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このSSは性描写やグロテスクな表現を含みます。

彫像の泣き顔

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  1. 1 : : 2017/11/13(月) 13:15:59
    ※このスレは、無断転載禁止です。


    ――――――空白ページ――――――

  2. 2 : : 2017/11/13(月) 18:04:35
    1
     桃色の桜吹雪の中、坂道は若者達の姿が見え隠れする。その通路を沿えば、賑やかな学校が見えてくる。制服を着た生徒達は眠そうな顔をするか、或いは一週も顔を合わせていない友達と再会する。にも関わらず、誰もが休みが明けたことにご不満を抱いているようだ。

    「ああ……、始業式ダルいな」
    「諦めろ」

     笑い声を伴う平凡な会話に、朝倉(しょう)は耳を傾ける。花びらの床は、一年前の自分を思い出させる。初めてこの雨の如く桜日和で、巨人のように自分を見下ろす校舎の広さに震撼した翔は、志した道を進むために歩いてきた……。
    「いっそ、サボろうぜ」
    「いいねー」
     この風景もちっとも変わらないなと翔は思った。これから新学期も一クラスくらいの生徒が「一日消失」するんだろう。この学校伝統の初日サボりというのは、二年と三年生達が始業式に行かず、学校も出ずに自由な二時間を手に入れる恒例行事である。よくこんな伝統が残ったのだと翔は感心した。

     新しいクラスになっても、翔には大して変わったことはない。ざわつく教室の中でも、一人でぼんやりと、昨夜にカバンに入った文庫本を開いた。自分は別に本が好きなわけでも、成績がいいわけでもない。寧ろ成績こそ一番目立たない部分だと思っている。ただ、知識を得たくて、小説の中で学びたいことがある。そしてその面白さももちろん、手にした理由である。
     だが、教室にいると、不自由さを感じた。あちこちで投げてくる視線と、ひそひそと話す声が聞こえる。これは被害妄想ではなく、去年のある事件以降、彼のいる場所なら必ず、こういう現象が起きてしまうのだ。

     「なあ、今日の『演説』はどれくらいかかると思う?」体育館の中で綺麗に並んでいる椅子に座っている、翔の隣の男子生徒がひそひそと声をかけてくる。「頼むよ、ミスター朝倉」
     「普通に名前を呼んでよ、ミスターなんて……」と文句を垂れながら翔は男子生徒の顔をスキャンし、記憶にある生徒名簿にいるのかを確認した。佐伯明っていうらしいと翔は曖昧に頷くと、教壇の方を見た。「あまり自信がないけど……先生は休み前よりも太ったのに、歩いた時の足音は前回よりも軽く、テンポも乱れていない。メガネは綺麗に洗ったみたいで、皺の脂も溜まっていないし、寧ろ今日は異様に潔いと感じた。ネクタイも整えてる。……ってことは二時間になりそうかな」とペラペラと説明した。
     「おえ……マジかよ。でも流石だぜ、そこまでわかるなんて。てか、美琴のことも見てくれよ」明はそう言い、へらへらと笑った。彼が言う「美琴」は、有村美琴、彼らの新しい担任だ。
     「ええ……、でも有村先生は初めてだし……」
     「はあ……、お前はこういうの疎いからなぁ」
     「はあ」と言い、何故相手は自分のことが詳しそうと聞こうとした時、担任の鋭い視線を感じ、大声で言ってしまうと察して俯いた。後ろの女子生徒がクスクスと笑っているのをかろうじて無視した。
     二時間か、と思う翔は有村の視線が自分から離れたと確認した後、念のために持ってきた文庫本を読むことにした。
  3. 3 : : 2017/11/14(火) 02:19:47

