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このSSは性描写やグロテスクな表現を含みます。

この作品はオリジナルキャラクターを含みます。

この作品は執筆を終了しています。

66.6度の世界

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  1. 1 : : 2020/08/10(月) 00:30:36
    みんな!! オリジナルコトダ祭り始まるよ!!
    投稿期間8月10日〜8月15日!!!

    参加者(敬称略)
    ・風邪は不治の病
    ・ベータ
    ・De
    ・シャガルT督
    ・カラミティ
    ・フレン
    ・豚骨味噌拉麺(作者咲紗)
    ・あげぴよ
    ・herth


    今回は円循環お題方式!!! herthさんから貰いました!! お題は『夜』と『扇』です!!

    はじまりまーーーーーす!!!
  2. 2 : : 2020/08/10(月) 00:31:22




    地球に住む人間は、より便利に、より楽に、より動かなくて済むように。そう醜く望んだ。そういった歪んだ自己愛が、ひどく鈍く、地獄の窯を開いていっている。


    年々、増していく気温。茹だるような、熱された空気に嫌気がさす。ビルの隙間から射し込まれる日光が、肌を炙る。汗で湿った下着は、不快なまでに背にへばりついた。


    蝉の鳴く声と、立ち並ぶビルの木陰に羨望を向けながら、ひたすらに歩く。


    今朝聞いたニュースによると、今日の最高気温は43度になるらしい。この調子で上がっていくと、十数年後には60度超える気温になるとかなんとか。


    さすがにそこまでは……と思いながら、身体を覆い隠す汗が、あながち間違いではない推測なのではないかと、脳裏に訴えかけてきた。


    ふと、電話が鳴る。思考を止め、ポケットからそれを取り出し、モニターに表示された名前を見る。


    「クソ……死んじまえ」


    電源を切り、アスファルトに汗を滴らせながら、俺は一歩ずつ歩いていく。学生服が汗で肌にまとわりつき、熱された地面と接する靴の中は、高温の蒸し風呂状態になり、不快感は頂点に達した。


    「死んじまえ……もう、嫌いだから、さっさと死ね……」


    ぶつぶつと呪詛を呟き、汚い言葉を吐き捨てる。しばらく歩くと、真新しい駅に着く。先月工事が終わり、ようやく外見を露見したそれは、一際、街のシンボルとしての存在感を示していた。


    入り口のすぐ側に設置された機械に小銭を投入し、液晶をタップする。出てきた切符を手に取って、改札口にいた駅員にそれを見せた。


    (早く自動改札にしろ……図体ばかりデカくなりやがって。めんどくせえんだよ)


    駅員を睨み、怒気を向ける。首を締めて殺してやろうか。八つ当たり染みた、そんな殺気を孕んだ視線を送ったつもりだったが、微笑みを崩さずに、切符に判を押され、返されてしまった。


    家から学校への通学で使うホームへと降りる。遥か遠くの方で電車が見え、


    (いつもならアレに乗ってここに来るのにな)


    と、普段とは違う光景に、ほんの少し胸を躍らせた。目の前を電車が横切り、徐々に失速していく。完全に止まったそれに足を踏み入れると、身体中を冷気が駆け抜け、まるで桃源郷を訪れたかのようだった。

  3. 3 : : 2020/08/10(月) 00:32:04


    人がまばらにいる電車内で、最も人との距離が遠い座席を見渡して探し、腰掛ける。疲れが抜けていくのと同時に、突如、猛烈な眠気に襲われた。

    思考が混濁する。

    支離滅裂なアイデアが次々と沸いては、古いものを押しつぶして、上塗りしていく。





    夢の中は、ひどく俺の日常とリンクしていた。


    床に散らばる答案。因数分解や平行四辺形の単元には、満点近い点数が記載されていた。だが一方、数列やベクトル、極限、複素数平面のテストは半分の点数ももらえていない。


    俺の数十倍はある巨大な両親が、答案を握りしめ、人差し指を俺に突き刺そうとしてくる。それを空中でなんとか躱しながら、助けを呼ぶ。


    遠方にいるクラスメイト達はこちらを一瞥し、声の主が俺だとわかると、卑下するような目つきで見つめた後、また前を向いた。



  4. 4 : : 2020/08/10(月) 00:32:38


    ガタン!



    「はっ!!」


    呼吸を荒くし、肩で息をする。かなり急なカーブを曲がっているのか、強い遠心力で身体が引っ張られよろける。悪夢の余韻で目頭に涙が浮かんだ。それを拭き取ると、朧げな視界で辺りを見渡した。

    列車内は静寂に包まれており、誰かに音を奪われているようだ。外は闇に覆われ、夜の世界が始まっていた。

    どう考えても切符の有効区画は過ぎている。切符を拝見されたら、無賃乗車として糾弾されることは間違いない。ひょっとすると、保護者を呼ばれるやもしれない。

    それだけは嫌だった。

    そう思った瞬間、駅員が車両に入ってき、一礼をして歩み出す。一歩ずつ駅員と俺の距離が縮まるたびに、激しい胸の痛みが強まり、吐瀉物を床にぶち撒けそうになる。

    駅員は俺にチラリと視線を向け、不自然さを感じ取ったのか、


    「切符を確認してもいいですか?」


    とだけ、言った。

    下降していくような絶望感に、腹部の下あたりがこそばゆくなる。この状況を切り抜け方を模索するが、寝起きでよく頭も回っていない。言葉に詰まっていると、電車はゆっくりと停止した。

    その直後。俺は飛び上がり、車内を駆け抜ける。


    「待てコラ!! クソガキ!!」


    駅員が怒声を飛ばし、手を伸ばして掴もうとするが、背後に迫りくるそれを振り払い、前傾姿勢で列車から跳躍した。


    「ーーーーーったぁ!!」


    コンクリートの床に思いっきりダイブする。硬い地面の上を転がりながら、じんじんと傷む両腕を庇いつつ、這いつくばった。他に乗る乗客もいないのか、俺が降りたのと同時に、扉が閉まっていく。駅員は内側から扉に触れ、こちらを恨めしそうに見ていた。


    列車が通り過ぎていっても、まだ心臓の音が煩くて、その他は何も聞こえない。だんだんと小さくなっていく音の、その代わりは見つからなかった。

    誰もいないホームに取り付けられた電球は切れかけで、瞬間的に、俺は一面の闇に晒された。「怖い。」そう思うのも無理はないだろう。孤独と、広大な闇。現代社会でなによりも忌み嫌われ、封殺されているそれら。

    それらと今、俺は対峙しているのだから。

  5. 5 : : 2020/08/10(月) 00:33:16


    恐る恐るホームから脚を踏み出す。生憎の曇り模様で、空は漆黒の雲に覆われていた。あたりは街頭すらなく、自動販売機の灯りに無数の害虫が張り付き、光は貪られ、僅かに漏れ出たのが足下を照らしていた。


    チャプチャプ。


    足下を薄黒い水がいったりきたりしている。波打ち際に、俺は立ち竦んでいた。


    「は?」


    素で発されたその声は、闇に溶け込んでいく。一歩だけ、踏み出した。お気に入りのスニーカーで地面に触れる。


    ちゃぷん。


    確かに、水を踏み分けた感覚があった。


    「なんだ? これ?」


    よく目を凝らす。闇に目が慣れてくると、目の前には到底、信じられない光景が広がっていた。


    薄黒い水が波を打ち、それはどこまでも続いていて、まるで闇の海のようだ。未知への恐怖よりも、好奇心の方が勝った。


    闇の海に膝まで入水すると、水特有の冷たさに顔を顰める。蒸し暑い夏の夜に、気の利いた海水浴だったが、黒い水面は心底不気味で、このまま闇に引き摺り込まれそうだった。

    肩まで水に浸かると、遂に足が地から離れていく。水を両の手でかき分け、足を軽く前後させる。それだけでかなりの安定感をもって進むことができた。

    しばらく泳いでいると、闇の海で迫り上がっている箇所に気づく。不穏な想いを、気づかないように気遣い、他よりも歪に高くなっているそこ目掛けて、脚をバタつかせた。


    俺が近づくと、堰き止められた枷が外れたかのように、迫り上がった部分はいくつもの球体の形を成して、急速に上方へと、とめどなく、隙間を見せず打ち上げられていく。

    唖然として見つめていると、その球体の打ち上げられるペースが落ちていき、まばらになっていった。


    そこに少女はいた。球体に身体を運ばれていたのか、空中に身を投げ出された彼女は、支えをなくし、勢いを増しながら落下していく。

  6. 6 : : 2020/08/10(月) 00:33:44


    「は!?」


    咄嗟のことに頭の奥まで混乱する。だが、一方で、目の前で起きた出来事は無視できるものでも無かった。落下地点を予測し、両手で交互に水をかき、足を何度も上下に動かし、水面に叩きつける。

    得た推進力で進んでいくが、落下の加速に勝てる筈もなく、少女の肉体は水面すれすれに迫っていった。


    少女の身体は大きな音を立てて、水面へと打ち付けられた。だが、彼女は叫び声をあげず、骨が飛び出し、鮮血が溢れ出るなんてこともなかった。

    理由は近づくと理解できた。少女は柔らかそうな黒いクラゲたちの上に、寝そべっていた。それらがクッションとしての役割を果たしていたのだ。俺が無数の球体と思っていたものは、無数のクラゲだったのだ。



    「な……? なんだ……これ……」



    俺が困惑していると、少女は寝息をたてるのをやめ、パチリとその大きい両眼を開く。筋の通った鼻、その下にある小さい口を目一杯活用して、息を吸い込む。


    「むにゃ……ん、人……?」


    こちらに気づいたのか、彼女は怪訝そうな顔でこちらを覗き込んできた。クラゲの上で四つん這いになり、黒く肩まで伸びた髪を靡かせ、顔を伺ってくる。



    「本当に人だ。貴方がクロクラゲを脅かしたのね」


    「そ、そんなつもりは無かったんだけど……ご、ごめん!」


    「謝らなくてもいいわ。クロクラゲは臆病なの。それより、貴方どうしてこんなところに? ここには、貴方たちが手に入れた『昼』はないわよ」


    「俺たちが手に入れた……『昼』?」

  7. 7 : : 2020/08/10(月) 00:34:33



    ひょっとして、電気のことだろうか。突拍子のない彼女の発言を噛み砕き、なんとか理解して、話に追従できるよう努める。俺の中で、彼女の話の真偽を確かめるという選択はなかった。



    「私たちはそれで追い出されたわ。私たち『夜人』は、夜にしか生きられない。昔はもっとたくさんいたらしいけど……この辺には、もう私しかいない」


    「き、君の両親とかは……?」


    「さあ……死んだか、永遠に終わることのない昼に閉じ込められてるか、記憶にないわね」
     

    さらりとそう言う彼女は、別に哀愁を漂わせるわけでもなく、ただ事実を伝えただけだとわかる。額に汗を浮かべながら、割れ物を運ぶときのような慎重さを持って。俺は口を開く。


    「ひょっとして……ずっと、ひとりだったの?」


    その質問に、初めて、彼女は感情を動かされたのか。視線を逸らし、下唇を噛みしめ、言葉を紡いだ。


    「ええ……私の友達は、この子たちだけ」


    じっとクラゲたちを見つめ、彼女はゆっくりと足下のクラゲを撫でる。手のひらで、手の甲で、何度もなぞる。まるでそこに、自分の跡を残そうとしているかのようだった。


    「……ねぇ、私に、昼の世界のことを教えてくれない? 昼はどんな風なの?」


    彼女は脚を組み直して、クラゲたちの上に、人がひとり座れるスペースを作る。彼女の黒いワンピースから覗かせた白い脚は、黒が支配するこの世界に不釣り合いなほど、綺麗に見えた。


    「いいの? そこ座って」


    「多分、大丈夫。あまり長時間じゃなければ」


    俺はクラゲを掴むと、一気によじ登り、クラゲの上に腰をつけた。先ほどまで水に浸かっていたのに、もう、ほとんど濡れていない。一瞬で乾いてしまった。


    「昼、か……そんないいところじゃないよ。死んじゃうほど暑いし」


    「暑い?」


    「あ、そっか……なんて言うんだろう。寒いの逆かな? 冷たいの逆で、温かいのがさらに強くなった感じ」


    「なんだか素敵だわ、それ。ええ、きっと気に入る」


    「よくないよ……最近は、本当に、それで死んじゃう人も多いんだから」


    「でも、それでも寒いよりはマシなんじゃないの? 私はもう、寒いのは嫌……」


    そう言う彼女の表情はとても寂しげで、下を俯き、脚を手で囲んで丸く縮こまっていた。

    俺は果てしないほど馬鹿だ。彼女はずっとひとりだったんだ。だったら、寂しくて、寒くて当然だ。それを俺は、わかった気になって、昼を貶して、最低だ。


    「じゃ、じゃあ……俺と一緒に話さない? 俺もしばらくここにいる」


    「……いいけど、貴方はここにいて、何かいいことがあるの? さっきも言ったけど、ここに『昼』はないのよ」


    「……昼は大事だけど、それよりも君と話したくなった」


    「昼より私をとるの? 貴方かなり変わってるわ。変態ね」


    「それは意味が違くない?」


    彼女は肩を震わせ、くすくすと、楽しそうにしていた。俺も嬉しくなって、胸がいっぱいに満たされて、何故だか涙が数滴だけ溢れた。なるべく見せないようにすぐに拭って、また彼女にいろんな昼を伝える。

