怪我は無いように見える。……良かった。

    「アニのやつは、上手いこと立体機動で崩落する馬車から逃げる事が出来たんだが……お前とソフィアは頭を打ってたのか、呼び掛けても反応がなかったらしい。慌ててアイツは一番近くにいたお前は助ける事はできたらしいけどよ……」

     エレンはそこから先の事は、気まずそうに話すのを控えた。
     恐らく、アニは立体機動中、ソフィアまで助ける事は出来なかったのだろう。そうして私は、何気なく頭上を見る。「………………」

     ひどくその枝を伸ばした巨大な樹木は、谷状になった崖から飛び出すようにそびえ立っていた。
     その枝に歯車の破片が引っ掛かり、凄まじい折れ方をしているものが見受けられる。

     恐らく、落下時の強烈なスピードのまま、あの木の中へ突っ込んだのか。
     そうして馬もろともソフィアもその中に巻き込まれ、重症を負ったまま墜落した、といったところか。   
     皮肉にも、きっとアレがクッションになった事で、そのままソフィアはこの崖下の中流に叩きつけられずに済んだのかもしれない。……でも、そうだとしても───
  209. 323 : : 2020/01/19(日) 13:25:17

    「────ねぇ、エレン」

    「どうした?」

    「ソフィアは、どう、なるの?」

    「………」

     エレンは私の言葉を聞いて、反応を示さない。気まずそうに、俯いて下へ視線を向ける。「……じゃあもう、ソフィアは」

    「まだ分かんねぇよ。トロスト区の市民病院の医者に見せりゃ、可能性はあるかもしれない」

     エレンは外した視線を私へ真っ直ぐ向け直してそう言ってくれる。

    「………エレン、肩、貸してくれるかな?」

    「……おう」

     私はエレンに肩を貸してもらう。担架に載せられていくソフィアの元へ行きたいと伝えた。彼はそれに対し、黙って力を貸してくれた。
     そして、身体を引きずるようにしてソフィアの元へ向かう。ソフィアは意識をまだ失ったまま、駐屯兵と医療兵によって担架に載せられていた。
     ────傷を、目にする。そうして気付く。
     さっきのエレンの言葉が不器用な彼による気休め程度の気遣いだということは───看護師の母を持つ私でも分かってしまった。

  210. 324 : : 2020/01/19(日) 22:39:26

     ソフィアの様態は、医療兵によって処置を施されてはいたが、出血がおよそ常軌を逸していた。目を瞑った表情は酷く青ざめていて、脂汗が頬や額に貼り付いている。
     血液を失い過ぎた事による貧血症状が併発しているのかもしれない。
     複数の女性医療兵は何かの書類を確認している。すると、背負ったバッグから金属製のケースを取り出し、輸血パックらしきものも手に取り始めた。

    「────────……」

     やがて、腕に針が通される。
     私はそんなソフィアを見て、ただひたすらに言葉を失った。私が意識を失ったばかりに───ソフィアを、助ける事が出来なかったんじゃ。ソフィアがこんなに傷つくことなんてそうしていたら少なくとも無かったんじゃないのか。私があの時────

    「ミーナ」

    「……!」

     そんな時。エレンは私を呼ぶ。「間違ってもお前は悪くねぇぞ」とソフィアの姿を痛ましい表情で見つめながら、彼は言った。

    「……アニの話聞いてりゃ、仕方がなかったんだって事くらい、誰でも分かる」

    「誰も、お前の事なんか責められやしない」

     霧雨の様に降り続く雨は、やがてその身を肥大化させる。まるでそれは、何かの涙の様な雨だ。次第に大粒となり、その勢いを増し始めていく。

    「……………うん」

     ソフィアの包帯を巻かれた足は、鉄の匂いを雨と共に霧散させている。
     絶望は、確かな重荷となって私にのしかかってくる。
     自分でも、声が震えているのが分かった。どうしようもない虚無感が足先から身体へ巻き付いてくるみたい。
     ─────ソフィアは、もうどんな処置を施してたとしても、恐らく五体満足ではいられない。
     エレンの気遣いが、アルミンの心配そうな表情が、ミカサの俯き加減が、アニの背中が、それをより明確な事実へと近付ける。
     涙は、出なかった。泣きたくても、何故か涙は出なかった。呆然と、茫漠と、目を開くことしかできない。信じたくない。信じられない。だけど信じなければならない。
     相反するそれは、瓦礫の様な石つぶてを私の脳内にこだませる。
     周囲には、ただひたすらに、どうしようもなく、何かを喪ったという感覚だけが満ち足りていた。

    「!? お、おい、ミーナ!?」

     肩を支えてくれている彼の声は、やがて遠くなる。そして私は、自分でも気が付かない間に崩れ、そのまま意識ごと手放すことになった。

  211. 325 : : 2020/01/19(日) 22:50:30



     誰かが、呼んでいる気がした。
     私は気がつくと、夜の空が辺りを覆い尽くしているどこかに立っていた。ザク、と足を踏みしめる。その感触は、かつてトロスト区の小さな公園にあった砂場のそれに似通っている。
     これは、夢なのかな。
     その割に、視界は鮮明だ。肌にザワザワと冷たさが残る。
     何となく、歩く。歩いて、歩いて、歩き続けてみる。
     
     誰かが、呼んでいる気がした。
     
     聞き覚えのある声。そんな気がする。でも、それが誰の声かは分からない。
     その声を探さなきゃいけないのに、無限にすら思う砂場は、ちっともその地平線を見せてくれない。
     

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著者情報
okskymonten

空山 零句

@okskymonten

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進撃の巨人 ~ もしこの壁の中で一人の“少女”と“狩人”が恋に落ちたとしたら ~ シリーズ

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