     体育館を出て行こうとする翔を呼び止めたのは二人の女子生徒だった。どうやら彼女達は自分の後ろ椅子に座って、明との会話を聞いたようだ。
     「朝倉くんの予想当たったね、流石うち学校の探偵くん」と一人が言うと、またくすくすと笑い出した。
     「は、はあ……」
     「ああ、そうそう」思い出したように、彼女は名前を乗った。声をかけてきたのは山下絵瑠と、大人しそうな女子は三浦みゆき。「そういえば、去年の『予知』、すごかったよ。今や一年生以外朝倉くんのこと知らない人いないかも」
     「はあ……」翔はなんて返せばいいのかわからず、間抜けな返事をした。その返事に期待外れか、つまらなさそうに絵瑠は頬を膨らませた。三人は人の群れに従い、体育館を出て行き、教室に戻ろうとした。
     本校舎まで百メートルくらい、途中グラウンドで練習するスポーツチームのメンバー達の姿を見れる。彼らは休みでもずっと学校に来られるようで、授業以外堂々と欠席しても教師達は大目で見てくれるという、「学校の名誉」と揶揄する生徒もいるが、アンフェアなど言う人はいない。何せ、チームでの評価が悪いと、すぐ外されるので、人より努力しなければならないのだ。
     その練習する風景を眺める翔は、絵瑠が自分に何を話しているのか全く頭に入らなかった。キーン、とバットの金属音が響き、それに続けるのは歓呼の声、プレイヤーの呼び声……

     ガシャン、と大きな音がした。あまり大きかったので、ほとんどの生徒は頭上を見上げる。すると、五階の窓が何かの衝撃により割れたのを見れる。衝撃で粉々となったガラスのカケラは砲弾のように地面に向かって発射される。
     混乱の中、誰か断末魔のような声を上げた。
     「人だッ」
     再び視線を戻すと、壊れた窓からフラフラしている人影が見えた。次の瞬間、その人影は傾いて、「きゃーっ」とあちこちの悲鳴とほぼ同時に窓に自身の重量をかけて、殻を破る小鳥のように出ると、宙に身体を投げた。人影はバレリーナのように身体を上下反転させ、そのまま翔の前に着陸させようとした。さっきとは違う悲鳴が絶えないまま、一瞬だけ時間は静止したのかと錯覚し、身体はスローモーションで落ちた。
     翔は呆然と落ちてきたものを見た。ハッとして視線を落とすと、赤い川のように液体が迫ってくる――彼にある衝動で、息ができなくなると、周囲と相容れない色を沿い、それを見る。――それは、人間だ。
     人が目の前で死んでいると気が付くと、身体は急に冷めていく。動けずに立ち尽くした。走ってくる先生達の荒らした足音で再び死体を眺める。血に覆われる頭、首、両手。服にも大量な血で濡れた。
     とん、と隣の三浦みゆきは崩れて跪いた。彼女は真っ直ぐに死体を見て、手を伸ばし、震える声で言う。
     「誠……」
  4. 4 : : 2017/11/15(水) 23:57:17

     校内アナウンスによる、生徒は至急に家に帰るとのこと。教師は警察に事情説明するため学校に残る。緊張感が増す一方、校舎の中で蠢く影がいた。
     三浦みゆきを思い出しながら、翔は胸が痛んだ。横たわる死体を見る時、彼女は泣き崩れた。絵瑠の話によると、どうやら亡くなったのは彼女の幼馴染、そして彼氏、藍野誠のようだ。突然に大切な人間を失ったのは受け入れがたく、味わったことなくても、悲しい気持ちはこちらに伝わる。
     「ふう」身体が運動不足と訴えたばかりに、五階まで登るのに疲労感にやられた。
     どこも静かだ。自分自身の足音を消しながら歩いていた。階段の前に曲がると廊下が視界に入る。殆どのドアは鍵にかかっているが、一つだけ例外であった。
     「『美術部』……」呟いているように翔は入り口の横のプレートに書いてある文字を読んだ。そして開けっ放しの部室を覗き込む――一滴、そしてまた一滴――ドアを境に、顔料――いいや、血が落ちている。血液の痕跡は、部室の真ん中にぴったりと止まった。
     机と椅子のセットでいくつかある。反対側の窓際の下に、ガラスを割れたボールが転がっている。一脚の椅子が倒れ、キャンパスは壁に並び、絵の具や美術用具は引き出しに入っていて、異状はなし。翔は棚に目をやる。――……いや……