  8. 8 : : 2020/08/10(月) 00:35:14


    車という乗り物があって、人はそれに乗って移動していること。子供たちは皆、学校という場所に集まって、学問を修めていること。昼では、様々な仕事があって、自分の履いてる靴は、その中のデザイナーという職業の人が作り上げたこと。


    彼女はそれを左手を頬にあてて、にこやかにはにかみながら、どこか哀憐を漂わせながら、二つの感情に板挟みされながら聴いていた。



    「昼って凄いのね……私の想像なんか吹き飛ばして、その上に新たに築いてしまうくらい、なんでもあるわ」


    「……ねぇ、なんて言うの?」



    少女は指を真っ直ぐと俺に向け、問う。俺は慌てて、自らの身に付けているものについて答えた。


    「これは制服っていって、さっき説明した学校って施設の……」


    「違うわ。貴方の名前よ」


    「お、俺の名前?」


    「ええ、私は貴方の名前が知りたい。教えてくれないかしら」



    面を喰らいながら、俺は平常心を取り戻そうと心臓に手を当てる。情けないほどに鼓動を鳴らすそれを抑えつけ、声を震わせつつ質問に答える。


    「俺は……若松 健吾(わかまつ けんご)」


    「ケンゴ……なんだか美味しそうな名前だわ。私はエト、改めてよろしくね」


    どういう観点による評価なんだろう。


    「え、エトさん……」


    「え? 私はエトサンじゃないわ。エトよ」


    「そう来るかぁ……うん、エト、よろしく」


    「ええ、ケンゴ、こちらこそ」



    お互いに顔を見合わせて、戯れの延長戦で頭を下げる。そのたった数秒後、あたり一面の暗闇に獣の唸り声が響き渡った。死を予感させる不協和音に、背筋が凍っていく。


    「え……?」


    呆然として、声の方向を見つめる。薄らと闇を纏いながら、大きな眼球を剥き出しにしたソレは、馬鹿みたいに長い鼻を水面につけていた。


    「夜獣……何もこんな時に来なくてもいいのに」


    「や、夜獣?」


    「夜を生きる獣のことよ。凶暴だから気をつけて」

  9. 9 : : 2020/08/10(月) 00:36:14



    俺は恐怖心から、下にいるクラゲを強く掴んだ。さっきから汗が止まらない。激しい緊張のせいで極度の浮遊感に襲われる。吐きそうになり、思わず手で口を覆う。


    次の瞬間、水面から幾つものクラゲが飛び出し、俺らの身体はそのまま上方へと吹き飛ばされた。闇に染まった空中は一切の目印がなく、俺はただただ何も分からないまま、宙を彷徨う。


    「こっち!! ケンゴ!!」


    声のする方向にがむしゃらに腕を伸ばす。闇の中で確かに、エトの手と触れ合えた。その瞬間、安堵からか自分が呼吸を忘れていたことを思い出す。


    「ーーーーっはぁ!!! はぁ! はぁ」


    「大丈夫、クロクラゲは臆病だけど優しいから」



    風を切る音が煩すぎて、エトが何を言っているかわからなかったが、自分が落下していく恐怖にただ耐え、耐え忍んだ。


    水面に打ち付けられるが、クラゲたちが落下地点に集まっていてくれたため、背中に少し衝撃が疾っただけで済んだ。身体が弾み、何度も揺さぶられる。



    「ありがとう、クロクラゲ。さて……」


    俺は喋ることもままならないほど消耗していたが、彼女は違った。ゆっくりと夜獣の方を見つめるエト。奴は、四足歩行で黒い水の上を漂っている。巨大な眼球をギロつかせ、未だに鼻を沈めていた。


    「アレね」


    エトが手を前に翳すと、直径数cm程度の黒い粒が何個か発生する。そしてそれらは、目にも止まらぬ速さで闇を切り裂き、夜獣の顔面へと打ち込まれた。


    「グオオオオオオオオオ!!!」


    夜獣は苦痛に呻き、のたうち、暴れ回る。水面から弾き出され、鼻の全容が露わになる。長さは奴の身長の数倍はあろうか。おそらくあの鼻を水中に通して、俺たちを攻撃しようとしたのだろう。


    その驚異の身体能力よりも、クロクラゲの危機察知能力の方が優れており、攻撃が始まる前に射程距離から脱出することができた。


    「よし、逃げよう」


    「に、逃げるの? 勝てそうだけど……」


    「無理よ。私ができるのは不意打ちだけ。小細工じゃ体格差はひっくり返らないわ」


    彼女の言う通り、すぐに夜獣は体勢を立て直し、こちらを目玉を剥き出しにし、歯を喰いしばって睨んでいる。歯茎から溢れる大量の涎はやはり、俺たちをそういう目で見ているのだろう。


    「あら、とても怒ってるわね」


    「逃げよう!!」


  10. 10 : : 2020/08/10(月) 00:36:54


    逃げるべき道も解らぬまま振り向くが、瞬時にクラゲが前へ前へと列を作っていき、それを見た瞬間、自分が成すべきことが理解できた。


    脚に力を込め、跳ねる。今までの人生の中で一番の好スタートを切ることができた。それを祝うかのように雲が割れ、月の光が差し込んでくる。月夜の明かりを頼りに、俺たちは風を味方にクラゲたちの作った橋を駆けた。


    月華がたなびく織物のように光の膜を張り、黒い水面で、無数の宝石のように輝き、反射する。冷たい風は俺たちの髪を持っていこうとした。クラゲを踏むたびに、水音が辺りにこだまする。


    黒の水飛沫が水墨画の如く、鮮やかで、滑らかな黒が2人の肉体を、水玉模様で染め上げていった。


    息を弾ませ、血液が身体中を目まぐるしく流れるのを感じる。はち切れそうな血管に鞭を打ち、千切れそうな脚の筋繊維をこれでもかと酷使した。


    そろそろ引き離しただろうか。そう思ったのも束の間、首元で獣の唸る声が響いた。振り向くことすらせず、ほんの先を見渡すと、月光の乱反射が途切れていることに気づく。



    「ここから先は地に足つけて走るわ!」


    「は、はいっ!」



    クラゲを踏み抜き、高く跳ぶ。久しぶりの地面はやはり硬く、思いっきり着地した足首が悲鳴を上げた。激痛に涙を浮かべるが、泣き言を言ってもられないので、痛みを跳ね除けて駆け抜けた。


    ドスドスと背後で鈍い足音が轟く。手と足をとにかく振り回し、だんだんと呼吸が熱を帯びてきた。肺に穴が開いたかのような錯覚に陥ると、もう煩い足音は止んでいた。


    「え……?」


    吐き気を堪えながら、膝を震わせ、何とか言葉を作ろうと必死に呼吸を整える。


    「ここは洗浄の地、夜獣は入ってこれない」


    彼女の説明を聴いているのは聴いているのだが、いかんせん恐怖と疲労から頭に入ってこない。


    「はぁ……はぁ、それは……どうして……?」


    息を吐き出すようにして言葉を紡ぎ、蚊の鳴くような声を発する。彼女は髪を耳にかけ、ゆっくりと口を開いた。


    「洗浄地には昼の実が、たくさんなってるから。夜獣はそれを嫌って入ってこれない」


    「昼の実は多くの昼を吸い込んでるから、夜獣にとっては毒なの」


    「なんで、洗浄された土地……?」


    「昔の人たちが、『夜獣は罪を背負っている夜人の成れの果てだから、それを咎める昼の力で浄化された土地には近づけない』って考えてたからだと思うけど……ええ、確かそうよ」



    よくわからないが、ここはかつて人が果樹園を営んでいた土地らしい。あたりには何本かの木が生い茂り、それらは柑橘系の果実を枝につけていた。


    おそらく捨てられた土地に、根強く生態系が住み着いた結果だろう。足下を注視すると、れきが積み重なっており、水捌けも良さそうだった。こういった土地はそれが理由で果実を育てやすい。



    「とりあえずここにいれば、安全、ってわけだね」


    「……そうね」

  11. 11 : : 2020/08/10(月) 00:37:41


    死の恐怖はまだ消えない。膝が笑っているのは、疲労からだけではなかった。しかし、どこか浮かない表情のエトが気がかりで、俺は彼女の振る舞いをジッと見つめた。すると、あることに気づく。


    「右手、怪我してるの?」


    「!……ええ、さっき逃げてる時に擦りむいちゃって」


    エトはそう言って、右手を左手で覆い隠す。申し訳なさそうに視線を伏せ、おろおろと見るからに狼狽ていた。


    「大丈夫?」


    「ええ、これくらい大丈夫よ。大丈夫」



    自分に言い聞かせるように、彼女は大丈夫を繰り返す。その切羽詰まったような単語の連打に、言葉の裏の焦燥感を感じざるを得なかった。


    「……心配かけまいとしてくれるのは嬉しいけど……もう、俺たち友達なんだから、ちゃんと言って欲しい」



    すると、エトは暗い表情を吹き飛ばし、パッと驚いた顔でこちらに迫ってきた。


    「友達? 友達って言ったの今?」


    その鬼気迫る表情に、彼女の逆鱗を刺激してしまったのかと胸に黒いモヤを抱える。言葉の選び方を間違えたか、もしくはよくない伝わり方をしたか。


    「いや、ほんと、何かの誤解で!」


    「友達、凄いわ! 私、初めて友達ができた!」



    俺の邪推は彼女の笑顔で弾け散り、杞憂だけが脳裏に残った。


    「友達! いい響きよね。私ひとりも友達がいなかったから、本当に欲しかったの!はじめての友達がケンゴで良かった!」


    「そ、そう……それは嬉しいよ」


    「さっきは心配かけてごめんなさい。久しぶりに走ってちょっと疲れてたの」


    「……俺も」


    「今日はここで寝ましょう! ここなら夜獣もこないし安心だから!」



    彼女は嬉しそうに鼻唄までつけて、爛々としながら、その場でもっとも柔らかそうな地面に転がった。


    「早く! 一緒に寝よ! ケンゴ!」


    言われるがまま、俺は彼女の側に横たわり、ゴツゴツとした石に身体を刺されつつ、エトと向かい合わせで眠りにつくことになった。


    「……!」


    エトはこちらを不思議そうに、邪悪なことなど一切知らない風な顔で、こちらを見つめる。月光は既に暗闇に飲み込まれていた。

  12. 12 : : 2020/08/10(月) 00:38:12


    お互い、何も話さなかった。全くの知らない人間と同衾するのは奇妙な感覚だった。どこか夢見心地で、神秘的な雰囲気を憂う。これは、俺の知っている夜ではなかった。


    しばらく寝れないでいると、エトの方は眠気に襲われたのか、寝息を立て始める。静かになった彼女は時折、呼吸を止めた。その綺麗な白い顔を見ると、彼女は死んでしまったんじゃないかとさえ思えてきた。


    暗闇があたりを埋め尽くす。途端に、恐怖が心を沈めていった。闇の奥から、今にもあの化け物が唸りながら出てきそうで、手足の先が痺れてくる。


    恐怖はやがて口元までその水嵩を増していき、遂には俺から酸素を奪った。蒸し暑さはとうの昔に消え失せ、凍えるような悪寒だけが残っている。


    闇に対する恐怖が、もう、脳髄にまで迫っていた。「ここに『昼』はない。」エトのその言葉がいつまで経っても消える気配がなかった。恐ろしい夜の世界に、俺は迷い込んでしまったのだ。


  13. 13 : : 2020/08/10(月) 00:38:45




    水気を含んだ日光に叩き起こされる。身をよじると、身体中に痛みを感じた。石の上で寝るという無謀極まりない行いを後悔する。


    眠気と争いながら、あまりの眩しさに、両の手で顔を覆った。何はともあれ、俺は帰ってきた。昼の世界に。それもそうだ。夜が終わると昼が来る。自明の理だ。


    昨日は夜の恐怖に慄き、ほとんど寝れていなかった。いつもの世界に戻ってこれた安堵からか、また、揺り籠に揺られるように、睡魔が襲ってくる。ふと、隣を眺めた。


    エトがいない。


    「エト……?」


    夜人は夜にしか生きることができない。聴いてはいたし、理解もしていたはずだが、突きつけられた現実は、あまりにも唐突で、無配慮で、残酷で。


    エトが昨日寝ていた場所を、何度も手で擦る。此処に、確かにいたのだ。全てが夢なんじゃないかと思えてくるほど、嫌いな現実だけがそこにはあった。



    「……けど、また、夜が来れば会えるんだろ?そうだよな? エト」



    そう思い直すが、脳裏にフラッシュバックするのはあの恐怖。文明の外の存在、それに生命を絶たれるのが怖かった。脚は竦み、歯をガチガチと鳴らす。


    夏の昼間だというのに、真冬のように寒かった。気付いたら、俺は駆け出していた。


    人、光、電気、全てが恋しかった。あんなに嫌っていたものたちに、俺は守られ、保護されていたのだ。


    どれほど走っただろうか。草木を踏みしめ、雑木林を抜けると、こじんまりとした民家がかなり離れた間隔で2〜3軒ほど、建てられていた。



    「はぁ……! はぁ……!」



    嬉しさのあまり泣きそうになる。安堵が心の奥底で弾けてはまた産まれ、幸せに身体中が満ちていく。生還した喜びに呆然と佇んでいると、縁側から、顔にシワがびっしりと刻まれた、優しそうな老女が出てきた。