     眉毛を寄せて考え込んでいる翔の肩に、ぽんと誰かが手を乗せた。
     「はっ」驚いて振り返ったが、後ろに立っている少年はにっと笑顔を見せる。それを見て翔は安堵したため息を吐く。「はあ、なんだ、高沢くんか。先生かと思ってびっくりしたよ」
     陽気な雰囲気を持つ少年の名は高沢拓也。翔の幼馴染であって、野球部所属。「お前なら来ると思ったよ、名探偵くん」
     むっとした翔は言う。「名探偵じゃないて……なんでみんな僕のことを名前で言わないのさっ」
     「あはは、冗談冗談。でもお前がすごいってみんなそう思ってると思うぜ。それもまた、夢に一歩近付いているじゃないか?」
     「……何しに来たんだよ」話の続きをしたくない翔は、不機嫌そうに聞く。
     「そうそう。情報を持ってきたんだ」興味を引かれたか、翔が首をひねて拓也を見る。「ほら、あのボール」拓也は薄暗い部室の床に横たわっている球体を指差す。「あのボールを飛ばしたのは、うちの超新星、新田くんなんだ」
     「力持ちなんだね」と翔はその「超新星」のイメージをしてみた。「グラウンドから校舎まではまだ五十メートル以上あるのに」
     「そうだよ。いや、それより、あれは明らかにファール(、、、、)だったんだ」真顔になった拓也はその判定を強調した。
     「……それが何か?」
     「新田は超新星ってチームに言われているのは、ボールを飛ばす力だけではなく、コントロールなんだ。いや、寧ろこっちの方が注目すべきだな。で、あいつはボールの飛ばす方向をある程度操れるってことだ」
     「……つまり、高沢くんは、新田って人は『わざと』ファールを?」
     拓也は真剣に頷いた。

     「そして今、野球部のやつらが質問に攻められている」と言ったのは拓也ではなく、二人は振り向いた。中年スーツ姿の男性は、いたずらをしたような表情をして、翔に一瞥をすると真顔に戻った。咳を払い、拓也に言う。「今言ったことは証言だからね」と言いながら右手の持っているペンを走らせ、メモ帳に記入する。
     「茨木さん」と翔。
     「げっ、本物の探偵来た」
     「当たり前だろう、拓也君」彼が当たり前だというのは、本物の探偵という言葉に対してか、来たという動詞に対してか、と疑問を顔に浮かべる拓也から目を逸らして、翔に言う。「君は今回の事件、どう思うかい?」
     ゴクリ、と拓也が涎を飲んで、翔に向いた。
     翔は暫く考える後、やっと二つの視線を感じたか、彼は拓也を見てから、茨木を見返す。
     「僕の考えでは……、僕は……」初めての想いに、頭が真っ白になった。こんなにも身近に起こったこと、そして初めて追いかけている背中に近付いていくこと……何もかもリアリティを欠けている。呼吸を整えてから、言う。「僕は……、やっぱり殺人事件だと思います」
     茨木は頷いた。
  5. 5 : : 2017/11/16(木) 02:11:17

     凍結された空気の中で、長方形のテーブルが部屋の真ん中に置かれている。長辺だけは椅子があり、計二脚の椅子は、どちらも使われている。この部屋は小さく、テーブルだけで殆どの面積を占めている。
     天井と目の前の人を交互に見ながら、目を赤らめる三浦みゆきは一つの椅子に腰をかけている。その"目の前の人"は、同級生から手掛かりを聞き出せ、と茨木に任務を課せられて、緊張して表情が固まった翔。茨木自身は、翔の横に立っていて、みゆきを見ている。恐らくみゆきは、目の前にいる翔よりも、茨木のことを恐れているのかもしれない。彼はただメモをしていて、質問をする役は全て高校生に任せたのを、彼女は想像もしなかったのだろう。
     「精神状態は不安定」、とここに来る前に報告が来た時、訊問はより一層難しいと翔は理解した。実際に見ると、彼女の視線は宙で泳げているように見える。翔は質問しようとする言葉を何回も頭で反芻する。茨木の促す視線を感じ、はっとして、彼女と顔を合わせるのはもう十分も経っていると気付いた。