    「あら、珍しいこんなところに。息をそんなに切らして……マラソンしてるの?」


    「い、いえ……」


    「よねぇ。だってこんなに暑いもの」


  14. 14 : : 2020/08/10(月) 00:39:32



    お婆さんはくすくすと笑うと、俺の痩せこけた頬と泥だらけの格好を見兼ねたのか、手招きして奥に引っ込んでいった。



    「なにか作ってあげるわ」


    老女の身体が土間に消えていく最中、俺はゆっくりと其方へと向かった。俺は警戒というものも持ち合わせず、縁側で靴を脱ぎ、ひんやりとした畳を靴下で渡り、ふすまをおもむろに開いていていった。


    食卓はキッチンと連結しており、お婆さんはガスコンロを用いて、何やら料理を作っているようだった。



    「食器棚からお皿を2枚とってくれるかしら?」


    俺の接近に気がつくと、料理に集中しているのか、こちらを振り向かずに、あけすけにそう言った。


    食器棚と思しき棚から、上に積まれている皿を取る。それらにはオリーブの葉が描かれており、食欲をそそりそうな装飾に、少し期待が高まる。


    「すみません、ご馳走になっちゃって」


    「いいのよぉ。そんなぼろぼろの子供を放ってたら、天国のお爺さんに怒られるわ」


    「えっと……なにか力仕事とかあったら、手伝います」


    「あら、そう聞こえちゃったかしら? でもまあせっかくだし、後でお願いしましょう」



    お婆さんは心底楽しそうに、フライパンの中身をかき混ぜる。火の散る音に想いを馳せながら、俺は出来上がるのを待った。


    数分経つと、卵の香ばしい匂いが部屋中に漂い始める。胃が総動員で胃液を準備し、口も涎をいっぱい蓄え、舌は鼓を打った。


    目の前に持ってこられた料理は、いわゆるオムレツというやつで、添えられたスプーンを手に握り、


    「いただきます」


    とだけ言って、一心不乱に口の中に書き込んだ。スプーンで卵を割ると、中から蒸されたジャガイモが出てきて、ホクホクとした食感と、卵のとろみが混ざり合い、絶妙のバランスを保っていた。


    胡椒をスパイスに作られたオムレツは、いい塩梅の辛さが癖になり、飽きずに最後まで食べきることができた。


    「ごちそうさまです!!」


    手を前に合わせて、感謝の意を伝える。日常で与えられているもの全て、当たり前ではないことに、俺は遅れながら気づいた。


    「美味しかった?」


    「はい! とても!」


    「それは良かった。けど、あなた、どうしてこんなところに? 若い人がこんなところに来ても、楽しい事は何もないでしょう」


    「えーっと……家出ってやつです」


    「そう……いいんじゃないかしら。若いころは、なんでも無茶をした方がいいわ。堅実に生きるのも、もちろん素晴らしいけれど」


  15. 15 : : 2020/08/10(月) 00:40:30


    笑顔を崩さずに話しているところを見ると、本気でそう思ってくれているのだろう。だが、俺はある負い目を感じていた。


    「はい……」



    俺の浮かない顔を見てか、お婆さんは少しの間、沈黙を作り、意を決したように話し始めた。


    「いや、ねぇ……お婆ちゃん、ちょっと、あなたと同じくらいの歳の娘みたいな子がいてね」


    自分のオムレツには一切手をつけず、机の真ん中を見つめ、お婆さんは語り続ける。


    「あなたを見てると、昔のあの子を見ているようで」


    切なそうに話すお婆さんは、申し訳なさそうに、腰が低いふうで、まるで罪悪感を感じているかのような騙り口だった。


    俺ははっと、昨日の出来事を思い出していた。


    ーーーーー

    「昔の人たちが、『夜獣は罪を背負っている夜人の成れの果てだから、それを咎める昼の力で浄化された土地には近づけない』って考えてたからだと思うけど……ええ、確かそうよ」

    ーーーーーー


    エトの発言に、今更ながらに違和感を覚える。彼女が産まれてこの方一人っきりならば、名称も解説も伝承していない筈である。


    「それ……ひょっとして、エトって子、ですか?」


    恐る恐る、言った。お婆さんは一瞬の間だけ驚愕し、目を大きく見開く。わなわなとテーブルの上で手が震えているのを、俺は黙って見ていることしかできなかった。


    「そう、エト……あなたも会ったのね」


    「ええ、昨日……」


    逃げ出してきたバツの悪さに、思わず目を逸らしてしまう。だが、そんな俺に、お婆さんは優しく微笑んでくれた。


    「昔はここら辺はね……夜人と人間が共存していたの。ひと月に一回ぐらいの頻度で、互いに会ってはくだらない話ばっかりしてた。エトの両親には、私が小さい頃に何回も助けられたこともあったわ」


    「え?それって……」


    「夜人は夜にしか生きられない。存在できない。だから、成長も人間の半分なの」


    諭すような口調でお婆さんはそう告げ、ふたたび語り始める。


    「……いつしか人間は控えめだった電気を、夜にまで持ち出し始めた。夜人は山へと住む場所を移り、いつしか人間と関わることをしなくなった」


    「エトは、そんな現代に生まれた夜人」


    「ここは比較的発展が遅かったけど、電車の通り道が敷かれ、高速道路なんかも作られていったわ」


    「エトの両親はお腹にある子供と、山へと移住する前に、私たちに娘が大きくなったら逢いに来ると言った」


    「けど、なかなか逢いにこない彼らに痺れを切らして、私たちは夜に、恐怖に怯えながら山に入っていったわ」


    「そこには4歳児ぐらいのエトが、クラゲに囲まれて座ってた」


    「両親はいなかった。夜獣にやられたか、夜も電気の消えない場所にいるかはわからないけれど、彼女が覚えているのは自分の名前だけ」


    「私たちは必死にいろんなことを教えたわ。彼女のお父さんやお母さんから聞いてた夜人のことを、なるべく小さいあの子にもわかるよう、噛み砕いて」


    「お爺さんがいたころはエトと遊んだりもできたんだけど……あの人が亡くなった頃、脚も悪くなっちゃって。彼女が物心つくころには、通えなくなっちゃったのよ。もう、私たちの事を覚えてるかも定かじゃないわ」


    自虐的に微笑むお婆さんのその表情を見ると、居た堪れない気持ちになる。彼女だってエトが大切なはずなのに。


    「もし覚えてたとしても、きっと、裏切られたって、エトは思ってるでしょうね……」


    そんなの。そんなことあってたまるか。エトはあそこに今もいて、昼のことを覚えていない。覚えていたとしても、残ってるのは裏切られた記憶だけ。そんなの、残酷すぎて、死んでしまいたくなる。


    「そんなこと……エトは絶対、裏切られたって思ってません!! だって……じゃないと、あんまりじゃないですか……!!」


    思わず、涙が零れ落ちる。俺は、裏切った。エトを裏切って、みっともなく、恥も外聞も捨てて逃げ帰った。それなのにこの人は、無理やりブルータスの役をあてがわれたのだ。


    このままでいいはずがない。たった独りで夜を憂う彼女が、大切な人の想いを誤解したままだなんて、あってはならない。ただの孤独より、裏切られたが故の、寄るべき身のない方が、遥かに辛く、絶望的だろう。


    「俺が絶対に伝えてきます!! エトに!! おばさんは、エトが大好きだって!!」


  16. 16 : : 2020/08/10(月) 00:41:27


    弱い自分を責め立てるように、振り切れるように、俺はお婆さんに向けて言い放つ。机を強く押し込み、目を見開いて、視線に想いを乗せた。


    「……お願いしてもいいかしら。もういくばくも寿命のない、年寄りの戯言だと思ってもらっていいから」


    今にも消えてしまいそうな、儚げな雰囲気でそう告げられる。お婆さんは拳を膝の上で握り締め、彼女の体温が上がっていくのを感じた。


    「ーーーーっはい!」


    俺はその次の瞬間、駆け出した。飛び起きた衝撃で、食器が机のステージで跳ね、カタカタと高い音が鳴る。


    土間を走り抜けようとするが、靴下のせいで滑ってしまい体勢を崩した。咄嗟に柱を掴み、脚の回転数を上げて、上体を起こす。そのまま加速して縁側まで一気に身体を運んだ。


    靴を乱暴に履くと、あとは一心不乱に来た方向へと脚を進める。


    エト、裏切ってごめん。俺みたいな人間の屑は存在しないほうがこの世の為だろうし、さっさと死ねって本気で思ってる。


    一度は死のうと思ってた。クラスメイトからは疎まれ、親からは責められ、俺も俺が心底嫌いだった。電車に乗ったのも、相応しい死に場所を探して、そこで死ぬ気だったからだ。



    雑木林はどんどんと木々が重なっていき、植物が作り上げた迷宮と化していく。何度も息を切らしながら、記憶の紐を辿ってあの場所に帰ろうとする。手を振り、脚を目一杯回した。


    日が頂点にのぼると、汗がとめどなく流れ始め、熱気の牢獄に捕らえられたかのようだった。森の虫たちは騒ぐことを美徳とでも教わっているのか、彼らの煩い協奏曲が神経を逆撫でする。


    全身がずぶ濡れになりながらも、喉が乾いて痛みが走っても、脚だけは動かすことをやめない。次第に日は傾き始め、首を垂れるようにして眺めていた、俺自身の影は細長くなっていった。



    もう死んでしまいたい。けど殺されたくない。


    それでも、こんなゴミみたいでどうしようもない俺で良ければ……


    「隣にいてもいいかな、エト」


    脱水症状、熱中症、その他様々の昼がもたらした病状を抱えながら、気がつくと、俺は今朝いた場所に戻っていた。そこに腰掛け、遠くをぼんやりと見つめる。


    逢魔が時。夕暮れが作り出す景色は、とても幻想的で、紅く染まり上げた世界に独り取り残された俺は、夕陽に空虚な目線を向け、愛しい彼に別れを告げた。


    あたりは既に薄暗く、物から物への輪郭がぼやけてくる。影が伸びていき、産まれ始めた闇と混ざっていった。あの恐怖は再び色濃くなっていく。


    目を瞑ると、俺の名前を呼ぶ声がした。



    「ケンゴ」


    「……え、エト?」



    ゆっくりと視界を開いていくと、そこには可愛しく微笑んだエトが立っていた。黒色のワンピースを揺らし、瞳を輝かせながら、髪をおもむろに耳にかける。


    夕陽は完全に沈み、あたりは闇が統べる夜が訪れていた。エトは待ちきれないとばかりに、両の手で拳を作りながら、それを上下に振って話始める。



    「今日はどこに行こっか! ここももちろん楽しいけど、ケンゴといってみたいところが他にもたくさんあるの!」


    「……エト」


    愉しそうに燥ぐエトを見るだけで、此方もつい赦された気になってしまう。けど、駄目だ。熱いものが目に浮かんでくるのがわかる。嫌われるのが怖かった。だとしても、彼女だけには。


    ありのままの自分で望みたかった。


    「どうしたの? 暗い顔をして」


    「……エト、俺は昼に、君を見捨てて逃げ帰った」


  17. 17 : : 2020/08/10(月) 00:42:25


    「……え?」


    それを聞いたエトは、信じられないといった表情で俺を見つめる。それには侮蔑も卑下も含まれていなかったが、ただ、諦めたような、そんな放心した顔つきをしていた。


    「……なんでわざわざ言いに来たのかはわからないけど、本当のことらしいわね。そう、やっぱり夜は辛い? 昼の方が楽しいわよね。昼を生きれるのなら、みんな昼を過ごすわ」


    「じゃあ、さようなら。お別れを言いに来てくれてありがとう。あなた気がきくのね」


    踵を返して歩き始めたエトの言葉は、明らかに刺を含んでいて、心から誰かと向き合ったことのない俺には、あまりにも痛くて触れることができなかった。


    それを両手で強く、掴んだ。


    「エト、聞いてくれ。俺は夜が怖い。君の言う通りだ。もう夜なんかで過ごしたくない。昼を生きていたい」


    背中越しでも、エトの表情はわかる。悔しくて唇を噛み締めている筈だ。肩を震わせ、自分の運命を呪っている筈だ。振り向き様に、エトは激昂した。


    「本当に気がきくのね! ありがとう!! よくわかった!! あなたの気持ちも!! 昼の素晴らしさも!!」


    人を怒らせたのは初めてだった。いつもは忌み嫌われ、避けられるだけだった俺が、初めて人を怒鳴らせた。生まれて初めて向き合った怒気は、撫でただけで壊れてしまいそうなほど、脆く感じられた。


    「……いいや、分かってないよ、エト」


    「俺は君と一緒にいたい。夜は怖いけど、もう過ごしたくないけれど、昼を愛して止まないけれど、俺は君と一緒にいたいんだ」


    エトは息を震わせ、向ける場所を喪った感情の行き先を求めて、髪を掻き毟った。


    「みんな、私を見捨てるの」


    「いいや、みんな君が好きだ。ただ、それ以上に夜が怖いんだよ」


    「じゃあ、そこで生きる私はどうすればいいのよ……」


    エトはその場でしゃがみ込み、膝を両腕で抱えて哀哭する。そのときの彼女はあまりに弱々しくて、見てはいけないところを覗いてしまったかのような罪悪感を抱えた。


    俺は息を吸って、なるべくその吐き出す二酸化炭素に。俺を乗せて、俺の感情と思考を、ありったけを込めて、エトに届くように。届いて欲しいと願いながら、そっと話す。


    「俺が隣で生きるよ、夜が来るたびに君に会いに行く」


    エトはしばらく何も言わなかった。俯き、地面を見つめながら、何度か嗚咽を漏らしつつ、その場からぴくりとも動かなかった。


    ふと上を見上げると、一面の空の黒い画用紙に、か細い光の粒が散りばめられていた。無数の銀河の結晶は、満天の星空を取り、遥か上空で輝いている。


    「エト、見てくれ。星が、綺麗だ」


    エトは鼻を鳴らしながら、目元を赤く腫らし、首を俺が言ったほうに向ける。彼女の目は光を見つめ、その瞳にはいくつもの光が宿った。涙が光を纏い、頬を流れ落ちていく。


    「ほんとうに……凄く綺麗」


    「だよね。夜が作る芸術作品だ」


    「フッ……ケンゴ、あなたとても臭いこと言うのね。ワキガだわ」


    「いやそれはマジで意味が違うし、やめて欲しい」



    お互いが、顔を見つめ合って、しばらくしてから噴き出した。そして、いろんなことを泣きながら笑い、話した。ゆっくりと流れていく時の中で、俺たちは二人きりで寄り添って話を続ける。

  18. 18 : : 2020/08/10(月) 00:43:26


    何時間か話し続けて、互いがくたくたに疲れたその時、エトは上機嫌で人差し指を立てた。



    「ここでの生き方を教えてあげるわ」



    俺が彼女の指先を見つめていると、何もない空っぽの空間から、滲み出るようにして黒の球体が形成されていった。


    「この間はスルーしてたけど、それかなり凄くない? どういう原理なんだろう」


    「人間は昼を扱えるから、夜人はその逆。光は形をとるけれど、闇は朧げだから何もかもが自由なの」


    「うーん……よくわからないけど、暗黒物質みたいなものかな」


    暗黒物質。ダークマターとも呼ばれるそれは、質量は持つが、光学的に直接観察することのできない物質のことだ。この宇宙を構成する要素のほとんどをしめており、物質と相互作用することがない。


    夜、言い換えると闇の中でしか観測できない夜人という存在は、暗黒物質の一種が作り出した奇跡の存在なのかもしれない。


    「ケンゴもやってみて」


    無茶を言う。苦虫を噛み潰したような引きつった笑みを浮かべ、俺はエトに向かって指を立てる。


    「はっ!」


    力を指先に込めてみるが、何も起こらない。イメージが現実に影響を与えているのかも。その仮説を立て、入念に構築された想像を持って、再び挑んだ。結果はただ指を突っ立てた馬鹿な男が、そこに居ただけだった。


    「ダメだ……多分、夜人にしかできないんじゃないかな」


    「えーーーーー、これができたら本当に便利なのよ?」


    「そうは言われても……」


    俺は精一杯、エトを宥めながら、心の奥底ではこんな力は扱えないという、何か確信めいたものがあった。人間の数は飽きてしまうほど多い。もしこの力が俺たちにも使えるのであれば、きっともうとっくに解明されている筈である。


    「念じかたが足りないのよ。『何処か』に『何か』を発生させるイメージさえあれば、きっと出せるわ」


    「そういう問題かな?」


    俺が首を傾げると、エトはこちらから視線を外し、上を仰ぎ見た。それに釣られて、俺もまた頭上を注視する。


    薄らと空が明るみを帯びていく中、目を凝らしていくと、遥か上空に何か黒い物体が移動していることに気づく。鳥の鳴き声に混ざって、翼のはためく音が聞こえる気がした。



    「あ、あれは……?」


    「シッ。空を眺めているフリをして。この距離でも、アレならこちらの気配を辿れるかもしれない」

  19. 19 : : 2020/08/10(月) 00:43:57


    俺は震える脚を抑えつけながら、目を泳がせ、言われた通りに灰青色の空を、視点の定まらない両目で捉えようと試みる。


    漆黒の鱗にびっしりと覆われた外殻に、背後で揺ら揺らと蠢く、鋭い鞭のような尾。粗めで分厚い和紙を彷彿させる、きめ細かい翼。


    龍が、暁の海の底を泳いでいた。



    息を殺すことには慣れていた。家でも、学校でも、いつだってそうやって切り抜けてきたから。俺は自分の存在を否定するように、目を伏せ、沈黙を貫いた。そうすると、呼吸すら煩わしく思えてきて、俺がここにいないような、そんな錯覚にさえ陥ってくるのだ。


    「もう大丈夫よ」


    エトは遠くのたなびく細い雲を見つめながら、優しくそう告げた。しかし、彼女の目は明らかに不安を孕んでおり、額に汗がびっしりと刻まれている。


    「アレ……そんなにまずいの?」


    「まずいなんてもんじゃないわ。黒龍……強靭な肉体、叡智を誇る頭脳を持つ。そして射程圏内全てを灰塵と化す、黒い吐息からは絶対に逃れられない」


    「見つかったら終わり。狙われたら……楽に死ねることを祈るだけね」



    エトは真顔で、そう言い放つ。ごくりと生唾を飲むが、緊張までは喉元を通り過ぎてはくれなくて、手足の痺れはまだ消えなかった。


    そんなことを考えていると、朝日が雲の隙間を抜いて、射し込んでくる。山の綾線に舞う霜に、光があたり、四方八方に反射していった。夜明けが近づいている。



    「エト……」



    はっきりと形や色を貰っていく他とは対称的に、エトだけが輪郭を奪われていき、その色彩も色褪せていっている。彼女は、幸せを脚色したように微笑むと、「じゃあね。」とだけ言った。


    太陽に照らされていく土地に、彼女の姿はない。匂いも、呼吸音も。昼に独りだけ取り残された俺は、思いっきり空気を肺に取り入れた。


    「絶対!! また、夜にここに来る!!」


    そう叫ぶと、山が騒ついた気がした。俺は吹っ切れたような、晴れやかな気分になり、心地よい風に揺られながら、お婆さんの家屋を目指して、歩き始めた。

  20. 20 : : 2020/08/10(月) 00:44:36


    そこからは、俺が人生で体験したことのないような、楽しいことの連続だった。


    朝はお婆さんの敷地内で、畑の水やりから、害虫駆除、果ては肥料を混ぜ、土作りなんかまで手伝わせてもらった。慣れない虫に躍起になっていると、木陰から見ていたお婆さんにクスクスと笑われてしまった。


    昼はお婆さんの特製料理を食べる。満腹になった腹を抱えつつ、書斎で、埃かぶった本たちの中から気に入った一冊を選ぶ。それを、縁側で仰向けになりながら、ひたすらページを捲って、半分ぐらい読んだところで、寝た。何でも、死んだお爺さんが大変な読書家だったらしい。


    待ちわびた夜になると、俺は飛び起き、そわそわしながら洗浄の地へと向かう。夕日が沈む前に、家を出るのが望ましい。その方が、夜獣と鉢合わせる心配が少ないからだ。


    露の滴る雑草を踏み分け、息を切らして、エトの名前を呼ぶ。そうすると、彼女は必ず背後から現れた。今日起こったことを、形を得たばかりの彼女は心底、愉しそうに聴いていた。


    そうして、俺たちは夜の作り出した世界を駆ける。息は弾み、跳ねる身体に全てを委ね、俺たちはどこへでも行った。



    森の奥に生えている、黒い木はクロツリーと呼ばれているらしく、夜人の主な食料を実らせる。真っ黒なその果実は、焦げてしまった林檎のようだったが、味はさらに酷かった。美味しそうに食べるエトを揶揄うと、黒い果実を頭に叩き落とされた。



    山の麓には黒い滝がとめどなく水を溢れさせており、そこに大量のクロクラゲが生息していた。彼らと絡み合いながら、滝壺を泳いで進むと、黒い模様が描かれた錦鯉が、華麗な様で黒水の舞台で踊っていた。エトに「クロコイ」というと、教えてもらった。


    エトは手のひらに黒い紐を作り出し、それでクロコイを縛り、掴むと、自分の身体にしがみつくよう俺にいった。どぎまぎしながら、心臓に折檻を行う。この音がエトに聞こえないよう、懇願すらした。


    エトが紐を引くと、黒い滝をクロコイが昇っていく。水を掻き分け、その推進力で流れに逆らい、ひたすらに上を目指す。俺たちはそれに引っ張られて、何度も水を被り、窒息しかけた。その無茶苦茶な昇りっぷりに、俺たちはただ笑うしかなかった。


    滝の頂上で飛び跳ねると、俺たちは月光の下に晒される。黒ばかりが一面を覆い、空には銀河。比喩などもういらない。そこは俺たちの、宇宙だった。



    見晴らしのいい丘まで二人で来ると、エトはにこりと口角を上げ、手を掲げて振り回す。手から小さな球体がぽこぽこと、可愛い音を立てて発生している。月夜の明かりに照らされた黒球は、シャボン玉を彷彿とさせる。


    風に靡く草原の上で、エトのシャボン玉はどこまでも、どこまでも遠くへ飛んでいった。丘の上から眺めるそれらはとても魅力的で、煌めく田園も、揺れる木々も、みなが悦びを感受している気がした。


    戻ろうと、振り返るその瞬間。


    シャボン玉が、割れた。






    「いつ、帰るの?」

  21. 21 : : 2020/08/10(月) 00:45:17


    「え?」



    活字に溺れていると、お婆さんの声に現実に引っ張り出される。久しく降っていなかった雨を背景音楽に、縁側で寝そべって、本を読んでいたのだ。顔色を伺いながら、慎重に尋ねる。



    「迷惑ですか……?」


    「迷惑だなんてとんでもない。手伝ってもらってることに感謝しかないもの」


    「じゃあ、なんで……」


    怯えたような口ぶりで話す俺に、お婆さんも言いにくそうに、視線を何度か逸らしながら、ようやく口を開いた。



    「あなたのその怪我、夜獣にやられたものでしょう? なんとか応急処置ができる程度で帰れてるからいいけど、今夜はわからないわよ」



    お婆さんは呆れたような顔で俺の痣、切り傷、擦り傷を見つめ、ため息を吐く。俺にとって、エトとの夜は楽しいものだったが、依然、死と隣り合わせなのは変わらない。洗浄の地から離れるたび、傷の数が増えた。


    美しい思い出なんて半分もなく、ほとんどは夜獣との争いに夜を費やしているのが現状だった。



    「お家に帰ることも……考えてみたら?」


    「それだけは!!」


    お婆さんの提案に、俺は思わず大きな声を出してしまう。気づいて口を塞ぐが、もう後の祭りだ。自責の念が身体をじっくりとねぶり、押し潰されそうになる。


    「それだけは……いやなんです」


    「でも、このままじゃ死ぬわよ?」



    残酷だが、現実だ。そして現実は残酷だから、非常に客観的な事実だった。俺は運がいいだけ。エトが生死のやりとりに慣れていて、助けてもらっているだけ。


    「けど、エトを独りにはできない……」


    都合のいい言い訳を並べる。後で気づいて自分を殺したくなるような、他人を理由にした利己的な思惑。それを咎められる。


    「でも、エトの目の前であなたが死んだら? あの子は一生自分を責めるわよ」


    なにも言い返せない。結局は、彼女を盾にして、自分本意なだけだからだ。


    「なにも行くなって言ってるわけじゃない。せめて月に1度にしなさい。それが、二人のためよ」


    お婆さんはこんな時でも、真っ直ぐと俺を見続け、訴えかける口調で話す。俺を信頼してくれているからだ。伝わると信じているからだ。こんな、俺を。どこかが滑稽で、思わず笑みが溢れそうだった。