     咳を払い、みゆきに向かって言う。「三浦さん」
     ゆっくりと、みゆきの視線はやっと翔に集中したが、返事はない。
     「君は今、僕の質問を答えられるかい?」と聞きながら、翔は彼女の反応を観察した。
     みゆきは暫く翔を見つめ、そして頷いてみせた。「誠のことなら……なんでも……言うから……だから……」ゆっくりと、彼女は席を立って、上半身を前に傾げて、翔の肩を掴もうと手を伸ばした。「誠を……そうしたやつを……必ず……必ず……」
     「………っ」吃驚した翔は立ち上がろうとして、彼の座っていた椅子はガタンと後ろに倒れた。「三浦さん、僕は……」言葉に、翔は迷った。
     茨木はみゆきの肩を右手で抑えて――というか、握っているって言う方がしっくり来るかもしれない。彼女を席に座らせようと手に力を入れながら、「ああ、必ずだ」と念を押した。
     みゆきはその言葉を聞き、頷いて、大人しく席に着いた。ほっとした翔は、茨木に目礼をすると、椅子に座りなおした。

     「ええと、三浦さんは、最後に藍野くんと会った時はいつかな?」
     「日曜日です。春休みの最後って、デートしてました」ここは正常に話しているようで、翔は秘かに安堵した。
     「始業式の朝は?一緒に通学してなかったの?」
     「そうです。誠はサボりたいと言って来て、一緒に行かないのかと聞いたんですが、バレるのが嫌で、断りました」
     「うん、でも、サボりってのは学校の中で行うことだから、彼も朝から学校に行ったはず。なんで二人は一緒に行かなかったの?」
     「……誠が怒ったから……、それくらいはいいじゃないかって。それで誠は私にも教えないで一人で学校に行ったらしいんです」
     「それは何時頃か、覚えてるのかな?」
     「いいえ、よく覚えていません。私が彼の家に行った時はもう七時くらいなんで」少し噛み合ってないと翔は感じたが、みゆきがよく覚えていないのは、彼氏に置いていかれた朝に、その家族に言われたことだと、翔は解釈した。

     「藍野くんは、何か趣味を持ってる?……作詞とか」何故最初に"作詞"を思い付いたのか、翔にはわからなかった。
     「たくさんありますよ……、でも彼はいつも、絵を描いてる気がします。風景画とか、色をいじるのが好きらしくて。それで、美術部に入りました」
     「彼はどれくらいで部活に行ってた?」
     みゆきは首を傾げて、考えている様子を窺える。「私が知る限り、彼は熱心でした。サボったことはないと思います」
     「彼は部員とトラブルとか、聞いたことあるのかな?」
     今度は、少し時間が開いた。そしてみゆきは、少し震えている声で言う。「ない……、ないと思います、ない、と……」

     「ないと思う?どういうこと?」みゆきの変化を見、翔は焦った。彼の質問に、みゆきは答えなかった。そして突然に、「わあ」、と泣き出した。
     「誠、まこと……」と、彼の名前をひたすら呼んで、席を立って、暴き出した。
     「三浦さんっ、答えて……」と言うが、みゆきの叫ぶ声に遮られて、届けると思えない。更に聞こうとすると、誰かが肩に手を乗せた。隣に立っている茨木は、振り返った翔に頭を左右に振って見せた。
     ドアを破って入ってきた女性の警察が二人、みゆきを抑えた。無理やり連れて行かれたみゆきは、その名を呼び続ける。そして彼女が呼ぶ度、翔の胸は槌に叩かれるような感じだった。
     本日は、ここで終了した。
  6. 6 : : 2017/11/16(木) 12:56:00

     三階建て、コンクリートのアパート。平凡としか表現できるような言葉のない建物に、茨木事務所はここの三階に住み込んでいる。窓からはビル群で視界は遮られ、町の喧騒する音だけがガラスを通る。翔はソファーに腰をかけて、茨木の助手の藤崎美都子が淹れてくれたコーヒーを啜り、机に置く。
     頭を上げると、美都子は自分の反対側のソファーに座って、にやりと笑って自分を見つめている。彼女は助手とはいえ、年齢はまだ二十代半ば。「ねえねえ、ミルクが欲しいでしょ?」と、翔の表情を楽しんでいるようだ。こんな顔見たら、ミルクを頼みたくても言えないものだ。
     「やめてやれ、藤崎」暫くして、茨木が助け舟を出してくれた。
     「はーい」つまらなさそうに美都子は立ち上がって、奥に姿が消えた。
     美都子のいない部屋は余計に静かだ。数秒の静寂、そしてアパート前に自動車の轟く音が聞こえた。やがて茨木が言う。「君、お礼くらいは言えよ」
     「助けて欲しいなんて、一度も言ってませんから」
     「ツンデレかよ」

     美都子が持ってくれたミルクで墨のような黒いコーヒーはブラウン色になった。翔は一口を啜り、口に含んで、カップを机に戻すと更にミルクを入れた。それを見て茨木は慣れた風景でも呆れた声で言う。
     「今日は君をここに呼んだのは他でもなく、君の同級生の藍野君の、解剖の結果が出たんだ」
     「早いですね。どうでしたか?」
     茨木は溜め息を吐くと、続ける。「藍野君の頭部は例のファールボールに撃たれた痕跡はあるが、死因はここ」と彼はそう言って、自分の喉の辺りを指す。「幅の狭い刃物で気管を刺したようだ。かなり奥まで行ったな」

     「その凶器について、茨木さんは何かお考えがありますか?」
     「私はカッターではないのかと思ってる」
     「ええ、ありえますね。学生なら持ってそうですし。でもその同時に、脆いものだと思いますが」
     「まあな。幸いなことに、犯人は切り口にプレゼントを残してくれたそうだ。酸化した鋼の屑と、カッターの一部が喉に刺したままだ」
     「つまり凶器は錆びたカッターですね。力んで犯行をして、念のために奥まで突いたが、硬い部分に触れてしまって証拠を残ってしまった、というミスを、犯人はしたんですか。……いや、あれ……?」
     「君も気付いたか。もしこれが企画的な犯罪だったら、こんなミスを犯人はするのか。錆び付いて更に脆くなったカッターなんて使うのか」
     「つまり犯人は、藍野君を刺した後、慌てて確認もせずに逃げてしまった、ということだと」
     「これはまだ仮説だ。にしてもこの事件はついてないな。君達下にいる生徒達は誰も犯人も見てないしな。まあ、あの角度なら、ほぼ無理か。容疑者も山ほどいるわけだし、目撃者を探すしかないか。まずは学校にいて体育館とグラウンドにいない生徒を把握しなきゃな。はあ、面倒くさいことになった」いつの間にか茨木はマシンガンのように文句を言うようになった。
     「仕事ですからね」と翔は言うと、ほぼミルクティーの色になったコーヒーを啜る。
     「翔ちゃんは冷たーい」くくく、と美都子は笑う。
     彼女に「ちゃん」と呼ばれた翔は背筋に寒気が走ると気がした。「もうその呼び方はやめてくださいって言ってるでしょ」と言い、何か思い出したように、急に立ち上がる。「ああ、そうだ、茨木さん」

     なんだ、という表情で翔を見上げる茨木。そんな彼を見下ろす翔は言い放つ。
     「捜査の範囲を縮める方法ですよ、もっと喜んでもいいじゃないですか」
  7. 7 : : 2017/11/16(木) 15:04:34

     「捜査の範囲を縮める、だと?」茨木は腕を胸に組んで、顔を顰める。
     「正確には、容疑者の範囲、ですね」
     「ほう?」
     「茨木さんは実際に、被害者を見たわけですか?」
     「まあそうだな」
     「なら傷口も確認済です?」
     「当たり前だ」

     へへ、と翔は自分の思い付いたものに満足したようで、意地悪な顔で言う。「茨木さん、一つ忘れてますよ。一番大事なものを」
     「なんだぁ?」
     「カッターの入る角度ですよ。その角度によって相手の身長やどういったふうに刺したのか推測できると思います」
     はっとした茨木はぱっと表情が明るくなった。「そうだ、そうだな!ありがとう翔君、君は天才だ。早速写真を頼んでみよう」と言い、スマートフォンををいじりだした。
     「ええ……、もう少し考えてみてくださいよ……」
     だが自信の失った翔の言葉に、茨木はスルーして、スマートフォンは叩き続ける。
     それを見て美都子が言う。「いいんじゃない?茨木さんもいい提案だと思ってるそうだし、自信を持ちなさいよ」
     「藤崎さんも励ます言葉を言うんですね。初めて知りました」
     「ちょっと、どういう意味よそれ!せっかくいいことを言ったのにー」と美都子は抗議した。
     「お、来た来た」今度はパソコンの画面を見ている茨木は声を上げて翔を呼び寄せる。