    「今夜だけ、いかせてください……エトに、そう言ってきます」


    面を伏せて、目を強く瞑ってそう言った。お婆さんは「好きにしなさい。」とだけ言い、自室へと戻っていった。


    それを見送ると、俺は玄関へと向かい、靴の先を床に数回叩きつけ、足をねじ込む。傘立てから一本拝借し、引き戸を開けて外に出た。


    雨は途切れることなく降り注ぎ、地面にあたっては無作為な方向へと跳ね、散った。塗装されてない道の窪みの水溜りに、蛙が浸かり、間抜けな音楽を奏でている。


    森に無数の水の矢が撃ち込まれ、俺が進むのを拒むように、銀の幕を下ろされているようだった。そこへ踏み入れると、木々の葉に雨粒が阻まれ、上に溜まった水滴が、たまに傘へと落とされる。


  22. 22 : : 2020/08/10(月) 00:46:11


    黙々と歩みを進めた。勾配のきつい坂の泥濘に、足下を掬われ、思わず手をついて堪える。手のひらにびっしりとついた泥を払い、立ち上がって、また脚を動かした。


    2、3時間も歩くと、柑橘系の果物のなる木がちらほらと見えてくる。ここに来ると、現実を忘れることができた。エトに会うと、煩わしさや胸に蔓延る不安が、スッと何事もなかったように消えていくのだ。


    エトの名前を呼ぶ。わざとらしく、あえて戯けて。返事はない。


    まだ、時間が早いのだろうか。こういう時に携帯の便利さが痛いほどわかるのだが、警察の探知を恐れて、電源をつける気にはなれない。


    しばらくあてもなく彷徨いていると、クロクラゲらが水溜りに浮いていた。触手を動かし、何か伝えたいことがあるのは明白だった。


    「お前ら、雨の日はここに来れるのか?」


    その中の一匹をしゃがんで抱えると、物凄く苦しそうに悶え、身体を歪めて、仰け反った。穏やかじゃないその動きに、心拍数が上がる。胃が逆流しそうな恐怖が押し寄せる。


    そのクロクラゲが振り絞って動かした、触手の向きに全力で走った。傘を片手で持つのが鬱陶しく、途中で投げ捨てる。雨が背を打つ。下着までぐっしょりと濡らされ、言い様のない不快感に襲われる。


    案外、すぐ近くに目的のものはあった。エトが、苦しそうに、見たこともないほどに衰弱していた。俺は咄嗟に駆け寄り、肩を揺らす。ぬかるんだ地面に膝をつき、泥に汚れることも厭わなかった。


    「エト!! どうした!?」


    「ケンゴ……ごめん……」


    何が。どうなっている。置いたクロクラゲも見るからに弱っている。


    「大丈夫……ゲホッ……ゲホ!!」


    エトは咳により、吐血した。血が辺りに撒き散らされ、黒ばかりの世界に1色が加わる。


    「は……!? どうなってんだよ……!」


    感じたことのない焦燥感に、身体が浮遊していく感覚を味わう。エトを握る手が強張り、その度に彼女は苦しそうに咳をした。荒々しい呼吸に、拍車がかかる。俺が彼女を掴むたびに。俺が。俺が、エトを。


    ある不吉な思考が脳裏を過ぎる。


    きっかけは、エトの発言だった。




    「夜獣は洗浄の地に入ってこれない。『昼』を吸った果実を嫌うから」



    その時、精一杯で、全く発想に至らなかった。いや、言い訳をするな。そう思いたく無かっただけだろ。夜獣と夜人で性質が同じだなんて、信じたく無かっただけだ。


    エトが俺に合わせて、毒がぶら下がった危険地帯で笑顔を振り撒いているのを、信じたく無かっただけだ。


    そして、果実だけが昼を浴びてるなんて、めちゃくちゃもいいところじゃないか。都合の良い自己解釈をよくここまで展開できたもんだ。人間は、人間こそが昼を生きている。


    俺がエトにとっての毒だったのだ。



    ーーーーーーーーーー

    「いいの? そこ座って」


    「多分、大丈夫。あまり長時間じゃなければ」

    ーーーーーーーーーー



    クロクラゲに乗ったときの発言、今思えば不自然だった。だってエトはそこに長時間乗って、寝ていたのに。なんで俺が乗ったら無理なんだよ。俺が昼を生きているから、俺が毒だからだ、簡単過ぎる。


    ーーーーーーーーーー


    「右手、怪我してるの?」


    「!……ええ、さっき逃げてる時に擦りむいちゃって」


    エトはそう言って、右手を左手で覆い隠す。申し訳なさそうに視線を伏せ、おろおろと見るからに狼狽ていた。


    ーーーーーーーーーーー


    あの時、俺が空中で掴んだ、エトの手を思い出す。忘れるはずもない。細く伸びる指をこれでもかと感受し、脳裏に焼き付けた。そうだ。親指が、右にあった。あの手は、右手だ。


  23. 23 : : 2020/08/10(月) 00:46:35



    言ってくれよ。友達だろ。言えるわけないだろ。友達だから。馬鹿か。こんなになるまで付き合って、良いことなんかひとつもないだろ、俺なんかと。


    目から涙が溢れ出ては、群雨と混ざって、溶けて消えた。エトを抱え、洗浄の地から離れようと必死に駆ける。滑っては転け、エトを庇い腰を強打した。痛みに悶絶しながら、這いつくばって前に進む。


    白いシャツが泥に塗れて、下着にまで染み込んだ頃、俺たちは廃棄された果樹園の外にたどり着いていた。見渡すと、下の方に、初めて出逢った海が細波を立てていた。


    筋肉がはち切れそうになりながら、下までエトを運ぶ。黒い浜辺に彼女を寝かせると、海から大量のおぞましい流動体が上がってきた。クロクラゲたちだ。エトは汗をびっしりと浮かべ、目を強く閉じたまま喘いでいる。クロクラゲたちはエトを取り囲むと、心配そうに触手を絡めた。


    これでいい。俺は、踵を返し、お婆さんの家へと戻ろうとした。次の瞬間、巨大な地響きと共に、吹き飛ばされそうになる程の風圧が浜辺を襲う。手を顔の前に翳し、砂埃を防ぐ。晴れてきた視界の、目の前に、一匹の竜が降り立っていた。


  24. 24 : : 2020/08/10(月) 00:47:28



    黒龍。厳格な態度で、彼にとってつまらない土地を侮蔑すると、退屈そうに口を開けて、空に向かって吠えた。


    両の側頭部を鈍器で殴られたように錯覚する。鼓膜が激しく震え、もし、咄嗟に耳を塞いで無かったらと思うと、背筋が凍る。



    「グオ……」



    黒龍は二足歩行の動物に興味を示したのか、ゆっくりと、壮大な足音を踏み鳴らし、こちらへ一歩ずつ向かってきた。


    「嘘だろ……?」


    じりじりと詰まっていく距離に、込み上げてくる吐き気を耐える。背後を盗み見ると、エトはまだクロクラゲに包まれたまま、身動きができる状態ではなかった。


    また、前を向く。前眼には怪物。視界が涙で滲む。畏怖をそっと拳に握り込み、顔の前で構えた。


    「かかって……かかって来い!!!」


    俺の宣戦布告と同時に、空気が弾けるような爆音が鳴り響き、黒龍の背後の砂が奮い立ち、壁を形成する。その先に、鞭のようにしなる奴の尾が見えた。


    生物としての格が違う。結んだ拳はいつの間にか解けて、半歩だけ無意識のうちに引いた。鼻先を空気の圧が駆け抜ける。すれすれで通り抜けていったそれは、また、黒龍の元へと戻っていき、後ろで揺れた。


    死が目前に迫っている。どうすればいい。黒龍に決死の覚悟で攻撃するか?馬鹿が、俺が1発殴って勝てるわけないだろ。エトを見捨てーーー。黙れ。二度と頭を過るな。


    そもそもこんなことになる前に。気づけば。俺が毒だと、エトにとって、夜人にとって毒だって気づいてれば。夜人にとって、俺は毒。そう、夜人……



    眼前の怪物は、未だに興味が尽きないのか、こちらを見下し、微動だにしない。俺は自分の利き手を黙って見つめ、祈るように握りしめ、決死の一撃を創った。

  25. 25 : : 2020/08/10(月) 00:48:07


    その刹那、黒龍は畝るように飛び回り、屈強な健脚を剥き出しにして迫ってくる。砂塵は嵐を思わせるほど暴れ、地を統べる突風につい足を奪われ、立ち止まってしまう。


    黒龍との距離は、もうほんの数メートルの距離しかない。風が肺に押し寄せ、呼吸すらままならない。だが、そのまま、俺は手を前に突き出した。この速度。おそらく俺は重体、運が悪ければ死亡クラスの負傷を負う。


    しかし、奴も無事では済まない筈だ。一瞬とはいえ、自らが作り出した速度で昼をぶつけられるのだから。


    迫りくる衝撃に、歯を食いしばって耐えようとする。が、黒龍は途中で身体を捻り、旋回して引いた。その時の風圧で身体が軽く浮き、靴の先が地面を擦りつつ吹っ飛ばされる。


    みっともなく着地しつつ、砂塗れになった身体を叩き、飛行する黒龍を黙って見つめた。


    (高さは十数メートルある。一見お互い手出しできないように見えるけど、奴は口から炎を吐けるらしいから……)


    猶予はない。むしろ、こちらに攻撃の手段がない分、追い込まれている。空を自由に飛び回る黒龍に、憧憬にも似た何かを覚えながら、俺はひたすら脚をうごかした。


    せめて、せめて突っ立ったまま死ぬのだけは。この一歩がせめて、エトの寿命を延ばしてくれますように。祈りながら対抗策を探る。神に祈っておきながら、自分で解決しようとするのは、罰当たりなのだろうか。いや、取れる手は全部打ちたかっただけだ。


    (俺にアレができればな……)


    酸素の薄くなっていった脳裏を支配するのは、あの日見た情景。エトが作り出す魔法のような物体。完全にファンタジーの世界の産物。もしくは、極めて科学的な暗黒物質の顕現。


    しかし、頭を振って考えを振り払う。無理だ。もし人間に使えるのならとっくの昔に判明している、ブラックボックスだ。けれど、それがその通りだとして、状況をひっくり返す打開策は生まれない。だったらいっそ、使える前提で。なぜ使えないのかを考えろ。



    人間は夜を忌み嫌い、昼と添い遂げ、発展してきた。闇に晒されると、人間は恐れて慄いた。ならば、闇で生きるためのこの技術も、人間は使えなかったんじゃないか。人間は昼を生きるから。


    この技術は闇を生きるためのものだから、闇を生きる者にしか扱えない。だったら。俺が持ってる身体の部位で、たったひとりきり、日陰者がいる。光を浴びない部位が、昼を手に入れてない部位があった。



    「明確なイメージ……!」



    エトが言ったことを反芻する。「此処」に「エトが見せてくれた、あのエネルギー」、全部集まってくれ。これっきりでいいから。エトを救えたら、もう、それだけで良い。


    突如、脚下でボコボコと黒い球体が溢れ始める。それは勢いを増し、体積を膨張させ、辺りに弾け跳んだ。その衝撃で、俺の身体が宙へと舞い上がる。足裏に砂が吸い付くようにして、一本の細い柱が形成された。



    「足底……地面を踏みしめるそれは、一時も地面と離れられないから。俺たちは地球の上に立っているから、そこだけは、光を直接浴びていない」



    黒龍は面を喰らったように、一瞬、空中で固まった。それもそうだ。なんせ今あいつが対峙してるのは、自分より遥かにちっぽけな二足歩行の猿なのだから。それが今は、自分と同じ目線にいる。


    拳を握る力が強くなる。今から、一撃。近づいて見た黒龍の、身体中を覆う漆黒の鱗に身震いする。眼球は鋭くこちらを睨み、牙は闇を切り裂くように生えていた。


    その直後に、黒龍は翼をはためかせ、距離を取る。驚いたのも束の間、風に相殺されて推進力を喪った俺の体は、減速しながら下に向かっていった。


    「クソ!? マジか!……死ぬ!! 死ぬ!!!」


  26. 26 : : 2020/08/10(月) 00:48:44


    風が強く吹き荒れ、重力が作り出す速度は、俺の胃を締め付けて離さない。歯を食いしばっていると、落下地点にクロクラゲたちが重なりあっていることに気づく。


    「ほんっとに優しいな!! お前らは!!!」


    羽を焼かれたイカロスは、仲間の力を借りて、もう一度高く跳び上がった。クロクラゲたちを蹴り飛ばし、落下のエネルギーをそのまま、上昇するための力に変換する。重力が俺の後方に逸れていくのを感じた。


    「いけ!!!」


    黒龍の首元へと潜るように迫り、俺は思いっきり殴りつける。鱗の感触はあまりに硬すぎて、コンクリートでも叩いたのかと錯覚するぐらいだった。


    指の痺れと甘い達成感に酔っていると、身体が落ちていく。下を見ると、クロクラゲたちが必死に俺のもとへ向かっていたが、陸は脚を取られるのか、思うように進めていなかった。