     パソコンの画面に映ったのは人体x線の画像が出てくる。顎から首を見れる。真ん中に白くて太い斜め線が、横から首を貫通しようとして、途中で止まった。茨木はその線を指差す。
     「これだよ。外から喉くらいまで、ええと、ちょっと待ってくれ」マウスを操れ、茨木はソフトのツールを呼び出した。「……下から、20度くらいか。ほぼ水平と変わらんな。こりゃイメージしづらいな」
     「藍野くんの身長は173で、やや高い方ですね。これだと、彼と同じくらいかより高い人の仕業になっちゃいます」
     「君の記憶で、そんな人間いるかい?」
     翔は頭を振る。「あ、でも、バスケ部とか、排球部にいるかもしれません。その間に練習にいないメンバーを調べてみてください」

     「一気に絞ったな。よし、行ってくる。留守番頼んだぞ、藤崎」と言い残し、ドアまで駆けた茨木は、忽然と振り返って、無言で翔を見る。
     「………え?」翔は瞠った。「もしかして、僕も、ですか?」
     「何を言っている。当たり前だろう?」と茨木。
     「断ります」きっぱりと、茨木の語尾が消える前に翔は言った。
     「えええ?なぜだ」
     「学校で目立ちたくないんです。なので、茨木さんは一人で行って来てください」と言いながら、彼は文庫本を開いた。
  8. 8 : : 2017/11/21(火) 01:41:20

     金属的な音に続いて、歓呼が起こる。本塁から視線を空に移ると、ボールは大きな弧を描いて、グラウンドを楽々と越えた。三塁から戻ってきた新田夕吾の背中を叩いたチームメイト達。
     ぼんやりと茨木はそれを眺めた。
     「あ、来たんすね、茨木さん」ボトルを持つ拓也は汗を掻きながらこちらに歩いてきた。「新田を呼びます?」
     「いや、いいんだ。というか、練習続けてくれ」
     「休憩っすよ」
     茨木は言葉に詰まった。来たばかりというのに、一本のホームランだけを見れたというのか。
     「仕方ないか。待とう」
     「え、やっぱり新田を見に……いてっ」拓也の頭を茨木は手刀で叩いた。
     「余計なこと言うな。練習終わるまで私のことを言うな。知り合いだけだ、いいな」拓也は頷いて、踵を返すと茨木に呼び止められた。「ああ、そうだ、拓也君」拓也が振り向くと、彼は続ける。「新田君がファールを打った日、彼に何か変わったことはないか?態度とか、言動とか、どんな小さいことでもいい」
     「うーん」拓也は呻いた。記憶することは彼にとって何よりも難しいことである。「そういえばあいつ、あの日に限ってよく校舎の方にちらちら見てましたね。それを聞いたらなんでもないって返ってくるから別に気にしてなかったっすけど」
     「そうか、ありがとう」
     拓也は引き返して、戻ろうとする時、何か思い出したように振り返り、茨木に聞く。「あ、茨木さん。翔のやつ、もう帰ったんすか?」
     「そうだな」と簡潔に答えた。



     茨木事務所から直ちに家に帰った翔は、両親と妹の綾花はまだ戻ってきてないようで、一人でリビングのソファーに腰をかけて茨木のメモ帳の写本をめくる。最後のページに、新たに書かれた痕跡がある。翔は自分の推理を思い出しながら考えた。考えるうちに、無意識的に立ち上がって、身体を動かした。
     「はあ……」彼は腕を組んで考え込んだ。――やっぱり、彼が最後に会った人間を探さないと……。

     「ただいま……なんだ、翔。お前は空手の練習か?」
     はっとした翔は玄関を見る。靴を脱いでる男を見、「父さん、おかえり。違うよ。イメージしてるんだよ」と苦笑した。「僕に運動は無理だから」
     「身体を鍛えないと強くなれないぞ」と言いながら階段を登った。
     「はあ……」

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Us1A

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