    「……」



    これでいいんだ。やっと、死ねる。しかも誰かのためにだなんて最高だ。いや、そんなわけない。エトだからだ。彼女のためだから、俺はこんなに心地よく死ねるのだ。


    地面と背中が接するその瞬間に、俺は得体の知れない何かに服を引っ張られる。慣性に苦しんでいると、そこには俺の服を咥えた黒龍が愉しそうにしていた。


    「は……?」


    驚愕した俺とは対照的に、黒龍は無邪気に俺の顔を舌で舐めた。そこで気づく。こいつは子供の個体なのだ。きっと、こいつは最初から俺を殺す気などなく、ただただ遊んで欲しかっただけなのだろう。


    俺の決死の一撃は、奴にとっては柔らかく撫でたのと大差ないらしい。構ってくれて、とても楽しくて、しかも首を撫でてくれて。黒龍は嬉しそうに、俺の周りを歩く。遊び半分で殺されかけたこっちとしては、なんとも釈然としない終わりだった。だが、これでいいと感じていた。



    「黒龍……たしか、お前賢いんだってな」


    俺はエトが寝そべっているところを指差し、優しい表情でゆっくりと語りかけた。


    「あそこに俺の大切な人がいる。きっとお前も好きになる。俺の代わりに、一緒にいてくれないか?」



    黒龍は不思議そうに、首を傾げつつ、事情はわからないまま、それでも情緒はわかるのか、空へ吠えて、おそらく引き受けてくれたのだろう。エトとクロクラゲたちがいるところへ向かうと、身体を丸めて、添うようにして寝転んだ。


    それを遠目から見つめ、雨に打たれながら、俺は歩いて行った。

  27. 27 : : 2020/08/10(月) 00:49:22



    それから2週間後。


    俺は、蒸し暑い気温を避けるように、お婆さんの家のリビングで麦茶を飲みながら、黙々と本を読み進めていた。お婆さんは買い物に出かけ、家には静けさが訪れていた。コップを置くと、底に入れられた氷が、軽快な音を立てて回る。


    エトと合わなくなってから、2週間が経った。帰った直後、お婆さんに人間が夜人にとって毒である事を告げると、思い詰めた表情で、色々な思い出と思惑が交差したのか、しばらく沈黙を貫いた。


    追求はしなかったし、できなかった。それをしようものならば、相手の過去に土足で踏み入り、荒らしてしまうことになる。俺はただ事実だけを伝え、エトと会う回数を減らすことを話すと、お婆さんは悲しそうに微笑み、同意してくれた。


    色褪せたページを捲り、びっしりと書き刻まれた活字に目を通す。だが、どこか上の空だった。ふとあたりを眺めると、煤汚れた換気扇から日光が射し込んでいる。


    またそっぽを向き、俺は本と睨めっこをした。これで良かった。本当に、そう思っている。俺の存在がエトを傷つけている。だとしたら、どうしようもないじゃないか。


    本を捲る手に違和感を覚える。疑問に思い、ページを進めると、そこには若いお婆さんと青年の写真が挟まっていた。雪国辺りだろうか。針葉樹が立ち並ぶ中、耳当てをして、二人は幸せそうに寄り添っていた。


    俺もこんな風に、エトといろんなところを旅してみたかった。けど、俺たちには昼夜という超えられない壁がある。


    ため息をつき、落ち込みつつ、俺は写真をもう一度本に挟み直した。すると、辿々しく、騒がしい足音が玄関の方から聞こえてくる。お婆さんが帰ってきたのだろうか。いや、それにしては解錠に手間取っている。


    不信感を抱いた俺は、軋む床を踏みしめながら、玄関先へと向かう。激しくインターホンがかき鳴らされ、ただ事ではない何かが起こっているのがわかった。


    引き戸のガラスに、見慣れないシルエットが影になってできている。意を決して戸を開くと、そこには、薄汚れた作業着の中年男性が立っていた。



    「あ!? 誰だ!? お前ウメさんの隠し子か!?」


    「いえ……おばさんの家に居候させてもらってるだけです。どうしたんですか?」


    「どうも、こうも、ねえよ!! でもお前に話しても仕方ねえ……!!ウメさんがどこ行ったか、わかるか?」


    苛立ちを隠せないのか、脚を強く揺すり、そわそわと落ち着くのない様子だった。雑にあしらわれたので、俺も仕返す。


    「買い物だと思いますけど」


    「くそ〜〜!! こんな時に!!」


    男性は太い指で頭を掻きむしり、髪にへばりついたフケを撒き散らかす。思わず嫌悪感を顔に出してしまったが、お婆さんの知り合いに失礼が過ぎるわけにはいかない。おそらく近所の人間だろう。


    「伝言あるなら聞きましょーか?」


    「ん!? あぁ……駅の方に、大量に機材が運ばれてきてやがる!! 多分、何かでけえ建物ができんだよ!! これだけ言っておいてくれ!! そしたら伝わる筈だ!!」



    ……駅。あの日、エトと出逢った場所。足下が無限に落ちていくような、そんなバッドトリップを味わった。瞳の奥に、エトが振り向きざまに微笑む光景が浮かび上がる。


    「エトが……まずい!」


    「なんだお前!? エトを知ってんのか!?」

  28. 28 : : 2020/08/10(月) 00:50:32


    駆け出そうとするが、謎の男性に肩を掴まれ止められる。鬼気迫る表情は、暴れようとする俺をいとも簡単に静止させた。


    「気持ちはわかる!! だが待て!! ここから1人で走っていってどうなる?」


    ぶつけられた正論は痛いほど脳に染みたが、生憎、正論というものが性に合わない俺は、反駁の言葉を探して放つ。


    「だからって……ここで突っ立ってて何になるんですか!?」


    「ちょっと、あなたたち、どうしたのよ?」



    口論を聞きつけて不穏に思ったのか、お婆さんが塀の外から小走りで来た。男性はお婆さんに説明をしながら、俺を握る手を決して緩めようとはしない。焦燥に身体を火照らせつつ、歯を食いしばって今を耐える。


    「それは……まずいわね。大型のショッピングモールになるなら、夜の間、店を閉めるにしても、ずっとライトで辺りを照らすことになる」


    「そうなんですよぉ。俺ぁ、エトがこのまま永遠に閉じ込められるんじゃないかと、心配で」


    「建物が出来てない今、脱出するとかはどうかしら?」


    「いやー、それも考えたんですがね、工事現場ってこともあって、奴ら、夜でもお構い無しに照明で照らしてやがった」



    一向に進まない問答に呆れ果てた俺は、庭に咲く杏子の花を侮蔑し、現状を保とうとする2人に嫌気がさしていた。



    「とりあえず、行かないなら放してもらっていいですか? 俺は行きます」


    強く握り締められたおじさんの手を掴み、睨みつけ、凄んでみせる。こちらを見つめる彼の目が、若干優しくなった。驚いたようにも見える。



    「そうか。エトにも、友達ができたのか」


    おじさんはほんの少し涙ぐみ、湿気の混じり合った声を発する。


    「お前、名前は?」


    「ケンゴです」


    間髪入れずに答えた。思いを馳せているのか、しばらくの静寂の後に、肩に乗せてあった手が退けられた。


    「ケンゴ、俺のトラックに乗れ。エトのところまで行くぞ」


    待ってましたと言わんばかりに大きく頷き、俺とおじさんは玄関を勢いよく駆け出した。外はすでに雲が立ち込め、生憎の曇り模様だ。


    「ウメさんはここにいてくれ! 後で報告しにくる!」


    庭に停められていたトラックに飛び乗ると、タバコの煙たい匂いが鼻腔をくすぐる。嫌悪感を覚えていると、エンジン音がけたたましく鳴り響き、振動に身体が小刻みに揺れた。おじさんがシフトレバーを動かすと、軽トラがのろのろと進み始める。


    ものの数秒もしないうちに、トラックは加速していき、あっという間に最高速度すれすれまで膨れ上がった。平らな道だけでなく、勾配のある坂道も、おじさんはレバーを複雑な操作をしながらすいすいのぼっていく。



    「車出してもらって、あ、ありがとうございます……えーっと」


    「イチローだ。好きに呼べ」

  29. 29 : : 2020/08/10(月) 00:51:19


    「イチローさん、ありがとうございます……」



    思わず感謝の意を述べてしまい、面食らってしまった。さっきまでは親の仇のように憎んでいたのに。まあ、もしそんな人がいるなら、感謝しても仕切れないが。


    自分の優柔不断さにほとほと愛想が尽きながら、窓の風景に目を向けると、めまぐるしく移り変わる景色に、エトとの思い出の鱗片が過ぎ去って、脳裏をよぎってく。


    拳を握りしめ、ただただ不安を耐えた。漠然とした不穏を胸に押し込み、口に運んで噛み殺すことで遠ざけた。


    「エトは、どうなるんでしょうか」


    「どうもこうもねぇよ。奴らが来たのが、夜ならチャンスはある。何年も夜を生きてるあいつのことだ、きっと光の届かないとこまで逃げれる」


    「でも、昼ならまずい。昼にエトは何もできない。何もさせてもらえない。ただ、そこに『ある』だけだ」



    真っ直ぐ前を見つめ、イチローさんはそういった。淡々と話すその様子は、冷静にも写るが、俺には彼も同じく、不安を遠ざけようと必死なだけにしか見えなかった。



    「それ、もう少しで着くぞ」


    イチローさんはハンドルを大きく切り、トラックの行先を曲げる。遠心力で身体が持っていかれそうになった。扉にへばりつき、堪えていると、目の前に映った光景は、ひどく発展的で、進歩していて、文化的で、人類にしかできなくて、絶望的だった。


    工事現場は、巨大な照明が中央に据えられ、四方八方を照らせそうだ。電光掲示板も10から20枚は随所に設置され、夜でも闇を避けることができるだろう。トラックが何台も行き来しており、無数の人間が機材を降ろしたり、運んだりしている。


    広大な範囲をコーンや柵、即席のビニールで覆われた壁で囲っており、かなりの人員が何かしらの作業を行なっていた。


    震える手足を精一杯動かしながら、トラックから崩れるようにして降りる。荒くなる呼吸を止める術を知らないまま、ゆっくりと、立てかけられた看板まで歩いていった。


    『ショッピングモール ドリームタウン 建築予定 来年末』



    がっくりと項垂れ、手を看板について、倒れそうになる身体を支える。途切れそうになる頭を働かせ、思考を回す。


    最近では、田舎にショッピングモールを建てるのが主流だと聞いていた。理由は土地代を抑えることができることと、都会と違って県民のほとんどが車を所有していることにあるそうだ。


    だからこれもその一種で。いや、どうでもいいじゃないかそんなことは。問題はエトだ。エトがどこに行ったか、それさえ分かれば。


    『ここにいるかも』


    最悪を考えずにはいられない。ふらふらと彷徨いながら、いつだってそれが頭をよぎった。


    駅の近くで休憩している作業員がこちらを不審そうに眺めているのも、風景としてしか映らない。イチローおじさんが後ろで何か叫んでいる気がするが、全くもって頭に入ってこなかった。


    「おい」


    体格の良い、背格好が高い男性に呼び止められる。振り向きざまに、どつかれ、体勢を崩した俺はその場に尻餅をつく。


    「ここは私有地だ。入ってるんじゃない。邪魔だし危険だ」


    反論しようにも言葉が浮かんでこない俺は、俯いてやり過ごそうとする。男性はその態度に腹を立てたのか、苛立ちを隠せていない声で言葉を付け足していく。


    「お前な。看板が見えないのか? ん? もしくは俺の声だ。その耳は飾りか?」


    男に耳を抓まれ、上方に引っ張られる。接合面に熱い痛みが走り、俺は苦悶の表情を浮かべた。


    「なんとか言え。その口も飾りなのか? あ?」


    両の頬を、奴の手のひらで押し潰さる。がっちりと固定され、歯の根元がぐらつくのではという恐怖と、呼吸のし辛さに思わず喘いだ。目頭に浮かぶ涙をなんとか堪え、手を退けるよう抵抗する。


    「は、離せっ!」


    男の腕を押し上げ、離れた隙に駆けて逃げ出す。背後で怒声が飛んでくるが、振り向くことなく全力で疾った。

  30. 30 : : 2020/08/10(月) 00:52:01


    「はぁ! はぁはぁ」


    兎にも角にも、エトと別れたあの場所を目指して腕を振る。息もきれきれで、暴力と直面した痺れがまだ抜けきらない。元来、そういう事に向いていないのだ。いつだって、暴力と遠い位置を選んで生きてきた。


    そう考えていると、あの日の夜、あの場所へと辿り着いた。ここにも電光掲示板が数枚設置されており、プレハブ小屋も見える。


    男は幸い追ってきていない。エトがどこかへ移動した痕跡がないかと、躍起になって探しているが、一向にそんなものは見つからなかった。


    手で地面を擦り、彼女のいたという記録を、思い出を掘り起こそうとする。すると、少しだけ窪んだ、溝のようなものがある事に気付いた。


    「な……これ、文字?」


    ゆっくりと、震えている指で解読していく。それはあまりに不格好で下手だったため、時間はかかったが、ある程度は理解できた。それを声に出して紡いでいく。



    「こ」


    「……こで……」


    「……まって、る、から……」


    「ーーーーーーーーエト」



    肩を落とし、両肘を地面に突きつけたまま、嗚咽を漏らした。エトは逃げなかったのだ。俺を待って、昼に閉じ込められるかもしれないのに。離れ離れが怖くて、ここを動かなかった。俺と一緒にいると昼が身体を蝕むのに。それでも動かなかった。


    「え、と……エト……エト、エトッ!!」


    後悔が血液に混ざって、隅々の臓器に行き渡る。どうしようもない現状が、彼我をくっきりと分けていき、孤独と絶望だけを俺の中に認知させる。


    「あああああ!! 俺が!! あの時!!」


    頬に爪を立て、縦に引っ掻く。掻痒感にも似た痛みが奔ったが、変わらない今に対する後悔はもういい。次を。何か。次だ。とりあえずここの電灯を無くしさえすれば、エトが帰ってくるのではないか。


    黙々と、無作為に暴れ回った。立てかけてある看板をなぎ倒し、無造作に積まれた機材を転がして、崩していく。派手に音を立てて倒れるそれらに、お構い無しに続けた。


    「おい!! 何やってんだクソガキ!!」


    騒ぎに気付いた作業員が、わらわらと集まってきた。固唾を飲んでいる暇もなく、俺は誠心誠意で語り、エトを取り戻せるよう説得する。


    「あの! 友達がここで、いなくなったんです! だから! 機材とか、ライトとか片付けてもらっていいですか!? その方が、さがしやすいですし!!」


    声を張り上げて、捲し立てて喋る。まるで活弁士の如く、必死になって訴えかける。だが、それも虚しく伝わらなかった。


    彼らはまるで死体に生えた蛆でも見るような目つきで、俺に対して罵詈雑言を並べる。


    「あ? なんで俺らがそんなことしなきゃいけねーんだ 警察でも行けよ」


    一人が言い放ったのをきっかけに、続々と後ろから野次が飛んでくる。


    「面倒くせえなぁ……こういう奴」


    「そもそもここ人の土地だしねぇ わざわざそんなとこに来て、迷惑かけるだなんて、その友達も君に似て、よっぽどのクズなんだろうな」



    迫りくる非難に、しどろもどろになりながらも、自分の理を主張する。何より、エトを侮辱されたことが許せなかった。


    「い、いや! 友達は昔からここにいたんですよ!! その居場所を急に奪って、酷いのは……クズだなんて、訂正してください!」



    俺が叫び終わると、茶ばんだタオルを首に巻いた、屈強な男が前に出てきて、俺を侮蔑する。無精髭の濃い、色黒な見た目をした彼は、見下したように苦笑すると、俺の腹部目掛けて拳を打ち込んだ。

  31. 31 : : 2020/08/10(月) 00:53:00


    張り裂けるような腹痛に、悶絶して声もまともに出すことが叶わない。蹲りながら、地面に胃液を吐き垂らす俺に、彼は語りかけた。


    「あのなぁ……お前、うぜえわ。お前らみてーな田舎者が昔からここにいたとして、で? って感じ」


    「ここの土地は他の奴が買ったんだよ。じゃあ、この土地はもうそいつのもんで、どう利用しようが勝手だし、お前らに騒ぎ立てる権利はない」


    「1人行方不明になったとかしったこっちゃねーから。だって立ち入り禁止の看板見えなかった? いやいや、見えるよな?」


    「そこに入っていなくなったって……自業自得の馬鹿じゃん。そんな間抜けを探す義理なんてねぇ。分かったらさっさと帰れ!!」


    唾を顔に吐きかけられた次の瞬間、顔を蹴り飛ばされ、視界がひどく混濁する。口いっぱいに鉄の味が広がり、ぽたぽたと地面に血飛沫が飛び散った。


    「うぐぅうう!! がぁ……! っつーーー!!」


    あまりの苦痛に声を出そうにも、言葉にならない。揺れる意識の中で、人を掻き分けてイチローさんが駆けつけてくれたのがわかる。


    「おい!! お前ら!! 何やってんだ!!」


    「あ? なんだよおっさん。この馬鹿なガキの保護者か?」


    「馬鹿はお前らだ!! 子供相手にムキになって……恥を知れ!!」


    「なんなんだてめー、俺らは世間知らずのガキに教育してやっただけだぜ?」


    「そうそう」



    イチローさんは多勢に無勢なのを悟ったらしい。ぶつぶつと不平不満を漏らしながら、俺へと近寄って、腕を引き上げ、肩を貸してくれた。


    「よし、帰るぞ。あいつらに何を言っても無駄なことはわかった」


    脚を引き摺る俺を励ましつつ、奴らを一瞥すると、踵を返してイチローさんは前へと進み始める。俺は悔しさと痛みで、今までの人生で無いぐらいの息辛さを感じていた。


    「……元はと言えばてめーの馬鹿ガキのせいだろうが!!」


    だが、イチローさんのそのぶっきらぼうな態度に自尊心を刺激されたのか、集団の中の1人が、背後からおじさんの下肢を踏み抜いた。


    「ぐぉっ!!?」


    バランスを崩し、おじさんは呻き声をあげながら転倒する。地面へと放り出された俺も、強く打ち付けられ、ジンとした傷みが身体の正面に広がった。


    それでも、まだ怒りが収まらない様子で、男は荒々しく呼吸をしつつ、丸まったイチローさんの背中を蹴り抜いた。鈍い音と同時に、大音量の絶叫が森に染み渡っていく。


    「っっあ!! ぐああああああ!!!」


    「い、イチホォさん……!?」


    上手く喋ることができずにいると、口の中でころころと、無機質な味の刺々しい物体が、舌の上を転がっている。それは俺の犬歯であることを、前歯部を舐めてわかった。


    「プッ」


    血の塊と共にそれを吐き出して、即座に飛び起き、イチローさんへと駆け寄る。男らは、醜い畜生共が互いの傷を舐め合う姿でも想起したらしく、陰湿な笑みを浮かべ、ニヤニヤと見下したまま動かない。


    「あぐっ……ぎぎ……!!!」


    おじさんは脚を抱え込み、もがき、のたうちまわる。肉が抉れている、もしくは骨が損傷したのだろう。俺はここから逃げ出そうと必死になって、彼を半ば引っ張りながら人を押し除け、後退った。

  32. 32 : : 2020/08/10(月) 00:53:35


    誰もついてきたりはしないようだった。休憩は終わりと言わんばかりに、作業員たちはぞろぞろと離れて持ち場に戻っていく。それを腹の底が煮えくり返る思いで、遠目に見つめた。


    「ぐふっ……! なぁ……ケンゴ、エトはそこにいるんだろ?」



    イチローさんは痛みに顔を顰めながら、俺の目を見てそう聞いた。俺は震える唇を噛みしめ、肺に込み上げてくる熱を言葉に乗せる。


    「はい……! あそこに、あそこにエトがいます……! 俺を待って、俺を待ってくれてるのに……!!」


    手も足も出なかった現実がただ此処にある。トラックまでおじさんを運ぶと、付近の木に寄り添うようにして縋らせる。彼は意識を喪い、ぐったりとしたまま目を瞑った。限界を超えた重労働で、もう腕に力が入らない。


    喪った血の代償に、立ちくらみを起こし膝が嗤う。握り拳を作り、何度もそれを叩いて黙らせた。


    「クソ! クソッ!! クソクソ!!」


    太腿が腫れ上がる頃、金属音があちらこちらから聞こえ、本格的な作業がいよいよ始まったことがわかる。早く、なんとかしないと。完成したら手がつけられなくなる。


    もう、二度とエトと逢えなくなる。俺を変えてくれた。俺の人生を、本当に、何もない殺風景な無味無臭な箱に、収まりきらないほどの存在をくれた。


    彼女が、そんな彼女が、いない。もう、いない。あの日、偶然に出会った幸福は、誰かの気紛れで踏みにじられるほど弱々しかったことに、今更ながら気づいた。


    「そうだ……あの時、起きなければ……この駅で降りることもなくて」


    手を顔に当てると、エトとの記憶が沸いては、色褪せて散っていく。吐き気と憎悪を堪えながら、ただただ絶望に打ち拉がれた。


    「あの日……あのカー……」


    「…………」


    「……あ」


  33. 33 : : 2020/08/10(月) 00:54:00


    脳を、
    血流が駆け巡る。


    自分の発想に恐れすら抱いた。馬鹿と天才は紙一重を地でいく、臨界点スレスレのぶっ飛んだイメージ。着々と構想を重ね、自らの作戦が奴らの喉元に届き得ることを理解する。


    あとは実行する勇気。だが、そんなものは持ち合わせているわけがない。計画を想像するだけで両の手足が竦んで動けない。


    「はぁはぁ……」


    目を閉じて、エトの笑顔を思い浮かべる。それだけでよかった。恐れていることが、塗り潰されていく。頬を濡らす涙が、いつになっても止まない。


    既に太陽は山の向こう側で没した。しかし、昼はいつまで経っても終わらない。辺りは明るく照らされ、イルミネーションのように輝いている。人の活気と、科学がもたらした電気は、夜を完全に殺していた。



    「イチローさん……借りてきます」


    彼のトラックに乗り込む。もちろん、運転席だ。エンジンをかけると、深く息を吸い込み、吐き出す。汗ばむ手でハンドルを握り締めた。まじまじと観察していたため、トラックの運転はある程度理解している。


    トラックがゆっくりと進み始め、たいした速度は出ていないはずなのに、驚いて急ブレーキを踏んでしまう。緊張で胃液が逆流しそうだった。歯を食いしばり、また徐々にアクセルを踏む。

  34. 34 : : 2020/08/10(月) 00:54:42


    細い木々をなぎ倒し、潰しながら前進していく。数十秒後、目的の場所についた。古びた柵を壊しながら侵入し、ゴツゴツとした石が詰まれた場所に、トラックを乗せる。レールの凸凹に身体が揺れた。


    トラックのライトを消して、念のためにエンジンも止めた。ドアを開けて、飛び降りる。大きく曲がったレールの先を見つめると、ぼんやりと灯されている工事現場が視界の中央に映った。


    「もう、後戻りはしない。後退りもしない。あの場所へ、君に会いにいく」


    「今度は偶然なんかじゃなく、俺自身の精一杯で」



    呟きざまに、俺は工事現場へと駆け出す。作業員らは何も気づかない様子で、黙々と仕事をこなすものもいれば、缶コーヒーを飲んでは草むらに捨てるものも、煙を蒸すものもいた。


    不完全な夜では、星空もまともに拝めない。ぼんやりと明るい空を一瞥し、また足に力を込める。そして、その時は来た。


    鼓膜がはち切れんばかりの甲高い、金属の擦れる音に皆が耳を一斉に塞ぐ。予め予期していた俺だけが、脚を止めることなく、回し続けた。


    「なんだ!?」


    「おい、またあのガキが来たぞ!!」


    指を刺され、罵声を浴びせられる。無視して両腕を振り回した。エトの事を考え、エトのことだけ考えて、身体を動かす。


    「それどころじゃねえ!! 向こう見ろ!!」


    「なんじゃ……ありゃあ……」


    吹き出物をびっしりと顔に蔓延らせた男が、口に咥えていた、火のついているタバコを落とす。轟音の主が、暴れ狂う巨大な鋼鉄の蛇が迫ってきていた。


    途轍もないほどの重量で、土をせり上げ、電車が工事現場へと向かってきている。軸は傾き、体勢はほとんど崩れていた。乱反射する強烈なライトの光に目が眩む。


    敷かれた道から外れた電車は、視界に映るものが憎いと言わんばかりに、徹底的に飲み込んでいった。圧倒的な摩擦の力に、火花がバチバチと散って、地に花火が咲いているように思える。


    トラックによって行き先を防がれた電車は、レールを弾き出され、カーブを曲がりきれず脱線したのだ。踏切に石を仕込むだけで脱線する事は、ニュースを見て知っていた。


    規格外の災害を目の前にした作業員たちは、実に本能に忠実だった。逃げ惑い、転けた者を何度も踏みしめ、我先にと離れようとした。


    機材やライトは守るべきだと考えた者もいるようだが、全てが遅い。目的地を失った電車は、あらゆるものをなぎ倒しながら、視界が奪われる程の砂埃を立て、進み続けた。


    俺は風圧に押され、飛ぶようにして奔る。背後で叫び声が掻き消されていくのを、好機に、混乱に乗じて、まだ破壊されていない電光掲示板を、拾った瓦礫で叩き割って回る。


    しかし、壊滅を喫した工事現場だが、一向に経っても昼が終わらない。理由はすぐにわかった。唯一、あたりを照らす太陽のような電灯が、粘り強く残されていたからだ。


    「クソッ!!」


    それも破壊すべく、走って向かおうとするが、跳ねる電車が道を遮るようにして目の前を通過した。その衝撃で、思わず腰から着地してしまう。


    「いっ……てぇ〜〜……!」


    ズキズキと痛む右の手首は、明らかに変な方向に曲がっており、瓦礫を握り締めることも叶わなかった。左手に持ち返ると、横転した電車をよじ登り、側面を這うようにして滑り落ちた。

  35. 35 : : 2020/08/10(月) 00:55:10


    巨大な電灯は、一本の柱の先に、光源が取り付けられている。昼の象徴に狙いを定めるが、慣れていない左手では上手くいかず、もたついてしまった。


    すると、背後から強烈な痛みが横腹を襲う。地面に突っ伏せ、その方向を見つめると、俺を蹴り付けたあの色黒の男がそこにいた。



    「これ……お前か? お前が、やったのか?」



    呆然とし、声が震えているのを隠そうともしていなかった。俺は無視して、四つん這いになったまま、瓦礫を握りしめ、また電灯に狙いを定める。


    「退け!!」


    俺の激昂は、続々とやってきた他の連中によって掻き消された。そいつらは、異常者を見る目つきで俺を見下ろすと、怒りの方が勝ったのか、拳を握り、じわりじわりとにじり寄ってきた。



    「うおおおおおおお!!」



    一か八か。膝をついた体勢で、左手で瓦礫を放る。が、色黒の男が間髪入れずに叩き落とした。俺の足下で、それが転がる。既に他の連中に囲まれ、今にも殺戮が始まりそうな、そんな雰囲気があった。奴らの影に隠れた俺の身体は、まるで闇に呑まれてしまったようでーーーーーーーー。



    「よし、ここなら狙える」


    俺の足底に沸き上がる、黒い物質。発生したエネルギーの束が脚を押し上げ、足下を跳ねる瓦礫を一気に蹴り飛ばした。


    「帰ってこい!!! 夜!!!」



    目にも留まらぬ速さで撃ち込まれたそれは、太陽にヒビを入れると、一瞬にして貫き、粉々に粉砕する。ガラスの粒が雨のように降ってき、顔をこそばゆくさせた。



    暗転、夜の世界が始まる。


  36. 36 : : 2020/08/10(月) 00:55:31


    夜は一瞬にして、辺りを闇の中に落とした。最初は暗闇に怯えていた男たちも、目が慣れたのか、報復のために俺を探そうとする。だが、見つかったのは恐ろしい化け物たちだった。


    あちこちで劈くような悲鳴が聴こえる。昼に閉じ込められた鬱憤を晴らすが如く、夜獣は大きな鼻を振り回し、積んであった機材やプレハブ小屋を容赦なく破壊する。


    もう俺のことに注意を割く余裕もないのか、逃げ惑う人々の間をすれ違いながら、俺は砂浜の方へ向かう。


    どこかから沸いた黒い水が押し寄せ、人間たちはもがきながら、それを愉しむ夜獣に弄ばれている。黒い水を鼻からかけては、溺れる寸前の弱った獲物を見て、彼らはにたにたと嗤った。


    俺はそれを横目で見ると、腰まで浸かった水を押し除け、浜辺を目指して進んだ。砂浜にはいつもの静けさが訪れており、満天の星空は、果てしなく広がり、輝いていた。


    「ーーーーーーーケンゴ?」


    「……エト?」


    夜の冷たい風に靡く綺麗な黒い髪。妖しく揺れるワンピース。なめらかに覗かせる白い脚。まさしく、エトがそこにいた。

  37. 37 : : 2020/08/10(月) 00:55:57


    「ケンゴ!!」


    砂を踏みしめ、エトはこちらに向かって、転げそうになりながら迫ってくる。俺は彼女の腕にそっと、指を這わせたい思いを堪え、服の上から抱きしめた。


    「ごめん、エト!! 一人にさせないって言ったのに、約束守れなかった!!」


    「んぐっ……ぐすっ……ケンゴ……私、私……!」


    耳元で咽び泣くエトは色めいて見え、思わず心臓の鼓動が早くなる。


    「ごめん、本当にごめん。昼に閉じ込められたのは、怖かったよね」


    エトは無言で首を振ると、ゆっくりと、遠慮したようにして口を開いた。


    「いや……違うわ」


    「え?」


    「私が怖かったのは、もう、二度とあなたに逢えないんじゃないかってことよ」


    俺は、思わず泣いてしまった。エトも同じことを考えていたことに、幸せが心から溢れて、涙となって溶け出した。


    けど、俺たちは一緒にはいられない。エトにとって俺は猛毒だから。それをわかっているからこそ、エトはいつまで経っても、寂しそうに話すのだった。


    「ねぇ……ケンゴ、私もう、死んでもいいから、あなたと離れたくない」


    「……嫌だよ、君が死ぬのは、嫌だ。この世で一番それが嫌だ。第三次世界大戦よりも、地球が灼熱に包まれるよりも、俺が死ぬのよりも、君が死ぬのが嫌だ」


    「じゃあ……どうすればいい?」


    俺は、ある決断をした。それはこれから先、もう昼を生きれないという、あまりに辛い決断。断腸の思いではあるが、それでも。



    「君と一緒なら、恐ろしい夜だって、おどろおどろしい夜だって、生きられる気がするんだ」


    「俺の人生はこれから先、もう一生、夜でいい。君が隣にいれば、関係ないんだ。死ぬほど暑い昼も、凍える夜も、君が隣にいなきゃ意味がないんだ」


    「ついてきてくれる? エト」


    嬉しくて、悲しくて、色んな感情がぶつかっているのか。エトは今までにないほど顔をくしゃくしゃにして、満面の笑みで泣いていた。


    「ーーーーーーもちろん」



  38. 38 : : 2020/08/10(月) 00:56:55



    俺たちは黒龍に乗って、南の方へ、南の方へと向かった。クロクラゲたちも何匹か連れて。1日の夜のうちに数百kmは進んだ。


    道中、昼になると、俺はなるべく影を探して寝た。少しでもエトの負担を減らすためだ。


    一ヶ月が経つ頃、目的地に到着していた。乾いた冷風とだだっ広い平野にうんざりしつつ、上を見上げる。すると、緑に煌めく、薄い布地が空に靡いていた。オーロラと呼ばれるそれを、実物で眺めた俺たちは、言葉も忘れてひたすら光景に没頭した。


    半年経つと、俺たちはまた北の方へと向かい、途中でウメさんとイチローさんの家へ寄り、木の皮にメッセージを書いた手紙を添えた。名残惜しさを感じながら、再び空へと飛び上がる。


    冬の日本を過ぎ去り、またさらに北を目指した。上空から眺めた地球は酷く、白に覆われていた。




    地球は地軸が23.4度傾いている。そのズレのせいで、地球の太陽に向いていない方の半球の緯度66.6度より上は、日光が当たらない。言い換えると、日が昇らない。


    太陽の方向に傾いていない、つまり季節でいうと秋から冬。その間にかけて、俺たちは永遠の夜を生きることができる。



    終わらない夜を繰り返していく内に、俺から昼が完全に抜け落ち、エトの身体に触れることができるようになった。その時の俺たちの歓びようといったら。


    初めてしっかりと触れた彼女の肌は、きめ細かく、指が沈んでしまいそうになるほど柔らかかった。その日は一日中、抱き合い、頬を擦り合わせて横になっているのを覚えている。


    確かに気苦労は多い。夜獣はエトのいた所に比べて、洒落にならないほど凶悪だし、凍てつく寒さに心が挫けそうになったことも、昼の恋しさが胸いっぱいになったことも、正直、ある。


    それでも、やっぱり、エトと生きていくのは本当に楽しい。俺は彼女が煎れてくれる夜の豆をすり潰して作る、とても苦い飲み物が好物だった。黒龍の炎で温めて飲むと、舌に苦々しい酸味を感じながら、身体の芯が暖まっていくのがわかる。




    クロクラゲたちがはしゃいでいるのを、それを飲みながら、エトと木陰で眺めていた時、彼女はゆっくりと俺に手を差し伸べる。


    黙ってそれを握りしめ、寄り添うようにして互いにもたれ合った。クロクラゲたちの鳴き声が針葉樹の立ち並ぶ森に響いた。


    冷たい風が吹き抜ける。そろそろ寒波が訪れようとしているのだろう。だがエトは、寒いとは、もう言わなかった。







    俺たちは今日も生きていく。


    地球が生み出した、永遠の夜。
    66.6度の世界を。






  39. 39 : : 2020/08/10(月) 01:07:26


    後書きを垂れる。

    主人公のケンゴ君、全然好きになれなかったんですよね。で、エトに会いに行こう(1回目)書いてる途中で好きになりました。キャラが本心で話してくれた感がしたからですかね。「あ、お前そういう奴なんだな」って思って、神風電車アタックするクズ野郎ですが、応援しました。今回お題くれたherthさんマジでスーパーサンクス。夏の、夜は、強い。それだけ覚えて帰ってください。
  40. 40 : : 2020/10/26(月) 14:31:06
    http://www.ssnote.net/users/homo
    ↑害悪登録ユーザー・提督のアカウント⚠️

    http://www.ssnote.net/groups/2536/archives/8
    ↑⚠️神威団・恋中騒動⚠️
    ⚠️提督とみかぱん謝罪⚠️

    ⚠️害悪登録ユーザー提督・にゃる・墓場⚠️
    ⚠️害悪グループ・神威団メンバー主犯格⚠️
    10 : 提督 : 2018/02/02(金) 13:30:50 このユーザーのレスのみ表示する
    みかぱん氏に代わり私が謝罪させていただきます
    今回は誠にすみませんでした。


    13 : 提督 : 2018/02/02(金) 13:59:46 このユーザーのレスのみ表示する
    >>12
    みかぱん氏がしくんだことに対しての謝罪でしたので
    現在みかぱん氏は謹慎中であり、代わりに謝罪をさせていただきました

    私自身の謝罪を忘れていました。すいません

    改めまして、今回は多大なるご迷惑をおかけし、誠にすみませんでした。
    今回の事に対し、カムイ団を解散したのも貴方への謝罪を含めてです
    あなたの心に深い傷を負わせてしまった事、本当にすみませんでした
    SS活動、頑張ってください。応援できるという立場ではございませんが、貴方のSSを陰ながら応援しています
    本当に今回はすみませんでした。




    ⚠️提督のサブ垢・墓場⚠️

    http://www.ssnote.net/users/taiyouakiyosi

    ⚠️害悪グループ・神威団メンバー主犯格⚠️

    56 : 墓場 : 2018/12/01(土) 23:53:40 このユーザーのレスのみ表示するこの書き込みをブックマークする
    ごめんなさい。


    58 : 墓場 : 2018/12/01(土) 23:54:10 このユーザーのレスのみ表示するこの書き込みをブックマークする
    ずっとここ見てました。
    怖くて怖くてたまらないんです。


    61 : 墓場 : 2018/12/01(土) 23:55:00 このユーザーのレスのみ表示するこの書き込みをブックマークする
    今までにしたことは謝りますし、近々このサイトからも消える予定なんです。
    お願いです、やめてください。


    65 : 墓場 : 2018/12/01(土) 23:56:26 このユーザーのレスのみ表示するこの書き込みをブックマークする
    元はといえば私の責任なんです。
    お願いです、許してください


    67 : 墓場 : 2018/12/01(土) 23:57:18 このユーザーのレスのみ表示するこの書き込みをブックマークする
    アカウントは消します。サブ垢もです。
    もう金輪際このサイトには関わりませんし、貴方に対しても何もいたしません。
    どうかお許しください…


    68 : 墓場 : 2018/12/01(土) 23:57:42 このユーザーのレスのみ表示するこの書き込みをブックマークする
    これは嘘じゃないです。
    本当にお願いします…



    79 : 墓場 : 2018/12/02(日) 00:01:54 このユーザーのレスのみ表示するこの書き込みをブックマークする
    ホントにやめてください…お願いします…


    85 : 墓場 : 2018/12/02(日) 00:04:18 このユーザーのレスのみ表示するこの書き込みをブックマークする
    それに関しては本当に申し訳ありません。
    若気の至りで、謎の万能感がそのころにはあったんです。
    お願いですから今回だけはお慈悲をください


    89 : 墓場 : 2018/12/02(日) 00:05:34 このユーザーのレスのみ表示するこの書き込みをブックマークする
    もう二度としませんから…
    お願いです、許してください…

    5 : 墓場 : 2018/12/02(日) 10:28:43 このユーザーのレスのみ表示する
    ストレス発散とは言え、他ユーザーを巻き込みストレス発散に利用したこと、それに加えて荒らしをしてしまったこと、皆様にご迷惑をおかけししたことを謝罪します。
    本当に申し訳ございませんでした。
    元はと言えば、私が方々に火種を撒き散らしたのが原因であり、自制の効かない状態であったのは否定できません。
    私としましては、今後このようなことがないようにアカウントを消し、そのままこのnoteを去ろうと思います。
    今までご迷惑をおかけした皆様、改めまして誠に申し訳ございませんでした。

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